前回のあらすじ
■生まれて初めて悩みを相談する押川の主張
塩浜ら経営大学院の仲間と再会した押川は、ボーダーレス社の社長への改革提言に至った経緯や自分の思い、そしてトップへの不満を、堰を切ったように話し始めた。
押川の話を頷きながら聞いていた塩浜は思った。詳細はわからないものの、確かに押川の主張は理にかなっている。正論だった。それに、まるで社長と張り合っているようなその姿は、経営大学院のクラスでクラスメートを徹底して論破する、いつも通りの押川だった。
■塩浜の指摘「正論だけ言っても人は動いてくれないんじゃない?」
塩浜が最も引っかかったのは、押川の次の言葉だった。
「すべて経営の教科書に書いてあることを生かしてやってきた。自分は正しいと思っている。社長にはそれが理解できないんだよな」
そして、押川に立て続けに問いを投げかけていった。
そして、最後に言った。
押川はと言えば、塩浜の問いかけやフィードバックを十分に消化しきれていなかった。
ただ、こうした自分の悩みを正直に他人に話すことは初めてだったし、そんな自分を受け入れて話を聞いてくれた塩浜らに感謝の気持ちで一杯だった。そして、塩浜から薦められたクラスを受講してみることを決めた。
ただ、このときの押川の胸の内には、
「このクラスで何とか活路を見出したい」
という藁にもすがる思いと同時に、
「本当に今の自分の悩みが解決されるのか? 今まで経営大学院で学んできたことを生かして正しいことを提言した結果がこの状況だというのに・・・」
という2つの思いが交錯していた。
■講師解説:トップに完璧を求めていないか?
いったい押川はどこが間違っていたのだろうか。皆さんもぜひ考えてみていただきたい。押川と同じような状況に陥ることは、皆さんにも十分あり得るのだから。
「自分は正しいことを言っているのだから、それを受け入れないトップが悪い」というのが押川の主張である。しかし、“正しい結果”を出すためには、“正しい戦略”を正論で言い放つだけでは足りない。それを“正しく実行”する必要があるのだ。では、“正しく実行”するとはどういうことか。動いてもらいたい“相手に動いてもらう”ことである。
人間同士のことだから、感情が邪魔をすることがある。誰かに動いてもらおうとするなら、まずは、自分自身の相手に対する感情が何らかのブレーキをかけていないかを自問する必要がある。
では、押川が小林社長に対して抱いていた感情とはどのようなものだったのかを考えてみよう。
「小林社長の下したフルライン買収の意思決定は間違っている」「社長は現場の状況を何もわかってない」といった発言には、明らかに社長に対するネガティブな感情が表れている。それは押川も認めているところだ。この感情の裏には、「社長の意思決定は常に正しくなければならない」「社長は現場の状況を全て理解していなければならない」という前提がある。
組織の上に立つものは完璧でなければならない。
少なからぬ人が、こんなふうにトップの“あるべき姿”をイメージしている。特に、自分自身のありたい姿を高い次元に設定し、自分を高めようという意欲が高いビジネスパーソンほど、トップに対しては極めて高い基準を求めがちだ。
しかし、これは非現実的な人間観である。完璧な人間などいるわけがないのだ。だから、期待と現実の間には、必ずギャップが生じる。そこからトップに対する不満やネガティブな感情が表出する。トップを理解しようとする前に、トップに対して反発してしまうのだ。自信過剰気味の人は「自分の方が優れている」などと思ってしまう。トップに対して張り合う気持ちが生じると、この負の感情はさらに増幅してしまうのだ。
“上司に対して反依存型の人間は、自分に制約を課した上司を「行く手を阻む敵」とみなし、打ち破るべき障害、あるいは忌避すべき対象として対処しようとする。場合によっては度を越えた対立に発展する”
(『上司をマネジメントする』、 May.2010 Diamond HBR , ジョン・P・コッター)
トップも聖人ではないので、こうした部下の心に潜む悪意・敵意を察知すると、その部下や判断を全く信頼できなくなり、心を閉ざしてしまう。結局、本当に敵と化してしまうのだ。
今回のケースでは、押川が社長の意を真に理解する努力をしていたのかというと、実はそうではなかった。
― なぜ社長はフルライン買収の決断を下したのか?
― その背景には何があり、社長はどのようなことを思い悩んでいたのか?
― 社長は本当に現場の状況に関心がなかったのか、正しい現場の情報を本当は知りたかったのではないか?
といった、至極当然の疑問に対する答えを見つけるステップが抜け落ちていた。その邪魔をしたのは、ほかでもない押川自身の感情だった。
さて、『パワーと影響力』のクラスを受講することを決めた押川。果たして、道は拓けるだろうか――。
第2回: 非現実的な上司観がネガティブな感情を生む