経営トップにMBA(経営学修士)取得の意義を問う連載コラム。第1回は、楽天代表取締役会長兼社長の三木谷浩史氏に、楽天グループ成功の途上で、米国 Harvard Business School留学で得た「起業家精神」や「考える枠組み(フレームワーク)」が、いかに寄与してきたかを聞いた(記事は2005年12月16日に開催された「グロービス経営大学院大学開学記念講演 第1回 創造の部」を再編集した)。
人生はただ1度きり阪神大震災を機に起業を決意
三木谷氏は、一橋大学商学部を卒業後、1988年に日本興業銀行に入行。社内留学制度を活用して1991年より米国Harvard Business School(以下HBS)に学び、1993年にMBAを取得した。その後、1996年にコンサルティング会社のクリムゾングループ、1997年に楽天の前身となるエム・ディー・エムを設立。それから、わずか10年足らずで、時価総額1兆円を超える楽天グループを育て上げた。
三木谷氏が自らビジネスを興す原点となったのは、米国留学中に触れた「アントレプレナーシップ(起業家精神)」に対する社会的評価の高さだったという。「私がMBA留学していた1990年代前半の日本では、ベンチャー、アントレプレナーシップといった言葉はまだ一般的ではなく、自分も含め、多くの人が、大企業に勤めてそこで出世していくのがビジネスマンの王道と考えていた」。ところが米国では、「自ら起業することが優れたビジネスマンの王道であり、自分で起業できない人が既存の大企業に勤めるという空気すらあった」。そうした雰囲気の中に身を置いたことで、「自らも企業を立ち上げるのだという覚悟のようなものが育っていった」と、三木谷氏は述懐する。
MBA取得後の1993年、三木谷氏は「そうは言っても、社費で留学させてもらったわけだし、5年は辞められない」との覚悟を持って日本興業銀行に復職。しかし1995年、出身地である神戸が阪神大震災に見舞われ、知人・友人を幾人も失い、人生の短さとはかなさを実感したことから興銀に辞表を提出し、 1996年、起業家としての道を歩み始めた。
大義名分と強固なビジネスモデルがベンチャー企業を成功に導く
MBAを取得したからといって、全ての人が三木谷氏ほどの成功を掴めるわけではない。三木谷氏はこれについて、「ベンチャー企業の成功には、強固なビジネスモデルと、ビジネスを推進するうえでのミッション、即ち大義名分が不可欠だ」と、持論を述べる。
三木谷氏がエム・ディー・エムを設立した当時、「インターネット上にショッピングモールを作る」というビジネス自体は、複数の大手企業が既に立ち上げていた。ただ、いずれも充分な出店、集客は得られていなかったという。三木谷氏はそこで、「インターネットは近く確実に成長し、流通を変える。出店者やユーザーが使いやすいと感じる"仕組み"さえ構築すれば、絶対に成功する」と考え、以下のようなバリューチェーン(価値連鎖)を作り出そうと考えた。
出店者の店舗構築意欲が高まれば魅力的なコンテンツができ、魅力的なコンテンツが集まればショップへの来客数が増加する。来客数が増加すれば問い合わせや売り上げ、収益が増加し、収益が上がれば店舗構築意欲は益々高まる--。
三木谷氏は、オンラインショップ開設にかかる手続きや情報更新の煩雑さ、時間的・金銭的コストの大きさが店舗構築意欲を低下、引いてはこのバリューチェーン構築の障壁になっていると考え、情報更新が容易なソフトウェアの提供や出店費用の低価格化を行った。この考えが見事に当たり、現在(2005年 12月時点)、楽天市場への出店者は1万5000、流通総額(売買高を示す数値)は年間4000億円まで拡大している。
「ベンチャー企業に最も必要なのは、先を見通して仮説を立て、それを信じて実践していく力にあると思う。大切なのは、将来を予測し、早い段階からこれに対応するビジネスモデルを構築していくことだ」と、三木谷氏はまとめる。
加えて同氏が強調するのが、ミッションの重要性だ。ミッションとは、その企業が社会に対して、どのような価値を提供していくのかという根本的な使命のこと。楽天の場合、それは「Empowerment」という言葉で言い表されるという。「中小企業の集合体をインターネット上に形成することで、小さな会社でも大きな会社と対等にビジネスを始められるような素地を作りたいと考えた」。「青臭いようだが、そうした大義名分が企業の成長には欠かせない」と、三木谷氏は思いを語っている。
右脳と左脳のキャッチボールで経験をフレームワーク化せよ
MBA留学中に学んだことは、楽天の成長に寄与しているのだろうか。
「MBAを取っていなかったら、という仮定はしづらいが、Harvard Business Schoolで学んだ知識、スキルを、楽天のビジネスモデルや戦略の構築に応用した場面は幾度もあった」と、三木谷氏は話す。
例えば楽天の創業時、「競合が『どうやったらインターネットでモノが売れるか』を考えていたのに対し私は、『なぜ人はものを買うか』という分析から入った。これは、『消費行動学』の考え方に倣ったものだ。また、インターネット上で商品を顧客自身に評価させる仕組みは、基礎的なマーケティングの考え方をネット市場向けに応用した」という。
ただ、「成長スピードの速い企業は、その分だけ様々な問題が起こり、問題が起こるごとに広範な知識が要求される。そもそも社長業というのは、ファイナンス、アカウンティング、マーケティング、オペレーションなど、経営に係るあらゆる知識、スキルを必要とされるので、どのクラスが最も役に立っているかということは言いづらい」と、三木谷氏は話している。
そうした中で三木谷氏が何より強く感じているのは、「問題に直面した際に、何を考えればいいか、どう考えればいいか、その枠組み(フレームワーク)を習得できたことがHarvard Business Schoolにおける最大の"学び"だったということ」という。ケースメソッドを通じて体得した、フレームワークで漏れなく分析するクセが、三木谷氏を下支えしているのだ。
三木谷氏はさらに、「ビジネスにおける大きな決断は、実は最後は直感で行っている。ただ強調したいのは『直感』と『やま勘』は違うということ。直感で決めても、その後に必ず結果を分析し、フレームワークとして持つようにしている」とも話す。
右脳で感じる「直感」は、左脳による論理思考と密接に結びついており、「右脳と左脳のキャッチボールを常に行うことで、左脳を通さずとも直感的な判断が論理的な思考と同じ結果をもたらすようになる」(三木谷氏)。気鋭の経営者は、MBAで得た思考力を基盤に、自らの経験を肉付けし、新たな地平を切り拓いている。