異質に敬意を払うこと、そして価値を判断するのは収益だけ
堀:數土さん、大変多岐に渡るお話をありがとうございました。今日は時間があるかぎり色々と質問をさせていただきたいと思っております。
ではまずJFEホールディングス(以下、JFE)についてお聞かせください。日本で大型合併がここまでうまくいった事例を私はあまり存じ上げません。この合併が成功した理由は何でしょうか。もちろん數土さんとしては未だ成功ではないというお立場かもしれません。同業界では新日本製製鐵と住友金属工業も合併を行いますし、JFEはこうした動きにも対抗しながら、輸出も伸ばして収益性を高めていこうとしているわけですよね。そのような企業をつくるにあたって気にされたこと、考えていらしたことがあれば教えてください。
數土:一つ目に、我々は「合併」や「吸収合併」という言葉は使いませんでした。「経営統合」と呼んでいたのです。また、合併したときには必ず承継会社というものを決めないといけないのですが、承継会社を決めるとやはり吸収合併と思われてしまいます。これは社員の士気に関わる。ならばどうすれば良いかということで、我々はホールディングスというものをつくったんです。その下に一度、川崎製鉄と日本鋼管(以下NKK)を置きました。そのホールディングスは承継会社がないんです。そして川崎製鉄とNKKです。それでこの川崎製鉄とNKKが半年前に合併した部門、造船部門、エンジニアリング部門、スティール部門になった。スティール部門は川崎製鉄が承継会社に、エンジニアリングや造船部門はNKKが承継会社になりました。
結局、何を言いたいかといいますと、我々は相手に対して配慮をしたということ、そして敬意を表したということですね。異質なものに対して敬意を払ったのです。この部分については大変気を使いました。これがまず一つ。
二つ目がスチールでの施策です。私がスチールの社長として経営統合にあたった時期、これは天の配剤だったのですが、川崎製鉄の水島(倉敷)製鉄所とNKKの福山製鉄所とが40km程しか離れていなかったんですね。また、京浜製鉄所というNKKの主力工場と川崎製鉄の千葉製鉄所も40km程しか離れていなかった。ですから、前者の二つは西日本製鉄所として、後者の二つは東日本製鉄所として、それぞれ製鉄所長に任せてしまいました。合併後にそれぞれの地域で二人いた所長は一人にしてしまったのです。
それから二社で同じだった各部署では部長をすべて入れ替えました。入れ替えてしまったあと、新しい価値の創造、すなわち収益をどれぐらいあげることが出来るのか競争をさせたのです。これで新しく自分の陣地が相方に移ったわけですね。移った先では自分の長所はもちろん、相方の長所を採り入れるしかないような仕組みにしていったわけです。もう完全に、ひとつ残らず入れ替えました。私が社長になったとき、仲間にそれを宣言し、製鉄所も回って、全部交換すると言いました。当時の先輩はNKKの下垣内洋一社長と川崎製鉄の江本寛治社長だったのですが、「現場も部長連中も、皆、非常に不安がっている」「そんなこと言っても実際はやらないんだよね?」(会場笑)と、二人ともおっしゃるんです。だから「いやぁ、実は先ほど辞令にすべてサインしてしまいました」と(会場笑)。
堀:そういった形の入れ替えは、うまくいくものなのでしょうか。どうすれば相手の長所を学ぶようにしつつ、社内の風通しをよくして、さらには一緒に統合できるのか。數土さんは当時、どのような言葉を発信されていたのですか?
數土:合併前も合併後も、私はいつでも「皆さまの価値を判断するのは収益だけですよ」と言い続けていました。収益以外にあり得ない。そんなことは20年前から知っているけれども、何の足しにもなっていなかった。だから、「収益だけ、そして数字で示す」と言い続けたのです。
皆さまはわかっておられるかもしれませんが、経営にはチャレンジング・スピリットと数字しかないのです。数字は英語やフランス語を知らなくてもわかりますよね。だから会計のことをアカウンティング(説明)というんですよ。これは非常にはっきりしている。そういったことを私は言っていました。アカウンティングという名前はすごいですよね。「説明に言葉はいらない」ということです。
堀:わかりました。ではあと二つほど経営に関して質問させてください。JFEでは三度の合併で規模化が図られたわけですが、一方で中国の製鉄企業でも規模化は進んでいますね。そういった動きに関して、以前拝読した雑誌の記事で數土さんは、「規模化の逆を行く」とおっしゃっていました。そうは言っても資本集約型産業では規模の経済が効いてくる場面はあるはずです。これをどのように戦っていくのでしょうか。また、日本の鉄鋼業界は非常に輸出の多い産業ですが、たとえば海外に高炉つくるといった動きはこれまであまりなかったように感じます。そういった意味で、鉄鋼業界の国際化についてどのように捉えているか、お聞かせいただけないでしょうか。
數土:10年ほど前まで、世界の年間鉄鋼生産高は7億トン程で横ばいが10年間続いていました。それが現在は15億トンになっています。そういう傾向もあって我々は経営統合したわけですが、これは新しい価値の創造であり、世界の経営環境に従って我々自身もまた変化していくということです。経営環境と今後起こることを正しく予測出来るかどうか。「自分は技術屋だから」「経理屋だから」と言って、将来展望を怠ったら絶対にダメなのです。これからは私がどう思うかよりも、私がお話ししたことについて若い人が自分で考えなければいけない。5年前ならば、私ももう少し答えていたとは思いますが(笑)。
堀:では今度はリーダーに関して伺っていきたいと思います。「人材を発掘する」というお話がありましたよね。數土さんは、人材発掘において人のどの部分をご覧になっていますか?どういった人を選び、逆にどういった人を選ばないのか。このあたりのお考えをお聞かせいただけないでしょうか。
數土:やはり新しい発想が出来るかどうかですね。さらにその発想をきちんと人に説明出来ること。先ほどお話しした通り、新しい発想というものは本当に地道に、こつこつ勉強をしていないと出てこないんです。発想だけがひょんなところからパっと浮かんでくるようなことはないと私は思っていますので。
堀:自分が発掘されたいのであればまず、新しい発想を持ち、多くのことを受信しながらインテリジェンスを高め、そしてそれを、会議をはじめとした何らかの場で必ず手を挙げ伝えると。私も経済同友会で何回か発言しているので數土さんには覚えていただけたかなと思っています(笑)。私自身、会議に参加したら幹事会の場で必ず一回は発言しようと考えています。一方で数を打てばいいわけでもなく、中身がないといけません。多くの人が発言なり質問の内容を評価しているわけですから。最初からうまくいくことはないと思いますが、のちほど皆さまには発言または質問する機会をおつくりする予定ですので(会場笑)、ぜひ積極的に手を挙げていただきたいと思います。
數土:うまい質問やよい質問をしようと思っているうちはダメです。大抵の場合、質問出来ない人は会議が終わってから「いやあ、あいつは下手な質問をしていたな」と口にするんですよ。質問しなかった人間が質問した人間を批判する、ダメな人材の典型だと思います。
歴史の「対話」に学ぶ重要性
堀:あとひとつお伺いしたかったのが胆力です。覇気、つまり胆力や決断力がなければいけないとのことでしたが、これはどうすれば身につくものなのでしょうか。
數土:たとえば明治維新後に大久保利通、伊藤博文、岩倉具視らがヨーロッパへ半年〜1年ほど視察に行っていましたよね。プロシアを訪れたときにプロシアの宰相は彼らに、「愚者は自分の体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったんです。私は古典などを読んで歴史を勉強するようにと、いつも言っています。リーダーになろうとすれば、窮地に陥る時期が必ずやってきます。しかし歴史を知っておけば、そのときに「歴史上の誰々ならどういう反応をするだろうか」と考えることができる。豊臣秀吉なら、足利尊氏なら、曹操なら、あるいはナポレオンならどうしていたかとね。
歴史のなかで疑似体験をするんです。擬似体験を学べるのが歴史をはじめとした古典なのです。体験しないと度胸は絶対につきません。修羅場はくぐらないといけない。ただし修羅場をくぐると言っても時間的制約はあります。その制約から解放してくれるのが歴史であり、文学であり、教養で、そこで疑似体験しておくのです。「僕は女房と結婚してからわかったのですが、もう少し体験しておけばよかった」と言ったところでね(会場笑)。たとえば女性にふられたときに自分をどうやって納得させていくのかでもいいので、疑似体験をしておくのです。
堀:ちなみに歴史についてもう若干お伺いしたいのですが、數土さんが好きな歴史上の人物というと誰になるのでしょうか。
數土:歴史上の人物であれば…、ソクラテスですね。それから、プラトン、アリストテレス、孔子、そういう人たちです。
堀:基本的に思想家が多いですね。
數土:多いですね。ただ、若いときはありとあらゆる小説を読みました。小学校5〜6年ぐらいのときにはじめて吉川英治の『三国志』を読んだんです。全14巻ありましたから小学校5年生から中学1年ぐらいにかけてひと月1冊前後のペースで読みました。読破したことを中学の先生は信用してくれませんでした(笑)。中学校1〜2年生ぐらいのときも『史記』とか、そういったものは読んでいました。
堀:たとえば「もしこの人が今この場にいたらどうしていたかな?」と思い浮かべる歴史上の人物はいますか?
數土:ソクラテスや孔子以外では、日本なら松下村塾の吉田松陰、適塾の緒方洪庵、札幌農学校のクラークが好きです。彼らは教育者でしたが、ソクラテスや孔子と共通点があります。それは非常に小さなグループで対話をしていた点です。孔子は論語を残していますが、『孫子』『老子』『荘子』『韓非子』など、他の古代中国の思想家は代表作に個人の名前がついています。でも『論語』だけは孔子の名前を冠していません。なぜならば『論語』は一人の考えではなく皆との対話だからです。ソクラテスも対話をしています。松下村塾、適塾、それからクラークの教えも同様なのですが、「対話」は非常に重要です。皆さんもうまくやるためには対話をしなければといけないと私は思っています。
堀:ちなみに私は織田信長と空海が好きです。「空海が今の時代に生きていたら何をしていたのかな」なんていうことをよく考えてしまうんですよね。「信長だったら今どうしていたかな」と(笑)。
數土:私も空海は大好きです。先ほどの例で言えば、空海はまさにTOEIC900点以上で留学しており、社会貢献もしています。空海は中国に渡ってから1年で景教つまりキリスト教(ネストリウス派)の最高位を得て、仏教でも最高位を得て、かつ拝火教の最高位も得ていて、もうすごいですよね。これは日本にいたときから空海自身がインテリジェンスを高めていたからです。海南島に漂着したときはすでに中国語を喋ることができたと言いますから。
堀:ちなみにグロービスでは陽明学が必修です。林田明大さんの『真説「陽明学」入門—黄金の国の人間学』という本を読みます。授業は10数人による対話形式で、学生は読んできた本を1枚の紙にまとめます。「自分に何を出来ているのか」「疑問に思っている点は何か」「自分がどのように成長したいと思っているのか」を書いてきて、それを皆で読んだり意見交換をしたりしています。陽明学についてはいかがですか?
數土:大好きです。実践ということを非常に大事にしていますよね。朝鮮の李王朝は孔子の教説を中心とする儒教を国教としましたし、徳川幕府も儒教を推奨していました。しかし王陽明はもちろんですが『論語』は本来、自由闊達です。会話ですから。ところが体制のなかで利用していた李王朝や徳川幕府は教条で決まるものだと思うようになってしまった。王陽明は机上の学問ではなく実践だと言っていたのですが。
堀:面白いことに中国では王陽明がほとんど知られていないんですね。恐らく王陽明の学びが広がってしまうと、これは革命思想ですから中国の政府としても陽明学はあまり出したくないのかなと勘ぐってしまうときがあります。ちなみに數土さんが経営リーダーを志す方々に「古典ならばこういったものを読むといい」というお勧めは何かありますでしょうか。
數土:やはり『論語』がよいのではないかなと思いますね。それから修羅場を疑似体験するという意味であれば、司馬遷の『史記』、あるいは『十八史略』などがよいのではないかと思います。
小さな勇気の積み重ねが自信を生み、さらなる勇気を生みだす
堀:ちなみに座右の銘といったものは何かお持ちですか?
數土:座右の銘は「誠心誠意」です。
堀:ではあとひとつだけ質問させてください。數土さんはJEFの社長を2010年に辞められ、経済同友会の副代表幹事も辞められました。そんな數土さんに、今後のプランについてお伺いしたいと思っていました。これからの人生は80〜90歳が当たり前になっていくことですし、數土さんがお持ちの見識や経験は日本にとっての財産であると思います。個人として、これからの生き方についてはどのようにお考えですか?
數土:ただ一言、ボランティアに尽きます。ボランティアに貢献したいですね。
堀:本日は政治や政府へのご批判もあったかと思いますが、ボランティアの一環として、政府や政治に関わっていくことは考えていらっしゃいますか。
數土:10〜15年ぐらいほど前までは若い政治家とも付き合いがあったのですが、なかなか思い切ったことが言えませんでした。しかしそれが今は言えるようになってきた。ですから少しずつそういうことを訴えていきたいとは思います。なにしろ経営者から解放されていますから、より自由な形で言っていきたいなと思っています。
堀:私も政治家の友人は比較的いるほうですが…、彼らもなかなか変わらないですよね。
數土:今の政治家には胆力がないですし、とにかく「選挙民によく思われたい」という気持ちが日本をダメにしてしまっていると思います。政治家にも自分の思いを正直に言い合って欲しいと思います。これからはそうなっていくと思いますが。
堀:今の政治を見ていると、やはり政治家から声を奪っている側面がありますよね。政治家が何か言うとマスコミが即言葉狩りをして、それが結果的に選挙民の批判となって落選につながってしまう。そういう状況であれば、まずは声を出しやすい私たちが声を挙げ、その結果として政治家も動かざるを得ないような、そんな世論形成も今後は必要になってくるのかなと思います。
數土:結局のところ勇気が求められるのですが、大抵の方々は勇気というと大げさに捉えてしまいます。必要なのは小さな勇気の積み重ねです。積み重ねていくことで自分に自信がつき、さらなる勇気が湧いてくる。勇気というのは、小さなものなのです。皆さんにはそんなふうに覚えておいていただきたいと思いますね。
堀:陽明学に「知行合一」という言葉があります。私は自分が正しいと思ったことについては行動を起こし、またそこから学んでいくことを基本として考えていきたいと思っています。恐らくは自分が信念を持って本当に正しいと思うことがあれば、おのずと動いていくと思います。大切なのはそこまで考え尽くしていくこと、そして使命感を持つこと、つまり何のために生きているのかという哲学でもあるような気がします。それらに支えられて「やらなければならないからやる」と、自然に行動していければよいなと思います。批判を浴びることがあっても、自分が正しいと思っているのであれば、嫌なときも周りに対して説明できると思いますので。そんなふうにして、とにかく自分の頭で考え、それを発信する。批判があったときはきちんと説明していくということです。
僕も8月に原発に関して孫正義(ソフトバンク株式会社代表取締役社長)さんと『トコトン議論』というのをやりまして、その際にはかなり激しいメールも受け取りました。ただ、正しいと思うのならば行動して発言をしなければ世の中は変わらないと思っていますので、今後もそういう形で動いていきたいと思っています。
數土:今のお話に関連して、経営統合したときのお話を少しさせてください。経営統合をすれば何らかのコンフリクト(衝突・対立)は必ず発生します。逆に言えばそれが起きない環境はダメだと思います。ただしそのコンフリクトは同時にコンストラクティブ(建設的)でないといけない。当時の私はコンストラクティブ・コンフリクトと表現していましたが、これを実践しないといけないし、恐れていてはダメだと思います。
健全なる競争下ならば、苦しいときもゲームだと思って乗り切れ
堀:ありがとうございます。ではここからは質疑応答の時間にしたいと思います。皆さまいかがでしょうか?
会場:數土さんはどのようなタイミングまたは状況で、ご自身が社長になるという自覚を持つようになっていったのでしょうか。
數土:社長というものはなろうと思ってもなれるものではありません。ただ、社長になろうと思わなかった人間もまた社長になれるはずはない。大切なのは、もし社長になったときにきちんと責任を果たせるよう研鑽を積んでおくかどうかではないでしょうか。これは部長や役員といった役職についても同じです。
私が課長だった当時、同じ部には3人の課長がいました。私は「自分自身が他の課長だったらどうなるか」「自分が部長だったらその3人に対してどんなことを言うだろうか」と考えていました。部長になってからも同様です。「他の部長になったらどういうアクションや考え方をしなければいけないか」を考える。社長になったら「自分が他社の社長になったらどのように舵取りをするか」と、そんなふうに考えていました。ただし社長に指名されるまで、私自身は社長になると思っていませんでしたが。
会場:川崎製鉄に入社された1964年以降、鉄鋼業では好調な時代もあれば厳しい時代もあったと思います。數土さんのこれまでに渡るビジネス生活のなかで最大の修羅場というか、最も厳しかったのはどのタイミングでしたでしょうか。なぜそのように感じられたか、そしてどのように打開していったかも併せてお聞かせください。
數土:会社が厳しいときはたしかにありました。実際、私が社長になるまでは配当が10年間ゼロだったんです。NKKも2回配当はありましたが、これもかなり苦労していましたから。しかし自分自身の苦しい時期についてどうかというと、人生としては楽しかったと感じています。なぜかと言えば健全なる競争であって、苦しいときも本質的にゲームだと思っていましたから。苦しいときの話と言われても「何か苦しいときがあったかなあ」というぐらいで、私個人としては特になかったということになります。
堀:苦しいと思わなかったにせよ、たとえば修羅場体験と言いますか、自分が成長したと思えるような体験というのはなかったでしょうか。
數土:それはいろいろなことがありましたね。たとえば疑似体験。社長になったとき、私はすぐ外部のコンサルタント会社に、「私の会社で大変な不祥事が起きたという想定で模擬インタビューをしてほしい」と依頼しました。苦しいときの疑似体験を先取りしていたんです。
堀:それはメディアトレーニングのような形だったのですか?
數土:メディアトレーニングですね。京浜製鉄所で大事故が発生し、火災が起きて人が何人も亡くなるという設定にして。そのとき、社長がすぐにどんな会見をするかという擬似体験をしたのです。
堀:私もそういうメディアトレーニングは何回か受けましたね。
數土:それを社員が見ているところでやるんです。もう大変な照れくささがありました。ただ、お金を払われてやっていますから、メディア役の方々も容赦しません。そんな経験をした結果、私が社長だった時期は最長でも30分だった株主総会を2時間も続けるようになりました。ほとんど私一人でご質問に答えていきましたね。
堀:質問が出尽くすまで続けていたということですか?すごいですね。
厳しい環境から逃げても、自分は少しも良くならない
会場:現在、私たちは仕事をしていくうえで大変厳しい環境に置かれているというお話がありました。そのなかで法人税や政府のリーダーシップに言及されましたが、それは恐らく數土さんご自身も社長をされていた時期にお感じになっていたのではないかと思います。私の感覚では、それならば法人税の低い外国に移るとか、環境を変えるという選択肢も考えるかもしれません。しかし、數土さんはそれをされなかった。あえてそのようにして環境を変えないのは數土さんがやはり日本をすごく愛しているからではないかと想像しておりました。この点について何かご自身の想いがあればお聞かせいただけないでしょうか。
數土:まったくおっしゃる通りです。ただ、もうひとつ「環境から逃げても自分は少しもよくならない」という思いもありました。ソクラテスは皆と対話をしていましたが、皆に讒言されて毒杯を仰いで自殺するしかなかった。そういう逆境に、たとえば李登輝やリー・クアンユーも向き合っていたわけです。逆境が我々をつくるんですよ。逆境と向き合わないままよい環境へ行っても、あまり変わらないと思います。裕福な家の息子が必ずしもよい大人に育つかというと、決してそうではないですから。ですから厳しい環境はチャンスと思ったほうがよいのではないかと考えています。
会場:社会貢献が大切ということで韓国の例も提示いただきましたが、会社経営では社会貢献と会社の利益ないしメリットが矛盾するケースもあったのではないかと感じます。そんなときはどのように考え、判断をされていたのでしょうか。
數土:社会貢献における大切な考え方のひとつに、自分と違った環境に身を置くことで、その人たちの身になって、異質性や異文化性に接するということがあると思います。自分の利益から離れてボランティアを行うと、別の価値観を持つことが出来る、もしくは強制的に別の価値観を自分に持たせることができるのではないかと思っています。
会場:コンストラクティブ・コンフリクトについてお伺いしたいと思います。グロービスで学んでいくにつれ、今自分たちが攻めている市場について非常に勉強しているという自負があります。的確な意見を述べるためにさまざまなプレゼンを行なっていますが、時にお客様に評価される前に社内で「難しすぎる」と反応され、却下されます。今日、コンストラクティブ・コンフリクトという言葉を伺って大変インスピレーションを受けました。現在、私の上には4人ほど役職者がいるのですが、どの程度コンフリクトを起こしてよいものなのか。あるいはコンフリクトのなかで上の人はどこまで言葉や行動を拾ってくれるものか。そういった点について何か示唆があればお願いします。
數土:『論語』や陽明学ではいずれの場合も相手の善をベースにしているところがあります。ところが中国で法家と言われ、秦の始皇帝が採用した『韓非子』は違います。マキャヴェッリの『君子論』や『韓非子』は性悪説なのです。どれだけ正論を言っても「下手なことを迂闊に言うなよ」となってしまう。ですから「相手に受け入れてもらえるような環境をつくってから伝える」ことが大切です。さもなければ、コンフリクトだけが続いてしまいます。コンストラクティブにするためにはどうしたらよいかを、相手の気持ちになって理解することが重要だと思います。
よい上司に出会うのも悪い上司に出会うのも大きなチャンス
会場:胆力を鍛えるというお話がありましたが、私は胆力に自信がありません(会場笑)。普段の生活や仕事で胆力を鍛えるために心がけておくこと、あるいは何か工夫出来ることがあれば教えてください。
數土:先ほど申しました通り、歴史や過去の実績を学びましょう。たとえば木下藤吉郎が織田信長の草履取りをやっていたとき、草履を懐に入れて温めていたと言っていましたよね。あれ、もしかしたら尻に敷いていたのかもしれません。それで彼が「温めていた」ということを咄嗟に言ったのかもしれない。そういう事例をつぶさに見ているうち、胆力は自然と身についてくると思います。やはり歴史や古典の疑似体験を積み重ねるしかないのではないでしょうか。
現実であればたとえば上司に叱られるというのもありますね。あえて叱られるんです。叱られても大したことないと感じるまで経験を積んでおく。これはとても戦略的な考えです。戦略のない人がリーダーになろうと思っても、やはり無理ではないかと思います。私はそんな勉強も必要ではないかと思っています。
堀:叱られるためにも挑戦をしなければいけないと。
數土:そうです。叱られることを恐れないということでもあります。怖がりながら胆力を鍛えるのは無理な話ですから。
堀:一方ではそういった胆力がある方の側で学ぶというのも有効であるように思えます。
數土:そう。やはり優秀な人の元で学ばないといけない。サラリーマンで一番重要なことは、サラリーマンはまずもって上司に恵まれないということなんです(会場笑)。これは当たり前のことです。ところがおかしなことにサラリーマンは、皆、自分が上司に好かれると思うんですよね。
私は現場で部長をやっていた頃、工学部で大学院卒の新人が5〜6人入ってきたことがありました。私はそこで指導先輩を決めた。それで3カ月ぐらい経ってから聞いてみたんです。「指導先輩とうまくいくと思う?」と。すると6人全員が「うまくいきます」と言う。「でもお前、工学部を出てきたのなら確率で考えてみろ」と。新しい人と出会って「好かれる」「嫌われる」「好きでも嫌いでもない状態」に分かれるなら、好かれる確率は全員が3分の1です。「それなのに6人全員が好かれるなんて考えるのはありえない」と。これは非常に重要なポイントです。サラリーマンで上司に恵まれる確率は、普通はないんですよ。どんなに確率が高くても3分の1しかない。それなのに誰もが自分は好かれると思うんですね。そんな馬鹿な前提はやめたほうがよいと思います。
堀:よい上司でない人たちに叱られることも胆力を磨く訓練になりそうですね。
數土:そうですね。とにかくよい上司に出会うのも悪い上司に出会うのも大きなチャンスであると。私としてはそうとらえたほうが良いと思っています。
会場:數土さんにとって鉄鋼業界の魅力というものはどこにあるのでしょうか。
數土:それを簡単に言えるはずはないんです(会場笑)。私が魅力を言ってもわかっていただけると思いませんし(会場笑)。私がいない業界の魅力はどこか。これなら答えやすいですね。私は現在、武田薬品工業の社外取締役、住生活グループの取締役、NHKの経営委員会委員長、大成建設の取締役(非常勤)を務めています。それぞれ本当に魅力的なところがあります。ただ、自分が20〜30年いたところの魅力は何かと聞かれて、答えられるほど幼稚ではないと思っています。
自分さえゲーム感覚でやっていたら、いつでも専門は変えられる
会場:継続的に価値を生み出す人材に必要なこととして、専門能力をつけるというお話がありましたが、その専門はどのように決めるべきでしょうか。会計や経営などいろいろと道があると思いますが、たとえば今の仕事の延長線上で考えるべきか、やりたいことをベースにそれを高めていくべきか、あるいは時代の流れに乗っていくといったアプローチをとるべきか。どのような基準を儲けたらよいのでしょうか。
數土:どんな専門性にするのかを考えるうえで、自分の将来予測が大切になると思います。それが当たったら当たり。当たらなかったら自分の不明を恥じよということで(会場笑)。ただ、たしかに専門性も志も持たないといけませんが、失敗したら別の専門性なり志を身につければいいのです。そこで失敗したら身も世もなくなってしまうなんて考えたらつまらないですよね。専門性に関して言えば、セールスでもファイナンスでも3〜4年、ある程度勉強したら自分は専門家になったんだと信じること。自信を持つことがスペシャリティを身につけるうえで最も大切な要素だと思います。
堀:たとえば将来予測を自分が立てたとき、違う専門性の分野をアサインされた場合はどのように考えれば良いのでしょうか。
數土:諦めるしかない(会場笑)。当たり前のことです。先ほど、上司に恵まれるということはサラリーマンには少ないと申しあげましたよね。同様に、自分の得意分野の仕事に当たることもまずありません。ないことをベースに考えれば、これはもう「諦めなさい」ということになる。とにかく自分さえゲーム感覚でやっていたらいつでも専門は変えることができます。私の体験からもそう思います。
会場:衰退から再生のフェーズにある会社が、さらに発展していくために重要なことは何かを教えていただけないでしょうか。私自身、倒産しそうな会社で役員としていろいろなことをしてきて、今はやっと食えるぐらいまでになりました。ただ、そこから先のことをあまり考えていませんでした。今、これからどういう会社にしていきたいかを皆で議論したいと考えているのですが、何かアドバイスを頂戴できないでしょうか。
數土:王道はないと思います。地道に、わずかでも、継続的に価値を自分でつくっていく。そこから自分の周りの人間が新しい価値を生み出しやすい環境をつくっていく。さらに、そういう能力のある人をピックアップする。これらを地道に続けることが重要になると思います。
堀:今日のお話しから得られるヒントとしては、やはり疑似体験をすることだと思うんですよね。衰退して、そこからなんとか再生のプロセスに入りかけた会社がどうやって伸びたかという事例を何社かピックアップして、そこから学び取るのはよいかなと思います。
工場勤務続きの私が、海外出張を始められた理由
会場:経営者として統合を行われたなかで、最も挑戦しがいのあったこと、あるいはやりがいのあったことはどのような点でしたでしょうか。
數土:私はとにかく「継続的な価値の創造だけが唯一、皆さまの価値判断です」と言い続けてきました。それがある程度浸透したことを感じたときは、やはり大きなやりがいを感じました。また、私自身は常に公正・公平・透明性ということをベースに置いていました。これはほとんど曲げることなしに貫き通すことができたと思っていますし、その意味でも非常にハッピーだったと感じています。
会場:新しい価値を創り出していくためにも異質との遭遇が大切という点は、私自身も非常に強く感じています。ただ、何もしないと異質との遭遇も生まれないのではないか、リーダーたらんとするものはそれを掴みにいく、ということではないかとも思っています。特にJFEのような万人単位の大企業ではどうしても同質化に陥りやすくなり、異質との遭遇も減ってくるようにも思えます。異質との遭遇を仕組み化するとか、このタイミングでこことここを引き合わせるなど、施策として注意されていたことがあればお伺いできればと思います。
數土:鉄鋼業ですから溶鉱炉は夜も昼も稼働しているわけですが、私は入社してから深夜勤務の3直3交代という形態で4年10カ月ほど働いていました。しかし昼に会社を動かしている経営者や役職者と没交渉になり、不安になりました。まるで商社の駐在員として一人、未開の国に派遣されるような不安でした。それで「これはどこかで脱却しないとダメだな」と思うようになりました。
そこで入社後1年半ぐらい経ってから考えた方法があります。日本鉄鋼協会や日本金属学会は春と秋に学会を開催しているのですが、これに論文を投稿したのです。学会で論文が取り上げられれば、発表するチャンス、すなわち出張チャンスが出来るわけです。私は現場で仕事をしながらある種の実験も続け、鉄鋼精錬における物質バランスといったような論文を書きました。
投稿締め切りの1週間程前に係長へ持っていきまして、「これを認めてください」とお願いしました。係長はなかなか「うん」と言わないのですが、「とりあえず見ておく」と言われました。締め切り前日になって「ちょっと来い」と呼ばれまして、「課長と相談した結果、認める」と言うわけです。「いやぁ、よかった」と喜んでいたら、「ただし条件がある」と言うんですね。「何でしょうか?」と聞いたら、「課長と俺の名前も一緒に載せておけ」と(会場笑)。でも私としては、「これはしめた」と思いましたね。
それでめでたく出張出来たので、これに味を占めました。以降、フランスやアメリカやドイツの鉄鋼協会にも英語やドイツ語で投稿し、出張するようになったのです。その頃に出会った友人たちは私が社長となる10年ほど前にアメリカやフランスやドイツの鉄鋼企業でそれぞれボードメンバーになっていきました。それが現在の人脈における基礎にもなっています。異質、異分野との遭遇が実現したんですね。これは答えになっていないかもしれませんが、私の体験として少しご紹介させていただきました。
堀:今のお話を聞いていてわかるのは、どんな立場でもできることがあるということですよね。うまく上司を説得して有効な機会を設ける。そしてとにかく遭遇の機会を求めていくということが重要であると。
數土:そのとき、「係長も課長も論文に関与していないじゃないか」と憤慨するのは愚の骨頂です。「いやぁ、どうもありがとうございます」と言っておけばいい(笑)。
堀:そこがポイントですね(笑)。ありがとうございます。ちなみにその出張はお一人で行かれたのですか?
數土:あ、非常に良い質問ですね(会場笑)。鉄鋼業の営業というのは現地で必ず商社が付いてくるんですが、私の場合はまったく一人でした。もうロンドンの学会へ行ったときは‘apple’と言っても通じないぐらいで大変でしたね。
堀:英語の発音ですね。
數土:おいしい林檎をひとつ買おうと思っても苦労するわけです。ベルギーに行って、空港で「ホテルヒルトンに行ってくれ」と言っても通じないんですよ。5分ぐらいかけて説明したり綴りを書いたりして、ホテル“イルトン”だと分かった。あちらは‘h’を発音しないんですね。そんなことがよくありましたね。まったく一人でしたから。
会場:私は今年で43歳になりますが、もし數土さんが40代に戻ることが出来るとしたら、どのような業界のどんな職種を選びますでしょうか。理由などがあれば併せてお聞かせいただけたら幸いです。
數土:その質問をして頂きたくて仕方がなかったんですよ(会場笑)。一番やりたいのは高校教師です。中学の教師でもいい。もう間違いないですね。私は高校のときに古典を一所懸命やっていて、実は文系に進もうと思っていたんです。ところが高校3年のときにソ連の人工衛星スプートニク打ち上げという出来事がありました。そのときに物理の先生が授業で「人工衛星は地球の周りをバランスをとって回っている」といった説明をしていたのですが、この説明がもう下手で…。「これはもう僕が物理の教師になって説明しないとダメだな」と思って、それで理系に進路変更したのです(会場笑)。
堀:それは…、もうその先生のおかげということになりますね(笑)。
數土:そうなんですよ。とにかく今40代に戻ったなら、中学か高校かはわかりませんが教師になりたい。大学は面白味がないから高校か中学ですね。
堀:科目は歴史か古典ですか?
數土:何でもいいです(会場笑)。数学でも物理でも化学でも歴史でも文学でも漢文でも、本当に何でもいい。とにかく教師になりたいですね。
堀:大学院の先生ということで「古典に学ぶリーダーシップ」という授業をグロービス特別講座でやっていただくというのはいかがでしょう(笑)。
數土:いいですね(笑)。私は経済同友会でさまざまな会社の執行役員である方を対象に、プライベートで論語と経営を説く「論語塾」または「數土塾」なるものをやっているんですよ。ですからそういうチャンスがあればいつでも。
会場:私はJFEエンジニアリングに在籍しておりますが、ぜひお伺いしたい点があります。合併(経営統合)後は人事の入れ替えを行ったうえで、結果で判断していったというお話をされましたが、結果とプロセスのバランスはどのようなものだったのでしょうか。結果のみを重視されたのか、あるいは先ほどのお話にもあったように新しい発想を選ぶ人を重要視されるような要素もあったのか、そのあたりについてお聞かせください。
數土:プロセスと結果のバランスについてですが、私は経営者でもなんでも打率3割だと思っているんです。イチローでも長嶋でも王でも同じですが、ピッチャープレートからホームプレートに投げられたボールを4割で打てるバッターはいないんですよね。取締役や執行役員になったら3割以上当たるなんて思ったら大間違いです。部下は皆さんが執行役員になったとき、どう言ってくるか。2割5分しか当たらずにデッドボールやフォアボールで出塁しても、皆がヒットであるかのように言ってきて、必ず褒めてくれるんです。「社長は7割当てています」「部長は7割当てています」と。
それでもどうしても3割ぐらいはおだてるにもおだてようがない結果が出てきます。そうすると「あいつが悪い」となる。「社長がどれだけよくても、あんなに悪いのがいたら」と。さらにそれに乗る人間も出てくるんですね。ですが、プロセスと結果が最初から合うはずがないのです。合わせないとダメだと思うその考えが決断力を鈍らせてしまう。それではいけないと思います。答えになっているとよいのですが。
堀:ありがとうございます。これほど多くの質問があったということ自体、大変有意義なスピーチと対談、そして質疑応答になったことを証明しているのではないかと感じます。數土さん、本日は誠にありがとうございました(会場拍手)。
數土:こちらこそ私の話を真剣に聞いていただきましてありがとうございました。質疑応答では私自身も大変勉強になりました。それからスピーチのなか、あるいは質疑応答のなか、配慮に欠けるような発言があったかもしれませんが、どうか我が意図するところを伝えようという気持ちに免じて許していただければ幸いでございます。本日はこちらこそありがとうございました(会場拍手)。