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アサヒビール名誉顧問・中條高徳氏—経営に活かす兵法、アサヒビール挑戦の軌跡

投稿日:2008/11/07更新日:2019/04/09

良縁に恵まれていながら、それに気づかない人もいれば、気づいていながら活かしきれない人もいます。しかし、世の“勝ち組”と呼ばれる人たちは、「袖すりあうも他生の縁」と言って、人と人の縁を大切にしています。ですから、私自身もアサヒビールで陣頭指揮を執っている間は、「成績が悪くても慌てるな」と、伝えてきました。成績は縁の集積と正比例するからです。本日は、堀(義人・グロービス経営大学院)学長のおかげで、君たちとの縁をいただき、喜ばしく思っています。

今日は、1980年代、業績低迷に喘いだアサヒビールが、いかにして蘇ったか。その手の内を、ご紹介します。当時、ハーバード大学が寡占状態にある市場のサンプルとして、日本のビール業界と主要4社の競合状況を取り上げました。トップを走るキリンビールが63%のシェアを握る状態を捉え、「2位以下は、どう頑張ってもキリンビールには迫れない」と論じていたのです。そんな状況から諸君なら、どのような戦略をとるか。疑似体験するようにして考えながら、お聞きいただければと思います。

「右手に算盤、左手に論語」は、実業家の永遠の指針

アサヒビールの話の前に、まず私自身の人生における挫折体験から話を進めましょう。60余年前、私は、いわゆる職業軍人でした。若い方はピンと来ないかもしれませんが、(私が在籍した)当時の陸軍士官学校というのは、現在の東京大学などより権威があったのです。ですから合格すれば郷里の人々が、「母校の栄誉」、「家紋の誉れ」と言って、日の丸の旗を振って送り出してくれました。ところが第二次大戦の終戦によって、その価値観が180度、転換してしまった。このときは、世の中すべてが嘘つきに思えました。

その後、知己であったフランス文学者・山室静氏の助言に従い、旧制松本高等学校に進みました。「士官学校も良いが、完ぺきではない。シャバの学校でも学んでみなさい」と言ってくださったのです。それが私の“縁”だったと思います。松本を選んだのは、「山はウソをつかない」というロマンチシズムから。山岳部があり、山に憧れる人が集まるということに、心引かれました。

ところが、また試練が来ます。合格後、占領軍から「士官学校に1年以上在籍した者が、国立の学生の1割を超えてはいけない」との通達が出たために、入学ができなくなってしまったのです。「もう頼まれても行くものか」と思いましたが、1年後、当時の校長が自身の職をかけ、私を含む士官学校卒の8名を引き入れてくれました。

士官学校というのは、いわば人を井桁(いげた)に有無を言わさずはめ込むような教育の学校です。かたや旧制高校は全寮制で、壁も天井も落書きだらけ。悪戯で警察のやっかいになっても、町の人は「この学校を通過する者は、この国のリーダーになるのだから、バンカラで仕方ない」と許してくれた。諸君には想像もつかないでしょう。でたらめのような自由を与えることで、自主自律の訓練をしたのです。その意味では、今の教育の対極にあるとも言えるでしょう。

ある教授は、「先を急ぐのであれば、高等商業や高等工業に行きなさい。そこでは実学を教えてくれる。しかし、君たちは国家のリーダーになるのだから、人間としての幅や奥行きを広げなさい。それが旧制高校の役割だ」と言っていました。だから、歴史や文学、音楽などに触れさせるのだ、と。ですから私が徹底してやったことは、読書、そして語学。山歩きやクラシックにも心酔しました。つまりは人間力の醸成です。

現在の大学では、歴史の授業が選択性になっていると聞きます。これを君たちは、どのように捉えているのでしょうか。私は、酷い教育だと考えています。だから、“ホリエモン”のようにテクニックだけが優れた若者が登場してしまう。人が見ていないところでは盗みを働いてもいいというような、要領の良さを本分する姿勢が芽生えてしまうのです。彼らは、私たちより算盤を弾くのは上手いかもしれないが、(人としての厚みを持たないために)最終的には何らか、破綻していきます。

明治時代、世界の大半が「白色人種が有色人種を完全征服できる」と考えていたときに、日本は日露戦争(1905年)に勝ちました。これは凄まじいインパクトを持つものだった。日露戦争は、ただの戦ではありません。君たちも、今一度、歴史を学びなおしてみてください。

近代日本を作った実業家のうち、その背中に学ぶべきは渋沢栄一でしょう。渋沢は陽明学をはじめとする高い教養を身につけ、「経営者にとって黒字の達成は義務だから、右手には算盤(そろばん)を持ちなさい。しかし人間は極めて弱いものだから、左手には論語を携えなさい」と教えました。これは実業家にとって永遠に不変の指針であります。

開国後、遅れを取っていた日本が、早く西欧諸国と肩を並べるためにと明治政府が取った諸策の基本概念が「富国強兵」です。軍備の増強を狙って海軍・陸軍士官学校を作り、また、当時の官僚が諸国に学びに行った結果として旧制高校、そして帝国大学を敷設してリーダーを育成していきました。驚くべきは、これが、旧制高校の定員を足し合わせた数と帝国大学の定員とが一致するシステムであった点です。つまり、旧制高校に入学すれば、ほぼ自動的に帝国大学に入学できるという仕組みになっていたのです。

君たちには気の毒だが、現在の教育システムにおいては、高校で進学校に入学しても、大学受験のために、予備校にも通わなければならないような状況にあります。しかし旧システムでは旧制高校に入学した時点で、人生の方向性を知り、腹を括ることができた。受験のための勉強に翻弄されることなく、学問に専念できた。マッカーサー(ダグラス・マッカーサーGHQ最高司令官)は、小さな島国の民族が、これほどまでに優れた国を作れた理由の一端が、教育制度にある、と気づいたから後にこの仕組みを壊していったのではないか、とも思えてきます。私は旧制高校最後の卒業生であり、後輩は旧制高校に入学しながら、新制の大学生となりました。

兵法はベクトル合わせの学問

本日の本題へと話を移しましょう。(これからするように)著者の話を真剣に聞くと、その辛さを疑似体験できます。本などを表面的に読むのと異なるのは、そこでしょう。実体験には時間がかかり、心が磨耗します。それと比べれば疑似体験は、まだ簡単ではあります。

振り返れば、私がアサヒビールで、ある種、残酷とも思える状況下の指揮を取れたのは、学生時代の挫折体験があったからこそと考えています。これは81歳を迎えた今だからこそ、しみじみと思うことでもあります。

アサヒビールは1949年(昭和24年)までは、大日本麦酒という企業名で国内75%のシェアを取っていました。ところがその後、25%シェアであったキリンビールに大敗を余儀なくされます。ここにいる諸君の多くが、そのことを知らないでしょう。それは歴史というものが、勝った側の論理で語られるものだからです。先にも触れたように、占領政策というのは戦勝国が敗戦国の良いところを全て潰すことにほかなりません。

分かりやすくするために、まず戦争の仕組みから簡単にお話ししましょう。現在では国連があり、第一次大戦のような侵略的な戦争は国際的に認められないこととなっていますが、自衛的な戦争については認めています。話し合いで決まらないことは結局、武力で決するのです。戦争の勝敗は正義とは全くの無関係なものです。勝ったほうが正当性を訴求します。歴史はそうやって、勝者の論理で描かれてきました。

戦勝国は、占領下の敗戦国に入り込み、いずれ自分たちにとって脅威になると考えるエネルギーを破壊していきます。二次大戦後、マッカーサーを筆頭とするGHQは、過度経済力集中排除法によって日本国内325社の分割を指定しました。「鉄は国家なり」という言葉は諸君も聞いたことがあるかもしれませんが、日本製鐵を2社(八幡製鐵所と富士製鐵)に分割したほか、“死の商人”として戦争協力をした財閥・商社を粉々に分割(財閥解体)したのです。ビールは平和産業ですが、75%という圧倒的シェアが占領軍にとって懸念材料となり、37.4%を朝日麦酒(アサヒビール)、残りを日本麦酒(現在のサッポロビール)と、東西に二分しました。

最近で言えば、敵対的TOB(株式公開株付)によるM&A(企業の合併と買収)といったことになるのかもしれませんが、こうした考え方は決して新しいものではなく、2200〜2300年も昔から、戦は隊が大きければ大きいほど有利とされてきました。統合効果を狙うのは企業に限ったことではなく、3200あった市町村を半数にすれば4兆円の税削減効果があるとのことから、“平成の大合併”として現在1800程度にまで集約が進んでいます。

これを逆から見れば、60余年前に行われた企業分割が途方もない破壊力を持つものであったことが理解できるでしょう。実際、その後の数十年間を経てアサヒビールのシェアは9.6%(1985年)にまで転落しました。HBS(ハーバード・ビジネス・スクール)も、ノースウエスタン大学も、「(日本のビール業界のような)寡占市場においてはシェア10%が生命線」と説く中で、アサヒビールのシェアは完全に、それを割り込んだのです。

今だから、そして君たちの前だから話しますが、当時は旧・大日本麦酒から上がってきていた社員の多くが、「もう、ダメだ」、「諦めたほうがいい」と、ふてくされていました。彼らは優れた大学を卒業し、人生をスムーズに歩んできた“エリート”でした。私も、彼らと同じように恵まれた道を通っていたら、同じように考えたことでしょう。しかし、それまでにも環境変化によってジグザグの道を歩まざるを得なかった私は、開き直りました。そして、この状況は「兵法によって立て直せる」と考えました。

兵法というのは、端的に言えば“ベクトル合わせの学問”です。企業において「こんな会社を作りたい」と想いを抱いて経営理念を掲げるのが社長で、それを専務から新入社員まで組織全体が一丸となって達成する。これはベクトルが合わなければできません。であれば、兵法が企業経営の参考にならないはずがない。大日本麦酒のエリート社員や女性社員などは、兵法と聞いて(何か荒々しいものを想起したのか)怯える人もいましたが、具体的な施策として実践してみせることで納得してもらえました。

兵法に則れば、ベクトルの揃わない者が1人でもいてはダメで、指揮官と部下の方向性が一致することが不可欠と考えます。指揮官への信頼がなければ、相反する部下のところから水が漏れ、そこから全体が決壊するような結果となるからです。これは力で部下を押さえ込むような上意下達のやりかたでは最終的には機能せず、指揮官は「徳」でもって隊を率いなければなりません。実戦においては、弾を撃つのは敵だけではなく、それまで面従腹背であった部下が上官に向かっていくことも可能だからです。ですから、人が見ていようと見ていまいと、例えば汚い便所の掃除をするというような、慎独の精神を叩き込んでいきます。

兵法を基盤にベクトル合わせの学問を探究していったところ、私たちは「TQC(トータル・クオリティ・コントロール)」と「CI(コーポレート・アイデンティティ)」という二つの概念に辿り着きました。

TQCとCIに注力。生ビールへの気づきが起死回生を牽引

「TQC」については、ビールの品質だけではなく、総労働の質を上げることを目指し、あらゆる場面で改善を徹底しました。ハーバードやノースウエスタンの理論に立ち向かわなければならないのですから、大変です。

一例を挙げると、女性工員を小集団にして「石けんの節約」という課題に取り組んでもらいました。組織における序列だけで言えば工場長のほうが格上ということになりますが、こうした課題は現場の女性のほうが遥かにノウハウを持っています。身近な課題に取り組むことで、労働の疲労感がなくなり、組織へのコミットメントも上がっていきます。そうした小さな取り組みを重ね合わせ、会社全体の(TQCという)課題達成につなげていきました。

中小企業の創業者というのは往々にしてハングリー精神から立ち上がっており、どれほど働いても疲れを見せません。彼らには、(経営理念の達成に向けて無心に動くために)見えないものが見え、聞こえないものが聞こえているからです。その心に社員たちの心が自然と寄り添っていきます。

この対極にあるのが、他律で動く、温室育ちの旧・大日本麦酒の社員と言ってもいいでしょう。大企業のトップというのは、何万人もの社員の中から選出されるだけあって高い資質は持っています。ただ、挫折を知らないエリートは、業績が順調なときには力を発揮できても、悪くなるとボロを出しがちです。山一證券や北海道拓殖銀行の経営者だけが特に能力が低かったわけではないのです。

ベクトル合わせの方法論として、もう一つ、取り組んだのが「CI」の構築です。一般的にCIというと企業ロゴやイメージカラーなど、デザイン的なものを想起する人が多いようですが、CIの本質は企業イメージの統一にあります。社長が何も言わなくても、社長の発信したいメッセージを、様々なツールが代弁してくれる状態が理想であり、色や形というのは、それを表現する手法の一つでしかありません。

小さな会社であれば、社長の後姿を見せるだけで充分かもしれませんが、それでも指揮官が“便所を磨き続ける”には限界があります。社員だけではなく、例えば諸君の会社のお客様に「この会社と付き合っていれば幸せがやってくる」と思えるほどの良いイメージを持ってもらうためには、何か社長の能力を補填するメカニズムが必要です。これはカネさえかければいい、というようなものではありません。ちなみに当時、アサヒビールのイメージ調査を全国規模実施したところ、「負けた海軍の軍艦」「滅び行く平家のようだ」など、アサヒビールの商品のイメージは創造を超える酷いものでした。

さて、その後のアサヒビールが日本一の座を奪取した理由は、端的に言うならば「気づきの勝利」ということではなかろうかと思います。それは、明治時代の日本の様にもなぞらえられるかもしれません。265年もの長期にわたり続いた江戸期の鎖国から1853年ペリーの黒船来航以来、開国、近代国家の構築に至る変化への対応力は、ひとえに日本人の気づきの良さによるものと考えています。

アサヒビールにとって、起死回生の一手となった「気づき」は、生ビールへの注力でしたが、その開眼のきっかけとなる出来事が1963年にありました(編集部注:アサヒビールは、1986年に発売の「アサヒ生ビール」(通称「コク・キレ」)、1987年に発売の「スーパードライ」によって、わずか3年でシェア9.6%から20.7%という奇跡的な復活を遂げる。中條氏は1960年代に既にその種となる方向性を見出していた)。

私が西の陣営(アサヒビール)に入社した理由は、当時の社長・山本為三郎への憧れも大きかったのですが、その年、大阪支店で主任を務めていた私は、彼の訓話を聞き、涙がこぼれるのを止めることができませんでした。「これほどの大社長が自社のシェアの下落を食い止めることができずにいる」。爽やかな語り口の底にある無念を察したら、たまらなかったのです。

山本社長は、私の涙に気づき、あとから「なぜ、泣いたのか」と訊ねに来ました。私が、心のうちを応えると、「では、シェア下落を阻止する策を考えてみなさい」と言うのです。

私のような血気盛んな社員は、褒められるより、重大な課題や任務を与えられるほうが励みに感じます。私は早速、他社の技術者17人を訪ね、「ビールはどういう飲み方が正しいのか」ということを聞いてまわりました。すると皆が皆、口を揃えて「生で飲むのが正しい」と言うのです。そこで、「ではなぜ、パスツール(火入れによって酵母を殺して「ラガー」とする)にするのか」と聞くと、「腐りやすいから」という返事が戻ってきます。つまり、ビール会社自身の都合なのです。お客様の商品知識が乏しいのを良いことに、生産者の都合で商品の仕様が決まっていることが、そこで理解できました。

当時、首位のキリンビールをはじめ、ビールといえばラガーでした。その意味では目だった特徴がないので、酒販店に折角、冷蔵庫などを寄贈しても、しばらくするとキリンビールの商品に入れ替えられてしまう。その無念が、「ここ(生ビール)にしか勝機がない」という気づきにつながっていったのです。

経営者がすべきは「行くべき方向」の提示と「兵站」の確保に尽きる

現在、日本は世界2位の豊かさを誇っています。「豊かさ」は全世界66億人が希求するものですから、そのことは素直に感謝すべきです。ただ、豊かさというのは不思議な性質を持っており、いざ手に入れてしまうと、それを求めるエネルギーを一気に減じてしまいます。夢を求めることが浅くなり、現状に耐える強さも萎えてしまうのです。実際、日本人の若者の実態調査などをすると、他国と比べ、夢や目標を見出せずにいる様子などが露呈したりします。

ですから、アサヒビールの再生において大切にしたのは、まず求めるべき「夢」を明確にすることでした。兵法では経営者がすべきことは、究極的にはただ二つです。それは、「行くべき方向」(=夢)を示すことと、「兵站」(=財務)を用意すること。私が思うに、社長というのは、あまり細かいことをすべきではありません。

従って、中長期計画も、課長や課長代理といった中間管理職の社員に作成してもらいました。作業効率だけを考えれば、役員だけで行ったほうが早いのですが、それでは全社的な意識喚起にはつながりません。会社が大きくなればなるほど、「巻き込み」や「参加意識」を高めていかなければ、指揮官が「突撃!」と言っているのに、後ろに誰も兵がいない、なんていうような状況に陥りかねません。

今の時代は、指揮官の人徳がないからといって、いきなり部下が殺しに来たりはしませんから、「うちの社員は、だらしがない」なんて、暢気なことを言っていられる。けれど、部下が付いて来ないのは、部下が悪いのではなく、指揮官が悪い。指揮官たるものは、部下をして仰いで富嶽のごときでなければならない。つまり、富士山のように清々しく憧れの対象であり、また同時に、登ろうと思ったら登れるものでなければいけません。

そして、夢に数字を込めること。夢を描くだけであれば、子供にもできます。しかし経営というのは、夢を(売上や利益などの)数字の形で現実にしていくことです。

最後に諸君に「不作為の罪」という言葉を共有させてください。兵法では、何もしない罪は、やってみて失敗する罪よりも大きいと考えます。何事もやってみなければ、成功は得られない。何が良くて、悪いかも分かりません。思い切って挑戦してみたら、時には失敗することもあるでしょう。けれど失敗すれば、一つ知恵が付く。失敗を恐れて何もしないことと比べれば、幾分も良いと明るく受け止めればいい。尻込みをするのは、指揮官の罪です。

また、何かに挑戦する際の心得を、私は「兵員の逐次投入の戒め」と置いています。挫折を知らないエリートは、恐怖心が強く、対投資効果だの何だのと言いながら、「少しやってみて、ダメならまたちょっと、またダメなら……」とリソースを小出しにする。こうした五月雨式の資源の投入は時として、大きな失敗につながります。

企業経営にせよ、人生にせよ、どうあっても今の世の中では、戦争のような残酷な結果にはなりません。それなのに、少し失敗しただけで「政治が悪い」とか、「経済環境が良くない」などと他責にする人間が多すぎる。外部環境がどうあろうが、自分の会社、自分の人生なのだから、その成績は自分自身のものでしょう。良くない結果であれば自責の念に駆られて腹をかっさばくぐらいの迫力がなければ、何事もうまくいくわけがない。兵法というのは、そのように「勝つための教科書」なのです。

[対談]中條氏×グロービス経営大学院学長堀義人

堀:経営者のすべきこととして「夢」を打ち出すことを挙げられたのが印象的でした。本日の主題は「経営に活かす兵法」でしたが、私が学んだハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でも第二次大戦中は経営学など教えず、ケースを使って突撃か撤退かという意思決定の訓練をしていたそうです。私自身、HBSで兵法のようなものも学びましたが、経営者は知恵や能力だけを持っていても組織を動かすことはできない。やはり人間力が求められます。では、その人間力は何によって醸成できるのでしょうか。

中條:直接的な答えになっているか分かりませんが、私はどれほど偉くなっても人間が一動物であることを忘れてはならないと考えています。日本人の中には、戦争に負けた瞬間に「恥の文化」で「躾が厳しかったこと」を悪い風習であったかのように捉え出した人がいるが、馬鹿を言ってはいけない。人間と動物を比べれば、例えば動物は死体遺棄をするが、人間は火葬したり土葬したりする。つまり、ちょっと分別がいい程度なのです。逆に言えば、だからこそ、この分別を大切にしなければいけない。躾が必要なのです。
周囲の人間との関係性において、したくなくてもしなければならないことをさせて躾は完成します。それを放棄して、徳を磨くも何もあったものではない。

人間力と豊かさにも関係があります。例えば私の育った信州は、とても寒い土地でした。こうした寒いところで貧乏をすると母親の手は常に擦り切れている。あかぎれのない手は裕福な家庭の象徴なのです。そういう環境に育つと男子は自然に「母親の手をなおしてやりたい」という思い、夢を持つようになります。そういう夢を持って旅立つ息子を見送る母親は、「人様に後ろ指だけはさされないように」と教えます。まさに恥の文化です。そうした全てを失ってしまったことが今日の課題ではないでしょうか。

徳を磨くのに「これさえすれば」という特効薬はありません。ただ、良いものには積極的に触れたほうがいい。私が人に誇れるものがあるとしたら、書物を読むことが好きで、偉人伝などを読んでは、「野口英世のようになりたい」と、価値観を育てていったことではないかと思います。

堀:豊かさが良い意味でのハングリー精神を喪失させるというようなお話がありました。ただ、豊かであっても自己実現欲求というのは生まれてくるのではないでしょうか。例えばグロービスでは受講生が各々の「吾人の任務」を考えるセッションを用意しています。金銭的豊かさだけではなく、精神的な豊かさへの渇望が人を動かすドライバーになることはあるのではないでしょうか。

中條:それこそが教育の値打ちでしょう。昨今の日本人の使命感が薄いのは、教育制度に問題があると私も考えています。

堀:私が最近、注目しているのが「AQ(逆境指数)」と呼ばれる指標です。これは人が課題にぶつかったとき、いかに強靭に対抗できるかを図る指数です。課題から目をそむけて「逃げる」というのが一番下で、最上位は「ハーネス(滋養する)」。逆境を成長の友として自らの人生に寄り添わせるというような意味と捉えています。では、どうすればAQが上がるのかといえば、私はやはり、幼少期からの試練の数かなと思います。経済的に豊かでも試練を与えることができれば強さは身に付く。それが親や教育の務めではないかと考えています。

中條:兵法の世界では、それを「受容」と言いますよ。敵を囲んだら勝利だし、逆に囲まれたら全滅する。良い状況と悪い状況は、頻繁に入れ替わります。だから、ピンチをチャンスと受け止めることだ、と。例えば、昔の修行僧などは常に短刀を携帯していたんですね。それは、山などでマムシにでも刺されたら終わりだから。いざというときは潔く自決できるよう準備しているわけです。あの世界は「即身仏」といって、生きながらにして死んだときの状況を体験したいために、自ら生きたまま土に埋まったりもします。彼らが夜、暗闇で近くにマムシの来たことを察知できるのは、それだけの覚悟を持って生死と向き合っているから。必死さが、全身の神経を研ぎ澄まし、それが気づきをもたらすのです。

堀:お話の中に、一つに専心する経営者には「見えないものが見え、聞こえないものが聞こえてくる」というお話もありましたね。経営者、リーダーとして、そこまで覚悟徹底していれば、瞬時の判断もできるようになるのでしょう。中條さんはリーダーに望む資質としてどのようなものを考えていらっしゃいますか。

中條:社長は「決断」するためにいます。会社が勝ちに行くにはトップダウンしかないというのが私の信念です。トップには経験も情報も一番集まるのですから。経営者の人生というのは、会議で7対3になったら7を取るなどという、お気楽なものではない。私は、そう考えます。

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