企業は新しい未来をつくる知の創造体である
野中 郁次郎氏
野中郁次郎氏(以下、敬称略):ただいまご紹介いただきました野中です。今日はリーダーシップというものを中心にお話をしていきたいと思います。まずは私自身のことを少しばかりお話ししたいと思います。が、自分で自分のことを紹介するというと、なにかこう…、自慢話のようになってしまうんですが、(会場笑)、とりあえず2008年に『TheWallStreetJournal』が発表している「TheMostInfluentialBusinessThinkers」というトップ20ランキングで20位になりました。‘BusinessThinker’とは何らかの面白いコンセプト、あるいはセオリーを提唱した人と言えばよいのでしょうか。必ずしも学者に限定されず、コンサルタントやビジネスマンもいます。ビジネスマンもトップ、ミドルにかかわらず、とにかく何か一生をかけて商品コンセプトやビジネスモデルをつくっている人々、あるいはトップマネジメントやリーダーシップに関する新しい概念をつくる人々だと思っています。
ランキングに入っている方を少し紹介すると、たとえばゲイリー・ハメル。ご承知の通り「コア・コンピタンス」というコンセプトをC.K.プラハラードとともに提唱した方です。トーマス・フリードマンは『TheWorldisFlat』(『フラット化する世界』)でお馴染ですね。心理学者もランクインしているのが最近の特徴です。それからクレイトン・クリステンセン『TheInnovator'sDilemma』(『イノベーションのジレンマ』)、そして、マイケル・ポーターは今回2008年に発表された2回目のランキングでは14位でしたが、1回目はたしか1位でしたでしょうか。当時は戦略論が盛んでしたから。
現在のランキング基準は少しずつ変化しているようです。戦略の本質に突き進んでいった結果として、「大切なのはイノベーションではないのか?」という流れが現在は生まれているように思います。同時に、競争戦略論で中心的なマーケット分析にも、もっと自分たちの主観で解釈して「未来をつくる」というアプローチが出てきました。「人間の主観がもっと重要なのではないのか」という考え方で、イノベーションはまさにそれにあたります。人々を説得することで主観を客観にしていくという、人間くさい側面が出てきているのが現在の流れなのかなと理解いただければと思います。
私自身が「TheMostInfluentialBusinessThinkers」でぎりぎり20位に入ったのは『知識創造企業(TheKnowledge-CreatingCompany)』という著書が大きなきっかけだったと思います。それと『流れを経営する(ManagingFlow)』などですね。ですが今日は、むしろ知識創造のあとの展開、およびその中心となるリーダーシップ論を中心にお話ししていきたいと思います。
ここでいうリーダーシップは、私の場合はやはり「知を創造するリーダーシップ」となります。イノベーションを支援・促進し、実現するリーダーシップに大変関心があるのです。最近また流行っているお馴染のピーター・ドラッカーはマネジメントに関するいくつかの重要なコンセプトをつくったと言われております。彼は「知識社会」という非常に重要な概念も提言していますね。「21世紀は知識社会(knowledgesociety)である」と。私たちにとって最も重要な資源は知識であることを洞察し、それを言葉にしたわけです。ただしドラッカーはコンセプトは出したのですが、きちんとした論理体系や関係性をつくりあげ、理論化するところまではあまりやっていませんでした。
「知識(Knowledge)」はわけのわからない資源だから、それがどんなふうにつくられていくのかという理論が私としては欲しかった。我々がこれまでずっとしてきたことは「どうやって組織的に知を生み出すか」ということ、つまりイノベーションで、私はそれを改めて説明したかったのです。会社員生活を9年続けたこともあって、イノベーションというものに以前から非常に深い関心がありました。現在はナレッジがつくられる過程についてしつこく理論化しているというふうに捉えていただければよいかなと思っております。
まず、企業をどのように見るかは大切です。我々は、企業とは単なるマネーメイキングマシーンではないと思っています。新しい未来をつくる知の創造体であり、イノベーションを持続させるもの、限りなく未来に向かって知をつくり続けていくのが企業なのではないかと考えています。
知とは、関係性の中で創りだすもの、そこでは「主観」が重要になる
そしてもうひとつ重要なことは、知を「誰がつくるのか」ということです。それは「我々」であって、知識は自分の思いや信念を真理に向かって社会的に、すなわち人々と説得し合いながら、人と人との関係性をマネージしながら、実現し正当化していくそのダイナミックプロセスであるということです。さらに、知識とは自分の想いを実現していくプロセスであるととらえると、マーケットはまさに知の宝庫と考えられるわけです。これについてはフリードリヒ・ハイエクという経済学者が「マーケットの基本的機能とは新しい知を獲得することではないか」という重要な洞察をしています。単に競争だけをする場ではないという考え方です。
マイケル・ポーターを含め、経済学をベースにした現在の戦略論の基本にあるのは「完全情報」という仮説です。消費者も企業も完全な情報を持っているという仮定のもと、一人ひとりが自己の利益を追求すべく合理的な行動をとれば、自ずから神の見えざる手がそこに均衡をもたらしてくれる、そこで需要と供給がバランスする均衡があるという考え方にたっています。
しかし、ハイエクはそうは考えませんでした。彼は、「マーケットは不完全情報だ」ととらえ、とりわけ「暗黙知」という考え方に目をつけました。我々がなかなか言葉に出来ない、“見える化”することができない膨大な知がマーケットには埋めこまれているため、完全情報に基づく均衡というようなものは存在しない。つまり誰もが部分的な知識しか持っていないということです。ハイエクは、そういった見えない知をいかにして人と人との相互作用を経て産み出していくかが重要であると考えたのです。
そういう意味で、我々は知識がはじめから“見える化”されて客観的に与えられているもの、それは「形式知」と言ってもよいかもしれませんが、そういうものではないという立場をとっています。知はあらかじめ形式的に与えられているのではなく、人と人との関係性の中で主体的につくりだすものではないかと思うのです。我々は何らかの思いを持ち、人々と暗黙知を共有し合いながら、あるいは相手の暗黙知を引き出しながら、新しい知をつくっていく。それがイノベーションなのだと考えています。
繰り返しますが知は関係性の中からつくるものであり、そこでは人間の持っている主観、想い、夢、感情といった主観が非常に重要になります。ただし、主観が主観に留まっているかぎりは、普遍にはなりません。いかに自分の持っている主観を人々との相互作用を通し共感し合い、説得し合い、概念化し、実現していけるのか。そうした主観を客観化していく過程こそがイノベーションなのです。
次に、知を創造するために重要なのは関係性を読むことですが、我々はこれを「文脈(context)」と呼んでいます。言葉が置かれた状況と言語との関係性あるいは前後関係のことで、非常に重要な概念です。なぜならば、何にせよ前後関係を見ることでしか意味を知り得ることが出来ないからです。たとえば「結構です」ということばが「よい」という意味なのか、あるいは「必要ない」という意味なのかは、前後関係で決まります。また「俺はうなぎだ」などという言葉、これはどう考えても論理的におかしいのですが(会場笑)、和食屋に行って「お前は何を食べるんだ」と聞かれたら、「俺はうなぎだ」という返事で十分に伝わります。重要なのはこの文脈を読むことです。つまりこれは解釈なんです。
言葉以外の物事やデータが置かれた状況、物事やデータの関係性や意味も、周りの関係や文脈を知ることではじめて判断できます。その意味で、関係性から世界を見ることが非常に重要になります。同時にそのためには、言語・文章で表現するのが難しい主観的・身体的な経験知である「暗黙知」と、言語・文章で表現できる客観的・理性的な言語知である「形式知」を絶えずスパイラルに回していく必要があります。
こうした観点から、マネジメントとは分析だけではなく。アートでもあると言えます。実はこれまでのマネジメントというのは極めて分析が多く、特にアングロサクソンは徹底的な分析をしており、マネジメントはサイエンスであるという考え方が非常に強くありました。マイケル・ポーターが提言している競争戦略にも完全競争と完全情報による均衡という考え方が背後にあります。
ところが均衡状態では皆がフェアでイコールなので、フェアな利益を獲得できても、利益の最大化は極めて限られます。企業は寡占や独占の状態でこそ利益を最大化できるわけで、それでは完全競争の状態を不完全競争の状態に持っていくことになります。つまり、参入障壁を高め、サプライヤのパワーを高め、消費者のパワーを低める。完全競争の状態を不完全競争の状態にもっていくことで利益を獲得します。それが戦略であり、ファイブ・フォース・モデルになります。しかしこれでは人間の想いや、未来をつくるであるとか、社会のために何をするか、という話が出にくくなります。我々の言う「知識創造」では、こうした人の想いや社会のために何をするかといった企業観が重要で、マネー・メイキング・マシーンを超えて未来をつくことこそが、知識創造企業の戦略であると考えているのです。
プラトン以降の西洋の知は「身体」という主観を否定してきた
さて、「暗黙知」という考え方は、西欧からはなかなか出てきませんでした。もともとはマイケル・ポランニーという人が生み出した言葉ですが、基本的に西欧哲学の伝統においては、身体、暗黙知、あるいは主観といったものは知ではないとされてきたため、彼は極めて少数派でした。あくまでも純粋、理想、分析、つまりマインドによって合理的かつ論理的に到達出来るものこそが真理であって、身体は主観であって客観化できないという考え方が非常に強かったのです。プラトンはまさにそうで、彼はマインドのみによって真理に到達出来るとし、「身体(Body)」は信じてはいけないと考えていました。ある種の理想型であり完全競争ですね。あるのかないのかはわかりませんが、いずれにせよ論理的に突き詰めていって、そこから現実を診断するという考え方でした。
プラトンはすべてのものにイデアという理想郷があるとしていました。目に見えない、普遍、かつ万古不易のイデア、あるいは理想型があるということです。たとえば「女性のイデアは永遠不滅のマリアである」などです。私の場合は、原節子という女優がイデアでした(会場笑)。これがもう永遠の美女であり、イデアなんだと。しかしそれでは私の女房はなんだということになってしまいます(会場笑)。よって実践と現実のただなかに真実があるという考え方を我々はしているのです。
知識創造は「暗黙知」と「形式知」の相互変換運動である
「暗黙知」と「形式知」は両方ともに必要なものであると我々は考えます。それは「経験」と「言語」が創造的関係にあるということにもつながると考えています。ソムリエである田崎真也さんの著作でも「ソムリエは良いワインというものをまず体感しなければいけない」と述べられています。そしてその背後にある本質を探るのだそうです。本質は見えないもので、これはもう徹底的に考え抜き、分析する必要があります。ワインの味わいと五感で得た直感について、思いついたことを田崎さんはすべてメモして言語化していくそうです。
たとえば我々は、ワインの香りを「ブルーベリーのなんとかの香りのように…」と言われると、暗黙知が触発されます。「ああ、そうか」と。本質的な直感を言語や概念で表現していくことで、それを使って暗黙知に働きかけることができます。概念とは新しい意味を持った言葉のことであり「コンセプト」です。大変難しいですが、考え抜いて本質をぴたりと言い当てた言葉こそがコンセプトになるのです。しかも田崎さんの場合は、ワインが持つ前後関係をも読み取っていきます。先ほどお話しした「文脈(context)」ですね。その時に給された料理や場の雰囲気も読みながら一期一会という関係のなかで、即興的に暗黙知を形式知にぴたりと変換し、相手の知をさらに触発していく。こういうことが出来るプロフェッショナルなんです。
一方で、野球の長嶋茂雄さんは暗黙知を形式知に変換する能力が若干乏しかったのかなと思います。暗黙知というのはイメージです。彼はイメージをイメージのまま語るからわからないんですね。具体的にはどう打ったら良いのかと聞かれると「来た玉をパッと打つ」などと答える。それはそうだよと(会場笑)。これに対して野村克也さんは徹底的にぎりぎりまで言語化していきます。野村さんは「私の哲学は阪神タイガースでは機能しなかった」と反省されていましたが、それは阪神の選手のほとんどが体育会系の言語を使っていたためだと言います(会場笑)。
こういった暗黙知と形式知の関係はいろいろな例で提示出来ます。たとえばトヨタ経営の本質は暗黙知と形式知のスパイラルアップにあります。トップがあらゆるところで徹底的に暗黙知を形式知化しています。もちろんすべてを言語化出来るわけではありませんので、暗黙知が暗黙知のまま残るものに関しては、それは暗黙知のまま共有していこうとしています。それはまさに人づくりでもあるのだということです。高質の経験をつくる場をつくりあげていくんだと。こういうことであります。
SECIモデルが創造性と効率化を両立させる知の総合力となる
こういった話を理論化しますといわゆるSECIモデルになります。今日は詳しく説明しませんが、まずは身体・五感を駆使すること、直接経験を通じた暗黙の獲得、それを共感・共振・共鳴する「共同化」が非常に重要です。人々の持っている暗黙知を相手の視点に立ちながら共感するということですね。その次に共感したものの本質をきちんと言語化するというのが、「表出化」であります。ここでコンセプトが生まれる。そしてそこで生まれたコンセプトをきちんと関係づけ、情報活用と知識の体系化をするのが「連結化」です。そして最後にそれを実践し、形式知を行動を通じて具現化、新たな暗黙知として理解・体得するのが「内面化」です。
これら「共同化(Socialization)」、「表出化(Externalization」、「連結化(Combination)」、「内面化(Internalization)」、4つの頭文字をとってSECIモデルと呼んでおります。世界では“セキモデル”と発音されています。これをスパイラルに回すことで個人の知がチームの知、組織の知、グループの知になり、そして再び個に還っていきます。個と組織がともに無限に知識をつくりあげていき、ひいては社会の知を豊かにしていくということです。
イノベーションとは実はSECIスパイラルなのです。直接経験を通じて現実に共感することが「共同化」で、そこで新しい“気づき”が起きる。相手の視点になりきったとき、「あっ」という気づきが起こる可能性が非常に高くなり、自己を超えることができます。その気付きの本質について徹底的に考え対話を重ねていくと、そのなかで“真因”が見えてきます。色々と要因があるなかで、「これだ」というものが真因であり、本質です。トヨタでは原因ではなく真因という言葉で表現していて、「きちんと真因を識別する」などと言います。そしてそれを言語化し、外見化する。これが「表出化」です。次にそれを関係づけて体系化してモデルにすることが「連結化」です。
さらにそれを技術、商品、ソフト、サービス、経験に具現化、実践していきます。価値化して知を自分のものにします。これが「内面化」ですが、内面化を通じて思いが言葉に、言葉が形になります。そして具体的な組織・市場・環境の新しい知を、具現化した形の商品・ソフト・ソリューションを媒介にしてさらに触発していきます。そして再び「共同化」に繋がっていく。こういったSECIの高速回転化が創造性と効率性をダイナミックに両立させる知の総合力(SynthesizingCapability)になるのです。
まとめますと、「企業はなんのために存在するのか」、これは「未来をつくるため」です。そして未来をつくるためにはイノベーションが必要になります。そしてイノベーションの本質はSECIスパイラルであって、これをいかに高速回転化していくかが21世紀の知識社会における最大の課題なのです。SECIスパイラルを絶えず未来に向かってリードするということはどういうことかを次に話します。
イノベーションはひとりの人間ではなく、コミュニティで起こる
オーストリア学派の経済学者のヨーゼフ・シュンペーターもイノベーションに大きな関心を持った経済学者でしたが、彼は「イノベーションというのはすべて新しいコンビネーションだ」と言いました。人々がそれぞれ持っている想いや夢を、いかにして共感し合いながら言葉にしていき、コンビネーションを成立させるかということですが、彼の場合はその暗黙知の観点が抜けていました。
また、シュンペーターは「イノベーターはひとりなんだ」と言っていましたが、我々は「全員経営である」と考えています。これを言ったのは松下幸之助で、彼の「衆知経営」とは実に立派な言葉です。我々はある意味で衆知経営の理論化をしていると言っていいのかもしれません。イノベーションはひとりの人間によって起こすのではなく、コミュニティに分散するのです。
コミュニティにおける知の創造では、リーダーシップが根本的に重要となります。全員がリーダーであるということです。ユニクロの柳井正さんも全員経営という言葉を使っていますが、これも松下幸之助の衆知経営に通じるものです。我々はイノベーションのリーダーシップ、コミュナル・リーダー、あるいはコミュナル・イノベーションのリーダーというものはどういうものかということを10年来考えてきました。そこで行き着いたコンセプトが「フロネシス(Phronesis)」というアリストテレスが唱えた言葉です。この言葉を日本ではじめて言ったとき、ある方から「風呂に入って死ぬのか」と言われまして(会場笑)、なかなかうまいことを言うなと思いました(笑)。
関係性の中で“Justright”の解を見つける実践知がフロネシス
フロネシスとは、つまり賢慮(Prudence)、賢人の思慮分別であり、実践的知恵(PracticalWisdom)、知(Knowledge)を磨いて‘Wisdom’にするということです。重要なことは、フロネシスは単なる知識ではなく、すべて個別具体に存在する文脈のただなかで「ちょうど」の判断する能力ということです。さまざまな関係性を見抜き、関係性の中で判断するのですから、単なる分析だけでは到達出来ません。当然、経験も必要になります。フロネシスを一言で表現すると「実践知」となります。
現実を洞察するためには、やはり何が良いことかという自分なりの価値観を持たなければなりませんが、これは共通善(CommonGood)と言います。世のため人のために何が‘Good’か、という自分なりのブレない価値観です。絶えず動いている現実のなかで自分なりに共通善の価値基準を持ち、個別具体に存在する文脈のなかで最善の判断をすることが実践知であり、フロネシスなのです。
これまでのマネジメントにおける中心概念は「意思決定(Decision)」でした。しかし我々は「判断(Judgement)」を中心に据えました。人が集まって、ある現象の背後にある人間心理を含めた関係性を徹底的に調べあげたうえで、最後に「こうじゃないか」と決めるのがジャッジメントです。
マネジメントにおける「ディシジョン」はコンピュータに例えることができます。まさに情報処理の結果がディシジョンです。ですから良いソフトをつくればコンピュータでもディシジョンは出来ます。しかし、ジャッジメントをするには見えない関係性の背後にある本質を見抜かなければいけません。ですからやはり人間がやらなければなりません。将来はコンピュータの素晴らしいソフトが生まれるかもしれませんが、それでもあらゆる関係性は一点一様ですから、なかなか普遍化はできません。そのような状況において、経験を積みあげて「こういう場合はこれだよ」という判断を下していく、それが我々の考える暗黙知なのです。
ちなみにオバマ大統領がよく「ジャッジメント」という言葉を使いますね。米国でも最近になってやっと‘PracticalWisdom’という考え方が普及しつつあります。ただ、個別具体に存在する関係性のなかで‘JustRight’の解を見つけるのは大変なことです。たとえば公文という会社がありますよね。「くもん式」で非常に重要なポイントは先生が生徒ごとにその日の文脈(Context)を読み取り、「今日はここまで」という‘JustRight’の判断をすることです。優れた先生は生徒が戸を開けて入ってきた瞬間に、そのジャッジメントができるそうです。
こういったジャッジメントをどのようにして共有していくかということは、我々も現在は色々と試しているところです。個別具体のジャッジメントだけでは不十分で、それを普遍化していく作業が欠かせません。絶えず暗黙知は形式知、形式知は普遍を求めます。そのようにして個別具体の暗黙知と普遍をスパイラルに回していくということが非常に重要となるのです。
また、動きながら考え抜く‘ContemplationinAction’、行動のただなかの熟慮も重要です。現場を知らなくては文脈が読めないですし、文脈を読んでいるだけでは普遍化出来ません。だから動きながら考え抜かないといけない。そうして文脈に即した判断(ContextualJudgment)と、適時絶妙なバランス(TimelyBalancing)をできるようにすることが実践知として非常に大切です。
実践知リーダーシップの6つの能力1)「善い」目的をつくる
実は日本の経営者には実践知豊かな人がかなりいらっしゃいまして、それについては同僚の竹内弘高と『HarvardBusinessReview』に論文を書きました。今年の5月号で巻頭論文に採用されたのですが、実践知リーダーシップに求められる6つの能力についても触れています。
1番目は何が‘Good(善い)’かという目的をつくる能力。2番目がタイムリーに場をつくる能力です。そして3番目はありのまま現実を直観する能力であり、4番目は直観の本質をきちんと概念化する能力です。これは私があまり得意としていない分野です。「わかるだろ?」「うーん…」みたいなやりとりになるので、私はどちらかというと長島派です。しかし同僚の竹内は徹底的な分析派です。だから毎日喧嘩をしながらこの論文を書いていました。『知識創造企業』も暗黙知と形式知、ひとりでは出来ないから二人でやろうと毎日喧嘩しながら出来あがった本です。そして5番目は概念を実現する、絶対にやり抜く政治力で、これは、菅政権は、ゼロでしょ?(会場笑)そういうことを雑誌『Voice』にも書きました。「リアリズムなき政治家が国を壊す」というタイトルです。私としては珍しく人の批判をしたのですが、「これはもう言わざるを得ないなあ」と。そして6番目がそれを皆で共有するということ、実践知を組織化する能力です。
この考え方を『HarvardBusinessReview』が“TheWiseLeader”という一枚の絵にしました。その絵の背景にはいろいろと、‘Fraud(詐欺行為)’‘Greed(強欲)’‘LackofIntegrity(誠実さの欠如)’‘UnethicalManagers(非倫理的なマネージャー)’etc…、さまざまな言葉が浮かんでいます。これは、アメリカのマネジメントが行き過ぎた結果、現在はこういったものが蔓延していて、それを治すビッグアイディアがあり、それが“TheWiseLeader”ということです。
今回の論文は1年越しの葛藤でした。特に最近は、政治の貧困が大きな要因とは思いますが、『HarvardBusinessReview』で日本の経営に対する関心がまったく落ち込んでいました。そこで我々は「日本の経営者をなめるな」「こういった会社のトップマネジメントを見てみろ」と言おうとしました。具体的にはまた後でお話をしますが、こうした考えが『TheWiseLeader』に込められています。震災をきっかけに日本人の連帯(Solidarity)は世界に冠たるものがあるということが発信されました。しかしリーダーシップは相変わらず欠落していると思われている。政治はたしかにそうだとしても企業はそんなことはないと、我々は見せていきたかったのです。
先ほどの6つの能力に戻って、具体的事例を織り交ぜていきましょう。まずは本田宗一郎。彼なら皆さんもイメージを共有出来ますよね。米国の事例ではいま一番面白い人ということでスティーブ・ジョブズをご紹介します。ジョブズ自身は本田宗一郎や井深大、あるいは松下幸之助といった日本人経営者を大変尊敬しているそうです。
まず1番目の「『善い』目的をつくる」ということですが、何が‘Good’かについては深い哲学的洞察も必要になります。アリストテレスは「世の中の価値のなかには、絶対に手段にならない、それ自体が追求に値する価値が存在する」と言っていますね。それは幸福や自己実現であり、これらは決して手段にはならず、我々はそれ自体を追求します。自己実現の原点はアリストテレスです。彼は金銭は手段であるから、それは自体で‘Good’にはならないという指摘をしています。
もうひとつ重要な点があります。マルティン・ハイデガーという哲学者は‘Good’ということを考えるために、まず「我々はなんのために存在するか」と存在について考えなければいけないと述べています。我々は、あるいは我が社はなんのために存在しているのか、それをベースにして何が‘Good’かを追求するということです。何が絶対の価値なのかと問う前に、なんのために存在するのかと。ハイデガーによれば「未来のために存在する」となっています。絶対の真理は死ぬことであり、逆に言うと死は可能性の限界ですから、我々が今をより良く生きるためには未来に軸足を置こうということです。
と同時に、「こうありたい」ということを断固として決意すると、これまで自分が産み出してきた知に新しい意味が生まれてきます。そして未来と過去が一体となり、今をよりよく生きることができる。これが本当の生き方であるということです。たとえばある女性が「詩人になりたい」と言ったとします。そう決意すると、今まで考えたこともなかったけれど、自分の経験を「何か詩のネタにならないか」と真剣に見直すようになります。もしくは、詩人仲間を見つけようとしたり、詩の読者のニーズはなんだろうとか、出版社にネットワークをつくることができないだろうかと考えたり、新しい世界が広がってくる。そういう話なんですね。アリストテレスとハイデガーのこうした言葉は非常に重要です。
本田宗一郎は「なんのために我が社は存在するのか」という点について、「3つの喜び(作る喜び、売る喜び、買う人の喜び)」だと言っています。ここでいう喜びは‘ExtremeSatisfaction’、歓喜ですね。一方のスティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式における有名な講演で語っています。彼は大きな意思決定を自分でするとき、必ず「いつかは死ぬんだ」と考えるそうです。そこまで突き詰めたとき、本当に自分のやりたいことはなんなのかということが見えてくると。彼はそれで思考の落とし穴は回避できるといって実践しているのです。
実践知リーダーシップの6つの能力3)現実を直視し、4)直観を概念化する
3番目は現実の直視です。時々刻々と変化するなかにあって、全身で共振・共感・共鳴をする。本田宗一郎は走行中のライダーを見る際、目線を合わせて全身で向き合ったそうです。手を地面について、手で音を聞いて、五感をひとつにして共振・共感・共鳴をしていたのです。そして相手に目線も合わせる。そうすることで次の仮説が浮きあがってくるんですね。スティーブ・ジョブズも同様です。絶えず考えながら現実のただなかで“気づき”を概念化していった。
4番目は、ジョブズのようにそのような直観をきちんと概念化することです。つまり徹底的な対話のなかで「どうだ」とやり合いながら概念を紡いでいくことです。デトロイトにある自動車殿堂の本田宗一郎コーナーには、本田宗一郎という実践知リーダーを見事に表現した2枚の写真が飾られています。1枚は先ほどお話しした走行中のライダーを見る写真で、もう一枚は工場で床の上に設計図を書いている写真です。現場のただなかで本質を、対話を通じて言葉にしていく。まさに概念にしていくという姿です。
一方、スティーブ・ジョブズはコンセプトづくりの能力が極めて高い。モノというよりもコトで世界を捉えているんですね。たとえば「iPod」はモノですが、彼はモノでなくもっと大きな関係性を見ていました。モノというのはどうも孤立して考えられがちですが、本来は関係性をつくるためのものなのだということを彼は理解していた。コトづくりのためのモノづくりという発想が非常に強かったのです。「iPod」は音楽配信という感動経験を与えるためのモノなんだという考え方です。簡単に取り替えることが出来て、持ち運びも簡単。自分でダウンロードしていつでも手軽に好きな音楽を聞くことが出来るというイベント(コト)を提供するためのモノが「iPod」なんです。そこで必要なモノのテクノロジーが優れていれば感動経験の質も高まっていく。これを徹底的にやるためには店が必要になる。だからこそ彼は『AppleStore』まで徹底的にコントロールして顧客に何が善いかを伝えていったのです。そういったコンセプトとビジネスモデルをつくる能力に長けていた。
実践知リーダーシップの6つの能力5)概念を実現、6)実践知を組織化
そして5番目は概念を実現する政治力です。政治力の本質はレトリック、言葉で人を行動につなげていくことです。情熱と勇気、あらゆる方法を駆使しながら状況に応じてビジョンを周りに説得して、人々をその実現に向かわせる能力。ここではレトリック、すなわち言葉が大変重要になります。
本田宗一郎のマン島TTレース出場宣言はまさにそうです。給料もまともに払えない時期にマン島TTレース出場を全社員に向けて宣言した。その文面を読むと今でも震えますよね。「何を言ってるんだ」と最初は思ってしまいますが、聞いているうちにだんだん「やれるんじゃないか」とか、「やろう」という気持ちになってくる。こうしたことはスティーブ・ジョブズもうまいです。アップルではジョブスが持つその能力を「現実歪曲空間」と表現しています。現実を自分の情熱のなかに引きこんで、聴衆を「よしやろう」という気にさせる能力です。これはやはり素晴らしいと思います。日本の政治家に一番欠落しているのはこのレトリックです。塩野七生さんの『ローマ人の物語』はほとんどレトリックの話です。たとえばジュリアス・シーザーが観衆を前に30分、延々と演説して人々の心を変えてしまい、新しい行動に向かわせるといった話など。これは非常に重要な能力だと思います。
そして最後は、今までお話しした1から5までの能力を全員で共有する、という考え方です。‘DistributedLeadership’です。全員経営、あるいは衆知経営にできるかどうか、これが6番目の課題になります。ホンダの社長であった福井威夫さんは「従業員全員が本田宗一郎にならなきゃいけない」と言っていました。これは大変チャレンジングな考え方ですよね。
では、どうすれば実践知を育成することが出来るのか。ひとつは「修羅場」を経験することです。‘ExtremeExperience’、そのような経験が人間の実践知を豊かにしてくれるのです。いわば可能性の限界に挑戦するという極限体験です。そして優れた手本と共体験することも大変重要です。そこでは成功だけでなく失敗も学ぶ。とりわけ失敗の経験というのは‘JustRight’の判断に不可欠ですから。そういう意味でも実践知育成の基本は徒弟制度と言えるでしょう。上司のフィードバックと自己修正を繰り返す意識的練習の積み重ねによって、脳内に自動的・直観的に特定の反応をする経路が刻まれ、一流の判断力の基盤となります。そこで絶えず無限にエクセレンスを追求していくという“型”が非常に重要になるのではないかと思います。
これからは、「ミドル・アップ・ダウン」が必要
これはつまり、通常のOJTでは不十分だということです。人の3倍も4倍もする負荷を意図的にかけなければいけないのです。人間の持っているポテンシャルはまさに乱世で花開くのです。ただ、そういう乱世を待っていたのでは遅過ぎるわけで、負荷を人為的につくるということです。それがコンセントリック・ラーニングです。
このような育成においては、トップダウンとボトムアップを両立させていく必要が出てきます。そのためミドルの役割が大変重要になっていきます。ここでいうミドルとはまさにプロジェクトリーダーでありプロデューサーです。大局観と現場がミドルを中心に回転していく、これを全員経営と言いますが、我々は「ミドル・アップ・ダウン」とも呼んでいます。この呼称がなかなか伝わらないのですが(笑)、イメージとしては分かりますよね。そうしたプロデューサー型の人間をどれぐらい育てられるかが非常に重要になります。我々はこの考え方を1995年に提唱しました。ちなみにアップルは一見するとスティーブ・ジョブズが極めて強烈なトップダウン経営を行っているように見えますが、実は彼もチームが大好きなのです。チームをベースに、チームとチームを連動させて組織をつくっているのです。
チームを重視する組織として私が最近注目しているもうひとつの企業にCiscoSystemsがあります。こちらには強烈なトップダウン経営を行っていたジョン・チェンバースという人がいました。しかし彼は現在、それまでとは180度異なる経営を行っています。ひとりの人間ではこれだけ複雑な世界に対応出来ないから、これからは‘DistributedIdeaEngines’、「アイディアを持ってエンジンになるようなミドルを育てていく」と述べています。それで「以前、自分の後継者は二人だったけれども、今や500人いる」も言っています。これはまさにミドル・アップ・ダウンの実践ですね。
こうなってくると衆知経営にはICT(情報・通信に関する技術)の徹底活用も重要になります。SNSやTwitterを経由して、世界中の人間がプロジェクトベースで世界中の知を自在に共有し、リンクしていくという考え方です。今はまさに世界がグローバル・ミドル・アップダウン・マネジメントという方向に動いているのではないかと思います。これこそ共同体をベースにした知の創造だと思います。日本が持つ共同体の良さと、それをグローバルにリンクさせていくICTの徹底活用を両立させながら、イーストとウェストのハイブリッドをつくる。現実はそんな方向に動いているのではないでしょうか。
最後に申しあげたいのですが、実は震災前に栃木にあるホンダの研究所を訪問し、いろいろと議論をしてきました。そこで研究所の50周年記念でしたか若手のプロジェクトメンバーがホンダ研究所のあり方なようなものをまとめたビデオを見て非常に感動しました。かつて本田宗一郎が通っていた小学校の石碑には、「試す人になろう」という言葉が刻まれているのです。ビデオでは「もう一度ホンダの原点とは何か、そして我々はなんのために存在するのかを見つめ直そう」ということで、「試す人になろう」という本田宗一郎のその言葉が語られていました。人生は見たり、聞いたり、試したりという3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり聞いたりばかりで一番重要な“試したり”をほとんどしない。ありふれたことだが失敗と成功は裏腹になっている。みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ないと。だから‘BeSomeoneWhoTries’となる。「やってみようじゃないか」ということです。徹底的に考えてもわからないことはあります。しかしだからこそ共通善に向かって一歩一歩無限に、実践を通じて真・善・美に近づく以外方法はないということです。経営にマジックはありません。しかしながら「共通善に向かって何をやりたいんだ」、そして「それを実現する手段は一体なんなんだ」と考えてみれば、結論はアクションになります。とにかくやってみる。それを無限に続けていく以外に方法はないのではないか、というのが彼らの結論でした。
革新共同体をつくるということは、最終的にはそういうことであると申しあげておきたいと思います。そしてそのDNAは日本経営のなかにたくさんある。この日本経営の良さを再認識することは必要だけれども、懐古趣味に留まっていてはダメで、革新(イノベーション)と再創(リ・クリエーション)が必要です。もう一度、我々が世界に向かって「なんのために存在するのか」ということを突き詰めていったとき、改めて我々のあり方、生き方、そして日本の経営が世界に発信すべきものが生まれてくるのではないかと思います。この辺でいったん区切らせていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました(会場拍手)。