今年10月発売の『AIファーストカンパニー』から「第3章 AIファクトリーを構築する」の一部を紹介します。
前回紹介した(前回はこちら)AIファクトリーは、MATANA(GAFAM)やネットフリックスといった大手テック企業の専売特許という訳ではありません。比較的小さな組織であっても、外部リソースを活用するなどの工夫により、AIを中心に置いたビジネスモデルを実現することは十分に可能なのです。
むしろDXに遅れた大企業の方が、その再構築に多大な費用や時間を要することが少なくありません。AIを活用したオペレーティング・モデルを構想し、それを実際に作ることは、いまや経営陣に課せられた大きな課題なのです。
(このシリーズは、グロービス経営大学院で教科書や副読本として使われている書籍から、英治出版のご厚意により、厳選した項目を抜粋・転載するワンポイント学びコーナーです)
AIファクトリーを構築する
AIファクトリーの構築は、ネットフリックスにしかできない芸当ではない。実際に、私たちがファカルテイ・ディレクターを務めるハーバード大学イノベーション科学研究所(LISH)では、同大学医学部やダナ・ファーバーがん研究所と共同で、CTスキャン画像をもとに肺の悪性腫傷の形状をマッピンダするAIシステムを開発した。このシステムはわずか10週間で、しかも学術研究の予算内で展開されたが、学内で学んだ放射線腫瘍医同じくらい優秀だ。
私たちはこのシステムを開発するために、LISHのAIファクトリーを活用した。これ自体は多様な問題解決用のデータパイプラインとプラットフォーム・アーキテクチャをつくるために構築されたもので、通常はトップコーダーのクラウドソーシング・プラットフォームで行われるアルゴリズム設計コンテストの助けを借りながら用いる。LISHは米国航空宇宙局(NASA)、ハーバード大学附属病院、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)のブロード・インスティテュート、スクリプス研究所といった主要組綫と提携し、最も難易度の高い計算や予測課題に取り組んでいる。
肺がんの輪郭を描くことは、患者にとって効果的な治療法を組み立てるのに極めて重要だ。そのため腫瘍医は、放射線治療の標的腫瘍の体積形状を正確に把握することに多くの時間を費やす。治療時にがん細胞を見落としたり、健康な組織を傷つけたりしないためにも、輪郭を正しく描くことが特に重要になる。LISHのチームはダナ・ファーバーがん研究所のレイモンド・マクと共同で、461人の患者から得た7万7000枚以上のCT画像デー夕を活用して、このタスクの自動化に取り組んだ。
二人のデータサイエンティスト(医療画像の経験がない物理学者)が研究室ベースのAIファクトリーでマク博士のデータをクレンジングして準備したうえで、腫瘍の輪郭を描くのに最適なアルゴリズムを探すために一連のコンテストを設計した。10週間かけて三つのコンテストを連続して行ったところ、34人の応募者から45のアルゴリズムが提出された。参加者に提供された「訓練」データセットは、229人の患者のスキャン画像で構成され、がんの輪郭はすべてマクに描いてもらったものだ。残りのデータセットは、アルゴリズムがどれだけマクの仕事を真似て精度を高められるかを検証するために取っておいた。
上位5の参加者は、畳み込みニューラルネットワーク(CNN)やランダムフォレスト・アルゴリズムなど多様なアプローチを用いていた。驚いたことに、今回のコンテスト参加者に医療画像やがん診断の経験者は1人もいなかった。開発されたソリューションには、オブジェクトを検出しローカライズするタスクを実行するために、カスタマイズもしくは公開されているアーキテクチャやフレームワークが含まれていた。使用しているオープンソースのアルゴリズムは、もともと顔認識、生物医学画像のセグメンテーション、自律走行車の研究用路上シーンのセグメンテーション用に開発されたものだ。フェーズ3のアルゴリズムは、スキャン画像1枚当たり15秒~2分でセグメンテーションを行う。1枚当たり8分かかる人間の専門家と比べると、大幅に速い。最も優れた5つのアルゴリズムのアンサンブル結果〔各アルゴリズムが出した結果から一番多い結果を全体の結果として採用〕は、人間の放射線腫瘍医(観察者間検証)と同程度で、既存の市販ソフトウェアよりも優れていた。
この事例を紹介した理由は、私たちが誇らしく思っていることもあるが、それだけではない。データ、ITリソース、AI人材が潤沢に揃っていなくてもAIファクトリーは構築できることを示すためだ。私たちのAIファクトリーは、誰もが利用できるリソースでつくったものだが、その恩恵は計り知れない。この研究成果は医学雑誌「ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシェーション」で発表した。ビジネススクールの教員には畑違いの腫瘍学の論文として、である。
小さな研究所内ではAIの力が比較的活用しやすい。大規模な縦割り組織や、複雑かつ時代遅れでミスマッチなITシステムに対処する必要がないからだ。複雑な企業の中で、AIで対応可能な業務が増えていくと、それを広範なオペレーティング・モデルに組み込み構築する方法が一層重要になる。企業のオペレーテイング・アーキテクチャが、トップ層が扱うべき戦略的な検討事項になってきた理由もそこにある。
『AIファースト・カンパニー ――アルゴリズムとネットワークが経済を支配する新時代の経営戦略』
著:マルコ・イアンシティ、カリム・R・ラカーニ 訳:渡部典子 監修:吉田素文
発行日:2023/10/20 価格:2,640円 発行元:英治出版