安倍晋三首相が米現地時間11月17日にニューヨークでドナルド・トランプ氏に会う。
在日米軍駐留経費やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)などの課題が浮上しているが、安倍首相はそうした個別事案の交渉や駆け引きを次期大統領と始める気はないだろう。日本の立場について説明はするだろうが、むしろ、トランプ氏は「日米共通の価値観と利益」の土台に立つつもりがあるのか、両国の関係を次期大統領としてどのように捉えようとしているのかという問いを投げかけ、返す言葉や見せる態度から出来る限りの情報を搾り取るというのが狙いだろう。
トランプ氏の発言は選挙戦中と当確後とで揺れ動き始めている。また、次期大統領としてのスタンスについてもあまりに不透明な部分が多い。それ故に、今後の交渉の余地を狭める言質を取られたりすることが無い限り(そんなことは百も承知だろうが)、「まず会って話す」という安倍首相の選択は今後の交渉戦略を組み立てるためにも理にかなったものだと言える。
交渉の第一歩は、相手を知り、己を知ることだが、それにしてもである。「ドナルド・トランプ」とはいったい何者なのか。
トランプ氏に関する書籍は自著をはじめ数多いが、本書は米国のクオリティ紙「ワシントン・ポスト」が20人以上の第一線ジャーナリストからなる特別取材班を組成、トランプ氏の生い立ちから共和党大統領候補に指名されるまでを記録したものだ。綿密な取材と膨大な客観的事実に基づいており、500ページ近い大著はある意味“退屈”ですらある。それだけにありのままのトランプ氏を描写しているであろうという説得力がある。日本語訳は10月に緊急出版されていたが、恥ずかしながら、トランプ当確の報を聞いてから慌てて読み込んだ。
読む前には淡い期待を抱いていた。「もしかしたら、トランプ氏は実際に大統領になったらマトモになって、本物の変革大統領になるのではないか…」。
しかし、読み進むにつれ、その期待感は木っ端微塵に粉砕されていく。本文から、証言者たちによるトランプ評を抜粋してみよう。
「信頼がおけず、人と長く付き合う気などなく、平気で人を使い捨てにする」
「物事がうまくいかなくなると、人のせいにする」
「人をペテンにかけても、少しも良心が痛まない」
「儲けのため、あるいは面白半分で嘘をつく誇張中毒者」
「トランプは不動産を売って名を上げたが、ずっと売りたいと思っていたのは『ドナルド・トランプ』そのもの」
「いくつもの企業を潰しておきながら大口を叩くタブロイド紙でおなじみのプレイボーイ」
「マンガじみた虚栄心の持ち主」
「『訴えるぞ』は彼のビジネスの合言葉」
「トランプと彼の会社は30年の間に1900件余りの訴訟を起こし、450件の訴訟を起こされている」
「自己宣伝。脅し。訴訟。そういうものをためらいなく用いて、トランプは自分のイメージを守り、最終的な目的を――金を稼ぐという目的を達成してきた」
「どんなときでも謝罪はしない」
「倫理観がない。病的な嘘つきでナルシスト。その場その場で言うことがころころ変わる」
酷いものである。気分が悪くなるほどだった。そして、これまでにここまで一貫してきたその性分が、これから見違えるように変わるとは到底思えないという悲観的な確信を抱くに至った。読んでおくべきである。が、正直なところ「ぜひどうぞ」と喜んでお薦めする気にはなれない。
過去の発言はあまり当てにならず、掴みどころがなく、国益よりも自分自身を優先するかもしれない男。安倍首相が会うのはそういう交渉相手なのだ。安倍・トランプ会談を世界中がハラハラ・ドキドキしながら注視している。
グロービス経営大学院の「ファシリテーション&ネゴシエーション」のクラスでは、「ネゴシエーション(交渉)とは、関係者それぞれの違いを理解した上で、違いを活かし、価値を生み出すこと」「Negotiation is means by which people deal with their differences」と教えている。
互いの違いを理解できれば交渉戦術の立てようもある。だがトランプ氏の場合、交渉の出発点に立つことからして極めて困難を伴うことになるかもしれない。安倍・トランプ会談から得られる情報は極めて貴重だ。先陣を切って直接対面する行動力と勇気は素晴らしい。次期大統領ドナルド・トランプが世界とどのように向き合うつもりなのか、世界はどのようにドナルド・トランプと向き合うべきなのか、ここからすべてが始まると言っても過言ではない。
『トランプ』
ワシントン・ポスト取材班、マイケル・クラニッシュ、マーク・フィッシャー(著)
文藝春秋
2100円(税込2268円)