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ボーイング社からの発注も!ものづくりは人との出会いから

投稿日:2015/05/01更新日:2019/04/09

日本の技術力が世界を席巻する日[5]

佐藤:では、Q&Aの時間にしよう。(16:01)

会場(須田健太郎氏:株式会社フリープラス代表取締役社長):昔は青木さんの会社でも航空機部品はやっておられなかったとのことだけれども、どういった経緯でボーイングのようなグローバル企業から受注を取ることができたのだろう。

青木:運ですわ(会場笑)。まあ、できると思ってはいなかった。うちは昔、ある大手ロボットメーカーの仕事をしていた。ただ、そのメーカーから届く筈の材料がしょっちゅう遅れるので、いつも我々の仕事が徹夜になっていた。だから、いつも我々がそのメーカーの工場に材料を取りに行っていた。で、あるとき「こんなんかなわんで」と言っていたら、そこの工場長が「青木さんとこやったら飛行機できるんちゃうか?」と言う。その工場長は飛行機メーカーの課長さんで、工場に出向で来ていた。「飛行機なんかできまっかいな。うまいこと言わんと納期通り材料出しいな」と(会場笑)。でも、「ほんまだんがな」と言うので、その方に紹介されて飛行機メーカーに行った。

でも、飛行機の仕事なんて簡単に取れない。それで1年間通った。片道2時間かけて、会ってくれるのは5分だ。「こんなんかなわんで」と思いながら、でも飛行機の仕事はしたかったから通っていた。すると1年後に資材の人が、「もう1年になるな。こんなに通ったんやから、これでいっぺん見積もりを出してみろ」と、図面をくれた。ただ、それが我々のつくる図面とぜんぜん違う。横文字ばかりで読めない(会場笑)。でも、当時取引先だった、とある大手の部長さんが「昔飛行機をやっていた」と言っていたのを思い出したのでその方に見てもらうと、「これ、飛行機やないか。止めとけ。お前にはでけへん」と言う。「なんで? できるよ」「できへん。ここがこうなって、ここがこうなって…、難しいわ。お前んとこの設備に合えへんと思うで?」という話になった。1年通ってやっともらった図面なのに。ただ、仕方がないから図面をくれた資材の人に、「すんまへん。これ、あかんねん」と話したら、「なんであかんねん!」と怒られたけれど、「ここがこうなって、こうなってまんねや」と説明すると、「ええ!? お前、図面読めるやないかい!」と言う。だから得意先の部長さんに見てもらったことを正直に話した。

すると、「そうか。知ってる人がおったらええわ。知らないまま『この仕事請けます』って言うとったらお前のとこには出さへんかった。これはテストや」と言われた。「断ってくるということは図面をよう見てるということや」と。昔は、そういう気骨あるバイヤーがいた。で、「最初から機体の仕事は出されへんけど、飛行機部品をつくる治工具の仕事を出す。その図面は描けるか?」「マンガは描けます」「マンガでええ」という話になった。それで描いて持っていったら、「これでええわ」ということで仕事をくれた。そこから順番に、次の仕事、そのまた次の仕事という風になっていった。

僕はラッキーだった。ラッキーというのは人との巡り会いのことだ。もちろん、1年通ったのは飛行機の仕事がしたかったから。目の前で飛行機を見たら「かっこええ」と思うがな(会場笑)。「うわ! これはやらんとあかん」って。それで今は機体のフレームをつくっている。それで今はコンポジットと呼ばれる複合材のハニカムコアをほぼ手作業でつくっている。ロボットでもできるけれど、数が少ないので高くついてしまうから。で、それで「こんなことできるんかいな」という話になり、今はボーイングの認定工場になった。30年かかった。最初は39のときだったからもう30年。そんな風に、とにかく人との出会いから始まった。今日だって出会いだ。僕はお二人に会うて、「これはええおっさんに会うたな」と(会場笑)。すいません(笑)。「ええ社長さんに会うたな」と。皆さんも名刺交換しておくべきだ。これが出会いだから。一番大事なのはこういうことやろ? それで親近感を持って話できる。分かった? よし(会場笑)。

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会場(富永律子氏:株式会社リミックス代表取締役):お菓子の企画やパッケージ提案といった仕事をしている。ただ、下請けでやっているような中小のお菓子メーカーさんとお付き合いさせていただくと、皆さん、「こんなに儲からないなら町工場なんてもうええわ」といったことをおっしゃる。実際に廃業してしまう企業さんもいる。「海外でやったらええのに」と言っても、「輸出は考えたけど、高くなって売れない」と。ただ、それでも日本のお菓子はおいしいし技術もあるのだから、なんとかして中小企業の方々に外へ出て行くような勇気を与えることができないかと思う。もし皆さまに、「よし、海外へ行こう」と決断したきっかけがあれば、ぜひ教えていただきたい。(22:34)

村田:海外には必然的に行かざるを得なかったところがあって好きで行ったわけでもないけれど、ちなみに先ほど南部鉄瓶のお話があった。いいものをつくっても高くて売れない、と。ただ、ほかの方々に売ってもらったらいいと思う。製造業の方々が売れなくても、あるいは海外に行けなくても、日本のネットワークを使えばいい。今日はクールジャパンのお話が出なかったけれど、皆さんに売っていただいたら、ひょっとしたら南部鉄瓶だって売れるかもしれない。昨日のセッションでも、「ソフトだけでもハードだけでも売れないけど、組み合わせたら売れる」といったお話があった。まさにそれだと思う。日本のいいモノとどこか海外に強いところが組んだらいい。昔は日本の商社がいい意味でその機能を果たしていたと思う。そういうコラボによるオールジャパンのネットワークで売りにいくほうが、一社や一人で悩むよりもいいという気がする。

鈴木:私どもの海外売上高比率は現在7割以上になる。ただ、私が当社に来た1998年時点では国内売上のほうが圧倒的に多い状態だった。それで当時、当社に来る直前まで銀行員としてアメリカに勤務していた私は、アメリカにいた頃の頭で京都に入ってきて、「うーん」という感じになった。「なぜ、この技術を世界に売らないのか。なぜ国内売上が圧倒的に多い状態のままで止まっているのかな」と。そういう疑問から、海外への販売に尽力した。

で、最初はいきあたりばったりで、いろいろなところに働きかけて売っていた。でも、次第に「この技術レベルならどこにはまるのかな」といったことを少しずつ考えて、そのなかでポジショニングがだんだん見えてくるようになった。今もその努力をしている。お菓子を企画しているなら、それが求められる市場は世界のどこにあるかを研究していただく必要があると思う。提携するにしても、それをしたい人たちがいる国へいく必要がある。そんな風に、まずいきあたりばったりで行くところから、少しずつ冷静にポジショニングを考えていく。最初は縁だけれども、そこから自分の行動を少しずつ調整していく規律というか、知恵が必要になってくるのかなと思う。

会場(中村慎市郎氏:大和鋼管工業株式会社代表取締役社長):我々がつくっている建材の一部は日本の技術として差別化できているが、その技術的な継承が現場環境的に難しくなってきた。それで今はベトナムからエンジニアを連れてきて育てたりしている。だから、今後はもし国内にマザー工場を建てたとしても、若者がこの分野に入ってこないのではないかという悩みがある。若者が技術の継承にあまり意欲を見せていないような現状も感じる。そうした人材の観点で皆さまはどのようなアプローチや備えをしていらっしゃるだろうか。(28:13)

青木:これは難しい。ただ、抽象的な言い方で申し訳ないけれど、元気を出しとったら来る(会場笑)。もうこれ、威風堂々と語っていたら人は見てくれると思う。僕の場合は本当にラッキーだったというか、いろいろなところで出会った人たちに助けてもらってきた。人材に関しては、たしかに悩む。ただ、昔は冬になると隙間から雪が吹き込んでくるような貸工場で、「(手を揉んで)おお」とか言いながら、それでも「なんとかして暖房のある工場をつくったろう」という気持ちでやっていた。当時は30歳頃だったと思うけど、とにかくそういう気持ちがあれば、なにかこう、湧いてくる。人の良い部分を「真似したろか」というのも早道でいいと思う。ただ、とことん考えたり落ちたりする経験もして欲しい。そうしたら、神様仏様じゃないけれども誰かがきっと見ていて、何かいいことがあるんちゃう? そのぐらいしか僕には言えない。

会場(岩田進氏:株式会社ロックオン代表取締役社長):今日のお話を伺って、やはり日本のものづくりの力は人の力だと感じた。ただ、一方ではアメリカの企業が注力しているような3Dプリンタもあって、これは外目から見るとかなりの脅威ではないかなと感じる。そうしたテクノロジーをどのように捉えていらっしゃるだろう。

青木:むちゃおもろいね(会場笑)。「これで日本もまたイケるな。小細工がうまい日本人にはもってこいやろ」という具合に思う。そんなに負けてはいない。

村田:あれは良いツールになる。先ほどお話ししたノズルについても、うちは試行錯誤を繰り返していた。でも、3Dプリンタを使えば型が必要なくなる。思った通りに図面から出てくるというのは、開発部門にとっては非常にありがたい。

鈴木:大量生産にはスピードの面でもまだ追いつかないと思う。ただ、村田さんがおっしゃったように試作品やモックではいいと思う。「とりあえずつくってみよう」となる。それがリードタイムの短縮化につながるし、営業ツールとしてもすごくいい。従来のつくり方では2週間かかっていたものが一晩でできたりするわけで。

会場(続き):現状のものづくりを揺るがすほどのイノベーションではない?

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鈴木/村田:大量生産に使えないので。

青木:見合い写真と一緒やね(会場笑)。「どや?」と言うて、「お、ええなあ」と。で、そのあとは型をつくるなりなんなりしたらいいと思う。ええんちゃう?(会場笑)。

鈴木:3Dプリンタの生産力に見合うようなロットであれば、ピタリとはまるケースはあるかもしれない。そこはまだ探っている状態じゃないかと思う。

佐藤:時間が迫ってきた。結局、技術で世界を席巻するためには、あるいはそうした技術を守っていくためには、ものづくりの世界に人を呼び込んでいくことがやはり一番重要になるのだと感じた。そのために、リーダーが「日本のものづくりは強いんだよ」ということを発信していく必要もあるのだと思う。

村田:(青木氏に)元気が大事ですもんね。

青木:そう。みんな、今日は良かったやろ?(会場笑)

佐藤:ありがとうございました(会場拍手)。

講演者

  • 青木 豊彦

    株式会社アオキ取締役会長

    1945年大阪府生まれ。高校卒業後父が経営する青木鉄工所に入社、95年株式会社アオキ社長に就任。 中小企業が当初約8000社集まるモノづくりの町、東大阪で「メイド・イン・東大阪」の人工衛星を打ち上げようと計画をスタートさせた中心者。2002年「東大阪宇宙関連開発研究会」(東大阪商工会議所)会長、「東大阪宇宙開発協同組合」を設立、理事長に就任、“まいど1号”の打上げをめざす。 農業用機械の部品製造からロボット部品や航空機部品への進出を果たした「モノづくりにはプライドを持たなければならない」との思いは、同社を世界的航空機メーカーであるボーイング社の認定工場に押し上げた。航空宇宙産業を東大阪の地場産業にしたいというのが夢。
  • 鈴木 順也

    日本写真印刷株式会社代表取締役社長 兼 最高経営責任者

    慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)勤務、1998年に日本写真印刷株式会社入社、2007年に代表取締役社長就任。
  • 村田 大介

    村田機械株式会社 代表取締役社長

    1961年京都府生まれ。1984年一橋大学経済学部卒業。京セラ株式会社に3年間勤務後、1987年村田機械株式会社に入社。1990年スタンフォード大学経営学修士課程修了。 情報機器事業部長、ムラテック販売株式会社販売本部長、繊維機械事業部長、物流システム事業部長を経て、2003年同社代表取締役社長に就任、現在に至る。 日本繊維機械協会会長、日本物流システム機器協会副会長、ビジネス機械・情報システム産業協会監事、SEMI役員。

モデレーター

  • 佐藤 文昭

    株式会社産業創成アドバイザリー 代表取締役

    1981年に日本ビクター株式会社に入社、7年間に渡りビデオの研究開発に従事。その後1988年に証券アナリストに転じ、日本勧業角丸証券、スミスバーニー証券を経て、1998年から9年間、ドイツ証券で調査本部長兼電機全般および半導体アナリストとして業界や企業分析を担当。その間、1999年にITバブル崩壊を予想し、2000年から6年間連続で日経新聞の総合アナリスト・ランキングで1位にランクされた。2007年にメリルリンチ日本証券に移籍。副会長兼投資銀行部門マネージング・ディレクターとして電機・半導体・通信業界の業界再編やM&A関連業務に従事。著書に「日本の電機産業 再編へのシナリオ」(かんき出版)がある。

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