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「キャリア」マネジメントのステージを上げるキャリアの歩み方

投稿日:2008/07/16更新日:2019/04/09

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MBAの学びはスタートに過ぎない。“青雲の志”を抱き、進む途上には常に試練がある――。あすか会議2008「キャリア」セッションには、グロービスのMBAに学び、活躍する4名が登壇。それぞれの軌跡を振り返りながら、キャリアアップの要諦を探った。(文中敬称略、肩書は2007年7月15日時点。写真提供:フォトクリエイト)

ベンチャー転職によりキャリアステージに変化

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本セッションは、グロービスのMBAに学んだ4名をお招きし、これまで、どのようにしてキャリアのステージを上げてきたのか、また、何がキャリアアップの秘訣となったのかを伺います。聴講者の皆さんの中には、自分の次の目標をどう設定すればいいのか、何から取り掛かればいいのかと、モヤモヤしている方も多いのではないかと思いますが、本セッションで答えの一端をつかんでいただければ幸いです。では一人ひとりの自己紹介を兼ね、キャリアパスから簡単にご紹介ください。

中村:ゲーム開発などを手がけるインタラクティブブレインズで副社長をしています。

新卒で日本テレコム(現・ソフトバンクテレコム)に入社し、その後、Jフォン(現・ソフトバンクモバイル)に転職しました。日本テレコム、Jフォンでは、営業・営業企画・マーケティングの担当者として出来上がった製品を売る仕事をしていました。

33歳で課長レベルに昇格した頃から、グロービスに通い始めました。この時期に、Jフォンからアッカネットワークス、KDDIへと、通信企業3社で、商品サービスの企画から市場導入戦略まで、一貫してマーケティング関係の業務に携わりました。グロービスで経営を学び、複数社を経験したことで、自分が勤務している会社の長所・短所を、一歩引いた視点から見られるようになりました。

現在の会社にはCMO(マーケティング最高責任者)として入社しましたが、その後、管理系の業務を担当することになり、現在はCFO(最高財務責任者)兼COO(最高執行責任者)として仕事をしています。創業者を中心に、社内には卓越した技術がありますが、その技術をどう事業化していくのかが課題になっており、他社とのアライアンスを中心に事業開発を行なっています。また、企業文化の変革にチャレンジしています。

吉冨:フォトクリエイトで取締役として管理本部長ほか複数の部門を担当しています。

あさひ銀行(現・りそな銀行)で個人営業・法人営業を経験。その頃にビジネスの基本を学びました。また、28歳のときに、グロービスで受講を始めました。当時は複数の科目を一気に受講するというのではなく、新設された科目を順番に受講していきました。

クリティカル・シンキング、マーケティング、アカウティング、人的資源管理、組織行動とリーダーシップ、経営戦略の6科目を受講したところで、「俺は(もう)できるかも」と勘違いしてベンチャー起業に参画しましたが、うまくいきませんでした。ただ、グロービスで継続して勉強していたところ、声をかけてもらい、グロービス・キャピタル・パートナーズが出資しているゴンゾに転職しました。ゴンゾについては、展開科目のベンチャー・マネジメントでケースとして取り上げられています。ハードな環境でしたが非常に鍛えられ、組織を動かすとはどういうことかを学びました。

現在は、フォトクリエイトで株式上場準備をミッションにしています。会社の規模を「10から1000に育てていく」ことにコミットメントしていきたいと思っています。

社内で役割を変えながら自らを鍛錬

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ここまでお話いただいたお二方は、転職によってステージを変えました。次にお話いただくのは、同じ職場でレベルアップしている方々です。

清野:東京急行電鉄の開発事業本部の課長職です。転職経験はありません。ただ社内で、スタッフ部門からライン部門への異動経験があり、転職と同じくらいのインパクトがあったと自分自身では思っています。

入社した当初は街づくりといった開発企画を担当しましたが、バブル崩壊の影響で計画がほとんど凍結されてしまったので、費用がそれほど掛からない事業用定期借地権事業の立上げや、土地情報システムの構築などを行いました。入社5年目に経営企画室に異動し、前職場での経験や管理会計の運用をする中で、事業収支や会計の仕組み、鉄道業やホテル・リゾート業など自社が展開する各事業の構造などを学びました。

課長補佐となってからは、経営企画室では全社経営計画策定や年度予算方針の策定を担当しましたが、その後ラインに異動して部門人事業務を担当しました。創業以来ほぼ初めてとなる公募制の経験者採用を行ないました。ちょうどグロービスに通っていた時期でもあり、社外の人と接する中で、「優れたノウハウや経験を持つ人に入ってもらい、活性化につなげたい」という思いもありました。

その後36歳で、総合職として初めての女性管理職として課長になりました。大ベテランから新卒まで幅広い年齢層がいる組織のマネージャーとして、オフィスビルや複合ビルの運営管理業務を担当しています。部下は最も多いときで32名でしたが、担当範囲が変わり現在は16名です。現在管理しているビルは21棟で年間約100億円の収益があり、安定した収益源となっていますが、さらなる資産価値向上と収益拡大を図っており、また新規開発プロジェクトの支援も行っています。メンバーが縦横無尽に動ける体制が整ってきて、成果は徐々に出つつあり、この秋には新しいオフィスビルもオープンします。業務が多岐にわたり忙しい仕事ですが、自分の方針を示しながらもメンバーと一緒に動く楽しさを日々実感しています。

武藤:IBMでUNIXサーバーとビジネスサーバーを担当する組織の事業部長をしています。入社して既に24年目、人生における半分以上をIBMで過ごしてきましたが、この間にも多くの挫折があります。

最初はハードウェアのエンジニアとして入社しましたが、入社4年目で「営業をやりたい、お客様と夢を共有し実現したい!」と思い立ちました。ハードウェアの回路設計をやってきたエンジニアが、いきなり営業の第一線に飛び込むということで、社内研修を一から受け直させてもらって営業部門に異動しました。同期の中で出遅れた感がある中で頑張っていましたが、まったく評価されない「ダメ営業」でした。そこからどうやって自分を変えていこうか考え、まずはお客様のことをとことん知ろうと思い、お客様について勉強し、お客様の中に飛び込んでいきました。

コンプレックスをバネに少しずつでもステップアップして独自に経営の勉強をしていた頃、たまたまインターネットでグロービスを知り、本格的に経営の勉強を始めました。それが30代後半です。周りには若い人が多かったので、「ここでも出遅れたか…」という思いがありましたが、「Never too late!(今からでも遅くない)」と言い聞かせて、ここまでやってきました。どんどんお客様を好きになり、経営も理解できるようになって、お客様の経営パートナー的な位置づけになることができたことが、大きな収穫だったと思います。

現在は事業部長として、IBMのUNIXサーバー・ビジネスサーバー事業の責任者を務め、シェア日本一を目指して頑張っています。製品の技術支援からマーケティング、営業まで責任を持ち、自分がバーチャルカンパニーのCEOだという気持ちで業務を遂行しています。

社内レビューが厳しい時などは、「独立したほうがいいんじゃないか」と思うこともありますが、自分の成長を信じて頑張っています。

最近思うのは、「ビジネスは人だ」ということ。バーチャルカンパニーのCEOとして、構成しているメンバー1人ひとりに対しての責任を感じます。またチームメンバーには家族があって、家庭の中で大黒柱として期待されているわけですから、各メンバーの家族に対する責任も感じています。まだまだ発展途上で、至らないところもいっぱいありますが、皆さんとともに刺激しあいながら、一緒に成長できればと考えています。

3000万円の不良債権、抜け殻会社の清算も

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こうしてキャリアパスを伺っていると、「苦労したとはいえ所詮、成功した人の話じゃないか」と思われるかもしれません。でも、決してそうではありません。どのような失敗や挫折を体験してきたのか、どんな逆境があったのか。まずは、ステージを上げるに至る変節点からお聞きしていきましょう。

中村:ご紹介できる逆境はこれまでに2つありました。1つめは26歳ぐらいのとき。当時は携帯電話が一気に広がる時期で、法人営業の代理店にかなりの数の携帯電話を卸してしまったんですね。その結果、商品を売り切れずに、3000万円の不良債権が発生してしまいました。若手にとっては大きな数字で左遷も覚悟しましたが、このマイナスを埋めるべく、必死で動きまわって他のルートを開拓し、1年かけて不良債権相当額を会社に返しました。

次はJフォンに勤務していたときです。ボーダフォンに買収され、ある日突然、上司が外国人になりました。これまで営業と営業企画の経験しかなかった自分が、マーケティングチームリーダーのポジションで、外国人上司に呼ばれて「明後日までに会社のコアコンピタンスをまとめて」などと言われ、本当にお手上げ。マーケティングの概念も当時は今ほど一般的ではなく、周りの人に相談したところ、グロービスでそういった勉強ができることを教えてもらい、通い始めました。

吉冨:私も、自分にとっての逆境を2つご紹介します。1つめは、銀行を辞めた後。「これからはスタートアップ企業だ、ITの時代だ」と、新しい会社に飛び込んだのですが、事業として立上げる前に会社をバイアウトするといった状態でした。迷惑をかけずに終わらせることができたのは良かったのですが、社長も副社長もいなくなり、最後は私がひとりで抜け殻会社の清算をする始末でした。

清算業務をする間は定職にもつかず、ハローワークにもお世話になりました、精神的にも経済的にも厳しかったです。

失敗した理由は、それまで銀行員で数字には強くても事業のことが分からず、キャッシュインさせる事業立上げの段階で何も提案できなかったからです。財務担当であったとしても、事業をやっていくという姿勢がまったく欠けている、あるいは、フレームワークを勉強していてもそれを現実の仕事で使いこなすことが一切できていない、という無念が強く残りました。

それで、アルバイト的にいろんな仕事の相談ごとを引き受けて自分を鍛えました。朝はある会社の営業として活動して、昼は別の会社の事業計画を作成して投資家にプレゼンテーションして、夜はまた別の会社で資金繰り実務をしてという活動を、手弁当で2年間ほどやりました。

2つめはその後にグロービスから紹介を受けたゴンゾでの経験です。ここでは管理部門ではなく、大きな事業組織を動かすことを託されました。しかも、「アニメのことはまったく分からないくせに(何をえらそうにしているんだ)」と言われる中で、メンバーの共感を得られるミッションを伝えていかなければいけない。大きなプレッシャーのかかる貴重な経験でした。この2つの逆境を糧にして、自分自身が大きく変わっていきました。

厳しい人事考課からの逆襲劇

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清野:私も2つ、お話しします。1つは経営企画部門で担当者として仕事をしていた時のことです。予算折衝の場で、各部門の設備投資や経費の削減を依頼するのですが、言えばやってくれるものと考え、そのまま費用削減をお願いしようとしました。ところが上司からは「根拠を示せ」と言われ、押し問答になってしまったのです。数字だけではなく、どうすればそれが実現できるのかというストーリーまで持たないと人は動いてくれない。定性的な面と定量的な面の両面から物事を考えなければならないということと、人に対するものの頼み方があることを痛感して、自分自身の仕事のスタイルが変わりました。

もう1つは、自分の役職にまつわるものです。それまで「偉くなりたい」と考えたことはなく、毎日楽しく仕事ができていればいいと思っていました。しかし経営企画の担当者として仕事している中で、事業部門の方から「女とは話したくない」ですとか、「係長以上が来なければ話は聞けない」と言われたことがありました。このとき、自分の仕事をしやすくするために、肩書は必要と痛感し、昇進試験を受けて課長補佐になったという体験があります。

武藤:私も必ずしも順調にキャリアを伸ばしてきたわけではなく、挫折を乗り越えてここまできました。最初に「出遅れた」とお話ししましたが、入社4年目で営業に移って、毎日2時、3時まで仕事して、朝は7時に出社という具合に、誰よりもがむしゃらに仕事をしていたつもりでした。ところが飛ばされました。

弊社は人に優しく結果に厳しい会社です。私は新しい組織に異動して、そこでもがむしゃらに仕事をしていたんですけれども、深夜のオフィスでその年の人事考課と次の年の組織図が書かれたファイルをたまたま拾ったんです。「これだけ頑張っているんだから中の上ぐらいに入るだろう」と思っていたんですが、人事考課のほとんどボトムに私の名前があって、組織図の転籍者リストに入っていました。それが営業2年目のことです。

そこから逆襲が始まりました。営業職なので、数字で有無を言わせぬ結果を出さなければなりません。今まではお客様からの問い合わせに一所懸命、応えていただけでしたが、本当に会うべき人に会っていたのかどうか、考え始めました。お客様に呼ばれて会っていたけれども、本当に自分が会うべき人は、その人だったのか。お客様に会った時に、その方が意思決定できる人なのかどうか、それとなく聞くわけですね。意思決定者がその方の上司であれば、紹介してもらって、徹底的に懐に飛び込んでいきました。

自宅訪問も始めました。これがとても効果的。不思議と嫌われたことはありません。もっとも、嫌われないような工夫はいろいろしました。例えばテニスをしないのに、休日にテニスウェアを着てお宅に訪問して、「たまたま近くのコートでテニスをしていたら、表札を見つけました!」というふうに、方便も使いようです。すると快く招き入れてくれて、他社の提案価格とか、オフィスでは絶対に聞けないような話をオフレコでしてくれました。テニスの格好をしているので、バッグからノートを取り出すわけにもいかないから、その場ではニコニコしながら話を聞きます。お客様のお宅を離れた途端にしゃがみこんで、忘れないうちに必死に仕入れた情報をノートに書きなぐったものです。そして翌週、提案を練り直して見積書を再提出したりしました。

よく飲みにも行きましたね。いい話を聞いたら席を立ってトイレに行き、酔っ払っていても必死でメモを取りました。ベタな営業でも、ここまでやるとお客様は心を開いてくれます。その後MBAに学び、そのスキルは付加価値として貴重なものになっていきましたが、それを活かす前提としてこういった人間関係の構築が大切だと思います。

目標への根源的欲求が試練と逆境を呼び込む

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ベンチャーに飛び込んだお二人も、大企業の中でキャリアアップされてきたお二人も、それぞれ試練を乗り越えて来られたわけですが、苦しい経験から学んだのは、どのようなことだったのでしょうか。

吉冨:私が一番辛かったのは、会社に勤務せずハローワークに通っていた時代でしょう。でも自分では楽観的に考えていました。この機会になるべく多くのものを吸収しようと、グロービスにも通い続け、CBA10を学ぶと同時に、色々な企業の相談事を片っ端からこなしました。この時に、仕事をしながら理論を学んだおかげで、今では「潰れそうな会社を再生するスペシャリスト」だったり「資金繰りで困ったら私にご相談ください」と言えるほどになりました。

急成長している会社も、そこに辿り着くまでに困難な局面があります。現在はフォトクリエイトで上場準備を任されていますが、過去の体験から、会社の様々な局面や状況を想定できることが役立っています。経営視点と現場感覚の双方を持ち合わせながら、理論を企業経営に落とし込んで活用することができるようになったと思います。

清野:先程は「女性だから相手にしてもらえなかった」とお話しましたが、東急電鉄は決して男尊女卑の会社ではありません(笑)。中にはそういう人もいたというだけです。

その後は上司にも同僚にも恵まれ、平穏に仕事をしてきました。課長となって配属された先では皆、当然のことながら女性の上司に仕えた経験がありませんので、戸惑いはあったようです。「危険な建設現場に女性を立ち会わせていいのか」と心配もしてくれましたが、「女性だけどすごく怖い人らしい」という噂が立ったりもして、払拭するのに苦労しました(笑)。また、社外の方から「女性の課長さんですか。初めて会いましたよ」と言われて、「すみません」と、こちらが謝ってしまったりもしていました。鉄道や不動産といった業界では、女性の課長はまだまだ少ないのです。

ここにいらっしゃる女性の皆さんもキャリアアップを目指しているかと思いますが、「女だから」と自分が意識してしまうと、耳にしたくない情報が入って気になってしまいます。でも「女だから」というのはたぶん関係ない。周りは自分が思っている以上に一人の個人として尊重してくれていて、「どんなスタンスで仕事をするのか」「どのように物事を決めているのか」を冷静に見ています。これは性別に関係ないと思います。今現在は、「より高い視点から物事を決断できるようにならなければならない」という課題意識を持っています。

問題にぶつかったときこそ、学びを得る好機なのですよね。私自身も失敗から学ぶことが大きく、グロービスでは人的資源管理の講師を担当していますが、クラスでそうした話をすることがあります。ところで、それぞれのエピソードにおいて、皆さんは「敢えて火中の栗を拾うように逆境をとりにいった」という感じだったのでしょうか。

中村:私の場合は、自ら進んで逆境をとりにいったつもりはありません。ただし、マネジメントポジションをある程度上げていかなければ、自分自身の人間力を上げることも、周りの人の人間力を育むこともできないとは思っています。ポジションが上がれば、相応の逆境がついて回ってくるのではないでしょうか。

昨日の「哲学(リーダーシップ)」セッションで、志についての話がありましたが、自分自身が転職しても一貫して変えなかったのは「世の中のコミュニケーションを豊かにしたい」という志です。ゲームの中にも、対戦ゲームなど、ネットを通して人とのコミュニケーションが取れるものが多くあります。

我々の会社のような業種・規模では、マネジメントが教科書に書かれていることをそのままやるだけではどうにもなりません。しかし「コミュニケーションを豊かにする」という理念だけはどの社員とも共有できますし、それによって実現に向けて同じ方向に走ることができます。

武藤:私も、あえて逆境をとりにいっているわけではありませんが、大きな仕事、大きな貢献をしたいとは常に願っています。そして、その願いを叶える過程には、逆境が立ちはだかります。

私は現在、IT事業に携わっています。今まさに某銀行のお客様が勘定系業務の統合を進めていますが、当然このバックグラウンドにはITがあります。金融業に限らず、製造業にしても流通業にしても、ITなしには成り立ちません。それぞれの会社にITがあり、経営戦略を支えるのがITであると自負しています。

経営戦略を実現するITをお客様と一緒に構築していきたいと考えたときに、誰かの夢の一部分を請け負うのではなく、自分の夢をお客様と共有したいという思いを強くします。その実現のためにはやはり、それなりのポジションで、それなりに裁量を任せてもらいたいわけです。肩書きが欲しいのでも、出世したいのでもありませんが、より大きな仕事がしたい。大きな夢を実現するために、大きな責任を望み、物事に前向きに取り組む姿勢ができて、結果的に見れば逆境をとりにいっていることになるんだと思います。

私は現状に満足しません。人は満足すると成長が止まると思うからです。常に自分にコンプレックスを植え付けることを意識しています。これはある意味、セルフコントロールだと思っています。夢に向かって前向きに進む力、コンプレックスをバネにして背中を押す力。この両方の力で、試練を乗り越えています。

中村さんはコミュニケーションを豊かにしたい。武藤さんはお客様と夢を共有したい。それを実現するためには、自分も成長しなければならない。お二人に共通しているのは、目標を達成するための根源的な動機があること。それがお二人を試練、逆境に向かわせているのですね。

MBAは2割、残りの8割は実務経験

話題を少し移しまして、皆さんはMBAを学びながら、それを仕事に活かしてこられたかと思いますが、ビジネスパーソンにとってMBAの有効性というのは、どのあたりにあるとお考えでしょうか。昔のように、MBAさえとればキャリアアップにつながるという時代ではないと思います。

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武藤:私は社内で「スキルこそが武器だ」とよく言っています。そのスキルのうち、重要なものの一つがMBAです。私はお客様のことを徹底的に勉強するために、MBAの卒論で「銀行における経営戦略」をまとめ上げました。その後、銀行の常務や副頭取といった役員の方々と1対1で話す機会がありましたが、ここで卒論を活用することができました。「戦略はこうあるべきだ」という議論が白熱してくるんですね。役員室にホワイトボードを持ち込んで、侃々諤々と議論したりして、本当の意味での経営パートナーになれたと思います。

会社の外からの視点は貴重で、中にいては分からないことが見えます。営業職に就いている方からしてみると、MBAのスキルを身につけて、自らの視点でお客様を評価していろんな話ができるようになると、より緊密な信頼関係が築けるはずです。

社内ではMBAを振りかざしても仕方がないですね。魑魅魍魎とした環境の中で、「これをどうやって解決するべきか」といった課題に対して、“思考の補助線”としてMBAのフレームワークは役立ちます。課題の本質がはっきり見えてきたり、取るべきアクションプランが明確になったり、プライオリティがつけられるようになるでしょう。私はお客様と社内の両方に対して、MBAのスキルを使っています。

吉冨:私も武藤さんに同感です。更に例えるならば、MBAの理論が基本ソフトだとすると、現実感はアプリケーションにあたります。つまり、自分たちが勉強してきたことを、どう落とし込むかが最大のカギです。学んだ理論をそのまま話して理解を求めようとしたところで、無駄な努力にしかなりません。伝えたいことを、自分の言葉で表現することが大事だと思います。

私自身は理論があったからこそ、それをいくつかの会社で応用できました。アニメーションの会社でも理論があったから、現実にあてはめて自分の言葉で語ることができました。更に、フォトクリエイトでは、自分が全社戦略を立案するところから関っていることで、理論を活用しながら会社を成長させられそうだと感じています。特に戦略レベルで物事を考えるステージに立った場合には、経験値だけでは足りないところが出てくるので学ぶことは大切です。ただし、感覚的には、MBAで学んだ理論が2割、現場で培った経験が8割だと思っています。

清野:MBAを学んでから、スピーディーに仕事をこなせるようになったと感じています。また、広い視野で多面的に物事が見られるようになりました。考え方の枠組みが広がったように感じています。課題を前にして、その解決だけに汲々とするのではなく、この課題を契機に、もっと成果が出る状態を作るためにはどうするかと、より広く考えられるようになったんです。

私はオフィスのリーシングを担当していますが、お客様からビルに入居したいという申し出があると、審査をしなければなりません。以前は信用調査会社の結果に頼る傾向があったので、審査を通るのは上場企業のお客様などに限られてしまう。そうなると成長が見込める企業などにテナントとして入居していただくことができませんよね。そこで自分たちの視点も加えて審査をすることにしました。MBAで財務諸表の見方や各業界のことを学ぶ機会があったことも大きいと感じています。

中村:MBAのフレームワークは、かなり取り入れています。それを知らないと仕事ができないくらいで、自分で事業戦略を練って、具体的な数字計画に落とすには必須です。でも吉富さんがおっしゃったように、仕事に占めるMBAの役割は2割で、残りの8割は人と関わって得られるものです。MBAはツールであって、基礎的な部分です。MBAのフレームワークを、そのままプレゼン資料にするようなことはありません。社内でも通常は形を変えて表現します。いま勤めている会社で、フレームワークをそのまま資料に使ったのは、ベンチャーキャピタルに資金調達の資料を出したときぐらいです。

青雲の志を抱き、私利を外れた出世へ

ありがとうございます。簡単に、ここまでの話をまとめさせていただきますと、登壇いただいた4名は、世間的に高く評価されている方々ですが、過去の話を聞いてみると、決して順調にこの地位まで上り詰めたわけではない。試練、逆境、挫折、そうした中から何かを学び取って来られたことが分かります。MBAは、その中で、コンピュータの基本OSに似た役割、或いは、より実務に直結するツールとしての役割を果たしてきた。つまり、試練を取りにいって、逆境に立ち向かい、それにMBAの学びが加わって、また試練を乗り越えていく。そんなサイクルが見て取れます。

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お客さんの夢を実現したい、世の中のコミュニケーションを豊かにしたい。そういった根源的な欲求に支えられた成長意欲。世間的にはそれが野心だと言われています。

野心をまた別の言葉で表現すると、“青雲の志”になります。青雲というのは、高い地位や名声を示しています。今では死語になってきている、立身出世につながるものです。

“青雲の志”をいだき、立身出世する。これが明治維新の志士たちの合言葉です。『坂の上の雲』や『竜馬が行く』など司馬遼太郎の小説を読んだ方は多いかと思いますが、昔の人たちが“青雲の志”を抱き、立身出世を目指した大きな狙いは、日本を欧米列強に屈しない立派な国にするという大きな志ですよね。昨日の「創造」セッションでは、井上さんが「世界平和」の話をされていましたが、これも“青雲の志”に裏打ちされたものだと思います。

出世の本当の意味は、穢れた世間から出て悟りの世界に行くこと。実は私はお坊さんをやっていますが、出世は仏の悟りに至るという意味なんですね。仏様がこの世に現われて我々を導いてくださることを出世とも言うし、それが転じて悟りを開きにいく坊さんになることも出世という。私はすでに坊さんなので、これ以上、出世することはないということになりますが(笑)、出世という言葉にはそういった意味もあるんです。

MBAでテクニックを学ぶ、思考のパターンを学ぶ、フレームワークを学ぶ。これは非常に有効です。ただし、これがすべてではありません。グロービスで学んで終わりではないんです。皆さんがそれを使って試練を乗り切れるかどうか。“青雲の志”が成長に向けた源となります。皆さんなりのミッションを持ち、使命を果たしていく。こういったことが何よりも大切だと思います。

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