前回(第11回「・・・裏に何かある」)は主に「女性」についての話だったが、今回は「男性」&「女性」のことをテーマに選んでみた。今回は、なんと珍しく(うらやましく?)男性1人女性4人という会でのこんな会話からスタートしてみよう。ちなみにカッコ内は、いつものように心の声だ。
男: 男のお子さんを見ていて、“不思議だな?”って思うことありませんか?
(これ、結構誘導質問的だけど・・)
女: やっぱりちょっと夢見がちですよね。女の子の方が、ちゃんと現実を見てる。
女: しかも、男って、大人になっても変わんないわよね。
(なんか鋭いな。かめはめ波の話を思い出しちゃうな)
男: でも、ディズニーランド好きは、圧倒的に女性の気がするんですけど。
女: 女の子の場合は、帰りにゲートをくぐった瞬間に、リアルに戻っちゃうから。出た瞬間の女子の冷め方は半端じゃないんです
女: 出た瞬間、頭外すし。邪魔だし・・みたいな。
男: 引きずらない?
女: 引きずらない。思い出は持って帰るけど、現実は現実よね。所詮、「ディスニーランドではなく“舞浜”なんだ」って思う。
(確かに、「きっぱり忘れる」の回でも書いたとおり・・ちょっと冷たい気もするけど・・)
女: 逆に、ゲートを入る時も、別にそんなにワクワクしてないし。いかに早く乗り物に乗れるかって言うことばっかり考えちゃうかも
女: そうそう、私もファストパスをいかにこう・・
女: 効率的に回るっていう方が。
男: たくさんの乗り物に乗りたいってこと?男性も同じ?
女: そもそも全然興味持っていない気がする
(その男性の気持ち、よくわかる。・・・なんか、その場面、想像できるな・・・)
女: あと、男性は、乗りたいものがあったら、ひたすら何回も乗る。
女: 例えば、「ホーンテッドマンション、もう一回乗らない?」なんて聞いてきたり。こっちは、あれもこれも乗りたくて、頭の中で計画立てているのに。
要訳すれば、「女子は“沢山”乗りたい」VS「男子は“何回も”乗りたい」という構図だ。実は、上記会話の最中に、息子とディズニーランド行った時に、繰り返し「空飛ぶダンボ」に乗っていた姿を思い出した。(断わっておくが、乗りたがっていたのは、息子だ・・)
そうか、男の子は、自分の好きなものに一直線に向き合うんだな・・・要は
・男性は、一つのことに夢中になる
・女性は、一度に沢山のことをやりたがる
これを今回は取り上げてみたい。
なぜ男性は、一つのことに夢中になるのか?
初めに断わっておくが、男性の中にも、マルチで考えたり行動したりしているのが得意な方もいる(と思う)。ただ、ここでは敢えて「ステレオタイプ」的に仮説を立てて考えてみる事にする(だって、その方が面白そうだから・・・)
一つのことに夢中になるのは、決して悪いことではない。集中力の高さと言う風に捉えると、逆に強みにもなる訳だし・・・。2015年末に話題になった、ラグビーの五郎丸は、その集中力の高さが、その集中力を高めるためのルーチンと共に、多くの方々の記憶に残っているのは、それ自体が得難い能力だからだろう。
また、なぜ集中力が高いかについては、いろんな所で説明がなされているし、結構私もそんな話を信じている部分があるし・・・
だから、このコラムで取り上げたいのは、「一つのことに集中する」と言うことの不都合な点についてである。一つは、先述の会話に出ていた、「複数のことを一度に頼むと、(女性は上手くやるのに比べて)上手くいかない」というものだ。
確かに、女性側から見ると、「私が出来るのに、なぜ出来ないの?」という気持ちがあるのだと思う。一方で、男性側からは、「だって、家事については不慣れなんだから、仕方ないだろう」「集中しているから、逆に一つ一つの仕事は、丁寧に出来るんだから良いだろう」なんて声が聞こえてきそうな話である。これに関して、こんな話も実は出ていた。
女: スターバックスでマネージャーやっていた時の話なんですが、女子は5個くらいの仕事を一度に頼んでも、ぱぱっとやってしまうのに、男子は1個しかできない。丁寧なのは分かるけど。で、今度はスピード重視でやってねって言うと、その1個の仕事も雑になっちゃう。例えば、ボコボコのモカシロップを作っちゃうみたいな・・・
これだけだと、なんか救いようがない気がするので、こんな質問をしてみた。「男子が使える場面ってないの?」って。その時、返ってきた答えがこれだ。
女: 例えば、コーヒーとかラテをマシンで作る時に、結構自分の力量で味に差が出てくるんだけど、凝り性の男子に頼むと、すっごい美味しいのを作ってくれる。だから、お客さんから「あの人のラテが飲みたい」なんて注文が入ったり・・・
(これこそ、男の生きる道!集中するからこそできる「凝り性」!完璧なラテ・・)
だから、集中するという特性も、強みに変えることが出来る。ただし、・・・・
男: 逆に、適当にやっていいというのは出来ないかもしれないね?
女: ダメなんです。極端なんですよね。100点じゃなきゃダメって感じ
女: 70点か80点くらいでもお客さんに出せるから大丈夫たって思うんだけど。料理だってそうですもん
男: ラーメン屋でスープを1カ月位掛けて開発するっていうのは、男と言うイメージかな?
女: スープも作りながら、いい感じの麺もやってと言うのが女かな。なんなら内装とかも綺麗にしたいし
男: 男だったら“内装なんかいい、スープだけでいいんだ”みたいな
女: よく、スープ切れたらもうやらないっていうのは、私全然ピンとこないんですよね。
男: 極めたスープしか出したくない、って気持ちじゃないの?
女: だったら2日分用意して、って思うのよね
という見方もあることを忘れてはいけない。
どうやったら、そんな男性と女性は、上手くやっていけるのか?
このコラムを書いている時に、ふと思い出したコマーシャルがある。それは、サントリー伊右衛門茶のTVコマーシャルだ。2004年ごろの作品なのだが、もっくん扮する伊右衛門が、寝食を忘れて納得ゆくまでお茶づくりに打ち込んでいて、それを妻の宮沢りえが支えるというものだ。このCMの意味合いについては、別の講師のコラム(マーケティング・アノマリーシリーズ#13 「サントリー伊右衛門茶・・映画としてのTVCM」)を参照いただくとして、私の仮説は、
仮説20: 男性は、一つのことに打ち込むのが好きであるし、それを女性に認めて欲しい(あるいは、せめて、温かく見守って欲しい)という願望を持っている
というものだ。そうすると女性側から聞こえてきそうなのは、「だからといって、私にシワ寄せしないでほしい」というものではないだろうか。男性が、一つのことに集中したがるというのは、女性の方は、とっくに気が付いていることだと思う。そうすると、不満が出てくるのは、男性の方が相手の女性に迷惑を掛けていることを認識していない場合なのではないか。
一方で、女性に関する仮説は、
仮説21: 女性は、様々な選択肢を全て経験するのが好きだし、それを男性に分かって欲しい(あるいは、邪魔しないでほしい)という願望を持っている
というものだ。こっちについては、男性読者にとっては少々説明がいるのだと思う。この仮説の背景には、さらに別の仮説、「女性は、人生において、様々な選択肢に直面している」「かつ、全ての選択肢を選べないという事を、身にしみて感じているし、それにフラストレーションも感じている」があって、(これに関しては、後日別のコラムを書く予定だが、今回のコラムでは、この別の仮説も正しいものとさせていただく)だからこそ、自分の自由になる時には、自由にしたいという願望につながるという訳だ。
であれば、男性にも女性の願望は、理解できるのではないか。
要は、男性が女性に求めるのも、女性が男性に求めるのも、寛容さなのかもしれない。
(心の中の)K女史: っていうか、今回も似たような話しか書いていない気がします・・・
うッ・・・・やっぱり・・・・