今日は大きく三つに分けてお話します。一つはなぜネット生保というビジネスモデルを立ち上げることになったか、それがなぜ今の時代に合うのか、ということです。我々は132億20万円の資本を調達しましたが、ここでは投資家の皆様を相手に行ったプレゼンテーションをそのまま紹介します。みなさん投資家になったつもりで、聞いてみて下さい。二番目は、会社ができるまでの裏話。実際に何があったか。どんなことで苦労したか、ご紹介します。そして最後に、ハーバード・ビジネス・スクール(以下、HBS)で学んだ事を振り返りたいと思います。
それは社名とロゴ作りから始まった・・・
当社は1年半前、2006年10月に、社長の出口治明と私の2人で準備会社を設立しました。今年4月に金融庁からの認可を取得し、5月から営業を開始。今の従業員数が約50名です。
会社をつくる際、まず会社名を決めて、ロゴを作ることから始めました。最初は安直に「イーライフ」にしようと考えましたが、議論の中で、「ネットライフが良いんじゃないか」ということになり、「ネットライフ企画」という準備会社を立ち上げました。
その後、生命保険会社に変わるタイミングで、どんな社名がいいか色々と考えたのですが、なかなか浮かばない。既存の生保会社の名称にどういうパターンがあるか。「日本生命」、「第一生命」という一般名詞。「明治生命」や「住友生命」などの財閥系。「チューリッヒ生命」のように地名を含むもの。「あいおい」や「きらめき」といった、ひらがな四文字系。
このうち、最初は信頼が大事だと思って財閥系の名前をつけたいと思ったのですが、当社は財閥系ではないので難しい。「そよかぜ生命」とか、ひらがな4文字の社名も考えてみたものの、やっぱり浮かばない。
そんなとき、著名なコピーライターの先生に相談したところ、「ネットライフ」をひっくり返して「ライフネット」にしたらすごく良いのではないかとアドバイスをいただきました。ネットライフというとインターネット生活の印象が強いけど、ライフネットにすると命をつなぐセーフティーネットのような語感があるし、何よりライフネットは母音が「あいうえお」の並びになって響きが良い。これならお客様に親しんでいただきやすいのではないか。そういうことでライフネット生命という社名になりました。
ロゴは、マネックスグループのロゴを考えられた松永真さんという著名なグラフィックデザイナーの先生にお願いしました。先生は我々の話を2時間ほど聞かれてから、何百枚と顔を書かれ、その中から「笑い過ぎず、笑わなさ過ぎず、ずっと見ているとホンワカした気分になる」ということで、この顔を選ばれたそうです。こうして、我々の思いが良く表れた、社名とロゴが決まりました。
世代、経験のバランスが取れた経営チーム
現在、株主が17社います。マネックスグループ(以下、マネックス)、政策投資銀行系のファンドである、あすかDBJ投資事業有限責任組合(以下、あすかDBJ)、三井物産、新生銀行、セブン&アイ・フィナンシャル・グループ、リクルート、朝日ネット、サンフランシスコのヘッジファンドFarallonCapitalManagement,L.L.C.、グロービス・キャピタル・パートナーズ、その他国内の機関投資家の方々に出資いただいています。
常勤取締役は4人で、非常にバランスの取れた面白いメンバー構成になっています。社長の出口治明は「還暦のベンチャー」などと報道されているように、ちょうど60歳。日本生命の中枢で勤めた長い経験があります。副社長の野上憲一はチューリッヒ生命日本支店という通販の生保会社の社長を8年務めた保険数理のプロ。大西又裕は大蔵省出身で保険行政に携わってきた行政のプロです。このように、30代、40代、50代、60代の4人がチームになっているのが当社の特色のひとつです。
会社を立ち上げるにあたって、世の中に我々の思いを伝えたいと思い、マニフェストという形で理念もまとめました。何か心配なときに会いたい存在になることを常に念頭におきたいと考えました。私達も一人ひとりのお客さまと同じ生活者ということを忘れない。友人や家族など大切な人にも胸を張ってお薦めできる商品しか作らない。そういったことを最初に公約として掲げています。
行政の手引きが“手厚い”生保業界
去年は特に生保の話題が新聞紙上をにぎわせました。不払い問題だけでなく、簡保の民営化や銀行窓販の解禁。これほど毎朝のように生保の話題が新聞に出るのは珍しかったと思います。生保は銀行と同じく許認可制の事業で、内閣総理大臣の免許が必要になります。我々は44社目です。
保険料の料率は2006年4月まで完全に大蔵省の認可事項でした。かつては銀行も金利が規制で決められていました。証券も取引手数料が決められていました。それが金融ビッグバンの流れで徐々に自由化された。しかし、生命保険の保険料はいまだに部分的に弾力化されているに過ぎず、当局の強い影響力がある。
これは考えてみるとすごいことだと思います。自由に競争できて、マーケットの需給によってプライスが決まる。弱いプレーヤーは淘汰され、競争が効率化されながら新しいサービスが生まれる。そういったものが資本主義の本質であるとするなら、生命保険業界には参入規制と料率規制がつい最近まで残っていたのですから。
初めて監督指針ガイドラインを開いたときは驚きました。例えば、「文字の大きさを8ポイント以上とすること」「記載事項について重要度の高い事項から配列する」「グラフや図表の活用などの工夫」と書かれています。普通の業界から入ってきた立場からすると、ここまで細かく行政の手引きがなされているのは非常に印象的でした。
当然、業界の公共性や安全性という観点からすると、規制があることは一概に否定できるものではありません。しかし、規制が業界に与える影響は大きいと思います。ちなみに欧米では参入規制、料率規制はそれほど厳しくないと聞いています。むしろ参入した後に、責任準備金を積んでいるかといった経営の安定性の部分で規制しているそうです。
ベンチャー成功の条件「3+1」を満たす
私はこの会社を立ち上げる前、アメリカに留学していた時に200件ほどのアントレナーシップのケースを勉強しました。その中で学んだことに「新規ベンチャーが成功するための三つの条件」というのがあります。これはIntuitという家計ソフトメーカーの創業者が言っていたことです。
一つは、「誰もがやっている行為を対象にせよ」。つまり、マーケットが大きいものを対象にしなさいということです。二つ目は、「お客様が何らかの不便さ、痛みを感じていること」。三つ目は、「痛みを解決するような差別化されたソリューションを提供できること」。その三つがそろった時、新規ベンチャーが大きくブレークする素地が整うというわけです。
帰国して、この生命保険会社の話を聞いたとき、まさに三つの条件にピッタリ当てはまると思いました。第一に非常に大きな業界である。第二に、業界には大きな非効率が残っていて、お客様はけっして満足していない。そして第三に、環境変化や技術変化があって、お客さまの痛みや悩みを解決できる新しいソリューションを提供できる。
さらに、アメリカの例ではなかったのですが、四つ目の条件もありました。それは、規制によって参入障壁が非常に高い点です。参入障壁が高いということは、新規事業者にとって参入までに大変な労力を要します。しかし、参入後の競争は有利だと思います。
年間45兆円の巨大マーケット
生命保険の保険料収入は非常に大きい。民間生保だけで年間28兆円、簡保と共済を足して年間45兆円といわれています。これはストックではなくフロー、つまり毎年45兆円が生命保険料として支払われるわけです。
数字が大きすぎるのでイメージがわかないかもしれません。例を挙げてみましょう。
例えば我が国のGDPは約500兆円です。その一割弱を生命保険業界に対して還流させている。あるいは小売業全体が133兆円なので、その3分の1に相当する金額が生命保険に支払われている。また、国内のIT業界はハード・ソフト・サービスを足して12兆円で、その4倍の金額が生命保険業界に払われている計算。非常に大きな金額だと思います。
世帯の年間保険料はピークに比べてかなり減っていますが、それでも年間53万円といわれています。20年、30年と積み立てるとトータルで1000万円から1500万円を超える。それぐらい大きな市場なのです。民間生保だけで年間28兆円の市場を現在は44社、我々の参入前は約40社で分け合っていた。一社当たり7000億円の市場なんて、私は見たことがありませんでした。
実はこの会社を立ち上げるにあたって、私と出口、投資家の方でミーティングしまして、私がビジネスプランを発表しました。自動車保険のプランでした。自動車保険はおよそ4000億円の市場で、かなり大きな市場だと思ってプレゼンテーションしました。しかし、その後で、出口が発表した生保のプランが45兆円。実に100倍も大きかったので、私は「負けた」と思い、生保をやろうと思いました。
高い死亡保障が日本の生保商品の特徴
日本の保険商品の特徴を見てみましょう。ある会社の典型的な保険商品を例にあげると、30歳でスタートしたとき月1万7000円、40歳の更新時で3万円に上がって、50歳で5万6000円。30年間合計すると1200万円を超える。果たして、どれだけの人が1200万円を出して買った商品の内容を理解しているでしょうか。私は疑問に思っています。
金額が大きいだけでなく、もう一つ特徴があります。死亡保障に沢山入っている点です。一人当たりの死亡保障の金額だと、日本が約1600万円、米国が約600万円、英国とドイツが200万から300万円。また、同じ保険を買うのに必要な保険料も高い。1000万円の10年定期保険の30歳の保険料の場合、英国では1000円前後で買えますが、日本は2000円前後。他国と比べて高い保険料を支払っていることが分かります。
公的保障の違いがあるので、これらの数字だけで何かをいうつもりはありません。しかし、少なくとも日本では非常に多くの人が死亡保障に入っているうえ、それに対してものすごく高い保険料を支払っていると言えます。
保険会社の手数料は3〜6割
2004年11月7日付けの日本経済新聞(以下、日経新聞)に掲載された「生命保険基礎コース(1)生命保険料ってどう決まる?——意外に大きな「手数料」。」という記事に、保険料のうちどれぐらいが保険金の支払いに充てられ、どれぐらい手数料や経費にまわっているかを示しているデータがあります。この記事が紹介している例では、支払った保険料のうち、実際に保険金として支払われるのは4割しかありません。6割が保険会社の手数料となっている。比較的収益が少ない例でも35%が手数料です。
もちろん粗利が3割から6割の商品というのは一般にもあります。しかし、例えば投資信託の手数料は数%です。純粋な貯蓄商品と保険商品はセールスにかかるコストが違うので単純比較はできませんが、普通の感覚で考えると保険商品の手数料にまわる割合は大きいと思います。ある人がネットで「生保は一番効率の悪い博打」と書かれていました。「宝くじ、競馬、パチンコに比べて生保は胴元の取り分が大きい」と。純粋に手数料を考えた際に、あながち否定できません。
では、なぜ生保はこれほど手数料が高いのでしょうか。どうして高い死亡保険に入っているのでしょうか。日、米、英、仏は世界の四大生保大国です。このうち英と仏で保険を売っているのは、銀行や独立のファイナンシャルアドバイザー。彼らは沢山の商品を抱えているため、一つの商品を販売する力は強くありませんが、一つの商品を売るのにかかるコストは非常に小さい。主力商品は貯蓄系や投信系ですから、仮に100万円をお客様からいただく場合に取れる手数料もせいぜい3から5%ぐらい。
これに対して日本は、1社専属のセールスパーソン。販売力がものすごく強い代わりに維持コストが高い。なので、同じく100万円をお客様からいただく場合、手数料が数万円の商品より、3割から6割取れる保障性の商品を販売するインセンティブが強かったのではないでしょうか。そのため、現在のように沢山の死亡保障に入って、手数料を多く取られる構造になってしまったのだと思います。
実際、1970年頃まで日、米、英と一人当たりの死亡保険のウェイトはそれほど変わらなかったようです。しかし、後に我が国では保障の大型化が進み、養老保険という貯蓄性の強い商品から、徐々に定期付終身という保障性の強い商品にシフトした。
さらに、日本では採用した営業員が1年で半数程度辞めるといわれています。専属の生保の外交員はピーク時に50万人いましたが、今は25万人ぐらい。あるアンケートでは、「今すぐ辞めたい」と回答した人が4割弱、「近いうちに辞めたい」が2割弱という結果もあります。営業員のコストだけでなく、採用コスト、教育研修コスト、管理コストがすべて保険料に乗っているのが現状のようです。
仲間が最大のモチベーション
個人的に大切にしていることもあります。一つは、どういう仲間と朝から晩まで時間をすごすのか。今いる50人の仲間とはこのビジネスでなくても成功するし何やっても楽しいと思えます。心の底からそう思えるメンバーと日夜過ごせるのは、ビジネスをやるうえで最大のモチベーションになっています。
もう一つは、やっていることの社会的意義。おこがましい表現ですが、「世の中を少しでも良い方向に動かす仕事をやっている」という思い込みを大切にしています。
私は留学前、リップルウッドという買収ファンドにいました。“ハゲタカ”と呼ばれてバッシングを受けることも多々ありましたが、私は仕事に誇りを持っていました。2001年に入社した当時、我が国の経済が低迷していてリスクマネーの供給者がいなかった。資産や技術、人材に閉塞感が漂う環境に新たなリスクキャピタルを注入し、経営を入れ替えて元気にする。それ自体はやりがいある仕事でした。それから2、3年後に「企業再生」という言葉ができたのですね。すると突然、ハゲタカと呼ばれていたファンドが良いことをしていると認識され始めて世の中が変わりました。
大切にしていることの三つ目は、「自分にしかできない仕事をしている」という感覚です。こう思うようになったのは、ある投資家の方の言葉がきっかけです。「自分というユニークな個性はこの世に一人しかいない。自分にしかできない仕事が必ずある。一度しかない人生なのだから、自分にしかない個性を生かして何か挑戦するのが良い」と言われました。実はMBAの後、投資ファンドに行こうかなと考えて、ウジウジしていたのですが、この言葉に背中を押され、今の仕事に飛び込むことになりました。
もちろん、今の仕事は私でなく他の人がやっていたかもしれません。でも、少なくとも私の中では「自分にしかできない仕事をしている」という感覚を大事にしています。