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かけがえの無い自分の命を、何に使うのか――田坂広志氏が語るリーダーの覚悟

投稿日:2019/01/03更新日:2023/07/19

前回に続き、あすか会議2018のセッション「すべては導かれている - 逆境を越え、人生を拓く5つの覚悟」の内容をお届けします。(全3回)動画版はこちら>>

大いなる何かが、自分を育てようとしている

では、その「魂の強さ」は、どうすれば身につくのか。もとより、そこに、簡単な方法はありません。やはり、3年、5年、あるいは10年の修行が必要ですが、その修行のために必要な覚悟を申し上げれば、「大いなる何かが、自分を育てようとしている」という覚悟、その「第四の覚悟」を定めることです。

人生において、一度、この覚悟を定めると強いですね。なぜなら、この覚悟の根本にあるのは「逆境観」だからです。人生において与えられる苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失、ときに病気や事故。そうした「逆境」というものをどう捉えるかという「逆境観」。それを、どう定めるかによって、人間の強さが全く違ってくるのです。

ただ、もともと日本人は、「逆境」というものを否定的に捉えません。戦国武将、山中鹿之介の有名な言葉があります。「我に七難八苦を与えよ」という言葉です。正直に申し上げて、私は若い頃、この言葉には、あまり共感できませんでした。しかし、67年も人生を生きてくると、この言葉の深い意味が本当によく分かります。

世の中には、「艱難、汝を玉にす」という言葉もありますが、この言葉の根本にある思想は、「逆境とは、人間を成長させるために、天が与えたものである」という思想です。「可愛い子には旅をさせよ」や「若い頃の苦労は買ってでもせよ」という言葉も、やはり、「逆境」や「苦労」というものを否定的に捉えず、人間の成長にとって必要なものであるとの思想を語っています。このように、もともと日本人は、素晴らしい「逆境観」を持っているのです。

従って、我々が、本当に人間として成長し、成熟していこうと思うならば、やはり、「苦労や困難」「七難八苦」「艱難辛苦」といったものを体験する必要があるのです。逆に言えば、ある程度の年齢になって、それまで、あまり苦労をしてこなかった人は、顔を見ただけで分かってしまう。本人は気がついていないのですが、ある年齢になるまでに、するべき苦労をしてこなかった甘さが、顔に表れてしまうのです。そして、どこか人間としての軽さが、伝わってしまうのです。

だから、皆さんも、臆することなく、人生で与えられる苦労や困難、失敗や敗北などの逆境に正対し、3年、5年、10年の修行をされることを願います。ただ、先ほど申し上げたように、最近の日本には、「いかに手っ取り早く」「いかに苦労せず」「いかに楽をして」といった思想が溢れています。それが、近年の我が国で、重量感のあるリーダーが育ってこない理由かと思います。

されば、皆さんには、人生で与えられる逆境を糧として逞しく成長し、いずれ、重量感のある堂々たるリーダーへの道を歩んで頂きたい。そのためには、これからの人生において、壁に突き当たったとき、逆境に直面したとき、必ず、思い起こして頂きたい。

その逆境は、大いなる何かが、皆さんを育てようとして与えたものです。

そうであるならば、今、目の前にある逆境は、天が皆さんに与えた「最高の成長の機会」なのです。

従って、皆さんには、「第四の覚悟」を定めて頂きたい。「大いなる何かが、自分を育てようとしている」という覚悟です。その覚悟を定めた瞬間に、皆さんの目の前の風景が、全く違って見えてきます。目の前の逆境の意味が、全く違って見えてきます。

そのとき、皆さんは、人間としての「最高の強さ」を身につけている自分に気がつくでしょう。

逆境を越える叡智は、すべて、与えられる

そして、この「大いなる何かが、自分を育てようとしている」という覚悟を定めることができたならば、最後に定めるべきは、「第五の覚悟」、すなわち、「逆境を越える叡智は、すべて、与えられる」という覚悟です。

なぜ、この覚悟の大切さを申し上げるのか。私自身、このことを何度も体験させて頂いているからです。

あの禅寺で、何かを掴み、戻ってきた後も、病気の症状は10年を越えて続きました。また、この病気以外にも、色々な逆境を与えられました。その中には、別な形での「生死の境」という逆境もありました。しかし、それらの逆境を前にしても、ここまで申し上げた四つの覚悟を定め、静かな心境で目の前の逆境を見つめていると、不思議なほど、その逆境にどう処すべきか、直観的な叡智が降りてくるのです。心の奥深くから沸き上がってくると言ってもいい。

それは、まさに不思議なほどです。逆境を前に、「そうだ、この方向に進んでみよう」「ああ、この道がある」といった形で、何かの叡智が降りてくる。湧き上がってくる。それは、決して「具体的な解決策」といった安易な意味のものではありません。もっと深い意味で、「なぜか、あの人に会ってみようという気がした」「なぜか、この場所を訪れてみようと思った」といったものです。しかし、そうして、その人に会ってみたり、その場所に行ってみると、そこに、その逆境を越えていくための、何かの深い示唆があったりするのです。

いま申し上げたのは、何かの不思議な「直観」が働くということですが、もう一つ、不思議な「予感」が与えられることもあります。今日は時間も限られているので、詳しく申し上げられないのですが、私は、35年前に大病を与えられ、「今を生き切る」という生き方を身につけてから、なぜか、不思議なほどに「未来の記憶」とでも呼ぶべきものを感じるようになりました。なぜか、あるとき、ふっと感じたことが、後に、「ああ、あのとき感じた予感は、このことだったのか」と思う経験が増えました。未来にやってくる何かを予感することが増えたのです。

この不思議な「直観」や「予感」。おそらく、この会場にも、そうした体験を持つ方が何人もいらっしゃるのではないでしょうか。この話を聴かれて、いま、会場では何人も頷かれていますので。

もとより、人間の「心の世界」というものは、いまだ解き明かされていません。どれほど科学技術が発達しようと、どれほど人工知能革命が進もうと、人間の「心の世界」の不思議さを解き明かすことはできないでしょう。

例えば、分析心理学の創始者、カール・グスタフ・ユングが語った「集合的無意識」というものの存在は、誰も証明できないのです。しかし、仏教の世界では昔から、「阿頼耶識」という言葉で、その存在が語られてきました。そして、人間の心は深い所でつながっていると考えざるを得ない現象を、古来、多くの人々が経験しています。

例えば、ふとした瞬間に誰かの視線を感じ、その方向を見ると、実際、誰かが自分を見つめている。そうした経験は、誰もが持っているでしょう。また、例えば、あるとき、ある人物のことが心に浮かんでくる。その瞬間、不思議なことに、その人物本人から電話がかかってくる。そうした経験を持つ人も、少なくないでしょう。

こうした不思議な世界について語るのは、決して、怪しげな神秘主義を主張したいわけではありません。ただ、私のような科学者としての教育を受け、唯物論的な思想を身につけて歩んできた人間でも、その人生において、決して否定できない、不思議な体験が与えられるということを申し上げたいのです。

ただし、そうした体験の多くは、ここまで申し上げた、「今を生き切る」「今日という一日を精一杯に生きる」という修行を続けていると、自然に与えられようになったのです。それは、私という人間が特殊なのではなく、皆さんも、「今を生き切る」という生き方を、日々行ずるならば、必ず、様々な形で「直観」や「予感」が湧き上がるようになります。また、逆境に直面したときも、その逆境を越える叡智が、不思議な形で与えられるようになります。

しかし、今日の講演は、そうした話をすることが主題ではありません。また、そうした話をする時間もありません。もし、皆さんが、こうしたことに興味を持たれるならば、この講演の演題と同じタイトルの近著、『すべては導かれている』において、詳しく書きましたので、そちらを参考にしてください。この著書では、直観、予感、シンクロニシティ(共時性)、コンステレーション(布置)、そして運気について語り、なぜ、そうした形で、叡智が与えられるのか、なぜ、我々の人生では、そうした現象が起こるのかについても述べています。

自分の命を何に使うか

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もう一度申し上げますが、こうした不思議な体験を持つのは、決して私だけではありません。例えば、ある新聞に『私の履歴書』という連載があります。これは、政治家や経営者、学者や文化人、芸術家やスポーツ選手など、色々な分野で素晴らしい業績を残した「人生の成功者」と呼ばれる方々が、その人生を振り返って語る短い自伝です。

ところが、ある研究者が、この数々の自伝を分析したのです。そして、「人生の成功者と呼ばれる人物は、その人生を振り返ったとき、どのような言葉を最もよく使うのか」という研究をしたのです。

当初の予想は、人生の成功者は、その人生を振り返るとき、誰もが、「頑張って」「根性で」「諦めず」「粘り強く」といった言葉を最も多く使うのではと思われたのですが、その分析結果は予想とは全く違ったものでした。実際に最も頻繁に使われていた言葉は、「ふとしたことから」「たまたま」「折よく」「偶然」「運の良いことに」などの言葉でした。

この研究結果を見ると、見事な人生を歩まれた方々、素晴らしい仕事を残された方々は、どなたも「運が強い」と思われるかもしれません。しかしそれは、単に「持って生まれた星」といった話ではありません。

これらの方々の「運の強さ」と見えるものは、何気ない出来事の中に、人生を拓く鍵を鋭く感じ取る「直観」や「予感」の能力が引き寄せるものでしょう。そして、それは、言葉を換えれば、「大いなる何か」からの声を聴く能力によって支えられているのでしょう。

さて、もう時間も尽きました。最後にもう一度だけ申し上げたい。

もし、皆さんが、これからの人生において逆境に直面されたときには、思い出してください。「大いなる何か」が、皆さんを育てようとして、その逆境を与えている。その「大いなる何か」は、逆境を通じて皆さんを素晴らしい人物へと成長させようとしている。そして、その素晴らしい人物を通じて、世の中に素晴らしい仕事を残そうとしているのです。

そのことを信じ、「大いなる何か」に導かれた人生を、精一杯に生きようという覚悟、その覚悟を、昔から先人は、「使命感」と呼んできたのでしょう。

そうであるならば、これから皆さんには、その「使命感」を抱いて歩んで頂きたい。

そして、この「使命」という言葉は、素晴らしい言葉。なぜなら、「使命」という言葉は、「命」を「使」うと読めるからです。されば、皆さん、そのかけがえの無い命、何に使われますか。その覚悟を定め、歩んで頂きたい。

皆さん、いずれ、我々の人生は、一瞬。100年生きても、人生は一瞬。誰もが、その一瞬の人生を駆け抜けていく。私も気がつけば、瞬く間に67年の人生を駆け抜けてきました。そして、あと何年生かして頂くかは、すべて天の声。

されば、この一瞬の人生、精一杯に生き切りたいものです。

人生には、「三つの真実」があります。「人は必ず死ぬ」「人生は一回しかない」、そして、「人はいつ死ぬか分からない」。その三つです。

そうであるならば、必ず終わりがやってくるその命、一回しかないその命、いつ終わりがやってくるか分からないその命、皆さん、何に使われますか。

その覚悟こそが、「使命感」。

その「使命感」を大切に歩まれることを。

そして、「大いなる何か」に導かれた、素晴らしい人生を歩まれることを。

そのことを申し上げ、私の話の締めくくりとさせて頂きます。

皆さんの貴重な一時間を預けて頂いたこと、改めて、深くお礼を申し上げます。

有り難うございました。(会場拍手)。

執筆:山本 兼司

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