2021年9月、米ブルームバーグ通信が「債務支払い不能な「ゾンビ」企業が増加、不動産筆頭」と報じました。
コンサルティング会社カーニーの調査によると、世界の6万7000社のうち、
・ 不動産会社の7.4%
・ ヘルスケアの5.9%
・ 通信・メディアの5.5%
・ 旅行関連の5.1%
が「ゾンビ」状態とのことです。
5-7%というと、20社のうち1社強の割合です。世の中を歩いている人の20人に1人は既にゾンビで、その数はさらに増えてゆくだろうと聞くと、ホラー映画の世界のような不安と恐怖を覚えます。他方、SDGs(Sustainable Development Goals)が叫ばれる時代、「誰ひとり取り残さない社会」を作ろうと言っているのだから、苦境に陥った会社を国や金融機関が支えるのは当然、ゾンビ呼ばわりするのは良くないと感じる人もいるでしょう。
今回は、ゾンビ企業とは何なのか、それは社会にどう害悪を及ぼすのか、について考えます。
1. ゾンビ企業とは
経済協力開発機構(OECD)では、
創業10年以上で、営業収入による利払いが3年連続でできていない企業
をゾンビ企業と定義しています。カーニーの調査対象は上場企業だけですから、OECDの定義によれば実際にはもっと多くの企業がゾンビ認定されることになります。
ゾンビとは、1980年代にマイケル・ジャクソンの楽曲「スリラー」とそのプロモーションビデオで一気に有名になった言葉で、体が既に死んでいるにもかかわらず、邪悪な霊力に操られて動き回る人間です。
日本では90年代の後半にかけて、バブル崩壊により収益が低迷し債務返済ができなくなっているにもかかわらず銀行の追い貸しによって延命し続けている会社がこう呼ばれるようになりました。
小泉政権時代、竹中平蔵・元金融担当相の銀行不良債権処理政策により、ドラマ「ハゲタカ」や「半沢直樹」に描かれる企業淘汰が進みましたが、その後民主党政権下の中小企業金融円滑化法で、銀行の「貸し渋り・貸し剥がし」を抑制する方向へと政策転換が行われました。日銀による金融緩和の長期化がカネ余りの環境を生み出すなか、今日に至ってもゾンビ企業は増加しています。
ゾンビ企業の増加は日本に限った話ではありません。不動産開発の巨大企業、中国恒大集団は30兆円もの債務を抱えています。同社がデフォルトするのではとの不安が話題となっている今の中国経済は、90年代の日本になぞらえられます。自由競争を通じての弱肉強食・適者生存を是とする米国でも、世界金融危機以降の金融緩和政策の下で低金利を追い風に企業負債が増加し、債務過多に陥るゾンビ企業が増えているようです。
しかしながら、苦しい環境の下でなんとか雇用を維持して頑張り続けている会社が、ゾンビ呼ばわりされるほど社会に害悪をもたらしているのでしょうか?
2.「ESG」「SDGs」重視でも、正当化できぬゾンビ企業
OECDのポリシーペーパーでは、ゾンビ企業のもたらす社会への悪影響を以下のように説明しています。
Zombie firms represent a drag on productivity growth as they congest markets and divert credit, investment and skills from flowing to more productive and successful firms and contribute to slowing down the diffusion of best practices and new technologies across our economies.
(https://www.oecd.org/economy/zombie-firms-and-weak-productivity-what-role-for-policy.htm)
ゾンビ企業に投資資本が塩漬けされることにより資金の流れが悪くなり、それが経済社会の生産性向上の足を引っ張り、優秀な企業がもたらすベスト・プラクティスや新テクノロジーの普及・拡散を阻害する、というのです。
ファイナンスの授業では「会社は自己の資本コストを上回る利益を上げなければならない」と教えますが、その説明の際に私はピーター・ドラッカーのこの言葉を引用します。
Enterprise (who) returns less to the economy than it devours in resources…. does not create wealth, it destroys it.
「経済社会から受け取って使用している資源よりも少ないものしか経済社会に返していないとしたら、その企業は富を創造しているのではなく破壊しているのだ」
つまり、社会から提供され受け取っている資源(ヒト・モノ・カネ)以上を社会に還元(リターン)していない企業は存続する必要はない、なぜならその企業が淘汰されることにより、貴重なヒトや資金という社会資源をより生産性が高く付加価値創造力ある活動に移動させることができ、そのほうが社会全体のためになる、という考えです。
これが、80年代の英国サッチャー政権や米国レーガン政権が取り入れた新自由主義的な資本主義体制の考え方で、ソ連崩壊後の約30年間、グローバル化する世界経済繁栄の原動力として機能してきました。
この経済体制は、近年多くの批判にさらされています。企業経営者はより多くの利益を上げるために、自然環境を破壊し、社員をリストラすることに躍起になり、生み出される超過利潤は全て金融投資家の懐に入り格差を拡大する。
このようなシステムは社会の富を増やすことにも全人類の生活向上にもつながっていないのではないか、という疑問からESG(Environment, Social, Governance)やSDGsを重視する声は高まっています。しかしながら、この流れがゾンビ企業の存続を正当化するわけではありません。
3. ポストコロナ時代のゾンビ対応
カーニーの調査は2020年時点のものです。世界経済がパンデミックからなかなか抜け出せない今日、経営が立ち行かなくなる企業はさらに増えているでしょう。銀行は今のところ追加融資を行ったり返済を猶予したりして事業活動の継続を支援してくれています。これらの措置は緊急避難的な救済策としては妥当ですが、人々の生活・ビジネス習慣が恒久的に変容するとしたら、いつまでも続けるわけにはいきません。
コロナ禍で膨らんだ企業債務の返済を猶予したままゾンビとして延命させるのか、倒産させてリセットするのか、これから社会は大きな選択を迫られることになります。
ゾンビ企業がいたずらに延命することは、長期的には社会の活力を損ない、国全体が沈んでいくことにつながります。そのメカニズムは、企業、銀行、国家、それぞれに分けてこのように説明されます。
(1) 企業にとって
銀行借入の利息支払いでぎりぎりの状態の会社には、将来に向けての投資を行う余裕が生まれません。技術進化が激しく、グローバル競争を戦わねばならない時代、投資余力のない会社はいずれ淘汰されます。給料が上がらず、銀行に支払う利息を稼ぐために働き続けるような環境では、社員のモチベーションはさがり、優秀な若い人材は逃げてしまいます。
企業の延命のために金融支援に頼ることは、麻薬中毒に例えられます。痛みを一時的に和らげ幸福感を味わえるかもしれませんが、それは依存症とも呼べる状態をもたらし、経営改善意欲を削ぎ、価値創造の能力を劣化させます。
(2) 銀行にとって
銀行が融資回収できない状況が続くと、銀行がゾンビ状態に陥ります。焦げ付いた融資を損金処理すると銀行の自己資本が痛むので、問題先送りの支援融資を継続します。すると銀行はリスクが取れない体質になり、事業・産業の成長のための資金提供という本来の銀行活動に力を注げなくなります。こうして経済の活性化は進まず悪循環の罠にはまり込み経済活動全体が縮小し、銀行の経営環境が一段と悪化する…。これが90年代の「バブル崩壊で失われた10年」の構図でした。
(3)日本国全体にとって
国が赤字国債発行という借金をして、企業や生活者を支援する政策にも同じことが言えます。安倍政権の経済政策「アベノミクス」の「三本の矢」のうちの二本である、金融政策と財政政策は、本来三本目の矢である規制改革による成長促進に向けたカンフル剤だったはずです。しかしそのカネの多くは生産性向上や技術革新への投資により日本経済を強化・成長させる方向ではなく、企業の現状維持・内部留保積み増しに使われたり、株や不動産の値段を上げて儲ける「マネーゲーム」の方向に流れ、格差拡大と日本の国際競争力低下を助長してしまいました。
4. ゾンビは生かすべきか殺すべきか
新自由主義的な世界では、資本はより高いリターンを求めて移動します。この世界ではゾンビ企業は次のような対応に追い込まれます。
・M&A・再構築:
競争力のない事業からの撤退や資産売却を通じて、事業の選択と集中を進める
・倒産制度を活用した事業再生:
銀行等の債権を裁判所が強制カットさせて企業の債務負担を軽減し、経営改善力があり前向き投資ができるスポンサーを呼び込む
これらの措置は経済合理性の名の下に行われる血も涙もないリストラ、と受け取られがちですが、企業内に塩漬けになっている資金や人材をより成長性ある事業に振り向け活力を取り戻す、という側面も併せ持っています。
コロナ禍の下での大きな時代の変革期では、変化に対応するために利払いができないほど収入が落ち込む企業も多く生まれるでしょう。一方で、病院や介護施設をはじめ、「エッセンシャルワーク」を提供する企業が事業継続できなくなる事態は避けねばなりません。その意味では、ゾンビ企業の定義は見直して、「『サステナブル』な社会づくりに貢献していないにもかかわらず、銀行や国に支えられて延命している企業」とすべきでしょう。
再定義をした上で、社会の貴重なカネ・ヒトを囲い込んで塩漬けにしてしまう「ゾンビ」を退場させて、それらの資源を成長とイノベーションに振り向けることが、社会・経済を活性化するために重要です。この過程では、リストラの憂き目にあう人材が増加することも想定されます。ゾンビ企業を退治するのには、社会に痛みを伴います。しかし痛みを恐れ、人材を塩漬けにし続けることが社会にとってプラスであるかというと、また別の話です。貴重な人材に再チャレンジの機会を与え、社会発展の原動力とすることこそ、国全体の閉塞感の打破につながると考えられます。
岸田新政権は「新自由主義の転換、新しい資本主義の実現」を掲げています。ゾンビ企業をどのように取り扱うのかという観点から、新政権の経済政策を読み解くことができるかもしれません。