グリー 代表取締役社長 田中良和氏をお招きし、グロービス経営大学院で行われたセミナーの模様をお届けします。
創業5年で時価総額3000億円
この場にお招きいただき、大変恐縮しております。今日はまず私のやっている会社の事業を簡単にご説明したあと、個人的な話も出来ればと思っています。テレビCMなどを通じて我々の事業やサービスについて漠然とした印象をお持ちの方は多いと思いますが、まずはどんな会社かというところからご説明させてください。
私の経営している会社はインターネット事業をやっています。現在は主にモバイル向けにSNSとソーシャルゲームを提供するサイト「GREE(グリー)」を主体にしていますが、基本的にはそれに留まらず、インターネットの可能性を最大化しながら社会に貢献することを会社のスローガンにしていたいと思っています。6年ほど前に立ちあげたグリーは、現在は従業員およそ200人の企業になりました。当社は6月決算ですが、前期の売上は350億円、営業利益が200億円前後でした。今期は売上高500〜600億円、営業利益は300億円ぐらい出そうという経営計画になっています。
現在の時価総額は3000億円ぐらいで、日本の上場企業におけるランキングでは200番目ぐらいになっていますね。そういった意味では、我々も日本で200番目の会社に相応しい体制やコンプライアンス、あるいはサービスを実現しなくてはいけないという意識を持ってやっています。我々が本当に日本で200番目の会社に相応しいのかと言われるとまだまだの部分があると思っていますから、内実ともに近づいていきたい。そんなフェーズにあります。
新聞やテレビと比べて遜色のないメディアがインターネットから生まれる時代に
目下、グリーの会員数は2125万人(2010年7月現在)になりました。ソーシャルメディアやSNSと言われるサービスの中で、国内最大級になったのがこの7月です。現在も毎月およそ50〜100万人の方々が新しく会員になっておりまして、今後は国内で3000〜4000万人のレベルで使われるようなインターネットメディアになればと思っています。ゆくゆくは新聞やテレビと比べても遜色のないメディアがインターネットから生まれるという時代に、今まさになろうとしている。そのように感じているところです。
よくソーシャルゲームとかモバイルと言われると、「子供向けなんじゃないの?」と言われますが、現在、会員の年齢層は30代以上が44%なんです。しかもここ1〜2年でいちばん会員数が伸びているのは40代以上。もうすぐ30代以上が過半数になると思いますが、そういった意味では若年層向けのメディアどころか、もう30歳以上のメディアとして育っているのではないかというほどの年齢層になっています。
これはもちろん我々のサービス内容からくるという見方もありますが、日本では人口構成上、現在のような年齢層にならざるを得ない面があるんですね。日本で3000〜4000万人、さらには5000〜6000万人といった規模で支持されるような本当の意味でのマスメディアを創造しようとすると、人口の比率上どうしても30〜40代以上のユーザーを獲得していく必要がありました。逆に言えばターゲットを若年層に絞ったメディアでは真のマスメディアになるのが難しい構造があるのかなと思っています。男女比率は半々ぐらいですね。日本全国の方々に広くご利用いただいています。
SNSと連動した、新しいプラットフォーム
また、我々は今までのコンソール型ゲームと異なり、ソーシャルネットワークと連動することによって多人数で同時にゲームをやるというカルチャーをもったソーシャルゲームを提供しています。数百万から1000万を超えるユーザーと連携していくような、今までのコンソールゲームでは実現出来なかった新しいタイプのゲームですね。最近では家庭用ゲームをつくっていた企業さんにもソーシャルゲームのプラットフォームを解放しています。スクウェア・エニックス、カプコン、あるいはセガといったゲーム会社も我々のプラットフォームでどんどんサービスを提供していく。今はゲーム業界でもこのような新しいタイプのプラットフォームに注目が集まっています。
ソーシャルゲームが実際にどれほど使われているかということですが、グリーではつい2カ月ほど前から、自社ゲームではなくサードパーティーの方々がつくったゲームの提供もはじめました。提供開始わずか16日で利用者が100万人を突破したゲームも現れています。家庭用ゲーム機で100万本売れるようなソフトは年間5〜10本ぐらいしか出ないと思いますが、ソーシャルネットワーク、そしてソーシャルゲームという枠組みのなかでは、1カ月ぐらいで100万人が使うサービスがいくつも出てきているんです。
ソーシャルネットワークとゲームが連携しただけで、今までのゲームマーケットと同じぐらい、あるいはそれを超えるようなスピードで新しいビジネスやサービスが広がっていくようになっています。そう考えると、ソーシャルネットワークとゲーム以外の連携によって、可能性は一層広がっていくのかなと。そんなことを考えながら、日々事業を進めているところです。
世界から注目される起業家の素顔
ここからは私個人のお話をしたいと思います。僕自身ゲームは好きですが、特にゲーム会社を立ちあげたかったわけでも、ゲームだけをやりたかったわけでもありません。とにかくインターネットそのものに対して強い興味があった。社長になりたかったのでもまったくないんですね。学生時代はグロービスで使われているようなMBA本のようなものを読んで、少しばかり賢くなったようなことを周りに言ってしまうような、よくある大学生活を送っていた僕でしたが、それはビジネスに対する知的な興味であり、起業したいと思っていたからではありません。もちろん、今振り返るとまさにグロービスで教えられているMBA的な経営手法の勉強を学生の頃から自分なりにやっていたことが、会社をつくるうえで役立っているとは思っています。ただ、グリーの起業はむしろインターネットというものを追究していくなかで自然に生まれていった流れだったと自覚しています。
「大きくなって仕事をするのであれば、何か社会に役立つことをしたいな」と、子どもの頃から思っていました。ただ、そう思っても自分が何をすれば良いかまず分からないし、自分が他の人と比べて特別優秀にも思えなかった。だから「自分の人生、これからどうなるんだろう」という不安に苛まれつつ、それでも「悩んでもしょうがないし……、とにかくどうしたもんかな」と色々と考える学生生活を中・高・大と送っていました。特に女の子にもてる訳でもなかったので、大学生活もそれほど楽しくないし、勉強もそれほど出来ないし、お金もないと。「俺の人生、いいことないな」と思っていました。
そんななかでインターネットと出会いました。子どもの頃からゲーム好きだった僕は、実は中学生ぐらいから日本経済新聞をよく読んでいました。ゲームの情報って実は、『ファミコン通信』よりも早く日経新聞に載るんです。ドラクエの発売日を知るには日経を読むのが一番早い(笑)。それで父親に「日経新聞を読んで勉強したい」と頼み込んで購買してもらっていました。記事のなかに、「これからはインターネットの時代が来る」と書いてあった。それで、「これはすごい」となったのが、僕がインターネットを知ったきっかけです。
やっぱり将来何か仕事をしていくのであれば、社会を変えていくような仕事をしたいなという夢はあった。でも正直、僕が今さらバイオテクノロジーで革新を起こすかとか、石油王になれるかというと、現実感がない。でもインターネットの世界では、当時25〜26歳の若者がYahoo!をつくっていたりした訳ですよね。それを知って「この世界なら僕も世の中を変えていくことが出来るかもしれない」と。いつか日本でインターネットビジネスが生まれていったあかつきには、傍観者になっているのではなく、実際に参加して、そのなかで人生を過ごしたいと願うようになりました。
ただ、当時は周りを見渡してもパソコンを持っている人はまったくいない時代ですから、「これからインターネットが来る」なんて言っても通じませんでした。だからまずインターネットについて語り合える友人が欲しいと思いまして、「インターネット好き」と検索しつつ、語り合えそうな友達を見つけていきました。そこでたまたま知り合えて、遊びに行ったのがネットエイジの西川(潔・ngigroup取締役会長)さんでした。今から15年ぐらい前のことです。そこには「インターネットに興味があるけれども周りが理解してくれない」という、僕と同じような境遇の人たちもいました。mixiの笠原(健治・代表取締役社長)君やうちの会社の山岸(広太郎・副社長)君です。当時は高校生から大学生ぐらいの若者がそんな風に集まって、色々と語り合っていたんです。「Amazonというのがあってインターネットで本を売っているらしいよ?」、「そんな馬鹿な。あり得ない!」とか言って(会場笑)。
アメリカでは少しずつインターネットバブルが生まれていたので、ゴールドマン・サックスの日本支社なんかにインターネット業界のレポートがあったんです。僕らはそれをこっそり読みたいがために、友人の友人を発見して休みの日に入れてもらい、アナリストのレポートをたくさん貰って帰ってきて、皆で一生懸命翻訳するとか。もう好きなアイドルの追っかけみたいな感じでインターネットを追いかける学生生活を送っていたら……現在のようになったというところです。
大企業を1年で辞め、当時ベンチャーだった楽天へ
そんな学生生活を終えたのち、楽天に就職したのが僕としては良かったと思っています。僕が就職活動をしていたのは1999年ですが、周りもまだやっとパソコンを買ってインターネットをはじめるという時期でした。だからインターネットがビジネスになるかどうか自体が議論されていた時代なんですね。そんな状況でインターネット業界に就職したいといっても働く場所がそれほどなかった。「どうしたものかな」と思いつつも、NTTやソフトバンクの採用に応募したりしていました。結局、ソニーのインターネット部門であるソニーコミュニケーションネットワーク(以下So-net、現ソネットエンタテインメント)に採用していただいたんです。僕は1期生ぐらいでした。インターネット業界に就職するという概念そのものがほとんどなかったような時代だったんです。でも、たとえばテレビ局に就職出来なくても制作会社に入って頑張り続ける人はいるじゃないですか。だから僕もインターネット業界を志した以上、就職先がなくてもインターネット業界の丁稚奉公のような場所からこつこつ頑張っていけばいいと思っていました。ところが入社してすぐに、「やっぱり違う」という気持ちになった。それ自体はもちろん良いことではないのですが、結局は10カ月ぐらいで辞めてしまったんです。
どうやら僕にはインターネット業界への憧れと同時に、インターネットベンチャーへの憧れがあったんですね。それに気が付いてしまったのは入社後でした。ですから新卒の人には、「どんな会社でどんな仕事がしたいのか、就職活動ではよく考えるようにしろ」と言っています。僕も考えてはいたんですよ。でも、どんなタイプ、あるいはどんなステージにいる会社かが重要だったんですね。もちろんSo-netはいい会社だったし上場企業ランキングでも相当上位に位置する企業だとは思います。けれども僕にとっての「良い」とは違う。そう感じました。
インターネットベンチャーへの憧れ
インターネットベンチャーに憧れたのは、当時のYahoo!、Amazon、eBay…、今ならGoogle、Facebook、Twitterあたりでしょうが、若い人でもゼロから自分の道を切り拓ける可能性があったからです。しかもそこから、小さなことではなく、真に世界を変えていくようなサービス、テクノロジー、ビジネスが生まれる可能性がある。自分はそれが好きだったんだと気が付きました。So-netは良い会社ですが、ベンチャーではないし成熟した大企業の子会社です。そこで22〜23歳の新人がすぐに大きな仕事を出来るかというと、正直、難しい部分がありました。
今でも覚えていますが、ある上司の方が、無知な僕に社会人の先輩として良い意味で言ってくれたと思うのですが、「田中君は22歳でしょ?それなら10年ぐらい頑張って35歳ぐらいには一人前になれるから、そうしたら色々と新しいビジネスに挑戦したらいいんじゃないかな」と言うんです。親心で言ってくれた訳だし僕はその人が好きでしたが、それを聞いたときは愕然としました。「俺は18歳からインターネット業界で働くことを志して4年も頑張ってきたのに、あと12年間も勉強するのか」と。僕は現在33歳ですから、それを鵜呑みにしていたら今でもサラリーマンとして勉強中だった。危なかったと思いますね。
もちろん、そのアドバイスはある意味で普通の考え方だと思います。勉強しながら経験を積んで、いつか自分のビジネスを立ちあげていく。それは悪いことではない。でも当時の僕には馴染めない考え方でした。それでインターネットベンチャーならいいだろうと、遅まきながら気が付いた。それで当時の上司や社長に「本当に申し訳ありませんが退社させてください」と正直にすべて話して、退社させていただきました。
そこでなぜ楽天か。当時の僕が知っているインターネットベンチャーは楽天だけだったというのが実情なんですが……(会場笑)。少し詳しくお話しすると、現在は売却してしまいましたが、フォートラベルという会社をつくっていた津田全泰君という友人が僕にはいました。彼は楽天の10番目ぐらいの社員だったんですが、先程話したインターネット友達のひとりだったんですね。彼も15年前当時、「インターネットはすごい」と言っていた数少ない友人だったのでとても気が合いました。
彼もしっかりした会社の内定をいくつも獲得していたのですが、それをすべて断っていた。そして当時エム・ディー・エムという社名で社員10名前後の楽天に行くと言っていたんです。当時は、「こいつちょっとおかしいんじゃないか?」と思いましたが(会場笑)、今思うと先見の明があったんですね。その際、彼が、「せっかくだから田中さんも紹介するよ」と言ってくれました。僕も学生時代、楽天が社員6人ぐらいのときに一度オフィスに遊びに行って、三木谷浩史(代表取締役会長兼社長)さんに紹介してもらってはいたんです。そこで「田中君もインターネットが好きならぜひうちで」と言われましたが、最初は「こんな怪しげな会社に就職してる場合じゃない」と思って、So-netに入社していました。
それから1年も経たないうちに、「僕はとにかくベンチャーに入りたかったようなので、入れてください」と、改めて話したら、(三木谷さんも)「分かった」と(笑)。凄いですよね。今思うと「こいつ大丈夫か?」という感じですが、そんなこんなで入社させていただきました。面接で伺ったころの楽天社員は30〜40人ぐらいに、入社したころには60〜70人ぐらいに増えていました。1999年末から2000年初頭にかけての出来事です。
急成長を遂げた楽天で身に付けたもの
ここで一旦お話をまとめさせてください。僕は今色々なエピソードを冗談めかせてというか、面白おかしくお話ししたつもりですが、実際のところ、「人生分かんないな」と思っているところがあります。ちなみに僕は就職活動でYahoo!にも応募していたんですが、最終面接で落とされていました。あのときYahoo!に入っていたら今の自分はなかったかもしれないですよね。Yahoo!に落ちてSo-netに入社し、そこからベンチャーがいいと思って退社して、最終的にはたまたま友人が入った楽天へ……。しかも、他のベンチャーをあまり知らなかったから、それほど興味がないのに入社したというのが事の顛末です。
だから人生は何がきっかけでどんな風に拓けていくか本当に分からない。よく言われる通り、失敗が人を育て、失敗によって何か新しいものを掴むというのは本当のことだなと感じます。それがお伝えしたいことのひとつですね。
よく言われるんです。「田中さんは楽天に入って、はじめから思った通りうまくいっていたんですね」なんて。そんなことまったくないです。恐らく三木谷さんも同じだったんじゃないかと思います。楽天には5年ほど在籍していましたが、他社の方に言われるほど順調ではありませんでした。「楽天って右肩上がりだね」とよく言われていましたが、実際になかで働いている人たちは、皆「この会社いつ終わるんだろう」とか「Yahoo!に買収されて終わりだよ」なんて言いながら、不安に苛まれていました。他の人が思っているほど成功している訳じゃないという気持ちが、楽天社員だった当時の僕としてもものすごくありましたね。
日本で最も成功したベンチャーでの経験
それでも良い経験になったのは、楽天は恐らくこの10〜20年間において、日本で最も成功したベンチャー事例のひとつだったことです。22のときに転職した僕は上場した時点で一番若い社員でしたが、そんな風に大きくなっていった企業に若い時点で入社し、成長のさまを一員として体験出来たのは、僕にとって一番の財産になったと思っています。どういうことか。最近はうちの会社にも第二新卒が転職してきますが、彼らはよく「会社って売上が伸びていくこともあるんですね。僕は前の会社に3年勤めていましたが売上は毎年落ちていました」なんていうことを口にします。彼らは、会社が大きく伸びる経験をしていないんですよ。でもよくよく考えてみると、近年の日本はGDPが横ばいですから、平均したらすべての会社の売上が横ばいになる訳じゃないですか。だから決して珍しい事例ではない。企業が成長する感覚を実感として持てなくても仕方がないんです。
ところが僕は楽天で、社員が6人から5000〜1万人に増え、日本でトップ100に入るような企業になることがあることを、身を持って体験した。そういうことが実際に起こり得ると信じることの出来る環境にあったんです。恐らく、僕ひとりではないにせよ、同じ時代を過ごしてきた人々のなかでもかなりレアなケースだったのかなと思っています。そこで得た経験が今の自分を動かす強い信念にも繋がっていると感じますし、大きな財産のひとつになりました。
もちろん楽天が成長していくなかでは先程お話しした通り、成長企業だからこそ起こり得るような数々の問題もありました。たとえば成長のフェーズにおいて経営陣が下す諸々の判断について社員がどう思うかとか……。色々と細かい例はたくさんあると思いますが、僕は働いているなかでそれを内側から目にすることが出来た。それが今の会社づくりにも大きく役立っていると感じます。楽天のような成長信念があるベンチャーに在籍出来たことも、急成長する段階でしか発生し得ないような困難、あるいはそれに対する解決方法を目にしたことも、得難い経験になりました。
だから僕は若い人にも「うちみたいな会社で働いたほうがいいよ」と言っています。我々もまだまだ200人ぐらいの所帯ですが、それでもいずれは500〜1000人ぐらいの企業に成長するんだと、知って欲しい。こんなによく分からないおっさんがやっている会社でもグローバル企業になるんだと。
三木谷さんだって、一橋大を出て興銀に入り、ハーバードも出ている訳ですから世間から見たらものすごいエリートですよね。でも僕が初めて会ったとき、三木谷さんはカローラに乗っていたんですよ。カローラに乗っている33歳のおじさんというのが、知り合ったころの三木谷さん像でした。今は本当にすごい方だと思っていますが、当時は僕の見る目がなかったのか、「そうは言ってもよくいる普通の優秀なおじさんのひとり」にしか見えなかった。もちろん学びはたくさんありましたが。
僕の立場でこんな言い方をしてしまうのは生意気だと思いますが、三木谷さんをはじめ楽天で働いていた方々の多くは、会社が成長するなかで求められるままに自分を変えていき、そして自分が変わっていくことで会社もさらに成長していったのだと思います。僕もそうでした。結局は環境が人をつくっていくし、自分がその環境をつくることで人も育っていく。そんな好循環が生まれたときに企業は成長するんだと、若い方々には知っていただきたいです。
三木谷浩史の背中から学んだこと
僕は楽天で当初オークション事業をやっていて、そのあと楽天広場というブログサービスを担当しました。ただ、当時は楽天のメイン事業が楽天市場というショッピングモールだったこともあり、まともなエンジニアは全員ショッピングモールを担当していたんです。だから、これからコミュニティサービスをつくると言ってもまともなエンジニアが付かなかった。そこで「田中っていう変な奴がいるんで、あいつならプログラミングも一生懸命覚えるかもしれないからやらせよう」という話になり、僕が呼び出されました。
そもそも楽天は本城慎之介(元楽天取締役副社長)さんという本来プログラムを書けなかった人が、自力でプログラムを覚えながらつくったサービスです。だから僕もそのとき、「楽天自体をつくるよりはラクだろ。ブログなんだし」と言われました。言われた僕のほうも「たしかに楽天市場はつくれないかもしれないけど、コミュニティサイトならつくれるかもしれない」と思って勉強するようになったのが、プログラミングを覚えたきっかけです。しかも人がいないから、プログラミングの勉強もしつつ、利用規約も自分で書いて、アイコンも制作し、カスタマーサポートも担当し、すべてひとりでやる羽目になりました。
そういう体験は恐らくきちんとした会社なら出来なかったと思います。急成長している会社にいたからこそ、僕もそんな仕事が経験出来るチャンスを貰えた。実際にはどうか分かりませんが、これがNTTだったらエンジニアもいればお金もある訳だからエンジニア未経験の22〜23歳にいきなりサービスをつくらせたりしないと思います。でも楽天は「ないよりあるほうがいいじゃないか」というノリで簡単につくらせてしまうんです。
ちなみに僕はそのあと、たまたまGREEを立ちあげることになった訳ですが、そこでも自分で規約をつくったし、デザインもやったし、プログラムも書きました。そんなことが出来るようになったのも急成長している楽天のような環境にいたからですよね。結果的には僕もまた、求められるままに自分を成長させざるを得ない環境にあった訳です。
もちろん、まともなエンジニアがいなかったおかげで色々と大変な目にも遭いました。サーバーの設定方法も知らなかったのですが、アクセスが集中してサーバーが落ちれば、皆に「なに落としてるんだよ」とか言われますし。でも僕だって分からないんですよ。初めてのサービスづくりでしたから。それでも仕方がないから言われるままやっていた。一生懸命Google検索したりして、技術を勉強していったんです。今はうちの会社も同じように、会社が成長しているとか、強い競争相手がいるとか、「これを今やらないと終わってしまう」という環境で毎日仕事をしています。そういう人たちと比べたとき、なにかこう、「着々と勉強して、少しずつスキルアップしていきましょう」という人たちでは毎日の切迫感が違いますよね。だから自分に求められていることによって、成し得ることのレベルも変わっていくと思います。
そんな環境で成長しましたが、僕としては三木谷さんや当時役員だった方々を見て、「ああ、この人たちが一番強い切迫感を持っているんだな。僕どころではないな」と感じていました。三木谷さんと接することが出来たのは本当に良かったと思います。資産が多ければそれでいいのかという話は置いておいて、そういう人が毎日何を考えているのか、あるいはどういう思考パターンなのか……、普通に働いていてもなかなか知ることの出来る機会がないものですよね。でも僕は、毎日一緒に仕事をしていた訳ではないにせよ、「三木谷さんってこういう人なんだ」とか「こういうことを考えているんだ」と、日々体感しながら仕事に向き合えたから、大きな経験になりました。ビル・ゲイツが実際のところ何を考えているかなんて一生分からないと思いますが、それを知らないとどうやったらビル・ゲイツみたいになれるかリアリティを持って考えることは出来ないです。だから、「三木谷さんはこんな感じなんだ」と分かるような環境にいたことは良かったのかなと、今は思っています。
体験からしか学べないことへの挑戦が、自分をさらなる高みに連れていく
「場が自分を育ててくれる」とか、「どんなことでも諦めずに前向きに仕事をする」とか、あるいは三木谷さんという人と知りあって多くを学んでいくといったことは、いわゆるお勉強では学べないことでした。僕もうちの社員に、「ロジカル・シンキングをしろ」とか、「計数管理をしろ」とか、「工程管理をしろ」とか、とにかく色々なことを覚えさせてはいます。ただ、僕としてはそれを覚えるのは当たり前というか、ベーシックな話であって、勉強部分は出来ない時点でもう駄目なんだと思っています。出来るのは当たり前。大切なのはその上に何を積むのかということなんですよ。
学校で学べることは誰でも出来る。だからお勉強。抽象化した学びは序盤戦だと思っています。そのうえで体験からしか学べないことに挑戦していくことが、自分をさらなる高みに連れていくんだと考えています。たしかに僕自身も学生時代、MBA関連の書籍を一生懸命読んでいました。僕はマイケル・ポーターの『競争の戦略』みたいな分厚い本を趣味で読んで、ポーターの講演を聞きにいくほどのMBAマニアでした。ちなみにポーターは講演で、「日本企業は集中と選択が出来ていないから駄目なんだ」と言っていた。日本企業は何を諦めるのか決められていないという話を延々としていて、当時は「失礼だな」と思っていましたが、なるほどと思える側面もありました。
当時、インターネットに加えて英語も勉強しようかと考えていたのですが、ポーターの言っていたことを自分に置き換えてみたんです。英語を話せる人は当時から世の中にたくさんいました。その一方で、当時から「インターネットがすごい」と言っている人間はほとんどいなかった。それなら僕は、限られた時間の中で、英語を勉強している場合じゃないと。インターネットの勉強に集中するべきだと思いました。ポーターの講演を聞いたことで何を得て何を捨てるべきか決めることが出来たんです。それで現在に至っています。いずれにせよ、僕は学生の頃にお勉強的なこともずいぶんやりましたし、それ以降もずっと本は読んだりはしていますが、勉強のさらに上にある体験でしか学べないことが能力を育んでいくんだと思います。
創業から上場へ、そしてグローバルへ
5年ほど前の当社は社員3名アルバイト3名の会社で、オフィスはマンションの一室で家賃14万円。夕方になると隣のお部屋から夕飯の匂いが漂ってくるという場所でした(会場笑)。冬になると寒くて手がかじかむから、一台しかないストーブをどっちの向きにするかで副社長と喧嘩するような日々です。オフィスについては会社設立時、「とにかくボロいところがいい」と思っていたんです。楽天に転職したとき、「これからは真剣にやるんだから会社の前に引っ越す」と言って会社の目の前に家を借りたんです。場所は中目黒で家賃は7万円。当時の給料は20〜23万前後でしたが、部屋を見に行ったら本当に狭いんですよ。7万円だと15坪ぐらいの部屋しか借りることが出来ない。8万円にすると18坪になります。で、15坪か18坪かで悩んだ。でも「ここで1万円かけて部屋を3坪広くしたところで俺の人生に何か意味があるのか」と思い、リスクをとって15坪にしようと。そうすると部屋が狭すぎて厭になるんですよ。で、厭だから会社に行く時間が増えてさらに頑張るだろうと。それで15坪の狭い部屋にして、毎日会社に泊まり込みをするような生活を続けていました。今ではそれで良かったと思っています。
だから会社をつくったときも同じように、「こんなオフィスは有り得ない」というぐらいの場所でないと駄目だと考えました。それで麻布十番にあったマンションの一室にオフィスをつくって、トイレを流すと音が聞こえるという環境から会社をスタートさせ、堀さんに出資していただいて現在に至るという流れです。KDDIとも提携してソーシャルゲームをやりながら、上場もしながら、テレビCMを打ちながら……、これからはスマートフォンにも対応して世界展開していきたいと思っています。
今、会社ではユーザー数を1億人にしようという長期目標を立てています。現在は2000万なので、1億人まであと約8000万人という状態ですね。うちの会社では毎月全社員で総会を行っていますが、そこで1憶人までの進捗率が何%かをいつも発表しています。「今月は約50万人増えたから進捗率は0.5%進んだ」なんていう風に。現在、日本発で1億人が使うようなインターネットサービスをつくった企業はないと思いますが、よく考えるとソニーや任天堂のサービスは1億人、あるいは2億人が使っています。でも日本のインターネット業界ではその規模で世界にインパクトを与えている企業ってまだ存在していない。だから今は、我々が日本で初めてそういったサービスをつくる会社になりたいなと思いながら頑張っています。
もうひとつ。グローバルに事業展開して、世界中の人に、「グリーはすごい。日本はすごい」と思って貰いたいなと、特に最近は強く思っています。よくグリーという企業は世の中に対してどのように貢献するのですか?」と訊かれます。税金を納めているだけでも貢献しているというのが僕のスタンスではありますが、ただ最近は、他にも色々あると思うようになりました。うちの会社が出来て6年ぐらいで、社長は33歳。英語もそんなに喋れません。そういう企業がグローバル展開に成功して、世界中から「グリーすごい」と言われるようなサービスをつくったらどうなるか。もし4年後にそんなサービスが出来たら日本人はどう感じるかと想像するんですよ。そこでもし日本中のビジネスマンが、「どうして田中に出来て俺たちに出来ないんだ」と思うようになったら、それこそが日本の新しい夜明けになると思います。
成功の実例をつくって目の前で見せないと、それが本当に出来ると思わないし、やろうとも思わないし、「出来るよ」と言われても納得感が湧かないと思います。三木谷さんが言っていたことで、「たしかにそうだな」と思ったのは、三木谷さんも興銀に入ろうと思った当時は、「大きな会社や銀行が日本をつくってきたから、そういう会社に入って日本をつくり変えたい」と思っていたそうなんです。でもそれが、これからはベンチャーを興して新しい企業が成功事例をつくり、自分の会社で考えていたことが正しかったと証明して世の中を変えていくという考えに変わった。「そういう時代が来るから俺は会社をつくるんだ」と、三木谷さんは15年前ぐらいから言っていました。
平均年齢30歳のグリーが、グローバルで成功する企業をこれからの数年間でつくる。日本全体の新しい活力や道筋を指し示すことこそ、三木谷さんが目指していたことを僕のバージョンに直したものなのかなと思っています。最近うちに来る新卒の若い人にも、「それが世の中を変えていくことなんだよ」と話しています。ちょっと時間が過ぎてしまいましたが、とりあえず僕の話は一旦ここで締めたいと思います。ありがとうございました。