「ネットって網のこと?」は笑い話に…平成の間に予想以上に変化したこと15選

平成

30年続いた「平成」という時代ももうすぐ終わりを迎えます。筆者はちょうど平成が始まった頃に社会人になったのですが、当時は予想もつかなかったことが起こる一方で、「2、30年もしたら全然変わっているだろう」と思っていたことが、相も変わらず残っていたりします。

そこで2回に分けて、「平成の間に予想以上に変わったこと」と「平成の間に予想以上に変わらなかったこと」を、マクロ環境、ビジネスリテラシー、ビジネス風景の3つのカテゴリに分けてご紹介します。今回は「平成の間に予想以上に変わったこと」です。ぜひ皆さんも昔を思い出しながら、何が予想以上に変わったか考えてみてください。世代間ギャップの背景に気付くヒントにもなるかもしれません。

※なお、ピックアップした項目はあくまで筆者の主観によるものです

マクロ環境の変化

■インターネットが当たり前のものになった
すでに平成初頭にはパソコンもありましたし、高い料金はかかるものの遠隔地とコミュニケーションすることも可能は可能でした。しかしおよそ四半世紀前にインターネットが商用ベースで用いられるようになったことで、世界中の人間や企業が一気につながるようになったのは全く予想外でした。GAFAに代表されるネット企業が国家のGDP規模の時価総額を誇るようになったことも含め、この大変化を予想できた人は極めて稀でしょう。

■日本が世界の反面教師になった
もちろん分野によっては(例:自動車やロボティクスなど)今でも日本企業は良い意味での研究対象となっています。しかし、バブル処理の失敗や後手に回った少子高齢化対策、企業のガラパゴス化、ゾンビ企業の延命など、ありがたくない面でも日本は研究対象、反面教師にされるようになってしまいました。これは日本人や日本企業が発奮して汚名を返上すべきポイントと言えるでしょう。

■金利ゼロが当たり前になった
筆者が若い頃は定期預金で8%程度の金利がつくことも普通でした。金利がほぼゼロになって20年近い現在では夢のような話です。ちなみにファイナンスの課題でリスクフリーレート(国債の利回り)の設定が5%になっていると、若い世代の方はかなり違和感を抱くようです。5%はあくまで計算の練習のための前提に過ぎず、昔からよく使われていたものの、最近では実感がなかなか持てない数字になってしまったわけです。ちなみに、ソ連崩壊の1つの理由に金利のなかったことを挙げる向きもあります。経済学的な説明は割愛しますが、ゼロ金利が長く続くことは決して喜ばしいことではありません。

■企業の株主が変わった
昭和の頃は企業同士の株式持ち合いが多く、昨今のような、特に投資ファンドに代表される「モノ言う株主」はほとんどいませんでした。外国人株主もそれほど多くはありませんでした。別の意味で非常に厄介な「総会屋」と呼ばれる人々はいましたが、彼らにさえ目を付けられなければ(あるいは「良好」な関係を構築できれば)、株式総会は「シャンシャン」で終わるのが一般的でした。しかしそれも昔の話です。法的には株主が企業の所有者であるという事実を踏まえたとき、株主の変化に合わせ、経営のあり方も変更を余儀なくされています。

■中国の存在感が急激に増した
平成が始まった頃、中国を市場としても競合としても強く意識していた企業は多くはなかったはずです。人口が多いのは間違いないので「将来は有望な市場になる」と思って橋頭堡的な拠点を中国国内に設ける企業は多少ありましたが、心理的な重みは圧倒的に欧米の方に向かっている時代でした。しかし今や中国や中国企業の動向に日本も大きく左右される時代となりました。日本が強かった分野も次々に中国企業に追い越されています。日本企業の逆襲はあるのでしょうか?

ビジネスリテラシーの変化

■資産規模が大=善ではなくなった
かつては膨大な資産を持っていることが大企業の証でもありました。しかしバブル崩壊後はキャッシュフロー創出に貢献しない、あるいは関連性が小さい保養施設などの資産はどんどん圧縮されていきました。近年ではROIC(使用資本利益率)のような指標も重視されるようになってきており、ますます少ない資産で効率的に利益を上げることが求められるようになっています。一方で、人材やネットワークなど「B/Sには現れない資産」をいかに優良なものにするかも経営の大きな課題となっています。

■ベンチャービジネスに対する認知が上がった
昭和の特に後期は、経済は大企業が中心となって回すものであり、優秀なビジネス人材は大企業にいくのが当たり前という空気がありました。「寄らば大樹の陰」といった日本的な考え方があることに加え、ベンチャーを興そうとしても、日本ならではの銀行の個人保証という制度の存在や、ベンチャーを支援するインフラの欠如があり、リスクに見合うものとはなかなか見なされなかったのです。しかし、その後IPOが容易になったことなどもあり、ベンチャー企業の存在感や地位も向上し、いつかは起業したいと考える学生も増えてきています。

■論理思考の重要性がさらに上がった
筆者が社会人になった時、重要であるにもかかわらず学校では教えられていないと感じたものの筆頭が論理思考でした。特に、「Why?」はともかく、「So What?」を考える習慣はほとんどありませんでした。そうしたこともあって『考える技術・書く技術』の原著を見てピラミッド構造というものがあると知ったときには非常に衝撃を受けたものです。実際に実行できているかどうかは別として、多くの人が書籍やスクールでこれを学習しようとしているのは良い傾向と言えるでしょう。

■知的財産権の管理がシビアになった
特許などは古くから大事なものという認識がありましたが、ネットでの検索、コピー&ペーストの文化の広がりもあってか、近年では著作権に対する見方がずいぶんと変わった感があります。たとえば昔であれば多少ラフな引用でも許されたところが、近年ではかなり厳しくチェックされるなどです。一方で、常に初心者はいますので、痛い目を見る前にさらにしっかり教育することも必要でしょう。

■ビジネスをエコシステムで考えるようになった
昔は、顧客は顧客、競合は競合、社員は社員でした。その役割分担が明確だったのです。ただ、この考え方は特にIT系のビジネスでは通用しなくなっています。ITビジネスの場合、「プラットフォーム」が重要になってくるのですが、自社がどのようなプラットフォームに関わっているか、どのようなエコシステム(生態系)の中で誰とどのような関係を構築しているかを見極める必要があるのです。今日の競合が明日にはパートナー企業となっている――そんなダイナミズムが当たり前になりつつあるのです。

ビジネス風景の変化

■1人1台スマホの時代になった
一般の方にアンケートを取ると、これが一番上に来るかもしれません。平成初期の携帯電話は、バッグ並みの大きさの本体と固定電話並みの大きさの受話器でした。それが今ではスマホ1台あれば、通話機能に加え、ちょっとしたPC機能や音楽再生機能、デジカメ機能もすべて持つことができます。朝の電車の中も、新聞を読む人はほぼおらず、多くの人がスマホを眺めています。「待ち合わせ場所を正確に指定しなくなった」といった生活の変化もスマホの登場によるものと言えるでしょう。

■タバコが執務室や会議室で吸えなくなった
筆者が社会人になった頃は、40代以上の「偉い人」は喫煙者の方が多数派で、執務室や会議室でモクモクと煙が上がるのは普通の風景でした。しかし副流煙の害などの認知も広まり、いまや過剰なまでにタバコは嫌われるようになってきました。筆者は元からタバコを吸わないので、匂いなどもつかなくなって快適ですが、喫煙者が隅っこに追いやられているのを見ると少し気の毒ではあります。

■ネクタイをしなくてもよくなった
平成初期は東京の地下鉄でも冷房のない路線がいくつか存在していました。男性のビジネスパーソンの場合、それでもスーツにネクタイは当たり前でした。今思うと本当に無駄な我慢競争だったと思います。いまでもフォーマルな場ではネクタイは健在ですが、クールビズに加え、ビジネスカジュアルを通年導入する企業も増えたこともあって、筆者の周りでも1年でネクタイをするのはほんの数日という人が増えています。

■飲み会に行かなくてもよくなった
日本は同調圧力が比較的働きやすい社会と言われています。そして伝統的に「飲みニケーション」が幅を利かせてきました。職場の偉い人に「今日飲みにでもいくか」と言われたら断るのは難しい状況だったのです。最初の一杯は「とりあえずビール」という文化も健在でした。しかし人々の可処分所得が減り、また飲み会をしなくても仕事に支障はないという考え方やワークライフバランスの考え方が浸透するにしたがって、付き合いの飲み会はずいぶん減りました。

■〇〇ハラがダメなものと認知された
今では考えられませんが、かつては飲み会の場などで猥談が飛び交い、 男性から女性へのボディタッチも大目に見られていました。しかし現代ではこれらセクハラとなり、当然アウトです。他にも、権力を持つ人が持たない人へ嫌がらせをするパワハラ、妊娠・出産した女性に対して解雇や精神的な嫌がらせをするマタハラといった各種ハラスメントに対する意識も高まってきています。

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