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会社の「本質」を見極め、人と組織を元気にするのが人事の仕事

投稿日:2015/10/19更新日:2019/04/09

スポーツとマネジメント ~Jリーグを経営するという仕事~[1]

芹沢宗一郎氏(以下、敬称略):本セッションのタイトルは「スポーツとマネジメント」。あすか会議ではある意味異色のテーマだけれども、お集まりの皆さまはサッカーだけでなく広くスポーツを愛されていると思うし、スポーツ経営を志している方がお集まりなのかもしれない。そこでJリーグチェアマンの村井さんに、スポーツ経営においてどのように意思決定やその実行をなさっているのか、本音のところで伺っていきたい。また、スポーツが社会にどんな影響を与えていくのか、スポーツ経営と会社経営との違いや共通点、あるいはリーグ経営におけるチャレンジなどについても聞いてみよう。先ほど少し打ち合わせをした際は、「ライブでいきたい」とのお話だった。だから一応シナリオはあるけれども、何が起こるかは分からない。ライブ感を重視しつつ、後半は皆さんからも数多くの質問を受けたいと思う。では、まずは自己紹介を兼ねて村井さんのキャリアを簡単にご紹介いただきたい。

E831c74d4ac2d3859db82c7a23dc8d7a 村井満氏

村井満氏(以下、敬称略):よろしくお願いします。私は1959年に埼玉の川越市で生まれた。川越は、私が小さい頃は本当に人の少ない地域だった。姉が2人いるのだけれども、私が小学校1年生のときは6年生だった上の姉と4年生だった下の姉と私が1つの教室で授業を受けるという(笑)、過疎の地域だった。そのあと東京のベッドタウンとして一気に大きくなって私が6年になる頃は6クラスにまで増えたけれども、とにかく小さい頃の私は野山を駆けずり回る田舎のわんぱく小僧だった。

さて、皆さんは「キャプテン翼」世代かもしれないが、私の世代は「赤き血のイレブン」。舞台は浦和南高校で、元日本代表の永井良和さんをモデルにした漫画だ。それがもう面白くて面白くて、とにかくサッカーがしたかった。でも、私が通っていた小中学校にはサッカー部がなく、地域にもサッカースクールがない。だから部活ではバスケットをして、休み時間にサッカーをする毎日だった。それで高校からはサッカーをやりたいということで浦和の学校に通っている。そうしてCFを目指していたけれども、浦和で小学生の頃からサッカーをやっていた子どもたちは、箸を使うようにボールを扱う。リフティングも頭で100回がザラ。で、僕のほうはというと足技がまったくできず、でも手で扱うのはお手の物ということでGKになった。一方、「赤き血のイレブン」の浦和南は僕が高校にいた3年間で、なんと2大会連続の全国制覇を果たしている。だから「浦和南を破れば全国優勝ものだ」と、埼玉を制するものは全国を制すということで頑張っていた。でも、最後の県大会は僕のミスによってベスト8で敗退してしまった。

「こんちくしょう」と。全国に行けず、プロリーグもなかったし、卒業後はサッカーから離れて普通の学生になった。ただ、僕は今でこそこうして皆さんを前にお話ししているけれども、昔は10人を前にして話ができなかった。極度の人見知りと緊張しやすい性格に自意識過剰みたいなものが相まって、人前に出るのがすごく嫌だった。大学時代はキャンパスにいるのも嫌。それで、引きこもり系の仲間と「3年かけて中国を6000km歩こう」と(笑)。北京からウルムチを経てシルクロードの端にある敦煌まで。大学には8年在籍できるからということで(会場笑)、そんな計画を立てた。

ただ、当時は文化大革命が明けた直後で、中国の田舎町にはまだ人民公社という自治組織が残っていた。で、たとえば3つ目の都市まで進んでも4つ目の都市で彼らに「No」と言われたら、そのコースは進めなくなる。鄧小平が改革開放を訴えてはいたけれど、まだ中央のガバナンスが効いていなかった。で、結局はウルムチに進めず、青島から華北平原の真ん中を歩いて、済南を越えて曲阜というところまで進んだ時点で万策尽き、帰国した。1000kmも歩いていない。

で、帰って来ると皆が就職を決めていて、私は行くところがない。就職情報に関しては家にDMがきていたし、良い会社は多かったけれども、その時点で間に合う会社があるかどうかが分からない。そんな状況でリクルートに話を聞きにいった。それで、当時はまだ怪しくて誰も知らなかったようなリクルートになぜか入った。その会社で、のちにリクルート事件が起きたわけだ。それで、社長が逮捕されるは内閣が総辞職するは。ばたばたしているうち、実は不動産会社のリクルートコスモス(現コスモスイニシア)に大変な額を注ぎ込んでいて、気が付いたら1兆4000億もの借金があることも分かった。それで30%の株式を取得したダイエーの資本傘下に入って、あとはもう生鮮食料品売場に立つか紳士服売場に立つかなんていう状況になったわけだ。そんな状況で人事部にいた私は、辞めようとする人を止めたり、1年間全国を走り回って3人しか新卒を採れないなんていう、人事部長として屈辱の体験もしている。

そういう状態だった1995年、流行語大賞トップ10のなかにインターネットという言葉が入った。それで、「10年以内にインターネットが広がって、紙がなくなるらしい」と。実際、当時は紙の雑誌を出していたリクルートでも2005年には紙媒体がすべてなくなり、「リクナビ」などに変わっている。ただ、会社のほうはというと、ブランドは地に堕ち、社長は逮捕され、「リクルート」と呼んでもらえず「リ社」と言われ、すし屋へ行くと塩を撒かれる。お金だけはあると思っていたら1兆4000億の借金まみれ。当時はバブルの頂点で、公定歩合は5%。1兆4000億なら金利は最低でも700億。そんな状況下、事業のほうは600億の利益が出るかどうかという状況でお金もない。そして頼み綱の本業もなくなるという、本当に厳しい環境だった。

ただ、それでも皆のベクトルが揃っていて志があって、そして「インターネットで進むのなら日本一のインターネット会社になろう」という志やビジョンが明確にあるのなら潰れないで済む、と。私はそれを、身をもって経験した。そして去年、リクルートは年間で最大の時価総額をつけて上場している。潰れておかしくない危機を乗り越えた会社の1つだと思う。そういう修羅場経験が私のなかで今も生きている。

昨年は「JAPANESE ONLY」の横断幕問題もあったし、2ステージ制には今も大反対を受けている。後者について、サポーターの皆さんがおっしゃっていることは理があることばかりだ。それらの課題と向き合うにあたって、リクルートでの経験が生きている。そんな風にして、去年、元選手でもなくクラブ経営者でもなかった外部の人間が初めてチェアマンとなって、見よう見まねで1年半やってきた。今日はその辺の具体的なリーグ改革プランや、僕自身の葛藤などもお話しできればと思う(会場拍手)。

会社の価値観や本質を明確にし、全施策をそれに合わせることが大切

646885e8bba2242cf05254d836e22b0d 芹沢宗一郎氏

芹沢:1983年に入社し、最初の5年ほどは営業をなさっていたと伺っている。

村井:そう。求人広告のドブ板営業をしていた。まず上司の前でアポ取りの電話をしないといけない。分厚い「帝国データバンク会社年鑑」をどすんと置かれ、そして郵便番号101の神田が僕のテリトリーになった。もう片端から電話をした。ただ、僕は気が小さいものだから「なんとか商店」とか「有限会社なんとか」とか、小さな会社ばかりに電話していた。それで「社長いますか?」と。で、あるときは勢い余って日本橋をテリトリー侵害したうえに、高島屋さんに電話をしてしまった。社名に小さなイメージがあって。それで「社長いますか?」と聞くと、「どういったご用件でしょうか」と返される。でも、小さな商店に電話するときは、「リクルーティング」という英語を使えばだいたい電話受付を突破できる(会場笑)。だから高島屋さんのときも「リクルーティングの件です。村井と言っていただければ分かります」なんて嘘までついていたら、本当に社長が出ちゃったという(会場笑)。

芹沢:(笑)リクルートというところではそうやって鍛えられるんですね。

村井:新人の頃は神田にある法人をすべて回り、ダンボール1箱分の名刺を集めたりしていた。もう、やっているうちに少しずつ麻痺してくるというか。そうして徹底的に足を使ったのは強烈な体験だけれども、今思うとすごく良かったと思う。

芹沢:で、1988年にリクルート事件が起きた頃は人事に異動なさっていた、と。そうした難しい状況で、たとえば「勤続10年以上か30歳以上で辞めたら早期退職で加算金が出る」といった、新しい人事策も打たれたと伺っている。

村井:当時、「ほぼ間違いなく潰れるぞ」という状態で人事を担当した際、考えたことがある。まず、万国共通の良い会社はないという仮説があった。それを「生業文化論」と僕は呼んでいたけれど、たとえば銀行という生業には銀行の本質がある筈だと考えたわけだ。金利や営業時間が支店ごとに違っていたら金融決済機能が破綻してしまうし、銀行にはどこにいても経済の血液としてのお金を滞りなく流す役割がある。それが流れないとギリシャみたいになっちゃう。だから銀行の生業の本質は「秩序」だと考えた。それなら、本当に秩序が好きな人は銀行で働くのが楽しいはずだ。リクルート社員のように「変化だ」「イノベーションだ」と言っている人間が銀行に行くと楽しくないし、逆に秩序を重んじる人間がリクルートのような会社に来ても、これは苦痛でしかない。そういう本質が持つ、重要なコーポレートカルチャーがある筈だと考えた。

製造業の大企業が、ラグビーやサッカーといった集団スポーツのチームを持つことが多いのも理由がある。自動車でも携帯でも、製造や研究開発の現場では人々が協力し合わないと1つの完成品を世に出すことができない。携帯の開発で、音響技術の人間だけが自己主張をしていたらスピーカーが大きくなってしまったりするわけだ。自動車のねじ1つとっても、山と谷がずれたら完成しない。全員が協力してコレクティブに働くというあたりが、恐らくメーカーの本質だ。では、リクルートの本質は何か。僕は「変化」を置いた。メディア業は世の中に毎日変化を届けるし、自分たちの媒体だってデジタルに変わったりする。変わることが日常だ。だから変化を楽しむ人間が良くて、むしろ30年同じ会社にいるような人はダメ。「飽きっぽい人がいいんだ」と。

それで僕は「キャリアビュー」という3年で退職する制度を導入した。社会人版インターンシップだ。3年で卒業する代わり、100万円の退職金を出す。これで当時の役員会が大紛糾した。「どこの親が3年で定年退職する会社に子どもを入れたがるか」と。リクルートにも反対勢力は大勢いた。で、「いやいや、経営者になりたいと思っている人は大勢いますよ。そういう人たちに会社をすべて開放して内側を覗けるようにするんです。3年覗くことができて100万貯まるならいいじゃないですか。僕なんか3年働いて10万の貯金もありませんよ」なんて逆切れしたりして(会場笑)。それで当時は10人の説得からはじめたけれども、一時期は4000人まで増えていった。

リクルートで働く人は毎日変わる。いろいろな情報が入ってくるし、昨日はいなかった新しい人間が新しい手法を持って入ってくる。また、インターネットは変化の権化みたいなものだ。だから、僕はインターネットに関して階層別研修をすべて止めた。当時はインターネット知っている人間がいなかったわけで、40歳の部長も22歳の新入社員も条件は同じ。だからインターネットのコーポレートユニバーシティでは完全に階層をなくした。併せて、寮や社宅や利子補給制度といった働きに関係ないものはすべてなくして、その原資を「インターネットを徹底的に学ぶ」という1点に張った。

当時人事課長だった長嶋由紀子(株式会社リクルートスタッフィング代表取締役社長)なんて、常にパスポートを持っていた。で、「日経ビジネス」で面白い会社を見つけたらすぐ現地へ飛んでいく。たとえばスタンフォードの先生がインターネットで面白いことをしていたら、先生がポーカー好きというのを聞き出して自分もポーカーを練習する。それで、「先生、私がポーカーで勝ったらリクルートの人間をそちらのベンチャービジネスに出向させてもらえますか?」と言うわけだ。そんな風にして、一時期は30ほどの資本系列がないインターネット会社にどんどん人を出したり、外から受け入れたりして、「がらがらぽん」をしていた。本質を見極めるという部分で手を打っていったわけだ。今も同じ。Jリーグの本質は何かということで、すったもんだしている。

芹沢:会社の価値観や本質を明確にして、全施策をそれに合わせる、と。

村井:結局、「人事ではこれがベストプラクティスだ」なんて言って他社のものを真似て導入したって、ハレーションや拒絶反応が起きたりする。「だからすべてに共通の良い制度や良い会社なんてないんだ」という風に開き直った。

芹沢:そのあと、2000年には41歳で人事担当執行役員となられた。

村井:仕事ができたからじゃなくて(笑)、偉い人が事件等で皆辞めていったから(会場笑)。今のFIFAも恐らくそうだ。上のほうがいなくなって、今後は日本にチャンスがやってくるかもしれない。とにかく、仕事のできる人が偉くなるというのは幻想。僕はぜんぜんダメで、20代の頃は神田にある取引先の営業所で現場の方と無駄話ばかりしてお茶を飲んでいるような人間だった。当時は「仕事ができる人間はトップアプローチをするんだ」と言われていた。「部長課長を飛び越えて社長と丁々発止やり合え」と。実際、20代の頃はそれで仕事を取って業績をあげた人が偉くなっていった。

でも、45や50になると風景が一変する。早くに昇進していた同期にアプローチされて、同期を可愛がっていた方々は皆、定年退職で引退してしまう。で、一方の僕はどうなったのか。昔は「村井さんもばかだね。もっと上の人間にアプローチすればいいのに俺と茶飲み話ばっかりしてさ」なんて言っていた人たちが軒並み偉くなっていった。神田錦町や大手町界隈で工場の人事をやっていた人たちが、気付いたら本社の人事部長や人事担当役員に。僕はそういう人たちに引き上げられた。不思議だ。だから自分が努力すれば偉くなるというのは嘘。周りの人が引き上げる。逆に言えば20~30代の頃に人の義理を欠いていた人は、後々徹底的に排除される。だから愚直にやっていくことは本当に大事だと思う。…なぜこの話になったんだろう(会場笑)。

芹沢:そうして2004年、リクルートエイブリック(のちのリクルートエージェントで、現在のリクルートキャリア)の社長にご就任された。で、以降の7年間で同社を日本最大の人材紹介会社に成長させていった、と。なぜそれができたのだろう。

村井:逆目に張っていたというのがある。インターネットによって情報検索から会社を選ぶことができるようになり、機能はどんどん便利になっていった。ただ、仕事選びというのは大変なイベントだ。人は1日24時間のうち、およそ1/3を働くことに使う。それが、人生80年で20歳頃から最近だと70歳頃まで働くから、人生の5/8を占めるわけだ。また、1年365日のうち、およそ2/3を働くことに使う。とにかく人生において働くというのはむちゃくちゃに大きなことだ。そういう大切なことになると、人は自分で調べる自信がなくなってプロに相談したくなる。あるいは、「あの会社に就職した100人」や「あの会社に100人を紹介したキャリアカウンセラー」に話を聞いてみたくなる筈だ、と。情報処理が機能的になればなるほど、アナログな人への相談に対するニーズが高くなると踏んで、そこへ一気に投資したら当たったという流れになる。

人事の仕事は人と組織を元気にする動脈系と静脈系の働きをつくること

芹沢:経営のなかではどんなことを大切になさっていたのだろう。

村井:今、Jリーグが大事にしているのはスタジアムというライブな空間。たとえば今は定額の音楽配信ビジネスがあちこちではじまっている。それでコンテンツが大変安価に届けられるようになると、コスト競争が非常に激しくなる。だから、コンテンツをデジタルメディアで数多く届ける一方、最終的にはライブでマネタイズする形へと、今は移行しつつあるような予感がなんとなくしている。実際、今は10~20万人を集めるようなライブコンサートが活況だ。僕もサザンオールスターズやポール・マッカートニーのコンサートに行ってきた。やっぱり拍手はライブ系でしか起きない。たまにテレビでお笑いグランプリを見て拍手をしたりすることもあるけれど、多くのケースは違う。映画館で素晴らしい作品を観て感動しても、映画館のなかでは、なにかこう、拍手するのが恥ずかしい。でも、演じる人が目の前にいたりすると拍手が起こる。

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もちろん、デジタルメディアや映画やCDを否定するものではまったくない。ただ、同じ演目でも、ライブ、そしてネットやメディアでの配信では使い分けがある。で、特に拍手が起こるのは前者のコンテンツだと思う。そう考えると、たとえばライブ感の高い会社では社内で拍手が起きたりもする。「ええ!? お前、あのお客さんから受注したの!?」と。それまで起こりえなかったことがいきなり起きて、拍手や握手が起きるという、ライブ感の高まる瞬間があるわけだ。でも、手順がマニュアル化されて同じことが繰り返される仕事では、なかなかそういう瞬間が生まれない。再現性が保証される社会観のなかでは、「そうだよな」で終わる。

だから、僕はリクルートエージェントを徹底的にライブ感の高い会社にしたいと思った。ターゲットは拍手を起こすこと。そのためにさまざまな施策を徹底的に打っていったら、米「FORTUNE」誌を通じて毎年発表される、「世界の働きがいのある会社(Great Place to Work)」という指標で日本一になった。働きやすいとか、ぬるいとかいう意味じゃない。厳しさも求められるけれど、働き甲斐がある会社ということだ。売上が大きくなったとか、日本一の紹介会社になったという話より、この「働きがいのある会社」というのが何より嬉しかった。また、拍手が起こることは重要なんだということで、「日経ビジネス」に「拍手と握手の会社」と表現してもらったのも同様に嬉しかった。

芹沢:以前、「人事部の役割は人を評価することでなく、人と組織を元気にすることだ」といったお話をしていらした。

村井:そう。社長は業績不振になるとどうするか。社長を心臓とすると、60兆の細胞である従業員に酸素を送り込んでいく。「これを学べ」と言って、研修や会議へ送り込んだりする。あるいは評価指標を用意する。「これをこの手順でやれば評価してやる」と。そんな風に、いろいろな形で心臓からメッセージをがんがん送っていく。これは1対多のコミュニケーション。心臓が細胞に酸素を送り込む動脈系の働きだ。ただ、個別の従業員には、「そうは言うけど俺はイヤだよ。やれないよ」と、送り込まれたものを濾過して純化する静脈系の働きも必要になる。ただ、現在の企業では「数字で語れ」「見える化するぞ」という風に、動脈系がすごく強くなっている。1人の社長が全社員に酸素を送るのなら、皆が理解しやすいよう客観的な数字にして見える化する必要があるためだ。そうして皆で横展開できるようしたものがナレッジやモデルになる。

でも、昔は赤提灯があって、課長が言うことに対して「理屈では分かりますけど、俺はイヤです」なんてやりとりがあった。これ、どちらかというと細胞の叫びだ。で、そこで課長が「俺だって部長から言われて大変なんだよ」なんて言うと、「え、そうだったんですか?」となる。赤提灯で静脈系が再び機能して、濾過されていた。運動会も社員旅行もそれにあたる。でも、今はそうした静脈系が次々なくなってきたから、人事として静脈系をつくることが僕のテーマでもあった。だから納会なんていう月1回の飲み会社員旅行を復活させたり、社内に居酒屋みたいなものをつくったりしていった。コミュニケーションに関しても、人事で縦に評価するのでなく横や斜めが評価するような形にしていった。

そう考えるとJリーグは社会の静脈系装置になっていると言える。「わー!」なんて大声で叫ぶことのできる場所は、スタジアム以外だと日本にあまりない。職場で大声を出したらメンタルと言われたり(会場笑)、家庭では奥さんにつまみ出されたり、飲み屋でも「お客さん、ちょっとご遠慮願います」と言われる。でも、野球やサッカーのスタジアム、あるいは寄席やコンサートの会場ではそれができる。人事にいた頃は人や組織を元気にするため、右脳だけでなく左脳も鍛えることができるような環境にしたり、静脈系を整えたりしていた。それは日本社会全体でも同様に大事だと思う。

→スポーツとマネジメント ~Jリーグを経営するという仕事~[2]は10/20公開予定

※開催日:2015年7月4日~5日

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