日本を演出する ~おもてなしで“和”をデザインする~[2]
為末:次は「デザイン」か…。タイトルにあるそれぞれの言葉について、個別に伺ってみようかなと(会場笑)。
小山:タイトルには縛られないほうがいいように思う。もっと馬鹿っぽい話でもいいかなというか(会場笑)、皆さん高度な方々ばかりだから。ちなみに、明日は僕が教鞭を執っている東北芸術工科大学の卒業式なので、ちょっとうちのアホな学生の話をしたい。明日卒業予定の男子学生が2年ほど前、僕のところへ就職の相談に来たことがある。「僕、今何するか迷ってるんです」とか言って。だから、「君は何が一番好きなの?」と聞いたら、「アクアです」と言う。「アクアって何?」「トヨタのアクアです」と。彼は3.11のとき家の車を給油しに行き、朝5時ぐらいからずっと順番待ちをしていたのだけれど、そこでプリウスが颯爽と走っていったのを見たそうだ。
それを見て、「なんて格好いい車なんだろう。大人になったらプリウスを買おう」と思ったそうだ。ところが、そのうちプリウスより燃費の良いアクアという車が出た。「だから僕はもうアクアに命を捧げたいんです」って言う(会場笑)。「じゃあ、アクアの仕事したら?」と言うと、「あ、分かりました。じゃあトヨタに入ります」と言うから、「ちょっと待て」と。「お前はトヨタのような一流企業には入れない。なぜなら、馬鹿だからだ」と(会場笑)。学生はだいたい、たとえばメディアなら「電通か博報堂だと思っているんです」とか言う。僕はそういう学生に、「絶対にお前は入れないから」と言っているんだけれども、彼にも「トヨタは無理だ」と言った。
そのうえで、「ただ、トヨタに入れないからお前の人生がダメって言ってるわけじゃない。伝説をつくってみなさい。そんなにアクアが好きなら、勝手にアクアのセールスマンになって売ってみなさい」と話した。自分の周囲で、「アクアっていいですよ」と薦めて、その人たちが買う気になったらネッツトヨタに連れていく。で、「すいません、こちらの方がアクアを買ってくださいます」と(会場笑)。「それで5台売ったら伝説のセールスマンだ。もしかしたらネッツトヨタ山形ぐらいには入れてもらえるかもしれない。その伝説づくりに残り2年間を使ったら?」と言ったら、「僕、頑張ります!」と言う。
それで、彼は2ヵ月後にカタログをつくってきた。「トヨタさんのカタログは素晴らしいけれども分かりにくい。僕がリデザインしました」と。勝手にスキャンして、コピーをつけ替えて、しかも男性用と女性用のカタログを別々につくった。で、それをiPadに入れて持ち歩いて、まったく知らない人に、「あの、これご存知ですか?」なんて言って見せたりしていった。「アクアコンシェルジュ」という肩書きの名刺もつくった(会場笑)。
「いや、ちょっと待て」と。「これは少しやり過ぎな気もするから、一応ネッツトヨタさんに言ったほうがいいんじゃないの?」ということで、ネッツトヨタ山形の社長さんに申し出てみたところ、「面白い。いいですよ」とおっしゃる。それで彼は先月までに、本当に5台売って地元紙に載った(会場笑)。「こんな情熱的な学生がいます」って。それで結局、彼はネッツトヨタ山形の社長に気に入られて、「君はうちでセールスをやるよりも企画をやったほうがいい」と。それで、広告をつくる子会社みたいなところに入った。そういう熱量って、今の日本の若者にすごく大切だなと思う。
為末:先日、青色LED研究でノーベル賞を受賞した天野浩教授と対談したのだけれども、青色LEDをつくればパソコンが薄くなるということまでは当初から分かっていたらしい。それで、「とにかく俺はパソコンを薄くしたいんだ」と言って青色LEDをつくろうとしていた。ただ、めちゃくちゃ賢い人たちがその研究で皆失敗していたことに、後から気付いたという。で、「しまったな」と思ったけれども、もう始めちゃったからやるしかないということで、同じくノーベル賞を受賞した赤崎勇先生とともに一生懸命やったらノーベル賞が取れたとおっしゃっていた。
天野教授は、「いやあ、為末君。たくさん知ると勇気が出なくなるね」とおっしゃっていた。「変に賢くなると大変だ。僕は知らずに踏み出したのが良かったというか、そうじゃないとノーベル賞なんて取れなかった」という話をしていた。そう考えると、今はインターネットが広がって、学生もいろいろなことをたくさん知っているけれども、だからこそ選ぶのが大変だろうなと思う。どこへ行ってもすごい人がいることを知ってしまっているから、勇気出すのが大変だ。僕らが若い頃はそれをあまり知らなかったから勇気を出すことができたけれども。
小山:そうですよね。何が正解で何がダメか、今はすぐ分かっちゃう。昔は知らないからこそ無駄なことを一生懸命調べようとして、その過程で何か発見があったりした。それがセレンディピティになるわけだ。でも、今は検索するとすでに誰かがやっていたり答えがあったりして、そっちの道は進んでも行き止まりだと思えてしまう。
為末:僕は陸上を始めて10年ぐらい経ってから初めて世界大会に出て、そこで初めてジャマイカの選手を見た。そのときに、「こんなのがいるって知ってたらやってないよ」って(会場笑)。「まあ、でもここまで来ちゃったからやるしかないか」と思って続けたけれども、そういう面ってあるなと思う。
小山:本当にそうだと思う。僕は今、ビームスの設楽(洋氏:同者代表取締役社長)さんと一緒に、日本をテーマにしたあるプロジェクトを進めている。設楽さんは、「努力は夢中に勝てない」って言っていた。すごくいい言葉だと思う。たしかに、夢中になっていると努力しているなんて思わない。ただただ猪突猛進というか突き進んでいる状態がいいんであって、「俺は努力してるんだ」なんて思った瞬間に…。
為末:無理してる感じで。
小山:無理をして、どこかで自分に嘘をつきながらやっている感じだ。「アクアコンシェルジュ」の学生は本当に、「夢中になった馬鹿」だと思けれど、そんな風に夢中になるものがあるっていうことはいいなと思う。
為末:なるほど。…ほかに何か面白い話があれば(会場笑)。
小山:じゃあ、僕が今やりたいことを言っていいですか? いろいろやりたいことがあって。まず、半分ANAで半分JALというデザインが施された飛行機をつくりたい(会場笑)。一方から見るとANAだけど、反対側から見るとJALという。日本で最も仲の悪い企業が手を結ぶということだ。オリンピックに向かって日本が一枚岩になっていることを外に発信したり、世の中に伝えていくには最良の方法だと思う。
で、僕は今JALの仕事をしているから、それをJALのなかで冗談まじりに言ってみると、皆「ははは」みたいな感じになる。でも、雑誌「AERA」の2015年第1号で特別編集長をやらせていただいたとき少しトライしてみた。「広告もいじっていい」という話だったので自分でいろいろ営業したのだけれど、最初の営業としてJALとANAに見開きの広告を依頼した。それで、「我々はこれから一緒にやります」みたいな広告を出したいな、と。で、表紙はお茶の三千家が皆で握手している写真にしよう、と(会場笑)。でも、お家元に電話したら、けんもほろろに断られた。まあ、三千家だから断られたのではなくて、「今はメディアには出たくない」とのことで断られただけだけれども。
とにかく、「じゃあ、お茶は諦めよう。JALとANAだ」と。それで朝日新聞出版の広告担当の方がANAに行って、僕はJALに行った。そして、「これこれこういう企画で」という話をしたわけだ。ただ、見開きで出るというのは、その時点では言わない。「特別編集長を僕がやるので、ぜひ広告で出稿して欲しい」とお願いしたら、両社とも「すごい。やりましょう」となった。問題は、見開きのことをいつ言い出すか。「お隣さんはJALまたはANAですよ」と(会場笑)。
僕は、今の世界における日本の一番の役割というのは、なにかこう…、どこかとどこかを和(あ)えたり、和(なご)ませたり、和(やわ)らげたりすることだと思うので。けれども、それを言い出すのはすごく難しくかった。で、結局はまったく無理だった。言い出してみると「あり得ない」という反応で、最終的にはJALだけになってしまった。いずれにせよ、仲直りさせる力を日本がもっとアピールしたら格好良いと思う。そういう意味で、ANAとJALのデザインが施された飛行機が世界の空港を飛び回ったら、「日本はすごいな」と。ワンワールドとスターアライアンスの両方が描いてある飛行機が飛んでいるというのはすごく面白いと思う。ただ、僕がやりたいのはそれじゃなくて。
為末:え、違うんですか?(笑) こんなに時間を使っておいて(笑)。
小山:すいません(笑)。たとえば、僕はお茶のことをよく考える。「千利休って400年後の今を想像していたのかな。それほど先まで自分がつくった作法というかスタイルが続くと思っていたのかな」と。たぶん、そこまでは考えていなくて、結局はあとに続く人がそこにいろいろなものを積み重ね、残っていったのだと思う。だから、僕はそんな風にしてお家元になりたいという密かな夢がある。当然、お茶のお家元じゃないけれども。とにかく、何か新しく拓いたら400年後に開祖と言われるかもしれないわけだから。小山薫堂という名前もなんとなく、幸いなことに、ちょっとこう…(会場笑)。
為末:それっぽいですよね(笑)。「小山流」みたいな。
小山:「和」の感じがするし(笑)、「いけるんじゃないかな」と。まずは、どうなるかも考えず、とりあえずやってみることが大切だ。そこで、「湯道(ゆどう)」をやりたいと思っている。お風呂に入るという、この日常的行為を、作法や遊びや和(なご)みの装置にする。それによって生まれる平和ってあると思う。だって古代ローマの時代から、お湯というのは人を和ませ、人を集めてきたわけだ。というわけで、どうなるか分からないけれども、まずは「あさせんけ」と「ふかせんけ」をつくりたい(会場笑)。
為末:(笑)。ちょ、ちょっと…、とりあえず聞いておきますけれども(笑)。
小山:で、「あさせんけ」は、読んで字のごとくだけれども、「浅い」「泉の」家にするのか、「浅い」「銭の」家にするのか。これは、どこから広めていくかによって変わる。まずは銭湯を牛耳るという手もある。「うちの銭湯は浅銭家だ」と。で、浅銭家(または浅泉家)が求めるのはリラクゼーション。湯船は浅く、洋風バスタブでお湯はぬるく、ジャグジーがあってラグジュアリーな癒し系だ。一方、深銭家(または深泉家)は肩まで浸かる。井戸水から薪で炊いた熱めのお湯に、気合いで入る。精神に一本芯を通す、みたいな。まずは、その二つで始めたい。これ、ダメですかね。
為末:いえ。「温(ぬる)銭家」とか「熱(あつ)銭家」というのはどうだろう。
小山:それもある。「温(ぬる)銭家」とか「熱(あつ)銭家」。そこの言葉選びは非常に大切だと思う(会場笑)。で、もう一つやりたいことがあって。
為末:まだあるんですか(笑)。
小山:あるんです。僕は、最初に何かを始めた人のことを想像するのが好きだ。最初の一歩は、実は一番簡単で、いい加減でいいと思う。あとに引き継げばいいわけだから。天気予報もそうだ。日本で最初の天気予報は19世紀に出ている。ただ、そのときの予報は日本全国の天気だった。「明日の天気は概ね良好。ただし、風が強くなって雨が降るところもある」っていう(会場笑)。これ、絶対当たる。これを、気象庁の前身が真面目に出していた。
でも、そこで予報を出した人だって…、誰がその原稿を書いたか知らないけれども、百数十年後、「この地域は明日何%の確立で雨が降る」なんていう予報になることは想像していなかったと思う。でも、その人が一歩を踏み出さなければ今の天気予報はなかった。その意味で、僕は今、「シュンショク予報」というのをやりたい。これは日本食や日本の食文化のレベルの高さをアピールするものだ。
為末:あ、なるほど。「旬」の食という…。
小山:そう。たとえば、「今はニンジンが安くなっていますよ」とか。そういうのって世界にない。ニュース番組についてくるのは、今はだいたい天気予報ぐらいだ。でも、たとえば軽井沢には「モンキーリポート」というのがある。軽井沢では天気予報や渋滞情報のあと、「今、お猿さんの群れは中軽井沢のどこどこを登ったところにいます」といった情報が流れる。
為末:「どこどこ襲撃中」みたいな(会場笑)。
小山:そう。それで昔は、「皆さん、猿の群れを見かけたら石などを投げましょう」なんて放送していた。最近は言わなくなってきたけれども。とにかく、その土地の文化になっていて、「あ、軽井沢って猿の情報まで流しているんだ。面白いな」って思う。それと同じだ。旅行で日本にやって来た人が日本のテレビを観て、どのチャンネルでもニュースのあと、天気予報に続いて「旬食情報」が流れているのを観たらどうだろう。それで、スーパーでもそれにちなんだ食材が売っていたり、レシピサイトもそれに連動していたりしたら、「日本の食文化ってやっぱり進んでいるよね」ってなると思う。
なので、僕は「ヤン坊マー坊旬食予報」というのをやりたい(会場笑)。それをヤンマーさんがやったら最高だ。農機具を売っているわけだから。もともと、天気予報も農家さんのためにやっていた。そこで新しい戦略として、「ヤン坊マー坊は引退させられました」と。僕はそれをスカウトして、改めて味の素さんかどこかの提供で「ヤン坊マー坊旬食予報」をやる。そうしたら、すごく面白いんじゃないかと思う。
→日本を演出する ~おもてなしで“和”をデザインする~[3]は6/17公開予定
※開催日:2015年3月20日~22日