人を動かすための「コミュニケーション」とは?~奥山清行×小泉進次郎×松山大耕×木暮太一 視聴時間 1:02:20

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G1サミット2018
第3部分科会D「コミュニケーションのアートとサイエンス」
(2018年2月10日開催/沖縄万国津梁館)

変革を実現するためには、確固としたビジョンを打ち立て、発信し、そのビジョンに共鳴する同志を集めることが不可欠となる。そのための武器が「コミュニケーション」だ。奥山清行氏、小泉進次郎氏、松山大耕氏が語る「ビジョンを伝えるコミュニケーションのアートとサイエンス」とは。(肩書きは2018年2月10日登壇当時のもの)。

※アプリで動画を再生する際、Androidの一部機種で動画が再生できない場合がございます。その場合は、アプリを閉じて、WEBページの「GLOBIS知見録(https://globis.jp/)」にて動画を視聴していただければと思います。

<動画の全文書き起こし>

木暮氏:今回のテーマは「コミュニケーションのアートとサイエンス」ということで、まず、このお題の意味がよくわからんという方がすごく多いかなと思うんですね。僕、この話を伺ったときに、「右脳的なコミュニケーション」である「アート」のことと、「左脳的なコミュニケーション」である「サイエンス」のことを伺おうかなっていうふうに思っております。まずお三方に伺いたいことがありまして、今回、コミュニケーションっていろいろ視点がありますけれども、「人を動かす」という視点で考えると何がいちばん大事かをまず伺ってみたいかなと思います。じゃあ、奥山さんから。

奥山氏:デザイナーとしてこの分科会で何の話をしようかと思ったんですけど、デザインって実はお金でして、自分の時間で自分が信ずるところをつくるのがアートで、結果としてお金になることのほうがデザインより多いんですけれども、デザインは人様のお金でモノなりサービスなりをつくって、それを提供して、お客様に儲けていただいて、そのおこぼれをデザイナーがいただくっていう、それが本来の姿なんで、作品じゃないんですね。その中で、今、スペックにしても値段にしても一緒じゃないですか、世界中のものが。ですから、僕ら、つくっているものに関してストーリーを語ることが非常に重要でして、実はデザイナーの仕事のうちの半分ぐらいが「語ること」なんです。

ところが、語りながら非常に感じるのは、「この人に買ってもらいたい」「この人に伝えたい」っていう人をまず探し出して、その方たちから「聞くこと」のほうがが語ることよりも大切だっていうふうに最近特に思います。ところが難しいのはデザインって、モノを作って出すのに5年ぐらいかかりますから、たとえば5年先の自分の大切な人の誕生日のプレゼントを探すみたいなものだと。本人に聞いたって何を欲しがっているかわかんないし、僕だってわかんない。だけど、一生懸命調べて「最近何食べてんの?」とか「何の映画観たの?」とかいろいろマーケットリサーチするわけですね。それでもわかんなくて、結局、悩んで悩んで、この人のために僕が5年後に何できるかなっていったら、自分に返ってきて、「結局、自分がこの人のために世界でいちばん上手にしてあげられるのは、これだ」という確信をもって、それを5年間かけてつくって提供して、喜ばれたらそれこそ嬉しい。でも、喜ばれなくても仕方ないな、それがものづくりだというふうに思ってまして。そういう意味だと、今日お伝えしようかなと思っていたのは「語ること」と「聞くこと」と「本当に伝えたい人たちを探すこと」の大切さみたいな、そんなことです。

木暮氏:ありがとうございます。じゃあ、進次郎さん。

小泉氏:グロービス知見録でも動画として残っている中で、G1カレッジで「伝えること」をで話したときに言ったのは、「言葉に体温と体重を乗せる」っていう、これを常に意識しているんです。もちろん、言葉は温度も測れないし、重量も測れないですけど、なんか受け止めている側が、そこに温かみだったり体重がドシッと乗っているように感じるように話すにはどうするかっていうことを考えると、最後行き着くところは言葉に対する「期待」と「恐れ」なんですよ。

木暮氏:「期待」と「恐れ」?

小泉氏:やっぱり言葉は諸刃の剣ですから、相手を勇気づける言葉もあれば相手を殺す言葉もあるわけで、その言葉の恐さ、それと言葉のもつ力。これを考えると、最近「一語への情熱」っていう言葉をよく僕は言うんですけど、一語ですべてを失う可能性もあるので。逆にいえば、一語で人の気持ちを前に動かすこともできる。次の仏教の方につなぐ言葉としては、よく「一期一会」ってあるじゃないですか。だけど最近自分の中で「ああ、この言葉だな、自分は」と思ったのは、ここの間に「一語」を入れて「一期一語一会」なんです、僕の中では。本当に人生でこの言葉を届けるこの機会はもう二度と来ない。そして、一度吐いた言葉はもう飲み込めない。それを常に考えているっていうのが、一言でいえば「一期一語一会」っていうのが僕の今の心境ですね。

木暮氏:いろんなお話になった言葉とか事前に調べたんですけれども、「最初の1文にこだわりたい」っていうメッセージも感じ取ったんですが、冒頭に相手に伝える言葉っていうのは特に大きい意味があるんでしょうか?

小泉氏:やっぱり最初のところでつかまないと、最後まで聞こうと思ってもらえない経験があるんですよ。それがやっぱりはじめての選挙のときの厳しさで、民主党政権が生まれたときに自民党があれだけ否定をされて、世襲も批判をされて、本当に人が足を止めてくれない中で、誰からも聞いてもらえないという経験が、「一語への情熱」って言いましたけど、もしかしたら「一語への執着」なのかもしれない。そこで、買い物にスーパーに行く途中の人が演説をしていても止まってくれるにはどうすればいいんだろうかと考えたら、10分聞いたら伝わることはだめなんですよ。「最初の1文」っていう意味は、言葉だけじゃなくて仕草もそうなんです。立ち方もそうなんです。「なんか聞いてやろう」って思ってもらえるかどうか。これを真剣に考えないと最後まで足を止めてもらえない。だから、いちばん自分にとってありがたかったのは、誰からも聞いてもらえないという経験。

木暮氏:たぶん会場にいらっしゃるみなさんも感じると思うんですが、「それ、じゃあ、どうやって身に付けてきたの?」もしくは「どうやって身に付けるの?」っていうところって、すごい大きいポイントだと思うんですが。

小泉氏:いちばん簡単なのは、自分の、今、動画でこれ撮られていますけど、これを見ることです。どんな本を読むよりも、自分が話している姿を映像で見るのがいちばんのコミュニケーションの勉強です。そして、自分が今耳にしている自分の声と、映像で見たときの自分の声、これがぜんぜん違います。それと、これは自分の演説でもそうなんですけど、自分が思っているよりも僕のケースの場合は話す速度が速すぎた。そして1文が長すぎた。そして抑揚がない。リズムがない、言葉の中にね(会場笑)。そういう違和感を生む、そういうものがないんですよ、演説に。その演説を気づいたのは、スティーブ・ジョブズのプレゼンの本を読むことでもなければ、オバマのスピーチを動画で見ることでもなければ、自分を見つめることなんですよ。本当に自分を見つめたときに恥ずかしいと思いますから。「俺、こんなんで人前に立っていたんだ」って。「それをやっていますか?」って話だけです。

木暮氏:それ、僕も朝のテレビ番組とか出させてもらったときがあって、マネージャーに言われんですよ、「自分を見てください」と。あれ、すごい嫌ですね。

小泉氏:恥ずかしいですよね。

木暮氏:めちゃくちゃ恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしいんですが、すごく勉強になるんで、ぜひ、これはみなさんにもおすすめするやり方です。ありがとうございます。

次に大耕さんに伺いたいんですけど、大耕さんのご著書を拝読していると「言葉は実践するための動機づけにすぎない」とお言葉があったんです。その中で、言葉よりも実践、禅は実践を重視されていらっしゃるじゃないですか。やっていくことがすごく大事だという中でのコミュニケーションというのは、どういう位置づけなんですか?言葉のもつ意味とか、言葉のもつ意義とか重要性とは?

松山氏:私がよく例えるのは、オレンジジュースを飲む、味を説明する。でも、どれだけ私が上手に説明しても、味は伝わらない。だから、実践を大事にするっていうのが私たちの教えなんですけど、言葉を決して否定しているわけじゃなくて、そこに言葉がなかったら「そこにオレンジジュースがある」ということがわからないわけですよ。ですから、そういった意味で、言葉っていうのはある種のオレンジジュースを飲む動機づけのような意味だと思っていますね。

木暮氏:その動機づけを「人を動かす」という視点で考えると、大耕さん自身はどのように言葉を選び、どのような場面で伝えていらっしゃいますか?

松山氏:私は1年半ぐらい前に今のフランチェスコ・ローマ教皇が主宰されている宗教者会議に行ってきたんですね、イタリアに。シンポジウムがあって、こういうパネルがあって、最後にQ&Aの時間があったんですよ。で、日本人はあんまり質問をしないから、質問をしてやろうと思って聞いたんですね。ちょうど前々ローマ教皇のヨハネパウロ2世が始めて30周年の記念のやつだったんですけども、この30年で宗教界に何が起こったかと。相変わらずテロは起こっている。そして、テロよりも私が問題だと思っているのが、その宗教者会議を伝える日本の全国紙は、共同通信がちょっと書いただけだったんですね。テレビ局ゼロ。つまり、関心がないってことです。つまり、この30年間で宗教に関心がないっていう人が世界中に、仏教だけじゃなくてキリスト教もイスラム教もみんなそうですよ。で、「そういう状況の世界でマジョリティになってる中、私たち宗教家がこうやって集まってしゃべることが、彼らにとってどういう意味があるんですか?」っていう質問をしたんですね。そしたら最後にフランチェスコ教皇のお言葉を紹介していただいて、これはお坊さんに対してではなくてカトリックの神父さんに対してのお言葉だったんですけど、これは非常に私たちも沁み入った言葉なんですが、「現代を生きる宗教家には2つやらなきゃいけないことがある。まず1つは教会から出なさい。教会の中にいたら、キリスト教が好きで、キリスト教を学びたい人がいっぱい来る。でも、キリスト教に興味がない人とかは絶対来ない。だから、まず自分から出なさい」というのが1点め。

2点めは、「そういう人と話をするときに聖書の言葉は使うな」っておっしゃったんですね。要は、何百年前の聖人の、偉大な人たちの言葉を引用しても何のリアリティもない。そうではなくて、自身を語れっておっしゃったんです。ですから、さっきのオレンジジュースの例じゃないですけども、引用とか「他の人がこう言ってますよ」とか、そういうことをただ単にダーッと並べても何の伝わり方もしないんですよね。やっぱり自分自身の本当にリアリティのある言葉で伝える。これを私自身も元から重視してましたけれども、その一言で「ああ、本当だな」と思ったんですね。

木暮氏:それは「体験をベースにしたことを話しなさい」っていうことですか?

松山氏:そうですね。自分自身の宗教体験が大事だということですね、宗教家としては。で、もう1つ、これは私の師匠からずっと言われたんですが、禅問答ってあるんですよね、修行の中で。毎朝、師匠がいる部屋まで長い廊下を行って、ロウソクを1本立てて、そこで座禅して待ってらっしゃるんですけども、問答するわけですよ。その問答でいつもおっしゃっていたのは、「禅は断定だ」と。「なんとかかもしれません」とか「なんとかに違いない」とか「なんとかだと思います」って言うと、絶対、禅問答通してもらえなかったですね。とにかく「禅僧に逃げは誰も期待していない。断定しろ」と言われたんですね、常に。「『こうです』と断定しろ。間違っていたら謝れ」と常におっしゃってました。ですから、私も発言に逃げをつくらないというか、そういう態度は非常に大事だなというふうに思っています。

木暮氏:それに関連して進次郎さんに伺いたいんですけど、政治に興味がない人たくさんいるじゃないですか、世の中に。その人たちに振り向かせるために、どういうことを今まで考えてきたのか。

小泉氏:松山さんの「教会を出ろ」。これは政治家の世界でいうと「箱の中で演説するのじゃなくて、街頭演説をしろ」ってことなんです。街頭だったら、聞く気のない人にも声が届く可能性があるから。これが同じだなと。もう1つは「仏教用語を使うな」と。これは政治家の世界でいうと「政治の世界や霞ヶ関にしか通用しない言葉を政治は使うな」っていうのを僕らも意識をしていて、たとえば最近でいうと、第四次産業革命に合わせて「Society 5.0」って言葉がありますよね。これね、だめですね。これはだめ。まず、地域に行くと、おじいちゃんおばあちゃんたちに「なんで『5』じゃなくて『.0』なの?」って(会場笑)。

木暮氏:ああ、そっちのほうね。

小泉氏:これ、理解されないですから、まったく。だから、一発で0歳から100歳までとは言わないけど、ある程度のみなさんが「こういうことをやるのね」っていう言葉を使わなければ、やりたいことが伝わらないですよね。

木暮氏:それってある意味、相反するところがあるかなと思っていまして。というのは、プロであればあるほど、のめり込んでいる人ほど、1つの言葉に自分の思いをぜんぶ込めようとするじゃないですか。で、「5.0」もたぶん意味があっての「.0」だと思うんですよね。「5」にすると、それが伝わらなくなっちゃうのじゃないかっていう恐れがあるような気がして。

小泉氏:うん。だから「5」にしなきゃいいんです。

木暮氏:「5」にしなきゃいい?

小泉氏:「Society 5.0」って言葉とか、「5」とか、それもやめればいいんです。

木暮氏:言葉を変えることで伝わらなくなるんじゃないかっていう恐れは、進次郎さん自身はありますか。

小泉氏:伝わる言葉を考えるのがプロの仕事じゃないですか。「『.0』って言ってりゃ新しい」みたいなね、これ、まったくだめですね。それは政治家の世界ではですよ。業界ではいいと思うんです。だけど、これが徹底されてないから、あたかも「その言葉、聞いている人がわかっているつもりで言ってんじゃない?」っていうケースは、いろんな場に行ったらありますね。それを極力やめようっていうふうに意識しています。平易な言葉で、誰もがわかる言葉で、小学生に一発で伝わる言葉は何かっていうのが僕の中のひとつの思いで。

国会の質問でもよくパネルをいっぱい使うじゃないですか、質問する人。僕は極力使わないようにしているのは、あれ、テレビを観ている人だけじゃなくて、仕事中にトラックの運転手さんは車でラジオで聴いてんですよ。農業をやっている人は畑でトラクターの中でラジオで聴いているのですよ。その人が、「さあ、みなさん、このパネルを見てください」って、見れないから。だから、想像力が足りない。そして、たとえば「見てください」って言ったときに、目の不自由な方が見ているときに見れないじゃないですか。

だったら政治家の仕事ってなんですかっていったら、パワーポイントとか使うんではなくて、言葉でどうやったら最大限届けられるかっていうことがまずベースにあったうえで、だけど本当に伝えたいことが、映像とか、まさに体温が残るような、体重が残るような形で残すためには、「ここは動画を使おう」とか、「ここは映像や写真があったほうがいい」とか、そういったことがあればいいと思うんですけど。その基本というのを絶対間違えちゃいけないなっていうのは、今の2点についてすごく共感するとこですし、だけどいちばん難しいです。政治家にとって街頭演説ほど難しい演説はない。いつ妨害が入るかわかんない、そして、最初にフワッとつかむ最初のつかみを、ハードな形がいいのか、ソフトな形がいいのか、マイクを握るまでわからない。

木暮氏:それを実現してきたのは場数ですか?

小泉氏:場数と危機感ですかね。この前の全体会で「英語の教育をやるべきだ」っていう言葉がありましたけど、僕は最終的に英語とか外国語が本当に身に付くのは、その言葉というコミュニケーションのツールを使わなければ生きていられないっていう環境におかれる以外は、本当の意味では学べないと思っているんです。だから、なんで日本でこれだけ英語がまだまだ浸透してないかといえば、使わなくて生きていくことにまったく不自由がないからですよ。だから、これを考えると、私にとっては、なぜここまで言葉というものにこだわるのかといえば、そうじゃないと生きていけないからです。単純な話です。そこまでこだわらなくて生きていられるんだったら、それはそれで、その世界の人はいいと思う。だけど政治の世界は、そこまでの言葉に対する捉え方をしてないと生き残っていけないので、振り返っても、正直言って、2009年の初当選から今まで、よく失言っていうのを、まだ致命傷ないなって(会場笑)、自分でも本当に振り返ったときに「綱渡りだったなあ」って今でも思いますよ。

奥山氏:進次郎さん、今、英語を日本でみんな学ばないっていうか、上手にならない理由を言われましたけども、言葉のもうひとつの機能っていうのは、なんとなく漠然としたアイデアが頭の中にあるけれど、それを言葉を使いながら頭の中で構築していって、ひとつの文章ができた段階ではじめて考え方が完成するんですよ。文章を書くときもそうですし、話しているときもそうなんですけども、ぜんぶの文章を完全に頭の中で完成してから書き始める人も、言葉もそれでやる方っていなくて。

僕、82年にアメリカに移住してから、英語だけで20年ぐらい、そのあと12年間イタリアに住みまして、山形出身なので日本語と英語とイタリア語と山形弁とフルに話すわけです。面白いのは極端な例で、山形弁、田舎帰って、5分ぐらいそれで話していると気がだんだん重くなってきて、何もやる気なくなってくんですよ、僕の場合だと。言葉の体系が元々寒い所で、「け」「く」「んだ」本当に短い言葉でできあがっているんで、感情表現できないですね。ところが、日本語っていうのはご存じのように非常にファジーな表現できる言葉で、主語はあるけれど、動詞の最後を聞くまでわかんないじゃないですか。で、議論をするのにいちばんいいのは、やっぱり英語なんですよ。英語で話していると、僕、性格変わるんですね。英語でずっと話をしていると、言葉で頭の中の理論を構築して、いちばん最初に結論を言わなきゃいけないから早いんですよ。情報を伝えるのに日本語よりはるかにいい道具として。

で、イタリア語はもっとすごくて、英語のだいたい半分ぐらいのアルファベットで同じことを伝えられますし、男性・女性の表現もありますし、ニュアンスも伝えられるし、ラテン語っていうのはそういう意味では素晴らしい言語だったんですけども、それがいちばん色濃く残っているのがイタリア語とかスペイン語です。あの言葉の構成の素晴らしさっていうのは、要は日本語に比べて、たとえば英語っていうのが仮に半分ぐらいの時間で同じ情報を伝えられるとすると、イタリア語はさらにその半分ぐらい、日本語の4分の1の時間で伝えられるっていうことは、4倍の速さで考えないと、話をしないとついていけないんですよ。だから、僕はイタリアに最初に行って言葉を勉強して、なかなか会議についていけないんで、ジョギングをして、会議の前に、汗かいてから中に入っていって、こういう状態で話してないと間に合わないぐらいペースが速いんですよ。それだけ短い時間で情報とか感情を伝えられる言葉である。

だから面白いのは、その言葉で議論をすると、その言葉の構築の度合いによって考え方が変わってくるんですよ。僕、なんでこんなことを言いたいかっていうと、TEDカンファレンスの日本のほうでスピーチさせていただいて、それでアメリカのほうに行っていろいろ聞いてたら、アル・ゴアが出てきて、ビル・ゲイツさんが出てきて、12分間でバーッと話しするわけですけども、それよりもやっぱりいちばん心に通じたのは、ジャスミン革命を起こした人がエジプトから12分間衛星中継で話してくれた、その話の内容のほうがよっぽど通じるんですよ。

だから、本当に人に伝えたいことっていうのを頭の中できちんと構築して、下手な言葉でもいいから、伝える内容を考えるひとつの道具が言葉であると。だとすると、言葉っていうのは実は人を本当にクリエイティブにしていくし、ある意味で人の性格をつくっていく、その道具じゃないかっていう気がして。そういう意味では、この議論がどっちかっていうと「伝えること」をテーマにしているが、もうひとつの機能として、「考える道具」としての機能があるんじゃないか。

木暮氏:世の中を見渡すと、何を言いたいのか自分でもよくわからない人っていうのがたくさんいらっしゃると思うんですね。自分では誰かを動かしたい、何か伝えたいんだけど、自分自身が何を考えているのかそもそもわかってないっていう方が結構いらっしゃると思うんですよ。で、次に方向性を変えて伺いたいんですが、コミュニケーションにおいて、「ぶつかる」ことの意味を伺いたいんです。

小泉氏:これね、すごいいい例があるのは、僕がさっきはじめての選挙の話したじゃないですか。誰からも聞いてもらえない。必死で聞いてもらうために考える。自分が演説をして、自分の選挙についてくれていた若手の男性のスタッフに「俺の演説どうだった?」って聞くんですよ。男はだいたい「よかったっすよ。よかったっす」って言うんですよ。俺が求めているのはそういうのじゃないんだよと思ってもだめなんですね。それで、あるとき、僕よりも年下の、当時まだ学生だったかな、女性のスタッフがボランティアでついてくれて、「俺の演説どうだった?」って聞いたら、「ちょっと何言っているのかわかんないですね」って(会場笑)。ズバッと言って、それから「悪いんだけど、明日から毎日俺についてくれない?」って言ったんです。「俺に必要なのはそれなんだ」って。これは、今、うちの女性の秘書もいますけど、男性には女性のほうがそれができると思う。「あなた違うと思いますよ。あなたのその感覚、間違っていますよ。ぜんぜんそれ響いてませんから」っていうことをダメ出しをされて、結構気持ちいい部分もあるんですよ(会場笑)。こんなにスパッと言われると、「ああ、そうか。だめか。ああ、わかった、わかった。じゃあ何があり?」みたいな形になってくる。

だから、僕は最近「女性活躍」っていう言葉自体も変えるべきだと思っているのは、女性も男性も活躍しなきゃいけないんです。で、なんで女性活躍が必要なのかといったら、単純に自分のパフォーマンスを上げてくれるからですよ。それだけです。目的は女性じゃなくて、パフォーマンスを双方で高められるからですよ。それを考えると、自分に異論を言ってくれるっていう存在が日本には本当に不可欠。特に男社会の中では、それを言えないで陰で言うから。会議が終わったあとに、これ、農協改革とかをやっているときもそうでしたけど、農協に乗り込んでいって自分の意見を言ったあとに「小泉さんが言ってることは、俺は本当にそのとおりだと思うよ」とか、そういう言いにくい意見を言ってくれる人は、陰で言うね。

そういったことも経験しながら、今の意見を考えると、去年、いろんな政策議論をする中で、人生100年時代の社会保障のあり方とか、あのときにメンバーの中にひとり自民党の議員で安藤さんっていう人がいたんですよ。この安藤さんっていう方が素晴らしいのは、まったく考え方違うんです。で、空気読まないんです。それだから、だんだん毎回恒例で、「まずは安藤さんの意見聞こう」っていうことから始まると、毎回「ちゃぶ台返し」やってくれたんですよ。そうするとだんだん、そもそも論から始まって、議論が深まって、結果としてあれだけ濃密な議論ができたのは、必ず異論を挟んでくれる役割の人物がそこにいたからなんです。たぶん、そもそも企業の社外取締役がなんで必要なのかっていうと、そういうことだと思うんですけど、僕は「あなたは必ず反対意見を言わなきゃいけません」っていう役割を、これからいろんなところで与えていったほうが、日本にとってはどんな場にとってもプラスじゃないかなと思いますけどね。

木暮氏:そこで最終的にまとめというか、最後まで敵対してたらなかなか話まとまんないような気がするんですけど、本を拝読してて思ったんですが、「いろいろ今まで発散して戦ってきたけども、これだけはわかることって何ですか?」っていうフレーズがあったんですよ、この中に。

小泉氏:それが大事で、共有できるところはどこなのかっていうことを、すごい広いとこでまず取ることなんですよ。そうすると、異論は最後は包み込めるんです。だから、農業改革のときに農協側に「改革が必要だということは共有できますよね」って言ったんです。「それはわかってる」「それで十分です。じゃあ、今から下りてマスコミの前に行きましょう。そして、今の言葉をお願いします」って言って、「今、小泉さんと話して、改革が必要だということは同じ認識をもっている」ということが表に出た。これがあれば、どれだけ各論で激突しても、「でも、ここは握りましたよね」っていう最後のベースがあるんですよ。だから、安藤さんのも、結果としてどれだけ異論を言っても「でも、ここは共有しているよね」っていうことを最初にずっとやったんです。だから、議論したあとに各論に入ったこと。これが逆で、各論やってから総論に行ったら絶対議論はだめですね。

奥山氏:実は進次郎さんが説明したことって、議論のすごいブレインストーミングの技術論の骨格でして、要はなんでぶつかるかっていうと、表面的なところでぶつかるわけじゃないですか。で、本当の重要な部分が何かっていって、それはお互いのcommon groundで、お互いに求めているもの、あるいは達するべきものが何かっていうのを明確化すると、そこまでの手段であるとかどうのっていうのは、もうどうでもよくなるわけですよね。だから、一見ベクトルがぶつかっているような、そういった議論なんだけど、よくよくそれをちゃんと分析してみたら、「俺たちが目指してんのはこっちだろ」っていって三角形のこっちを探し出して、そのベクトルのお互いの方向性っていうのを合わせあうっていうのが実は議論で非常に重要で、日本人それが下手なんですよ。

木暮氏:先ほどのぶつかることの意味というか、ベクトル合わせも含めてなんですけれども、ご著書を拝見していると、かつては同じデザイナーのチームで「みんなで楽しくゆっくり」みたいな雰囲気を出されていたと。で、部下を12人切らなきゃいけなくなった。それからバチバチやるようになったと。で、めちゃめちゃダメ出しをする、かなり厳しくいったと。それで上手くいったっていうふうに書かれてありましたけれども、奥山さんにとって、ぶつかることの意味というのはどういうところにありますか?

奥山氏:僕がゼネラルモーターズにいて研究所の所長に32歳ぐらいでなって、40人ぐらいの部下がやっとできまして、はじめての外人だったわけですよ。ところが僕はいちばんいいクリエイティブな雰囲気づくりとか、業界でいちばん高いお給料であるとか、そういうことで一生懸命やって、最高の人を呼んでつくったわけですよ、素晴らしいチーム。ところが、会社の業績っていうのはそれと相反してどんどん落ちていって、本社から「明日までに7人のクビ切りなさい」っていうことが来たわけですよね。

そこでふと思ったのは、僕はその人たちの明日の生活を守ろうとしているあまり、本当の意味での半年後の生活を壊していたんだなと。彼らのためにやるべきことっていうのは、「アドバンスなんかやってないで量産やろうよ」っていうことをアピールしてとか、そこからは、僕、目の前の人のことを切るっていうのはぜんぜん苦に思わなくて、切るっていうのは言葉は悪いのですけれども、ある意味で同じ業界で生きていくためにはいろんなことを手配してあげて。海外の人ってはっきり言わないとわかんないじゃないですか。3回ぐらい言わないと、それも。「でもだめだよ」「やっぱりだめだよ」「絶対だめだよ」って言ってはじめて通じるので。僕、日本帰ってきてそれやったらちょっとブラックになりそうだったので、やり方ちょっと変えて、最近だいぶ丸くなりましたけれども。それでもバシバシ言うことっていうのは本人のためになる、結果として。

小泉氏:今は異論がないと恐いですもん。異なる意見が出ないっていうのが、政治の世界はいちばんホッとするのが今までなんです。いかに会議が異論を言わせずに終わるかなんですよ。これは今ね、僕、恐いですね。「えっ、意見ないの?いいんですか?ホントに。これ、通りますよ?通りますよ?ホントにいいのですか?」「ありません」みたいな。これ、今、僕は恐いですね、むしろ。

あと、もうひとつ恐いのは、意思決定の場に男性しかいない場。これ、男性だけだと、まったく誰も一点の曇りもなく「正解」って思ってることも、ひとり女性が入ったときに「いや、何言ってんですか。それアウトですから」っていうことが今すごくあるんですよ。なのに、そういった意思決定をする場に女性の意見も男性の意見も双方が入るっていう場が欠けているときが結構ある。

だから、これはすごい今、自分の中では、今後の日本の社会で大事なのは、「異なる意見」を「物事を前に進めていく力」に変えられる能力っていうのがすごい大切なことだと思ってるんですけど、本当にそこの部分を理解をして、女性活躍というのがなぜ推進されているのか、なぜそういう環境をつくらなきゃいけないという思いで働き方改革があるのか、これってすごいもう一度解き直していかなきゃいけないと思ってるんです。

木暮氏:大耕さんに次にお話伺いたいのが、「働きを見る」っていうフレーズなんですね。お互いが納得してない中で、もしくは相手が納得してない中で、でも行動することを禅の中では大切にされているっていうふうに僕は受け取ったんですけれども、あの「働きを見る」に関してみなさんに解説してもらっていいですか。

松山氏:「働き」っていうのは、要は「できる」と「やる」とでは(意味が)違うってことですね。禅はどれだけショボくてもいいから「やる」っていうのを重視するわけですよ。修行の中であえて不合理、不条理、「なぜこんなことをしなきゃいけないか」っていうのを課していく。その中で「そんなこと言われても、僕できませんから」っていうだけの人なのか、それでもその中で「何かやってやろう」っていう気概がある人なのか、そういうのを見ていくんですけど、さっきの奥山さんのお話でいうところの、ビシッと説教するというか、ビシッと言ってやるっていうのがありましたが、私たちの修行の中でも師匠の付き人をするんですけど、参列者がブワーっといる中で、あえてみなさんの面前でめちゃくちゃ怒られたり、めちゃくちゃ恥かかされるんですよ。

木暮氏:あえて?

松山氏:あえて。これ、私たち「ご馳走」って呼んでいるんです。「ああ、あいつらご馳走呼ばれとんな」って言うんですね。これは私もうちの父親にやられたんですけど、年でいちばん重要な法要があって、そこのお経のソロパートを担当になって、はじめてだったんですけど、みんなが静かにしている中で、500人ぐらいの中で私がお経を始めたんですが、「鐘が9回鳴ったら始めろ」って言われて、そのとおり始めたんですが、鐘打つ人があろうことか間違っちゃったんですよ、打ち方を。始めちゃいけないところで始めちゃって、みんなが静かになっている中で、みんなは気づいているんですけど、誰も言わなかったんですが、うちの父親がみんなの前で大声で「やり直せ!」って言われたんですね。めちゃくちゃ腹立って、なんでこんなみんな静かにしている中で、わざわざ身内がそんな大声で叫ぶのかと。でも、そのおかげで緊張はぜんぶ取れましたし、二度と間違えなくなりましたね。そういう本当に大事な場面でわざわざそういうことをするっていうのを私たち「ご馳走」って呼んでいるんですけど、でも、一般の企業でそれやったらパワハラになるし、ブラック企業って呼ばれると思うんですけど、やっぱりそこには信頼があるんですよね、絶対にそれで育ててやろうっていう。ですから、そういう独特な人の育て方っていうのがありますね、私たちの修行では。

木暮氏:なるほど。もう1個大耕さんに伺いたいのですが、先ほどから言葉に関して結構深掘って話をしてますけれども、言葉以外でコミュニケーションにおいて何が大事だと思います?

松山氏:「立ち居振る舞い」でしょう。それこそ障子の開け方とかお茶の入れ方とか見ると、「ああ、この人だいたいこのぐらい修行しとんのう」とわかるわけです。今はぜんぶ自動ドアになったり、急須でジャーっと入れたりやりますけど、あれ、だめにしてんなあと思ってんですよ。本当にああいうひとつひとつの動作をピシッとできる人っていうのは、やっぱり人物もしっかりしていますから。

木暮氏:先ほど控室で話が出たんですけど、細かいことは、今の大耕さんの世界の中であんまりお叱りを受けないと。ただし、話し方に関して、声の出し方に関してはすごく指示が細かいと話もありましたけれども、そこはものすごい大事っていうことですよね。

松山氏:そうですね。おそらくさっき進次郎さんがおっしゃった「話を聞いてもらえる」っていうことに関しても、姿勢とか、声の出し方とか、視線とか、身の振る舞いとか、それがちゃんとしてなかったら「ああ、あの人の話聞こう」と思わないと思うんですね。

木暮氏:じゃあ、まず場を設定して、相手の聞く姿勢を整えるためのお膳立てが必要だっていう位置づけなんですか?

松山氏:そうですね。そういうものが日々の中から自然に鍛えられていくようになるんですね。たとえばお膳を出すとかでも、よく「須弥山をもつようにお膳をもて」って言われるんですけど、本当に重いものをもっているようにお膳を(軽いお膳ですよ)もちなさいとか、手の出し方をちゃんと指を揃えて、合掌の仕方とか、角度とか、すごい細かくされるんですけど。でも、それをずっとやっていくと、本当に自分の立ち居振る舞いが変わると、精神も変わってくると思います。

木暮氏:それは進次郎さんの世界でいうと、どういう位置づけになりますか?

小泉氏:やっぱり人前で立つ仕事ですから、すべてが見られているんですよ。よく歌舞伎を見にいったり、文楽を見にいったり、落語を見にいったりするのも、演者の要素っていうのが絶対不可欠なんです。歌舞伎を見ればわかりますけど、何が日本の美しさなのか、そして主役ではない人がどの姿勢でずっと神経を張っているのか、これは国会の委員会で答弁をしていないときの大臣の姿勢とか、休んでいるか、気が入っているか、演説会場で演壇で話している人の脇で、まだ登場を待っている来賓たちが完全に気が抜けてるか、ここまで含めて常に見られているっていう意識、この部分が基本的なところかなっていうのは思いますね。

木暮氏:ということは、その「常に」があって、人前に出たときは最終的な氷山の一角みたいな、最後の最後の表面が伝える言葉であったり場であって、ぜんぶその前にできあがっているっていう?

小泉氏:たとえば外交の世界でいえば、安倍総理が韓国の文在寅大統領と会ったときに、笑顔を少し見せる最初のときと、まったく見せないその後のとき、こういう表情の使い分けから含めて、その場に込めるメッセージというのは表情にもよるんですよね。そういう要素があるっていう理解があって人前に立つ仕事をしているのか、していないのかっていうのは決定的な差を生むと思いますね。だから、僕はたとえば握手をするときも、日本人どうしで握手するときは両手で握手をするケースがほとんどですけど、外国人の方と握手するときは必ず片手でします。そういったことも含めて何が正解なのかっていうのは、いろんな要素から考えて使い分けていかないといけないなっていうのは常に考えますよね、言葉だけじゃなくて。

松山氏:私も一言だけ。同じで、コミュニケーションって国によってだいぶ違いますから、たとえば海外でお話しするときは「アームをレストしてください」って言われるんですよね。日本だったらちゃんとこうしないと「若造がえらそうに」みたいなことを言われますけども、向こうだとちゃんとドカッと座って、アームをレストしろと。そうしないと「おまえ宗教家だろ?早く帰りたいのか?」って言われるわけですよ。だから、それは本当におっしゃったように握手の仕方ひとつでもそうですし、態度でもそうですし、そういうところは国によっても考えていかないかんなって。そうしないと伝わるものも伝わらないですよね。

木暮氏:ありがとうございます。では、全体からの質問をお受けしたいと思います。

会場質問者Aコミュニケーション能力で自分を知るっていうことと、想像力を働かせるというのはすごい大事だなっていうのをお話聞いて実感したんですが、たとえば自民党の先生でも、いわゆる「失言の天才」みたいな方いらっしゃるじゃないですか(会場笑)。そういう方々って今の話でいくと何が欠けているのかっていうことと、大耕さんがおっしゃるように、それはトレーニングで直るのか、そのへんを教えていただきたいと思います。

会場質問者Bみなさんにお聞きしたいんですけれども、さっき、その場では言わないのだけれども陰で悪口言ってる人っていうのをどういうふうに巻き込んでいくか、発言させていくかっていうところ、上の賛成2割と下の超反対2割の間にいる6割、サイレントマジョリティといわれてる、そのへんをどういうふうに巻き込んでいくかっていうことを、もしお考えがあったら教えていただきたいと思います。

会場質問者C進次郎さんが冒頭で最も難しいとおっしゃっていた最初のつかみについてお聞きしたいんですけれども、まったく会ったことのない人たちに対して心をつかむ、たぶんコンマ最後1秒ぐらいで決めていると思うんですが、ハードにいくか、ソフトにいくか、その温度の調節で最も自分が頼りにしてる部分は勘なのか、経験なのか、アートなのか、サイエンスなのか。どうかよろしくお願いいたします。

木暮氏:では、まず失言に関して、失言をしてしまう人っていうのは何が欠けているのか?

小泉氏:もうね、個人の問題です(会場笑)。それだけ。自分自身もしないとは言えないし、そして、今までもしてきたことがあっても、もしかしたらそれが結果として大きく報じられなかっただけかもしれないし。そして、何が失言かは空気にもよるし。それが今の時代のメディアの恐さですよ。「なんでこの発言があのとき大問題になったのだろうか」っていうような失言って結構ありますよ。そこはもう本当に個人の問題と、あとは環境の要素もあるんじゃないかなと。だけど、基本的には、それだけの緊張感と言葉に対する情熱や執着みたいなものをもってないといけないなと。

で、2問目の陰で悪口を言っている人をどう巻き込むか。巻き込みたくない、相手にする必要がなければ、放置したほうがいいと思います。だけど、その人を巻き込まざるをえない、もしくは味方にしたいっていうときは、これ、僕も実例があるんですけど、ある議員が陰でこういうことを言っていたと。僕はその議員の事務所に会いに行きました。それで、「こういうことを言っていたと聞いたので、直接言ってください。僕もいろいろ問題あると思うんで、直接言っていただいたほうが僕にとってもありがたいと思いますから、思っていることを言っていただけませんか」って。そうすると、だいたい言いませんね(会場笑)。だけどその後、力になってくれるケースもあります。

木暮氏:サイレントマジョリティを巻き込むという視点ではどうですか?政治の世界なんてほとんどサイレントマジョリティだと思うんですよね。それをどう巻き込んでいくように意識してます?

小泉氏:これは両方あって難しいし、ケースバイケースだなと思うのは、「何を聞きたいと思ってもらっているのか」っていうアプローチから入るときと、「俺が伝えたいことはこれだ!」っていって入っていったほうが正解なときと。だから、よくビジネスの世界でもマーケットインかプロダクトアウトかっていう、いろんな言い方あると思うけど、最近は結構自分が言いたいことを腹の底から言うことの大事さっていうのを感じますね。そうすると、それに興味がない人も、「なんでこの人、このことについてそんなに熱く語るんだろうか」っていうところから伝わるものがあって、結果として多くの人が元々は関心なかったことや興味がないことも響いて、サポートしてくれる側に回ってくれるケースもある。それはすごく感じます。

最後の質問のどういうふうに決めるのかっていうのは、もう直感です。その直感を磨くためには、僕には場数があるし、とてつもない数の演説してますから。そしてちょっとフワッとしたつかみが、笑いが起きるような、そういったつかみが許されるなっていう空気の会場と、「これ、アウェーだな。ソフトでやったら“ご馳走”になるぞ」というときは(会場笑)やっぱ感じるんです。そのときは、最初のスタートからトップギアに上げて、堅いメッセージからズドンといきます。そういう形で直感ですね。

木暮氏:さっきの失言の質問で大耕さんに伺いたいんですが、仮に失言体質の方がいたとしたら、それはトレーニングによって直るものですか?

松山氏:たぶん直らないでしょうね(会場笑)。ただ、私思うのは、やっぱキャラが大事かなって思うんです。キャラをちゃんと自分でつくっていくっていう。たとえば、麻生先生が言うことで進次郎さんが言えないこと、たくさんありますよね。麻生先生だから言える言葉とかあると思うんですけど、「麻生さんだからしゃあないか」みたいな、そういう雰囲気があるじゃないですか。私も結構お寺の中では発言をするほうなので、「あいつは昔から何か言いよるな」みたいな、そういうキャラがあるんですけど、その中で、私、大事やと思うのはユーモアと愛ですね。失言の中にも本当の愛情が感じられたり、あとはユーモアがあったりすると、失言と受け止められる確率は減ると思いますけど。

木暮氏:それは「ご馳走」をいただきながら学んできたことなんですか?

松山氏:ご馳走をいただきながら、もちろん自分も、いろんな暗澹たる気持ちにもなりながら徐々に学んでいくのだと思うんですけど、その境界線っていうのはやっぱり自分で学ばないと、「ここから先言ったらあかんやろ」っていうのは、それは人によって違うと思いますから、それはひたすら場数でしょうね。

木暮氏:ありがとうございます。奥山さんにも伺いたいんですが、サイレントマジョリティというか、まだこっちに興味をもってない人たちに対してどう興味をもたせるか、そこに関して今お考えになっていることを教えてください。

奥山氏:逆に僕の世界だと「興味をもってもらわなくていいよ」っていうふうに切り捨てるほうが多くて。僕が歩み寄る必要ないんですよ。それと同時に、陰で言う悪口っていうのは実は悪口ではなくて、数に入らないわけですよ。たとえばミーティングがあって、日本人はよくやりますけども、終わったあと、講演か何でもあとから声かけてくるじゃないですか。こんだけの人数が集まって、これだけの時間を一緒に費やす、そこの場で意見を言わない、悪口でも何でも本人に対してそこで言わないことっていうのは僕は犯罪に近いと思うんですよ、コミュニケーション社会の中では。それは日本では許されるかもしれないけど、逆にそれを聞いちゃったらば議事録になんないですから聞かないということで、僕の世界では無視することができるので。興味がない人はぜんぜん構いません。興味ない方はどうぞランボルギーニ買ってください。僕はフェラーリつくっているのですから。だからマーケットリサーチなんかしませんし。ラグジュアリー商品をつくっているのが僕の商売ですから、そこで歩み寄っったらラグジュアリーの本当の意味なくなっちゃいますから、絶対にそこは崩さない。

木暮氏:自分の軸があるからこそ、自分の元々の思いがあるからこそ、切り捨てる意見と受け入れる意見がわかってくると思うんですけど。

奥山氏:思いというよりも、これ、ブランドでして、やっぱりそれを築き上げるのに数十年かかりますし、個人でも、そのために本当に安い給料でずっとイタリアで、65%の所得税払いながら仕事してきた理由っていうのは自己投資であって、それがあって自分のブランドも、フェラーリも同じようにしてやってきたわけですから、そこはやっぱりお客様との契約っていうか、「この人の商品なり何なりを買ったら、こういうのが得られるだろう。それ以上のものが結果として得られて、またこれ買ってみよう」っていう、そのお約束の繰り返しですから、ブランドっていうのは。だから、僕はそういった実績を積み上げていくことによって、物なり何なりをずっと継続していく、その契約関係だっていうふうに思ってまいす。

木暮氏:ありがとうございます。では、次の質問に移りたいと思いますが。では、そちらに行きましょう。

会場質問者D3人のお話を聴いてすごい思ったのが、影響っていうことをすごい思ったんですけども、「影響」という漢字は「影でどう響いてるか」って書くように、自分の発してることに興味がないというか、影の部分の人たちにどう響いてるのかっていうことが結構大事なのかなと思って。そういう意味で、進次郎さんが自分の「ああ言ってるよ」っていう人、会いにいったって話があったんですけども、進次郎さん以外の松山さんと奥山さんにお伺いしたいんですけども、自分の言うことを聞いてくれないというか、陰でいろいろうごめいているようなことっていうのは、どうやって収拾されているのかなっていうのをお伺いしたいなと思いました。

会場質問者E奥山さんに、商品とかを考えるときに、ネーミングとかプロジェクト名を考えるときのコツっていうか、心掛けてらっしゃることがあんのかと。あと、小泉さんに、小泉さんの間の取り方とかいつもすごいなと思うんですけど、これ、SNSとか文字になると、間、取れないじゃないですか。そこらへんの文字になるときの発信頻度だとか、何か心掛けていらっしゃることありますか?

会場質問者Fお三方に質問です。もし、話せなくなって、書けなくなって、言葉が使えなくなったとき、人魚姫のような状態になったときに、どのような方法で「一期一語一会」を伝えていくのか、愛を伝えるのか、ひとつの方法を教えていただけたらと思います。

木暮氏:ありがとうございます。じゃあ、最初の質問、大耕さんからいきましょうか。

松山氏:陰での反対ですね。反対っていうのは、捉え方によってはアドバイスというか、だからなるべく、私、切り捨てるとか、そういう感じではないんですけど、それもアドバイスと思いながら聞いて、丸くまとめようとしていますね。やっぱりお坊さんとしては(会場笑)。

奥山氏:いちばん最初の質問ですが、自分の影響力には、もちろん非常に興味があります。ですけれども、それ、さっきの質問に対する答えと同じでして、自分の本当に親しい友人で、世界中が反対してでもこいつの言うことだけは聞くっていうの、あるじゃないですか。そういう人を見つけるというか、お客様でも何でも、同じ影響力あるいは受け止め方をする方ではないんですよ。ですから、その中で本当に真摯に受け止めて、自分に対して逆に影響を与えてくれる人に影響を与えられればそれでいいなっていうふうに、基本は切り捨ててます。

それからあと、ネーミングのお話ありましたけど、ネーミングは数を出します。0から100までぜんぶ出して、その中で、ただ0から100までクライアントに見せちゃったらば混乱するだけですから、「自分の選択肢はこれとこれですよ」って3つぐらい出しますけれども、要は選択肢を出して、それを議論していくプロセスが大切なんで、「なぜこうするべきなのか」「あなたの名前はこれであるべきですよ」っていう、そこまでお互いに納得するまでもってくための道具ですから、数の選択肢というのは。それからあと、言葉ねぇ……言葉も何も使えなかったら……これ、宿題で持ち帰らせてください。

小泉氏:今、フェイスブックやってますけど、フェイスブックで気にしてるのは句読点の使い方と、それと1文目に最後まで読んでもらえるような1文目をつくれるかどうか。今、日本人の消費のスピードがものすごく上がっているので、正直いって最近SNSのツールもどうすればいいかなと。インスタグラムももちろんそうだけども、やってないですよ、まだ、ツイッターもやってないですし、基本的にはフェイスブックとブログなんですけど、何が適切なのかっていうことは、これ、試行錯誤です。だけども、今、現時点で気にしているのはそういう伝え方ですね。

あと、最後に八村さんからの、もしも目も見えず、耳も聞こえず、言葉を発することもできない中でどうするかっていうことは、今、一瞬の中で考えたことですけど、それでも選ばれる政治家でありたいなと思います。自分自身ね、興味があるのは、最近、目の見えない方の書いたものとか、耳の聞こえない方の書いた本とか、いったい自分たちとは違う世界ってどういう世界が見えてるんだろうかっていうことを想像したときに、その世界を知りたいと思いますよね。その発想から生まれるものって何だろうっていうことを考えたときに、もしも目も見えない、耳も聞こえない、言葉も発せない、だけど自分の中には思いはある。その思いを外に伝えるツールが将来的にもしも出たときに、それを世の中のために使ってもらうことが、そういう政治家を国会に、また議会に送り届けることは自分たち社会にとってもいいことだと思ってもらえて、そういう政治家が生まれる日本になったら、これ、素晴らしいことだなと思います。

木暮氏:ありがとうございます。ということでここで締めたいと思います。3人に大きな拍手をお願いいたします。ありがとうございます。

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