経営者の仕事は男冥利に尽きる
私がかつて留学したハーバード・ビジネススクールで、「ビジネス・ステイツマン・オブ・ジ・イヤー」を毎年選出するんですけれども、一昨年私が選ばれました。卒業生としては私が初めてだそうです。それからもう一つ驚かれたのは、だいたいビジネススクールを出ると経営に携わっていくわけですが、一つの会社にまた帰って係長から課長、部長と一つひとつの階段を上がって社長になったというのは私が初めてだということで、いかに我慢強いかということがおわかりいただけるかと思います(会場笑)。
今日は何をテーマに講演をしようか考えたんですけれども、2003年度〜2007年度いっぱいまで社長を務めた経験をもとに、「経営者の苦悩と喜び」というテーマを選びました。私どもの会社に、稲山嘉寛さんという経団連の会長を務めたことのある先輩がいるんですけれども、この先輩の伝説的な言葉として、「私は社長の間、会社来るのが楽しくてしょうがなかった。行くのが嫌だったことは一度もない」というものが残されています。これは本当かなと、私はとても信じられませんでした。会社の経営者というのは、楽しいことももちろんあるけれども、悩ましいこともたくさんある。しかし、全体としてはそういう苦しみも乗り越えながら、喜びも味わえる。したがって今では、男冥利に尽きる仕事だと、このように思っています。
経営者にはなりたいと思ってなれるものではありませんが、どうか諸君らも是非ともそういうことも頭に置きながら、目線を高く持って柔軟に対処してもらいたいと思います。自分の会社の中で不思議に思うことがあります。それは我々の若い頃、本当に仕事が良くできて、これは素晴らしいと思っていた人間がたくさんいました。ところが、それが上のレベルに行くにしたがって、急に勢いを無くしてしまう。逆に言えば、それまで光らなかった人間が、上のレベルに行くにしたがってどんどん光ってくる。こういうことがあります。この差は何から来るのか、私にもよくわかりません。これも頭に置いていただきたいと思っています。
また、経営者という言葉の定義なんですけれども、経営者は経営陣とは違います。副社長など経営層はたくさんいますけれども、それと経営者は断然違うわけです。普通の会社には、経営者は社長一人しかいない存在だと思っております。会長という役職があるんですけれども、会長は厄介な存在です。私自身会長なんですが、社長と会長が同じ業務を行った場合には、両人にも良くないし部下も大変なんですね。社長とカバーする範囲が同じ会長であれば、いる必要がないと思っています。
自分が社長時代に成し遂げたと自負することはそんなに多くはないんですけれども、一つ自分でこれをやり切ったと思えるものは「会長職の廃止」です。わが社には300数十社の関連会社がありますが、私が社長になったときには、その多くが社長を務め終えると、だいたい会長になるわけです。しかしカバーする範囲が同じですから、弊害が多い。したがって、関連会社の会長という役職をすべて廃止しました。最初は色々な抵抗がありましたけれども、それが会社の方針だということで、みんな納得してくれて、5年かけて一人も会長がいなくなりました。唯一、新日鉄にだけ会長がいます。会長の理想像というのは、普段は何も口を出さず、社長が本当に困ったときに適切なアドバイスができること。これは自分でやってみて、非常に大変なことだと身に染みて感じています。
もう一つ申し上げたいのは、経営者の共通性についてです。このセミナーもそうですが、経営というものは教えられるものかどうかというのは、永遠に尽きることのない疑問でしょう。しかし私は、業種や業界が異なっても、いわゆる経営者にとって必要とされる能力、あるいは知識は、多くの共通性を持つものだと思っております。
例えば、私は経団連の副会長を4年にわたって務めましたけれども、経団連副会長というのは不思議なポジションで、その中には自動車業界や家電業界など、私どものお客様がたくさんいますが、ここに来るとそういう感覚が一切なくなってしまう。何か相通ずる仕事をしている、あるいは共通の相手と戦っている戦友のような、これが経団連の付き合いの率直なところでした。
2003年の1月末に開いた取締役会で、4月1日から私が社長に就任することが決定したのですが、実はこの情報を新聞にすっぱ抜かれてしまいました。2月、3月の2カ月間、次期社長としてやったことの一つは、先輩社長に話を聞きに行くことでした。日本で名経営者だと言われている約20人の経営者のところに出向いたところ、不思議なことにみな喜んで会ってくれました。それぞれ30分の時間を取っていただき一対一で話し合ったのですが、そこで私は「経営者にとって大事なことは何でしょうか」と質問しました。すると各社長は経営者としての悩みを滔々と語ってくれました。
これは私が社長になる前だからこそできたことですから、やっておいて良かったと思います。業種も業界も違う会社ですが、ただひたすら経営者としての苦しみ、あるいは教訓を話してくださった方々に、心から感謝しています。同じような立場に置かれたら、私も喜んで話します。この中に社長になられる方がいれば、いらしてください。
経営者の共通性は、私は日本と欧米諸国では話が違ってくると思います。日本の場合は通常、社内から最も適切に人材を選ぶということで、競争はほぼ社内に限定されています。私が付き合っている海外メーカーは、社外から新たな人材を引っ張ってきています。これは何を意味するかというと、その業務に精通している人材と、経営者としての資質を持っている人材を比べて、両方が備わっていればベストですが、外国企業では多くの場合、経営者としての資質を重く見る傾向があります。
全てに対する結果責任を負う社長という仕事
次に経営者の苦しみについて、お話しします。経営者の苦しみの第一は、すべてに対する結果責任を取らなければならないことです。この結果責任は、例えば今回の世界的な金融危機によって業績が落ち込む会社がたくさんあるわけですが、そうした事情は関係ない。業績が悪くなったら悪くなったなりに、社長は責任を感じなければならない。あるいは、経営の目が行き届かない現場の失敗。例えば品質の問題であろうとも、あるいは色々なコンプライアンスの問題であろうとも、目が届かないからといって社長が責任を逃れるわけにはいかない。結果責任は、やはり社長がとらなければなりません。
もう一つ。先輩社長の失敗による事業からの撤退、大幅な損失もあるわけですが、こういうものについては、ぼやきたくもなります。しかし考えてみれば、私が自分の社長時代に取った一つひとつの経営判断が、すべて成功するとは限らないわけです。したがって、どんなことに対しても結果責任を取らなければならない。これは苦しさの一つでしょう。
最近でも、テレビカメラの前で「誠に申し訳ございませんでした」と頭を下げるときは、3秒間静止しなければならないという教えがあるらしいのですけれども、ああいう姿を見ると心が痛みます。それぞれのこと自体は反省しなければならないことかもしれませんけれども、経営者としてあのような場でマスコミに対して謝る必要は通常ないわけです。
社長在任中の5年間にいろんな事件がありましたけれども、幸いにしてマスコミの前で記者会見をして頭を下げた経験は一度もありません。これは一つの誇りです。唯一、私が頭を下げた姿が新聞に出ましたが、それは名古屋製鉄所で調節機能を果たすガスホルダーが爆発したときでした。頭を下げることだけはやめようということで記者会見に臨んだにもかかわらず、翌日の新聞に頭を下げた姿が出てるわけですね。よく考えてみたら、最後に「それでは皆さん、どうも有り難うございました」と頭を下げた。それが出てしまったわけです。これはちょっとルール違反だと思いますけれども、そういうこともあります。
最後は責任を取らなくてはならないのですが、社長が安易に責任を取るのは決して良くないと思います。ここは、よく考えなければならないポイントです。99%の素晴らしい業績があり、1%の失敗がある。これが例えば人命が損なわれたとか、そういう致命的な話なら別ですけれども、こういうときにどう身を振る舞うべきかというのは、割合難しい問題でしょう。
最後に一人で決断する
それからもう一つ、社長にとっての苦しみは、最終的な判断を自分が下さなければいけないという点です。上がってくる物事の80%以上は部下がお膳立てして、これに対して良いか悪いかを判断すればいいわけで、経営全般に対して社長が全部それを背負うことは無理だし、そんなことをする必要もまったくないと思います。
しかし、事業からの撤退、あるいは工場の大幅な設備休止、人員カットといった類のものは決して部下からは上がってきません。最終的に社長一人で判断を下さなければならないのです。
新規投資については、部下たちがいろいろ考えて、ここに投資すればこんなに素晴らしいという案件を持ってきて、判断を求めてくるわけです。ただ通常は新規投資というものは、その会社にとっての新規投資であって、社会全体としては新規投資になっていないケースが多いわけです。これをどう評価するのか。というのも社長としては難しい面であります。
最終的に社長が決断するためには、部下からの話に対して、違う視点からの社長としての考え方を語らなければならない。そのためには、良い質問ができなければならないと思っております。良い質問をするためには、部下とは違うアンテナ、情報源、それから人との付き合いを持たなければならない。ただし、難しい案件をすべて抱え込む必要はありません。人事でコントロールするということも、社長の大切な手段です。
会社の舵をとる醍醐味とは何か
それでは、こういう苦しみがありながら、一体どういう喜びがあるのか。もちろんどの経営者にとっても、会社が収益を上げることは非常に大きな喜びです。従業員にとっても同じでしょう。収益を上げるということは、会社が効率的に運営されていることの一つの証です。それから、会社が持続的な成長を遂げることも喜びでしょう。税金を払うことで社会に還元し、いろいろな形での設備投資もでき、社会的な信用も得ることができる。
私が社長を務めていた時代は、幸いにして景気が良かったので、毎年毎年、史上最高の利益を上げました。これは非常に嬉しいことです。しかし、それにも増す社長の喜びは何かといえば、ある課題を設定し、それを部下に心を尽くして伝え、ようやく納得してもらう。そうやって会社を導いていく。あるときふと後ろを振り向いたら、課題に沿って全社が方向転換する。こういう姿を見ることが、一番大きな喜びです。
私が社長になって最初のスピーチ、総理大臣で言えば施政方針演説にあたるので、練りに練ったものにしました。就任スピーチがなぜそれ程までに大事かというと、就任当初の100日くらい、従業員は誰も彼も社長を見ているからです。スピーチでは綺麗事ばかり並べて実行しないとなれば、社長としての信用が失われてしまいます。したがって就任スピーチで宣言したことは、絶対実行しなければならない。そういう意味で就任スピーチは、一つの政権としての、一つのコミットメントです。
私が最初に宣言したのは、「現場を大切にする会社にしたい」、「従業員が働くことに誇りを感じる会社にしたい」、「社長である私が自身の言葉で分かりやすく喋れるようにしたい」ということ。これは当たり前のように見えますけれども、わが社にとってはそうではありません。実はこれに先立つ20数年前、1985年のプラザ合意後、円が220円から180円ぐらいに高くなって、わが社は競争力を失い従業員を大幅にカットするという、大合理化を断行しました。これが10数年続いたわけです。以前は6万5千人いた従業員は、1万5千人まで減りました。削減率は何と75%です。
こういう状況にあったから、従業員はこの会社で働くことに関して必ずしも誇りを持てない。だから、社内教育による留学でMBAを取得しても、帰ってくると会社を辞めて外に行ったしまった人がたくさんいます。私は会社に残ったわけですが、辞めた人を悪く言うつもりはありません。そうさせた会社に責任があると思っています。
私が社長になった2003年4月からの5年間では、5回にわたる中期計画を立てましたが、その大部分がコストダウン計画でした。引き続いて合理化を重ねていったわけです。この間、従業員はよく付いてきてくれたし、労働組合はいろいろ注文を出してきたものの、会社が目指す方向に向かって協力してくれました。ただ一番困ったのは、労働組合との対話の中で「合理化するのは、今の世の中の流れだからやむを得ない。しかし、いつまでこれを続けたら会社は良くなるんでしょうか」と言われたことです。先が見えず、会社に誇りを持てない状況だけは変える必要がありました。
実は在任5年目に従業員1万5千人に対して、コンプライアンス調査を行いました。回答率95%だったんですけれども、30項目にわたるアンケートのうちの1項目に、「あなたは新日鉄で働くことに誇りを感じますか?」という設問がありました。結果としては86%の従業員が「誇りを感じる」と答えてくれました。
その要因は何かといえば、一つは先程申し上げた通り、史上最高の利益をずっと上げてきたので、給与待遇が良くなったことです。それからもう一つは、会社で働くことを通じて社会に貢献できることが大きな要因として挙げられ、私も嬉しかったですね。これが社長としての喜びです。
「全社ベスト」を追求する
しかし、最終的に男冥利に尽きる仕事に昇華するためには、努力しなければならない。これは個人によっても考え方が違うと思います。経営者が各々の考え方にしたがって経営していく。一般的な考え方かどうかは自信が持てませんが、私はCEO(最高経営責任者)の役割の一つは全社ベストを追求することだと思います。
諸君はいろんなセクションで働いています。会社には各々の組織があります。組織の各々が、それぞれの組織のベストを願います。あるいは本社と工場、あるいは営業所では、考え方が違います。各々がベストを願います。技術者と事務職とでも考え方が違うかもしれません。あるいは合併会社には、違う企業文化を持っている人がいるかもしれません。
全社ベストというのは、言葉でいうのは易しいですけれども、これを実行するのは本当に難しい。大方は部分ベストを願って日々行動しているというのが実態だと思います。どのようにしてこれを全社ベストにつなげるのか。例えば私の会社の場合には、10の製鉄所があります。会社としてやるべきことは、10の製鉄所に各々技術レベルがあるわけですから、いろんな項目にわたって各製鉄所を評価して、その中のトップに全社のレベルを合わせる。いわゆる「トップランナー方式」です。さらにトップランナーであるところは、範を社外に求める。こういう形で全体を底上げするというのは、ごく当たり前の習性だと思っております。
ここで難しいのは、技術を比較した場合、実力で後れを取っていることを、すぐに納得しないわけですよね。設備の内容が違う、注文の構成が違う、したがってこういう差が出てきているというように、条件の違いを挙げて言い訳することに、たくさんの時間とエネルギーを注ぐものです。私は自社特有の現象かどうか確かめるために、社外のアドバイザリー・メンバーに話を聞いたことがあるんですけれど、みんな異口同音に「それはわが社でもある」と言われました。おそらくどの会社でもあるのではないかと思われます。
要するに、条件の違いを技術の歩留や生産性の差の原因としている限りは、進歩がないわけですね。実力が違うということを納得しないと、進歩はなかなか望めない。こういう意味も含めて、どのようにして全社ベストを担保するのかというのは、誠に大事であるけれども難しい課題だと思っております。
課題をいかに従業員と共有するか
それからもう一つの申し上げたい点は、会社の仕事のやり方としてまず課題設定、その次に設定した課題を多くの人たちが共有するというプロセスがあるということです。これらは、特に経営者にとって大事です。
課題認識については、例えば従業員の大半がすでに認識している課題を社長が設定するようでは、そもそも経営者になる資格がないわけです。かといって誰も考えないような課題を設定しても、従業員はなかなか付いてこない。20%ぐらいの従業員か認識している課題が適度でなないでしょうか。
さて、課題を設定したら、次にこれをどうやって従業員と共有するのか。課題を共有できないことには、絶対に対策の策定・実行ができないわけです。したがって、経営者の非常に難しいプロセスというのは、従業員と課題を共有することによってやる気にさせるということだと思っています。
この二つのプロセスを極めて簡単に切り抜ける方法があります。大きな事件の発生です。例えば今回のような金融危機・経済危機であっても、先程申し上げた名古屋製鉄所のガスホルダーが爆発したという事件であっても、切り抜けるきっかけになります。
あるいはミッタル・スチールという鉄鋼会社の買収劇を、私は身をもって体験しましたが、これもきっかけになります。ミッタル・スチールは14年間で20の買収を繰り返しながら、最終的にはアルセロールというそれ以上に素晴らしい会社を敵対的買収しました。両社の合弁後は、アルセロール・ミッタルという世界最大の鉄鋼会社として君臨しています。この買収劇には、いろいろ考えさせられました。
現実のものとはなりませんでしたが、彼らの買収の最初のターゲットは新日鉄でした。あるいはもう一つ買収が進行中、アルセロールが私どもにホワイトナイトとして名乗りを上げるように依頼してきたら、どうしたであろうなどと考えると、なかなか夜も眠れないわけです。実際にはそういうことは起こらなかったわけですけれども、そのときにつくづく思ったのは、企業は当然のことながら収益を上げ、株価を上げ、設備投資なりを行い、今日の利益を追求すると同時に、将来の利益確保にも全力で取り組まなければならない。これは当たり前の企業努力です。それと同時に自分たちがもし一つの価値観を持って、その価値観が社会に受け入れられる良いものだという確信があるとすれば、やはり自分の企業を徹底的に守るべきだと思っています。したがって、そのために何をやったらいいのかと、日頃から考える必要があるのではないかと思っています。
現在の業績と将来の成長のバランスをとる
それからもう一つ申し上げたいのは、社長業を最終的に男冥利に尽きる仕事にするためには、現在の業績と将来の業績のバランスが重要だということです。高成長の時期には新聞などのマスコミが、「なぜ新日鉄はもっと成長路線に走らないのか」「もっと企業を買収しないのか」「もっと設備投資をしないのか」と指摘しました。しかし、もしその時期に過度の投資をしていたら、今頃は「なぜあんな無駄な投資をやったのか」と叩かれているに決まっています。世間の評価や外部から聞こえてくるいろいろな話は、一つの参考にしかすぎないわけであって、好不況にかかわらず、自分の会社として心地いいペースを守るべきだと思っております。
短期業績と長期業績についていえば、旧来の日本の経営は長期業績至上主義でした。しかし、これはおかしい。短期業績が大切なのは、言うまでもありませんね。短期業績は大切だけれども、短期業績にウェイトを置きすぎるのも良くありません。例えば、設備投資をしなければ減価償却は増えませんから、短期業績が上がるわけですよね。逆に、たくさん生産して在庫を持てばコストが下がり短期業績が上がりますが、不良資産があるわけだから中期的な業績が下がる。これはちぐはぐですね。だからそのバランスが必要だと思います。
ただ私がちょっとだけ申し上げたいのは、日本の旧来の経営者は、やったことに対する説明責任を何ら問われない限り、長期業績至上主義をずっとやってきた。長期業績至上主義でも結構ですけれども、一つひとつの手段が、どうして会社のためになるんだということをきちんと説明しながら、そういう手を打つべきだと思っております。例えば、我々は株の持ち合いをやっておりますけれども、これが長期安定的な経営を実現すると説明する義務がある。こういう手段だと思っております。
国益という視点が抜けた日本
もう一つ、日頃考えている経営者のバランスは、企業益と国益のバランスです。「なんだ古臭いことを」と言われるかもしれませんが、ある決断を下すときには、「これが結局は国の発展に役立つのかどうなのか」という視点を持つことは大切だと思っています。どんな企業も国の発展なくしては、やはり生きられない。外国に進出しようとしまいと、最終的にいろんな法問題でも、あるいはほかの大きな問題が起こってきても、日本に無関係ではないわけで、国益と企業益のバランスというのは、どうしても考えなければならない。
昔の新日鉄は、やや国益に傾斜した態度を取りました。当時の私はこれに対しては非常に批判的でした。しかし、いざ経営者になってみると、大きな事業については国益に合致しているのかどうなのか、こういうことは非常に大事なことであります。私はもし新日鉄、あるいはほかの企業でも、国際競争力がないような会社であれば、日本に存在する意義がまったくないと思っております。
国益を主張すると「何と古臭い右翼的な考え方だ」ということで、やや非難されてしまいます。しかし国益の大部分は、国民の利益と一致します。しばらく前までの日本では、国益というのは辺境なナショナリズムと一緒くたにされてきました。軍事大国、軍国主義のようなイメージでした。したがって、そういうイメージがあるがゆえに、国益というものをみんなが議論するということをまったくなくして、最近のように善意に満ちたユートピア的な世界感がのさばっています。
日本が頑張ればほかがみんな付いてくる。国際社会がそんなに甘いものであるはずがない。例えばCO2削減の問題にしても、中国は実に腹ただしい動きを取っております。しかし中国の動きは、よく考えてみると中国の国益を100%体現したものです。その意味からすると、地球益というものを余りにも考えなさすぎる国益の発表の仕方でありますが、それに比べて日本の総理大臣は国益を一切考慮しない。言ってみれば地球益がすべてであるという態度です。財界活動というのは、国益と財界益と企業益、この三つの利益のバランスをどう取るのか、そういうことを議論する場でもあるわけです。
鍛えられた現場とは
戦略と実務についても申し上げます。経営者は戦略に専念するという意味で、事務は下に任せるべきであるということがよく言われていますけれども、私はこれはとんでもない誤りだと思っています。企業によって性格が違いますけれども、日々の業務あるいは具体的な内容を知らないで、戦略なんか立てられるはずがないというのが私の考えであります。あるいは、一つひとつ目の前にあるいろんな仕事を、真面目に前向きに、全身全霊で取り組むこと、その繰り返しによって、自ずと一つの筋が見えてくる。その筋を会社の方向性として提示し、議論してどちらかの方向に持っていくということが、私は非常に大切な社長の働きではないかと思います。
私自身は、会社の事業に重要なポイントは二つあると思います。その一つは、よく鍛えられた現場です。よく鍛えられた現場というのは、日々の与えられた生産量や販売量を着実にこなすということではありません。現場には様々な課題が時々刻々と起こるわけであります。こういういろんな課題もスムーズに解決しながら、なおかつ現場では解決できないような課題は、できるだけ早く上司に上げるという意味も含めた、鍛えられた現場です。もう一つは、方向性の確かな経営層です。この二つの組み合わせが会社を育てる要因でしょう。よく鍛えられた現場と経営層の距離を縮めることも、大切な役割です。
私の場合には、日々のいろんな課題を真剣に取り組み、そのうえで経済危機から回復する中、日本に基地を持って世界の増大する需要に対処するグローバルサプライヤーとなる。グローバルプレイヤーに変えるということを一つのキャッチフレーズとして、全社が今動いております。4000万トン程度の生産能力を国内に持ちながら、2000万トンはブラジルあるいはアジアで生産し、競争相手と伍していくということを、一つの方向性として打ち出しています。おそらくこれは、従業員の全面的な支持を受けているはずです。
不況はイノベーションの母、他国に後れをとるな
さて、最後になりますけれども、景気変動と経営ということについてお話したいと思います。私は今でもよく海外出張しております。2月は中国、シンガポール、インドネシア、オーストラリアに行ってまいりました。去年はブラジルにも行っております。その時つくづく感じた点は、ここにいらっしゃる方々にとっては常識かもしれませんが、日本に比べてこれらの国が何と明るいかということです。
ブラジルでは、石油が採掘されかけています。ありとあらゆる資源があるにもかかわらずエネルギーだけないというブラジルに石油が発見されたものですから。今はむしろ石油輸出国に転じようとしています。オーストラリアの経済指標では、2期連続で対前期比マイナスになったら不況ということになっていますが、1期だけで済んでいます。中国はご存知の通り、経済が活性化しています。インドネシアは、不況をまったく体験しないですね。ベトナムも同様です。
要するにいま我々は国内で「大変だ大変だ」「不況だ不況だ」ということで、閉塞感に苛まれていますけれども、実は一歩外に出てみると、不況を体験していない国も沢山あるわけです。我々の関心事はいつ不況から脱出できるのかというところにあるわけですけれども、これらの国々の関心事は新しい時代に世界経済の中でどのような地位を占めるのか、そのために何をやっておくべきなのかということです。つまり、他国は必死になって一歩先を考えている。それが、今の状況です。
最近は中国、韓国の攻勢がすごいと、インドネシアで聞きました。韓国は1997年のタイに端を発した経済不況を経験しました。あの時、韓国は大変だったんですね。国を挙げて不況を乗り切ろうとして動いた。今回の金融危機・経済危機は、韓国にとって、97年当時の不況に比べればはるかに規模が小さく、なおかつ期間も短かった。私たち新日鉄もそうですけれども、本当に大きな不況を乗り越える、その経験があるわけで、乗り切ることに自信を持つことができる。ということで、アジアにおいては、韓国、中国の攻勢が極めてすごい。
しかしアジアの国々は、一様に日本に好意的です。別に中国を嫌っているというわけではありませんけれども、ただ中国のマーケットの大きさに対してこれとつき合わない気はない。しかし、どのようにつき合ったらいいのかということについては、アジア諸国の経済人は一様に疑問を持っている。「日本は早く自信を取り戻して、一つの対抗勢力としてきちんと機能しておく必要がある」と何回も言われました。
こういう学習もそうですが、喜んで海外に行って、海外の経済が発展している状況を体験して、そして何をなすべきかを考えることも大事です。決して世の中は暗くありません。海外にもどんどん営業をかけていく。例えばシンガポール事務所は、テリトリーとなっているインドおよび中近東に、1カ月に1度はみんな出ていきます。国内の需要は先細りしておりますけれども、海外に出て人々が生き生きとして仕事をしているということを目の当たりにして帰れば、これは一つの経験になります。
よく考えてみれば不況というのも一つの役割を果たしている。「不況はイノベーションの母である」と言われます。困ったからそれを切り抜けるためいろんな知恵を出すわけです。したがって、不況があるからこそ、各々の企業、あるいは国がどうやって次の新しい世界を生き抜くかを考え、イノベーションが社会を発展させるということです。
こういうときの経営者の態度は極めて大事です。物事にはすべて、必ずたくさんの面があります。これを明るい面と暗い面に仕分けして考えればわかりやすいわけですね。どんな事実にも、どんな時代にも、必ず明るい面と暗い面があるわけです。経営者として最低なのは、深く考えないで暗い面だけを指摘する。経営者だけでなく、マスコミもうそうです。今回の大不況が来たときに、「100年に1度の不況」とよく言われました。すると「100年に1度の大不況なら、どうあがいてもしょうがない」と、諦めの境地に至ってしまうじゃないですか。100年に1度といっても、1929年の世界恐慌のほうが圧倒的に不況の規模が大きかったわけです。よく考えない悲観論は大問題だと思います。
先程申し上げましたように、どんな事象にもどんな事実にも明るい面と暗い面があるわけです。不況はイノベーションの母であるとも申し上げましたが、いろんな企業も数十年に1度は、自分の会社を大変革せざるを得ないような局面に陥ります。むしろ、この不況を大変革のためのエネルギーとして使う。こういうことがよく考えた楽観論だと私は思います。