川鍋 一朗氏
川鍋一朗氏氏(以下、敬称略):日本交通の川鍋です。いつも「桜にN」のタクシーやハイヤーでお世話になっている。今日の帰りも、ぜひ、このマークのタクシーで(笑)。今日は、事業再生に取り組んだ10年と、これからタクシー業を伸ばしていくことの2点をお話ししたい。
私の祖父は、埼玉・大宮の1つ先の宮原というところの小学校出だ。鉄道の整備士をやった後に東京に出てきた、ヤナセの前を通りかかったら、奥で車の整備をやっている。「これならできる」と入社して、運転手をやった。当時の車は高級で、運転できる人が少ない。だから、車を買ってもらうと運転手を1人付けていたらしい。10年やった後に独立し、ハイヤーの会社を始めた。
父親は2代目。父の時代はまだ初代のビジネスモデルが強かった。初代はまだ生きているし、2代目というのは立場がけっこう難しい。なかなか本業を改革することができないので、本業の資産を利用して本業以外のことを始める。バブルの頃、ゴルフ場とか海外の不動産投資とか、小さいところではピザ屋とか、多角化と称してたくさんやった。タクシー会社というのは土地を事業用に持っているので、それを担保にすれば銀行はどんどん貸してくれる。借金はどんどん膨らみ、結果として厳しい局面を迎えることになった。
私はというと、そんなことも知らず、親のおかげでノホホンと育ち、慶応の幼稚舎、小学校から1回も受験をしないで大学まで上がった。大学では体育会系のスキー部。ただ、クロスカントリースキー部というやや地味な感じではあったが(笑)。
生まれた時から祖父に「お前が3代目だ」と、ずっと洗脳されていた。小さな頃、いろんな人に紹介してもらう時には必ず「これが3代目です」と。こっちも「そんなもんかな」と思って、それ以外のチョイスは考えたことがない。結構素直な男児だったので(笑)。自分なりに、経営者になるにはどうしたらいいかと考えて、最も理不尽っぽいところと、その逆のロジカルっぽいところと両方を経験しておけば、その間のどこかに答えがあるんじゃないかと考えた。体育会のスキー部は理不尽なほう。
ロジカルなほうとしてはビジネススクールに行った。ノースウェスタン大学のケロッグ校だ。行って驚いたのは、9月の第1週目から、翌年のサマージョブの採用面接インタビューをやっている。多くの学生が転職してキャリアアップするために来ているという当たり前のことに気づいた。私もいろいろインタビューを受けて、マッキンゼーに決まった。自分はどうも銀行向きじゃないし、コンサルタントのほうが向いていると思って、帰国後に正式にマッキンゼーに入社した。3年間いました。辞めた時点で29歳。祖父が創業したのが30歳だった。20代はトレーニング、MBAも取ったし、マッキンゼーでも働いたし、「よし!」と。相当自信を持ってしまった。「そうだ、俺はできるんだ」と。
日本交通に入社して役員会に出て驚いた。経理部長が今月は売上がいくらいくらで、利益がいくらいくらでしたと報告するのを聞いていた私の父親、当時の社長が、「今月は業績がいいな、なんでだ?」と問うと、「はい、今月は雨が多かったので」。まあ、確かに雨のときはタクシーが使われる。しかし、それだけで説明は終わり。86年間、これをやり続けてきたのかと愕然とした。我慢ならず、「皆さん、こんなんでいいと思っているの。アスピレーションが低すぎる!」と横文字混じりで散々怒鳴りちらした。ついたあだ名が「アメリカ帰りのエコノミスト」だった。
体質が全然合わない。当時2001年で、「ニューエコノミー」が到来したなどと騒がれていた頃。「よし、俺が高級ハイヤーの新会社を作って、上場させて、日本交通本体を買い取ってやる」と、真剣にそう考えた。ただ、そこは3代目なので、父親に「こういうことをやるから頼む」と言って、金を出してもらい、クルマ50台をバーンと買い、いきなり50人の乗務員を雇った。1人も顧客がいない時に。クルマは銀色のミニバン、乗務員には朝から「グッドモーニング」と英語をしゃべらせた。これはニーズがあるぞと確信していた。「日経ビジネス」にも見開きで載った。「俺はビジネススクールに通ったし、マッキンゼーだし、当たり前じゃん」みたいな(笑)。
2000年7月7日にスタートしたが大失敗。1年間で2億円の累積赤字を出した。何が悪かったか。今なら冷静に分かる。顧客が1人もいないときにクルマをいきなり50台も買うなんてあり得ない。ベンチャーキャピタルに行っていたら、ちゃんとした資金計画を持ってこいとかビシビシやられていたはずなのに、自分でプランを書いて自分で勝手にやっただけ。現実のスピードに全く追いつけなかった。マッキンゼーのコンサルタントの時は、たいていのプロジェクトには3カ月ぐらいしか関わらない。その後のことはあまり頭になかった。「会社の経営っていうのは、続いていくんだ」と本気で思った(笑)。
その頃、日本交通には借金が1900億円くらいあった。ハイヤー会社は3年ぐらいで4億5000万円くらいの累損を出して、最後は本体に合併した。負債が1900億円あるところを自分の手で1904億5000万にしてしまった。MBAだろうがマッキンゼーだろうが、結果を出さなければ、全く何の意味もないということが分かった。最初は、「この若い3代目が会社を苦境から救ってくれるカルロス・ゴーンかもしれない」という期待の眼差しで見られていたが、1年も経つとシラーっとしてしまった。またオーナーのご乱心で俺たちは巻き添えかというような。赤字が2億円を超えて、さらに増え続ける中で、自信を保つことって難しい。それなりに素直になって、自分と向き合うようになる。
さあどうしよう、やばいなと。今の自分に何ができるのか。逃げるわけにはいかなかった。それで、各部門の長に——私が何言ってもあまり聞いてくれない人たちだったが(笑)——「あなたの部署で一番優秀な若手の人と飯を食わせてください」と頼んだ。いくら嫌いな相手でも、こういうふうに言われると、人はプライドがあるから、一番良い人を本当に出してくる。若手と昼飯を食べながら、「何をしたらいいと思いますか?」って、ひたすら聞きまくった。「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」と出てきた意見やアイデアをひたすら羅列していく。これを10回繰り返したら100個くらいのやるべき項目が出てきた。一巡したらもう1回最初に戻って「この中でどれをやったら一番いいと思いますか?」って聞く。そうすると、「これですよ、これ」って、10項目くらいに絞られる。「よし、それをやろう」ということになり、「じゃあ、皆さん手伝ってください」って、その10人で一緒にやった。
すると、結果が出る。うまくいくと社員が私を見る目が少しずつ回復してくる。自分への信頼度を上げるための近道は、分かりやすい結果を出すことだ。しかも、その結果が100パーセント、自分がやったということが分かるようにする。ロー・ハンギングフルーツだ。あざといが、信頼の無いところから力を付けて行くためには、まずは結果を見せつけて信頼してもらしかない。
そして、質より量。一生懸命考えて10の手を打てば2〜3は当たる。問題は10やれるか、10回振れるかだ。10回振るのは結構大変だ。多少適当でもいいから10やったほうがいい。完璧な1発よりも、適当な10発のほうがはるかに可能性が高い。
結果が出たら言いまくる。俺は「高倉健を尊敬しているから、“男は黙って”で行く」ではダメだ。言いまくると当然反発も出る。改革で恩恵を受ける人は黙っているもので、「ありがとうございます、私こんなに恩恵を受けました」なんて言わない。不満がある人だけがガーッと文句を言うものだ。最初の頃、“2ちゃんねる”で何が書かれているかなども全部チェックしていたが途中でやめた。過剰反応してしまうからだ。ある時、営業所に行って「私のことをあれこれ悪く言う人がいるようですが、私はそんなことを思っていない。実はこれで、本当はこうで…」と弁明を始めた。ところが、後で乗務員さんが来て「あの〜、社長、誰もそんなこと思っていませんよ」と(笑)。ネガティブな意見はグサッと刺さるし、心に残るので、どうしても過剰防衛してしまいがちだ。だから、無記名の批判は無視するというルールを自分の中で決めた。その代わり、記名のうえでの不平・不満に対してはきちんと答える。そう割り切って読んでみると、結構良いものもあることに気づいた。例えば、温暖化防止のためにエアコンで冷やしすぎないようにしようと呼びかけると、「一朗ちゃん、あなたが一番暑苦しい、君がいなけりゃ日本交通クールビズ」と。う〜ん、なかなか上手いことを言うじゃないかと(笑)。
私がモチベートする相手はタクシー乗務員たち。彼らにアンケートを取って「なぜ、タクシー乗務員を始めたのか?」と聞いたら、ダントツの回答は、「適当な仕事が他になかったから」。そして、「なぜ、日本交通を選んだのか?」と聞くと、大手だからとか、社長が良いとかではなくて(笑)、ダントツで「家に近かったから」。皆さんの中で、今の仕事を家に近いという理由で選んだ人はどれぐらいいますか(笑)。2番目は「知り合いがいた」。それで気付いた。いろいろな紆余曲折があってここに来て、社会に対して斜に構えていて、しょうがないからタクシーでもやるかと。基本的にはネガティブチョイス。タクシー乗務員って、現実の社会では、後がないギリギリのところに立っている。
だから、偉そうにピーチクパーチク理屈を言ってもダメだと悟った。「じゃあ、俺も乗るぞ!」ということで、2007年の大晦日から2008年1月28日までの1カ月間、タクシードライバーとして乗務した。みんな、きっと認めてくれるに違いないと単純に思った。「ボンボン社長、タクシードライバーになる」というわけだ。実際、いろんなことが分かったし、楽しかった。「1カ月間社長不在で大丈夫なら、社長なんて要らないじゃん」とか、「1カ月乗務員の給料で過ごしてみろ」とか、批判もされた。逆に「社長に事故を起こされたら困ります」と本当に心配してくれる社員もいた。リスクもリターンもあったが、乗務員目線で景色を眺めることができ、いろいろと考えさせられた。乗って良かったと思っている。
企業再生は辛い。生身の人間が相手だから綺麗事ばかりではすまない。オーナーだろうが、株主だろうが、ビジネススクールやマッキンゼーでスキルを磨こうが、ほとんど関係ない。結果を出せるかどうか、それがすべてだ。グロービスの皆さんは素晴らしい。何が素晴らしいかと言えば、仕事をやりながら時間を捻出して勉強しようという「やる気」が素晴らしい。それが皆さんの「証明」なのだ。グロービスの学位自体は何も助けてくれない。
だから、ぜひとも結果を出してほしい。あまりこだわらずに、結果を出しやすいものを選んで、まずは結果を出し、組織の中で自分のポジションを作ってほしい。置かれた環境の中でどうやって信頼を積み上げていくかだ。「社長、これをやりましょう」って部下が言ってくる。だが、上司として見るのは提案の中身じゃない。信頼がある部下が言うことならOK、そうでなければ駄目なのだ。「何を」よりも、「誰が」のほうが大事。そこを間違えてはいけない。そして、結果を出すためには10やる。必死に10やれば絶対に当たる。当たったら、当たったものだけを繰り返し言い続ける。結果が出なかったものは黙っている。「あれはうまくいかなかったじゃないか」とネガティブなことを言う人は必ずいるが、言い訳をしてはいけない。「おっしゃる通り。あれは失敗だった」と素直に認める。そうすれば、それ以上は誰も追ってこない。失敗を恐れずにどんどんやる。
偉そうに言っているが、私も皆さんと同じで、今でもオン・ゴーイングだ。失敗もたくさんしている。2011年、日本交通に入社して10年経った頃、「俺は他にもいろいろできるんじゃないか」「経営者としての限界を知りたい」なんて思って、介護事業、デイサービスを新事業として始めた。日経新聞にも「5年で50カ所」なんて見出しで記事にしてもらった。1年間ぐらい必死で営業したが、ぴったり1年後に会社をたたんだ。予定の半分しか届かなかったから。失敗要因はディシジョンメーカーである女性への訴求が甘かったこと。間接照明を増やしたり、女性向きのキラキラ感を演出したりして、施設をリニューアルしてテコ入れしようという話も出たが、私自身「俺にはこれを頑張り続けられない。やっぱり俺はタクシーだ」と悟って本業に専念することにした。
ここで、タクシー業界の話をしたい。タクシー業界というのは、ずっと右肩下がり。ピークが昭和45年(1970年)で、実は私が生まれた年だが、それから43年間下がり続けている。道路と車と燃料があれば始められるビジネスなのだが、バスや地下鉄などの公共交通機関が整備されていくと次第にお客を食われていく宿命にある。経済や都市の発展につれて、そんなことが世界各国で繰り返されている。東京の場合は、移動手段としての比率としてハイヤー・タクシーは7%程度に過ぎないので、特に自家用車で動いているヒトをどうやってタクシーに乗せ替えていくかが課題である。
そのためには、まず基礎トレーニングだ。乗務員にちゃんと言うことを聞いてもらわないといけない。そのために必死になってやっているのがマニュアル作り。例えば、社内にペットボトルを置いちゃいけないとか、芳香剤やお守りはダメとか。初めはすごい反発があった。「川崎大師のお守りがないと俺は事故る」とか(笑)。しかし、「タクシーの空間はお客さまのものであって、プライベート空間ではない」と言い続けた。マニュアルを作っても最初は誰も聞きやしない。そこで、モニタリングチェックを7年前に始めた。チェックシートの1番は「ありがとうございます」。皆さん、今日帰るときに日本交通のタクシーに乗って欲しい。すると、「ありがとうございます。日本交通の○○でございます」って言ってくれる、はず。「どちらまでお送りいたしますか?」「恵比寿でお願いします」「はい、恵比寿ですね、かしこまりました。どのようなコースで参りますか?」「○○通りで」「かしこまりました、○○通りですね」と、こういう流れが決まっている。そして、シートベルトの着用をお勧めする。
これを覆面で乗車してチェックする。私も時々やっている。大体顔バレしてしまうが、普段から心がけていない人は、私だと分かってもできない。評価の点数をパソコンかスマホですぐに入力し、乗務員が帰庫したときにはデータ処理されて、その営業所ごとのランキングになる。すると、営業所長がデータを見て「おっ、○○君、今日社長が乗ったのか」「はい」「シートベルト着用、言わなかっただろう」「すみません」「頼むよ、赤羽営業所だけには負けないように頑張ろう」とかね。営業所間で仮想敵を定めて争うわけです。そうやってプレッシャーをかけていくと、朝出庫するときにロールプレイングするとか、ビデオを撮るとか、創意工夫が始まる。これが基礎トレーニング。
次は応用編。タクシーの無線センターに行って1日聞いていると、お客様のニーズが見えてくる。その中でシビアなのが陣痛だ。以前は「陣痛が始まったんです」と言われると、「すみません、クルマの空きがないので」とガチャンと断ってしまうことがあった。会社側はリスクと捉えたし、乗務員も嫌がる。でも、これはチャンスじゃないかと思った。それほど大きな売上にはつながらないけれども、必要としている人がたくさんいる。大抵夜で、旦那さんは酒を飲んでいたりして自家用車で行けない。「ここだ!」と思った。日本交通なら、逆にウェルカムですよ、どうぞ登録してくださいと。出産予定日の前後1カ月は、どんな有名ホテルよりも優先して最大級のプライオリティーで駆けつけます、と。
これは流行った。今でも毎日平均60件の登録があって、毎日平均23件出動している。ちなみに東京では1日の出生者数が約290人なので、10パーセント弱は日本交通のタクシーで運んで生まれている。これはすごいと思う。消防庁に表彰されたし、他社も刺激を受けてやり始めた。このパターンが良い。日本交通はタクシー業界最大手なので、うちがまずやって、業界に広めていく。それがリーダーシップというものだ。みんな真似してくれと。都内の競合もどんどん真似してくれる。それはそれでいいじゃないかと。
次はキッズタクシー。最近の小学生は塾や習い事で忙しい。乗務員を選りすぐり、小学校でピックアップして塾に送り、塾が終わったらピックアップして自宅に送り届ける。乗務員は専属で顔を覚えてもらい、きちんと挨拶して、子供とも親しくなる。だから、毎年3月になるとキッズタクシーの乗務員はみんな寂しそうな顔をする。子供の卒業を機に送り迎えが終わるケースも多いから。こんな悲しいエピソードがある。2歳の男の子を病院に送迎していた。重病で、残念ながら亡くなってしまった。ところが、1カ月後にその親御さんから予約が入った。ディズニーランドに行くのが亡くなったお子さんとの約束だったと。だから、写真とお骨を持って…。乗務員は涙を流しながら、「これは絶対ミスできない」と言って気を引き締めていた。そして、社員の多くが自信を持った。俺たちはここまでやれている。手を上げていただいた方を乗せるだけではなくて、1人ひとりの生活や人生に密着して、寄り添うことができている。これは素晴らしい。この方向でどんどんやろうと。
他には、おじいちゃん、おばあちゃん向けのサービス。最初は「ケアタクシー」と呼んでいたが男性から評判が悪い。そこで、「お出かけタクシー」に呼び方を変えて、三越に買い物に行きますよと。お嫁さんに遠慮して頼む必要もないし、ヘルパーさんを雇う面倒もない。乗務員を日本橋三越に研修に出しているから、何階に何があるか分かっている。運転だけでなく、一緒に行って付き添う。しばらく行けなかった帝国ホテルでランチして、髪の毛を切って、日本橋三越で買い物するなんてことが、またできるようになったと喜ばれている。俺たちすげーじゃん、みんなの生活にインパクトを与えている。
観光もそう。うちの観光タクシーは天井がシースルーなので、スカイツリーなんか走りながら、ダーンと全部見える。東京で暮らす人が高齢の両親を田舎から連れてきて東京見物をさせる。90歳のおじいちゃんとか、多分これが最後の東京見物かなというような人がいっぱい来る。
他社の例だが、神戸の町でスイーツの店を訪ねて回る「スイーツタクシー」というサービスがある。香川では「うどんタクシー」とか。言わば、「進化型タクシー」が増えている。売り上げはまだ全体の1割にも満たないが、こうしたサービス提供を経験することで、乗務員が職業倫理に高めて、やる気になってくれれば良いと思う。
もうタクシーしか残っていないと思って入ってきた人たち。最初は黄色い車に乗るが、1年ぐらい頑張ると黒タクに乗れるようなる。同じ値段なのに、黒タクのほうがサービスが良いので、電話で呼ぶなら黒タクということになる。だから予約の7割が黒。同じ歩合でも売上がより多く上がるので、給料も上がる。その黒タクの乗務員から、キッズタクシーとか、お出かけタクシーとか、陣痛タクシーとか、「エキスパートドライバーサービス」と呼んでいるものをやってもらう人を選ぶ。日本交通には7000人の乗務員が働いているが、そのうちの140人、わずか2パーセントしかいない。新しく応募してくる人のうち4人に1人は「このサービスをやりたい」と希望してくる。
そんな新しいキャリアパスを作ることができたので、新卒採用を3年前から始めた。ピカピカの、タクシー業界で頑張るぞって、やる気満々の人が40人くらい入ってきた。そういう人たちが伸びていくだろうし、そういう人たちがタクシー業界を変えていくだろう。
良い乗務員がたくさん育つのだから、彼らが指名して選ばれるようなチャネルをたくさん作りたい。これは会社の使命だと思う。だから、六本木ヒルズで日本交通専用の乗り場を作ってもらう。慶応病院にも専用乗り場を作ってもらう。そうすると、乗務員は手を抜けないし、より良いサービスを提供するインセンティブにもなる。実際、評判も上々だ。
選ばれるタクシー会社になるために「アプリ」を作った。システム部門の若手1人が4カ月で作ったものが始まり。それをリリースしたら翌月に名古屋のタクシー会社が来て、「このアプリ、ソースコードごと1000万円で売ってくれないか?」と。「う、売ります」って言いそうになったら、隣にいたエンジニアが「コラッ」と睨まれた。多くのタクシー会社が使えるように全国に展開した。今では全国のタクシー会社の10%ぐらいが使っている。今、Uberのようなピカピカの競合が海外から入ってきている。我々も必死になって頑張って、使い心地もかなり良くなってきた。日本交通は乗務員には自信を持っている。Uberがいくら乗務員をかき集めても、うちの乗務員には絶対にかなわない。タクシーのユーザーエクスペリエンスは、「呼んで払う」、そして「乗る」。呼んで払うところはアプリでできても、乗るところは一朝一夕にはできない。必死に頑張って食らいついていけば、負けねーぞという気持ちで一生懸命やっている。
その上で、海外展開をしたい。実は3年前にミャンマー、ベトナム、シンガポールから買収話の誘いがあった。わくわくして見に行ったが、難しいと判断して帰ってきた。ミャンマーの乗務員って。サービスの「サ」の字の感覚もない。裸足で、車はボロボロだ。付加価値を上げられるのは乗務員しかない。だが、こうした国々、認識してもらい理解してもらうためには10年はかかる。その時間を短縮するためにはハードウェアとソフトウェアの助けが必要。まずは日本で足場を固めて、それから海外に出て行こうと決めた。
やる気のある人にどんどん稼いでもらう仕組みが必要だ。そんなこんなで日本交通のタクシーは、これからも走り続ける。ぜひ応援してほしい(会場拍手)。