「外資系企業が福島に進出することは、ただそれだけでも意味あるメッセージになると考えた」(程)
石倉洋子氏(以下、敬称略):まずは細野さんから、東北福島の復興と日本の再創造という観点で今お考えになっていることを伺いたい。
細野豪志氏(以下、敬称略):福島県でG1サミットを開催することに大きな意味があると思う。私は大臣就任時より、とにかく福島にきちんと関わりたいという思いが強い。毎日福島のお米を食べているし、昨年は500人規模の後援会旅行の行き先も福島にしたそうする中で人間関係が育まれ、政治と住民の皆さまや地方自治体との関係も前に進んでいった。
政策面では副大臣からお話しいただけると思うが、このテーマでは与党も野党も関係ない。副大臣も福島に住んで頑張っておられるし、先ほども改めて「なんでも協力する」と申しあげた。ビジネスの世界にいらっしゃる皆さんとも協力しながら福島の復興に全力を尽くしていきたい。
石倉:続いて程さん。福島イノベーションセンターのお話も交えていただきつつ現状について伺いたい。
程近智氏(以下、敬称略):3月11日以降、私たちのもとにはアメリカ本社から日本政府が発表していないような情報も入ってきた。とりわけ原発事故関連の情報により、端的には「日本を撤退すべきか否か」という判断も迫られた。米大使であったジョン・ルースさん(当時)がいなくなったら我々も撤退を考えようといった議論を真剣にしていた。しかし4月の経営会議で、「そうではなく何か行動を起こそう」と。「ではどんなアクションが一番良いか」ということで、外資系企業が福島に物理的に進出する意味は大きいのではと考え、センター設立を決めた。
それでその年の7月26日に会津若松市に福島イノベーションセンターを設立し、社員5名を派遣した。今も累積線量計を携帯し、世界に向けて測定結果の随時公開などを続けている。外資系が福島から色々なことを発信しつつ、雇用や新産業の創出を自ら行なっていこうとしている状態だ。
石倉:福島では色々な試みがなされているが、それがなかなかまとまらないというか、地域にある本当のニーズにきちんと合わせることが出来ていない状況もあるように思う。浜田さんにはその辺についてどうお考えか。政府がつくった新しい組織のお話も交えつつお伺いしたい。
浜田昌良氏(以下、敬称略):細野幹事長から「与党も野党もない」という有難いお言葉をいただいた。放射能や賠償の問題が複雑に絡んでいるので幹事長も前職では本当に苦労をされたと思う。そういった問題にワンストップで向き合えるようにという発想から、今年の2月1日に発足させたのが復興庁・福島復興再生総局だ。もちろん組織が出来たらそれですべて解決する訳ではない。そこに魂が入るかどうかが今試されているのだと認識している。
私自身はやはり市民目線も重要なので、今年1月11日に福島市の公務員宿舎へ入った。エアコンも電球もない環境から、なんとか必要なものを揃えながら仕事にあたっている。で、市民目線というのは何かというと、恐らく市民の方々は福島市の市政だよりに加えて『福島民報』と『福島民友』の二紙を読んでいらっしゃる。私も一昨年の3月11日以降、すぐにその二紙を購読するよう言われた。東京にいる人間には届かないが、そこにきちんと目を通すことが復興・再生を目指すうえで大変重要だと思っている。そのなかで…、もちろん除染やインフラ復旧あるいは賠償が絡む問題の対応に100%の結果は無いのかもしれないが、あらゆる努力をしていくつもりだ。私は参議院議員になる前は経済産業省に23年間務めており、そこで生物化学産業課長も務めていたが、とにかくそういった分野でも福島の未来はあると思っている。
石倉:お三方にはまたのちほど色々と伺いたいが、ここで福島の若い人々が新しく取り組もうとしているイニシアティブが二つほどあるとのことで、一旦そちらにマイクを預けたい。
「G1桃の木により福島を“放射線の県”から“桃の県”に変えたい」(福島高校学生)
コラーキャピタル(英国)パートナー 水野弘道氏:今回のG1サミットではG1ユースという若者対象のプログラムも初めて併催している。そこで福島の高校生と大学生が三つのチームに分かれ、それぞれ実現したいプロジェクトのプレゼンを自主的に行ってくれた。プレゼン合戦を勝ち抜いた1チームが今からお話をするのだが、他の2チームが提案したプロジェクトも忘れ去られるにはあまりに惜しい内容だったので、私のほうからそちらも少しご報告させて欲しい。
1チームは、将来東京オリンピックに合わせて被災地で駅伝を走らせるというプロジェクトを提案してくれた。今、福島県の子どもたちはなかなか外へ出て遊んでいないため、肥満率が日本一になってしまった。それを解消するためのものだ。そしてもう1チームは、学生主催で原発の是非を語り合うフォーラムをつくる提案をしてくれた。「どうも“原発は危ない”とか、そんな意見ばかり押し付けられているような気がする」と。両側の意見を聞いたうえで将来に向けた自分たちの問題としてきちんと意見を持ちたいという素晴らしいプレゼンだった。この場で発表することこそ出来なかったが、この2チームにもどうか拍手をお願いしたい(会場拍手)。それでは勝ち残ったチームによるプレゼンをお願いします。
福島県立福島高等学校生プレゼン:私たちは皆さんにご協力を募り、「G1桃の木」を福島の地に植えたいと考えています。それによって福島県の風評被害を払拭し、“放射線の県”から“桃の県”へと変えたいと思っています。
このプランでは、地域の高校生である私たちが直接農家の方々のところへ通い、桃の木を育てます。受粉から収穫まで一連の作業を行うとともに、収穫は福島市の小学生と一緒に行うことも考えています。そのなかで私たちの思いや行動を、私たちよりもさらに若い世代へ繋げたいと思っています。高校生が高校生として活動出来るのはたった3年間ですが、その思いを中学生や小学生に伝えることで長期的に継続するサイクルにしたいと思います。桃の木は毎年春、綺麗な花を咲かせます。ぜひ皆さんの協力で福島にG1桃の木の花を咲かせてください。桃の木は1本10万円で、多いときは1本に800個の果実がなります。それを協力してくださった皆さんと福島の小学生にぜひ食べて貰いたいと思います。ご協力、よろしくお願い致します(会場拍手)。
ライフネット生命保険代表取締役副社長 岩瀬大輔氏:とりあえず目標は3本。来年はぜひG1桃の木をタンジブルなものにしたい。キャッシュをお持ちの方は小林りん(インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢設立準備財団代表理事)さんのところへお届けいただければ。また、今回の3プロジェクトはすべて(マイクロファンディングを実施している)ジャスト・ギビング・ジャパンのサイト(http://justgiving.jp/)に公開されるので、本日お持ち合わせのない方は後日ご協力いただけたらと思う。おいしい桃も食べられて、お花見に行くことも出来るということで一石三鳥の企画。ぜひご協力ください。
石倉:ではもうひとつ、財団法人KIBOWからもご紹介いただきたい。
採用と教育代表 半田真仁氏:現在、福島で地域に特化した企業支援の事業に従事しており、今回はKIBOW福島でのご縁により、やってきた。震災以降、福島が肥満日本一になっているという話もあったが、私の場合は(と自身の体を見せ)元々です(会場笑)。この「脂肪」を「希望」に変えるプロジェクトをご紹介したい(会場笑)。
広島市出身の私は小さい頃から、毎年8月6日にはたくさんの人々が世界中から広島に集まってくるのを見て、それが当たり前だと思っていた。そこでたくさんの勉強をさせて貰った。私は震災を経た日本が、世界中の人々から「日本ってすごい」と思ってくれるような日本文化のプロジェクトをご紹介したい。
震災で福島の観光が元気を無くしてしまった。観光が元気を無くしたら、饅頭など土産物の売上が落ちてしまった。饅頭の売上が落ちたら、外箱を作っていた障害者施設の人たちの仕事が無くなってしまった。そこをなんとかしたい。それで、ひまわりの種を施設の方々につくってもらい、それを県外で育ててから福島に戻して貰うプランを考え、実施している。併せて観光もしていただきお金も落として貰う「福島ひまわり里親プロジェクト」だ。
目的は、雇用対策、観光対策、そして風化対策。雇用対策としては障害者の方々の支援。観光対策としてはひまわりの種を実際に福島へ持ってきていただくというプロセス。おかげさまで今は約10万人が参加してくださっている。そうして戻ってきた約3トンの種を通じ、この3月11日に「ひまわり甲子園」というものも開催する。全国からたくさんの方がいらっしゃる予定だ。ぜひ皆さんにも参加していただき、応援をいただけたらと思っている。
最終的に我々が何を目指しているか。私が住んでいる近所に福島商業高等学校という学校があって、そこの1年生がこんなことを言っていた。「僕は震災の“おかげ”で座右の銘が変わりました。震災で避難所に入ったのだけれど、そこでたくさんの格好良い大人を見ました。その大人を見たとき、僕は座右の銘が変わりました。どんな職業を選ぶか以前の問題として、僕はまず、誰かが困ったときはその人が喜ぶ判断が出来るような大人になりたい」。福島にはそんなことを考えている子どもたちや企業さんがたくさんいる。だから、福島を訪れた人が元気になるような街にしていきたい。本日は貴重な機会をいただきありがとうございました(会場拍手)。
「これだけの不幸を越え何かをしようという若い人々が次代を作っていくのだと肌身に感じる」(細野)
石倉:震災直後、とある復興関連の会議に集まったメンバーがいわゆる“偉い人”たちばかりだったことがあり、私はそのとき、「そこに将来いない人がどうしてメンバーなのですか?」と聞いた。「これからどんな福島や東北をつくっていくか」は、やはりその地に暮らす若い人たちが考えていくべきだと思う。他者は支援こそ出来るけれども、「当事者意識を持てるか」と聞かれたら、やはり自分たちの生活もある訳でなかなか難しいと思うためだ。先ほど細野さんが「次第に人間関係が築かれていった」と仰っていたが、そこで中心になっていたのは恐らくかなり上の人たちというか、いわゆる若手リーダーぐらいまでだったと思う。今後はもう少し下の世代を巻き込むことも鍵になると思う。
細野:福島は果物がすごく美味しい地域だ。一昨年の夏頃から福島へは毎週通っているが、駅には必ず桃や林檎、あるいは葡萄が置いてあった。それで毎週買っていたのだが、ある時期は陳列されていた果物の半分ぐらいが他県産だった。福島の人はそういった苦しさを当時感じていて、今もそれはかなり残っているのだと思う。そんなことも思い出していたので、福島高校のプレゼンテーションは本当に良かったし、彼らの提案はぜひ形にしたいと思う(会場拍手)。
それと、やや少し視点が違うが、彼らの話を聞きながら、「こういう話をきちんと出来る高校生、全国にどれぐらいいるかな」と感じていた。東京や静岡にいる中高生と話をしていても、先ほどの彼らほど「社会と関わって何かを乗り越えよう」という気持ちを持つ学生に出会うことはほとんどない。
ここは言葉を選ばなければいけないが、これだけのことがあって多くの人々が不幸を経験した。だからこそそれを乗り越えて何かをしようという若い人々が、もしかしたらこの福島・東北から数多く出てくるかもしれない。企業の皆さんには、そういった人材とともにこの地でビジネスを進めて貰いたいと感じる。もちろんそこには教育行政も関わる。子どもたちがチャンスをしっかり生かせる環境をつくることが我々の仕事だと思う。
石倉:程さんは人材に関してどのようにお考えだろうか。人は苦しい状況下で思ってもみないポテンシャルを伸ばし、大きく育っていくことがあるというのはビジネスの世界でもよく言われる。
程:人材に関して言えばご縁というか、「運だったな」と思うことがある。会津若松にはコンピュータサイエンスを教える会津大学という県立の単科大学がある。その分野では大変優秀なのだが、学生の8〜9割が卒業後に県外に出てしまう状態だった。これはまたのちほどお話ししたいが、つまり福島は震災前から日本が内包する課題を象徴的に抱えている地域だった。
ただ、驚いたことに会津大学で教鞭を振るっている先生の40数%は外国人だった。ロシアや東欧、あるいはインドの方もいる。うちの社員は当初会津へ5人送っていたのだが、そのなかでひとりインド系の社員がいて、彼のお父さんはなんと会津大学の先生だった。要するに会津や福島に、世界と繋がるパイプがあった。私たちはその地域に合った産業、あるいは地域が持っている特性を生かした人材育成にフォーカスしている。だから今は流行りのデータサイエンティストを育成して、原発関連の汚染分析だけでなく世界に役立つさまざまな分析を会津でやっていくというプロジェクトに取り組みはじめている。
石倉:IT事業には基本的には立地条件が影響しないので、福島で終わらない広がりも実現出来ると思う。浜田さんにも伺いたい。一方ではITがいくら進歩しても、そこにいないと分からない面もあるとは思う。今はワンストップでやっておられる訳だが、その辺の手応えはどうだろうか。
浜田:組織をつくったらすぐワンストップの対応が出来るという訳ではないが、大事なのは政治家や省庁の方が福島への“思い”を持ち、しつこく、粘り強くやることだと思う。ひとつ例を申しあげると、会津に避難されてきた大熊の方々も、今はやはり雪が大変ということでいわき側に移動されている。それでいわき市が大変な状況になった。元々の人口が30万人で避難してきた方が2万人以上。医療・介護施設は満杯だ。今はいわき市で若い夫婦が新居を持とうとしても、一軒も見つからない。また、仮設住宅でも原発災害で賠償を貰う方と津波災害で貰っていない方がいたりする。津波で半壊した家を立て替えようと思っても立替期間中の住居さえない状態だ。
その話を先々週聞いて、すぐに対策をとった。いわき市にも雇用促進住宅はあったが、それまではいわき市外の方だけに貸すことが出来る状態で、いわき市民は借りることが出来ないという細かいルールがあった。現地でその声を聞いた私は翌日いわき市長にお会いして、三日後にはいわき市民にも利用出来るようになった。そんな風にしてひとつひとつ、気が付いたらすぐに動けるよう現地に執着して進める必要があると思う。
それともうひとつ。先ほどのプレゼンで「すごいな」と感動した点がある。「原発問題について大人たちから意見を押し付けられているかもしれない」というくだりだ。はっとさせられた。日本の社会は大人社会だ。そこで若い方々が自分の意見を押し通せるような世の中に変えていかなければいけない部分もあるのだと感じた。そういうものを福島から発信していくという意味でも、両プレゼンにとても良いイメージをいただいた。
「復興とは別に震災前に戻すことではなく、そのさらに先へ発展させること」(浜田)
石倉:震災以来、皆それぞれに「こういう問題を解決しよう」など考え、組織をつくり、色々な努力を行ってきた。ただ、それが全体の力になっていないと感じる部分はある。G1サミットの精神である行動へ移すためにも、何をどうまとめたら良いのか、あるいはまとめること自体が間違っているかを伺いたい。
細野:福島と岩手・宮城は少し分けて考えたほうが良いかなと、実は思っている。福島の場合は国に大きな責任があるからだ。ここは強く自覚しないと対応を間違えると思う。だから私としては県と協議をしながら、「福島をこの分野でしっかりと後押ししていく」という方向性を出すほうが良いと思っていた。それで前職ではいくつかの分野にわたって産業の柱を立てようと考えた。
まずはエネルギー分野。会津あたりでは地熱発電もいけるのではないかということで地元と協議をはじめている。浜通りのほうでは洋上風力発電が可能かもしれない。実際、今は実験もはじめている。エネルギー産業をこの地域でひとつのモデルに育てることが出来たら、それこそ原発事故を乗り越えた新しい産業創出という話になると思っている。もうひとつは健康分野。原発事故のあった福島だが、私は健康で長寿の地域に出来ると思う。そこで福島県立医科大学を医療拠点としてもっと大きくして、地域で世界の先端医療を育てていくという方向性を出した。そしてもうひとつが食だ。これはやや議論が分かれたものの、福島は元々農業県だし、先ほどのプレゼンを聞いてもやはり食の問題に取り組みたいと改めて感じる。この三分野を国がしっかり支え、多くのビジネスを芽吹かせていきたい。それらの事業が地域固有であればなお良いと思う。
一方で岩手と宮城でも国が同じことをやって果たして良いものが出てくるかというと、少し難しい気がする。そこはむしろ思い切って分権化を行い、そこから出てくるものを応援していく。そこで規制がボトルネックになるのであれば緩和もしていく。岩手と宮城ではそういった先進モデルをつくる過程で色々なことを乗り越えていくというのが、やり方として一番良いのではないかと思う。
石倉:浜田さんは復興全体と地域ごとの方向性とでどのように折り合いをつけるべきだとお考えだろうか。全体感だけだと各県が持つユニークさが出せないケースもあると思う。
浜田:復興とは別に震災前に戻すことではなく、そのさらに先へ発展させることだ。だから細野さんが仰っていた三本の柱を福島で徹底して追及してみるという考え方もあると思う。「福島再生なくして日本再生なし」という言い回しは与野党とも使っているが、これは単なる標語ではない。日本全体が90年代後半から停滞感を抱えていた訳で、それを打ち破るためにも「再生可能エネルギーでどこまでいけるのか」はテーマのひとつになるだろう。異説あるが、それをこの福島でやることが、日本再生に向けた最も大きな挑戦にもなると思う。
その一方で、具体的なビジョンのひとつひとつは…、日本は社会主義国ではないので、国がすべての答えまで描くのは難しいかもしれない。もちろん頑張る人には支援をする。ただ、そこで頑張るかどうかは個人や企業が決めていくような、そんなインキュベーション機能のようなものをつくっていくのが国の役割ではないか。自治的なものもある程度残る形が良いと思う。
石倉:先ほど程さんからも「福島は日本の課題を象徴的に抱えていた」というお話があった。震災復興とともに、それらの課題も乗り越えて日本の再創造を実現するためには何が鍵になるのか。そこでマルチステークホルダーコラボレーション、つまり、政府と企業、あるいはNPOが具体的にはどのように連携していけば良いとお考えだろうか。
程:我々は福島に入る際、「10年は絶対にいよう」と言っていた。私自身が10年社長でなくとも、誰か引き継いでいくという前提で入っている。ただ、当初はプロボノで入りつつも、いずれは事業化する必要があると考えていた。そこで今は二つ取り組みを行なっている。ひとつ目はベンチャースピリットの育成だ。東北の若い人々にビジネスマインドを持てって貰うための教育をはじめている。ここで言うビジネスマインドとは「サステナブルに自分たちで稼ぐことが大事だ」という視点になる。
それともうひとつ。やはり企業が福島に入ってきてくれなければいけない。これは「日本からどうやって産業を興すか」という大テーマとも繋がる。工場がどんどん海外へ出てしまっているという流れは福島でも起きている。そこで今後は地域に根ざした林業やバイオマス分野に取り組む必要があると考えた。
具体例をお示ししたい。東北全体で林業は大変重要だが、私は以前、栃木で林業を営む友人に「程さん、木は一本8000円だよ」と言われ大変驚いたことがある。林業自体が厳しい。そこで福島に林業のバイオマス発電所をつくり、新しいエネルギーミックスのひとつをつくりたいと考えた。汚染された木もたくさんあるので、それも燃やす。また、田畑にはセシウムを吸うソルガムやネピアグラスといった植物を植えて、吸収したらそれも燃やす。それでエネルギーをつくる一方、計画的な間伐で森林再生と雇用確保を両立させるサイクルだ。
これ自体は普通のサイクルだが、問題はその汚染された灰の処理。こちらについては現在、大熊町の渡辺利綱町長にも同意していただき、大熊町で灰の中間貯蔵を行いましょうという話をしている。大熊町の人たちはある程度覚悟して、自らが大変な状況であるにも関わらず我々の提案に賛成してくださっている。その辺、「何度犠牲になればよいのか」という歯痒い思いもあるが、とにかくこのビジネスモデルで地域に新しい産業をつくっていきたいと考えている。
石倉:以前、地域活性化を目指すための産業クラスターについて研究していたことがある。
その地域で世界に出せるようなユニークなものを探し、それを企業、地方自治体、NPO、あるいは大学が盛りたてていく。ただ、これは長期戦になるし、ユニークさの捉え方で意見が割れてしまうこともある。ただ、このやり方で比較的上手くいっている地域を見てみると、やはり旗を振る人がいる。ひとりではなくても良いが、色々な分野で旗を振る方々が出てくると結果も変わってくる。この点はどうだろう。福島あるいは東北に、中心となっていくような人材やグループは出てきているとお考えだろうか。
浜田:多様な分野で企業やNPOが行政の隙間を埋めるような活動をしてくださっていて、その方々は色々と経験されていると思う。面白いのはそこに国際NGOの方々も入っている点だ。彼らに何故入ってきたのか訊いてみると、「ファンディングだ」と言う。海外の篤志家から集まったお金が日本のNPOに流れていくというような形も出来はじめている。そこで大事なのは「いかにしてヒトとカネを繋げるか」ではないか。その意味で中心となるような人材は…、企業にはいるが地元ではこれからだと思う。一部では福島大学等と連携をしつつ、そういった人づくりにこれから入る、あるいはその仕組みが動きはじめたという段階だ。ただ、すぐに「人がこれだけいる」という状況ではないと思う。
「地域に根差し、長期にコミットする必要がある。プランを描いてからの“あと一歩”をどうするか」(石倉)
会場:ご縁あって飯舘村の復興計画をお手伝いしている。今感じているのは、たとえば別セッションで議論されていた「福島にグローバルコミュニティをつくる」という方向性も、現地の方に目線に合わないと「外の人間が何を勝手に言っているのか」という話になってしまう点だ。飯舘村で今一番悩んでいるのは、実は若者に比べて未来の選択肢が少ない40〜50代の方々でもある。大きなビジョンも必要だが、現実とどのように折り合わせていけば良いとお考えだろうか。
石倉:「リーダーと若手の中間あたりにいる方々が苦しんでいる」というご指摘があった。ご自身で現場に入り、そういった状況を把握していらっしゃるということが重要なポイントになっていると思う。いくら言っても「私たちはそういう気にならない」と言われてしまうこともあるだろう。そのあたり同じ問題にぶちあたり、解決意識を持つ人々がつながっていく必要があると思うが、そこにIT等が寄与する余地はあるだろうか。
程:先ほどの話に戻るが、やはり観光産業にはしっかり取り組んでいく必要があると思う。それともうひとつ。実は昨年11月に佐藤栄佐久・福島県知事が欧州を訪れた際、我々の社員もついていって色々とプレゼンを行う機会があった。そのときドイツにも行ったのだが、事前にドイツ企業120社に「福島進出に興味があるか?」と聞いたら41%が「ある」と答えてくれた。特にエネルギー関連企業が多かったのだが、要するに観光以外の産業分野でも福島に興味持っている企業はあるということだ。ドイツ企業以外も同様だろう。彼らは技術を持ってくるし、そこでまた福島発の技術が海外へ飛び出す可能性もある。今は色々な可能性が出てきているということなのかなと感じている。
石倉:そこで継続的にフォロー出来ると色々な成果に結びつくのだが、その“あと一歩”に結構な手間暇がかかる。それがいつも足りず、なかなか成果に結びついていない気もするが、細野さんはどのようにお考えだろうか。
細野:藤野さんが飯舘村に継続して関わってくれていて本当に嬉しい。やはり福島全体が元気にならなければいけない訳だが、まずは象徴的に「ここはこういうモデルで上手くいきそうだ」というものがあれば良いと思っている。その意味で言うと飯舘村には菅野典雄さんという村長がいて、世界にも力強いメッセージも発信してきている。だから飯舘村の再生は福島再生の象徴にもなるし、世界が福島あるいは日本を見る目を変えるきっかけになると思う。そのためにも継続して関わっていくことが大事になっていくのではないだろうか。
それと程さんの話だが、そんなにドイツで福島に関わりたいという企業があるんですか…。それを伺って少し光が見えた気がする。福島を見る世界の目はまだまだ厳しい面もある。しかしそうしたなかで日本企業はもちろんのこと、世界の企業にも入ってきて貰って飯舘村を…、それが何年後になるかが問題な訳だが、「あ、復興してきたな」というところにぜひ皆で持っていきたい。
石倉:ではさらに、今度はいくつかまとめて質問を受けよう。
会場:規制の問題やお金の問題等、細野さんとしては途中までやりかけたことがたくさんあると思う。それらをどのように引き継いだのか。また、細野さんには大臣でいらした当時、やろうとしていたことに自公のサポートがあったのかどうか、そして浜田さんには自公政権になったことで何が変わるのかも併せてお聞きしたい。
会場:復興に関して「東の食の会」と「 BEYOND Tomorrow」という二つの団体および事業設立に携わったが、今痛感しているのは似て非なる活動が大変多い点だ。リソースが分散している。一昨年ぐらいまではポジティブな行動があちこちで生まれているという話でそれも良かったと思うが、今後は実をつくっていかなくてはいけない。そこで政府の皆さまには、復興情報の一元管理を行なっていただきたい。株式で合併出来る株式会社と異なり、NPOの合併はまだまだ難易度も高いが、その辺もどんどん進めてリソースを集約しつつ、ぜひ連携を取っていきたい。
会場:現在は福島に住んで地元の方々と接点を持ちながら、自活を促すような応援をしている。私としては、現在の取り組みが5〜10年後にどんな姿になっているのかを誰かが分かったうえで導いていく必要があると思う。私たち自身も全体最適を常に考えつつ、そのうえで部分最適を図っていきたい。その意味ではまさに今アクセンチュアが力になってくださっていると感じるが、ぜひ皆さまにもご協力いただきたい。
会場:国連や報道機関から「放射線の危険性はほとんどない」との発表が出ているなか、1兆円以上の除染費用が毎年拠出されている。除染は短期的雇用にはなっても長期的雇用には繋がらない。補助金に関しても同様だ。一部では住民と避難してきた方々で補助金の額に差が発生し、軋轢が生まれているケースもあると伺っているし、「長期的な雇用機会や自立の意欲を奪ってしまうのでは」いう声はある。もっと中長期的に産業を振興するような、お金ではない政策があるのではと思うが、どうお考えか。
「完璧にはプランできないところもある。野党与党にこだわらず誠意と勇気を持って試行錯誤する」(浜田)
浜田:我々は野党時代、復興再生に関しては補正予算にも賛成するよう努力してきた。その意味では引き継ぎも行なっているが、復興・再生の具体像が見えてくると修正せざるを得ない箇所も出てくる。たとえば当初は5年間で19兆としていたフレームも、「これでは足りない」と判断した時点で25兆円とした。除染についても「土を剥ぎ取ってしまうと腐葉土も無くなってしまい、農業にマイナスではないか」と。それで、除染と農業を一体に出来ないか、除染を大規模化して農業の生産性を高めることが出来ないか、除染とインフラ整備と絡めることが出来ないか、etc…、現在も色々な知恵が少しずつ出てきている。そういったものを引き継いでいくという意味でも、私は…、厳しい評価をいただくかもしれないが、きちんと引き継がれていると考えている。
あと、リソースの一元管理はまったくその通りだと思う。NPOの方々は本当に多様なテーマで活動していただいている。ITを使えばその管理も出来るし、それによってファンディングも出来る筈だ。実際、海外のNPOはどんぶり勘定でファンディング出来ない。「これを支援したい」という案件が多いからだ。そういう情報もITで上手く管理出来ればファンディングにも寄与するので、ぜひお力をお借りしたいと思う。
そして全体最適をどうつくるのか。これは本当に難しい。今は色々な問題が個別に見えていたし分からないことも多かったので、どうしても部分最適になっていた。だから絶えずチェック&レビューを行ない、そこから少しずつ部分最適を離れて全体最適に近づいていくというプロセスにならざるを得ないのではないかと思う。本当に申し訳ない話だが、この辺について最初から全体像は描けないと思うし、逆に皆さまのご経験を伺いたいところでもある。
細野:復興や福島に関して言うと自公の皆さまは本当に協力してくれた。もちろん浜田さんが仰っていた通り状況は変化する。除染については私が閣僚になったとき、環境省も腰が引けていて「経産省にやって貰ったらどうですか」と言う始末だった。「そんなことを言っている場合じゃない」と言ってようやく動き出したのだが、実際の作業でも色々とおかしなことが行われたりしていて問題はあったと思う。ただ、具体的にどうやって除染するかを詳細まで決めてスタートさせるということは出来ない。ゼネコンにも「マニュアルはこれでいくからとにかくやってくれ」と言っていた。おかしなことがあればそこは改めながら、とにかくどんどん前へ進んでいくという形で進めざるを得なかったと思う。現在はある程度時間も経っているので、浜田さんが仰っていたような農業や林業とのコラボレーションも出来るようになってきている。そこは適宜変えていけば良いのではないか。民主党もそこで「我々がやったことじゃない」と言うつもりはない。前に進めていくため、全面的に協力していく。
私としては大臣を外れたし与党でもないが、政治家という立場以外でもやれることが色々あると思っている。友人のベンチャー企業経営者を20人ほど川内村に連れて行き、「ここで何かやれないか」という話をしたこともある。ただ、個人で関わることの出来る範囲は無限ではないので、私としてはとにかく「ここだ」と決めて関わり続けるなかで信頼関係をつくりつつ、ひとつひとつ形にしていくという話になるのかなと感じている。地元の方はそこで暮らし続ける訳だから、外の人間がそこで気まぐれに考え方や担当者を変えたりするのではなく、継続して関わり続ける。そういった腹の据わり方が大事になるのではないだろうか。
あと除染費用については、私に責任がある。明確に申しあげなければならないのは除染の目標が年間積算線量1mSvという点だが、この問題は環境の世界で言う「汚染者負担の原則」の上に立っている。汚染をした側が汚染物を取り除く責任があるから、もともと1mSv未満だった以上、しっかりと掃除をしましょうという原則だ。ただ、その1mSvと健康の問題がどのようにリンクするのかと聞かれたら、「それはまったく別問題です」という話になる。実際、世界ではそれこそ年間10mSv以上の土地で生活をしている人たちもたくさんいる。それでも、少なくとも色々な研究では健康被害は確認されていない。だから健康の問題とは別に除染を行なっているということになる。あとはそれをどの地域でどこまで継続するかだが、これはたとえば賠償とのバランス等についても考えながら進めていかなければならないことも事実だ。こういったことは今までも言い続けてきたが、世界に対しても発信し続けないと、それこそ現実と乖離した状況になってしまうのではないかと思う。
石倉:情報の一元管理とリソースについては程さんにも伺いたい。
程:実は私たちのほうでもボランティアの方々が互いの情報をシェア出来るようなシステムはつくっていた。会津大学でも今まさにITを利用しながら除染や観光振興、あるいは医療において「皆の力を共有していこう」ということで色々と研究を進めている。さらに言えばクラウドソーシングのようにして、日本で閉じるのではなく世界中のイニシアティブに向けて発信もしていきたい。最近は海外の同僚からも「福島の話を最近ぜんぜん聞かないけれど、こんなに早く福島の話が消えてしまうのは寂しいね」といった声が届いたりしている。そういった意味でももう一度、世界にポジティブなメッセージを発信していけるような仕組みをつくっていけたらと思う。たとえばアクセンチュアは昨年50周年を迎えていたので、会津染の風呂敷を一万枚注文して福島の宣伝をした。そういったこともぜひ皆さんとご一緒にやっていきたい。
石倉:大震災を前にして、色々な人々が善意とともに色々な行動を起こしてきた。それがばらばらになっているという部分はたしかにあったものの、これほど突発的で大きな被害が起きたとき、その最初の段階からビジョンを決めたうえですべての物事を一元的に進めるのは無理だったと思う。しかし現在では震災後3年目を迎えた。今まで何が起こっていて、今は何が必要なのかをきちんと考え、それらを一元的に管理していく時期になったのではないか。今なら「同じようなことをやっているから一緒にやりましょう」、「短期だけではなく長期のことも考えましょう」といった、全体像を見たうえでの課題もかなり見えてきたように思う。「最初からこれがあったら良かった」と今言うのは簡単だが、実際にはなかなか出来なかった。これは震災復興だけの話ではないと思う。最初からビジョンを描いてそれを一気に実行出来るような時代ではない。レビューを重ねて方向を考えながら、一番良さそうなことを試し続けていくということが求められているのではないだろうか。
G1サミットの凄いところは、繰り返しにより段階的に力をつけてきた点だと思う。その結果、今はこれだけ多くのリーダーが集まってきた。セッションはライブストリームもしているので、今度はそれがひとつのメカニズムにもなりつつあるのかなと思う。その意味でもやはりこういう場を使って実際に何をしていくのか。「貴方と貴方、そして貴方はここで少し協力出来ますよね」といったことを小さなレベルであっても続けていくことが大事なのではないかなと感じたセッションだった。最後に素晴らしいパネリストへ大きな拍手をお願いしたい(会場拍手)。