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ピンチはチャンス! 逆境から生まれた“奇跡の酒・獺祭(だっさい)”

投稿日:2015/10/27更新日:2019/04/09

グロービス特別セミナー
逆境から生まれた“奇跡の酒・獺祭(だっさい)”
~ピンチはチャンス! 小さな酒蔵だからできた挑戦 Part1/2(講演)

純米大吟醸の販売量で日本一、アメリカやヨーロッパなど、世界24の国と地域へ輸出拡大を果たし、奇跡の酒と呼ばれている日本酒「獺祭」。製造元の旭酒造は、山口県の山奥にある小さな酒蔵会社だった。桜井博志社長は34歳で売り上げが落ち込んでいた酒蔵を継ぎ、そこから「獺祭」を生み、新市場を獲得、奇跡の回復を果たした。改革を牽引してきた桜井氏が語る逆境をチャンスに変える秘訣、リーダーとしての自らの信念とは(視聴時間39分11秒)

スピーカー
桜井 博志氏
旭酒造 代表取締役社長

【ポイント】
・売り上げが落ちたにもかかわらず生き残ったのは、日本酒業界全体の業績が落ちていたから。業界の常識を破り、新たな手法を取ることができたから

・山奥の過疎地で山口の米が手に入らなかったため、自分たちで全国に米を探した

・杜氏の高齢化が問題で、若い人を育てなければならなかった。杜氏という職業は夏場に仕事がないので、当時流行っていた地ビールレストランをつくって仕事を確保しようとしたが、問題が生じて3カ月で閉館

・杜氏がいなくなり、社員で酒をつくるようになった。製造現場に遠慮せず、つくりたい酒だけつくる、という生産体制にしたところ、売り上げが大きく伸びた

・宅急便によって、1ケースごとに配達できるようになり、東京に市場を持つことができた。またコピー・ワープロの低価格化で、自前の情報発信機能を持てるようになった

・人々の好みが、「皆が飲む酒」から「あまり飲まれなくてもおいしさで勝負する酒」に変わっていった。我々はそれに合わせた

・同じ100mをルール通り走れば負けてしまう。どうしても勝ちたければ前の晩20m先まで進むような考え方や行動が必要だった

・既存の市場にこだわらず、売れる酒屋にだけ販売している。メーカー主導型の製販同盟をつくることで販売価格を抑えた。そしてマーケットの中心、東京や世界を攻める。世界の中で日本の文化的ポジションをつくる

・日本酒に伝統などない。ワインと異なり、400~500年で製造が進化している。杜氏は自ら工夫し改革してきた、それこそが日本酒の“伝統”

・獺祭に使う山田錦を増やそうと努力している。山田錦は高い米なので、農家もつくればつくるほど利益になる。ある村で出来る米は100パーセント旭酒造が買うという「村米(むらまい)契約」を結んだり、生産地を新しく増やしたりもしている。そのための技術支援もしている

・企業は業界のためではなく、「社会と共にある」。現在、山田錦を60万俵に増やすという目標を掲げる。米の売り上げが落ちてきている今、高価な米をつくり消費することは社会的正義だと考える

(肩書きは2015年9月11日登壇当時のもの)

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