本日は、これまで資生堂が進めてきた経営改革の概要と今後の展望、そして、改革推進の大切な要素である人材活用について詳しくお話ししたいと思います。
資生堂は1872年(明治5年)、新橋—横浜間に鉄道が通じた年に設立、今年4月に創業136年を迎えました。資本金は645億円、海外を含めたグループ全体の従業員数は4万に上ります。
業績は、2008年3月末決算で、売上高7235億円。昨今、海外部門の成長が著しく、全体の36%を占めています。営業利益は635億円で、売上高営業利益率は8.8%と目標の8%を上回りました。本日お話をする経営改革「3カ年計画」を立ち上げる直前となる2004年の利益率が4.1%でしたから、大幅な改善と言えます。ただ、海外の競合と比較した際、グローバル企業を標榜するのに十分な水準ではないことは認識しています。
資生堂の「資生」は、中国の易経に出てくる「至哉坤元萬物資生」(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか、すべてのものはここから生まれる)から取って社名としたもので、大地のあらゆるものを融合して新たな価値を創出していきたいとの創業者の願いが込められています。
資生堂は日本初の洋風調剤薬局として誕生しましたが、大正時代に入ってから事業ラインを医薬品から化粧品に転換。その後、日本の急速な文明開化の波に乗り、化粧品を中核に事業を拡大してきました。その原動力は先達が作り上げた様々な制度によるものです。
大正12年にスタートさせたチェインストア制度を皮切りに、昭和9年には現在の「ビューティーコンサルタント(以下BC)」の前身となる美容部員制度を導入。昭和12年には「資生堂花椿会」として愛用者までも組織化していきました。チェインストアを基軸とする強固な販売網によって売上を伸ばしてきたビジネスモデルは、しかし、その強固さゆえに逆に制約となり、1970年代後半から顕著になるGMS(ジェネラル・マーチャンダイジング・ストア)チャネル、1980年代からのコンビニエンスストアやドラッグストアの台頭に対応できず、競合に後れを取っていったことも事実です。
マーケティング部門も、こうした環境の変化に対して有効な打ち手を示せないまま、その時々のニーズを満たす新商品を次々と発売し、2000年には100件以上ものブランドを抱えるに至っていました。結果として、グループ総体の売上は低下。売れないからと更に新しいブランドを追加し、開発やマーケティングコストをかさませるという、負のスパイラルに陥っていたのです。
売上目標の未達成が常態化すると、「いずれ何とかなる」「誰かが何とかしてくれる」という空気が社内に蔓延するばかりか、次々と生み出される新製品の波の中で社員は心身ともに疲弊していきました。こうした状況の打開に向け、私は2005年から始まる3カ年企画の策定に取締役・経営企画室長として飛び込みましたが、その実行フェーズに入るのと時を同じくして(社長として)経営の舵取りを任されることになりました。
「メガブランド」に代表される本部からの改革
3カ年計画の策定に当たって大切なことは、「明快な成長戦略を描き、着実かつ抜本的な構造改革によって利益体質の企業に転換すること」と認識していたので、まず、そのグランドデザインを社内外にはっきりと示さなければならないと考えました。そこで掲げたのが、「100%お客さま志向の会社に生まれ変わること」、「大切な経営資源であるブランドを磨き直すこと」、「魅力ある人で組織を埋め尽くすこと」という、「私が任期中に成し遂げたい三つの夢」でした。この三つの夢によって社内のベクトルを合わせることを最優先に取り組んだのです。
社長就任後は国内外の全事業所に出向き、改革プランを説明するとともに、この夢を資生堂のビジョンとして共有し、このビジョンの具現化によって成長性・収益性を高め、ブランド価値を最大化し、グローバル企業としての競争力を付けていくことを誓いました。
成長性を牽引する国内のマーケティング改革として立てた柱は二つです。一つは、お客様と会社をつなぐ大切な経営資源であるブランドを輝かせる「本部からの改革」。そして、もう一つが、お客様との直接的な接点となる「店頭からの改革」です。この二つを同時に進めることによって、後戻りできないほどの強大な改革のうねりを創出していこう、資生堂が変わったと社内外に明示して、その後に進める改革のエネルギーを産み出そう、と、考えました。
「本部からの改革」の尖兵となったのが、「メガブランド戦略」です。100余から成るブランドポートフォリオを整理統合し、お客様から揺ぎない信頼を得られる真に強いブランドにのみ収斂させて、負のスパイラルに終止符を打っていく。3カ年計画を実施に移す2005年までに35ブランドまで絞り込んでいたものを、この3年間で更に27ブランドまで落とし込みました。今年度からも集約を続け、21ブランドまで絞り、経営資源を集中させています。
集約したブランド群の核を成すのが六つのメガブランドです。テレビコマーシャルなどで、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、メイクアップの「マキアージュ」、ヘアケアの「TSUBAKI」などが、その代表格です。スキンケア、フレグランス、メイクアップ、メンズ、ヘアケアといった化粧品の主要カテゴリーごとに基軸ブランドを立て、そこにマーケティングコストを集中させることで、それぞれを圧倒的な市場占有率を持つ強いブランドに育成していく。
メガブランドの開発は、また、社内における新しい仕事の進め方の試金石でもありました。事業部の壁を取り払い、全社を挙げてカテゴリーを攻略する新しい体制を取る。一人のブランドマネジャーが、商品企画から、研究所との調整、プロモーション、営業の第一線への情報提供までを串刺しにしてマネジメントします。このことは、社員の行動変容を促しました。
この体制の下、七つのブランドを足しても長年トップ3にすら入れなかった、ヘアケアのカテゴリーにおいてTSUBAKIただ一つで、現在トップシェアを頂くに至りました。TSUBAKIに限らず、各カテゴリーのメガブランドが目標通りに圧倒的な知名度を得て、資生堂を代表するブランドとしてお客様の認知を得るところまで育っています。さらに現在では、東南アジア各国にも販路を拡大しつつあります。この3年間に注力した27ブランドは、大きく成長を遂げ、国内化粧品売上の8割強を占めるまでとなりました。もちろんマーケティング効率は格段に向上し、まさに好循環を生んでいます。
さて、メガブランドによって資生堂の変化をインパクトをもって示す一方で、お客様との接点から企業価値を高める「店頭からの改革」にも取り掛かりました。
ビューティーコンサルタントによる店頭からの改革
「100%お客様志向の会社に生まれ変わること」。この改革を進めるにあたって私は、グループの中で圧倒的な多勢を占める国内1万名におよぶBCの力を借りることにしました。店頭で活動する1万名が100%お客様志向に変われば一気に会社全体が変わる。何より後戻りができなくなると、考えたからです。
BCのミッションは、その名のとおり、「カウンセリングを通じてお客様に美しくなっていただくお手伝いをすること」と、入社時に徹底して教育されます。しかし販売の一線における現実は、日々与えられた売上目標を達成することや、会社が決めた推奨商品の販売数が彼女達の評価の大きなウエイトを占めていました。お客様を美しくするために入社したのに、実際には日々のノルマに追い立てられている——。カウンセラーか売り子か。美容部員制度導入以来、資生堂が理想と現実の間で迷い続けてきた70年の歴史にピリオドを打ちたい。それが私の積年の思いでした。
「100%お客さま志向の会社に生まれ変わる」ために改革を進めるのであれば、お客様との接点となるBCが、まず文字通りお客様志向に変わらなければならない。そこで社長就任と同時にプロジェクトを立ち上げ、4カ月間で構築した具体的なアクションプランを携え、全国13会場を回り、BCと直接、対話の機会を持ちました。
なかでも最も注力したのが、彼女達の評価の大きなウエイトを占めていた、売上金額と推奨品の販売数量というノルマの撤廃と、お客様からのフィードバックによる評価体系への移行でした。お客様の満足という、ただ一点を目指すのであれば、BCの評価を誰にお願いするのがいいのか。答えは明快でした。
しかし、ノルマの撤廃について社内からは、「BCが怠けるのではないか」「売上が下がるのではないか」など異論を唱え、ブレーキをかけようとする人の少なくないことも事実でした。けれど、「ここで変わらなければ資生堂の未来はない」「BCのミッションと現実のギャップを埋めて本来の活動に徹してもらうためには売上が一時的に下がっても結構」と、この活動に徹すれば、お客様からの信頼が余りある価値として返ってくると信じて、私は自分の考えを絶対に曲げませんでした。
ご覧いただいているハガキの山は、お客様から返答いただいた(BCへの評価の)、ほんの一部です。110万件以上のハガキを頂きましたが、自由回答欄への記入も多く、うち9割がポジティブな内容、残り1割が厳しいご意見です。
例えば、その意見の一つとして、「店頭で一所懸命にメイクアップ実習をしてくれたのは嬉しかったが、照明が暗かったために、ポイントが、よく分からなかった」というものがありました。もし、このお客様が再び来店されたとき、店頭が改善されて非常に明るくなっていたら、どのように感じられるでしょうか。その反応は想像に難くありません。一方で、相変わらずの状態であったらお客様の心は離れていくことでしょう。
この仕組みは、私たちが日々看過しているものへの気づきを与えてくれる大切な活動として位置づけられます。お客様からいただくハガキは全て、一人ひとりのBCに毎月フィードバックしています。BCからは、「お客様との毎回の応対が緊張感の連続に変わっていった」「このような毎日を重ねれば、(自分自身や店舗が)レベルアップしていけるという実感がある」といった意見が上がってきます。こうした意見と接するたびに、お客様視点の活動が実ってきたという手ごたえを感じています。
多様性を得て真のグローバル企業に
2005年からの3年間は、このように、まさに一度、会社を壊して作り直すような形で様々な改革を進めてきました。矢継ぎ早に休むことなく打ち出す改革プランに社員はよく付いてきてくれたと思います。おかげさまで3カ年の最終年度となる2007年度で8%以上を目指した営業利益率は8.8%となり、3年間それぞれが年次の計画を上回る業績を達成することができました。
しかし、3カ年計画を終え、ようやくグローバル企業の仲間入りをする入口に立てたというのが現実です。私は、今年から取り組む新たな3カ年を前にして、まず長期のビジョンを検討することから始めました。10年先の資生堂のあるべき姿とは、どのようなものか。その姿を目指したとき、改革の第2ステージとなるこれからの3カ年に、私たちは何を達成すべきか——。逆算をしながら計画を立てることが肝要と考えました。
今までのやりかたに従って3カ年の計画を立てようと固執すると、どうしてもこれまでの延長線上でしか物事を考えられない。結果として、遠大なビジョンより、実現可能な目標を指向することになります。しかし10年先を考えるとなると、時代の底流にある潮流をしっかりと見極めたうえで、新たな発想の下に構造的な議論を行うことになって、進むべき方向が、よりはっきりとする。経済情勢の読めない中で、それでも先を見つめようとするプロセスで、私たちは改めて「グローバル化」という結論を得たのです。
資生堂では毎年7月に全執行役員が合宿形式で会議を行っていますが、昨年(2007年)は、10年後の資生堂の姿を語り合いました。結果、私たちが目指すのは、一人ひとりのお客様の最高の美しさを実現し、心まで豊かにすること。このことに向け、きめ細やかなおもてなしの心を、このうえなく大切にしながら絆を深め、心豊かな価値を提供し、世界中のお客様から信頼をいただく。そして、10年後の2017年には、日本をオリジン(起源)とする「アジアの資生堂」として、世界中のお客様に美しくなっていただくための事業価値を磨くことで国際社会の発展に貢献していくこと、としました。
このためには、先に申し上げた長い歴史の中で育み伝承してきた資生堂ならではの不変の価値。つまり、モノやサービスの質に対して徹底したこだわりを持つ意識、人の心への作用まで探求するヒューマンサイエンス、人と人との触れ合いの中で心まで豊かにするおもてなしの心という、三つの要素の掛け合わせが大切な基盤になっていくものと捉えています。そして企業としては、この実現により売上高で1兆円超、営業利益率で12%以上、海外売上比率5割超を達成し、文字通りグローバル企業としてキラリと光る存在に成り得ると信じています。
この実現のために、10年を三つのスパンに区切って進めることにしました。第1ステップは既にスタートしている2008年から2010年までの3カ年。「全ての質を高める」というテーマを掲げ、これまで築き上げてきた経営基盤をベースに資生堂ならではの価値に磨きをかけて、全ての活動の質を高めながら、ホームマーケットである日本からアジアに圧倒的な存在感を示すと共に、次なる成長に向けて新興国に積極的に展開していきます。その後、第2ステップ、第3ステップと歩を進め、先ほど申し上げたような世界規模での成長と収益性の向上を目指していく。それをグループ全体のシナリオと位置づけました。
本日は具体的な部分は割愛しますが、3カ年の最終年度となる2010年までに営業利益率で10%以上、ROE(自己資本純利益率)は営業利益率プラス1〜2%の水準。そして今から10年後には、グローバルコンペティター並みの営業利益率とROEの達成を目指すこととしています。
グローバル化を果たす上で求められるのは、組織や戦略以前に、人の意識や行動のグローバル化であると、私は考えます。海外の事業所で活動する社員の人材育成はもちろん、社内でのコミュニケーション、意思決定の在り方、ガバナンスに至る「内なるグローバル化」を含めてその対応を強化していきたいと考えています。
その要諦は、ダイバーシティ(多様性)への対応です。私は、この多様性への対応こそ、グローバル経営を実践するうえでの日本企業の課題と考えています。日本では企業においても社会においても、とりあえず日本を軸に考えてしまう風土がある。例えば日本人観光客が、韓国の寺院を詣でた際、「法隆寺に似ていますね」などという言葉が、つい口をつきます。或いは、パリの地下鉄には、(イギリス国王ジョージ5世にちなむ)ジョルジュ・サンク駅、(米国32代大統領にちなむ)フランクリン・D・ルーズベルト駅などが並んでいます。なんと多様性に富んでいることでしょう。東京で同様のことが考えられるでしょうか。
グローバル化とは、かような価値観を自然に受け入れられる素地を根底に作ることと考えています。この7月から当社の取締役は、社外取締役2名に加えて、旧労働省出身の女性の副社長、ドイツ人取締役常務と、“資生堂育ち”ではない人が7名中4名。監査役を含む取締役メンバーでは、13名中7名と過半がいわゆる“外海”育ちとなりました。近頃はますます幅広い議論が飛び交うようになっています。
事業再生とは人材再生にほかならない
多様化への挑戦。それは組織を構成する個人が発想や行動を自ら変え改める風土で満たされなければならない。それには、組織形態を変更するばかりではダメで、一人ひとりの社員の成長を会社が積極的にサポートすることが必要です。つまり人材の育成がカギを握ると考えます。
私は事業再生=人材再生と捉えています。一人ひとりの長所を伸ばして世界に通用する人材を育てていきたい。そうすることこそ、創業以来、資生堂が目指してきた世界に通用する企業への道であると確信しています。
冒頭に「三つの夢」と申し上げた中で、最後の「魅力ある人で組織を埋め尽くす」というものこそ、最も重要なテーマと考えます。しかし、それには時間がかかります。また、難易度が極めて高い取り組みでもあることも事実です。けれど、数ある経営資源の中でも唯一、人だけが1のものを2にも3にも変えられる、大変に大切な資源と思っています。
資生堂は人の力をどのように考えているのか。育成に際し、どのような方法論を準備するのか。このような問いに対し、明確な回答を全社員に向けて共有することが重要と考えました。そこで、「魅力ある人で組織を埋め尽くす」というビジョンを実現するため、人を育てるという原点に立ち返り、会社の意思を明確に示そうと考え、2006年10月「資生堂『共育』宣言」を社内で発表しました。
「教育」ではなく、「共育」と表記したのは、一人ひとりの社員が主体的に成長する意思を持ち、共に育ち合い、育て合う会社になること。つまり社員の成長と会社の成長が重なり合うような会社になることを目指しています。
この宣言の中では、資生堂がどのような志を持って生まれたか、また先達が育んできた資生堂独自の価値や、それを継承していく私たちの使命について全社員に丁寧に伝えました。では、私たちが育み、継承していくべきものは何か。この点について当社の創業時に遡って少し話を加えさせてください。
創業者・福原有信は、人の教育に大変に熱心でした。従業員に簿記や、当時、流行していたエスペラント語、英語の勉強などを奨励し、店を閉めた後、皆が先輩の指導の下に毎日遅くまで勉強し、明かりが点いていたそうです。ゆえに、銀座界隈では「資生堂」ではなく、「書生堂」とあだ名されていたと言われています。
創業時に根ざす、人の力を大切に考える社風。歴代の経営者は、この社風のもと、時代に対応した人の育成を進めてきました。私も、その遺伝子を引き継ぐ者として、役員も社員もこれを大切にし、後輩へと継承するべきと考えました。それが、「資生堂『共育』宣言」を発信した意図でした。
そして、この宣言と共に具体的なアクションプランを提示しました。「資生堂『共育』宣言」では、資生堂の社員に育みたい能力と感性の指針として、「美意識」「自立性」「変革力」の三つを掲げました。
美を創造し、提供することを生業とする会社ですから、美しさを感受すること。事業使命を果たすうえで、一人ひとりが主体的に考え、行動に移すこと。そして、代々の社員がしたように、新しいことに果敢に挑戦する意思と実行力を持ってほしい。
併せて人材育成の基本構想として、全ての社員が夫々の分野で専門性を高めて、プロとして成長することを掲げました。人は仕事で磨かれる、人が仕事を通じて変わる、そのことを基本に置いたうえで、そのうえにOJT、目標管理、評価、そして研修。この四つの機能が人を育てるとしています。目標管理に基づくOJTは、仕事を通じた日々の成長に重要と考えますが、今日はスキル、マインドの向上を図るための当社の研修に焦点を当てて、お話をさせてください。
リーダーは業績のみならず育成に責を負う
「資生堂『共育』宣言」を受け、バーチャルな企業内大学として「エコール資生堂」を2007年4月に始動させました。企業内大学の狙いを一口に言うと、資生堂グループの全従業員を分野ごとのプロフェッショナルに育成すること、となります。そのため、分野ごとのキャリアデベロップメントプログラムを策定し、様々な研修を行っています。分野は、研究、宣伝、マーケティングなど、社内の業務に対応した七つを設定し、これを大学の学部に見立て、それぞれの分野の執行役員が“学部長”として個々の分野に所属する社員の育成にも責任を持つ形としました。私自身は“学長”になります。
執行役員である学部長は、担当分野の教授として、経験に裏打ちされた専門知識やノウハウ、そして“想い”を伝える語り部となって、スキルとマインドを兼ね備えたスペシャリストを養成していくこととしています。その道を歩んだ先輩として個性的な講義が重ねられています。
私は執行役員には、「担当部門の仕事を完遂するだけではなく、そこに所属する人の育成にまで責任を持て」と言い続けています。今までは、ともすると「人材育成は人事部に任せる」という気持ちを持ちがちだったものが、この制度によって意識の転換が導かれるものと期待をしています。
そして、エコール資生堂では、次段階として“経営大学院”も設置しています。こちらの運営には、執行役員の経営企画部長があたります。経営大学院は、将来の経営幹部を養成する選抜制のプログラムで、二つのコースが用意されています。一つは、近い将来、部門長や子会社の社長を目指す40歳代前半の層を対象とする、「ネクストリーダー研修」と呼ぶもので、グロービス・オーガニゼーション・ラーニングの支援を受けています。その中で、資生堂の価値観や想いを私自身、車座になって伝えています。二つ目は、その上位にあたる研修で、「ビジネスリーダー研修」と呼んでいます。こちらは執行役員候補を対象に、1年をかけて役員に必要となるスキルを養うもので、ここでは高度な経営技術はもちろんのこと、現任の取締役を交えて実際の経営課題について猛烈な議論を行うなど、信念、ビジョン構築力、決断力などを身に付ける経営の疑似体験も取り入れています。
この研修では、我々役員がアセスメント評価を行うのに加えて、外部機関の協力を得て60項目にわたるアセスメントを併せて行い、次期役員を選抜する評価材料の一つとしています。このビジネスリーダー研修の受講者の中から、2006年には4名が、2007年には2名が、執行役員として現在の経営陣に加わりました。その中の2名が40歳代という若さです。
折角の機会ですので、一つ研修風景をご紹介したいと思います。役員クラスの研修ではなく、新入社員研修の様子です。資生堂では、入社から約3週間にわたり研修を行うのですが、この研修の隠れたテーマは「感謝」です。企業で良い仕事をするには高いスキルを身に付けることはもちろんですが、周りの人に感謝できる人間になることが大前提です。彼らは、生まれてから学生生活を経て社会人となるまで、ご両親をはじめ、多くの人のサポートを受けています。研修では、それを想起させる映像を見た後に、自分自身のこれまでを振り返り、感謝の想いに気づかせていきます。すると、それまで書いたことのない親への感謝の手紙を自然に書き始めます。親に対して、「ありがとう」の言葉をしたためる経験をした人は、そう多くはないと思います。しかし、書きながら20数年の歩みを振り返るうちに、改めて親への感謝の気持ちで心がいっぱいになって思わず涙が溢れてくる。その感謝の気持ちが学生から社会人へのリセットとなって、お得意様、お客様など、これから関わる方々への感謝を重視する下地となっていきます。
また、一つの成果として、こんな現象もありました。長期間の研修を終えた新入社員が、研修所のスタッフや裏方で活躍してくれた事務方のスタッフなど、一人ひとりに感謝の気持ちを示したいと申し出てきたのです。「考えてみれば、自分の会社を愛し、人を大切にするという、一番、重要かつ当たり前のことが当たり前にできない人が世の中に多くなっていると思います。だからこそ、人事部の方々は、この3週間、時に涙も浮かべながら、それを私たちに伝えてくれたのだと思います。素晴らしい3週間を、本当に有難うございました」。この挨拶は、新入社員の代表が、研修の最後の日に、「私たちに少し時間をください」と自発的にしてくれたものです。自発的に動き、仲間と協調して周囲の人間に感謝の気持ちを伝えることができる。研修をする側も受ける側も太い絆で結ばれた。社会人として、まずは正しく第1歩を踏み出してくれたことを、嬉しく思いました。
しかし、それぞれの職場に入れば仕事の現実、しがらみといった中で、どうしても新鮮な気持ちが失われていきます。それを6カ月後、2年後、3年後と集合研修を繰り返し、再び同期生が集まる場を設けることで、悩み疲れた心に洗濯をし、糊をかけ、アイロンをあてて、また現場に戻していく。このことを繰り返して行っています。
人に美を創造し、自らもまた美しく豊かに
ここまで、10年先のビジョンと、その実現に向けた人材育成の取り組みについて、ご紹介してきました。
人材能力の変化というのは、数値で測ることは大変に難しい。しかし、意識とか行動様式の傾向値を知ることはできます。資生堂では毎年、全社員を対象とした意識調査を行っています。昨年からは派遣社員、契約社員も含めた全員に対し、組織、部門、グループ単位まで組織の活力を計測できる仕組みを整えました。これを時系列で見たときの変化は、改革を進めるうえでの大切な指標になります。この3年の改革の取り組みを通じ、「お客様の声を積極的に聞いて今後の活動に生かす」「お客様の満足と信頼が得られるように行動する」といったお客様視点の意識が高まりました。
社員が高い志を持って、そこへ向けて自身を高め続けること、つまり人の力を最大限に引き出すことが資生堂の企業価値を高めるということ、それ即ち、資生堂ブランドを磨くことに他ならないと考えます。混沌とした今の時代こそ、ブランドの持つ絶対的な信頼感、安心感、圧倒的な存在感、そして憧れ、プライドといった、お客様の心の中に在る大きな力が、企業の盛衰を左右するといっても過言ではないでしょう。
ブランドの心を説く経営者、ブランドを愛してくれる取引先、ブランドに熱い信頼を寄せてくださるお客様、そして、ブランドに誇りを持つ社員。全てが同時に一つのブランドを称えて、支えているのである。つまり、人がブランドであるという風に、私は考えます。企業によって最も大切な「人」を育てることで、資生堂を世界に羽ばたくブランドに育てることが私の夢であり、最も重要な仕事であるとも思っています。
最後に私たちが取り組んでいる、ブランドを磨く活動の一つである、コーポレートメッセージの発信についてお話をし、結びとさせてください。
改革初年度の2005年8月に、「一瞬も一生も美しく」というコーポレートメッセージを発表し、資生堂が100%お客様志向の会社に生まれ変わることを社会に向けて宣言しました。このメッセージは、資生堂とお客様が交わす約束事であると同時に、資生堂を経営していく私の信念でもあります。私たちは、魅力ある製品とサービスを作り続けることで、企業として社会に貢献しなければならない。一生、美しくあるという、私たちの不退転の決意を表しています。
ご覧いただいている写真は、今年6月に埼玉の介護老人施設で行った美容懇親会の模様です。当社は30年以上前から全国の福祉関連施設でお肌の手入れや化粧法の講習会を行ってきています。1年で1500回にわたり、もちろん無料で、地域の資生堂社員や元BCといったボランティアスタッフが中心となって運営しています。最初は硬い表情のご老人が、お化粧が進み、手と手が触れ合い、心が通じ合うに連れて、目が生き生きと輝き、最後にはとびきりの笑顔を見せてくださる。化粧の持つ力の大きさを改めて実感します。
この講習会は、化粧や美容を通じて豊かな生活を目指す社会貢献の一環として、当社が培ってきた高い技術、そしておもてなしの姿勢を表す活動であると自負しています。「一瞬も一生も美しく」という社会へのお約束の言葉を行動に変えて、お一人お一人のお客様に分け隔てなく、真心を込めてお伝えする活動です。
最後に、このコーポレートメッセージ「一瞬も一生も美しく」を、社会に伝えるために制作したCMをご覧いただきます。
『新しい自分に生まれ変わったら、きっと、もっと美しい明日がやってくる。一瞬も一生も美しく・・・資生堂』
このCMは、失意の底にある失恋した女性が、化粧によって元気を取り戻していく、その心情を丁寧に描いたストーリーです。その一瞬に、本当の美しさを見出す。化粧は外面を美しく装ったり彩ったり、肌を健やかに保つという機能だけではなく、一人ひとりの女性の内面の美しさを引き出す、言い換えれば、心までも元気にし、彩るものと私たちは考えています。私たちの活動を通じて、生きていく女性を美しく、元気になっていただくお手伝いのできることを、社員ともども誇りに思っています。
先にご紹介した「資生堂『共育』宣言」を全社員に伝えたときの資料をご紹介して締めの言葉に代えさせていただきたいと思います。
「資生堂のもとには、美に憧れる人が集まる。資生堂という場で育ち合い、育て合い、プロとなってさらなる美を作り出す。それを誰かに伝えることに、大きな喜びを感じる。気がつくと、自分も美しく豊かになっている。それが資生堂である」。ご清聴、有難うございました。
[対談]前田氏×グロービス・オーガニゼーション・ラーニングカンパニープレジデント鎌田英治
鎌田:有難うございました。何か、美しく完全な映画でも見せていただいたような心持ちです。会場も水を打ったような静けさで、今から付け加えることは何もないという風にすら感じますが、お話の流れに沿って、幾つかお聞きできればと思います。
本日は、2005年からの「3カ年計画」に基づく経営改革と、次の10年に向かうビジョン、そして改革を率いる人材の育成という三つの柱でお話しいただきました。まず一つ目の経営改革について、お訊ねします。
どんな会社であっても、構造改革、変革というのは、「やらなければいけない」課題と認識しながらも、なかなか前に進められず、苦労しているのが実態と思います。その一方で、資生堂は成功を収められた。お話の中にあった「70年間にわたる迷いにピリオドを打つ」「一時的に売上が下がっても構わない、考えは曲げない」「後戻りできない状況を作る」という印象的なメッセージ。また或いは、メガブランド戦略について、その意味するところが、実は仕事の仕方を変える、社員の行動変容を促すものであったという内容は、全て連環するものだったのであろうと、理解しました。
さりとて、こうした一連の流れと反ばくするようにして、昔からのやり方に固執する動き、抵抗勢力のようなものもあったのではないかと推察しています。そうした難所と対峙しながら、しかし不退転の決意で改革を進めて来られた背後には、どのような思い、原体験があったのでしょうか。
前田:まず、この改革のプログラムは私自身が一人で決めたものではありません。全社員が共通に思い悩んでいたことを、代弁する形で打ち出したのが私であったということです。100以上のブランドの中で心身ともに疲弊している、そのシグナルは前々から発せられていました。BCにしても、日々のノルマで、どうしていいか分からなくなっていた。本当にお客様のお役に立っているかということすら分からなくなっていた。それに的確に応えるのが私の役割でした。
しかしながら、ご指摘の通り、長年に渡り、色々な取り組みをしてきた会社ですので、しがらみ、甘え、組織の大きな壁のようなものは確かにありました。そのしがらみから考えたときに発せられる、「資生堂の常識では考えられない」というような意識をどう突き崩すかは、課題でした。
例えば、BCと対話すると、「変わりたい」と本音を話してくれる。ただ、「私たちは絶対に変わる。その代わりに条件がある。私たちを預かる販売第一線の支店長などの“売れ、売れ”というのを止めてもらえない限りは、私たちは変われない」。そんな風に言われ、販売会社の会議などでは、幾度にも渡り、お客様志向に向けた取り組みの意図を話しました。
私宛てに直接、様々なメールも届きました。「ええ格好をするな」とか「やれるものならやってみろ」といった内容です。そうしたメールに対して、一つひとつ丁寧に返信を書きました。反対をする人から説得していこうと思ったのです。
そうした人たちを「上からも下からも水を通さない。皆さんは粘土層だ」と表現して、顰蹙を買ったこともあります。ただ、顰蹙を買いながらも、主張は曲げず、言い続けました。とにかく根気よくしたことが、成功に結びついたのではないかと思います。
鎌田:変わりたいと思っている社員の本心を捉え、それを核に変革を強力に推進してこられた訳ですが、成功の鍵は、「変革の推進」と同じかそれ以上に「変革の阻害要因の除去」にあったということなんですね。そして、この大仕事こそが、トップの大きな役割ということと感じました。
次に、この先の10年にかかるビジョンについてお聞きします。私自身は、お話を伺って、構造改革は3年、次の展望は10年と、時間軸を圧倒的に変えられたことに大きな示唆をいただきました。
このお話の中で、グローバル化を推進するにあたり、要諦となるのは多様性であると仰っていましたが、組織としてこれを作り出す突破口があれば、是非お聞かせください。
前田:やはり、人事の多様性が一番のポイントとなるのではないでしょうか。現地法人において、現地採用は随分と増えてきました。ただ、要所を押さえるトップは日本人という状況は未だに散見されており、この打開が第一ステップでしょう。ただ、これを打開しても人事が蛸壺状態であることに変わりはありません。例えばフランスの現地法人のトップがアメリカ人だとか、香港で現地法人のトップをしていた人が、本社でマーケティングの指揮を取るといった、より流動的な人事を今後は進められればと考えています。
もう一つのポイントは、個人の中での多様性をどれだけ発掘できるかということだと思います。その意味では、人事政策も複線型の配置を考えていかれるようにと進めています。一人の人間の中に様々な可能性を引き出すことができれば、それが企業全体の多様性につながっていくと思います。
組織への影響力という意味では、やはり役員人事が分かりやすいと考えましたので、そこは思い切って変えていきました。
鎌田:レバレッジの大きく効くところから変えて行くという点が変革のポイントということですね。
最後に、人材活用、人材育成のお話ですが、印象的だったのが「数ある経営資源の中で、人だけは1の能力を、2にも3にも引き上げられる」というメッセージでした。その育成について、担当役員に対し、業績に対する結果責任だけではなく、人材の育成責任も明示されたのは、非常に本質的対応で、深い人間理解に基づいていると感じますが、具体的な育成のやり方については秘策などお持ちでしょうか。
前田:秘策はありませんが、こんな嬉しい話があります。通常、社員との接触が少ない執行役員の一人が、講義に出かけるうちに、「社員の名前と顔が一致してきました」と言うんです。カリキュラムに対しても猛烈に口を挟むようになってきて、「自分がやらねば」という想いや責任感が、日ごとに増していることが手に取るように感じられる。そして、人事がその想いをサポートする役割を果たしています。
鎌田:トップの意志が、社内に広く、また正しく伝わることは、経営上、本当に大切なことです。ですから、貴社も伝える為の時間投資も相当されていると思います。ただ一方で、伝え手の意図に拘わらず、受け手の問題意識や視点の高さが、受け止め方(伝わり方)を左右する、というのも事実ではないでしょうか。そんな現実を踏まえ、私はミドル・リーダーの育成に際して、どの様に経営視点を育むか、どんな経営視点を養えばトップと目線が揃ってくるのか、という問題意識を持っています。前田さんご自身、ミドル時代と社長である現在を比べて、視点の持ち方に変化があったと思いますが、どのような点に大きな違いがあったと捉えていらっしゃいますか。
前田:(社長になって)気づいたことは、全てに限りがある、ということです。例えば私自身の任期にも限りはあり、どこかでバトンを譲らなければなりません。経営は、一人で走るマラソンと違って、駅伝のようなものです。マラソンはペース配分とか、息抜きとか自分の判断でできますが、駅伝はタスキを渡すまで全力で走らなければいけません。人事面での私の役割は、タスキを渡すべき人を早く見極め、次の人に伝えること。それが最大の仕事だと思っています。
鎌田:本日は、とても貴重なお話を伺うことが出来ました。また、ご経験に根ざした深い経営観を、実に丁寧に、かつ、惜しみなくお話しいただいたことに心から感謝を申し上げます。どうも有難うございました。引き続き、会場からも質問をお受けしたいと思います。
[質疑応答]外部リソースも時には積極的に取り入れる
会場:新人教育の場面を見せていただきましたが、中堅社員教育についても、お聞かせいただければと思います。入社から一定年数が経つと批判的な意見を持つ人も出て来るのではないかと思うのですが、こうした人たちと意識合わせをし、モチベーションを高めるために何かしていらっしゃることはあるのでしょうか。
前田:「これさえ行えば・・・」というプログラムは、ありません。ただ、日々の仕事において、個々人が、いかに成長すべきかを考え、行動に移すサポートをしていくことは、意識しています。研修については、人事部長から紹介してもらいましょう。
(人事部長):2006年度から2年にわたり、1100名ほどの中堅社員を対象とした、2泊3日の集合研修を行ってきました。「どのようにして部下を育てるか」に加え、経営戦略と整合する形で、「いかに組織マネジメントをすべきか」を考える演習を行ったのが特徴です。“学部長(担当役員)”が自らの想いを伝え、それについて共感も反発も表に出しながら、車座で議論をしました。この議論を通じて、ベクトルが合ってきたというか、雰囲気が変わってきたことを感じています。今年度からは、個別の職務に、より近づけた形で現実感のある議論をするための枠組みを検討しています。
会場:各階層における育成について伺ってきましたが、採用についてもお聞かせください。3カ年計画と足並みを揃える形で採用方針にも何か方向転換があったのでしょうか。
前田:採用の直接的な担当は人事部ですが、全社を挙げて取り組む姿勢は大切にしています。様々な専門分野で活躍できる人を採用し、育成していくわけですから、採用面接には人事担当だけではなく、現場のキーパーソンも当たります。
改革の前後という意味では、人事の流動性を高めました。若干の人材の滞留があったものを、2004年から改善し、それによって各部門を誰が背負っていくのか、どんな人材が不足しているのかということが可視化されました。今も多少の歪みはありますが、“ウエスト”が細いところには中途採用で専門的な能力を有する人を補完することで組織の強度を高めています。
会場:昨年末に上海の人民広場でTSUBAKIの大きな広告を見て、アジアで精力的な展開をしていらっしゃることを肌身に感じました。私の会社でも海外展開を推進していますが、外国語が話せるだけでは“グローバル人材”たり得ないことを切実に感じます。資生堂では、グローバル人材の採用、育成に、どう取り組んでいるのか、もう少し詳細に教えてください。
前田:先ほどご覧いただいたとおり、海外市場の売上構成比に占める割合が急拡大しています。少し前は10%に満たなかったものが34%を超え、利益率も1%程度だったものが5%程度となりました。急速な拡大に、人材が追いついていないのが現状です。
おっしゃるとおり、言葉ができるだけでは海外で通用しません。と言って、外国語ができなければビジネスを始めることすらできないのも、また事実です。
現実のところでは、現地採用をしながらOJTで育成をし、それと併行して日本国内では入社から数年程度を経た、適格と思える社員を国際事業本部に送り込み、適性を見極めながら徹底的に教育するということをやっています。これを担当するのは外国人役員で、非常に力のある方なので期待しています。ようやく動き始めたところ、というのが正直なところです。
会場:ベンチャー企業の取締役をしています。私自身、まだ30歳代なのですが、それでも20歳代の人を見ると、「随分、感覚が違うなぁ」と思うことがあります。いわゆる“ゆとり世代”と称される若い方々を、いかにしてモチベートされているのでしょうか。従来と、やり方を変えたりはしていますか。
前田:特段、変わったことはしていません。先ほどご覧いただいたように、3週間の新人研修の全体を貫くテーマは「感謝」です。研修では資生堂の歴史に始まり、具体的な業務内容についても、勿論、触れていきますが、3週間が終わったときに、学生から社会人へのリセットがきちんと行われること、感謝の気持ちに至ることを何より大切にして設計しています。私自身が数百人に対して直接に語りかけます。感謝の気持ちで全員が結ばれることにより、その結束が資生堂へのロイヤルティともなり、おかげさまで結果として昨年に入社した社員は、まだ1人も辞職していません。一般に、3年で3割が転職すると言われている、そうしたことは当社では幸いにして起きずに済んでいるのです。
鎌田:国内外の研修に前田社長ご自身が足を運ばれているとのことですが、社長の使える時間の中で、人材育成に割いていらっしゃる時間は何割程度となるのでしょうか。
前田:計算したことはありませんが、休日は大概、研修ですね。明日7月19日からの3連休は最終日に研修に同道して話をしますし、その次の日曜日は経営大学院でのディベートが予定されています。研修は、私たち(提供する側)も大変ですが、受ける方も大変です。例えば私は3連休の1日がつぶれるだけですが、彼らは3日間ずっと缶詰ですから。それが、各階層で年間、ずっと続いている感じですね。良い会社でしょう(会場笑)。
会場:ダイバーシティーというのは、頭数が揃えば良いというものではないと思います。互いの差異を認識し合ってこそ価値が出てくると思うのですが、いかがでしょう。
前田:そのとおりであると思います。好例かは分かりませんが、例えば役員会に外国人を招き入れたことで、私たち自身も行動変容を促されました。これまでは、「ということで」などという言葉と共に、阿吽の呼吸で会話を進めていたものを、彼にきちんと理解してもらうために、「いつ」「誰が」といったことを明確にしながら話すようになりました。いざ意識し始めると、日本語というのは時間軸を非常に曖昧にできるんですね。そういう曖昧さを極力、排除する努力をするようになった。そういう気の使い方をするようになってきました。
会場:いわゆる“外海”育ちの役員を増やしたり、広告代理店へのアウトソーシングを積極的にしていったりとする中で、「資生堂らしさ」を同時に守っていかなければならない。このバランスを、どのようにして取っていらっしゃるのですか。
前田:ご承知のとおり、資生堂は歴史的に見ても、コンペティターと比しても、製品やCMなどブランドに関わるデザインの、かなりの部分を内製してきました。ただ、だからと言って、全て内製に拘っているかというと、そんなことはありません。ここは外部の方の力を借りるべき、という局面では、潔く借りてきました。なぜかというと、「資生堂らしさ」に拘り、内製を続けると、必ず“蛸壺”に入っていってしまうんですね。資生堂のDNAを大切にしながらも、時代の潮流に乗っていくためには、思い切って変わる勇気を持たなければならない。そうした折々には、外の方からエネルギーをいただいてきました。その価値は計り知れないものがあります。
TSUBAKIというブランドの立ち上げが、その代表的な事例です。イニシアチブは、外部のデザイナーの方にとっていただきました。先にお話ししたとおり、当時、資生堂はヘアケア関連のブランドを7つほど持っていましたが、全てを足し合わせてもカテゴリーのトップには程遠かった。どうやったって自分たちの力ではトップを取れなかったのであれば、外部の“旬”の人たちに様々な形で入り込んで手を貸していただこうと思いました。
ただ、外の方にお願いすると、「資生堂の常識では考えられない」ということが数多く出てくるんですね。「そんな手続きは踏んだことがない」「あり得ない」。そうした抵抗を食い止めるのが私の仕事でした。「お任せした以上、やろう」と、そうやって成功したら、そこから学んで次は自らのDNAに組み込んで活かしていけばいい。ですから、外部の方の力を借りるといっても、プロジェクトには社員を参画させて、自分たちのプロジェクトであるという意識を強く持ってもらうように留意しました。
人材育成にしても同じです。根幹となるコンセプトは自分たちで作りますが、それを実現するうえで外部の方の力を借りるのが最適と判断すれば、躊躇なく借りていきます。次代の役員を養成する「ネクストリーダー研修」にグロービスの力を借りているのも、その一つで、ただ、それは“丸投げ”というのとは違うと考えています。