宮内義彦氏×冨山和彦氏×堀義人
堀:この第2部は「成長戦略」と「リーダーシップ」がテーマ。政界に頼るだけでなく、財界として自分らが何をすべきか、という当事者意識ある議論をしていきたい。(1:00)
冨山:まず、当然ながら経済は民間が主流。(産業再生機構を通じて)政府の仕事を中でやった者として言うなら、政界からの手は邪魔にしかならない。十中八九、失敗する。
従って根本は民間の経営体が創意工夫・切磋琢磨してやっていくことだが、そのとき日本企業の弱点となっているのが、今回テーマであるところの「リーダーシップ」。再生機構ではダイエー、カネボウなど含め200近い企業を見たが、いずれもミドルぐらいまでの下部構造・現場は非常にしっかりとしている。問題は上部構造にある。よく「日本企業には戦略がない」と言われるが、それらは概ね上層部に課題があり、そこは大概、同質的な“ムラ化”している。
奇しくも民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)が東京電力の問題について“ムラの空気のガバナンス”という表現を使ったが、そうした中で育ち、選抜される人は“超ムラビト”である。“超ムラビト”は、いわゆる良い人で社内に誰も敵がいない。これは厳しい状況下で小泉(純一郎・元首相)さんみたいなトップを選ぶとドラスティックな改革をやり、自分たちがクビを切られかねないことを恐れた人たちがそう仕向けるからだ。だから無難なアプローチ、メリハリのない戦略が取られることとなる。そんな“超ムラビト”は、最後は美しく行動する方向に走る。象徴的には自分の給料を減らし、電車で通い始める(会場笑)。本当にやらなければならないことをやっていたら(どんな恨みを買うか知れず)危なくて電車になど乗れない。電車に乗れるというのは即ち、何もしないということでしかない。
メリハリのある戦略を取れば、そこに光と影が生まれる。これは政府の例えば年金問題などでも同じ。そこできっちり決断をすれば、影の側に回った人は必死で抵抗してくる。リーダーにはそれを乗り越える責務があるのに、10年、20年と決められない経営をやって痛みから逃げてきた。その結果が色々な会社が赤字という現状につながっている。
立派なリーダーというのは往々にして悪口を言われるタイプである。恋愛において「良い人なんだけれどね」が「モテない」と同義なのと一緒。そうやって、非情な意思決定ができないというところから人を作ってきたというのが、この国の失敗。しかもこれは小学校の時点から始まっている。KY(空気が読めない)で尖っているといじめられるリスクが高い。だから、どうやってムラに溶け込むかということを20数年間、すりこまれ、その頂点に東京大学が存在し、そこから多くが役人になっていく。つまり、政治を担う多くが“超絶技巧ムラビト”で、彼らが現状維持、先送りの文化を醸成してきた。
これが転換期でなければいい。右肩上がり、改善・改良でいけた1990年ぐらいまでは彼らが適格であったが、政治・経済ともに戦略モデルの転換が求められる現況において、そうしたリーダーが多数派を占めるのは国としても企業としても致命的だ。そこを認識し、いかにして時代を越えるリーダーを作れるか、或いは現況のムラビトをいかに脱皮・変身させられるか。まずは、そこにかかっている。(02:10)
宮内:企業がまともに「成長戦略」や「リーダーシップ」を議論するためには、「まず最低限の環境整備をしてもらえないと」と思うところがある。韓国の政府が発足当時、「ビジネス・フレンドリー・ガバメント」ということを打ち出し、羨ましいなと思った記憶があるが、日本の政府が“ビジネス・アンフレンドリー”であることは、はっきりしている。政治・行政には、せめて邪魔だけはやめてほしい。
20年にわたるデフレ傾向は、リスクを取らない、経済活動に参加しない人にのみプラスに働く。数パーセントの基礎的なインフレが“元気の出るベース”であって、これを作らないことには世界に伍していけない。安倍(晋三・自民党総裁)さんが、ようやく日銀にアドレスし始めたが、私に言わせれば、よく20年も放っておいた。ここへ来て、今さら日銀が悪者になるというのも、おかしな話だ。
無論、仮にインフレを3%にしても、これは「100」を「103」と呼び変えるだけでバリュークリエイションはできていない。その中で企業が伸びていかれるような成長戦略を作るのが政府の役割だが、これまで“非成長戦略”ばかりを作ってきた。すべきことは明確で、小泉内閣がやった構造改革を続けるほかない。続ければ新産業ができ、雇用が生まれる。しかし、そうした成長戦略が各政党の話の中に出て来ないし、もっと言えば、分かってもいない。国土強靭化法という“お化け”みたいなことを言っているところすらある。
こうした環境整備がされてはじめて企業が動き出せる。でなければ、より環境の良い国外に流出するだけだろう。
環境整備がされたところで企業の手腕が万全ということでもない。日本企業のROE(株主資本利益率)の水準は欧米の約半分で、これは経営能力のなさを端的に示している。なぜそうなるかというと、日本の多くの経営者に化されたテーマが継続・存続になってしまっているからだ。低空飛行でも何でも組織を潰さず次の人にバトンタッチすることだけが目的化してしまっている。しかし、市場経済での競争である以上、本来、あるべき姿は株主にどれだけ還元し、喜んでもらえるかであるはずだ。そういう認識のない経営者がリードしてしまっているのが問題だし、もっと言えば、そういう人でも経営者になれてしまうという組織、コーポレートガバナンスの欠如に問題がある。
コーポレートガバナンスというのは即ち、株主の圧力だが、それをほとんどの経営者が切実には感じていない。そうならないのは、日本の株のほとんどを持つ機関投資家、持ち合いの株主が企業業績を駆り立てる圧力をかけないからだ。私などはPBR(株価純資産倍率)が1を割ると株価など見たくないという気持ちになる。株価に対して経営するというのは行きすぎだが、しかし、そういう視点が資本主義というものではないだろうか。
だから、企業のなりたち、経営者の作り方という枠組みから変えてない限り、日本企業は欧米の半分の水準のリターンで「まぁ、そんなもんだ」ということで進んでいくことになる。企業改革というか、そういう大仕事が必要だ。
そのうえで、ようやく「どう走るか」という話ができる。これはイノベーションに尽きるだろう。常に会社を引っくり返すかという経営、リーダーシップの話になっていくが、そこに至るまでが長すぎて、とても(「成長戦略」や「リーダーシップ」という話には)辿りつかないのではないだろうかなどと思いながら、今日はここに座っている。(09:50)
堀:ここまで課題認識を共有いただいたが、G1では「課題から提案へ」「思想から行動へ」といったことをスローガンとして掲げている。まず冨山さんから、こうした厳しい環境にあってそれでも「成長」するには、ということで意見を伺いたい。(17:50)
冨山:宮内さんが言われたようなマクロ環境が整ったと仮定し、では、成長の機会は?と探すと実はそこここに種はある。課題先進国という言葉にも示されるように、例えば医療・介護の領域。或いは原発事故に端を発し、エネルギーの領域での活路の見出し。など。ただ、こうしたところでも実は政府が“邪魔”をしている。例えば日本のメーカーはすりあわせに強いと言われており、医療機器などはその最たるもののはずなのに世界的に席巻できているのはオリンパスの内視鏡ぐらいしかない。それは諸外国では自由診療で様々な医療機器を試用しながらブラッシュアップできるのに対し、日本では保険診療で認可を得られない限り、何もできないからだ。結果として、自由診療で使いながら早期に改善された機器が保険認可され、日本市場にも入ってくる格好となる。PET(陽電子放射断層撮影装置)やMRI(磁気共鳴画像装置)がその代表例だ。今後、介護ロボットなどでも同様のことが起きてきてしまうだろう。
エネルギーも、そうだった。往時の通信と一緒で市場が垂直統合されており、電力会社が決めた規格・仕様でしかモノが作れない。日本の電力会社は地域独占のドメスティックなビジネスで、グローバルに売っていこうという発想はないので、当然、ガラパゴス仕様になる。省エネや再生エネルギーなど、せっかく課題先進国としてイノベーションが問われ、様々な技術が台頭して来ようとしているのに、ガラパゴスなイノベーションになってしまう懸念がある。つまり、「iモードはできるのに、iPhoneができない」ことに、またなる。世界を視野に入れればウン十兆円という規模が狙えるビッグビジネスの機会であるにも関わらず、自由化が遅れているばかりに、また機会損失をしようとしているのだ。
もう1つ課題認識として、宮内さんが言われたイノベーションの話を。イノベーションというのは不連続を作りだすということだが、ここで成功のカギは(1)基礎研究にしっかりと公的資金を投入すること、そして、(2)生まれた技術は若い企業に担わせるということ。
R&DのRを企業が担うケースは実は全世界的に縮小していて、先進国の多くが凄い勢いで公的資金を投入している。一方の日本は社会保障に重点を置きすぎ、最低水準に留まっている。
さらに重要なのはDの担い手で、米国でさえ創業30年を過ぎた古い会社は誰もイノベーションを起こしていないことを認識すべきだ。例えば(コンピュータ時代を拓いた)IBMではなく、マイクロソフトやインテルがパソコン時代を作り、マウスやアイコンの技術を開発したゼロックスではなく、アップルがGUIを載せたコンピュータを作った。歴史は繰り返し、インターネットではマイクロソフトではなくグーグルが、移動体通信ではインテルではなくクアルコムが勝っている。もはや栄枯盛衰は企業の宿命なのだ。
そして、グーグルもクアルコムも軍事技術を民生化し、成功している。ところが、これを日本に置き換え、経産省のコンソーシアムなどに目を向けると、残念ながら“古い”企業ばかりが参加している。大赤字を出している電機会社や、大自動車会社ではなく、昔の盛田(昭夫・ソニー創業者)さんや、昔の本田(宗一郎・ホンダ創業者)さんを、いかに主役として応援していくかということを考えなければならない。(18:20)
堀:次に宮内さんからは「リーダーシップ」についてどうあるべきかを提言いただきたい。(25:10)
宮内:リーダー論は尽きないが、1つ言えるのは自社ばかりを見るのでなく、マクロ動向を注視し、そこに自社をベストフィットさせていくのがリーダーの資格であるということだ。えてして真面目な人ほど自社に丹念な注意を払うが、自分のエネルギーの50%を自社、残りはマクロというぐらいの比率で外に目を向けなければならない。日本や世界、社会や政治がどう動いているかを猛烈に勉強し、変化に対し、自社の力にあった適応をしていくということだ。でなければ、世界から立ち遅れ、勝ち残れない。
そして重要なのは「わかる」だけではなく、「実行する」こと。日本は「わかる」人は多いが、「実行する」人が少ない。会議室での理解に留まっては何も変わらない。仕方ないからとトップにあげて、せいぜい3分の1を実行に移すのが関の山で、移した頃にはタイミングを逸している。わかる人のレポートを見て「実行する」リーダーがトップにいないといけない。ただ、先の冨山さんの話なども含め合わせ、「これでは実行できないよな」と思ってしまうところもないわけではない。(25:30)
質疑応答
会場:不連続なイノベーション・変化を生み続けるしかけは?
冨山:基本的に大きな古い会社では難しい。難しいが諦めてはダメなので、一つ、機会として挙げられるとしたら潰れそうなとき。これは企業に関わらず政治もそうで、端的には小泉政権のときがそうだった。あのときの日本は今のヨーロッパにも似た状況で、だから平時であれば恐らく大臣には選ばれない竹中(平蔵・慶應義塾大学教授)さんが選ばれるし(本人笑)、自分みたいなのに10兆円ものカネが預けられる。国鉄も同じ。
もう一つ、要因としては若い人を主役にすること。私はよく、「年配の知恵よりも若者の暴走」と言っていて、年を取ると知恵は増えるが、リスクに対する知恵も増えてしまうし、しがらみも出て来てしまう。あとは「主流よりも傍流」。主流は既得権益にまみれているから、傍流の人間をそこから切り離してトップに直接ぶらさげてやる。ただまぁ、社会全体としてはベンチャー的なアクティビティを推進することが一番重要。(30:00)
宮内:不連続性を起こせるのはトップだけ。潰れそうなとき、危機時に変われるのは当たり前であって、重要なのは、そうではない段階で“やめる勇気”を持つ企業・経営者かどうか。伝統的な部門でもやめられるか。そこに尽きる。(32:25)
会場:政権交代後、規制改革会議のようなものを再度発足させるには?
宮内:規制改革会議の歴史は実は古い。この制度をもっとも利用したのは小泉さんだが、実は作ったのは細川(護熙・元首相)さんだった。省庁はおのおの利害を抱えているので民間から提案しないと積極的には変えられないだろうということで骨組みを作られ、村山(富市)内閣のときに発足した。
これはユニークな仕組みで、民間の各部会が規制改革すべき項目を取り出してまとめるに留まらず、自ら関係省庁や業界団体と折衝し、相手を説き伏せるまでやってから答申することを求めている。そこまでして持って来られたものは閣議決定されるので、必ず動く。一方で、利害団体を動かせない限りは、止まってしまう。だから一寸刻みで動いていった。それを今日までやっていたら日本はどこまで変わっていたか、と思う。
私もこれは、もう1度やるべきと思っている。やらずして日本の再生はない。規制を改革し、新産業を創出し、そこに雇用が生まれ、活力、経済成長が顕在化する。既得権益は停滞の原因でしかない。規制改革は成長戦略の核である。(33:00)
冨山:ファクトとして一応、言及しておくと、法律的には経済諮問会議、規制改革会議も存在している。使えばいいだけの状態。(37:00)
会場:行きすぎた規制改革は弱者をつくるという言説もあるが?
会場:新しいものを応援するということは、古いものを退出させるということでもある。退出させやすくするための方策は?
宮内:「規制改革」というのは、「既得権益をやめてください。そして、皆が自由に参入できるマーケットを作ってください」ということ。ただマーケットというのは何でもやっていい場所ではないので、そこで透明性高く、健全な競争が行われるようレギュレーションを作るのが官僚の仕事。現実には、なかなかしっかりした市場ができず、典型的には大学のような例もあり、それは官僚の不作為と思うわけだが。
そのうえで、我々がやっていくのは生産であり、パイを大きくすること。経済人の仕事は市場のパイを広げることであって、それをどう配分するかは政治家の仕事である。経済人に分配権はない。だから私は政治家が「格差が問題」などと居丈高に言うのを聞くと、「何を言っているのか、それはあなたがたの仕事だろう」と思う。そこで文句のでない社会にしていくために彼らに調整権が持たされているのであって、格差論を経済人にぶつけてほしくないと思っている。(39:15)
冨山:より堅く言うなら、産業政策とか成長政策に社会政策を入れてはいけない。社会政策は厚労省。しかし日本の場合は、そこがゴチャゴチャになっている。典型例は中小企業政策で、産業の二重構造があり中小企業は弱者だからと社会政策で救済してしまっていた。農業などと同じで保証協会やなんちゃら補助金でがんじがらめにし、結果、弱体化させてきた。
産業政策というのは「強きを助け弱きをくじく」、強いところ、或いは強くなりそうなところを応援するもので、そこで負けたものを、退出したものをどうするかが社会政策の仕事であるはずだ。
後段の退出の議論も大事で、企業の新陳代謝は本質的なものであるはずなのに、こうした保護政策が健全な退出を妨げている。育成もそうだが、むしろ会社がスムーズに潰れたり、吸収合併・淘汰されたりする仕掛けを作っていかなければならない。放っておいたら、会社を潰すインセンティブというのは起業家にも株主、銀行にも働きづらい。だから保証協会で何兆円も償却したり、中小企業融資、雇用調整助成金で凄いお金を出すぐらいなら、廃業支援金を出したほうがいい。そうやって、個人を連帯債務から解放し、会社が潰れることが個人の人生が壊れることとリンクしないようにすることが、ゾンビ企業をダラダラと長らえさせず、健全な競争、健全な新陳代謝を促進することになると思う。(41:25)