キャンペーン終了まで

割引情報をチェック!

加藤嘉一氏×近藤誠一氏×四方敬之氏×土屋聡氏「日本の発信力〜危機管理力としてのコミュニケーション戦略〜」

投稿日:2012/03/16更新日:2019/04/09

有事にも目的、意図、戦略のある発信ができるかが問われている(田中)

田中慎一氏(以下、敬称略):皆さん、おはようございます(会場挨拶)。もう少し元気良く声を出していただいたほうが良いですね。発信力のセッションですからまずは皆さんの発声力から(会場笑)。皆さん、おはようございます(会場挨拶)。はい、それではスタートしましょう。

本セッションは発信力がテーマになります。それぞれの分野で素晴らしい活躍をされているパネリストにお集まりいただきました。ただし、今日は壇上からプレゼンテーションをしてから質疑応答に入るというだけの形ではなく、より参加型の形式で進めていきたく考えています。

本会場にお集まりいただいた皆さんは、なんらかの形で発信力というものにご興味がある方々と思います。ですから今日は、まず皆さんのほうから発信していただきましょう。たとえば(会場を見渡して)…、浜田(吉司・マスヤグループ本社代表取締役社長)さん、今回のテーマに関連して日頃から感じていらっしゃる課題、あるいは本セッションへの期待など、何かありますでしょうか

浜田吉司氏:今回のG1サミットでは「日本が危機的状況にあるからこそ、積極的に日本の良さを発信していこう」といったトーンを強く感じています。ですから今日はその辺をご一緒に考えていきたいと思っています。

田中:ありがとうございます。「日本の良さを発信していこう」と。そういえばコミュニケーションに関して日本人というのはどこか自己否定的な部分があります。今日の早朝、壇上の5人でセッションに向けた打ち合わせを行ったのですが、そこでもやはり「日本は少し自己否定的じゃないかな」といったご指摘がありましたね。これについて「コミュニケーション音痴なのでは?」といった指摘もこれまでは随分なされてきました。しかし私たちとしては「実際はそうじゃないんだよ」と。打ち合わせでは、むしろ日本人として持っているコミュニケーション能力を正しく認識すべきではないかといった見方もありました。今日はそういった部分についても議論出来るセッションになれば良いと思います。(会場を見渡して)田久保(善彦・グロービス経営大学院副研究科長)さんはいかがでしょう。何を期待されますか?

田久保善彦氏:今のご指摘と近いかもしれませんが、個人的には「今ほど日本の力が試されている時代はないな」と思っています。ですから私としてはこの国の力を次世代にきちんと引き継いでいくための、あるいは残していくためのひとつの柱が、きちんとコミュニケーションをして世界に何かを発信することでもあると思っています。今日はぜひそんな視点で勉強させていただければと思っておりました。

田中:ありがとうございます。「日本が試されている」。これは本セッションの大きなテーマです。危機的状況でこそ力が試される。今回の震災で日本は試されている訳です。ではその危機下でどんな発信力をつけていくべきなのか。ここについてぜひ皆さんと議論していきたいと思います。では(会場を見渡して)神保(謙・慶應義塾大学総合政策学部准教授)さんはいかがでしょうか?

神保謙氏:今回のテーマはまさに時期を得ていると感じます。私が期待したいのは世界の人々が日本をゲートウェイにしたとき、何か大きなバリューを得ることが出来るような発信力に関する議論です。中国にせよアジアにせよ、日本を通すことですごく立体的に見えてくるような、そんな発信力ですね。かつては「日本がよく分からない」と言われ、だからその分からない日本をどう説明するかという感じでした。しかしこれからはもう“攻めの発信力”といったアプローチで考えていくべきではないのかなと感じています。

田中:ありがとうございます。「立ち位置をつくる」あるいは「ポジショニングを図る」ということですね。発信力を高めるために、まずこちらから相手に向けてどういったバリューを提供出来るかという考えを持つことも大変重要になります。ですから今日の議論では、「日本が世界に対して提供出来るバリューって何なのだろう」という部分も大きなテーマになってくるかと思います。

本セッションはこのように双方向性で進めたいと思っていますので、会場の皆さんも対話にどんどん参加してください。ただし冒頭で何点か、私のほうから本セッションの方向性について少しお話をさせてください。そのあとパネリストの方々による自己紹介を含めたお話に移りたいと思います。

私からは3点。まず、「発信すること」と「発信力を持つこと」は違うという点を踏まえた議論にしていきましょう。発信は誰にでも出来ます。しかし発信力というのは意図と目的、そして戦略を持って発信する力です。発信を力に変えるため、どんな意図、どんな目的、そしてどんな戦略を立てていくかが重要になります。目的、意図、戦略のない単なる発信はむしろ危険です。自分が発信しているものは、その99%が誤解されるか曲解されるかという、そういう時代に私たちは生きているという認識をするのも重要と言えるのではないでしょうか。

続いて2点目。日本はまさに昨年の3.11で有事の事態となりました。しかし平時か有事かと考えると、現在はすでに365日が有事なんですね。では「有事って何?」というと、これは想定外の事態が発生することです。つまり我々は現在、想定外の状況でも目的と意図、そして戦略のある発信が出来るかどうかを問われているということだと考えています。

これ、平時のときは結構出来るんです。ところが有事というのは想定外ですから、まるっきり違う状況になっている。これはなにも日本の問題だけではないと思います。世界全体があらゆる想定外の事態に直面しています。そのなかでどういった形で発信力を持つかが大切ということですね。

そして3点目。皆さんはリーダーでいらっしゃいますよね。想定外の事態でも組織として発信力を持つためには、リーダーの役割が大変重要になります。リーダー自身の発信力も大切なポイントですね。ただし有事または想定外の環境では、リーダーというのは必ず“素人”になります。想定内であれば自身の経験や知見で対応出来る。しかしそれが一気に想定外になるとどうなるか。リーダーも含め全員が素人になる訳です。ではそのときに、どんなことを心掛けていなければいけないのか。さらに言えば、そのために平時はどういった準備をしていなければいけないのか。

以上のような方向性のなかで、今日はリーダーである皆さんと一緒に考えていきたいと思います。日頃からどんなことを心掛け、準備しなければいけないのか。本セッションのなかからそういった問いに対する答えを何かの形で持ち帰っていただければと思っております。

ではパネリストの皆さんからお話を伺っていきましょう。まずは発信力というものについて考えたとき、3.11ではどんなところに問題があったのか。こちらについて、自己紹介もしていただきつつそれぞれ伺っていきたいと思います。では加藤さんからお願い出来ますでしょうか。特に加藤さんには中国という視点で面白いお話を伺えるのではないかなと思っております。

中国、そして世界が日本に求めているのは「顔」(加藤)

加藤嘉一氏(以下、敬称略):おはようございます。加藤と申します。私は2003年に単身で北京大学に留学しまして、以来8年間、中国で過ごしてきました。私としては発信者としての自覚を持ち、「発信力こそが自分のブランディングだ」という意識を持ってやってきたつもりです。

中国は日本にとってまさに近くて遠い隣人です。イデオロギーも政治体制も価値観も異なる。しかも13.5億人もいて、現地には3万社以上の日本企業が進出し、1500万人の中国人を雇用しています。日本国内でも中国の人を見ない日はないですよね。そういったなかでどのようなコミュニケーションをとっていくのかという問題は、私にとっても大きなテーマでした。ですから今回の「危機管理力としてのコミュニケーション戦略」というタイトルを見たとき、中国というものが非常に大きなケーススタディとして挙げられるのではないかと感じました。

まず3.11についてですが、発生直後に私がとった行動からお話しさせてください。実は3.11のあの日、私は日本にいました。で、震災発生直後から中国でも「これは…、どうしよう」となっていました。自然災害に対する関心は高まっていますから、彼らも何らかの形で報道したかったんです。

それで普段つきあっている中国人のジャーナリストや政府機関関係者をはじめとして、多くの方々が私にコンタクトをとってきました。「加藤さん、我々はどうすべきだろう」と彼らは言うんですね。で、もちろん日本では四方さんがいらっしゃる官邸をはじめ海外にさまざまな発信をしていらした方は多かったと思いますが、私としては「まず彼らに来て貰うしかないな」と思いました。

これまで中国のメディアには自分から現地に赴いて、そのうえで発信していくというシステムや資金がなかったんですね。それ自体も問題ではあったと思いますが、いずれにせよ私としてはそのとき、日本へ来て貰うよう彼らに伝えました。「とにかく日本に赴いて、現地のことをなんでもいいから中国国内で発信してくれと」と言ったんです。それもあって中国の民間メディアはネットやテレビを問わず、かなり大挙して日本にやってきました。

それで彼らも映像や情報を中国国内で発信していった。当時の私はそのコーディネーションをするような形で動いていました。ちなみに中国には中国版Twitterのようなツールもあり、そこで私には当時からフォロワーが100万以上ついていました。ですから私自身もそれを通して中国の大衆というか、政府に向ける意味も含めて情報を発信していました。それが当時の状況です。

あれほどの災害ですから当初は中国国内でも同情の気持ちなどがありました。しかし同情を差し引いても、当時は日本に対するイメージが過去にないほど良くなっていました。中国に8年以上いたなかで、3.11からの2週間は中国人の対日感情が最も良かった時期と言えます。これはやはり日本人の国民性ですね。ああいった状況にも関わらず秩序を保ち、互いを尊重し合っていたと。新宿駅東口でタクシー1台を捕まえるのに何千人も並ぶですとか、そういった光景を見て彼らは非常に感動していたんです。

ただ、そのあと放射能の問題が出てきました。それで日本に来ていた中国人の一部は、留学生も含め引き揚げていきました。それからは日本のイメージも一気に下がっていきました。何故なら我々が自ら発信出来ていなかったからです。

結局のところ、現在、中国だけでなく世界が日本に対して求めているのは「顔」だと思います。もちろん日本の顔は総理大臣ですから、総理がなんらかの形で発信していくことが出来れば一番良いと思います。で、そういった日本の顔に対して、中国を含めた世界が平時あるいは非常時問わず求めているのは2点。ビジョンとポジションです。日本はどういったことがしたくて、それを前提にして国際社会でどういった立ち位置をとっていくのか。

あのときはフランスも同様でしたが、特に中国は原発を強く推進していますから日本に対して非常に関心があった訳です。しかし、そこで日本がどうしていくのかという点は見えなかった。もちろん国内の調整もなかなか出来ていなかった状況だとは思いますが、その発信はやはり滞っていました。そういった面を感じて、私としては非常に残念に思いました。

さまざまなプロダクトの技術力や国民性もあり、現在の日本人は国際社会でもなかなかこう…、嫌われない民族ですよね。どこに行っても印象が良い。気が良くてマナーも良いですから。実際、そういう風に思われていると感じます。ただそれでも我々が考えるべき3.11後の教訓としては、日本がこれから国内で共感し合い、結束し、発信していくことだと私は思っています。共感力、結束力、そして発信力が必要になると。

共感力と結束力については非常に強いものをすでに持っていると思います。たとえば30人31脚ですとか、ああいうのは日本人にしか出来ないんですよ。私はこの前、あれを中国でやってみました。50メートル、5分かかりました(会場笑)。日本だと小学生がもう8秒とか9秒で走るじゃないですか。ですから非常に共感力と結束力はあるんです。ただし、それをどんな風に発信へ繋げていくかという議論が大切であり、官民がそれを一体になって考えていくべきなんです。

そんな風に3.11を通して日本の発信力を考えてみると、私はふたつの教訓があるのではないかと思います。ひとつは日本人として発信力をどう高めていくか。これには“外への発信力”と“内側での発信力”という2種類に分けられると思います。後者は「どのようにして日本に来て貰うか」。私がここ数年進めてきた調査では、日本に来てくれた中国人の99%以上が日本に対するイメージを高めて帰っているんですよ。あの中国人が、です。ですから自らが発信する一方で、日本に来て貰う。東京にでも京都にでも来て貰えたら非常に好感を持ってくれます。それは国際社会で日本のファンが増えることも意味します。そういったことを、今後は戦略的にやっていきませんか。

もうひとつの教訓は5W1Hです。ここでの5W1Hは「誰が(Who)、誰に(Whom)、いつ(When)、どういったプラットフォームで(Where)、どのように発信していくか(How)」ですが、発信するにしてもこれが本当に大切だと今回改めて感じました。そんな基本にたち返りつつ、官民一体となって各々のファクターを整理していく必要があるということを北京でも感じています。以上です。

東日本大震災において風評被害は距離に比例しなかった(田中)

田中:ありがとうございます。特に中国の視点からお話を伺えた訳ですが、今回の3.11では非常に「おもしろい」…、これが表現として適切なのかどうか分かりませんが興味深いことがありました。これはどういうことか。コミュニケーションの原理原則で考えると、通常、風評被害というものは距離と比例するんですよね。遠い国のほうが近い国より風評が酷い。これが原理原則なんです。

ところが今回は違いました。たとえば中国とアメリカを比べてみると、少なくともマスコミ報道を含めたさまざまなアクションを見ている限りでは、基本的にアメリカのほうが中国より落ち着いていたんですね。ドイツなどはかなりヒステリックになっていた部分もありますが、それは距離が遠いからある程度理解出来ます。ところがお隣の中国までその反応だったと。やや過剰だったと感じる面もありますが、いずれにせよ我々は今回、中国にどんな発信をしていかなければいけないかという課題をつきつけられたように感じます。で、それに対しては今まさに加藤さんが仰っていた通り、来ていただくことが重要になると。結局、「百聞は一見にしかず」なんですね。日本に行ったことのある方々の99%以上が日本に対して良いイメージを持ってくれるというお話もありました。

加藤:それは逆に言えば、これまで中国の人々が中国国内で受けてきた教育がいかにプロパガンダや偏見に満ちたものであったかということの裏返しでもあると思うんですよ。実際のところ3.11が起きたあと、中国国内でも良い報道はもちろんありました。ただ、実際に活躍したのは日本国内にいるおよそ70万人の華人だったんです。特に放射能の問題が出てからは、彼らのなかにもやはり帰ってしまった人はいます。「これは危ない」と。一人っ子が多いので両親が色々とうるさいんですね。「帰ってこい帰ってこい」と言われ、集団で引き揚げた人たちもいました。

ただ一方で、「私は日本に来て日本にお世話になっている。こんなときは日本人と一緒に困難を乗り切るんだ」という中国人も数多くいました。もう中国はインターネット社会です。インターネット人口は5億人です。国家全体の人口で5億以上の国というのは世界でも中国とインドだけと思いますが、それほど多くの人々がネット上でやりとりをしている社会なんです。

ですから私も一緒になってやっていたのですが、日本にいる中国人がインターネット上で中国全土に向けて「ちょっと待ってくれ」と。「人民日報の報道、違いますよ」、「CCTV(China Central Television)の放送は偏見に満ちていますよ」と、日々、報道に対するアンチテーゼの声を挙げていました。それもあって中国の人々は「ああ、日本人はこういう生活をしているんだ」となっていった部分があります。「日本人は危機のなかでこんな風に団結するんだ」と、彼らは言っていました。

現在、在日中国人の数は日本にいる外国人のなかで最も多いと思います。ですから旅行者を含め、いかにしてより多くの中国人に日本へ来て貰うかを考える。当然、それが内需拡大にも繋がります。中国の人々はたくさん買い物をしますから。そしてそれが、いわゆる反日感情への対策にもなります。霞ヶ関の方々がやっているような「国民の税金で500人の高校生を呼ぼう」というのも、まあ良いとは思います。しかし一番手っ取り早い解決策は、規制を緩和して中国の人々が日本に来ることが出来る仕組みをつくることだと思います。

そうしたら国民は何もしなくてもいい。いつもの生活を見せたらいいんです。いつものように地下鉄に乗って買い物をする。これが中国の地下鉄になると、もうあちこちで殴り合っていたり、喧嘩していたり、もうそんなのばかりなんです。ですから日本の地下鉄に乗るだけで彼らは皆、感動します。「ああ、これが先進国か」と。それだけで十分だと思います。そんな仕組みを官民一体になってつくりあげ、さらにはそれを国民のマインドセット改革の力に繋げていきましょうと。そういったことが出来たら良いなと私は思っています。

田中:ありがとうございました。では、次に日本のソフトパワーというものを担っておられる近藤さんにお願いしたいと思います。

危機を機会に変える国際コミュニケーションの発想を(近藤)

近藤誠一氏(以下、敬称略):おはようございます。私自身は霞ヶ関に入って以来40年のあいだに、外務省、通産省、そして現在の文化庁と、三つの役所を経験してきました。国際機関でも二つほど事務局に入っております。ある程度は幅のある経験をしてきたので、日本人の良い点と悪い点、あるいは日本政府の良い点と悪い点について、一般的な方々に比べて若干は深く知っているつもりです。

まず、発信力やコミュニケーション能力に関する議論というのは以前からあちこちで行われていますよね。3.11後は特に増えている。しかし私はそこでいつも大きなフラストレーションを感じていました。それは、「こんな話は40年前にもやってたよね。でも何も出来ていないじゃないか」というものです。結局のところ、毎回「そうだそうだ、そういう風にすべきだね」で終わってしまっている。40年間、実行がなされていないんです。実際に今回のお招きを受けたときも「ああ、またか」と思いました。ですから今日は冒頭でぜひ申しあげたいことがあります。それは、もし来年同じテーマでセッションをやるときは、それぞれが「俺はこれをやった」と言えるようにしたい。それが最初に申しあげたいことです。

そのうえで3.11後を考えてみたいのですが、結局、何が問題だったのか。これはもう危機感に裏付けられたコミュニケーション能力の欠如だと思います。日本人が元々持っていた弱点でもありますが、これが露呈してしまった。(脳科学者の)茂木(健一郎)さんが知性のセッションで仰っていたこととも関係すると思います。対話において常に自分を正しく理解して貰おうという発想、あるいは理解して貰うために色々な努力を率先して行なっていこうという発想が、日本人には非常に乏しいんですね。そこには島国であった歴史等、さまざまな背景があるとは思いますが。

3.11が起きたとき、私は森ビルの49階にいました。そこで真っ先に頭をよぎったのは「平泉の中尊寺は大丈夫かな」ということです。で、次に思ったのが、「この危機をチャンスと捉えて日本の良いイメージを打ち出すような発想を、日本の誰かがするのか?」ということでした。「総理はするかな? 外務報道官はするかな?」。しかし恐らくは受け身になり、「いや大丈夫、大丈夫」とディフェンシブになるだけで終わる。そして結局はマイナスのイメージを深めることになるだろうと思いました。

危機にあたって「これぞチャンスだ」と、発想を転換出来る日本人が少ないですよね。そういった発想力を養うために大切なのは普段のコミュニケーションです。普段から危機感を持ち、どのようにコミュニケートしていくかを考え続けなければいけない。それをしていないから、危機が来たときに「あ、これで世界が注目する。じゃあこの際、これを利用しよう」なんていう発想にならなかったんですよね。これは政府のなかにいた私自身に向けた自己批判でもありますが、残念ながら「ああ、やっぱり危機をチャンスに出来なかったな」というのが、私にとっては最大のショックでした。

私としては先ほど加藤さんが仰っていた5W1Hのうち、とりわけ3つの要素が重要になると思っています。まず何を伝えるか(What)。日本人はなんとなくお互い仲良く優しくしていて、「自分の価値観はこれだ」とか「自分のプリンシプルはこれだ」といったものを出さない。何かあるのですが、それを言葉に出来ていないんです。だからいざ発信しようとなった段階でうまく言えず、その結果、なんだか日本人はよく分からないということになってしまう。これは結論になってしまいますが、大切なのは普段から対話をしてこの能力を磨くことだと思います。自分の考えを聞かれて困る経験が重なれば、自分たちを言語で表現しようとする習慣がつくと思いますので。

そして2点目が‘How’。そもそもコミュニケーションには言葉、つまり論理によるコミュニケーションと、感性でやりとりするコミュニケーションの2種類があると私は考えています。で、日本人は感性、要するに右脳を使った対話が元来は得意で、言語コミュニケーションがあまり得意ではありません。これには恐らく気候風土も関係しているのでしょう。論理的に説明しろと言われても上手く言えない。ところがたとえば以心伝心ですとか、感性で伝えるような領域は素晴らしい訳です。

日本語自体、たとえば雨の様子ひとつとっても、“ざあざあ”、“ぽとぽと”、“しとしと”…、そんな風に感覚で表現するような語彙は豊富です。しかし科学的に論理立てて説明する領域は弱い。それが日本人の特徴でもあると思います。ですから感性を生かす部分は良い部分としてフル活用しつつ、あとは論理的に対話する領域の能力をいかに補うか。そういう努力が大事になると思います。

先ほど加藤さんが仰っていた「日本に来て貰う」というのが良いのは、来て貰えたら我々が言葉で説明しなくても伝わるからです。京都に2週間いたら「素晴らしいなあ」と感じてくれます。日本人の得意な感性の領域から生まれたものが満ち満ちている場所で、“感じとって”貰う。これは日本人のソフトパワーであり、人を呼ぶことの意義はそこにあると思います。

それからもうひとつ。これが一番大事な部分です。特に論理で説明する段階で大事な点は、誰に対してという‘Whom’に関連して、「相手がどんな認識や理解を持っているか」になってくると私は思っています。相手がどんな受け皿を持っているのか。そこをわきまえなければいけない。言ったことは絶対にそのまま伝わりません。相手にだって固定観念というものがありますから。

誰にも当然、「日本人とはこういうものだ」、「日本はこういう国だ」という固定観念があります。そして、通常人間の脳というものは自身のパーセプションに合ったものは受け入れるが、異なるものは排除しているのだろうと思います。マスコミも同じですよね。「視聴者はきっと“政府が言っていることは信用ならない”といった視点の報道を望んでいるだろう」という固定観念がある。そうなると、そんなパーセプションに見合うニュースしか流さなくなる。そのほうが観てもらえるからです。

個々の人間も同じです。「アメリカ人ってのはこうだ」、「イスラム教徒ってのはこうだ」という思い込みがある。そして思い込みに合った考えを受け入れて、「ほら、やっぱり」と納得してしまう。当然、合わないものは「何かがおかしいんだ」と自動的に排除する。受け手がそのような状態であることを発信する側が理解しないといけないんです。相手が日本のことをどう思っているのか、日本人をどのように思っているのか、彼らがどんな思考回路なのか。そこを把握したうえで、どのように伝えていけば良いのかが大切になります。相手の、少しねじ曲がった日本観を「どのように利用してやろうか」という、そのぐらいの発想でなくてはいけないと思います。

さらにこの考え方を、英語という言語にも当てはめながら考えていかなければいけない。当然ながら国際語ですから不可欠な言語ですが、英語の思考回路と日本語の思考回路はまったく違います。日本語で考えたものをそのまま横文字にしていくだけでは駄目なんです。日本で起こっていることを英語の発想で理解して、それを説明すること。翻訳ではなく実体を、まずは英語で把握して英語で説明するという作業をしなければいけない。

日本人にそれがすぐ出来ないのであれば外国人を使ってもいいと思います。英語ネイティブの人に「こういう状況だ」と説明する。それを聞いた彼らが彼ら自身の論理で説明すれば英語圏の方々にも分かりやすくなると思います。英語の思考回路を持っている人に通じやすくなるんですね。この3点目は本当に重要です。相手が中立ではなく、白紙の状態でもなく、元々固定観念があるのだという事実を日本人は無視して、ただ「言いたいことを言えばいい」と考えてしまう。

ここで先ほど触れた対話の話に一度戻りますが、対話の習慣がつけば、色々と議論をしていても「あ、相手はこんなことを考えていたんだ」となります。「俺のことをこういう風に誤解しているんじゃないか?」となる。で、それなら別の言い方にしてみようと考える。そういった作業が日常的に行われていくことで、日本人のコミュニケーション能力は飛躍的に高まると思います。

今は感性に頼っているから駄目なんです。理屈も使って相手の受け皿に合った言い方をしなければいけない。どら焼きを食べたいという人間にいくらショートケーキを持っていっても食べて貰えないですよね? そこはどら焼きを持っていかないといけないんです。相手が何を食べたいかという“ハンガー”の部分を理解する必要があるという意味です。それが出来ないという弱点は、島国でおっとり育ってきた日本人の危機感欠如とも繋がっていると思います。今回露呈したのは、そういった危機感のなさに誘発されたコミュニケーション能力の欠如だと私は思っています。そういったことを私は昨年の3.11で、「またか」という気持ちで感じていました。

日本の言語には感性の鋭さや精神性が投影されている(近藤)

田中:ありがとうございます。私たちは朝の打ち合わせで「今日はやっぱり何らかの形でアクションを決めて進めていこう」といった話もしていました。今近藤さんが仰っていたような「またか」にはせず、「次のG1サミットではこうだというのを5人でやろう」と。そんな話をしていた次第です。

近藤さんのほうからは、コミュニケーションの視点で大変示唆に富んだお話を3点ほどいただけたのかなと思います。一つ目は「危機をチャンスに」という視点ですね。かれこれ25年以上にわたり、特に企業を対象にクライシスコミュニケーションをアドバイスしてきた私自身これは強く感じていることです。危機が起きたときこそ「災い転じて福と成す」の発想が不可欠になってくるということですね。

二つ目は対話のなかで相手にメッセージを出すというお話でした。どうも日本人は発信するというと、プレゼンテーションをするとかCMを打つとか、どうもこう…、一方的な発信を想像してしまいがちだと思います。しかしグローバルな環境においては対話のなかでどのようにメッセージを伝え、そして相手を納得させるかが重要になってくる訳です。

それから三つ目。これは日本の大きな強みになると考えるべきですね。日本人の右脳的なコミュニケーション能力。これは今後、世界で求められていくと思います。コミュニケーションの原理原則で考えると言語メッセージで伝わるのは全体の35%と言われていて、残り65%は非言語コミュニケーションで伝わるんですね。日本人はその65%が強い。そういう視点で考えると日本人の持つ右脳的なコミュニケーション力をしっかり把握していくことも欠かせない視点ではないかと感じます。

一点、近藤さんにお伺いしたい点があります。朝の打ち合わせでも出てきたお話ですが、言語ごとの特性をどう捉えていけばいいでしょうか。実は言語というのは思考回路そのものを投影しえちると思うんですね。日本語の思考回路と、たとえば英語の思考回路を比べたとき、どこで日本人の強みを生かすことが出来るものなのか。ぜひお伺いしたいと思いました。

近藤:最近目にしたのですが、ある新聞記事で日本語の構造に関する研究が紹介されていました。日本語は基本的にSOV(Subject_Object_Verb)型ですが、英語や中国語はSVO(Subject_Verb_Object)型です。主語があり動詞があって、そのあとに目的語が来る。日本語は主語、目的語、動詞の順です。人間が言語を使いはじめた初期の段階では恐らく日本語的な構造だったのではないかと記事には書いてありました。それがいつのまにか英語や中国語のようなSVO型に変わったようだと。推測に過ぎないと思いますが、私はこれにすごく興味を持ちました。「何故、いつ、どういった理由で変わったんだろう」と。そして、どうして日本語と…、あとは恐らく韓国語ぐらいでしょうが、これらの言語に初期の構造が残ったのか。仮に強い発信力を持っていたので、多くの言語がSVO型のほうに変わっていったということであれば、やはり日本語は構造的にアピール力の点で弱いのかもしれません。

また、普段から理詰めの対話をしないという特徴も日本人にはありますよね。日本人はあまりにも理屈っぽい話になると嫌がります。「あの人ちょっと合理的過ぎるよね」と、否定的になる。日本人には良くも悪くも不条理、あるいは曖昧さを受け入れるようなところがあると思います。なかなか論理では説明出来ない感覚というか、感性で処理している部分がある。人情や義理の相克に悩みつつ、「このコンフリクトが大変だ。でもそれが人生だよね」で終わらせてしまう。人間は複雑ですから感じること自体はアメリカを含めてどこの国でも同じだと思うのですが、その処理の仕方が違う。

ですから答えになっているかどうか分かりませんが、日本語の特性という点で考えても、英語のように理屈で説得する部分はあまり強くない。そのかわり感性に関わること、あるいは人生における襞のような部分を色々と表現する力は強いかもしれません。自然現象を説明するとき、たとえば「赤」という色の領域だけでおよそ30以上の呼び名があるような、そういう言語だということを理解しておくことは大事だと思います。

現在、私は外国の若いアーティストを日本に招いて住んで貰うことを推進しています。アーティスト・イン・レジデンスというのがたくさんありますよね。そこに文化庁としてサポートしているんです。才能を持った若い人にたくさん来ていただき、今お話ししたような日本の感性を理解して貰う。「日本には赤だけで30以上もの呼び名があるんだ」と言えば、彼らはそれだけでも驚く。そういった感性の鋭さや精神性を、日本語を勉強していくに従って「すごいんだな」と分かってくれるようになる。

ただ、クライシスが起きたときは別です。普段はソフトパワーを発揮しつつも危機が起きたら、これはもう理屈で進めるしかありません。ですから、いずれにしても言語コミュニケーション能力のスキルはこれから上げていかなければいけないということです。それと併せて、日本人の特徴である感性による訴えも普段から蓄積しておかなければならない。そういうことだと思います。

田中:ありがとうございます。平時のときにしっかりと詰めておいたものがクライシスのときにものを言うということですね。ちなみに欧米や中国の言語がSVOで日本と韓国の言語はどちらかというとSOVというお話。これ、前者から後者に入るのはなかなか難しいものですが、「後者から前者に入るのは出来るよね」といったお話も先ほど5人でしておりました。ですから日本人の持つ思考回路を保ちながら、逆に相手方の思考回路…、たとえば英語側ですね、そういうものを身に付けると日本人は結構強いのではないかと思います。では続きまして、まさに3.11では政府からの発信を担っていらした四方さん。よろしくお願い致します。

首相官邸の海外広報を強化しつつあったことが奏功した(四方)

四方敬之氏(以下、敬称略):おはようございます。私自身がこういった対外発信や国際コミュニケーションを最初に意識したのは高校の頃です。京都で普通の公立高校に通っていたのですが、そこで英語の先生が英語を喋ることが出来なかったんです。たとえば修学旅行でフェリーか何かに乗っていたとき、「先生、外人いますよ」とその先生に言ったら「え? 僕は…、いいから」って(会場笑)。

私自身は高校3年のときにAFS(American Field Service)というプログラムでアメリカに留学しています。ただ、最初の3カ月は授業で何が起きているかも分かりませんでした。高校にはコミュニケーションという科目があり、そこではさんざんディベートが行われていたんです。当時はちょうどレーガン対カーターによる大統領選の時期でした。それでレーガンまたは共和党陣営、そしてカーターまたは民主党陣営に分かれて激論していた。私が行った学校だけでなく、アメリカの高校ではあちこちでそんなことを日常的に行なっている。私はそこにすごく強い印象を受けました。

大学は日本で進みましたが学生時代は英語のディベートばかりやっていましたね。外務省や外交官を選んだのも国際的なコミュニケーションに従事したいという気持ちがあったからです。それでまたアメリカの大学院に留学して、結果的に初めて就いた大使館のポストは在米日本大使館のプレスオフィサーでした。

プレスアタッシェやプレスオフィサーといった職業は、国際的には大変重要でかつプロフェッションとして確立されています。しかし日本ではほとんど認知されていない仕事なんですね。私がプレスオフィサーだった当時は日米経済摩擦や湾岸戦争の問題もあり、‘too little, too late’ですとか、とにかく色々と言われました。アメリカのメディアは叩くとなったらばんばん叩きます。そこでこちらも反論しなければいけない。先ほどディベートの話を致しましたが、やはりカウンター・アーギュメントというか、自己主張しなければその非を認めていることになると捉える文化があって、私自身もそれを肌で感じていました。

当然、「こう言われたらこう返す」ですとか、さまざまなメディアトレーニングも行いました。彼らはがんがん言ってきますが、それをいかに反論していくか。トランジション・センテンスを置いたりブリッジを置いたりして、いかに自分の言いたいことを伝えるか。そういうゲームなんです。大統領選を見ていただければ分かるように、アメリカではそのゲームを皆でやっているんですね。

私自身はそのあと外務省に務めていたのですが、1年半少し前の夏、昨日のセッションにビデオ出演されていた古川(元久・衆議院議員 内閣府特命担当大臣 経済財政政策・科学技術政策担当)官房副長官から「官邸に国際広報室をつくりたい」というお話をいただき、それで副広報官という国際広報担当・海外メディア担当のポストにつきました。当時の官邸はどうなっていたかというと、アシスタントがひとりいるだけの状態でした。それで官邸の国際広報は二人でやりますと言われて「え!?」と思ったのですが、とにかくそこからきちんと体制をつくらなければいけないと。

そこで本会場にもいらっしゃる加治(慶光・内閣総理大臣官邸 国際広報室 参事官[国際広報・IT広報担当])さんという、民間におけるPRの専門ノウハウを持った方にも入っていただきました。3.11が起きたのは、実はちょうどその体制を「強化しなくてはいけないね」と議論していた時期だったんです。政府全体で対外発信能力を高めるために何をするべきかと。そうしていたら3.11が起きたのですが、当時は6〜7名の体制でした。

それで私自身も何をやるべきかと考えたとき、「とにかくこの体制であっても出来ることはすべてやろう」と。既存メディアを併せて、ソーシャルメディアも活用していこうという話になりました。実は、その前から加治さんのほうで「FacebookやTwitterがもっと活用出来るのではないか」という提案が出ていまして、下準備はしていたんです。それが少しあったおかげで3.11直後にゼロから出発という形にはなりませんでした。

近年のメディアあるいは国際広報環境において、瞬時に、そしてグローバルに情報が駆け巡るソーシャルメディアは非常に大きな役割を果たしています。しかし、これは同時に風評被害も一瞬で駆け巡る環境でもある訳ですね。ですから本当ならば24時間オペレーションで風評被害の拡大などを防ぐ必要があります。そのときに…、これはジレンマにもなるのですが、透明性とアカウンタビリティが大変重要になる。昨年のクライシスで、たとえば欧米のメディアから数多くのインタビュー依頼がありました。「基本的は英語で行いたい」ということなので、私自身は3月だけでも60本ほどCNNやBBCのインタビューを受けていました。1日10本前後こなしたこともあります。

そこでもうAnderson Cooperさんなんてがんがんに叩いてくる訳です。アメリカの認識と日本の認識は違うと。「お前は嘘をついてるのか?」と言うんですね。そんなバトルのなかに置かれました。そこでは先ほど田中さんが仰っていた戦略的広報というか、「こちらが出したいメッセージを出せるのか」という課題はたしかにあります。ただそれと同時に「日本はこういうとき、逃げずに説明する用意がある」という態度を明確に維持することも大変重要です。それをやらないと「何か隠しているな」と受け取られますから。あらゆる手段を使い説明努力を続ける必要があると思います。

3.11の教訓ですが、私自身はこの問題は政府だけの話ではないと考えています。東京電力という民間企業もその一部であった訳ですが、学者、政治家、マスコミ、そして日本の社会すべてが重要な課題を突きつけられているのではないかと思います。グローバルな社会のなかで危機が起こったとき、少なくとも英語で、出来れば中国語を含めた多言語で対外的に説明する。そこで対話出来る能力がないと、国際社会では生き残っていけないのではないかということです。

そういう観点もあって、私自身としては中長期的なことを考えたうえで日本の教育制度が最も重要になってくると考えています。中長期的にかつ戦略的に人材育成を行なって、どの組織にもインターナショナル・プレスオフィサーやインターナショナル・スポークスパーソンがいるという、そういう組織を構築していく努力が欠かせなくなるのではないでしょうか。

戦略PRを熟知した人材育成と登用が必要(田中)

田中:ありがとうございます。いくつか良いポイントを提示していただきました。まず官邸で仕事をはじめられたときは2人しかいなかったけれども、少なくとも3.11の段階では6〜7人になっていたということですよね。2人のままであればもっと大変な状況になっていたと思いますから、早い段階から海外広報を首相官邸で強化していたのは評価出来る点ではないかなと思います。

ただ、それでも6〜7人であったと。たとえばホワイトハウスと首相官邸を比べてみると、前者の現オバマ政権にはコミュニケーション担当がおよそ200人もいるんですね。ブッシュ政権では100人、クリントン政権では45人ぐらいだったと思います。ブッシュ政権時代と比べて何故100人も増えたかというと、そこにはソーシャルメディアの存在があります。とにかく発信力という点で考えてみると、もう6〜7対200の世界なんです。ですからその辺も考えなければいけないと思います。

もうひとつ。四方さんが重要なポイントとして仰っていたのは「人材が…」ということですよね。実際のところ、現状で人材が本当にいるのかというのも重要だと思います。たとえば先ほどアメリカ大統領選挙のキャンペーンに触れていらっしゃいました。ではアメリカの場合、そういったコミュニケーション担当の人材がどこから生まれてくるか。

元々アメリカというのは戦争もしていますし、色々とコミュニケーションの最前線にいる人たちがいる訳です。一番重要なのはやはり大統領選挙ですね。今年もありますが、大統領選挙のたびに新しいコミュニケーションの技術や発想、さらには人材が育成されていきます。何故なら選挙というのはある種の戦争ですから。コミュニケーション戦争のようなものです。ですからある意味で想定外の事態にどう対応していくかの訓練が出来ている。そしてそんな人材がホワイトハウスや民間企業に移って、アメリカ全体でコミュニケーション力の人材層を形成している訳です。

ですから日本でも今後、同様の人材をつくっていくことが大変重要になるのではないかなと思います。そのあたり、四方さんとしてはいかがでしょう。教育が重要とのご指摘もありました。もちろん中長期的で大きな視点からの育成は不可欠です。ただ、たとえば「今出来ること」として何か四方さんのお考えがあれば、そちらのほうもお伺いしたいと思っております。いかがでしょうか。

四方:知性のセッションで茂木先生が仰っていた件について私もひとつ。少しバイアスがかかっているかもしれませんが、私としてはやはり英語で対外的に発信をする、あるいは国際的なネットワークに完全に入っているといった状況をつくる必要があると思っています。

そのためにも日本の教育制度を…、別にアメリカだけに合わせる必要はないと思いますが、たとえば別セッションでお話がありましたようにTOEFL、SAT、エッセイ、そして面接を導入する。日本で秋入学に移行する12大学はアドミッションズ・オフィス入試で定員の3割をとる。たとえばそのような対策をとっていくと何が起きるか。日本人の英語力が税金を使わなくても上がります。コミュニケーション能力も上がる。アイビー・リーグをはじめとした世界的な大学にもどんどん入っていけるようになるでしょう。

日本の高校生のレベル、低くないと私は思っているんですね。現状でTOFEL、ましてやSATはさらに出来ていませんが、それでも彼らに最低1年あるいは2年、今申しあげたようなきちんとしたシステムで教育を施せば日本の優秀な学生は国際社会に羽ばたいていけると思います。

田中:ありがとうございます。(近藤氏挙手)あ、近藤さんどうぞ。

近藤:ホワイトハウスの話が出ましたのでひとこと。私もワシントンで広報担当だった時期があります。ホワイトハウスを中心とするアメリカ政府のメディア戦略や戦術の上手さを、嫌というほど思い知らされて、本当に悔しい思いをしました。その思いに基づいて本も一冊書きましたが(笑)。

当時はMike McCurryという報道官がいて、彼とは時々会っていました。で、彼によると大統領は毎朝、仕事をはじめる前に最低1時間、その日のThe New York TimesやCNNの報道ぶりをすべてブリーフして貰っていたんです。そこにはコミュニケーション・ディレクターというのがいて「大統領、今日はこういうことを言ってください」と言うんです。「恐らくこういう風に攻められるから、こういう風に躱して、逆にこんな風に攻めてください」と、毎朝やるんです。それが大統領にとって最も重要な仕事のひとつだったと言うんです。

何故かというと、田中さんが仰ったように毎日がキャンペーンだからです。毎日が勝負なんです。そういう発想、日本の官邸には恐らくないのではないでしょうか。「自分たちを選ぶのは日本人だから日本のプレスだけ相手にしていれば良い」と考えてしまう。グローバルなメディアではたまたま英語が国際語になっていますから、英語国は結果的に大変な強みになっています。ただ、とにかくアメリカでは毎日、大統領がそこまでやっている。朝起きたらまずその日の…‘Today's Line’と言っていたかな、その日のメッセージを決めていく。さらに「こういう風に言ってください。こういった言葉が適切です」と助言までしているんです。日本にはその発想すらないですよね。

もう一点。国際広報のセクションが出来たことは良いのですが、その観点で言うとそもそも国際広報と国内広報を分けること自体もどうなのかなと。広報は広報なんです。究極的に言えば広報セクションなんて本当はないほうが良いんですよね。何かを説明するにしてもサブをやるひとりひとりが広報マインドを持って説明すればいい。ですから広報課本来の目的は、広報課を無くすことではないかと。なくて済むようにすることだとも思っています。

加藤:私も一点。1億総発信者という状態に向けてひとつ、具体的にノーコスト・ハイリターンの案を提案させてください。教育という観点で言えばこれは長期的なイシューです。だから自己主張あるいは自己プレゼン能力を鍛えるという意味で、これはもう小学生まで対象とした提案です。

これは義務にしても良いと思うのですが、具体的には小学校1年生のときから「1分間プレゼン」をさせるんです。大切なのは自己紹介です。とにかく国際社会は日本に対して自己紹介をして欲しいと言っています。ですから1分間で、名前、出身、やりたいこと、やろうと思っていること、壁にぶち当たっていること、そういったことを自分自身で紹介させていく。「だからあなたと、こういったコミュニケーションを取りたい」と、そういうことを1分間でプレゼンさせるというのを小学校1年時からさせていきます。大事なのは中身と語学ですから、まずは日本語でやらせます。

で、日本は中学から英語教育をはじめますよね。その3年間はまだ日本語というか、インターバルがあっても良いと思いますが、高校生からは英語で同様の自己紹介をさせていきます。それをホームルームの時間にローテーションで行っていく。1分間のプレゼンと言っても、日々アップデートしていくものじゃないですか。それはまさに自己のアイデンティティを確立するという意味でも重要な作業になると私は思っています。

これ、ノーコストで出来ます。ホームルームで漢字テストをやらせるぐらいならプレゼンをさせたほうがいいです。私なんて漢字0点で中国に行きました(会場笑)。いいんですよそんなの。とにかくホームルームでローテーションにする。1日5人でいいんです。全員毎日ではなくて1日5人でいい。それを皆で聞くんですよ。同時にコミュニケーションをとる。ノーコストです。税金、いらないです。小学校6年と中学校3年は日本語で、そして高校3年は英語で続けたら、12年後には変わりますよ。ぜひやりましょう。「やりませんか?」じゃなくて、やりましょう。

近藤:大賛成です。コミュニケーションやディベートのクラスだけで実施するのではなく、英語でも算数でも体育でも、何をやるときもそこで自分の意見を主張させていく。そうすれば日常的に染み渡っていきます。

田中:英語に限らずということですね。

近藤:家庭でも職場でも学校のどのクラスでも、とにかく自分の意見を主張させるんです。主張というか対話をさせて、そのなかで自分を表現していく。そうすることで定着していくと思います。

アメリカの危機管理は‘Plan for the Worst, Hope for the Best.’(田村)

田中:ではここで会場にお話を振ってみたいと思います。今回の3.11で民間の立場から政府の発信に携わっていかれた田坂(広志・多摩大学大学院教授 内閣官房参与)さんにお伺いしたいと思っております。私どもからすると今回の対応で3点ほど、「あまり見えなかったかな」と感じたことがありました。1点目は日本政府が本当に最悪のシナリオを想定していたのかという点。たとえば避難区域も3km、5km、10km、そして20kmと、段階的に広がっていきました。しかしアメリカは対照的に最初から80kmとしていた訳です。

2点目として、やはり危機の際はリーダーシップを可視化する必要があると思うのですが、当時はどちらかというと枝野さんのほうが前に出ていた気がします。これは印象ですが。そちらについてご見解をお聞かせください。そして最後は「果たして仕組みがあったのかな」という点です。少し見えなかった気もしています。そのあたりを踏まえ、少しお話をいただけたらと思っております。

田坂広志氏:せっかく機会をいただいたので、私も何か当時の官邸の動きについて出来る限り申しあげるべきだと思うのですが、多少は守秘義務的なものありますのでそのなかでお話し致します。端的に申しあげれば、もうこれは多くの方がお気付きのように日本はリスクマネジメントの基本がまったく出来ていなかったと考えています。

私もアメリカの国立研究所でリスクに関する研究などを多少やっていました。ですからその経験から常識として申しあげますと、危機において最初に考えるべきことは最悪の事態です。それは悲観的になるですとか、パニックになるといったことではもちろんありません。最悪のケースとしてどこまで行く可能性があるのかを冷静に見極め、そこから手を打っていくという話ですね。

振り返ってみますと福島の事故直後にアメリカが80km圏外へ一気に退避したと耳にしたとき、官邸に入る前だった私自身も一瞬だけ「ややオーバーアクションかな」と、実は感じました。ところが、最近はオープンになっているのでお話ししても良いかと思いますが、首都圏まで放射能被害が及ぶ可能性があったと。昨年3月25日付でそのようなメモがあったことを原子力委員会が昨年末に公表しています。そこまでの自体が起こり得る状況だったのだと、私自身は3月29日、官邸に入ってから知りました。そのときにアメリカの措置はやはり…、彼らは元々リスクマネジメントがしっかりしていますから強く疑っていた訳ではなかったのですが、やはり80kmというのはしかるべき判断で出してきたのだなと感じました。

さらに国務省東アジア・太平洋局の元日本部長だったKevin Maher氏は、当時80kmという距離を出したとき、米政府内でさらに強い意見があったということも言っています。「80kmでもまだ甘い」と。首都圏のアメリカ人9万人にも避難勧告をすべきではないかとの議論があったようです。

これも公表されていますが、それに対しては「やはりそうするべきではない」という意見があったと言うんですね。そのエスティメーション自体の是非ではなく、「パニックが起こる」と。アメリカ人9万人だけが避難するというのは現実に不可能な訳です。会場の皆さまもアメリカ人のご友人はたくさんいらっしゃると思いますが、そこでもし彼らのみ避難するという情報がもし流れたら、それは自然に必然的に、首都圏にいるすべての人々に対するメッセージになってしまう。ですから「首都圏の避難勧告はすべきではない」という判断をしたとのことです。この辺にアメリカのリスクマネジメントに関する考え方が象徴的に表れていると思います。この問題は日本の政府にとっても同じような意味で難しい判断であったと思います。

整理して申しあげますが、最初にすべきことは「最悪の場合どこまでいきうるか」を考えながらありとあらゆる手を打つことに尽きる訳です。そのうえで国民とのコミュニケーショを図っていくのですが、これが非常に難しい部分ですね。四方さんや加治さんを筆頭に広報の方々も大変ご苦労されたと思います。どの段階でどの情報を出すか。一般論で言えば国民は知る権利がありますからどんな可能性も発表すべきだと思うかもしれません。ただ、それほど簡単ではないと。まだ内容事態が確認されていない不確実な情報をどうするのか。あるいは現時点よりもさらに何段階か進んだ先で起こり得る最悪の事態を今語るべきなのか。これらは本当に難しい問題です。

先ほどの「首都圏まで影響が及ぶ」という話も、正確に申しあげますと「それぞれの局面ですべてワーストケースが続いた場合、そこまでいきうる」という意味です。ですからあの段階で必ずしもそれを簡単に公表すべきだったとは、私個人は思っておりません。もちろん準備は色々な意味でしておくべきです。ここから先は少々守秘義務の関係があるので具体的には申しあげられませんが、実際に技術的な対策は考え尽くしました。私自身、官邸に入ってからありとあらゆるエンジニアリング手法を検討しています。あくまでも単なる比喩として申しあげれば、チェルノブイリで最後に行われた石棺方式ですね。あのあたりの事態にまで準備はしています。ただし危機の状況下ですから、それが絶対に機能するのかと正面きって訊かれたら「ベストは尽くしたけれども最後は分からない部分もある」となります。ただ、とにかくそれほどの段階まで詰めておりました。

最初の質問に即して申しあげれば、リスクの環境下で官僚機構の方々はどのように考えていたか。彼らは大変優秀ですし、私としては人間的にも好きな方がたくさんいらっしゃいます。ただ、組織全体の‘way of thinking’としては最悪を考えるより、「いや、どのあたりが起こってるんだ?」という‘most probable’なケースを考えてしまう。本当に考えるべきはワーストケースなのですが。

私はよく申しあげるのですが、とにかくワーストケースを考えてベストの手を尽くそうとするとき、それにかかった費用が仮に後々空振りとなるにしても、それは最初から許容すべきだと考えております。「そこまでやる必要はないんじゃないのか?」というほどの手を打つ。そのコストについては最初から腹を決めておくべきというのが、私が官邸に入り最初の行った提言のひとつです。しかし実際には皆が「いや事態や情報が分からない。何が起こっているんだろう。恐らくこんなことじゃないか? 云々」と、リスク下の判断が大変遅くなっていたようには私には思えます。

そこには統一的な基準もありませんでした。さらにはメディアとの関係で言えば、信頼関係がやはり成り立っていなかった訳ですね。信頼関係が成り立っていなかったのは、元々このようなリスク環境下でメディアとコミュンケーションした経験がそれ程なかったからでもあります。基本的に戦争もなかったですし。そこで今回のような状況になると、メディアでは何か隠しているのではないか、捏造しているのではないか、あるいは歪めているのではないかという誤解が生まれる訳です。

官邸に入ってからは少なくとも私から見る限り、なんらかの捏造や歪曲が意図的に行われたとはまったく感じませんでした。ただ、そう思われて仕方のないコミュニケーションはあった。たとえば原子力安全委員会、保安院、そして東京電力と、それぞれの部門から別々のメッセージがメディアに流れていたりした訳です。誰にも悪意はないものの、それらを並べてみるとどうも時間にズレがあったり、解釈にも違いがあったりすると。「それなら政府はどう考えているんだ」という疑問も広がります。私もそれを感じたので、4月になってから「統一した合同記者会見をなさるべきだ」と細野(豪志・衆議院議員 環境大臣 原子力行政担当大臣)さん、そして当時の菅総理にも提言致しました。それで4月後半に合同記者会見がはじまった。これはひとつの小さな努力です。

メディアとの関係で言えば、これから重要となるのは「情報をどこまで伝えるか」。そして伝えたそれら情報を、メディア側でもひとつの基準を踏まえたうえで「どのように国民へ伝えるか」。この辺について、やはりきちんとしたルールをお互いにつくっておくべきだと感じます。このあたり、私が官邸での経験から今回学んだことになります。

田中:ありがとうございます。やはりクライシスが起きると誰かが加害者のようになってしまうんですね。周りが加害者として見る。いわゆる思い込みが発生するので、その対応が非常に難しいというのは間違いなくあると思います。で、時間のほうがですね(笑)、本当はもっと議論をしたいのですが、ここで皆さまのほうからご質問を募りたいと(田村耕太郎・ランド研究所研究員 前参議院議員挙手)、あ、どうぞ田村さん。

田村耕太郎氏:私は震災発生時にアメリカでたまたま危機管理の研究をしていました。それで分かったのですが、先ほど田坂さんが言われたようにアメリカの危機管理はまさに‘Plan for the Worst, Hope for the Best.’なんですね。本当に最悪の事態から逆算していく。

で、私からの質問ですが、ランドの仲間と議論していて二つほど思ったことがあります。まず、記者会見を政治家がやるべきなのかどうか。あれはプロによるテクニカルな話ですから、「もう専門家にやらせるべきだ」と言う人間も向こうにはいました。そしてもう一点。パニックを防ぐために不正確な情報を出すべきではないのは分かるのですが、実は出さなければ出さないほど、今度は不正確な情報がソーシャルメディア等を通じて伝播してしまう面もあると思います。ですからそこはやはり不正確である点をあらかじめ周知してでも、早く情報を出したほうが良いのでないかという議論がありました。このあたり、実際に対応された皆さまとしてどのように思われますでしょうか。

四方:先ほど近藤長官から「広報がなくても済むように」といったお話がありましたので、それとも関係すると思っております点をひとつ。近藤長官は私の大先輩なのですが、私はその点のみ少々見方を異にしております。やはりコミュニケーションのプロフェッショナルがユニットをつくるべきではないかなと。「コミュニケーションの重要性を組織全体で共有すべき」とのご趣旨だったかもしれませんが、やはり記者会見を担当する人間はメディアトレーニング等を通じ専門的なコミュニケーション能力を身に付けていないと危険というか、逆効果になるケースもあると思っています。ですから今回のようなクライシスコミュニケーションにおける専門的な話は、出来るだけ専門家が集まり、統合した形でテクニカルな説明をする。ただし、同時に政治的なメッセージも発信しなくてはなりません。ですからそこはやはり政治レベルの方が出てくることが重要であると思います。

あともう1点大切なのが、あまりこれまで議論になってはおりませんが、サイエンス・コミュニケーションですね。これはリスクコミュニケーションと表裏一体です。政府にいる科学者の方が出てくる。たとえばイギリス首相府には現在、Sir John Beddingtonさんというチーフサイエンスアドバイザーを務める方がいらっしゃいます。震災発生後、彼は日本にいるイギリス人に向けたメッセージをロンドンから発信していましたし、そのあと実際に日本へ来て同じことをしていました。恐らくイギリス人だけでなく日本に滞在していた英語を母国語とするすべての人々に対して、Sir John Beddingtonさんの分析やアセスメントが最も大きな影響を及ぼしていたのではないかと私は思っています。イギリスではチーフサイエンスアドバイザーが各省庁にいるサイエンスアドバイザーと毎週会い、政府が直面するあらゆる科学的問題について首相へ助言する立場にあります。科学者がコミュニケーションにも従事するという、そういったシステムもひとつの考え方ではないかなと思います。

田中:ありがとうございます。では、大変すみません。時間が限られているのでどなたかあとお一人のみ。大丈夫ですか? 特によろしければ冒頭で申しあげました通り、「やはりアクションに繋げたい」ということですので、パネリストの皆さまにそれぞれ具体的なご自身のアクションについて一言ずつお願いしたいと思います。

自分にとって愛国心とグローバリゼーションは同義、まずは率先垂範で発信する(加藤)

四方:私自身は先ほどから申しあげているようにコミュニケーションのプロが政府にもっと必要であると考えております。私の職責と関連させて申しあげますと、国際的なコミュニケーションのプロフェッショナルですね。クライシスコミュニケーションということで、官邸や外務省だけでなく各省庁あるいはグローバルな問題と関わり得るあらゆる組織において、そのプロとなる人材を育成する必要があるという点を今後も主張していきたいと考えております。そのためにひとつ重要となるのが官民連携です。大学との関係もあると思いますが、そういった人材を育成するには中長期的な取り組みが不可欠になります。ですから田中さんが民間で戦略的コミュニケーションに取り組んでいらっしゃるように、これを日本社会全体に広める努力というものを個人的にも中長期的視点で続けていきたいと思っています。

田中:ありがとうございます。いわゆる人材育成とともに、コミュニケーションの重要性に関する認識を高めていくアクションということですね。はい、では近藤さんお願い致します。

近藤:はい。三つあります。一つは先ほども言いましたが平時における日本の理解者、日本のファンを増やすこと。3.11ではあれほど多くの途上国が日本に援助してくれました。経済的に貧しい国も援助してくれた。それはODAに対する感謝もあるのでしょうが、「日本人というのは素晴らしい感性を持つ優しい人たちだ」と思っていただけていたことが、最も大きな力になったのではないでしょうか。そのことで今回は本当に助けられたと思います。

二つ目は、いざというときに備えて日頃からコミュニケーションのスキルをアップをさせること。本日お話ししましたように常に対話形式で、相手が自分をどう思っているか、自分の言ったことが通じているのかどうか。常にインタラクティブな視点で考える。日本人同士は“なあなあ”で分かり合えるようおっとり育ってきましたが、国際環境は違います。それに日本人だって多様性は随分ありますよね。ですからそういう対話を英語だけでなく算数や理科のクラスでも、家庭でも職場でもやらせていきます。もちろん入試でもインタビューでもやります。そのなかで自分自身のことも分かってきますし、相手の自分に対するイメージも分かります。その訓練を今からはじめなければいけないと思います。

そして三つ目。日本では危機が起きるとすぐに「政府は隠す」、「全部言わない」、「逃げる」、「ディフェンシブになる」というパーセプションが生まれます。実際には政府も、田坂さんが仰ったように最悪の事態を想定して不確実な情報を色々と分析しています。ですから「そういう分析はやっているし、すべては出せないんだ」ということを国民に理解して貰うことも大切だと思います。それからメディアですが、特にテレビは極めて局部的な映像を一気に流していきますよね。それで「ああ大変だ。すごい津波だ」となってしまう。それが事実のすべてだと思ってしまうんです。そうではない、TVの映像は事実の断片に過ぎないのだということも、国民に理解して貰うことが重要です。「危機が起きたらどうなるのか」を国民自身がきちんと理解していれば、無用なパニックは防ぐことが出来ると思いますので。

田中:ありがとうございます。では加藤さん。

加藤:はい。私は18歳で中国に行く前、日本が嫌いでした。閉塞感に満ち、出る杭は打たれ、アクションを起こせば潰されると。そして中国に行ったら今度は日本が歪曲されていた。偏見に満ちた理解をされていたんです。日本人として初めて、外国で歪曲され誤解されていることに対して悔しさを感じました。これはもう…、言葉は本当に悪いのですがムカつきましたね。それが私にとって、発信者あるいはコミュニケーターとして日本のことを正確に伝えたいと思うようになったきっかけでもあります。ですから私にとって愛国心とグローバリゼーションは同義です。これは表裏一体の関係にあるべきだとも思っています。

ですから私はこれからも発信者として何かを伝えていきたいのですが、G1サミットに関連することであれば、これはもう「やりたいと思います」ではなく、やります。まず明日中に、G1サミットの存在を1000万人の中国人に伝えます。やります絶対に(会場拍手)。そして来年、もしこの会議に改めて呼んでいただけるとしたら、少なくとも1億人の中国人にG1サミットの存在を伝えます。少なくとも1億人であり、可能であれば5億人に伝えます。これは私にとって可能な数字です。まったくもって想定内で出来る話です。

私は国際社会で過小評価されている日本、そして過大評価されている中国の両方を見てきました。ですから、これは私が中国から学んだことですが、彼らのしたたかや戦略性を逆手にとって日本発のG1サミットを世界に伝えていきます。まずG1サミットというものが存在していること自体も発信力というか、少なくとも発信の種になっていると思うんですね。ですからそれを大きな発信力に変えていくため、中国という今世界が最も注目している場所を逆に利用しつつ、「中国から世界へ」という構想でG1サミットの存在を、日本人として国際社会に発信していきたいと思っています。「いきたい」ではないですね。必ず発信します。以上です。(会場拍手)

田中:ありがとうございます。加藤さんから大変力強いアクションを伺うことが出来ました。やはりG1をひとつの器として発信基地にしていくのは本当に重要なことだと思います。昨年スタートしたG1 GLOBALが今年もあると思いますし、さらには来年のG1サミットもあると思いますし。もちろん会議だけでなく、折角ご縁で集った5人ですからここをひとつの場というかきっかけにしていくと。そして具体的な案を5人で相談しつつ、G1を舞台に日本の発信力を強めるという具体的アクションを今後とっていきたいと思います。皆さま、今日は本当にありがとうございました(会場拍手)。

新着動画

10分以内の動画コース

再生回数の多い動画コース

コメントの多い動画コース

オンライン学習サービス部門 20代〜30代ビジネスパーソン334名を対象とした調査の結果 4部門で高評価達成!

7日間の無料体験を試してみよう

無料会員登録

期間内に自動更新を停止いただければ、料金は一切かかりません。