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哲学の魅力~対話で「問い方」を学び考えを深化させる

投稿日:2020/11/04

『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね』の著者である山本貴光さんと吉川浩満さんを交えた座談会。後編は、哲学の基本である、「問答をしながら対話を深めていく」ためのノウハウを中心に話が進みます。聞き手は、グロービス経営大学院教員の難波美帆です。
(前半はこちら

*本記事は、2020年8月27日に公開した動画記事を書き起こししたものです。

「問い方」を学ぶ

難波:お2人の本を読んで、哲学は問答形式なんだと改めて気がつきました。グロービスの授業では、ものを考えるときは、「きちんと問いを立てなさい」と言います。問いを立てるとは、自分がいま何について考えているのかを正しく把握することで、これをまず課題解決のためにはやらなければならない。哲学においては、それを対話のなかでする。だから、ロジカルに理解しやすい。問答形式は理解が進みやすい形なんだと思います。今回、哲学のアドバンテージとして、問いと対話があると思いました。

吉川: エピクテトス先生も権内と権外を分けて「権内のこと、自分がコントロールできるのは何かを考えよう」と言っています。

その具体的な方法として「自分の心に浮かぶ心像(しんぞう)を吟味せよ」というのがあります。「心像」は、パンタシアという、ファンタジーという言葉の語源ですが、「これは嫌だな」「これは間違っている」と思ったときに、「本当にそうなの? ちょっと吟味してみよう」と自分自身に問いを立てていく。これは、哲学の歴史の中でも枢要な役割を占めてきたやり方ですね。

山本:そこで気をつけたいのは、「自分に問う」のは、放っておいてもできるようにならないという点です。練習しないとできるようにならない。では、どうやって練習するか。

例えば、古代ギリシアに始まるヨーロッパの学問では、自由学芸という基礎科目がありました。いまで言うリベラルアーツのおおもとですね。多くの場合、7つの科目から成っていて、その中に弁証術がありました。これは、歴史を通じていろいろな形をとりましたが、もとは対話術のことです。あるテーマを間に置いて誰かと話しあう。問いを立て、お互いに「こうかな?」と吟味していく。

問う、考える、答える、またさらに問いを深める、これをキャッチボールみたいに繰り返していく。こんな風に問い方や議論の仕方を学ぶ必要があると思います。そのためには、師匠とは言わなくても、問う相手が必要です。

ソクラテスは自分ではものを書き残しませんでしたが、弟子のプラトンがその言葉を(どこまで発言の通りかは別として)対話形式で書き留めています。そこで行われているのはまさに問答です。なぜ問答が必要か。分からないことがあるからです。すでに答えが出ている問題なら、答えを差し出せば済みます。そうではなく、お互いに答えがよく分からないから考えようと問答をするのですね。

いい対話は、チェスのように相手の出方を読む

難波:問いを立てて考えるというプロセスでは、常に「今の問いが何であるか」「自分は何について考えているのか」を頭の片隅に置いて、ぶらさず確認し合いながら進めていく。そうした“壁打ち”の相手のようなものが、エピクテトス先生をはじめとする哲学の大家というわけですね。SNSの場合、「対話」になっていないから炎上するのかもしれません。

山本:SNSではそもそも対話にならないケースのほうがむしろ大半のように感じます。対話は、将棋やチェスのように2人の人が向き合って1対1でプレイするゲームに似ていると思います。

ゲームのたとえに乗って言うと、将棋が上手な人は、自分の指し手だけを考えるのではなく、相手がどう打ってくるのかをよく考えます。相手の立場と思考を想像し尽くそうとする、と言ってもよいですね。

相手の考えをとことんよく読むことで、その裏をかくような手を考え出せるからです。同じように、対話とは、相手の言いたいことも考えながら、ともに場をつくってゆく営みです。相手と必ずしも意見が一致するわけではないとしても、互いの考えを突き合せながら、自分だけではできない思考へと至ること。これが対話の効能だと思います。

Twitterでのやりとりは、形の上では対話のように見えます。でも実際は、へっぽこ将棋指しのような場合も少なくありません。つまり、相手の発言を理解しようとせず、一方的に投げつけるような発言をする。結果として、無理解と摩擦ばかりが増えるような使い方で、これはとても対話とは言えない代物です。

吉川:対話には、いろんな前提とか準備、そしてお互いの間のルールづくりが必要で、だからこそトレーニングしないとうまくできるようにならない。自分のことだけを考えていると、山本君が言うようにへっぽこ将棋指しみたいになって、「分からない」という現在地からなかなか先に進めなくなる。あるいは、水を差してやろうとか、全く別の目的で参入してくる人も出てくる。そうなってしまうと対話は難しいですよね。

SNSは原理的に対話不可能なツールというわけではないと思いますが、まともな対話を営むためには、場数を踏むことや、相手との信頼関係を築くことが必要です。

難波:自分が指したい手だけを考えるだけでは、むしゃくしゃするだけで少しもプラスにならない。実に非生産的ですね。

吉川:そうですね。少なくとも「分からない」問題に取り組んで、それを「分かる」状態にする対話には、つながりません。予想しない手、つまり自分と違う意見に対していちいち腹を立てていたら、いつまでたっても改善できない。そのあたりも、実際にいろいろと試してみてトレーニングをする必要があると思いますね。

山本:よくメールで文字化けすることがありますね。あれはメールの送り手と受け手の間で、データをやり取りするためのプロトコル(約束事)が一致していないから生じるものです。人間同士の会話なら、前提や文脈にあたるでしょうか。送り手の文脈と受け手の文脈がずれると、コミュニケーション(意思疎通)は成り立たない。そういう意味では、問答や対話をする前提として、お互いのプロトコルを合わせる必要があります。

でも、Twitterのように文脈と関係なく突然話しかけられるツールでは、意識しないとプロトコルを一致させる手続きは行われない。それでも慣れている人なら、「あなたは今こういうプロトコルで話しかけているのね」と分かるので、避けるなり応答するなりを選べます。さもなければ、ケンカにもなるわけです。

対話のキャッチボールでは、心像を吟味することが大切

難波:対話を行う前にお互いに持つべき「前提」は、「心像」と同じものなのでしょうか。

吉川:心像はもう少し狭い概念です。前提は、「お互いに何を目的としているか」という意味ですが、心像は、議論や対話にあたって、「好き/嫌い」「妥当だと思った/妥当でないと思った」とか、「妬みを感じた」など、そういう個々の思考の結果であり感情の表れです。自分の心に表れる景色というか、頭の中に生じるものを全てひっくるめて「心像」と呼んでいるのです。

自分の心に浮かんでくるさまざまなイメージ(心像)を、何も考えずに直感的・感情的に、あるいは反射的に応じてしまうと、間違えることがあります。

分かりやすくいえば勘違いですね。例えば、ある男を見て「お金持ちの幸せな男」だと思ったとしましょう。そういう心像が浮かんだときに「待てよ」と吟味してみる。お金があるからといって幸せかどうかは、もちろん分からない。でも、お金と「幸せ」を結び付けたのは自分です。そこで明らかになっているのは、相手の男うんぬんではなく、自分の考えというわけです。

自分の心に浮かぶものは自分の状態のシグナルともいえます。このシグナル(お金持ちの幸せな男だという自分の考え)と、シグナルを引き起こした対象(男そのもの)が一緒になって区別できないでいると、場合によっては相手の行為を悪意と受け取ってしまう。逆に相手の悪意に全く気づかないかもしれない。心像が浮かび上がったら、それに惑わされるのではなく、むしろ自分自身を吟味するための材料にして考えてみるといい。それがエピクテトス先生の教えです。

SNSで心像を吟味するトレーニングをする

難波:世界を権内・権外に分ける。そして浮かんだ心像が正しいのか正しくないのかをいったん考えてみる。エピクテトス先生の二大教訓ですね。それ以外にもポイントがあるでしょうか。

吉川:さすがにあらゆることを吟味するわけにはいきません。だから、「自分にとっての大事な問題」だけを吟味しようと考えることです。

また、時には吟味をせずに受け身で楽しむことも大切です。何も考えずに映画を観たり音楽を聴いたりしながらボーッとしたいこともありますよね。そういう場面では解くべき問題はない。自分にとって「取り組むべき問題」は何かが明確になって、はじめて吟味が生きてきます。

山本:その吟味についても練習が必要だと、エピクテトス先生は強調しています。ですから、試しに吟味してみて、上手にできなかったとしても、気長に訓練して、だんだんうまくできるようになればいい。

吉川:エピクテトス自身は、例として「朝早く出かけて、いろんなものや人と出会いなさい。そして浮かんでくる心像を片っ端から吟味しなさい」と言っています。つまり、トレーニングしなさいという意味ですが、現代社会では、朝早く起きなくてもSNSに張り付いていれば、いろいろな意見があることがわかる。それにすぐに反応しないで、自分の中に浮かんでくる心像を吟味してみる。そんなことをしてみると、いい練習になるかもしれませんね。

山本:そうですね。ツイートに即座に反応するのではなく、「なぜイラッときたんだろう」とか、「どうしてくだらないと思ってしまったんだろう」と考えてみる。そういうトレーニングの材料として考えれば、SNSも悪いことばかりではないかもしれません。

吉川:まあ、やりすぎると病むかもしれないけれども。ちょっとした心像のトレーニングにはなるかな。

  • 吉川 浩満

    文筆業

    文筆業。1972年3月うまれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーを経て、現職。
    関心領域は哲学・科学・芸術、犬・猫・鳥、デジタルガジェット、映画、ロックなど。哲学愛好家。Tシャツ愛好家。ハーレーダビッドソン愛好家。卓球愛好家。
    著書に『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(山本貴光との共著、筑摩書房)、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社)、『理不尽な進化――遺伝子と運のあいだ』(朝日出版社)、『脳がわかれば心がわかるか』(山本との共著、太田出版)、『問題がモンダイなのだ』(山本との共著、ちくまプリマー新書)ほか。翻訳に『先史学者プラトン』(山本との共訳、メアリー・セットガスト著、朝日出版社)、『マインド』(山本との共訳、ジョン・R・サール著、ちくま学芸文庫)など。

  • 山本 貴光

    文筆家・ゲーム作家

    1971年生まれ。コーエーでゲーム開発に従事後、フリーランス。金沢工業大学客員教授、立命館大学先端総合学術研究課講師。
    著書に『マルジナリアでつかまえて』『投壜通信』(以上、本の雑誌社)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『世界が変わるプログラム入門』(筑摩書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)、『文体の科学』(新潮社)、共著に『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎と共著、筑摩書房)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川浩満との共著、太田出版)ほか。

モデレーター

  • 難波 美帆

    グロービス経営大学院 教員

    大学卒業後、講談社に入社し若者向けエンターテインメント小説の編集者を務める。その後、フリーランスとなり主に科学や医療の書籍や雑誌の編集・記事執筆を行う。2005年より北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット特任准教授、早稲田大学大学院政治学研究科准教授、北海道大学URAステーション特任准教授、同高等教育推進機構大学院教育部特任准教授を経て、2016年よりグロービス経営大学院。この間、日本医療政策機構、国立開発研究法人科学技術振興機構、サイエンス・メディア・センターなど、大学やNPO、研究機関など非営利セクターの新規事業の立ち上げをやり続けている。科学技術コミュニケーション、対話によるイノベーション創発のデザインを研究・実践している。

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