関西発・世界に突き抜けるビジネスの方法論[3]
堀:以前、ユニ・チャームの高原(豪久氏:同社代表取締役社長執行役員)さんは、「まず市大会で勝ち、次に四国大会で、そして国体で勝ったあとは世界大会に行く」といったことをおっしゃっていた。企業は発展とともに世界で戦っていくようになる、と。世界へ出て行くにあたり、会社として何か変えていった、あるいは増強していった部分はあっただろうか。(29:32)
山田:世界で勝っているかどうか分からない状態なので(笑)、的確に答えることができるか分からない。ただ、堀場さんのお話を伺っていても、まず現地を主人公にして考えるということはあると思う。半分は日本からの視点も入ると思うが、一方では「このマーケットが5~10年後にどうなるか。ここで自分たちに何ができるか」といった発想をしていく。特にコンシューマプロダクトをつくる我々は、その辺が比較的うまくいったのかなと思う。我々はできるだけ早く現地工場をつくる。日本でつくったものを持っていくと、元々単価が低い我々の商品は現地でさらに割高となってしまうので。
堀:まず工場をつくるんですか?
山田:できるだけ早い段階でつくる。設備投資が比較的小規模になる小さな商品から始めるけれど、「自分たちの国でつくっている」ということになると働く人々のモチベーションも上がるので。「メイド・イン・ジャパンのほうがありがたい」という考えもあるけれども、それだと日本で売っている価格の倍以上になってしまって現地ではとんでもない高値になる。だから、現地で売れる値段とするためにローカライズする一方、現地の人たちにオーナーシップを持ってもらうということがある。
あと、うちは商品マーケティングもかなり現地流でやらせていて、各国で売っている商品を並べると相当にバラバラだ。まったく違うものもやっていたりする。やっぱり自分たちで企画・デザインしたものに関しては「売らなくちゃ」という気持ちになるので。欧米の大手さんはどちらかというと世界共通水準というか、どこへ行っても同じ品質のものが買えるという価値観でグローバル展開を進める。我々は逆だ。欧米と同じやり方では規模的に絶対勝てないからローカライズするというか、泥臭くやっていく。で、日本人はできるだけ現地に行かない。それだとコストもかかるし、ローテーションで3~5年後に帰ってきてしまうから、「3年間、なんとか無事に務めて帰って来よう」という腰掛け気分の思考パターンにどうしてもなってしまうので。だから日本人駐在の数も最小限にとどめている。そうすると、それぞれの国で現地の方々がオーナーシップを持って進めてくれる。我々の場合、それが比較的うまくいった要因かなと思う。
堀:森精機さんは海外進出にあたって何か変えていったことがあるだろうか。(34:47)
森:我々はラッキーだった。工作機械は元々フランスやドイツやアメリカで発明されたものだけれど、日本では戦後、その業界に繊維機械畑から多くの人々が入ってきている。それで為替に助けられながらも、日本で真面目につくったものが世界で少しずつ受け入れられていったという流れがある。
そこで、大事なことがひとつある。まず、我々は全世界を約800の地域に分けている。ちなみにアフリカには工作機械が入らない。意外と先進国にしか入らない。電気が必要だし、オペレーターが統計を分かっていないといけないから。また、カンバン方式できちんとワーク(工作の対象物)が届き、工作した製品を出荷できるところでないといけないからだ。それで、全世界にある工作機械のおよそ70%がいまだにG7で使われている、と。で、我々は800に分けた地域にパーツやサービスマンが間違いなく1日以内で到着できるようにしている。また、その地域から絶対に逃げない。どれほど売れない時期があっても、逆にどれほど売れている時期があっても、戦争が起きてもそこにサービスマンと営業マンがいて、絶対に逃げないことにしている。そうすると、景気はいつか必ず戻ってくるので、そこで一気に入れ食い状態となる。
去年のスペインがそうだった。皆逃げちゃって、もう、残っているのはうちと名古屋のヤマザキマザックさんだけになった。ただ、そこで景気が良くなってからどかっと注文が入ってきた。それでマーケットシェアは両社だけで50%に達した。それでまた景気は悪くなるけれど、まあ、5年おきぐらいでこういうことになる。釣りみたいなもので(会場笑)、漁場から逃げたらダメなんですね。
で、そういうことをしていて感じることがある。やっぱり、日本の緩やかな…、ダルい資本主義と言うんですかね、お金をゆっくり寝かしておけるというのはいい。たとえば我々が景気悪化を受けて研究開発も新入社員の採用も止めて、さらに新機種の発売を止めたとしても3年ぐらいは潰れない。そのあいだ、それはもう全部止めているわけだから営業利益は3倍ぐらいになる。そのあいだにばっと株価を上げてばっと逃げるわけだ。ただ、1980年代のアメリカやフランスやイギリスでそれで皆が潰れてしまった。で、我々はそこにいた優秀な人材を雇っていった。優秀な人を雇うと良いお客さんが付いてくる。それでロールスロイスやGEやゼネラルモーターズといったところでうちの機械が使われるようになった。で、そのなかで難削材加工の機器とか、変わった注文が来て、日本ではできない仕事がいろいろとできた。そうして一生懸命勉強しながら一緒につくり込んでいくうち、逃げられなくなってまた20年。現在はそれでじわじわ、延々と海外需要が来ている状況になる。
あと、変えていった部分について考えてみると、少しずつ変わってきたと思う。我々の業界は本当にゆったりしている。「新しい人も入って来たし、まあ、英語も喋らないかんなあ」と。「そろそろつくるか」ということで、ショールームもアプリケーションセンターも在庫センターもつくってきた。どちらかというと一気にではなく、じわじわ変えていった。子どもが生まれたら大学に入れるまで面倒をみるじゃないですか。それぐらいのスパンで社員教育や世界展開、あるいは技術のことを見ていく。最近の「はよせないかん、はよせないかん」というのはどうも…。今は京大つながりでベンチャーの社外取締役をやって欲しいとも言われているけれど、うちの業界はあまり急いでも無理なところがある。10年ぐらい時間をかけるのならいいんじゃないかという感じだ。
堀:DMGさんの規模は森精機の倍だと伺っている。合併における組織文化のぶつかり合いや、戦略の整合といった作業はすでにあったのだろうか。
森:私は、「勝つ」っていうのがあんまり好きじゃない(笑)。お客さんに使ってもらうんで。スポーツのように競争しているところはあるかも分からんけれど、別に企業経営は戦争じゃないから。まず、うちがいくら頑張っても全世界で100%のシェアを取るわけにはいかない。せいぜい20%。で、今は20%ぐらいだから、そのなかでいかに仲良くやっていくかという話になる。あと、企業文化のことも心配はしていたけれど、東京の不動産屋の人やマスコミの人と話をするよりドイツの田舎町にある工作機械屋と話をするほうが通じる(会場笑)。それに、ユーロが120円前後だった過去10年間の平均で見ると、平均賃金も何もかもぴったり一緒だった。あちらのCEOは私の3倍ほどもらっているけれど、それ以外は仕組みも含めてたいがい一緒。「これは、おもろいな」と。なにかこう、別の惑星に同じことをしている人がいるような感覚だ。
むしろドイツ人は契約を守ってくれる。だから向こうの株を買って任せておいても契約通りにきちんとやってくれてありがたい。日本人は適度に契約を守らないじゃないですか(会場笑)。嘘はつかないけれども。で、最近しみじみと感じるのだけれど、ドイツ人は延々と同じようにモノをつくり続ける。日本人は現場で改善・改良してくれる。だから当初はドイツ人もからくり工夫の改善・改良をして、そのうちだんだん良くなっていくと思っていたんだけれど、そうじゃない。ずっと同じものをつくるという感じだ。その辺で多少は対応の違いが必要かなと思う。ただ、8割は一緒だ。
堀:堀場製作所さんはどうだろうか。(40:56)
堀場:まず、世界戦略を成功させるのは人材だと思う。我々は1970年頃にアメリカで合弁会社をつくり、そこからスタートした。ただ、当時は当然ながらローカライズせざるを得なかった。本社に海外人材がいないから地元の人材をトップにして対応したわけだ。それで、やはりいろいろと問題が起きた。すべてが見えないので。そうしたなかで、少しずつ海外人材を育ててきた。今は本社に1400人ほどいるけれども、毎年、そのなかのおよそ15名を各国の子会社へ1年間研修に出している。これは公募に手を挙げた社員のなかから論文と面接で選ぶのだけれど、毎年30名ほど応募してくる。落ちても何年か受け続ける社員もいる。その結果として、今は本社1400名のうち15%が海外で5年以上出向経験のある社員になった。
こうなると、どの工場へ行っても英語で対応できる社員がいる状態となる。ひどい英語ですよ、たしかに。ただ、少なくとも英語で対応できる。200名ほどの本社管理職を見ても、3割が5年以上の海外経験を持っているし、なかには20~30年赴任していた人間もいる。17~18名の役員を見ても、8割が海外でのマネージャーあるいは社長経験を持っている。これをするのに30年以上かかっているし、今も15名ぐらいを1年間海外に出している。その間は当然ながら日本の仕事はしていない。現地では車もアパートも用意しなければいけないから、どれほど経費がかかるかは想像がつくと思う。でも、それをやることで、海外でも対応できるようにするわけだ。
また、森さんも少し言われたけれども、グローバル化できていない会社は海外にも結構ある。我々はドイツのカール・シェンクという、ダイムラー・ベンツの創業者であるダイムラーさんも勤めていた会社の試験機部門も買収している。で、こちらにもすごくいい技術があるのだけれど、ドイツ製で高い。買収して6~7年が経つけれど、ずっと赤字だった。我々の自動車部門で最も利益をあげている排ガス計測関連機器部門の利益を5年間、半分は食っていた。「こんな会社、よう買収するなあ」と言われたし、社員のボーナスも減るから恨まれていた。ただ、我々の自動車部門はそれまで排ガス計測関連だけだったから、電気自動車のような新しいテクノロジーが出てくると商売がなくなる。そこでカール・シェンクを買収していれば、モーターやフューエルセルといったいろいろな機器の試験機を供給できるわけだ。「さすが社長や」と、5~6年目経たないと言ってもらえないけれども(会場笑)。
で、ともかくその会社も結果的には我々がマネージした。それで売上のおよそ10%を研究開発投資に毎年回している。それで競争力が付いたのと同時に、チェコへ工場の一部を移した。チェコは東ヨーロッパの、いわゆる共産圏だった時代にいろいろと武器をつくったりしていたから工業力が非常に高い。そこへ生産の一部というか、かなりの部分をドイツのマネージで移した。すると急速に利益があがり始めた。そういうことで、とにかくケースバイケースだ。結局のところ、我々の競合は先進5カ国にしかない。韓国にもない。中国でも今は一生懸命我々の競合をつくっているけれど、まだまだ追いついてくるところまでは来ていない。
堀:お話を伺ってみて、世界展開でもあまり多くを変えずに強みやオリジナリティを維持したまま、そのうえで足りない部分を補強するという考え方だと感じた。
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