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オリックス 取締役兼代表執行役会長・グループCEO 宮内義彦氏 −時代を切り開くリーダーに求められるもの(前編)

投稿日:2012/04/04更新日:2021/10/25

宮内:皆さまこんばんは。グロービス経営大学院で話をしてほしいと堀学長からお話をいただき、喜んではせ参じた次第です。かつては私も経営大学院に通っておりました。ただし卒業したのが1960年ですから、皆さまはまだ生まれていらっしゃらなかったと思います。当時アメリカで学んでいたビジネススクールの感覚でお話しをすると、現代は恐らく失敗してしまうのではないかと思っております(笑)。ですからあまり学問的なお話ではなく、私個人が日頃考えていることの一端をご披露できればと思います。正しいことを申しあげるという意味ではなく、「私としてはこんなことを考えています」ということですね。それを踏まえたうえで堀さんと、あるいは皆さまと対話をさせていただきたいと考えております。

さて、本講演のテーマを伺って仰天しました。「時代を切り開くリーダーに求められるもの」とは、私が聞かせていただきたいと思うほどの難しいテーマです。答えを私が今から申しあげると受け取っていただくと、大きく間違えます。その意味では看板に偽りありのような気も致しますが(笑)、どうかお許しいただきたいと思います。

文明と歴史から、今の日本と自らの立ち位置を考える

まずリーダーとは何か。リーダー論というと、恐らく際限なく話が広がっていくと思います。結果としてお聞きになった皆さまも、まあ、なんとなく元気づけられたような気分になって終わる。そういうお話もできるかとは思いますが、実際にそのお話が皆さまの実になるかというと、少し違うように思います。ですから私は、リーダーとなる人々のものの見方として、「たとえばこんなふうに考えてみたらいかがでしょうか?」と、ひとつの問いかけをしたいと思います。リーダーといってもひとりの人間です。ならば、まずは個人のポジショニングというか、立ち位置について考えてみたい。それがリーダーとして最も基本的な出発点ではないかと思っています。個人の立ち位置をある程度決めることができたら、その次に企業の立ち位置を皆さまなりに考えてみていただきたいと思います。本日お集まりになった方のほとんどが経済活動に関与されているという前提でお話しすると、組織のリーダーとして「企業とは一体何だろう」と考えることができれば、自分がしなければならないことを考えるという意味でリーダー論の入口まで来たことになると思います。

皆さまの平均年齢は30代とお聞きしております。私の子供たちより遥かに年若い方々ばかりですね。当社にも皆さまと同世代の方はたくさんおりますが、私が対話をしている相手はずっと年上の世代でして、普段はあまり交流のない世代の方々と今こうしてお話ししているわけです。30代ということは生まれたのが1980年頃でしょうか。そのあたりも意識しつつ、今日は皆さまの立ち位置について考えていきたいと思います。当然、いろいろな見方があると思います。世界に冠たる日本人という見方もあれば、どんどん寂しくなっていく国の国民、先行きがしんどい、という見方もあるかもしれません。あるいは「日本は非常に優秀だ」とか、他方では「日本人であることなんて意識しなくてもいい」といった国籍を超えた見方などいろいろあると思います。

しかし間違いなく言えるのは、皆さまのほとんどが日本で生まれ育ち、今も日本で生活しているという点だと思います。そうなると否応なしに現在の日本をベースにして、社会に挑戦していくことになります。実際、今もそうしていらっしゃると思います。であるならば、日本が好きだ、嫌いだ、と言ってみても仕方がありません。その土壌に足を下ろし、どっぷりと浸かって生活しているのであれば、自身の立ち位置を考える際も、やはり日本の現状について考える必要があると思います。

私は日本の現状を考えるにあたり、物事を徹底的に単純化して、縦軸と横軸という二つの観点で考えるようにしています。横軸について考えるにあたっては、課題本として紹介しました『文明の衝突』というサミュエル・ハンチントンの著作が大変参考になると思います。そして縦軸は、言うまでもなく歴史のことです。日本の歴史、あるいは世界史のなかでの日本という視点、特に現代日本史ですね。皆さまにとって現代日本史は、さまざまな歴史のなかでも最も馴染みの薄い領域ではないかと思います。学校でもあまり教えておりません。しかし最も重要な歴史は、最も身近な現代史であるはずです。現代日本史の書籍はたくさんありますが、私は半藤一利さんの『昭和史』という本が最も教科書的でかつ公正に書かれていると考えています。今回はその二冊を、課題と言いますか、皆さまへの推薦図書とさせていただきました。とにかく縦の歴史と横方向の平面的な見方、この二つがわかれば日本の立ち位置、ひいては日本における自分の立ち位置が自ずと見えてくるのではないかと思っています。

日本は特殊で孤立している、その自覚がないと世界から置いていかれる

まず『文明の衝突』ですが、これは世界的ベストセラーになりました。出版から20年近く経った現在も、多くの人々が読み継いでいて、私もずいぶん昔に読みました。その話が現在に至るまで頭のなかに残っているのですから、やはり相当な本だったという気が致します。本書でハンチントンは「各々の文明には融け合い難い側面があり、文明同士はいずれ衝突していく」としていて、なかでも西洋文明とイスラム文明の衝突リスクが最も高いと述べています。両者は本当に相容れないものであって、それが衝突を起こし世界の不安定要素になる、そうしたことを予言していて、それが現実となったために本書は大変有名になり、現在でも高く評価されているようです。

当然その視点はすばらしいと思いますが、私は少々別の読み方をしていまして、別の角度から、「この本は怖いなあ」と思っています。ハンチントンは世界の文明を7つか8つに分けています。随分いい加減な話と感じるかもしれませんが、これは8文明のひとつをアフリカ文明としていて、「アフリカ文明があるのかないのかわからない」と考えてこのような表現になっています。まあ、いずれにせよアフリカ文明を除くと世界は7つぐらいの文明に分かれているという見方です。

この分類は実に論理的です。ハンチントンは、西欧と、スラブあるいは東ヨーロッパは違う文明を持つと述べます。そしてインドはインドでひとつの文明を持ち、イスラムはイスラム文明を形成している。さらにアメリカもアメリカ文明を持ち、南アメリカもまた他とは異なる文明を持っている。彼の分類ひとつひとつに極めて明快な特徴があり、他の文明との差異があります。そしてそのなかには相容れないものがあることを我々はよく理解しないといけないといいます。

では果たして日本はどのように扱われているのだろうと、興味津々で読みました。一般的に考えて日本は、‘fareast’で中国儒教文化の一番端くれだろうなと思うのですが、本書にはそう書かれておりません。もちろん中国には中華文明があるものの、日本はそれと切り離されて、まったく異なる文明として書かれていました。世界で似たもののない独特の文明を持つという点で、日本文明は7文明のひとつとされていたのです。これには驚きました。半分ぐらいは驚き、半分は嬉しい気持ちになりました。ただ、あとでよく考えて、「これは怖いな」「えらいことだな」という思いが致しました。

『文明の衝突』では「中国と日本には似たところがない」というようなことが書かれていたと記憶しております。たしかに私自身、もう30年近く中国と日本を行き来していますが、日本人と中国人はほとんど似ていないという実感を持っています。「一衣帯水で同文同種」と、似ているとされますが、ハンチントンによればそれは表面的なことで、文明論的に考察するとまったく似ていないという分析がなされている。むしろ日本は世界で7分の1という立ち位置を与えると考えられています。ではそのような日本の特殊性は実感されているのかどうか。していないのであれば、日本という特殊な国の若い世代であることを自覚する必要があると私は考えます。私たちには、違いがあることを素直に受け取ることが必要だと思うのです。

昨今、世界の人口は70億人を突破しましたが、日本の人口は現在、およそ1億2700万でしょうか。つまり世界の約2%ですね。世界中の人が集まったら日本人は50人にひとりしかいない。それが日本なんです。しかし、似ていると思っていた中国ともまったく似ていないとなると、我々の文明を理解してもらうのはなかなか難しい作業です。イスラム文明でさえ世界の人々が理解していないわけですし、かろうじて世界が理解できている文明はせいぜい西洋文明ぐらいですね。他の文明は、放っておいても理解してもらえるというわけではありません。

ましてや世界で50人にひとりしかいない日本人の文明です。他文明の人々が「7分の1だから」と、一所懸命勉強して、日本を理解してくれるなんて思ったら大間違いです。日本文明のよさや特殊性のなかには、言うなれば世界にとってプラスになる要素も数多く存在しています。しかし、それらを世界の人々に知ってもらうには、我々が努力しないといけません。他の誰も努力してくれません。我々が世界の49人に対してコミュニケートしていかない限り、日本は孤立するということです。「ひとりだけ仲間外れになって可哀想だからわかってやろう」とか、「仲間に入れてやろう」と、向こうから来てくれることを期待すべきではないと私は考えます。我々が世界をマーケティングし、日本を理解してもらえるだけの力をつける。世界に日本のよさや特徴を売り込み、それを世界にとっての資産にしてもらう。そのために我々が努力しなければいけないわけで、黙っていたら駄目だと思います。それほど日本は特殊であり孤立している。その自覚がないと21世紀の日本はどんどん世界から置いていかれるのではないかと危惧しています。

では実際に何をすればよいかというと、コミュニケーション能力が真っ先に求められると思います。こういう話になると、「英語ができればよいのですか」となりがちですが、そうではありません。すでに我々は日本人として日本文明や日本文化を体現し、自分のDNAとして持っているわけです。それをきちんと表現する力がない限り、我々の伝統、文化、歴史、その他さまざまな財産は世界で無駄になってしまう。ですからコミュニケーション能力を高めることがイロハのイになると思います。同時に、この特殊な文明を我々自身で十分に磨きあげる作業もまた不可欠になると思います。「こんな特殊なことはもう止めた。自分はもっと多数派のほうに行きたい」といってみたところで、それは生まれ変わらない限り無理ですから、ともかく我々の特殊性を自分自身できちんと深めていく。本会場には日本人でない方がおられるかもしれませんが、大部分の方にとって重要なのは、日本人であることをもっとしっかりと自覚し、本当の日本人になることではないかと思います。これが横軸としての文明です。

今の日本の姿は、良くも悪くも1945年からつくられたもの

では、縦軸の歴史についても考えていきましょう。縦軸を見ると、今日の日本が連綿たる歴史のうえに成り立っていることがよくわかります。その先に現在の日本人がいるわけですね。ここ20年ほどの衰退は日本の歴史を鑑みるに止むを得ない流れなのか、今はたまたま衰退しているだけで、今後いくらでも修復可能なのか、こうした点について考えるには、我々の来し方に目を凝らす必要があります。日本の来し方、つまり歴史を勉強する必要が多いにあると思います。

特に皆さまがこれまで受けてきた教育では、最も重要であると思われる現代史の学びが組み入れられていません。学校で昭和史まで勉強された方は殆どいないと思いますが、今日の我々に最も影響を与えているのは86〜87年にわたる昭和の歴史です。一番身近な歴史が私たちに最も大きな影響を与えるは当然のことです。しかしその部分が最も知られていない。これは本当に悲惨なことだと思います。古事記や日本書紀、あるいは「平安時代のこのエピソードが面白い」といった学び自体が悪いというわけではありませんが、ともかくも我々に最も影響を与えているのは直近の歴史です。

直近の10〜20年、あるいは50〜100年のなかで、日本社会で一体何が起こったのか、その流れをしっかり理解することは大変重要です。半藤一利さんの『昭和史』は2冊のシリーズで、1冊は昭和20年の終戦まで、もう1冊で終戦後を追っています。この2冊はいわば教科書的な書籍です。私はその大部分について、「ああ、あのときはこういうことだったのか」と頷いていまして、なかなか正しい分析と公正な記述がなされていると感じます。

ですから皆さまにもぜひ、そういった最も身近な歴史から学んでいただきたいと思います。そうすると、昭和史がなぜこれほどまでに奇妙な道筋をたどってきたのかという疑問が、恐らく皆さまのなかでも自然と浮かんでくると思います。これは日本だけの問題ではありません。世界が動いていたからこそ、そのなかで日本も大変な影響を受けて動いていた。ただ、それに対するリアクションがいかにも日本人的です。ではどうしてそのようなリアクションになったのかというと、これも改めて歴史から学ばなければいけない。昭和史の面白さや「自分のルーツがここにある」と感じる部分があるとしたら、昭和の日本をつくった原点として、明治維新の存在があるからだと私は思っています。

昭和史につながる歴史の節目として明治維新を勉強していくと、今日の日本が非常によくわかってきます。明治維新を勉強すると、恐らくさらにもっと古い時代を勉強したいという気持ちになるかもしれません。いずれにせよ忙しいビジネスパーソンも、日本の来し方、どうして現在のような日本ができたのかを、ある一定のレベルまで学ぶことは不可欠ではないでしょうか。

今日の日本社会を生み出したのは日本人のいわばDNAであって、「とにかく日本社会は元々そういうふうにできている」と解釈されるかもしれません。しかし私は、今日の日本社会は昭和20年、つまり1945年、敗戦の年につくられたと思っています。ここで現代の社会が良い意味でも悪い意味でも規定された。良い面が半分、悪い面が半分といったところかと思いますが、いずれにせよ敗戦によって規定されたと思っています。

現代史は1945年8月15日の敗戦に至る戦争、それまで続いた軍事国家や対外進出、さらにその前まで遡れば日露戦争にもつながります。ではこの一連の歩みがどのようにして生まれていったのか。その先でなぜアメリカと戦争をするという、大きな意味では愚挙ともいえるようなことをする国になったのか。やはりその前の世代がそんなふうに行動せざるを得ない思考をつくった、袋小路に入らざるを得ないような世の中をつくっていったことに尽きると私は考えています。

そこで、前の世代がなぜそのような国をつくっていったのかと考えたとき、明治維新につながります。明治維新とは「遅れてきた維新」だった。西洋社会の後塵を配する形で進められていったため、日本人にはさまざまな焦りが生まれたのではないか。国づくりで何とか近代化しようと思い、たとえば皆さまはご存知かどうかわかりませんが、明治憲法もつくりあげていったわけです。これは欽定憲法であり、「天皇は萬世一系の云々」というところからはじまる。明治の先達は苦心惨憺、江戸時代から維新を経て近代国家を目指しながら明治憲法をつくっていきます。憲法を学ぶために当時の民主主義国であるイギリスにも赴きますが、彼らはそこで「こんなものを日本に持ち込むのは無理だ」と感じました。それで結局は、ヨーロッパのなかでもかなり遅れていた当時のプロイセンへ行って、いうならば皇帝の代わりに天皇が国を統帥するという欽定憲法をつくらざるを得なかったわけです。

その憲法に戦争へ至る道筋がすでにつくられていたと私は思っています。明治憲法は形式としては天皇が最も上に位置して統治するものでしたが、民政は民主主義システムを採用して、議会をつくり民主制度を持ち込んだ。しかしながら軍事が政治の世界から完全に切り離され、天皇へと直結するようになっていた。軍の統帥権は天皇にあり、これはいわば象徴ですね。今の象徴と同じですが、形としては軍事の上に天皇がいました。片や政治は完全な民主制でこそないものの、当時としては立派な民主政治を実現していました。しかし軍事だけが政治から離れる形をとらざるを得なかった。そのために軍部の独走や跳躍を許さざるを得なかったんですね。

そのために内閣が軍事予算を抑えようと思ってもできませんでした。たとえば海軍から戦艦をつくりたいという申し出があったとします。内閣が「財政状況を考えると建造はできない。やめてくれ」というと、海軍は内閣に海軍大臣を出さなかった。海軍大臣が出なければ組閣できず、組閣ができなければ内閣は潰れる。ですから「仕方がない。戦艦でもつくりましょうか」という話になってしまった。そういった制度、そういった国づくりをしていたがために、昭和の悲劇へと突入してしまったのだと私は考えています。

昭和20年の終戦後、軍事国家はもう結構、ということになりました。日本全体が酷い目に遭ったためです。どれほどの損害だったかというと、京都と奈良を除く都市という都市がすべて絨毯爆撃を受けました。もちろん非戦闘員も被害者になっています。現在は赤ちゃんがどこかで亡くなったといえば大きなニュースになりますが、そんなことが当時の日本では毎日起きていました。そしてアメリカ軍は日本に対する空襲用に、焼夷弾というなるべくたくさん燃えるような爆弾をきちんと発明していましたから、焼け野原になった。つまり非戦闘員もへったくれもなく徹底的に叩いて日本の国力を、もうほとんどゼロまで落としていったわけです。

私は当時10歳でしたが、今でもその時の様子を鮮明に覚えております。何もないんです。本当に何もない。親を亡くした戦争孤児もたくさんいました。家もほとんどなくなりました。当然、食べるものもない。それが当時の日本だったんです。8月15日の終戦までに、300万の日本人が亡くなりました。300万人が亡くなって、そこでやっと戦争が終わったわけです。東日本大震災ではおよそ1万9000人が命を失うか行方不明となり、それで日本人は嘆き悲しみ、ある人は救助の手を差し伸べました。しかし当時は300万人が亡くなっており、そこに救助すらなかった。誰一人助けに来てくれなかったんです。敗戦直後にアメリカ軍が食料を補給してくれなかったら、日本人はどれだけ餓死していたかわかりません。さすがにアメリカ軍も食料をどんどん持ってきてくれたので、なんとか多くの餓死は免れたわけですが。ともかくもそんなふうにして悲惨な状況から新しい社会が生まれ、そして今の憲法も生まれました。

だから戦争はもうこりごり、ということになりました。軍部はなくし、「民主主義がいいんだ、平等がいいんだ、平和がいいんだ」と。そんなアンチテーゼの想いから、戦前の社会をまるで裏返したかのような社会をつくった先に、今日の日本があるのです。しかも実に不思議なことに、こうした出来事から60数年が経過しても、社会がいまだ変わっていません。敗戦直後の興奮冷めやらぬ時期にガラっと変えた社会を70年近く同じベースで継続させながら、いまだに「平和憲法だ」といっているわけですね。実に不思議な社会を今の日本は形成していると思います。ですから今の日本社会は決して、日本人がノーマルな生活の中からつくりあげた社会ではないんです。未曾有の大戦争で完敗して、300万人が亡くなり、国力がゼロになって、「これはいかん」ということでひっくり返した社会のままなのです。その中で皆さまは生活しておられるわけです。

私たちはこうした縦軸と横軸で日本を考えていく必要があると思います。日本文明の持つ特殊性を理解しながらも世界に開かれた国としていくにはどうしたらよいのか。また、今の社会を縦軸で見れば、それは決して日本人が100〜200年かけて追い求めてきた理想の姿ではないという点も考えていく必要があります。たまたま日本は文明社会へと脱皮するのが遅れました。明治で遅れて、昭和ではもうぼろぼろになって、そして慌てて着た衣を今日までそのまま纏っている。衣はだいぶぼろぼろになっていますが、それでも同じ衣を着ているわけですね。それが現代の日本であり、そのなかで皆さまは生きている。これが皆さま社会人にとって最も大きな立ち位置であり、ひとつの考え方であります。

では、縦軸の歴史についても考えていきましょう。縦軸を見ると、今日の日本が連綿たる歴史のうえに成り立っていることがよくわかります。その先に現在の日本人がいるわけですね。ここ20年ほどの衰退は日本の歴史を鑑みるに止むを得ない流れなのか、今はたまたま衰退しているだけで、今後いくらでも修復可能なのか、こうした点について考えるには、我々の来し方に目を凝らす必要があります。日本の来し方、つまり歴史を勉強する必要が多いにあると思います。 特に皆さまがこれまで受けてきた教育では、最も重要であると思われる現代史の学びが組み入れられていません。学校で昭和史まで勉強された方は殆どいないと思いますが、今日の我々に最も影響を与えているのは86〜87年にわたる昭和の歴史です。一番身近な歴史が私たちに最も大きな影響を与えるは当然のことです。しかしその部分が最も知られていない。これは本当に悲惨なことだと思います。古事記や日本書紀、あるいは「平安時代のこのエピソードが面白い」といった学び自体が悪いというわけではありませんが、ともかくも我々に最も影響を与えているのは直近の歴史です。 直近の10〜20年、あるいは50〜100年のなかで、日本社会で一体何が起こったのか、その流れをしっかり理解することは大変重要です。半藤一利さんの『昭和史』は2冊のシリーズで、1冊は昭和20年の終戦まで、もう1冊で終戦後を追っています。この2冊はいわば教科書的な書籍です。私はその大部分について、「ああ、あのときはこういうことだったのか」と頷いていまして、なかなか正しい分析と公正な記述がなされていると感じます。 ですから皆さまにもぜひ、そういった最も身近な歴史から学んでいただきたいと思います。そうすると、昭和史がなぜこれほどまでに奇妙な道筋をたどってきたのかという疑問が、恐らく皆さまのなかでも自然と浮かんでくると思います。これは日本だけの問題ではありません。世界が動いていたからこそ、そのなかで日本も大変な影響を受けて動いていた。ただ、それに対するリアクションがいかにも日本人的です。ではどうしてそのようなリアクションになったのかというと、これも改めて歴史から学ばなければいけない。昭和史の面白さや「自分のルーツがここにある」と感じる部分があるとしたら、昭和の日本をつくった原点として、明治維新の存在があるからだと私は思っています。 昭和史につながる歴史の節目として明治維新を勉強していくと、今日の日本が非常によくわかってきます。明治維新を勉強すると、恐らくさらにもっと古い時代を勉強したいという気持ちになるかもしれません。いずれにせよ忙しいビジネスパーソンも、日本の来し方、どうして現在のような日本ができたのかを、ある一定のレベルまで学ぶことは不可欠ではないでしょうか。 今日の日本社会を生み出したのは日本人のいわばDNAであって、「とにかく日本社会は元々そういうふうにできている」と解釈されるかもしれません。しかし私は、今日の日本社会は昭和20年、つまり1945年、敗戦の年につくられたと思っています。ここで現代の社会が良い意味でも悪い意味でも規定された。良い面が半分、悪い面が半分といったところかと思いますが、いずれにせよ敗戦によって規定されたと思っています。 現代史は1945年8月15日の敗戦に至る戦争、それまで続いた軍事国家や対外進出、さらにその前まで遡れば日露戦争にもつながります。ではこの一連の歩みがどのようにして生まれていったのか。その先でなぜアメリカと戦争をするという、大きな意味では愚挙ともいえるようなことをする国になったのか。やはりその前の世代がそんなふうに行動せざるを得ない思考をつくった、袋小路に入らざるを得ないような世の中をつくっていったことに尽きると私は考えています。 そこで、前の世代がなぜそのような国をつくっていったのかと考えたとき、明治維新につながります。明治維新とは「遅れてきた維新」だった。西洋社会の後塵を配する形で進められていったため、日本人にはさまざまな焦りが生まれたのではないか。国づくりで何とか近代化しようと思い、たとえば皆さまはご存知かどうかわかりませんが、明治憲法もつくりあげていったわけです。これは欽定憲法であり、「天皇は萬世一系の云々」というところからはじまる。明治の先達は苦心惨憺、江戸時代から維新を経て近代国家を目指しながら明治憲法をつくっていきます。憲法を学ぶために当時の民主主義国であるイギリスにも赴きますが、彼らはそこで「こんなものを日本に持ち込むのは無理だ」と感じました。それで結局は、ヨーロッパのなかでもかなり遅れていた当時のプロイセンへ行って、いうならば皇帝の代わりに天皇が国を統帥するという欽定憲法をつくらざるを得なかったわけです。 その憲法に戦争へ至る道筋がすでにつくられていたと私は思っています。明治憲法は形式としては天皇が最も上に位置して統治するものでしたが、民政は民主主義システムを採用して、議会をつくり民主制度を持ち込んだ。しかしながら軍事が政治の世界から完全に切り離され、天皇へと直結するようになっていた。軍の統帥権は天皇にあり、これはいわば象徴ですね。今の象徴と同じですが、形としては軍事の上に天皇がいました。片や政治は完全な民主制でこそないものの、当時としては立派な民主政治を実現していました。しかし軍事だけが政治から離れる形をとらざるを得なかった。そのために軍部の独走や跳躍を許さざるを得なかったんですね。 そのために内閣が軍事予算を抑えようと思ってもできませんでした。たとえば海軍から戦艦をつくりたいという申し出があったとします。内閣が「財政状況を考えると建造はできない。やめてくれ」というと、海軍は内閣に海軍大臣を出さなかった。海軍大臣が出なければ組閣できず、組閣ができなければ内閣は潰れる。ですから「仕方がない。戦艦でもつくりましょうか」という話になってしまった。そういった制度、そういった国づくりをしていたがために、昭和の悲劇へと突入してしまったのだと私は考えています。 昭和20年の終戦後、軍事国家はもう結構、ということになりました。日本全体が酷い目に遭ったためです。どれほどの損害だったかというと、京都と奈良を除く都市という都市がすべて絨毯爆撃を受けました。もちろん非戦闘員も被害者になっています。現在は赤ちゃんがどこかで亡くなったといえば大きなニュースになりますが、そんなことが当時の日本では毎日起きていました。そしてアメリカ軍は日本に対する空襲用に、焼夷弾というなるべくたくさん燃えるような爆弾をきちんと発明していましたから、焼け野原になった。つまり非戦闘員もへったくれもなく徹底的に叩いて日本の国力を、もうほとんどゼロまで落としていったわけです。 私は当時10歳でしたが、今でもその時の様子を鮮明に覚えております。何もないんです。本当に何もない。親を亡くした戦争孤児もたくさんいました。家もほとんどなくなりました。当然、食べるものもない。それが当時の日本だったんです。8月15日の終戦までに、300万の日本人が亡くなりました。300万人が亡くなって、そこでやっと戦争が終わったわけです。東日本大震災ではおよそ1万9000人が命を失うか行方不明となり、それで日本人は嘆き悲しみ、ある人は救助の手を差し伸べました。しかし当時は300万人が亡くなっており、そこに救助すらなかった。誰一人助けに来てくれなかったんです。敗戦直後にアメリカ軍が食料を補給してくれなかったら、日本人はどれだけ餓死していたかわかりません。さすがにアメリカ軍も食料をどんどん持ってきてくれたので、なんとか多くの餓死は免れたわけですが。ともかくもそんなふうにして悲惨な状況から新しい社会が生まれ、そして今の憲法も生まれました。 だから戦争はもうこりごり、ということになりました。軍部はなくし、「民主主義がいいんだ、平等がいいんだ、平和がいいんだ」と。そんなアンチテーゼの想いから、戦前の社会をまるで裏返したかのような社会をつくった先に、今日の日本があるのです。しかも実に不思議なことに、こうした出来事から60数年が経過しても、社会がいまだ変わっていません。敗戦直後の興奮冷めやらぬ時期にガラっと変えた社会を70年近く同じベースで継続させながら、いまだに「平和憲法だ」といっているわけですね。実に不思議な社会を今の日本は形成していると思います。ですから今の日本社会は決して、日本人がノーマルな生活の中からつくりあげた社会ではないんです。未曾有の大戦争で完敗して、300万人が亡くなり、国力がゼロになって、「これはいかん」ということでひっくり返した社会のままなのです。その中で皆さまは生活しておられるわけです。 私たちはこうした縦軸と横軸で日本を考えていく必要があると思います。日本文明の持つ特殊性を理解しながらも世界に開かれた国としていくにはどうしたらよいのか。また、今の社会を縦軸で見れば、それは決して日本人が100〜200年かけて追い求めてきた理想の姿ではないという点も考えていく必要があります。たまたま日本は文明社会へと脱皮するのが遅れました。明治で遅れて、昭和ではもうぼろぼろになって、そして慌てて着た衣を今日までそのまま纏っている。衣はだいぶぼろぼろになっていますが、それでも同じ衣を着ているわけですね。それが現代の日本であり、そのなかで皆さまは生きている。これが皆さま社会人にとって最も大きな立ち位置であり、ひとつの考え方であります。

もう1点だけ申しあげておきたいと思います。皆さまの大部分がビジネスに関わっておられるという前提で、ぜひ考えてみていただきたい点があります。それは起業、経営、会社…、いずれでも結構ですが、皆さまの関わっているビジネスの立ち位置は何なのかということです。言い換えれば企業はなぜ存在しているのだろうという問いでもあります。「給料をもらえるから毎日通勤して働いている」「ひとつ儲かる会社を興してみたいから働いている」など、いろいろと考えはあると思います。ただ、いずれにせよ企業は何のために存在するのかを考えていただきたいのです。

私なりに申しあげますと…、企業と会社という言葉を同じ意味で使わせていただきたいと思いますが、企業は社会とひとつの契約関係にあるのだと思っております。我々人間が住む社会は「よりよい社会になっていく」という、そういう善意から恐らくは成り立っていると思います。そういう社会のなかで企業が一構成単位として存在するわけですね。では社会全体とその一単位である企業との関係は何か。社会はさまざまな社会活動の中でも非常に重要な経済活動を企業に任せています。企業にその経済活動を「しっかりやれよ」と任せることが社会にとってプラスになると、社会が思っているのだと考えます。企業と社会との間には、そういったいわゆる社会契約(ソーシャル・コントラクト)があり、社会は企業のつくりだす経済的果実をエンジョイします。そして企業は社会に経済的な果実をエンジョイしてもらうため、懸命に努力する。そのような関係だと思います。

言うまでもありませんが、別に企業にお願いせず、ひとりで畑を耕したりキノコを採りに行っても経済活動はできるわけです。人民公社、ソフホーズ、宗教団体だって経済活動ができます。誰が経済活動を行ってもよいわけですし、それで咎められることはありません。ただ、現代の資本主義社会においては、他の人や部門ではなく、企業に経済活動を任せておくことが社会にとって最も効率的だという理解が社会の方にあるのです。

したがって企業がすべきことは、社会の期待に応えること以外にありません。よりよい経済的成果物をつくりあげるのです。では「よりよい」とは何か。これはたとえば「今まで見たこともない珍しいものを提供する」「今まで100円だったものを50円で提供する」「今までは3月にならなければ出てこなかったものを1月に提供する」といったことですね。「今までなら3日しかもたなかったものを1週間もつようにする」ということもあるでしょう。そういった、よりよい何かを社会に提供するのが企業です。もしそれを企業が提供できないのであれば、社会からすれば「企業なんて要らないよ。別の形を考えようじゃないか」ということに、恐らくはなるのだろうと思います。

ですから、たとえば「会社の論理と社会の論理が違っていた」なんていう話を口にする経営者をたまに見ますが、そんなことは本来有り得ないんです。社会は企業の上位概念です。社会があるから企業が存在できる。企業のために社会が存在するなんていうことは有り得ません。ですから我々の企業活動は社会がよしとするものでない限り、消えるしかないのです。

したがって企業は社会から専ら経済活動を任されており、その経済活動は社会から見てよしとされる、是となるような形でなければいけません。社会ではどうのようにして良し悪しが決まるのかというと、企業間で競争して切磋琢磨し、優れたものが生き残るということです。社会で役に立たないものは敗者として消えていく、優勝劣敗の競い合いを通じて、よりよいものが社会に提供され続けていくわけです。そのシステムが資本主義には組み込まれているのです。私たちはそういった、最もベーシックな部分を押さえておかなければいけません。でないと企業が社会で何か独善的な動きをしたり、本来任されている経済活動をほったらかして他の活動をしたり、といった錯覚を起こす危険性があります。

我々企業が基本的に期待されている活動とは経済活動に限るわけで、その経済活動をよしとしてもらうために、よりよいものを社会に提供していく。「よし」として社会で受け入れられない限り、企業は存立し得ないということです。この最も基本的な原則を外れて企業活動をしようとすると、一時は社会を騙すことができるかもしれませんが絶対に長続きはしません。ですから皆さまが企業の中で働くということは、ともかくも社会に経済的なよりよいものを提供し続けられるかどうかにかかっているわけです。その逆ではまったくないはずです。これが企業人として最もベーシックな立ち位置ではなかろうかと私は思っております。

その次の問いが「企業のリーダーとは何か」というリーダー論になるわけですが、ちょうど時間にもなりました。それについてご説明したとしましても、大学院的な講義にはならず観念的な話になってしまう危険性がございます。ですからまずは入り口のところで止めさせていただいたほうがよいのではないかと思います。以上をもちまして、いただきました時間でのお話とさせていただきます。ありがとうございました(会場拍手)。

自分の後ろに「JAPAN」と書いてあると意識する(宮内)

堀:宮内さん、本日は素晴らしいお話をありがとうございました。グロービスではトップセミナーを今まで数十回ほどやってきましたが、初めて課題図書をご紹介いただけました(笑)。ハンチントンの『文明の衝突』と半藤一利さんの『昭和史』。これらとともに今日は縦軸と横軸、そして立ち位置といったお話をいただきました。今日はできましたら二つのことをお伺いしたいと思っております。ひとつは日本人としてのアイデンティティについて。そしてもうひとつが「日本をよくするということはどういうことなのか」、あるいは「我々は何をすべきか」です。

まず日本人としてのアイデンティティについですが、私も日本に関する本は歴史に関するものを含めて40〜50冊読んできましたし、考え続けている領域です。私自身高校時代に1年間の留学し、その後も大学院で海外へ行く中で、日本とは何かということを常に問いかけられました。「日本はこうだ」「日本な的考え方はこうなんだ」いうと説明が必要だったのですが、そのためには「なぜそうなっているのか」を含め、かなり深く掘り下げていかなければなりませんでした。

ちなみに私は生まれ育ちが茨城県で、小学校6年までは東海村にいました。原子力関係の父の仕事で東海村にいまして、そのあとは水戸におりました。そこで通った小学校は三の丸小学校というところで、これは徳川斉昭公が徳川慶喜の教育のため、藤田東湖につくらせた弘道館という藩校の跡地に建てられた小学校でした。また、中学校は徳川光圀公が『大日本史』を編纂した地にあり、高校も水戸城本丸の跡地にできた学校でした。ですからそういった環境とともに、水戸から見た明治維新の歴史も見てきました。天狗党の乱をはじめとする水戸から起こった尊皇攘夷がどのような形で薩長に伝播していったのか。水戸の考え方が本州と九州のそれぞれ一番端にあった薩長に伝播していったという過程があります。その中で、たとえば藤田東湖から西郷隆盛をはじめとした人々に考え方が委譲され、明治維新が起きていった。そういった経緯を辿りながら、昭和あるいは戦後に至ったという歴史があるわけです。

そこで今日はまず、宮内さんから見た日本人のアイデンティティについてお伺いしたいと思っております。日本人とはどのような人々であり、日本はどのような点で固有であるのか。まずはその辺からお伺いできればと思っております。

宮内:はい。水戸藩は本当に面白いところですよね。まさに尊皇攘夷の旗頭だったわけですが、いつの間にか上が全部切られてばらばらになり、薩長に主導権を握られてしまった歴史があるわけですから。

ご質問にお答えしますと、やはり日本人は本当に独特の考え方を持っていると思います。たとえば自然界の万物に霊が宿ると考える神道。日の出を拝んだりするわけですよね。仏教でも夕日を拝んでみたりしますし、とにかく自然に対する感性が大変に研ぎ澄まされていると思います。仏教はインドで生まれて日本に入ってきたものですが、日本に伝わってから大変進化しています。最近は法然の800年大遠忌(だいおんき命日に成人の恩徳を報謝する法要、50周年ごとに行うものを「大遠忌」と呼ぶ)、親鸞の750年大遠忌という節目の年でもあります。宗教論になると反対の方もいらっしゃると思いますし、私自身、どの宗教の信者ということではないのですが、それでも客観的に見て法然の浄土宗、そして親鸞の浄土真宗は、お念仏を捉えればそれで救ってもらえるという点で、これはもう「宗教が行き着くところまで行き着いた」という思いが致します。

私は子どもの頃、ミッションスクールに通っていたんです。ですからキリスト教であれば今でも聖書の講義ができるほど勉強したのですが、キリスト教は「信じなければ地獄行きだ」というように大変厳しいんです。逆に「神を信じて行いを正しくしていれば救ってあげるよ」となります。それで愛の神といわれますが、これは実は“狭い”んですよね。そういう意味でも日本人はそこまでいくかというほど、いつの間にか自然と渾然一体になったような人生観を手にしていった。その結果がたとえば浄土真宗であり、日本人が何がしか持っている自然に対する崇拝心や無常観であると思っています。

また、大金持ちだといっても「どうせあんただってそのうち死ぬんだよ」、「だから一緒にやろうや」といったある種独特の平等感を持っているとも感じます。そういう人生観を持っている人種はあまりいないのではないかなと思います。よい悪いはまったく別として、私はそのように感じます。答えになっていないかもしれません。

堀:ありがとうございます。私も自分なりに考えておりましたが、私としては武士道というものにかなりの部分が集約されているなと見ておりました。これは私なりの解釈ですが、武士道は4つの思想からでき上がったものではないかと考えています。ひとつはまさに神道的価値観であり、そこに仏教的な価値観も入っている。「もののあはれ」や無常観ですね。次に陽明学。陽明学的な知行合一、万物一体の仁、あるいは心即理といったもの。私は陽明学と水戸学によって明治維新が成されたと考えております。そして、あとはやはり尊皇攘夷と儒教。この4つのなかで体系的に培われたものが武士道に反映されていると考えています。

あとはやはり農村文化と言いますか、ムラ社会的な非常に強い共同体意識も日本人のなかにあると感じています。このほか、私なりに解釈しているのがひとつのことを一所懸命やっていくという非常に高い勤労意識ですね。こういった要素とともに日本という民族ができ上がってきたのではないかと。『文明の衝突』には「日本の文明とは何か」ということ自体は実はあまり詳しく書いていないのですが、そのあたりが恐らく、たとえば中国等他の国や地域とかなり違っているのではないかと考えています。

ただし、宮内さんがおっしゃる通り、日本はあまりにも孤立したひとつの島国であるために下手をしたら孤立してしまう側面があります。ですから海外に積極的な発信をしていかなければならない。宮内さんとはよく海外の会議でお会いするんです。ダボス会議だけでなく、この間はフォーブスのCEOカンファレンスでもお会いしました。大変熱心に対外的発信をされていて、まさに知行合一でおっしゃっていることを実践されていると感じます。その中で世界へ出ていくときに自分たちは何者なのか。アイデンティティを多くの人が認識していくことによって、発信すべきものが何かもわかってくると思います。アイデンティティを意識するためには何をしていけばよいのでしょうか。

宮内:やはりコミュニケーション能力をこちら側がつけないとはじまらないと思います。これは世界の人口の50分の1という日本の悲哀でもあると思いますが、とにかく自分たちのほうからコミュニケートする能力を身につけることは大前提になると思います。そのためにもまず日本を知ること。そして自分の知っている日本を表現するということでしょうか。そして日本的な考え方で自分の人生…、言うなれば自分の立ち位置ですね。これを決めておきませんと、海外へ行ったらフラフラしてしまい、個人としても尊敬してもらえないのではないかと思います。ですから、まずはしっかりした自分を持つ。そしてその自分について「なるほど、後ろにJAPANと書いてあるなあ」、そう感じられるような部分を持ちながら、ひとりひとりが日本のよいところを発信できれば、日本は恐らく今後も輝いていけると思います。

堀:ちなみに私はベンチャーキャピタルをやっていることもあって、海外から数百億円のお金を集めてきます。その際によく感じるのですが、日本人に対するコミュニケーションと海外の人々に対するコミュニケーションが自分でもまったく異なっているんですね。海外に対するコミュニケーションを日本でやってしまうとすごく、なんというか“引かれて”しまうので(笑)。

たとえば海外でスピーチをする際、私が最も強く意識しているのは「インプレッシブであること」です。‘He'ssoimpressive.’と言われるようにします。印象深いとか強いとか、そういったものが一番の褒め言葉になりますから。しかし日本でのスピーチで「俺はすごい」とか「僕はこういったことができるんだ」といっても、人々はあまりそれを評価しないんですね。どちらかというと日本では共感が大切になります。しかし海外では自分がどれだけできるのかという、そういったよさを積極的に強調していくことがポイントになると感じています。そうすると自分のなかに違う人格というか、ふたつの人格を持っていなければならないと感じます。日本という文化圏では侘び寂びや謙虚さといった、静けさのなかで進んでいくようなコミュニケーションによる共感が中心になってきますよね。しかし海外では暗黙知なんて関係ないんですね。会議でもなんでもとにかく喋らないと置いていかれてしまいますから。もう積極的に手を挙げるしかない。そして自分のことをどんどん説明するよう、自分自身をプッシュしなくてはいけなくなっていきます。

言語についても日本語的な言語と英語的な言語でバイリンガルの要素は必要になると思いますが、むしろバイカルチャーの資質のほうが重要であり、ここが難しいところなのではないかと思っています。英語的要素であれば基本的には英語力さえ高めれば良いのですが、積極性や、コミュニケーションのなかで自分のよさを簡潔に説明していくエネルギーレベル。そういうところで負けないようにするのが重要で、かつ難しいポイントになると感じます。海外へ行くとすごく疲れますよね(笑)。疲れ方がぜんぜん違うんです。しかし、そういったコミュニケーションを続けていく必要があると思いました。そして一方では、自分自身を知る必要もある。そういうお話ですよね。そこでさらにお伺いしたいのですが、自分自身を知るために歴史を知る、それ以外に何かしたほうがよいことはありますでしょうか。

「昨日より今日のほうが、俺はましになったなと思いたい」、だから勉強する

宮内:そうですね。やはり粘り強く勉強を続けるということに尽きる気がします。日本人の感性で勉強を続けていれば、その先にきちんとした日本人ができるのではないかという気が致しますので。勉強というのは終生続けるものではないかと思っています。勉強というとなんとなく必死になって本を読むようなイメージばかりが浮かんでしまいがちですが、読書は本当に大切です。また、最近では映像の分野にも大変勉強になるものがありますよね。大部分はつまらない映像ばかりですが、素晴らしいものもあります。それからもうひとつは人の話をよく聞くこと。

そういった努力を組み合わせながら、絶えず少しでも高みに上がりたいと願い続けるべきなんですね。「昨日より今日のほうが、俺はましになったなと思いたい」という欲望があれば、いつまでも勉強し続けられると思います。知らないことを知るのは本当によいことです。私ぐらいの年齢になりますと、たとえば英語の単語なんてどんどん忘れていくわけです。しかしそこで「ああ、仕方がないな」ですとか「歳だから忘れるよな」と納得してしまったらもうおしまいになると思っています。私は今でも一日に何度も辞書を引きます。たとえば新聞を読んでいて、辞書を引かなくてもだいたいの意味がわかるような言葉を何度も見かけるのですが、私はそこで「正確な意味を忘れたら損だ」と感じるんですね。それでも今は恐らくは忘れるほうが多いだろうと思いますが。

読書についても同じです。昨日読んでも今日になるとすぐに忘れてしまうのですが、やはり読書をしていないとお腹が膨れた気がしないんですね。ですから私はいつも3冊の本を同時並行で読んでいます。まずは今読みたいという本が1冊。これは普通の本です。たとえば飛行機や電車で読んだり休みの日に読んだりするような、そういう本ですね。それからもう1冊はまさに『文明の衝突』のような難しい本。これはもう体調がよくて気合いも入っていないと読めません。そう感じているときに「よしっ」と思って読みます。それからもう1冊。これは逆に気合いが入らないときに読む本です。なんでもいいから活字を読んでおこうということで、少し恥ずかしいのですが『御宿かわせみ』や捕物帳といった本です。これだけあると安心感が出てくるんです。いざとなったらこっちを読めばいいと(会場笑)。ですから常に3冊。気合いを必要とするほうはなかなか手に取れないので困るのですが、ものによっては何年もかけて読みます。

最近で一番時間がかかったものは足掛け4年にわたりました。こちらも推奨しておきますが、大佛次郎という昔の大作家が晩年に書いた『天皇の世紀』という本です。朝日新聞に連載していたもので、明治維新について書いた本です。私が読んだのは全10巻ものです。今では文庫本で十数巻になっていますが。これがですね、もう…、ぜんぜん面白くない(会場笑)。ただ、明治維新を実に克明に記しています。明治天皇は京都の仙洞御所で中山慶子という側室から生まるのですが、本書はその誕生からはじまる史伝ですね。連載自体は大佛次郎さんが亡くなってしまったので戊辰戦争の段階で終わります。とにかくものすごいボリュームの本なのですが、それを延々と読んでいくわけです。「このときに何が起こって、そして次に何が起こって」という感じでどんどん読み進めていく。ちなみに『天皇の世紀』に関する私の感想は一言でいうと「明治維新も危なかったんだなあ」というものでした。あれもひとつ間違えていたらどうなっていたかわからない。ぎりぎりの状況で辛うじて開国したんですね。歴史というのは怖いという感じが致します。まあ、それにしても気合いが滅多に入らなかったので4年ほどかかりました(笑)。

堀:今年のG1サミットには茂木健一郎さんもいらしていたのですが、茂木さんは「脳が面倒くさいと思うことをしつこくやり続けることだ」とおっしゃっていました。それで能力が高められというお話だったのですが、宮内さんのお話とも大変符合する気がします。そんなふうにして常に勉強を続けるということですね。辞書も毎日引いていらっしゃるということで、本当に敬服する次第ですが、とにかくそういった努力を続けることが不可欠なんですね。

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