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パネリスト:
郷原信郎 郷原総合法律事務所 代表弁護士
柴山昌彦 衆議院議員
三宅伸吾 株式会社日本経済新聞社 編集委員(証券部兼政治部)
モデレーター:
永沢徹 永沢総合法律事務所 弁護士
永沢徹氏(以下、敬称略):皆様、おはようございます。今日は我々業界関係者による内輪話ばかりになってもいけないと思っており、皆様にもぜひ積極的に議論へ加わっていただきながら、ご一緒に本セッションを進めていくことができればと考えています。よろしくお願い致します。
ではさっそく議論に入りましょう。壇上の御三方にはまず、ここ一連の企業不祥事をどのように捉えていらっしゃるか、それぞれ簡単に伺っていきたいと思います。トップバッターは著書『「法令遵守」が日本を滅ぼす』で、法令ルールを守ることが自己目的化することの危険性を唱えていらっしゃる郷原さん。よろしくお願い致します。
企業あるいは組織の不祥事は、環境変化への不適応(郷原)
郷原信郎氏(以下、敬称略):おはようございます。今日はよろしくお願い致します。私は最近、「企業あるいは組織の不祥事は、環境変化への不適応だ」と言い切っています。組織は社会の要請に応えていると認められているからこそ存在する。もしくはそれが、少なくともある時点ではきちんとできる組織だったから存在できていたと。しかし結果的に社会の要請に反して批判や非難を受けてしまうのは、環境変化に適用できていないからなのです。今は社会の変化が激しくなり、変化に適応できないリスクも大きくなっている。そこで適応できる組織とできない組織に違いが生まれます。どうすれば変化に適応できる組織となることができるのか。これを企業・組織として考えてもらわなければいけないと思っています。
永沢:ありがとうございます。続きまして、衆議院議員の柴山さん。自民党で姉歯問題(構造計算書偽造問題)を追及された急先鋒で、“自民党の馬淵”とも言われたとのことですが(会場笑)。もともと企業法務の弁護士で、その前はビジネスマンとしての経験もお持ちだと伺っております。そういったご経験や視点を踏まえつつ、一連の企業不祥事をどのようにご覧になっているかお話しいただければと思います。
柴山昌彦氏(以下、敬称略):皆様、おはようございます。一連の企業不祥事についてということですが、ここへきて企業が急に悪いことをしだしたわけではないと考えております。私自身、バブル時代はビジネスの世界におりましたが、当時から企業は生き残りのためにいろいろと危ないことをしてきたと思います。
しかし最近になってそれが次々と明るみに出てきたのは、郷原さんの言葉を借りれば、環境が大きく変化しているためだと思います。情報がオープンになり、外へどんどん発信されるようになった。これは、グローバル化とともに海外から入ってきた「ガバナンスを厳しく効かせていく」というカルチャーを日本が受け止めかねている状況でもあると思います。外からのカルチャーに日本がうろたえて、「あまり厳しくしなくてもよいのでは」と反応していることが一つにはあるわけです。
その一方で、これもやはりコンプライアンスですが、外国勢のさまざまな進出から自分たちを防衛するために「むしろ規制を厳しくしていこう」という動きもあります。ガバナンスについて日本がとろうとしている「そんなに厳しくしなくてもいいじゃないか」という動き、そして規制緩和にしては強化の方向の厳しい対応。この二つを対比するとなかなか面白いと思います。
永沢:ありがとうございました。続いて三宅さん。日経新聞で弁護士業界について一番詳しいと思っております。市場を司法の観点からご覧になった『乗っ取り屋と用心棒—M&Aルールをめぐる攻防』という著書でも、法曹業界について大変詳しく書いていらっしゃいました。少し前には『Googleの脳みそ—変革者たちの思考回路』という著書も出しておられます。どうして“脳みそ”なのかということで読んでみると非常に明快な論調でした。法令遵守一辺倒の日本企業は危ういと警告しておられるわけです。三宅さんにも、まずは一連の企業不祥事についてどのように考えていらっしゃるかを伺いたいと思います。
三宅伸吾氏(以下、敬称略):三宅でございます。最近、びっくりしたことを1つ。不正会計を行ったオリンパスが「第三者委員会」をつくり、元東京高等検察庁検事長が同委員会の委員長として、昨年12月上旬に報告書をまとめ公表しました。その中で、最後に「企業ぐるみの不祥事が行われたわけではない」と書かれていました。会長、社長が認識していたとされる不正会計を、「企業ぐるみではない」と言い切った。第三者委員会のメンバーを雇ったのはオリンパスだからでしょうか。
2点目。オリンパスは上場を維持しました。私はこの上場維持が東京証券取引所自主規制法人による不祥事だとは思いませんが、説明の仕方が、とても分かりにくかった。それともう一つ。不祥事の最小化を第一に掲げているかのような空気が経済界にあります。日本の不幸だと思っております。
まず企業としての使命があり、その下に法令遵守があるというグーグルの発想(三宅)
永沢:ありがとうございました。第三者委員会についてはのちほど郷原さんにもぜひ論評していただきたいと思います。続きまして、セッションのタイトルにもあります「日本からGoogleは生まれるか」という問いについて考えてみましょう。もちろんGoogle社自体は一つしかありませんし、Googleのようなシステムがたくさんあっても逆に使いづらくなります。ここで議論したいのは、Googleのような柔軟でダイナミックなビジネスが日本企業からなかなか生まれにくい点です。この問題意識を前提にして、まずは三宅さんにお話しいただきたいと思います。いかがでしょうか。
三宅:はい。二つ、大事なポイントがございます。GoogleやFacebookといった新しいネット市場とというか、一国経済を牽引するような大ベンチャー企業が生まれる条件は二つあります。一つは当然ながら起業家のマインド、そしてもう一つは、社会の空気を含めてそういった起業家のチャレンジ精神を後押しするような法運用です。最悪なのは国家が、新産業の嬰児殺しのようなことをしてしまうことだと思います。私が考えていることをもう少し詳しくお話しさせてください。
『Googleの脳みそ〜』で私がお伝えしたかったのは、彼らの価値観です。プレゼン資料には「正義の謀反=使命感」と書きました。つまりGoogle経営者の頭のなかには、法令遵守という価値観よりも上に、「どんなことを実現するために会社をつくり、引っ張っていくのか」という使命感があるのではないかと思います。発想として「社会に役立つ、やりたいこと」がまずあり、法令はそのブレーキ役であると彼らはとらえています。言われてみると当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実はこの順番を間違えている企業が日本には多いように思います。
ご存知の通り、Googleはお騒がせ企業です。いろいろなところで裁判を起こされ、物議を醸し出していますよね。しかし、会社としては伸びている。これについて、創業者は自身の好きな言葉として「許可をもらうより、謝る方が楽だ」と言い切っています。これ、私は凄い言葉だと思うんですね。「儲かるのであればなんでもやってしまえ」という意味ではありません。邪悪ではなく、社会にとってよいことだと思えば果敢に挑戦するのが正義だという確信があるのだと思います。
Googleの法務担当役員は、「うちの会社はユーザーの利便性と法的リスクを秤にかける」と言っています。秤にかけることさえしない日本企業が多いのではないでしょうか。少し誇張しているかもしれませんが、この役員の言葉は、最初に申しあげた、使命と、その下位規範としての法令遵守というその順番を端的に言い表していると思います。当然、Googleの法務担当役員は弁護士です。弁護士がこういうことを平気で言っているんですね。
自分のやりたいことについて「一般的な法解釈で言うとグレーまたは違法だ」と言う弁護士が仮にいても、「裁判官を説得して合法の判決をとれば、それはシロだったのだからルールを破ったわけではない」。Googleという会社の発想を簡単に言うと、そういうことになります。間違ってほしくありませんが、もちろんグレーゾーンではない新サービスもあります。ただ、新しいネット産業ですから、サービスが生まれる前から存在しているルールは多い。そこで多くの場合がグレーとなるわけです。
ただ、お客様が喜んでいる状況であれば、もしもそのときに紛争が起きても裁判官はなかなか違法であると言いにくくなります。当然ながら彼らは優秀な弁護士やPR会社も使います。そこで説得をすれば、グレーだと言われていたものも2〜3年後にシロとなります。そして、これはルールを破ったことにはならないと彼らは考えています。そもそも合法だったものを自分たちのサービスと法廷闘争を通じて再確認する、グレーをシロにしているということです。
一方で、日本の会社はどうでしょうか。繰り返しになりますが、「正義の最大化」と言うか、自分がやりたいことをとことん追求するよりも、まず不祥事の最小化を狙うという雰囲気が蔓延しているように思えます。コンプライアンス研修は、まるで会社の経費を使って社員の活力を削いでいるようなことにはなっていないでしょうか。研修室から出て来た社員は、皆、目線が下がっていませんか。株主のお金を使って社員の活力を削いでいるならば、経営者が背任行為をしているのと同じです。
昔、NTTグループはgooという検索エンジンの開発をGoogleと同じ時期に始めていました。しかし途中で開発のアクセルをゆるめてしまった。ひとつの理由は検索サービスでポルノ画像が出てくる可能性があったためです。これが元公社としてはよろしくないというわけです。また、著作権法上グレーだという意見があったことです。検索サービスは他人のウェブサイトを勝手にコピーし分析などしたうえでサービスを提供します。それが日本の著作権法上、無断複製だとして、グレーであるとの指摘がありました。
ただ、実はクロだという判決は出ていなかった。ですからひょっとしたら果敢に挑戦していればシロということになって…、別のベンチャー企業が挑戦していたら、日本にもGoogleが生まれていた可能性があったと思います。しかし日本の不祥事最小を標榜する企業は、グレーをシロにできる可能性があるにもかかわらず「クロだ」と言い、そうすることで挑戦しなくてもよいという話にしていくのです。
現在、グレーゾーンと言われているサービスで最も分かりやすい例として、自炊代行というサービスがあります。紙の本をPDFファイルなど電子データにするサービスです。利用者はデータをiPadなどに入れて楽しむわけです。電子化作業をすべて自分でやっているのなら誰も文句はつけられません。ただ「電子化する作業を代行業者に依頼するのなら、私的利用にならないのではないか」と一部の出版社は主張し、裁判になっています。
たとえば私がAmazonで本を注文したとき、その本が自宅ではなく自炊代行業者に直接輸送され、そこで電子化してもらう。データをダウンロードしたうえで、そのデータを自分のiPadに入れて持ち運ぶというのであれば、実は誰も損をしていないわけです。しかし、自炊代行は一般にはグレーゾーンとされています。そこで、もし、データの横流しをしていないきちんとした自炊代行業者が、たとえば債務の不存在確認を先に行ったとします。そしてそこでシロということになれば、これはグレーゾーンをシロであると確認したことになると思います。
最後に法の運用者に関する問題提起をいたします。ご存知かと思いますが、2004年に『Winny』というファイル共有ソフトの開発者が逮捕、起訴された事件がありました。東大助手の方が逮捕されたのですが、結局のところ、2011年末に最高裁で無罪になりました。ただ、無罪とはなっても技術者からすれば逮捕されたら大変なわけです。それでP2Pによるファイル共有の技術開発は日本で萎縮してしまった。一方でYouTubeがどんどん伸びてきたわけです。
ですから日本にも新しいこと、グレーゾーンに挑戦することを見守る環境が必要だと思います。新しい技術を駆使しつつ、法体系からすれば少しグレーゾーンにあるようなことをするGoogleのようなベンチャー企業が出て来たとき、為政者は暖かく見守らないといけない。新産業の嬰児殺しのようなことを日本で続けていると、今後も絶対にGoogleのような会社は出てこないと思います。
永沢:グレーゾーンをシロと見るかクロと見るかが大きな分かれ道になるということですね。角を矯めて牛を殺すことのないようにといったメッセージかと思います。それでは続いて郷原さん、お願い致します。
週5日のうち1日を好きなことを、これがブレークスルーを生む(郷原)
郷原:私は数年前からずっと「法令遵守が日本を滅ぼす」「法令遵守に蝕まれる日本」といったことを言い続けてきました。しかしいまだに「コンプライアンス」という言葉が法令遵守のイメージに直結してしまう。「コンプライアンスと企業成長」という二つの言葉を繋げても、後者の言葉は印象に残らず「またコンプライアンスか…」という気持ちになると思います。そういったイメージを少しでも変えていただくためにお話をしたいと思います。
先ほど申しました環境変化への不適応という観点で不祥事をとらえる考え方と、三宅さんがおっしゃっていた企業成長という前向きな考え方を、私は連続的にとらえなければいけないと思っています。環境変化に適応できない企業が社会から批判や非難を受ける。しかしその対極で、環境変化によりよく適応できる企業が爆発的に成長できる、そういうとらえるべきだと思うのです。
私自身は以前からコンプライアンスを「組織に向けられた社会的要請にしなやかに、そして鋭敏に反応し、目的を実現していくこと」ととらえていました。環境変化が激しい現代で、しなやかさと鋭敏さの二つが備わっている組織こそが環境変化に反応できるし、適応もできる。もちろんそれが最低限の不祥事防止につながるし、何より社会の要請によりよく応え、成長できると思います。
『「法令遵守」が日本を滅ぼす〜』の最後で、ちょっとした逸話のようなものを書きました。太古の話です。4億年あまり前の古生代カンブリア期に生物が爆発的成長を遂げ、進化した時代がありました。その原因として有力な説が、地球上に降り注ぐ光の量が以前と比べて急激に変わったこと、光の量が変化したことで、生物が眼を持つようになったことが原因だという説です。目を持たない以前の生物は水中にふわふわ浮かんでいるだけでしたが、眼を持ち、獲物を積極的に追いかけるようになります。すると今度は捕食されないように逃げるものも出てきた。その棲み分けが生物の多様性をうみ出してきたという説です。眼を持ったことが生物の爆発的進化につながったことと、組織が環境変化にセンシティブな反応を見せながらそれに適応、コラボレーションしていくことは、共通していると思っています。組織あるいは企業が成長するための「眼」という要素が、センシテビティとコラボレーションではないかと考えました。
これに関連して、Googleの仕事の仕方についても一つお話をさせてください。たしかライブドア事件で世間が騒いていた頃、Google社員の仕事の仕方を紹介していたテレビ番組がありました。私は彼らの流儀が、私自身がそれまで組織において経験してきたことと非常に似ている感じたことがあります。
たとえば組織のなかで皆がルーティンワークを与えられ、100%その仕事に集中している状態があったとします。そういった環境でトップが何か新しいこと、つまり「ルーティンワークと違ったことをやろう」と言い出した場合、新たな部署が立ちあげられ、彼らは「今までと100%違ったことをやれ」と言われます。これが従来の組織における新サービスの生み出し方だったと思います。ところが言われた部門は何をしたらいいのかゼロから考えなければならず、新しいネタを考えるだけで静止した状態になってしまう。
私は自分なりのアプローチによって、大変良い形で組織を機能させることができた経験があります。長崎地方検察庁の次席検事をしていた時代、若い検事や事務官を含めて全庁一体となって動いたことがあります。そのときの仕事の仕方は、ルーティンワークは80%、週5日であれば4日、残り1日は、組織のために好きなことをやっていい時間に充てるということです。「そこは自分で何かを見つけてこい」といった仕事のさせ方です。そうすると、その残り1日でアグレッシブな部分が出てきて、自分で創意工夫を行い、考えて仕事をすることで新しい何かを生み出すようになる。そうするとさらに自分の時間を使い、自分自身の考えを深めていくようになります。考えを広げていくことがどんどん面白くなっていくのです。
たまたまそのテレビ番組ではGoogle社の仕事のさせ方も同じような考え方だという話が紹介されていました。飛躍的かつ爆発的な成長は、20%のゆとりから生み出されたと感じています。これが新しいことをする際には見守っていく前向きな考え方という部分で私がお伝えしたかった話です。
ガバナンスという側面で不祥事にどう対応していくかという議論も大切で、昨今は第三者委員会というものについて真剣に考えなくてはいけない状況になってきたと思いますが、この件はのちほどお話ししたいと思います。
永沢:ありがとうございます。第三者委員会については九州電力の問題等も絡めてのちほどお話しいただければと思います。では最後に柴山さん。最終的には「法規制はコンプライアンス経営を達成する手段となり得るか」という問いにもなろうかと思います。姉歯問題、貸金業法の規制強化、薬事法改正の問題など、実際に関わってこられた事例も踏まえ、立法府としてどのような対応をとるべきかという観点からお話しいただけないでしょうか。
日本は少し“訴訟を起こしやすい“社会になったほうがいい(柴山)
柴山:冒頭の問題提起で申しあげた通り、環境変化への柔軟な対応を実現するためにも、さまざまな規制緩和が今求められていると思います。ちなみに郷原さんが最後に少し触れていらした不祥事に対するガバナンスの問題は、規制緩和の問題とは少し分けて考えたほうがよいのではないかと思っています。規制緩和の本質は、環境変化への対応だと思います。私はそこで、いい意味で日本でも訴訟が起こしやすくなる土壌をつくるべきだと考えておりました。
私自身、いろいろな方から企業法務に関連して、「これはやっていいですか?」といった質問をお受けします。そこで私は訴訟になったらどうなるかを頭に置いてアドバイスしています。その際、「既存の法律にこう書いてあります」、あるいは「それは解釈としてよくわからないから」と…、三宅さんのお言葉を借りればグレーゾーンだから止めといたほうがいい、ということは言いません。なぜならそもそも訴訟は、いろいろな利害関係を調整または考慮し、裁判官が妥当な結論あるいは判断を下すものだからです。
ですから、たとえば「これはちょっと法律の条文ではすぐに解釈ができないけれども、やはり会社としてはやったほうがいいのでは」というときには、やるべきだと言います。その反対に、「これは法律上OKのように見えるけれども、やはり訴訟を考えると止めておいたほうがいい」とも言います。「立法趣旨などいろいろなことを考えると公式には規制対象とならない。けれどもこれは止めておいたほうがよい」と言うわけです。そんなふうにして訴訟を念頭に置きながら、あるいは会社がどうすべきかを大局的に考えながらアドバイスしていました。
ですから制定法、つまり紙の上に書かれた法律と、あるべき規制とのあいだに存在するギャップについては常に意識しています。それはまた立法府の一員として、建築基準法や貸金業法といったさまざまな法律による規制を考えたときに悩む部分でもあります。
ただし、両者のあいだにギャップが存在することは致し方ないとも思うんですね。もちろん、法律をつくるときにはいろいろな方の意見を聞いて決めていきます。しかし当然ながら法律を制定していく段階で、社会はすでに先を走っています。であれば当然、制定法ができてからも社会でいろいろな問題が生じる過程でギャップが明るみになるわけです。
本当に必要な規制と制定法とのあいだに一定程度のギャップが出てくることは避けられないと考えています。薬事法にしても同様です。法律を定めた時点では「消費者の健康を考えて」、「業界の健全性を考えて」、あるいは「日本の安全保障も踏まえつつ外資規制を考えて」など、ヒアリングを通じていろいろ考えながら規制を設けていきました。しかしそれでも、「これはちょっと時代に合わないな」と思ったら、やはり規制緩和をしなければいけません。ですから国会議員も状況や環境の変化に鋭敏さを持って対応しなくてはいけないと自戒しております。
ただその一方で、やはり現場の方々にも、もっと訴訟をしやすくするよう進めていただく必要があると思います。訴訟の過程で、既存の法律はおかしいという判断も生まれるわけです。Googleのような先進的企業が訴訟を通して突破口を開いていくことで、法改正や規制緩和のインセンティブも出てくるのではないかと考えております。
ガバナンスの問題はもう一巡してからとのことですが、一つだけ言わせてください。恐らくアメリカでも同様の考え方だと思いますが、合理的な判断を経てチャレンジすることについて、あるいはその結果として失敗することについては、寛容であれと思います。その代わり、嘘や隠蔽には厳しくあれ、と。ガバナンスに関しては、恐らくはそれがグローバル・スタンダードな考え方ではないかと思います。こうした流れを踏まえてどのように考えていくかは、のちほど改めてお話ししたいと思います。
永沢:ありがとうございました。「訴訟をしやすくしよう」という部分では我々弁護士業界を援護していただいているような印象を受けます。ただ、我々としてもやはりグレーなケースで、「問題ないからやってください」という意見書をなかなか書けないわけですね。どうしても「こういうリスクがありますよ」という話になってしまう。リスクについて鋭敏に考える企業もやはりチャレンジしないということになりがちです。
先ほど三宅さんがおっしゃっていた「グレーをシロと見るかクロと見るか」という点に関して、我々はあくまで「こういうリスクがある」という意見しか出せないわけです。それを踏まえて企業の経営者がきちんと経営判断を行い、リスクはリスクとして織り込んで、そして進めるか否かがポイントという気がします。その点を三宅さんはどのようにお考えですか?
「要請に応える」受け身ではなく、「俺はこうやりたい」というパッション(三宅)
三宅:今のご質問にも少し関連する点を一つ申しあげると、郷原さんのプレゼン資料には「組織に向けられた社会的要請に応じる」というコンプライアンスの定義がありました。これは受け身だと私は思います。この定義では、たとえば「おたくの会社は一切不祥事を起こすな」とか、「グレーゾーンは挑戦するな」などが社会的要請であった場合、もう挑戦してはいけないことになってしまいます。郷原さんにお聞きしたいのですが、郷原さんの本を読んでいたときに大きく引っかかったことがありました。それは、「社会的要請」が何かという点に関する記述があまり見られなかったことです。「経営者は、社会的要請について法律の第一条にある目的規定を読むように」と書いてはありましたが。
永沢さんのご質問とも重なりますが、とにかく他律的にものを考えている限り、恐らく日本にGoogleは生まれないと思います。「要請に応える」というような受け身ではなく、「俺はこうやりたい」というものすごいパッションがGoogleにはあるのです。天才的な人間が実際にそれをやってしまい、上手くいったら大会社になります。ベンチャー企業が大成功する本当の要因はそれだと思います。
もちろん、人々の生命や身体に関わるような分野のグレーゾーンは、刑事事件にもなる話ですから、やるべきではないと思います。しかし、民事だけというケースがありますよね。そこでは社会の要請に応えるよりむしろ、「俺が新しい社会をつくってやる」というパッションというか、アクティブなマインドを持たないといけない。そうでなければ、日本の企業成長も絶対にないと思っています。
永沢:ありがとうございます。社会の要請に関する議論であれば、社会という言葉の定義も重要になるという気が致します。いわゆる「突破者(とっぱもの)がGoogleをつくったのだ」という、議論のベースにも関わる話だと思いますが、郷原さん、いかがでしょうか。
「社会的要請」に応えるとは、社会の考え方を敏感に感じ取り、反応していくこと(郷原)
郷原:恐らく個人あるいは組織と社会との関係性をどうとらえるかで違いが生まれていると思います。「とにかく自分でがんがんと、やりたいこと考えるのだ」というパッションの、その根底にはやはり社会というベースがあると思っています。社会との関係のなかで、最終的に誰かが喜んでくれる、あるいはその価値を認めてくれる、と考えながら挑戦するからこそ大きな成功になるのと思うのです。ですからここで言う「要請」は社会が固定的に求めているものや法令が要請しているものではありません。いろいろと社会を考えていくなかで感じ取り、センシティブに反応していくことが、社会的要請に応えることだと思います。
具体的な例で言えば、原発を巡る状況があります。原発事故の前と後とでは社会がまったく変わった。事故前は、基本的には想定の範囲内で安全性がしっかり満たされていたということで、法令も原発を動かしてよいという許可を与えていました。まさに法令遵守という考えだと思います。
しかし現在の原発を巡る状況下では、法令上の要件を備えたら原発を再稼働できるかと言ったら、それは絶対に違うと思います。原発事故が社会の原発に対する考え方を劇的に変えたからです。だから、「では社会に対して我々は何をやっていかなければならないかと、原発を動かす企業が考えなければいけません。九州電力があのような問題を起こしたのは、結局、この状況でいかにして電力会社の社会的信頼性を得るかという方向でモノを考えられなかったからだと思います。法令に反しない限り自分たちは自由にやればよい、そう認められているのが自分たちの事業だ、と思いこんだところに大きな間違いがあったのです。
これは「不祥事で社会から批判や非難を受けることを防止しよう」という面で、ある意味では後ろ向きの話ですね。ただ、先ほどから三宅さんがおっしゃっている突破者の発想というのも、社会との関係性を抜きにして考えられるわけではない。私の言っている社会の要請というのは、そういう意味ではもっと前向きに考えて、自分で感じとるものも含めるという意味です。
上場廃止を避けるために「企業ぐるみではない」と記載したと疑われている(三宅)
永沢:ありがとうございます。ではそろそろ次のトピックに移りたいと思いますが、先ほど第三者委員会の話が出てきましたのでまずは三宅さんに伺っていきましょう。最近では第三者委員会の役割、あるいは社外取締役を設置すべきか否かといった話も議論になっています。このあたりについてはどのようにお考えでしょうか。
三宅:第三者委員会は不祥事を起こした会社が「再生に向けて立派な会社になりますよ」というために作るもの。「過去にはこういう悪いことをしました。これからはこういう体制をとって二度と悪いことをしないようにしますのでご勘弁ください」と言うために、外部の人間を入れて調査をするわけです。
現にオリンパスは第三者委員会をつくって、それで見事に上場維持しました。今回の上場維持の判断それ自体は妥当だったと私は思っておりますが、先ほども少し申しあげました通り、第三者委員会というのは独立した人々がまず、過去における会社の行為を評価する組織ですから本来であれば、上場維持のための調査をしてはいけないのです。
一方で、会社を再生することと上場維持は株主のためになりますから、その点では目的が一致しているのかもしれません。ただ、株主以外にもステークホルダーはたくさんいます。オリンパスの第三者委員会の報告書は、短期間のあいだに膨大な調査をしたうえで事実関係をよくまとめていると思いました。ただ最後のところは冒頭で申しあげました通り、歴代トップが認識していた不正会計があったにもかかわらず、「企業ぐるみではない」と言い切ってしまった。なぜそのように言い切ってしまったのかというと、「企業ぐるみ」なら、上場廃止だという見方が世の中に定着していました。そこで、「企業ぐるみではない」、と書いたと疑われています。
永沢:柴山さんはいかがでしょうか。特に最近は、社外取締役の設置を義務付けるべきか否かという議論もあるようですが。
訴訟はものさしであり、ガバナンスを強化する(柴山)
柴山:マニアックな議論としないよう、まずは少し大きな議論をさせていただきたいと思います。今申しあげた通り、私は日本でも訴訟を起こしやすくするべきだと思っています。ですから社会の要請を先取りするのか、あるいは企業の論理でいくのか、そういった議論も、ひとつの物差しである訴訟において調整されていくべきだと思っています。
ここで第三者委員会や社外取締役の話も関連してきます。たとえばアメリカでは株主から何か不祥事を起こしたときに訴えられます。訴えられると、会社も「きちんと防御できるようにするためにはどうしたらよいか」を考えます。そうしたことを経てグローバル・スタンダードともいえるさまざまなガバナンスが整えられてきた。結局、グローバル・ガバナンスというのは、訴訟社会で役員が何か不祥事を起こし、株主に訴えられても、「こういうふうにすれば、勝てる」というものだと私は思っています。
さまざまな訴訟を通じて規制緩和を実現させる一方で、訴訟を通じてガバナンスも強化していくべきである。それが冒頭でも申しあげた私の考え方です。独立取締役複数化などの議論も、同じ視点で考えるべき問題だと思っています。独立取締役の複数化は、アメリカの連邦会社法のような枠組み内で定められているものではありません。類似の訴訟を通じて積み上げられてきた役員による知恵の集積と言えるようなものです。つまり、独立した取締役が複数いれば、ちょっとおかしなことがあってもそこで協議して決めることができる。取締役としてしっかりとした仕事をして、それでもやはり起きてしまった損害だから、まあ仕方がない、ということで訴訟でも勝てる。そういう話になのだと思います。
しかし日本企業は訴訟を過度に嫌がるために、経営者が保身を考えてそういうことを検討しようとしません。そのため株主に訴えられることを回避しようとして、代表訴訟を起こしにくくしたりする。当然、社外取締役も導入したらこれまで積み重ねてきた不祥事がバレると考えて設置しません。「専門家がいないからです」という言いわけをつくってはいますが。
しかしそういった考え方では、これからのグローバルな訴訟社会を乗り切っていくことはできないと思います。法律で義務付けるかどうかは、たしかに難しい部分はあると思います。しかしやはり、今後は独立の地位を持った取締役を複数選んでいくことは時代の趨勢になっていくという気がします。本当はそこからもう少しガバナンスの本質に迫る議論をしたいとも思っているのですが、まずご質問に対する答えとしては以上になります。
永沢:ありがとうございます。では続きまして郷原さん。第三者委員会や不祥事のガバナンスについてコメントをお聞かせいただけますでしょうか。
第三者委員会は、組織の変化を促せ(郷原)
郷原:柴山さんが今おっしゃっていたことに関わりますが、日本におけるガバナンス形態と第三者委員会の活用という議論は非常に関連すると思います。日本の場合はアメリカのような委員会設置会社とは違って内部昇格型のガバナンスですから、元々第三者性が低くならざるを得ません。平時はそれでいいと思いますが、不祥事が起きたときに会社独自のガバナンスだけではなかなか第三者性が確保できません。それで、外付けの第三者委員会を設置するのが最近の不祥事対応だと思います。
ではその第三者委員会をどのような方向と目的で機能させていけばいいのか。組織の不祥事を環境変化への不適応と捉えて考えみればわかると思います。環境への不適応部分、ギャップの部分が社会の要請に反してしまっているので、その部分を埋めるために組織が変わらないといけない。第三者委員会は変化を促すためにも存在すべきだと思います。きちんと事実を調査し、原因を究明し、そして、どう変えたらよいのかという提言もする。それが第三者委員会設置の目的だと思います。
もちろん問題もあります。よく言われることに、日本では不祥事が起こるたびに第三者委員会が使われますが、法的根拠が明確ではないし、経営者が勝手に人選できますし、内部での進め方もあまりはっきりとは決まっていません。そんな第三者委員会が書いた報告書の内容だけで不祥事対応を決めてしまっていいのか、ということはたしかに言えると思います。そういう意味でも今後、第三者委員会をどのようにしていくのかは議論しなければいけません。ルールもある程度定めなければいけないと思っています。
ルールについては、二つのタイプに区別すべきです。まずは純粋なプライベートセクターの企業は、基本的に「どのようにして企業価値を維持・防衛していくか」、企業経営者が自身の判断で考えていけばいいことです。不祥事で信頼を失ったときには第三者委員会を手段として使うことで企業価値を維持・防衛する。それを本当に経営者が納得できるような形でやっていくのが原則だと思います。
しかし、公益企業の場合は企業価値の維持・防衛だけではなく、社会との関係で説明責任を果たさせるという面が強くなると思います。社会との関係でいろいろな制約があり、義務付けられていることもあります。法令上の要請だけではなく第三者委員会が入ることによって、社会の側に立ち、経営者の判断とは違う部分でいろいろ言っていかなければいけない。九州電力のやらせメール問題に関しては、基本的にそのような考え方でやってきました。
このように、事業や会社の性格によっても変えていかなければいけないと思います。ですから第三者委員会のあり方に関しては、今後、いろいろな観点からルール化していく必要があると思います。
永沢:先ほど三宅さんからは「オリンパスの第三者委員会の報告そのものが不祥事でないか」というご指摘がありました。郷原さんと柴山さんはいかがでしょう。オリンパスの第三者委員会報告と上場維持という判断が正しかったかどうか、それぞれ一言いただければと思っております。
郷原:「オリンパスの問題とはこういう問題だった」というような判断を下すのは少し早計かなと思います。それほど複雑な問題だと思っているためです。わずか一カ月あまりで、事実関係を調査し、第三者委員会本来の目的に沿って原因分析を行い、さらには「どう変えていくのか」という方向性を示すといったところまで進めるのはまず不可能だったのではないかと感じています。そういう意味では、もし三宅さんがおっしゃったように、第三者委員会が「組織ぐるみではなかった」という点だけにこだわって結論を出していたのであれば、そこはもう少し留保をつけてもよかったと思います。まずは事実関係の解明を可能な限り進め、問題の指摘を行っていくべきで、組織ぐるみだったか否かという判断は留保すべきだったという気がします。
永沢:上場維持に関してはいかがですか?
郷原:私も結果的には上場維持が正しかったと思います。
永沢:柴山さんはいかがでしょうか。
柴山:私は上場維持が正しかったかどうかということと、「過去の事例に照らして均衡が取れていたかどうか」という判断は、一応は別の話であると考えています。たしかにいろいろなことを考えれば、オリンパスの上場維持という判断はやむを得なかったのかもしれません。ただ、カネボウや西武など、過去にもいろいろと上場廃止の事例はありましたよね。ではそこと比較してどれだけ褒められた話なのか、という点ではもう少し検証が必要だと思っています。第三者委員会およびその報告書については三宅さんにかなり近い考えを持っています。要するに経営者が自分で設置した第三者委員会で、本当にその経営者が嫌なことを書く担保があるのか。そのあたりはしっかりと検証すべきだと思います。
実は私は、自民党では企業ガバナンスについて議論する合同委員会の司会をやっていました。そこでもオリンパス問題や会社法改正に関する議論を週1回のペースで行っておりました。ですから件の第三者委員会報告書もよく読んでいるのですが、それなりによくできているとは思います。甲斐中(辰夫氏)元東京高検検事長…、私もその方の下でお世話になっていましたが、彼の主導でかなりいろいろなところまで踏み込んだ調査をしていると感じます。
しかし「オリンパスのここがクリティカルだ」ですとか、「公認会計士制度のここがクリティカルだ」といった領域まできちんと踏み込んでいるのかと聞かれれば、懸念はなくもないといえます。三宅さんがご指摘した通りの手心というものがやはりあるのではないかと、私も実際読んでみて感じました。その意味では第三者委員会についても、やはり厳しいチェックをしていかなければいけないと思っています。
組織がおかしな方向に向かうとき、何らかのSOSが出ている(柴山)
柴山:それとあともう1点。民間企業か公営企業かという視点もそうなのですが、ガバナンスについて議論するにあたり持つべき視点という意味で、皆様に問題提起をしたいと思っていたことがあります。皆様は、たとえばベンチャー企業の経営者であったり、大きな組織や会社の社員であったりするわけですよね。あるいは役所や政党の構成員でいらっしゃるかもしれません。そういった組織が正しい方向に進んでいけるようなガバナンスを効かせるための視点、または問題点として、どういったことをお考えになりますでしょうか。
私はその1点目として、組織には「あ、これはちょっとおかしな方向に行きかけているな」というアラームやSOSがどこかで必ず出てくると思っています。で、そのアラームを握りつぶすインセンティブが執行部や上層部にあるはずです。ですから、企業、政党、あるいは役所にかかわらず、「あ、これはちょっと…、今、組織の方向性としてまずいんじゃないかな」というアラームを、どうすれば握り潰されないで上層部に知らせることができるのか。組織を正しい方向に持っていくために反映させていけるかが、まずひとつ大きな課題になると思います。
そして2点目。これは1点目と少し絡む話です。そういった企業組織の病理とも言える部分に詳しい人は、ともすると執行部に対して弱い立場の人です。要するに弱い立場の人、つまり内部の人ほど、トップの不祥事をよく知っている。その逆に独立取締役や社外監査役といった外部の人は、トップに対して強いことを言える代わりに内部のことをよく知らない。よくわからない外部の強い人と、よく知っている内部の弱い人がいるわけです。この二つをどのように連携させていくか。彼らを上手く組み合わせることで効果的ガバナンスが生まれるのではないかというのが二つ目の課題意識です。
そして三つ目。これは「オリンパス問題をもう少しきちんと検証しなくちゃいけないんじゃないの?」という先ほどのお話とも少し絡んできます。結局のところ、オリンパス問題の背景には時価会計の導入を機に発生した含み損があった。そこでいろいろな財テクを駆使して「どうやって飛ばして処理していくか」ということを時の経営者が必要に迫られてやっていた、そういう評価ができなくもないわけです。もちろんそういうことをしてはならない。「チャレンジには寛容であれ。その代わり嘘には厳しくあれ」というのが私のポリシーですし、やはりそういうことは許されないと思います。しかし時の経営者がそういったおかしなことをしていた。
こうなると次の経営者は先輩から風船爆弾を受け継ぐわけで、自分のところでその爆弾を爆発させることは恐らくできないと思います。日本のさまざまな会社で、今、たくさんの不祥事があります。それはずっと関係者から関係者へ、闇のなかで受け継がれ、皆が墓場まで持っていく。それを破裂されることが本当に相応しいのか。我々、ガバナンスについて考える場合、この風船爆弾破裂の法理を少し頭に入れておかなければいけないと感じています。以上、恐らくこれからガバナンスの問題について本質的な議論をすると思いますので、少しだけ問題提起させていただきました。
永沢:わかりました。のちほどそういった問題提起について議論するとして、もう少し第三者委員会について話しましょう。まず第三者委員会が誰のためにあるのか。もし上場維持か廃止かを決める場だとすれば、お金は当事者である企業が出しながらも、雇うのは東証という形にすればよかったのではないかと思います。それで東証から上場廃止に相応しいかどうかの意見書を出してもらえば、非常にわかりやすかった。会社が雇った弁護士が、その会社の「上場廃止を免れたい」という意図を汲み取り、社会ではなく会社の要請に応える形で意見書を出していては、問題解決も難しくなると思います。三宅さん、この点はいかがでしょうか。
三宅:おっしゃる通りだと思います。そもそもオリンパスは、12月14日までに四半期報告書を提出できないと上場廃止となる予定でした。この期日に間に合わせるため、12月6日に第三者委員会が報告書を出している。スケジュールを見ただけでも、上場維持のために第三者委員会をつくった可能性がうかがわれます。
なぜオリンパスが上場維持になったのかという議論をある方としていたなかで、一番納得できる解説があったのを思い出しましたのでご紹介します。今、柴山先生は「過去の例と比べると整合性を見出し難いのではないか」とおっしゃっていました。外見的にはたしかにそう見えますが、実態としてはどうだったのか。
日本の資本市場はかつて株の持ち合いをしていて、大半が法人株主でした。完璧な持ち合いの状況が意味するのは、経営者イコール株主ということです。この状況で経営者が悪いことをすれば、「株主が損をするのは当然だ」「上場廃止になっても仕方がない」と受け入れられました。
しかし今は、昔に比べると持ち合い構造は崩れています。経営者と株主が分離されたということです。さらに分離された株主のなかには、「上場廃止になったら困る。損してしまう」と騒ぐ人がいて、オリンパスの件では東京証券取引所に多くの上申書が届きました。それは外国人機関投資家からなどでした。経営者と株主が分離され、上場廃止になると損をするという株主が文句を言い出す、そんな環境変化がありました。
こうした環境変化のなかで、東京証券取引所自主規制法人が上場廃止に慎重な姿勢をとるのは当然の話だと思います。その萌芽は日興コーディアル事件のときからありましたし、その延長線上で今回のオリンパスの上場維持を見ると、大変クリアカットに分析できると思います。
そもそも東京証券取引所の虚偽記載による上場廃止ルールというのは極めて曖昧です。「重大な悪影響を与えたかどうか」、それしかありません。何が重大かを判別する数字も実際のところはないわけです。このように極めて曖昧なルールのなかで環境が変わったために、昔であれば上場廃止になると皆が思っているようなものでも上場維持になった。
永沢:非常に皮肉なことに、日本国内の年金とか生保等の機関投資家は投資先企業に不祥事が起きると、投資対象不適格銘柄として自動的に売ることを余儀なくされます。それで株価が一気に下がったところをバリュー投資家というか外国のヘッジファンドが買う、という構図がオリンパスのケースでも相当あったようです。結局のところ上場廃止回避に伴うゲインが、そういったサヤ取り業者に帰属してしまう構図になっているとも感じます。企業不祥事が起きても株主が変わらないのであれば、上場廃止回避で結果的に「今までの株主が我慢して持ち続けてよかったね」ということになるのですが、そうではない構図がある。これはどうなのかなと思うのですが、郷原さんはいかがでしょうか。
郷原:オリンパスは、、本業がボロボロだったカネボウや山一證券の問題と違い、損失は本業以外で発生していた。その損失を「飛ばし」で分離して、隠してはいたものの、最終的には本業の利益で解消した。問題の本質は、企業内容の公正開示義務に違反したということです。ですから嘘はなかった。
なぜ株価が3分の1あるいは4分の1まで下がったのかというと、それは不正をしていたために会社が上場廃止も含め、莫大な損失を負うだろうと考えられたからです。それが上場廃止にならず、会社としてもそれほどのペナルティを負わないとなると、投資判断が間違っていたという話になる。今回のケースはそういう意味で非常に特殊だと思います。過去の不正会計を原因とした企業に対するペナルティの程度を客観的に予測できるようにしないと、株価が変な思惑や憶測で動いてしまうと思います。
永沢:ありがとうございました。ではこのあたりで会場からのご質問もお受けたいと思います。
いかがでしょうか。
やっぱり嘘はついちゃいかん、という文化をつくる(柴山)
会場:本日はありがとうございます。大変興味深いお話を伺えたと思っております。私はとにかく企業をもっと魅力的にして、優秀な人材やお金をどんどん集めるためにコンプライアンスやガバナンスをしっかりやらなければいけないと考えております。
一般的に「日本企業は性善説でアメリカは性悪説」ということがよく言われていると思いますが、日米両国の企業で半分ずつぐらい働いてきた私としては、外資系でも日本企業でも悪いことをする日本人はたくさんいると感じています。ですから私は日本企業をもっと魅力的にしていくために、ガバナンスやコンプライアンスに関する法制度をこれからどんどん強化すべきだと思っています。柴山さんのご意見にも大賛成で、クラスアクションなどもどんどんできるようにすべきだと思っております。また、その過程で先ほど「風船爆弾を本当に爆発させることができるのか」という議論もありましたが、どんどん爆発させるべきだと思っております。爆発させた企業にも良い人材や技術はあるわけですから、それらをまた別の企業が買収すればいい。そうすることで日本のいろいろな資源の再編成や再分配なども進み、再び成長できる魅力的な環境になると考えております。ですから御三方にもぜひそういった動きを日本で推進していただきたいと考えていたのですが、いかがでしょうか。
永沢:では柴山さん、いかがでしょうか。
柴山:本日何度か申しあげている通り、ある程度は訴訟を起こしやすくする社会にすべきだという意見がまずあります。それと風船爆弾の件ですが、やはりオリンパスが損失を完全に解消していたと言えるのかという議論は残ると思っています。もちろんそれに見合った形での株価下落ではないという点は、郷原さんのおっしゃる通りだと思います。ただやはり嘘をついて投資家を騙すことが許されない文化はつくっていかなければいけないと思うのです。将来的に帳尻が合えばいいというアプローチは、私は恐らくまずいだろうと思っております。
あのときに飛ばしをやっていたなんて、もう当たり前なんですよ。飛ばしをやって、それで時価が下がり、今度はそれをどういうふうにしてと…、当時は皆が悩んでいた。それならば一定のところで皆が膿を出してしまえばいいと思います。一つだけがぱっと破裂するから、「あ、あそこが悪かったんだ」となるわけですが、実際は皆がおかしなことをやっていました。それならば「皆が懺悔をするような環境をつくるにはどうすればよいか」ということも…、まあ鳩山元総理の腹案ではないですが、考えたりしています。いずれにせよ「やっぱり嘘はついちゃいかんだろう」という文化をつくっていく必要はあると思っています。
あとは規制緩和ですね。もちろん私も必要なルールは守っていかなければならないという立場です。しかし、今自民党の一部が言っているような合理性のない規制強化や外資排除論には到底与し得ません。その領域で少々守旧派と戦うことになるという点はぜひご理解いただきたいと思っております。
永沢:郷原さんはいかがでしょうか。
過去の不正を表に出しやすい合理的制度設計を(郷原)
郷原:爆弾を破裂させるのであれば、そのためのシステムをつくる必要があると思います。たとえば総会屋問題のような過去の違反もしくは不正の事実を自主的にかつ積極的に明らかにしたとき、完全にその制裁を免除することはできないにしても、ある程度は軽減するとか。そういったことを不正会計などについても導入すべきです。どの段階で表に出しても過去の問題がすべて重い制裁として降り掛かってくる状態では、企業も表に出せません。それらを配慮した合理的制度設計が求められているのではないでしょうか。公認会計士の間からもそういった問題意識について耳にします。
永沢:たしかに個別の案件としてはそれが合理的だと思います。しかし、運用が全体に行き渡ると難しい面もあります。有価証券報告書を信用して取引をするわけですから、そこで虚偽記載があったにもかかわらず退場を迫らければ、マーケット全体の信頼性が損なわれる恐れはないのでしょうか。その点について三宅さんはどのようにお考えですか?
三宅:そのようにおっしゃる人が多いのですが、私は関係ないと思っています。安易に上場を維持すると株主が会社をあまり監視しなくなり、市場全体の信頼が落ちるではないかという議論はよく耳にします。しかしそれは実際のところ、あまり影響してしないのではないか。「オリンパスは変なことをやった」というのは皆が知っていて、市場の信頼はすでに落ちているわけですから。
上場廃止はペナルティだととらえられていますが、結論から言うとそのペナルティ効果は実はあまりないんですね。悪いことをした、あるいは嘘をついた経営者を刑事上または民事上で厳しく処分することのほうが、ペナルティとしては一番怖いわけです。ですからそういったペナルティを上げればいいのではないかなと思います。
不正の完全撲滅よりむしろ、パフォーマンスを上げるためのガバナンスを(三宅)
三宅:もう一つ、「コーポレート・ガバナンス体制をつくる最大の目標は何か」ということをいつでも念頭に置いて議論すべきだと思います。こういったセッションではどうも話が企業不祥事の撲滅という方向にばかりにいってしまうように感じます。それではまったく駄目だと思うんですね。コーポレート・ガバナンスは企業のパフォーマンスをより高めるためにあるんです。
たとえば、社外取締役が多くいるのに、主力のテレビ事業が7期連続赤字の会社がありました。これは、社外取締役が機能していなかった事例だと思います。ですから何よりもパフォーマンスを厳しくチェックすることが、社外取締役の機能を評価するうえで最も大切な基準になるわけです。不祥事への対応も大事ですが、パフォーマンスを上げ続けるためにどうすればよいのかという視点が最初にあるべきです。付随的に、企業不祥事がないようにできる方策を考える。そういった優先順位があるはずにもかかわらず、どうも不正を100%なくすための規制はなんだろうかという議論にばかりになりがち。これでは絶対に駄目だと思います。
永沢:ありがとうございます。では皆様、他にはいかがでしょうか。
会場:今日のタイトルである「日本からGoogleが生まれるか」というところにも少し関連するお話をひとつ。GoogleやFacebookといった企業が現在生み出そうとしているコラボラティブな社会におけるガバナンスというものがどうあるべきなのかをお伺いしたいと思います。たとえば大企業でも、FacebookやTwitterにいまだ社内からアクセスできないところはすごく多いわけです。Evernoteしかりファイル共有のドロップボックスしかり、繋がり合う社会が一方では形成されているにもかかわらず、リスクを避けたいな企業経営者は繋がり合わないほうがリスク管理も簡単になると考えてしまいます。
しかし他方では、たとえば会社Aと会社Bで大変コラボラティブに仕事をするということが求められています。で、今日お集まりの皆様のなかでも特にベンチャーを経営していらっしゃる方々のなかには、そもそもそのような議論が存在していなかったりします。昨日と今日の二日間を通していろいろな方に伺ってみたのですが、ほとんど議論すら存在しておりませんでした。
日本企業が今後成長し、そして日本が成長するためにも、個人の力を最大化する努力はますます不可欠になると思います。しかしそこで…、これはやはり根源的な企業文化であるとも思うのですが、ガバナンスやコンプライアンスの考え方が大きな枷になると感じております。適度なガバナンスレベルの合意を取らないと、今後の知識資本主義と言っても非常に空疎な感じになってしまうと思います。このあたりについてご意見を伺いたいと思っております。
永沢:ありがとうございます。郷原さん、いかがでしょうか。
郷原:たしかに伝統的な日本企業の多くはいまだ社員の匿名性を大変重視されていると思います。政治献金にしても個人献金に変えていこうとは言われていますが、恐らく日本の会社員はあまり個人献金という形で名前を出そうとしないでしょう。その一方でベンチャー企業などは別の世界にいて、個人の自由度が非常に高い企業も出てきているということですから、二極化しているのだろうと思います。
大企業の社員はむしろ外の環境が厳しくなればなるほど、中が居心地がいいから、会社から目を付けられないようにと、自分の行動が突出しないようにふるまう方向になると思います。しかし、そういうことは5〜10年先には続けられなくなる。自由な議論、自由な発想が会社の創造性を高めていく。それを認めない企業は生き残っていけない、ということを、これから真剣に考えなければいけないと思っています。
通報に対する、経営者の覚悟に尽きる(永沢)
会場:やはりトップにきちんと情報が上がってきているかというのはすごく心配になります。巨大な組織ですし、私自身も四六時中いるわけではないですから。今は自分自身でも、どのような仕組みにすればきちんと情報が上がるようになるのか、少し工夫をしております。たとえば匿名で内部通報がきちんと上がり、そして情報を上げた人が不利益を被らないようにする仕組みはつくらなければいけないと思います。
私自身も風船爆弾と遭遇したことはあります。ですから私としても「私が知ったらぜんぶ止めるよ」と部内で宣言しています。知った以上、そのままにしたらオリンパスと同じことになってしまいますから。小さなことしかありませんが、そういったことにも注意しております。これはトップという立場になって初めて強く意識するようになった点ですね。とにかく組織づくりが大変重要になるというふうに考えています。
今はともかくも私と直接話ができる雰囲気の醸成に務めていて、Facebookもそのためのツールとして活用しています。それで特に若手の方が何かを言ってきてくれたら、それに対してコメントをしたりと、そのあたりから風通しを少し良くできたらと思って進めております。
永沢:ありがとうございます。実は我々もコンプライアンスに関する内部通報窓口のようなことをしていますが、それを活用する会社と活用しない会社では本当に大きく違ってきます。活用している会社はやはり感度がよい会社でもあります。そこではもちろん、「社員が本社の外でタバコを吸っていて迷惑だ」とか、コンプライアンス通報とは関係のないどうでもよい通報もあります。しかしそれでもせっかくの機会ですから、我々も「こういったコンプライアンス通報があったので玄関の廻りでは気をつけましょう」と言うわけですね。そういうことをきちんと徹底していきますと、深刻な通報もしてくれるようになります。
通報システムをきちんと活用している会社では大きな予防効果も出てくると思います。実際、数千人規模で同じぐらいの社員数である二つの会社でも、年間を通して内部通報がまったくない会社と、外部のホットラインに毎月平均3〜4件上げてくる会社では違いが出てきます。そこで通報に対する真剣度や、「風通しを良くしよう」という経営者の覚悟が見えるかどうかが大事だと私自身は考えています。やはりトップがガバナンスについてどのように考えるかは大変重要です。このあたりでお時間ですので本セッションを締めとさせていただきたいと思います。皆様、本日は誠にありがとうございました(会場拍手)。