あなたの人間観が変わる?若き知性が示す、性善説により導かれる未来―『Humankind 希望の歴史』

人間の本質は悪か?

「人間の道徳性は薄いベニヤ板のようなものであり、少々の衝撃で容易に破れる」という「ベニヤ説」が世の中では広く信じられているが、真実は逆である。というのが本書の著者、ブレグマンの主張だ。

オランダの歴史家・ジャーナリスト、ルトガー・ブレグマン。2016年に出版した『隷属なき道 - AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』が話題となった[1]、欧州で注目の若手知識人の1人だ。2019年のダボス会議では、富裕エリート層を前に参加者の偽善と税金逃れを歯に衣着せず指摘する動画がバズり、一躍ヒーローとなった。

待望の新作として上梓された本書は、出版されるや世界45か国に翻訳され、すでに世界的ベストセラーとなっている。今回のテーマはシンプルだ。

「人間の本質は、善である。」

なぜ私たちは人間の本質は悪だと考えるようになったのだろう。本書の旅はそんな疑問から始まる。

こうした、普通ならだれも疑わないような歴史的な諸説や、あたりまえとされている啓蒙主義などに対するピュアな疑問を見過ごさずに理論を積みあげて調べ倒していく。これによって、通常の人なら見過ごす視点を机上に出してくれるというのが、ブレグマンの面白さだ。歴史家でありジャーナリストでもあるブレグマンは、丹念に文献をあたり、現地に足を運びながら豊富な事例を収集していく。これをもとに、語られてこなかったストーリーを生き生きと描きだすのだ。

疑問を呈するのは、誰もが「彼が言っているのだから」と思ってしまうような大御所たちが呈する説へも同じだ[2]。1つ1つの説を検証し、反証を挙げることで、これまでの通説を覆す、語られなかった事実を浮かび上がらせる。引き込まれる展開や発見ばかりで、誰かに伝えたくなる話でいっぱいの1冊だ。

共感の弊害と、リーダーがイヤなヤツになる理由

本書は5つのパートに分かれた18の章から成る。本書の核となるのがパート3だ。

人間は元来凶悪ではなく、周囲を気遣いつながろうとする、フレンドリーな「ホモ・パピー」であるからこそ、進化の過程で生き残ってきたことを明らかにしたパート1、2を踏まえて「ならば、私たちはなぜ時に残酷になるのか」「なぜ性悪説がこれほどにも支配的になっているのか」を探る。

ブレグマンによると、私たちが残酷になりうる原因は、ホモ・パピーの特技である「共感」がひとつとなっているらしい。共感できる相手には限りがあり、また距離が近く、自身に類似しているほど共感する。そして、共感はサーチライトの役割を果たし、それ以外の世界を見えなくさせるという。共感する仲間のためならば、「それ以外」に対する攻撃もいとわなくなる。つまり、攻撃的になるのは利己的だからではなく、仲間を失いたくないからなのだ。

もう1つ、このパートで紹介されている興味深い研究がある。それは権力を手にすると、人は社会病質者(ソシオパス)のように振る舞うようになるらしいということだ。

リーダーになると人々からの距離が遠くなる。他者に対して鈍感になり、恥を知らず、厚かましく、自己中心的になる。神経学的にも、権力の感覚は、共感に重要な役割を果たすとされる、「ミラーリング(他者の行動を無意識に真似ること)」を混乱させることが確認されているという。権力者が時に信じられないような無情な決断を下すのには、こうした「後天的ソシオパス化」が原因にありそうだ。そして、ホモ・パピーたちはそんなリーダーの決断を善と信じ、仲間のために役立とうとするあまり残酷にもなってしまう

加えて、今の社会制度の成り立ちにも目を向ける。経済学や法制度など、現代の発展に貢献した理論や哲学を紐解くことで、ブレグマンはこう気づく。

人間の本性は悪だという考えがこれほど支配的なのは、人々がそう信じているというよりも、「みんながそう信じているはずだから、自分もそう振る舞う方がよい」と考えるからではないか?もしそうなら、人間を善と想定し直すことも可能なはずだ。性善性を前提にした新しい社会をつくることもできるのでは? と。

管理・支配するのでなく、信頼をベースにする

パート4では、人間の善性を前提としたときに何が実現できるのか、ビジネス、教育、政治の分野から実例をあげていく。

中でも、ビジネスパーソンが興味を持ちそうなのはオランダの在宅ケア組織「ビュートゾルフ」だろう。ビジョンの共有、目標管理など多くの企業がマネジメントに用いる手法は取り入れず、管理職や外部コンサルタントが複雑にしてしまったものをできるだけシンプルにする、という「あたりまえ」とは真逆の発想にブレグマンは注目する。

25か国を超える国にスタッフ14,000人を抱え、オランダの最優秀企業賞をはじめ数々の賞に輝くビュートゾルフでは、看護師など医療の現場に出るケアスタッフ12人が1チームとなって自治的に業務にあたる。管理する組織や職位、目標制度はないが困った時には頼れるコーチがいる。仕組みをできるだけシンプルにすることで、本来力をそそぐべき「ケア」に注力する。結果、ビュートゾルフでは、経費は平均より少なく、従業員と顧客の満足度は並外れて高いという。管理し支配するのではなく、信頼をベースにする、新しいあり方だ。

最終章となるパート5では、新たなリアリズムの実現に向けた人間の可能性をさらに一歩進める。看守と囚人がともに食事するノルウェーの刑務所、塹壕から出て敵兵とともにクリスマスを祝った兵士たち、アパルトヘイト終結に向け転機をもたらした双子のエピソードと、善性を信じるマンデラのアプローチ、コロンビアで多くのゲリラ兵を家族のもとに返した驚くべき広告戦略。困難の下、敵にさえも善性を見い出すことができるホモ・パピーたちのエピソードは、どれも希望に満ちている。

新たなリアリズムを受け入れることで、新しい未来が導かれる

ロシアのウクライナへの軍事侵攻が、世界を揺るがしている。暴力的で残酷な側面と、人を思いやり共感する側面、いったいどちらが私たち人間の本性なのだろう。多くの人は、後者が人間の本性であることを願いつつ、現実は前者かも、と感じているのではないだろうか。

本書の内容は夢物語のように見えるかもしれない。「そうはいっても現実はそんなに甘くない」と感じる人も多いだろう。しかし、「現実主義という言葉は冷笑的(シニカル)と同義になっているようだが、冷笑的な人は現実を見誤っている」とブレグマンは言う。「本当は、人は善良でいたいと思っている」ということを受け入れること。これがブレグマン流の「新たなリアリズム」だ。このリアリズムを受け入れ新しいあり方に足を踏み出してみるのか、それともこれまでの通説に身を任せるか。選択は1人1人にかかっている。

<注>

 [1] 以前に執筆した本書についての書評はこちら
『隷属なき道』――ベーシックインカムを起点に環境変化を生き抜く視点を身につけよ

 [2] 本書中でブレグマンが立ち向かった例を挙げると、パート1では、人は本来悪である、自由を与えるべきでないとするトーマス・ホッブズと、制度が人を悪にする、人は自由であるべきだと考えるジャン・ジャック・ルソーを対比しつつ、「人は生まれながらにして利己的で狂暴である」という諸説に挑む。
ほかにも心理学者スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』や生物学者リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』、ジンバルドによる『スタンフォードの監獄実験』、ミルグラムの『服従の心理学』などを取り上げる。いずれも超の付くほど有名な研究だ。

Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章
Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章

著者:ルトガー・ブレグマン 翻訳:野中 香方子  発売日:2021年07月27日 価格:1,980円 発行元:文藝春秋(2冊いずれも)

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