かめはめ波って撃てるの? 

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今回は本連載では初めて、女性から見たら男性のこんなところが不思議でならないのでは、という謎をテーマにしてみたい。

きっかけは、グロービス経営大学院の学生数人と食事した際に出てきた、こんな会話だ。

女性A:うちの弟って実に変なんだよ。“かめはめ波が出ない”って悩んでいるんだよ。
男性A:えっ、でも、かめはめ波は出せるよ。出ないのは、ただ修行が足りないだけ。自分も、かめはめ波は出せないけど、風くらいなら起こせるかも。
男性B:うん。自分も、その弟さんの気持ちは分かる。
男性C:僕も出せるんじゃないかと練習したことがあるよ。
女性一同:??????

この会話、女性読者の過半はおそらく疑問符だらけになっておられると思うが、男性読者(の多くは)は間違いなく、頷いてくれると思う。

「確かに、自分もかめはめ波は撃てると思う。修行さえきちんとすれば・・・」

か・め・は・め・波——っつ!

念のため、「というか、そもそもかめはめ波って何?」という女性読者のために説明すると、これは少年漫画『ドラゴンボール』シリーズに出てくる主人公・孫悟空の必殺技だ。一応の説としては、体内の潜在エネルギーを一気に放出させる技で、「氣」の一種ということになっている。もちろん未だ誰もその存在を証明したものは無い。だから、今回の女性陣(全部で4名)の反応は、いたってまともな反応と言える。

であるが、面白いことに、同じ場にいた男性陣(4名)の反応は、全員が「弟さんの気持ちのほうが分かる」というものだった。ちなみに、その男性陣の中には筆者も含まれる。恥を忍んで告白するが、筆者だって実は、かめはめ波が出てくるのでないかと、氣を練る練習をしたことがあるのだ。というか、男性読者諸君は皆、同様の経験があるのではないだろうか?

さらに、その日の話題は広がっていった。いつものように()内は、私の心の声だ。

男性A:ドラゴンだっているよな。
男性B:いるいる。
女性A:は?いるわけない。あんな小さな翼で、あんな大きな体を支えて飛べるわけがない。
(確かに、物理的には、女性のおっしゃる通りなんだが・・・・気持ち的には男性に同意する)
男性A:もしそうだとしても、竜ならいる。
(おいおい、“もしそうだとしても”と言うのは、論理的ではない・・・でも分かる)

男性C:仮面ライダーのベルトをしたら、変身できると本気で思っていた。
女性B:だって、あれ電池で動くんでしょ。出来るわけないじゃない。
(電池で動いていたって、変身できるかもしれないでしょ。論破になっていないし・・・ん?)

男性C:じゃ、ひみつのアッコちゃんのコンパクトはどうなの?変身できると思わなかったの?
女性D:あれは、お話の中。自分がその話の中に入った時は、変身できるような気になるの。
(えっ、どう違うの???)

こんな具合だ。どうも会話の内容は、女性のほうが非常に合理的な感じがするのだが、筆者としては、男性側の主張の方がよく解かる。そして、そんな女性もファンタジー自体は信じているようで、ただ、その信じ方に違いがありそうなのも興味深い。

面白かったので、翌日、編集K女史に話をしたところ、こんな言葉が返ってきた。

K女史:私も、花の子ルンルンが「いつかはあなたの住む街にゆくかもしれません」っていうのを待ってますよ。
筆者:現実の世界で?
K女史:何いってんですか。もちろん、ファンタジーの世界で、ですよ。
(そうだよな、K女史もだよな・・・)

なぜそうだよな、と思ったかというと、女性は「ファンタジーの世界で」というが、男性は「現実の世界で」起こると考えているように思うからだ。というか、そう信じているのだ。証左としては、このあたりの発言から伺い知れる。

男性A:かめはめ波が出せないのは修行が足りないからだ。
(そうだ!そうだ!!亀仙人も修行に50年はかかると言っていた)

男性B:漫画は現実に起こることを材料にしているのだ。
(さすがに、それは乱暴な理屈だろう・・・)

男性C:物理学を志す者は、超能力とか、かめはめ波の原理を、一度は考えているはずだ。
(実は、筆者はこの部類に属する)

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男はロマンチストで、女はリアリスト

この話には実は、後日談がある。食事会に参加した女性の1人が会社で男性社員に聞いたところ、こんな答えが返ってきたそうだ。

男性社員:かめはめ波は無理だけど、「元気玉」なら出せる。

ちなみに元気玉も、ドラゴンボールの孫悟空の必殺技で、仲間の氣を少しずつ集めて、巨大なエネルギーを作りだすというものだ。

これを聞いた女性は「この男性を理解する事はできない」と思ったのだそうだ。ただ、さらに、「男ってロマンチストなのかもって思っちゃいました」とも語ってくれた。

いよいよ、本題に移ろう。果たして、男はロマンチストなのか?そして裏を返すと、女はリアリストなのか?

そこですぐに思いつくのが、ディズニーランドのリピーターは圧倒的に女性が多いという話だ。

ディズニーランドにいる女性は、夢の中に入っているように見える。女性にとっては、ディズニーランドは「現実の世界に出現した『ファンタジーの世界』に浸れる場所」なのではないだろうか。逆に私が観察する限り、男性は、ディズニーランドの世界には浸れない。自ら積極的には足を向けず、女性や家族に連れられて行くか、アトラクションの乗り物に魅かれて行く。

ここだけで考えると、女性のほうが夢や幻想の世界を好むようにも思えてくる。けれど女性は男性がかめはめ波の話をすると、「何、それ。そんなバカな話、あるわけないじゃない」と否定する。これは何なのだろうか。

少しビジネスの世界に引きつけて考えてみたい。そこで、いつも取り上げている座談会の記録を見返していたところ、参考になりそうな発言があった。

Kさん:私が前にいた会社って、営業で勝っている会社で、数字に厳しかったんですよね。なので、月初に全員が目標を公表し、10日の段階、20日の段階、最終3日前の段階って感じで、進捗を報告し、最後、月末に閉めるんですけど、男性と女性では報告の仕方が真逆なんです。女性は20日の段階では絶対に「100いける」とは言わない。「いけるかな」と思っていても、その時点で確実なのが80であれば、「80しかいけません、課長すいません」って謝るの。ところが、男性は大体、「俺は120、130いきそうです」って言う。で、月末に蓋を開けてみると女性のほうが100とか120とかで、男性のほうが80で終わっている。

つまり、

・女性は、現実的な数字を見込み数字として報告
・男性は、「こうなるといいな」という夢も混ざった数字を見込み数字として報告

するというのだ。これは確かに、頻度高く見られる光景のような気もする。そこから考えるとやはり女性のほうがリアリストにも思えてきた。

無論、これについては別の見方もあろう。たとえば「男性は、よりチャレンジングな数字を目標とすることを求められているから」とか。ただ筆者の経験では、男が「俺は120、130いける」と言っている時は、本人は、本気でそれが現実に起こるものと信じている事が多い。

ここで、今回の仮説だ。

仮説12:女性は、ファンタジーは作り話と割り切っている(「現実の世界」と「ファンタジーの世界」を分けて捉えている)
仮説13:男性は、ファンタジーはいつか現実のものになると考えている(「現実の世界」と「ファンタジーの世界」に境目がない)

だから、現実と切り離したところに、わざわざファンタジーの世界を再現したディズニーランドに、男性はあまり興味を示さず、かたや現実の世界で(女性から見れば)ファンタジーのような業績目標を臆面もなく口にする、という分析だ。

社会化を求められる年齢の若さが女性をリアリストにする?!

仮に、この仮説が正しいとして、両者の違いはどこから生まれてくるのだろう。生まれつきのものなのか、或いは、成長過程で身につけたものなのか。筆者は、より後天的に身につけられた違いなのではないかと考えている。

なぜなら、男であろうと、女であろうと、誰しも子どもの頃は、心底から、お化けを怖がり、お姫さまやヒーローに憧れ、お菓子でできた家やどこでもドアがあればと思った経験はあるように見受けられるからだ。ところが、いつからか女性だけが「あれはファンタジーの世界のお話」と割り切るようになる。

では、この割り切りが生じるポイントがどこにあったのか。筆者が真っ先に想起したのは、ある女性がポツンと口にした、こんな一言だ。

「小さい頃は、男の子との違いを意識していなかった気がする。ところがある時から親や周りから『女らしくしなさい』と言われるようになり、それが、違いを認識し始めたきっかけになった気がする」

「女らしくしなさい」という言葉から導かれるのは、社会学で言うところの「社会化」であると思う。Wikipediaでは「子供や、その社会の新規参入者が、その社会の文化、特に価値と規範を身に付ける」と説明されているが、つまり「世界は自分を中心に回っている」「自分はその世界の主人公である」と極めて主観的な世界の捉え方で生きてきた子どもが、「女らしく」と、自身の客観的な見え方、振る舞い方を規定されることにより、「自分」と「取り巻く世界」を分けて考え、他者との関係性や自身の社会的役割を意識的に設計していくようになる。

これを、ごく小さな頃から求められることにより女性は、常に客観的で冷静に向き合うべき「現実の世界」と、自身を主人公にして夢を見続ける「ファンタジーの世界」を明確に分化して生きていくようになる。その差異が、「かめはめ派なんて現実に撃てるわけないじゃん」につながっていく。いかがだろうか?

裏を返し、もう一つ筆者が想起するのが、よく言われるこの表現だ。「男性は、いつまでも子ども」「少年の心を失わない」。

男性は、いつまでも子どもの頃の認識を失わずに済み、女性は、どこかで子どもの頃の認識を手放す必要に迫られてきた。そう考えると、これもよく聞く「男の子はゲーム機を欲しがる。大人になったら、もっと高級なゲーム機を欲しがる」といった類の話も腑に落ちる。

筆者が思うに、ある種の認識を持っている集団がその認識を変えずに済むためには、

(1)どんな世界でも、自分達の認識を維持できるように、内的な世界を強化する
か、または
(2)自分達の認識を維持できるように、外的な世界を構築する
のいずれかが必要となる。そしてどちらもできない場合は、
(3)外的な世界に適応できるように、自分の認識を変える
とことになる。

今回の件で言えば、男性は(2)の「外的な世界を構築する」ことを許されながら育ち、女性は(3)の「自分の認識を変える」ことで育ち、傍ら、(1)の内的な世界にのみ自身のファンタジーを避難させ育んでいく。結果、この世が「男性のファンタジーは実現すると信じても許される世界」であり、「女性のファンタジーは、実現しない(ただし、自身の中に構築したファンタジーの世界の中だけでは実現は許される)世界」となっているとしたら、大人が何の気なしに子どもに投げかけ続けている「女らしくしなさい」という言葉は何と重いものであることかと思えてくる。

そこで、最初の命題「男はロマンチストか?」だが、それをこの文脈で読み解くなら「男性は、ロマンチックな幻想が、現実に実現すると信じても許される世界を構築した」のであり、その世界では「女性は、ロマンチックな幻想が、現実に実現すると信じることは許されない。そのために考えを変えた」となるのではないか・・・

とここまで考えてきて、編集K女史にぶつけてみたところ、こんな言葉が返ってきた。

「溜田さん、凄い。今回、凄いいいです。女性のナイーブなところに優しいです。愛を感じます。で、ちなみにレポートの採点はもう終わったんですか?」

・・・リ、リアリスト。

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