日本の技術力が世界を席巻する日[1]
佐藤文昭氏
佐藤文昭氏(以下、敬称略):現在の日本には、たとえば電機産業や半導体産業のように、かつて世界を席巻したけれども今は下り坂になっているような産業がある。一方で、機械や部材の産業はまさに今世界を席巻している状態だし、これから席巻していくような技術もある。本セッションでは、そうした産業の優位性をどのように守り、あるいは今後どう席巻させていくのかを考えていきたい。まずは御三方がビジネスにおいて、それぞれどういった強みをお持ちなのかというお話から伺っていこう。
青木豊彦氏
青木豊彦氏(以下、敬称略):東大阪でものづくりをしている。私は親父が始めた会社の2代目で、会社は、まあ、町工場だ。35人ほどの従業員で飛行機の仕事をしている。大阪には少ないと思うが、名古屋あたりには飛行機の会社が多い。ただ、飛行機というとハイテクのように聞こえるけれど、実際はローテクやと私は思う。まあ、今日はなんとか皆さんと仲良く話ができたらいいなと思う。はい(会場笑:拍手)。
鈴木順也氏
鈴木順也氏(以下、敬称略):私どもは印刷会社になる。印刷というと皆さんは紙の印刷物をイメージすると思うが、印刷技術を使って主に産業用資材やフィルム製品、あるいは電子部品のようなものをつくっている。およそ85年におよぶ業歴のなかでは紙の印刷もしていたし、今でも十数%はそうだ。ただ、どちらかというとそれでは食っていけないということで、技術的に異なる分野で展開する判断を1960年代にした。それで現在はグローバルに、かつ一般の方々からすると印刷というイメージのつかないような技術展開をしているところだ。事業規模は連結売上高がおよそ1200億で、社員数は3500人前後。私は会社の3代目になる(会場拍手)。
村田大介氏
村田大介氏(以下、敬称略):山田(邦雄氏:ロート製薬株式会社代表取締役会長兼CEO)さん、堀場(厚氏:株式会社堀場製作所代表取締役会長兼社長)さん、そして森(雅彦氏:DMG森精機株式会社代表取締役社長/工学博士)さんがご登壇した昨日のセッションで、おいしいところはだいたい持っていかれた(会場笑)。だから今日はどんな話をすればいいか分からないのだけれど、同セッションでも名前が出ていた村田製作所さんと私どもはまったく違う会社だ(会場笑)。京都でもよく間違えられる。無難な言い方で「村田機械製作所さんですか?」と聞かれることもあるけれど(会場笑)、うちは村田機械という社名になる。
当社は元々繊維の糸をつくる機械をつくっていた。西陣の織機で縦糸をコントロールするボックスから始まったのが80年前だ。祖父が創業した会社で、私は3代目になる。今でも売上のおよそ1/4を繊維機械が占めている。また、今はそこから派生した技術で半導体製造プロセスのオートメーション機器や自動倉庫、あるいは工作機械をつくっているという産業機械メーカーになる(会場拍手)。
佐藤:青木さんには「まいど1号」のお話も伺ってみたい。
青木:あ、そうですか?(会場笑) 会場の皆さんを見て私はちょっと場違いかなと思ったけれども、「まいど1号」という人工衛生をつくったおっさんということで呼んでいただいたと思う。まあ、あれはあれで楽しかったけれども(会場笑)。ただ、ぶっちゃけて言うと、「『まいど1号』自体の話はどっちでもよろしいねん」と。むしろ、なぜあれをつくったのかという話をしたい。
ものづくりの業界は景気の起伏が激しいし、東大阪には小さな会社が多いから景気悪化がもろに応える。それで2000年頃に、東大阪の幹部だった人が、「町が暗いんや。ちょっと明るくしてえや」と言ってきたことがきっかけで始まった。実際は、我々のような中小企業がこういう場に来たりマスコミに出たりしていたら、たいがい途中から落ち目になる。今はもう亡くなった80~90代の先輩社長には、「あんまり表にしゃしゃり出とったらあかんで? きっちり落ちるで?」と、よく言われていた(会場笑)。
ただ、当時は先輩社長方も「人工衛星をやれ」と言う。今はものづくりの世界に若者が入ってこないからだ、と。だから若者を引っかけるためにつくったようなものだ。「ものづくりでこんなんできんねんで?」と。ましてや東大阪でね。で、東大阪のような雑多な街でそれをした結果、今はおかげさまで修学旅行生がたくさん来てくれる。海外からも人が来る。その点では、「まいど1号」もうまいこと貢献したのかなと思う。とにかく、今は若者がものづくりの世界に来てくれない。だからお二人の会社は本当に立派だと思う。1200億と5000億ですよ?
村田:5000億じゃないです(笑)。2000億。
青木:え、2000億? あ、オーバーだった(笑)。で、うちは5億円。こんな売上高では口にできない。言うてもうたけど(笑)。だから、とにかく若い子に来てもらいたいのだけれど、マスコミはなんとかならないかと思う。東大阪の中小企業となると、たいていは裸電球をぶら下げたり旋盤を握ったりしているおっさんを映す(会場笑)。その横で猫がちょろちょろ動いている、と(会場笑)。そんな姿ばかり映していたら若い子は来ない。実際はクリーンルームで仕事をせんといかんような時代に変わってきているのも事実やと思う。だから場違いだとは思うが、「まいど1号」のことであちこちにしゃしゃり出て、それで今日も皆さんの顔を見てお話ができることはラッキーだ。実際の歳はおじいに差し掛かってきているけれど、自分ではラッキーボーイだと思う。
鈴木:社名に「写真印刷」とあるので、カメラマンが写真を撮ってくれて、それをプリントしてくれる会社といったイメージを世間の方々はいまだにお持ちだ。今でもたまに、「ちょっと写真撮って欲しい」というお電話がかかってくる。丁重にお断りするけれども(会場笑)。技術の根幹がそこにあるのは間違いない。ただ、現在の主力製品は、たとえば皆さんが持っていらっしゃるスマホやタブレットのタッチパネルになる。パネルの表示装置は液晶だけれど、その手前にある、触れると動作する部分が印刷物だ。目に見えない導電性の配線が印刷してある。写真印刷とどう関係するのかというと、ガラスやフィルムの表面にその透明な配線パターンを印刷技術で形成する。(09:34)
あるいは車の内装。トリムやセンターコンソールの木目または金属模様の多くは、印刷で色をつけている。本物の木材や金属の板を使う高級車もあるけれど、たいていはプラスチックだ。それを、いかに本物のように再現するかというのも印刷技術に頼っている。今はそうした産業用途が多く、その技術自体を表す言葉として、日本写真印刷という社名を略した「日写」という言葉が業界で使われたりする。その技術を使うという動詞を、「日写する」という風に言うこともたまにある。‘Nissha it.’と言えば我々の使い方でつくるということだ。そんな風に表現されるほど、他社ができないようなことがたまにある。とはいえ、そうした珍しそうな技術で儲けていると台湾企業などにキャッチアップされることが、特にこの10年は多かった。真似されて追い越されて、それをまた当社が抜き返すといったことの繰り返しのようなことを今はしている。
村田:私どもは雑多におよんでいるけれど、最も古い業歴を持つ繊維機械が今でも売上のおよそ25%を占めていて、そして一番儲かっている。ローテクだけれども良いときは20%近くの営業利益率になる。こういう話をしてもいいのは、今はほとんどのお客さんが海外にいるから。会場にはいらっしゃらない(会場笑)。
これまでは大和紡績さんや東洋紡さんといったところに紡績機械を育てていただいた。ただ、今は残念ながら多くの企業さんが紡績事業から撤退したり海外へ行かれたりして、我々の繊維機械は98%が輸出になる。国内は2%だ。ただ、機械はすべて日本でつくっている。会社全体ではおよそ65%が輸出だけれど、紡績業界は業績の山谷が激しいので、今は加賀に工場を置いている。で、主にスイスやドイツやイタリアといった欧州の競合は…、アメリカではもうなくなったけれども、欧州の競合はセカンドファクトリーとして本国とは別に、たとえば上海に工場を置いたりしている。でも、うちはお隣さんになって二重投資になるからやっぱり国内だ。技術漏洩が怖いこともあって、ずっと国内だった。従って、円高の際は大変だった。
で、競争相手はヨーロッパ各国と、そして今後は中国だ。先般は、宿敵だったドイツ企業を中国企業がぽーんと買ったということもあった。そのドイツ企業もファミリービジネスだったのだけれど、ファンドに売られたあと、そのファンドが転売をした。そのときは我々も買収も考えていた。ただ、考えていた額の20倍という値段で中国の会社が買っていった。「ソブリン・ウエルス・ファンドが付いたのでは?」という噂もある。
うちには「空気精紡」という技術がある。綿を伸ばしながらよりをかける精紡というもの自体は、基本的には古代エジプトやインダスの頃から変わっていない。で、産業革命の時代にリング精紡という方法が生まれ、生産性が劇的に向上した以降はその手法がずっと続いていた。しかし、我々は「ボルテックス・スピニング」と呼んでいる、空気の旋回流で精紡するという特許を取得した。その特許自体はもう切れているのだけれど、世界を見渡してもそれを真似してやっているのは最近出てきたスイスの1社だけだ。それでリーマン・ショックのときも、あるいは1975年の円高のときも、国内生産は一応利益が出た。しかし、今は中国が5年間の国家目標として、「空気清流紡をやる」という目標を掲げている。その研究の過程でドイツの会社をぼんと買っているようなところがあって、そういう動きが今はすごく気になっている。
ただ、私としては現在のような形で国内生産にこだわっていくためには、あるいは相当ディープな紡績という世界でやっていくためには、オーナーシップを持って同族でやるほうがプラスになることも比較的多いという気がしている。それによってリスクを取ることができる。同じ技術に長いこと突っ込めるし、円高で海外へ出て行かざるを得ないようなときも、「赤字でも踏ん張って国内に残ろう」と。そういうことが同族だからできるというか、逆に言うと、そこで「ごめん」で済むと言えば済む。特に皆さまより勇敢なわけでもなんでもなく、許していただける面があるというわけだ。
だからこそ、青木社長が先ほどおっしゃっていた通りで、マスコミの伝え方にも問題があると私も感じる。あまりにも失敗した経営者をぽかぽか叩き過ぎると、上場非上場や同族非同族に関わらず、あるいは業種に限らず、日本企業の力を弱めてしまうのではないか。アメリカのようにトップがリスクと裏腹に大変な報酬を得ていて、かつ彼らの後ろにもトップ候補がたくさん控えている状況ならいい。あるいは労働市場が流動的で、トップの経営者がどんどん生まれるならいい。しかし、日本ではなかなかそうはいかない。だから…、まあ、祇園で失敗するとかいうのはいかんけれども(笑)、経営に関しては多少リスクを踏んで失敗しても許してもらえるような側面が必要ではないか。特にこれから海外で中国企業等を相手に競争していかなければいかんような製造業では、それが大事になると思う。