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鈴木賢治氏×竹井智宏氏×芳賀正彦氏 「被災地に立ち上がる民間の力〜with Project KIBOW〜」

投稿日:2012/03/07更新日:2019/04/09

東北復興、我々に何ができるのかを問い直そう(佐藤)

佐藤大吾氏(以下、敬称略):さっそく始めましょう。皆様、おはようございます。大変熱のこもった午前中の前セッションを経て、本会場にはその残気と言いますか、座った瞬間に熱さを感じました。本セッションもそのテンションのまま行きたいと思います(笑)。今回のG1サミットは東北での開催となりましたが、本セッションにも東北から御三方をお迎えしました。

少し確認させていただきたいのですが、東日本大震災(以下、震災)以降、被災地である東北エリアに入ったという方は会場にどれぐらいいらっしゃいますでしょうか。震災が発生しておよそ11カ月経っておりますが(会場ほぼ全員挙手)…、大勢いらっしゃいますね。ありがとうございます。そういった状況でございます。

今日、御三方とお話しして一点気が付いたことがございます。今もついつい「震災が起きてから〜」という表現をしたのですが、パネリストの御三方とお話をしていますと「津波が起きてから」といった話し方をしていらっしゃるんですね。それが印象的でした。やはり津波が一番記憶に残っていらっしゃるんだと、改めて強く感じた次第でございます。

皆様の中でも昨年の3月、4月、そして5月あたりまでは、頻繁に東北へ足を運ばれた方が多かったと思います。ただ最近は情報がなかなか入ってこなくなってしまったりして、少し足が遠のいている方もいらっしゃるのではないでしょうか。それぞれの方がそれぞれの日常を取り戻しつつある中、やはり東京にいれば東京のことで忙しくなってしまう。これもまた現状かなと、私自身、その点で反省する部分がございます。

では現在、被災地ではどのような活動がなされているのか。中には支援を受けるばかりではなくご自身でもう一度頑張って立ち上がり、復興を進めていこうという活動がどんどん生まれているのも事実でございます。今回はそういった活動についても深く知っていただきながら、G1らしく「ところで我々に何ができるのか」と。何かご一緒にできることはないかと考えていくヒントになればいいなというのが、ゴールのイメージでございます。

では前置きはこの辺にさせていただきまして、さっそく御三方のお話に移っていきましょう。まずは鈴木さん。活動のご紹介も含めてお願いできますでしょうか。

いわき駅前に「夜明け市場」をオープン(鈴木)

鈴木賢治氏(以下、敬称略):はい。皆様こんにちは。私は福島県いわき市出身です。家業は製氷会社ですね。漁へ出る方々に卸す氷や、袋詰めの氷を作る会社の4代目になります。私自身は大学進学で東京へ上京しまして、卒業後はイベント会社を作りました。47PLANNING(ヨンナナプランニング)という会社になります。「47都道府県を盛り上げたい」、あるいは「地域から日本を元気にしていきたい」という思いで立ち上げました。

それで、私自身が福島県出身ですから「まずは福島県を盛り上げよう」と、3年前から福島のPRを行なって参りました。ではどうやって盛り上げていこうかと考えた時、食をキーワードにしようと考えるようになりました。それで『ヨンナナダイニング福島』という名前にして、キッチンカーと固定店舗で福島の食をPRするという事業をやって参りました。その最中、3月11日を迎えています。当時の状況は、キッチンカーはできている状態でしたが杉並区高井戸で予定していた店舗のほうは開店1カ月前でした。オペレーションを組んでいる状態で被災したことになります。

やはり一番大変だったのが津波です。実家はいわき市のまさに海沿いにありまして、津波で全壊しました。ですからその後は実家の立て直しに奔走しております。たとえば実家の営業機能を東京に移したりしつつ、なんとかかんとか、走って参りました。昨年7月には全壊した工場もなんとか再建して今は営業を再開している状態です。また、震災直後のアクションとしていわき市で炊き出しも致しました。弊社のキッチンカーを使ってお弁当を配布させていただきました。

ただ、当時は「炊き出しをやると言っても毎週毎月やるというのは少し難しいな」とも考えていました。真の復興には本当に長い時間が必要になるのではないかという点を、私自身も肌身に染みて感じていた次第です。ですから継続的に支援ができて、本当の復興に向けて歩んでいける方法がないものなのかと、そんなことを考えるようになりました。

私の友人たちを含めまして、今回の津波や地震で店舗が全壊、あるいは倒壊してしまった飲食店はたくさんあります。「働きたいのだけれども働けない」という環境がたくさん生まれていました。そういった方々の中には、例えば働けないから東京に出てアルバイトをするといった方もいたんですね。それはすごくもったいないなと。ですから一刻も早くその人たちが経済的に自立できるようにするためには、どうしたら良いのかと考えていきました。

いわき駅の前には昭和の風景のまま取り残されて、シャッター街のようになってしまった飲食店街がございます。45年前にできて、現在では30店舗中およそ23店舗が空きになっていた白銀小路という通りを見つけたんです。そこで、震災によってお店をなくされた方々や、震災を機に独立しようと考えた飲食店経営者の方々にお集まりいただいて『夜明け市場』なるものを設立させていただきました。

これは昨年4月12日に「第1回KIBOWいわき」へ参加させていただいた際、作ると宣言していたものです。当時はまだ構想だけの状態でしたが、その場で「いわき駅前に復興屋台村を作ります」と宣言させていただいていたんですね。そこから7カ月かかりましたが、なんとか11月4日にオープンすることができました。実店舗のほうも6月8日には杉並区高井戸でオープンしまして、屋台村、実店舗ともに各方面で取り上げていただきました。

震災によって働く場を失ってしまった方々に、この『夜明け市場』でなんとか自立の機会を得ていただけないかと。もともと35万人が暮らしているいわき市自体、合併によってできた自治体ですから大変広いんです。それで人や店舗がすごく分散してしまっている状態でもありました。ですから『夜明け市場』は、いわき市をまとめるためのハブにもしたいと思っています。その中で、例えば県外からいらしてくださった方々に、「温泉でしたらここがいいですよ」とか「海でしたらここがいいですよ」といったように、情報を発信する基地の役割も担っていきたいと思っています。

また、『夜明け市場』プロジェクトのもう1つの目的として、なんとか風評被害を小さくしていきたいという思いがあります。私の実家も製造業ですから大変な風評被害を受けました。肌身に染みて感じています。それをなんとか打破したい。そこで現在は福島の米を使った『ライスバーガープロジェクト』にも参画しております。サンプル検査ではなく1つひとつ、全数を検査したうえで世界一安全なライスバーガーとして海外へどんどん輸出していきたいと思っています。私としては現在、そういった活動をさせていただいております。ありがとうございました(会場拍手)。

佐藤:ありがとうございます。皆様ご承知の通り、G1そして堀(義人)さん(グロービス代表)が発起人となって生まれた『KIBOWプロジェクト』。これは本会場にいらっしゃる皆様を始めとして多くの方々の賛同をいただきながら立ちあがったプロジェクトです。その活動の1つとして、これまでも東北エリアで様々な集まりを通し活動を進めて参りました。パネリストの御三方はそのご縁でお会いして、お招きした方々でもあります。

そういった動きの中で生まれてきたプロジェクトの1つがこの『夜明け市場』です。昨日朝のセッションでも少しご紹介がありましたので聞かれた方は多いかと思いますが、私自身、そのメンバーの1人として非常に嬉しく思っております。本当は実店舗を、東京の高井戸で1つだけやろうと思っていたところに突然福島でもこうした動きが起こり、今は2つのことをスタートしたというわけですよね。本当にすごいと思います。どうもありがとうございました。

では後ほどもう少し詳しくお聞きするとして、続きましては竹井さん。東京で開催されたKIBOWの集まりでお目にかかりまして以来、ご無沙汰でございます。よろしくお願い致します。

「日本人の志」が復興の原動力に(竹井)

竹井智宏氏(以下、敬称略):皆様こんにちは。一般社団法人MAKOTOの竹井と申します。このような場をいただき大変光栄に思っております。そうそうたるお顔ぶれの前ではございますが、「思い」だけは絶対に伝えたいと今日は参加させていただきました。よろしくお願い致します。

私は元々大学でひたすら研究者を目指していた人間で、博士過程まで進んでおりました。当時はそれこそノーベル賞を目指したいといった思いでやっていたのですが、アメリカで9.11同時多発テロが起きた頃から価値観ががらりと変わるようなことがありました。もし自分に与えられた才能…、と言うと不遜ですが、それを地域のために、ほかの人のためにもっと使わなければいけないのではないかという思いが沸々と芽生えていきました。現在もその思いを元に東北で何ができるかを考えております。

ビジネス志向に転向してからは産学連携プロジェクトやベンチャー企業の最前線で活動をしたり、ベンチャーキャピタルとして投資側の経験をさせていただいたりしておりました。そういった中で今回の震災を迎えております。震災時は仙台市の街中におりましたから、私自身はそれほど大きな被害に遭いませんでした。ライフラインが止まったので約1カ月風呂に入れなかったとか、まあその程度で済みました。

いずれにせよ、やはり震災直後から大変な目に遭っている方々に何ができるのかということは考えておりました。例えば、ミュージックセキュリティーズさんが被災地向けにファンドをやっていらっしゃいますが、その東北側発起人となり、会社の仕事が終わった後にアフターファイブで活動していました。ただ、そうこうしているうちに震災支援の比重が私の中で大きくなっていきました。「もうこれは両立ではできないな」と思い、昨年8月1日に会社を辞めて被災地支援に本腰を入れて活動しているという状況です。

現在は何をやっているかと申しますと、被災地でたとえ困難な状況でも体を張って仕事を進めていらっしゃる起業家の方々、経営者の方を支援させていただく活動を進めております。大まかに申し上げますと、復興をリードするような企業を作っていくということですね。また、そのための仕組み作りも進めております。

少し余談になりますが、本日、どうしても皆さまへお伝えしたいと思っていたことがあります。復興で最も必要とされるのはやはりアントレプレナーシップ(起業家精神)ではないかと思います。日本ではなかなかそれが根付かないと言われているとも感じますが、日本には「日本風のアントレプレナーシップ」があるのだと今は思っています。それが何かというと、「志」ではないかと。私自身はこの「志」を「私利私欲ではなく世のため人のために体を張って生きていく心」だと定義しています。歴史を振り返ってみればそういった方々はたくさん出てきました。

少し大袈裟な話ですが、この志というのものはマハトマ・ガンディーの精神性とも大変近い部分があると考えています。お金のためではなく名誉のためでもなく、「ただただ世の中を良くしたい」との思いに突き動かされたという点で共通性があります。ご存知の通りガンディーは大変な偉業を成し遂げましたが、では、なぜこれを成し遂げることができたのか。考えてみますと、やはり人のために体を張っているうち、多くのサポートが集まってくるということがあります。

今回、私が被災地で目撃しているのもまさにそういうことだったのではないかと思います。各被災地で体を張っていらっしゃる方々がいる。その周りに様々なサポートが集まってきたことで通常では考えられないスピードで物事が動いたり、大きな流れになっていったりしたケースを随分見てきました。ですから志の力は非常に強いということを、今回、改めて感じました。

会社を辞めて被災地へ、日本人だってリスクを取っている(竹井)

そしてもう1つ発見したことがあります。それは、常時では安全志向ですとか「リスクを取らない」と言われる日本人ですが今回のような震災で危機的状況に陥ると、自ら進んでリスクを取る人が現れるということです。私は震災前から仙台で、ある勉強会を主催していました。その勉強会には50人ほどいらしたのですが、震災後、そのうち5〜6人が会社を辞めているんです。「被災地を支援しなければいけない」と考えたからです。

皆、初めのうちは会社の仕事と両輪で被災地支援をやっておられます。しかしそのうち私と同様、このままだとやりきれないと考えるようになるんですね。会社でも「何を遊んでいるんだ」と言われたりして、それで「いやいや遊んでいるわけじゃない」と。「これが今やるべきことなんだ」という決意で会社を飛び出すわけです。また、震災後に自分の生き方を考え直したというようなことで行動を起こされる方も数多くいらっしゃいました。東北だけでなく東京でも誰もが羨むような一部上場企業を辞めて東北へ向かった方はたくさんいらっしゃいました。

私としてはそんなふうにしてリスクを取る人たちが復興のキーパーソンになるのではないかと思います。歴史を見れば日本には今までも何度か大きな危機が訪れていたと思います。しかし明治維新に象徴される通り、そのときにリスクを取って動いた人たちが必ずいた。そんな人たちがいるから世の中が立ち直ってきた。安全志向だけでは立て直すことができないものもあるのではないかと思っています。

ですから私としてはそんな志を持ち、そしてリスクを取る人々を支援させていただきたいと考えています。MAKOTOでは“「志」第一主義”なんていう呼び方をしていますが、とにかく志を持つ人々を集中的に支援していきたい。その方々の周りで事業や雇用を作っていくことができればいいと考えています。もちろん志ある人が必ずしもビジネス上手というわけではありません。ただ、その方々が持つ、思い、求心力、突破力には大変なものがあります。「それならその人たちの周りでチームを作ればいいじゃないか」と。志ある人を、経営や技術を知る人々が支えていく形ですね。

この話をシリコン・バレーの方々にしましたら、「こっちでも似たような話があるよ」と教えていただきました。あちらではベンチャーを立ち上げて成功しようと思ったら3人必要になると言うんですね。3つの役割。IT産業であれば一人はコーダー。プログラムを書く人ですね。もう一人がデザイナー。残りの一人は「ハスラー」だと言っていました。ハスラーとはビジョンを示して人々を巻き込み、そこにベットして突っ込んでいくような人ですね。「ハスラーという役割が、竹井君の言う志というものと近いのではないか?」と仰っていて、「ああ、なるほどなあ」と思いました。

ですから今は被災地でも、例えば鈴木賢治さんの事業にも関わらせていただいていますが、そういったハスラーになる方々というか、志ある方々を支援していこうという方向で活動しております。現在は合計十数社に関わっています。

具体的に私たちの活動をご紹介しますと、まず被災地の方や経営者の方向けにビジネスプラン作成講座を開いています。事業プランをブラッシュアップする講座です。そして志を持った方々が集まって交流する「復興志士交流会」も開いています。当然、個別の企業支援も行なっています。また拠点づくりという形で現在はインキュベーション施設…、最近ではコワーキングスペースと言われますが、そういった場を作る話も進めています。さらにはプラットフォーム内外のネットワークを繋ぐ支援。そして、投資できるようなファンドも立ち上げ中です。まずはここまで、簡単ではございますが私からのお話になります。ありがとうございます(会場拍手)。

佐藤:ありがとうございました。被災地の新しい動きとして、まさに鈴木さんがやっていらっしゃるお店づくりのような、比較的分かりやすい事業は私たちもよく見かけます。しかし竹井さんがやっていらっしゃるような「仕組みを作りましょう」という動きはなかなか数多く生まれにくい。しかもそれをベンチャーでやっていこうというのはかなり難しいですよね。

私自身がやっておりますジャスト・ギビング・ジャパンもその仕組みづくりをしている団体なんです。復興支援や被災地支援のためのお金、あるいは寄付の仲介を仕事としています。ただ、そこで寄付してくださる企業や個人の方々は、その多くがやはり「泣いている子どもを助けたい」ですとか「困っているおじいちゃんおばあちゃんを助けたい」といった気持ちを強くお持ちです。

その一方で、竹井さんや私たちが進めている仕組みづくりの部分にはなかなか共感が集まりにくい。そういった状況もございます。ですからその辺の大変なご苦労を私としても推察させていただくわけです。しかしそういったインフラや仕組みづくりをしないと継続的な活動基盤が生まれていかない。ですから私としてもその必要性を強く感じておりまして、こちらに関してもぜひ後ほど改めて。本会場にはビジネス領域で経営者を務めていらっしゃる方々もたくさんいらしているので、そういったお話をさらにお聞かせいただきたいと思っております。では最後にもうおひと方。芳賀さん、よろしくお願い致します。

吉里吉里国「復活の薪」に込めた思いと決意(芳賀)

芳賀正彦氏(以下、敬称略):皆様こんにちは、芳賀です。三陸沿岸のほぼ中央部に位置します大槌町吉里吉里からやって参りました。吉里吉里という地名は、アイヌ語で「白い砂」という意味です。そのくらい、海岸、そしてうしろの森にもまだ自然が残っているところです。私自身は3人家族で生活しておりまして、今回の津波では幸い3人とも無事でした。感謝しています。

今日は津波の日からここまで、私たちNPO法人吉里吉里国がどんな思いで、何をやってきたか、簡単にお話ししたいと思います。津波の日から去年12月までは避難所で生活している連中だけで、任意団体の吉里吉里国「復活の薪」という名前で、活動を続けて参りました。それが去年の12月27日、やっとNPO法人吉里吉里国として認証を得ました。

津波の日、避難所に集まった男衆は、まず津波が引いて真っ先に瓦礫のなかへ飛び込んでいって、角材や木材といった廃材を避難所の運動場へ運び、焚き火をして皆で囲みました。暖をとりました。おばあちゃんたちは高台で津波が来なかった住宅を一軒一軒回りながら、お米、食料、衣類、布団など、暗くなるまで歩いて必需品の提供をお願しておりました。

津波の次の日から避難所にいた私たち男衆は、あるグループは行方不明者を捜索しながら、瓦礫を撤去しながら、避難所から一番近い国道までの直線道路を確保する作業に入りました。別のグループは、津波で瓦礫の山になった…、以前は野球をやったりサッカーをやったりしていたグラウンドに出向いてヘリポートを作る作業を進めました。また別のグループは吉里吉里の町にあった小さなガソリンスタンドに行きました。これも津波で地上部分には何も残っていませんでしたが「地下タンクに灯油、軽油、ガソリンがあるはずだ」ということで、地下タンクの蓋をこじ開け、石油を汲み上げる作業を始めました。

ヘリポートは4日後に完成して、その後すぐに自衛隊のヘリコプターが着陸しました。地下タンクの石油類も3日後には汲み上げに成功しまして、灯油を真っ先に避難所の暖房用として提供しました。自衛隊の方々は4日後ぐらいに到着したと記憶しておりますが、その時には既に吉里吉里の町では国道から避難所までの道路も確保されておりました。

そして5月15日から、津波で発生した瓦礫の中に混じっている廃材を「薪として売ろうじゃないか」、「お金にしようじゃないか」、「自立の再建の役に立てようじゃないか」ということで、『復活の薪プロジェクト』というものをスタートさせました。その後、瓦礫撤去は進んで9月一杯には吉里吉里の町から(木材住宅の)瓦礫がほぼなくなりました。当然、廃材も手に入らなくなりました。ですから9月一杯で『復活の薪プロジェクト』は終了致しました。そして10月から本格的に『復活の森プロジェクト』ということで里山に広がる手付かずの人工林に入り込み、今日にいたるまで間伐手入れを行っています。大まかな経過はこういったものになります。

津波の日から私たちが今日まで活動してきた思いをお話しさせてください。行方不明者捜索をするなかで、隣近所のおばあちゃん、飲み友だち、そんないろいろな人たちの姿を…、犠牲者を目にさせられました。「これからは津波による犠牲者の方々に恥ずかしくないような生き方をやっていくべし」。私たちスタッフは皆、心にそう決めました。

三陸沿岸、吉里吉里大槌は海の町です。犠牲になった人たちが一番喜んでくれるのは、津波が来る前の、吉里吉里三陸の海よりももっともっと昔の…、イルカ、オットセイ、アザラシ、トド、そしてクジラたちがすぐ近海まで押し寄せてきたような豊かな海を取り戻すことだと思いました。そのために私たちは30〜40年、手も加えられなかった真っ暗な、下草も生えていない人工林に入って間伐手入れをしようということで、今現在もその活動を進めております。

間伐して混んだ木を間引くことによって太陽の光を林内の地表に与えたいと思っています。そこから40〜50年、子ども、孫の代までその状態を継続させれば必ず昔の豊かな海が復活する。取り戻せる。私たちはそう信じて、やっています。以上です(会場拍手)。

復興は局地局地の積み重ね、1人の英雄では成らず(佐藤)

佐藤:ありがとうございます。御三方から活動をご紹介いただきました。ちなみに私自身は大阪の人間ですので1995年の阪神・淡路大震災を経験しておりますが、個人的になんとなく感じていたことがあります。それは、被災地の中から一人の英雄あるいは強いリーダーが現れて「よし、神戸の街はこういうふうに復興していくぞ」と、びしびしと仕切りまくって整然と復興がなされたというのではないということです。復興は局地局地の積み重ねだったという印象でした。

「長田のエリアではあの人が頑張ってたよね」とか「灘のエリアではこの人が頑張ってたよね」といったように、その場所その場所でいろいろな方が現れてきた。1人の強いリーダーが登場するのを待っている暇はありませんでしたから。むしろそれぞれが勝手にと言いますか、自発的に活動をしていた。その積み重ねでじわじわゴトゴトと着実に復興して現在の神戸という街に戻ってきた印象が、どうもあるんですね。

東北も同様なのではないでしょうか。特に津波によって多くのものが失われてしまった状況で、では誰が復興計画を立て、誰がびしびし仕切っていくのか。それが果たして政府になるのか。「いつまで経っても始まらないじゃないか」といったような議論もよく交わされておりますが、おそらく誰かが英雄のように登場して、ぐいぐいと復興まで導いてくれるということは起きないと思います。皆様、それぞれにご苦労あります。政治は政治で言い分があるでしょう。行政は行政で言い分があるでしょう。しかし御三方のように、既に動き始めていらっしゃる方々もいるのです。

御三方に共通しているのはビジネスという形を通じている点ですね。お気付きかとは思いますが法人格はそれぞれ、社団法人、NPO法人、そして株式会社と、3団体で異なります。つまり、おそらくは株式会社だからどうとかNPOだからどうというのは、あまり関係ないんですね。

本会場にお集まりの方々であれば釈迦に説法かと思いますが、まずはやりたいことがあり、そして事業があるわけです。それらを有利に進めていくための最適な乗り物を選びましょうと考えると、例えばある方は「うちはNPO法人でやろう。いただいた寄付に税金はかからないから有利だ」という判断になるわけですね。たとえば株式会社であれば色々なところから資金を集めることができて、投資を元に事業を軌道に乗せていくことができるですとか。それぞれ特徴があって長所も短所もあるという乗り物を選び、現在、走っておられるということだと思います。

共通しているのは、マネジメント、資本集め、そして事業を前に進めていくといったことです。これはその法人格でも同じです。そういう意味で言えば、本会場には株式会社を経営する方がたくさんおられますが、皆様のやり方とあまり変わりません。私自身は両方をやってきましたけれども、実感としてはNPOを始めとした非営利団体に求められるノウハウと株式会社の経営に求められるノウハウは9割がた共通していると思います。残りのおよそ10%にそれぞれ特殊な形は出てくるものの、ほぼ同じです。ですから、もし皆様から「少し協力してみようか」といったお気持ちをいただけたら、すぐにでもご協力いただける部分はたくさんあるなと感じる次第です。

ではそういったところで早速、次のお話に移りましょう。もし御三方がフロアの皆様と共に何かできることがあるとして「こういうのはいかがでしょう」といったものがあれば伺っていきたいと思っています。「支援してほしい」というより「ご一緒にやりませんか?」というメッセージで、ぜひ会場に呼びかけていただけたらと思います。では鈴木さんからいかがでしょうか。

海外でライスバーガー売り、風評を吹き飛ばす(鈴木)

鈴木:先ほどの続きなのですが、今はライスバーガーをどんどん海外に売っていきたいと考えています。今回の風評被害が拡大してしまった背景にはやはりメディアの力が大きく関わっていたのかなと、私自身は感じているんですね。プラスの声よりもマイナスの声のほうが耳に残りますし、発信する人も強かったりしますから。それで全体として「右向け右」ではないですが、そういう部分が強くなってしまったと。

それをどのように解消していくかと考えると、海外からアプローチしてみてはどうかと思いました。例えばライスバーガーを持って行った先で、海外の方々が皆「おいしい」と言って食べている様子をメディアの方に取り上げていただいたら…、それを日本の方々に見せたらどうなるかなと。周りも食べているし大丈夫だろうという部分もあるのではないかなと感じます。それで根本的にすべて解決できるとはもちろん思いませんが、少なからず効果があるのではないかと思っています。

考えてみると私は昨年7月15日に『KIBOWいわき』で、いわき駅前に復興屋台村を作ると宣言をさせていただきました。しかし当時は本当に経験もまったくない状態でした。それでもなんとか実現までこぎ着けることができたのは、やはりKIBOWで知り合った方々に様々な支援をいただけたからだと思います。そして現在じゃ海外でライスバーガースタンドを、なんとかして今年中につくりたいと思っています。もちろん海外に出店した経験もノウハウもございません。ですからできることなら再び皆様のお力をお借りして、日本の食や農業が抱える風評被害を解消していきたいと考えています。そのためにもご一緒にやっていただけたらと思います。お願い致します。

佐藤:ありがとうございます。1店舗まるまる出店する方法もありますが、例えば本会場であれば現時点で既に海外でお店を持っていらっしゃる方もおそらくは何人かいらっしゃるような気もしています。そこでご協力をいただき、たとえば既存店で1コーナー設けてみていただくとか、そういったアプローチも含めてということですよね。

鈴木:はい。もちろん店舗まるごとではなくとも1メニューとして導入していただくですとか、本当にいろいろ方法があると思っています。ともかくも現実として、福島をはじめ東北の農家では「もう作るのを止めちゃおうかな」とまで仰る方々も出るような状況になってしまっています。でもそこでお米の消費を増やしていくことが出来たらと。「本当に応援してくれているところもあるんだ」という状況を見せることで「じゃあ、もうちょっと頑張ってみようかな」と。農家の方々にはそんなふうに思っていただけるのではないかと思っています。

佐藤:良い情報があります。昨日ですね、『思い、動く、プラットフォーム』というのを立ち上げたばかりです(会場笑)。これは「こういうことをやりたい」という呼びかけをする方々と、「それなら協力できるよ。僕はこういうものが提供できるよ」と答える方々のプラットフォームであり人材バンクです。そういうものが幸いにもできました。昨日の早朝に(笑)。では続きまして竹井さん、芳賀さん。いかがでしょうか。

顔が見える直接的な関係作りが最初の一歩(竹井)

竹井:はい。もちろん復興ということを考えればスマートシティもクリーンエネルギーも良いと思うんですね。必要だと思います。ただですね、東北にある元々の環境や条件を考えてみますと、競争力ある新産業を一気に作るというのは、まあ、なかなか難しい課題もあるかなとも感じます。

また、例えば時代が進んで太陽光に替わる新しい技術などが登場してきた時、東北がそのまま競争力を維持できるかと考えると、これもなかなか大変な部分があるのではないかと思っています。ですから私は東北にまず「人を作る」という考え方がすごく重要な観点になると思っています。そのためにもやはり東北から起業家を輩出させて、さらにはそういった方々を育成する仕組みを作らなくてはいけない。私としては震災を契機にそれを進めたいと考えております。

特に日本ではそういった仕組みづくりがなかなか難しい。もちろん東京は別格ですからどんどん出てくると思いますが、地方で起業家輩出の仕組みが構築されている地域は少ないと思います。でもそれが東北でできたのなら、これはすごく先進的なモデルとしてむしろ世界に出せるようなものになるのではないかと思っているんです。

仕組みづくりに関してもう若干お話ししますと、被災地で起業家や事業者の支援に取り組んでいる団体は、私たち以外でも公的機関を始めいくつかございます。ただ私としては、そういった各団体の皆様がばらばらにやっていても仕方がないと考えているんです。そこで団体間に横串を刺すようなネットワークを作ろうということで『復興起業家支援協議会』というものも立ち上げました。

そこで私自身は発起人および理事長という形で活動しております。通常の時期であればこういったポジションにはいわゆる重鎮の方々が座ると思うわけですが(笑)、しかし、こういった状況ですから「むしろ若い人に期待しようじゃないか」と地域から推していただくような声もありまして、現在の立場でやらせていただいております。

起業家支援・事業者支援の団体と言っても専門領域や地域性は各団体でそれぞれ異なります。ですからそこで個別に動くばかりでなく、繋ぎ合わせてみたり、交差点を作ってみたりしていく。そうすることで1つの大きな枠組みとして地域に根付いていくのではないかと感じています。現在はそんなふうにして大学や行政まで、いろいろな方々のバックアップをいただきながら進めることができています。

例えば私たちは現在、アクセンチュアさんから支援にいらした方々と協力しまして、被災地で起業している方々に伴走役を付けるようなプロジェクトを動かしています。被災地では起業家が相談できる相手はなかなかいなかったりします。専門的に経営をしていらっしゃる方々や役員クラスの方々も少ない。マンパワーも足りていない状態なんです。そこで相談相手になってくれたり、被災地の外にあるいろいろな要素と繋げてくれる人がいるとすごく助かるというお話を、皆されています。ですからそのための伴走役を付ける活動ですね。これは取り組みの1つですが、こんなふうに様々な方といろいろな場面でコラボレートしつつ、起業家を育てる仕組みを今後も構築していきたいと思っています。ですからその辺でご協力いただけたらという気持ちはありますね。

あともう一点。私たちはファンドを作り投資をしていきたいということで、現在はお金集めにもいろいろと奔走しているところでありまして、もちろんそこでご協力いただける方はいます。ただ、私たちが間接的に管理を行い、意思決定を行い、そして投資するという仕組みは、私としては少し古くなってきているのではないかなと思い始めています。

復興に関わる一連の活動を通して明らかになってきたのは、顔が見える直接的な関係をどうやって作るかが重要ということでした。そういった意味ではたとえばチャリティ・プラットフォームさんのような動きというか、被災地で活動する企業家の方々を顔が見える形で表に出し、それに対して全国にいらっしゃる経営者の方々が「あ、こいつは面白そうだな。これだったらお金を入れてもいいな」と。あるいはお金ではなくとも何らかの支援をしてみようですとか、そんな関係を作ることができるマーケットプレイスのような場を作る方が良いのかなという感じになってきています。

また少し余談になりますが、以前、あるNPOの方が仰っていました。「お金が媒介しなくても“誰かのために何かやってあげよう”ということ、そしてその反対に“その人のためにこれを返していこう”ですとか、そういった行為を交換するだけで人は幸せになれるんだということに気が付きました」と。これは大変示唆に富んだ言葉だと思います。

これまで資本主義やグローバル化、そして効率化がどんどん進んできた結果、顔が見えない人間関係ばかりができてしまいました。モノを作っても地球の反対側にいる誰かよく分からない人のところまで行ってしまい、買うほうも誰が作ったのか分からない。これが人の不幸せをさらに生んでいるという風に思っているんですね。ですから震災を端を発したひとつの流れとして、今後は直接の関係を作っていくことが重要でもあるなのかなと、私は感じています。

「被災者の皆さん」では共感を呼ばない(佐藤)

佐藤:ありがとうございます。そういえば私自身は翌日の3月12日に初めて被災地へ行ってきました。その時は空路でしたからどちらかというと別の感想を持ってしまっていたのですが、あるとき、陸路で行った際に抱いた深い印象があります。東北に向かう往路では「被災者の皆さん」とか…、「被災地」と言っていたんです。それが復路では、たとえば「南三陸町の某村にいた山田さん」なんていうふうに、具体的なお名前でお呼びするようになっていました。

すると気持ちが乗り移る。被災者をなんとかしようとか、被災者と一緒に頑張っていこうといった言い方でなく「あの人とあの事業を、あの場所でやっていこう」という思いになります。実際、その後、東京に戻ってきてからはいろいろな企業の方々、例えば本会場にいらっしゃる方々を始めたくさんの方々にご協力を仰ぎました。

しかしその段階では「この事業でこのNPOが困っているんです」とか「今、このエリアがこれが足りません」とか、そんな具体的な話として動くようになっていたわけです。「被災者をなんとかしよう」というときの迫力と、具体的な事業で顔が見える関係の迫力では何かこう、共感の伝播力が全く違うという印象でした。ですから私も竹井さんが仰ったことに全く同感です。結局、人は人にしか共感しないということを私は今回改めて学びました。

私も以前、大失敗したことがあります。まさに今ご紹介いただいたチャリティ・プラットフォームの件ですね。NPOを応援したい人は山盛りでいらっしゃいます。地震や津波の前から応援したいと言っていた方はたくさんいました。ただ、どこを応援すれば良いのか分からないとか、少々いかがわしい団体もあるらしいということもあって「ちょっと応援するのが怖いな」という人も同様にたくさんいたんです。そこで、例えば東京証券取引所のように私たちのほうでまずNPOを審査するということを始めました。それで「こちらの銘柄は安心です」というNPOをインターネットでショーケースのように紹介していました。その上で「はいどうぞ、では皆さん寄付してください」と呼びかけていたのですが、これがもうびっくりするぐらい寄付が集まらないんです。

寄付したい人が潜在的にいても、“寄付しなければならない”人はいないわけです。例えば楽天さんやAmazonさんなら「今日はスイーツを買わなければいけない」とか「蟹を買わなければいけない」という人たちがいます。毎日そんな方々がサイトにやってきて商品を買うからマーケットプレイスが成立する。でも寄付をしないと今日の生活が困るなんていう人はどこにもいません。ですから来ない。強い動機、顔が見える関係、あるいは共感がないかぎり、寄付というのは集まらないんだと学びました。それで思い切って事業モデルを転換し、寄付を集める人を増やすという現在のジャスト・ギビング・ジャパンという形にした次第です。

まさに竹井さんが仰った通り、人は組織に共感するのではなく人にしか共感しない。泣いている子どもがいたら「あの子を助けたい」、その子どもを助けている「あのNPOのあの人を助けたい」といった形でしか共感は生まれないんですね。「人の顔が見える段階になった時、やっと応援が始まるんだなあ」という印象を持ちました。竹井さんは現在、そういった動きをさらに育てるための仕組みづくりに邁進していらっしゃるということですね。

では最後に芳賀さん。何かご一緒できそうなことがありましたら、ぜひヒントをいただけますでしょうか。

私たちがあなたたちを助けてあげたいんです(芳賀)

芳賀:私たちは津波から、自分の力で助かったとは思っていません。何か目に見えない、何かの力で、私は津波から助けられたんだと思っています。その助けられた命を、これから山の現場で生かしていこうと思っています。

私が生きるというのは、山の現場に立つことです。これから生きていくというのは、死ぬまで山の現場に立ち続けるということです。今私たちNPOはお金も必要ありません。欲しいものもありません。無い無い尽くしの中で一つひとつ、2年、3年、5年、10年かけて、欲しいものを手に入れていきたいと思います。お金は自分たちの汗を流して、自分たちの力で手に入れていこうと思っています。

私たちは今年から「森林教室」なるものを、NPO吉里吉里国で定期的に開催していこうと思っています。保育園児、幼稚園児、小学生を中心に、ナタとノコ(ギリ)を握らせながら、山のなかで汗を流したいと思っています。汗を流すことからしか本当の歓び、勇気、自信は味わえないってことを学ばせようと思っています。子どもたちは、自然の中で守られていることに誇りを持つと思います。

皆様がたに今私が望むのは、どうかぜひ、私たちの「復活の森」の現場に出向いてきてくださいということです。山の中で一緒に汗を流しませんか? 私たちは昔のように馬を使って、切り倒した丸太を道路端まで搬出する集材作業を覚えようと思っています。たった20万円のお金をかけただけで、山を傷めないで、大きな丸太を道路端まで運び出す軽架線集材というのを身につけました。

こういうことを私たちと一緒にやりませんか? こういうことを、都会で世界を股にかけて生きている方々と一緒に、私はやりたいんです。私があなたたちに教えてあげたいんです。私たちは「助けられる側」の人間とは思っていません。「助ける側」の人間だと思っています。

企業の社会貢献活動は何のため?(佐藤)

佐藤:ありがとうございます。まさに今回の震災は、企業が今後どのように社会貢献をしていけば良いのかという問いかけをも、私たちに投げかけた出来事だったと思います。

私自身は普段、お金の仲介ということを専門でやっておりますが、やはり人の仲介が根本的には重要だということで、企業の方々から様々なご相談事もいただいています。今回の震災では、被災地に会社の推薦もしくは業務として人を送ると決断された企業がたくさんありました。そうした企業の方々に声をかけさせていただいたりしながら「ご一緒にやっていきましょう」ということで、現在は50社前後でネットワークを組んでいます。人のプラットフォーム運営のような活動ですね。研究会も何度か開催してきました。

そこで企業の方々にご意見を聞くと、やはり「どこに行けば良いのか分からない」ですとか、「どんなプログラムやメニューがあるのか分からない」といった声をいただきます。ですからそんな情報などが共有される場を作っていこうというわけです。

ここで考えてみたいのですが、自戒も込めて申し上げますと、企業は企業である以上、やはり自らの価値向上に繋がらない活動をしてはいけないという考え方が、大原則としてはあると思っています。にも関わらず、震災では多くの企業が寄付をしたり人を出したり、いろいろな支援活動をしています。これは何のためなんでしょうか。

それを知りたくて、昨年末、私はアメリカやイギリスに行ってきました。企業の社会貢献活動に関して先進的と言われる各国の状況を知りたかったからです。震災に関して言えば日本企業であれば、まあ、当事者ですから理由も何もなくて「行くのが当り前でしょ?」という感じですよね。でも平時であればどうなのかなと。企業はどのように社会貢献活動と向き合うべきなのか。そのヒントを貰いに海外に足を運んでみました。

これが面白くてですね、ほとんど皆が同じ言葉を口にしてしました。「従業員のため」と言っていたんです。これ、最初はぴんと来ませんでした。「企業がなぜ社会貢献するのか?」という問いと「従業員のため」という答えが繋がっているように最初は感じられなかったからです。

しかし欧米企業は「企業あるいは社会に生きる人々のほとんどは世の中に役に立ちたいと思っています」と言うんですね。そもそもそういう気持ちを持っていると。でも、その機会や情報が無いのです。誘って貰えなかったりして、なかなか実行に移すことができない。会社でも忙しくて時間が確保できませんし。そこで企業の側がそうした従業員の根本的かつ潜在的ニーズを代弁しながらNPO活動の情報を収集したりするそうです。例えば芳賀さんのような方にお声がけをしながら、企業としてきちんと情報を取りまとめた上で従業員に発信しているんですね。

すると従業員は「ありがとうございます。忙しくて調べられませんでしたけれども、そんなチャンスがあるなら行きたいです」となる。仕事が忙しくて行けないのであれば、ボランティア休暇制度で有給を年間5日まで出すといったことをすると従業員が喜ぶんです。で、「それなら企業としてやるのは当然だ」と、彼らは言っていました。「この会社に務めて良かったと感じてくれた従業員なら、会社の仕事もさらに頑張ってくれる。それが企業のバリューアップに繋がる」といったことをどの企業の方々も…、もうどこかでそう話すように習っているのかというぐらい、口を揃えて言っていました。

もちろん若干の例外として「儲かるからやるんだ」という方もいます。それは少々露骨に過ぎるのであまり素敵とは言えないというか…、もちろんそういう戦略があること自体は罪ではありませんが。ただ、多くの経営者は従業員のためと言っていて、私は「なるほどなあ」と思いました。

で、「応援して良かった」とか「自分も人の役に立つことができている」と、人が最も実感するのは現場でありがとうと言われることなんですよね。ですから現場に行く機会とともに「来てくれたらこういうことがあります」といった情報をどんどん投げかけていただくと、会場にお集まりの皆様にとっても大きなヒントになるのではないかなと思います。

東北に「幸せ産業」「天国産業」を作りたい(竹井)

竹井:今のお話に少し関連するかなと思ったことがあります。日本は近代から現代に至る間に科学技術も経済も発展して、もう衣食住のニーズがかなり充足してきたと私は感じています。ところが心の面ではニーズが満たされていません。むしろ手付かずの状態でいっそう悪くなっている状況だと思っています。実は私自身も妹が自殺したということがありまして、そういった思いから世の中を変えなくてはいけないと。「良い方に変えなくちゃいけないんだ」という思いに突き動かされている部分があります。

で、これから東北に産業を作ろうとした時、当然、難しい面はあると思います。一次産業は強いと思いますが、ほかの分野はなかなか難しいのではないか。そんな状況の中で、私としては心の充足という考え方が1つの鍵になるのかなと感じているんですね。それを“幸せ産業”と呼んだら良いのか“天国産業”と表現すれば良いのか、よく分かりませんが、そういったものを東北という地域で作ることができないかと思い始めています。特に被災地の方々は人の幸せについてすごく真剣に考えていると思います。不幸になってしまった方々も身近にいる状況で、そういう幸せについて本当に、真面目に考えているのではないかなと。

一般的に産業やビジネスは、人間の根本的ニーズを満たす方向で育っていくと思うんです。衣食住のニーズは満たされつつある。従って、これからは心のニーズを満たすことが産業として成立するようになるのではないか。その分野で東北は先進地になれる。サービスを含めた新しい社会のあり方として、もし東北に心のニーズを満たす天国のような所を作ることができたら「東北に行ってみたいな」という人もどんどん増える。それは1つの大きな産業としてカウントできている状態と言えるのではないかと考えています。

「45日以内に90%」「1回限り」「男より女」が寄付の実態(佐藤)

佐藤:面白いですね。それが産業としてメリットになると。ありがとうございます。ではそろそろ1時間が経過致しますので、フロアの皆様とのやりとりも始めたいと思います。

ちなみに少しだけ先ほどの発言を継いでみたいというか、少し面白いデータがあるのでご紹介させてください。私たちジャスト・ギビングという団体はイギリスとアメリカにもあります。で、通常ですとイギリスのジャスト・ギビングはイギリスのNPOのためにしかお金を集めませんし、アメリカのジャスト・ギビングはアメリカのNPOのためにしかお金を集めません。しかしハイチ地震と東日本大震災の際はどちらも例外的に外国のNPOのためにお金を集めてくれていたんです。それで私はイギリス人とアメリカ人がハイチと日本にどんな反応をしたのか知りたかったので「どんな結果になってるの?」と聞いてみました。そうしたら面白い共通点がありました。

まず「やっぱりそうかなあ」と思ったのが、被災地支援のための寄付のうち、90%は地震と津波が起きてから45日間以内に集まっている。つまり気持ちは概ね45日間しか持続しないという言い方もできます。東日本大震災の場合、日本は当事国なのでもう少し長く寄付は続いています。しかしイギリス人やアメリカ人の日本やハイチに対する気持ちは、寄付という形であれば45日間でした。本当に短期決戦だったと言いますか、人の気持ちの持続は45日間というデータがありましたのでご紹介させていただきました。

そしてもう1つの共通点として、ほとんどの方が1回しか寄付をしないという点です。2回、3回と継続して寄付をいただけるわけではないというのもまた事実です。頼みごとはワンチャンス。ちなみに男女比がどうなっているのかと、興味本位もありつつデータを見てみたのですが、男性は1人当たりの金額で言えば女性の約2倍寄付しています。およそ1万円。ワンショット寄付で1万円ですね。女性は平均5000円前後でした。しかし人数を調べてみると寄付してくださった女性の数は男性の約2倍なんです。ですから合計金額は男女同じぐらいでした。人数としては、やはり女性の方が「なんとかしなきゃ。応援しなきゃ」という共感をより強く持っていたのかなと感じました。ご参考までに。

では我々は一旦ここまでにしましてご質問やご意見を募っていきましょう。「こういったことは一緒にできますか?」「こんなことがやりたいな」といったお話もぜひお聞かせください。

岩手県・吉里吉里国に企業研修の施設を(芳賀)

会場(リクルート 執行役員/カスタマーアクションプラットフォームカンパニー カンパニー長 冨塚優氏):リクルートの冨塚と申します。昨日も少しお話しさせていただいたことなのですが、奈良県の吉野郡に日本で一番広い村と言われている十津川村という地域があります。そこで私たちは行政の方々とともに一昨年前、ある実証実験を行いました。何をやったのかと言いますと、都会にはメンタル面で問題ある状況に陥ってしまった若者も非常に多い。そういった若者たちに2泊3日、十津川村で宿泊してもらったんです。村ではおじいさん、おばあさんの家に泊まりながら農作業も一緒にやってもらいました。それを1カ月の間に2回、行ってもらいました。

その結果、8割以上の若者が回復したというんです。そんなことがありました。私たちは『じゃらん』の研究センターで行ったのですが、まさに「助けてもらうのではなく、僕らが助けてあげるんだ」という芳賀さんのお話とも共通すると感じました。これ、私たちとしてもなんとかして拡大できないかと思っています。そこから先の一歩がなかなか踏み出せない状態になってしまっていますが、こういった動きを行政の方々ともご一緒しつつ、どうにかして繋げる方法がないかなと思っておりますが、こちらについてご意見をお聞かせいただけたらと思っています。

芳賀:岩手県の大槌町に社員研修の施設作りましょうか(会場笑)。条件は1つです。研修に来た社員は大槌人になること。吉里吉里人になること。それが条件です。面白いと思います。吉里吉里弁をお互い喋りながら(会場笑)。

佐藤:いいですね(笑)。皆様「吉里吉里弁」はご存知ですか? 井上ひさしさんの小説に登場する「独立国家吉里吉里国」の共通語ですね。ベストセラーになった『吉里吉里人』には方言集というか、その「吉里吉里語」に関する小冊子もついているんですよね。かなり難しいのですが(笑)。

芳賀:はい。ですから吉里吉里大槌の人たちと同じおうちに住んで、同じご飯を食べて、同じ言葉を喋る。研修期間、しばらくは大槌人、吉里吉里人になってもらう。素晴らしいと思いますね。

佐藤:そのまま定住してしまう人がいたら…。

芳賀:そうなれば言うことなしです、はい(会場笑)。

佐藤:なるほど(笑)。素晴らしいですね。研修施設を作りたい方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけください。人材バンクのほうでもお手伝いができればと思います。ほかにはいかがでしょう。

「自立への情熱」を地域の側から生み出していこう(宮城)

会場(NPO法人ETIC 代表理事 宮城治男氏) :ETICの宮城と申します。研修施設、ぜひ作りたいです。それぞれの町に1つずつぐらいあったらと思いますし、実際に大きなニーズを感じます。

私は現在、被災地で動き始めているいろいろなプロジェクトに人を送り込む仕事に関わっております。プロジェクトは1〜2年単位で現場に入り込んで一緒にお仕事をするといったものも多いのですが、現在、そこに若者たちが次々とエントリーしてくれているんです。中にはそのまま移住してしまう人も多く、彼らが東北の新しい魅力を教えていただいていたり、見出したりしています。

最初は「可哀想だから助けなければ」とか、まあそんな気持ちで行く若者もいるのですが、仕事の中で東北の方々の人情ですとか、豊かな自然を受け取っていくわけです。お裾分けということで美味しいものをたくさんいただけたりして、なんだか太って帰ってくるのも結構いまして(会場笑)。とにかくそんなふうにしてなんというか…、彼ら自身が東北に魅せられていく流れをすごく感じています。ですから今後はまさに竹井さんのお話にありました天国のようなビジネスといったものが起こってくるのではないかなと感じていたこともあり、御三方のお話に強く共感しておりました。

だからこそ私はここで呼び掛けをさせていただきたいと思います。芳賀さんのスライドには「自立への情熱」という言葉もありました。まさにそれが東北に求められているのかなと。それは被災地の皆様が求めていらっしゃることでもあると思っています。政府を含めていろいろな方が支援をされています。で、当然ながら支援には悪気などないのですが、一方ではその支援に依存してしまうようなスパイラルも加速してきていると感じます。しかしその先に果たして「天国のような東北」が生まれるのかと考えていくと、そうはならないと。やはり現地の皆様の思いや行動に基づいた復興の流れを興していくことが不可欠になるのではないかと思っています。

そうであれば…、自立への情熱を生み出せるのがやはり人間であれば、やはり本会場にいらしたような方々が持つ力こそ求められていくと思います。政府に任せきりにして事がなるわけでは決してないですし、むしろ政府の力を自立に向けて使えるような地域自体の動きこそ不可欠になりますから。そういう意味でもG1に参加されているような方々には、ぜひ地域の中から立ち上がっているプロジェクトにボードメンバーのような形で参画いただければと思います。そのご経験やリーダーとしての力とともに「ほかの誰がやるではなく我々が」といった当事者としての自覚をぜひお持ちいただければ幸いです。それが東北と噛み合えば素晴らしい結果が生まれると思います。

また、佐藤さんからありました「企業としてどのように東北と向き合うか」も本当に大切なテーマだと思います。現状では日本の大企業は踏み込んだ支援がほとんどできていないんですね。お金を何十億円積んだとか、週末ボランティアにこれだけ送り出したといった話はあります。ただ、自社の経営資源や人の力を生かす形で東北の皆様と一緒に仕事をしているというケースは、あまり生まれていないように私自身は感じます。

オーナー系企業やベンチャー企業では、そのアプローチでも頑張っているところを時々お見受けします。しかし大企業の皆さまがもう一歩踏み込めば会社にも大きなリターンがありますし、東北に大きな影響を及ぼすこともできると思うんですね。その潜在的な力がまだまだ大企業のなかに眠っていると感じます。ですからぜひ今日お越しいただいている皆様には、その意味でも当事者意識をお持ちいただきながら、「どのように情熱を生み出していくか」をご一緒に考えていくことができたらと思っています。

佐藤:心強い呼び掛け、大変ありがとうございます。ほかにはいかがでしょうか。

事業家、起業家同士で支え合っていこう(中村)

会場(中央電力 代表取締役社長 中村誠司氏):中央電力の中村と申します。私自身は現在、EO(Entrepreneurs' Organization)という団体で日本支部の代表をさせていただいております。ご存知ない方もいらっしゃると思いますので簡単にご紹介致しますと、EOというのは基本的には事業を興し、かつ売り上げが1億円以上あるという起業家の集まりなんですね。現在は8000人ほどの会員がいる世界的な団体で、日本にも110人弱おります。

そんなEOでも、現状では一部に留まっているものの、例えば「東北に支店を出そうよ」といったいろいろな動きは生まれています。支援の方向性としては竹井さんが進めていらっしゃる活動と同じように、たとえ規模が小さくても事業を起こした人々とともに時間を過ごしていきたい。とにかく東北に行って様々な人たちと話をしようということで、現状、かなり話がまとまりつつあります。

事業というのは立ち上げてからいかに続けるかが重要だと思いますが、その点でいくとEOとはマッチする部分が多いと思うんです。先ほど東北で起業された皆様からのご相談を受けるといったお話があったと思います。例えばその点でも、我々は小さなフォーラムを作って事業に関して誰にも言えないような…、もう墓場まで持ち込むような相談を互いにしていることがあるんですね。そんな秘密の結束もありまして各メンバーの事業は非常に順調です。ここ5年前後で潰れた会社も全くないほどです。ですから具体的にどういった方向になるかはまだ分かりませんが、事業家あるいは起業家同士であれば様々な領域で共鳴できと思っております。ぜひよろしくお願い致します。

佐藤:ありがとうございます。中村さんの後ろには何十人、何百人の応援団が控えておりますので、これも本当に心強いですね。では細野さん。

進まない瓦礫引き受け、日本人は一緒に乗り越えられるか?(細野)

会場(衆議院議員 環境大臣 原子力行政担当大臣 細野豪志氏):環境大臣をやっております細野と申します。本日は本当にありがとうございました。佐藤さんも含め壇上にいらっしゃる皆様のお話に大変勇気づけられました。ありがとうございます。

まず感想がございます。現在、至らないながらも政府としては復興に向けて「こういったことができるんじゃないか」ですとか「これが必要なんじゃないか」といった気持ちで様々なことを進めております。ただ、時々ふと自分の中で迷いが出ることもあります。それは例えば失業保険に代表されるのですが、政府として出ていけば出ていくほど「自立して頑張っていこうという方々の思いを削いではいないかな」というジレンマです。しかし、特に福島を中心にして今よりもさらに踏み込んで進めなければならないことは当然あるので、その点はやろうということで続けております。その辺の接点、あるいは自立と政府による対策とのバランスをどのようにとっていけば良いのか。これはおそらく永遠の課題だと思いますが、改めて考えさせれられました。まずはこれが1つ。

そしてもう一点。芳賀さんのお話はその一言一言が腹にズドンと来る大変な強さを感じました。特に「自分たちは助ける側なんだ」とのお話、本当に勇気づけられました。改めて御礼申し上げます。

質問としては1つ、話の方向は少し変わるのですがご意見としてお伺いしたい点がございました。それは廃棄物のことです。私の選挙区は静岡県なのですが、静岡は以前から大槌町と非常に深い関係を持っており、今回も大槌町を支援をするということでいろいろと進めておりました。現在、大槌の街中からは瓦礫もなくなっていますが、たしか全体ではまだ…、単独で処理をなされたらそれこそ数十年〜百年かかるかというほどの瓦礫がいまだ残っており、その処理が進んでいない状況でもあると認識しております。

ですから「それを静岡県で引き受けようじゃないか」ということで、私も随分、知事や市長にお声をかけさせていただいて、現在は徐々に動きが出始めております。しかし残念ながらまだ大量に処理できる状態ではありません。福島第一原発からは200km離れていて全く問題がない瓦礫なのですが、それにも関わらず処理が進まない。

そういった話になると「処理をする自治体にインセンティブをつけたほうが良いのではないか」と言う方もたまにいますが、私としてはそれも少し違うのではないかと考えています。「これだけの巨大災害なのだから助ける助けないというレベルでなく、一緒に乗り越えるためになんとかしなければならないのではないか」と思いながらこの問題に取り組みつつ、正直、苦しんでいます。その問題について何かお感じになる点があればと。東北での様々な活動の中でお感じになっていることもあるかと思いますので、ぜひお聞かせいただきたいと考えておりました。

心を通い合わせることからしか始まらない(芳賀)

芳賀:私が今、分かることというか、思いつくことを言いたいと思います。まず1つ、瓦礫が無くなったというのはあくまで「津波による木造住宅の瓦礫がなくなって廃材が手に入らなくなった」という意味です。まだまだ巨大な瓦礫があります。コンクリの塊、防潮堤の塊とかですね。

瓦礫については、難しい問題だと思いますが、1つエピソードをお話ししたいと思います。津波の日から今日までの間、私たちのスタッフの中で起きたエピソードです。もう40歳ぐらいになる男性…、漁師の倅なんですが、心が弱くてなんの職についても一カ月ぐらいしかもたない。津波の前までは船に乗ったり降りたり、土木作業員やったり。いろいろな職を転々としながらこれまで生きてきました。もちろん独身です。

津波が来て、彼と私たちは皆で避難所生活、同じ枕を並べていたのですが、そのよしみで『復活の薪プロジェクト』を始めたとき、私は彼を仲間に加えました。2〜3日働いたら、すぐ連絡も無く、いなくなりました。また2〜3日して来たと思ったら、また連絡も無く午後に帰ったりして。それを繰り返すうちにスタッフの中から「そういう人間は士気に関わるから“切って”しまうべし」と、私に要請をしてきました。

私は絶対に“切る”ことを許しませんでした。連絡無しで帰って、忘れた頃にまた来ても、「よう来たな」と。「今日は怪我しないでやれよ」「がんばっぺしな」「疲れたら午後からいつでも帰っていいな」って、そういうことを繰り返して、そのうち秋口になりました。その頃から毎日来るようになりました。「明日は用事があるから休んでいいですか?」と、喋るようになりました。朝5時頃、布団にいる私のケータイに「今日は具合悪いけどいいですか?」と、連絡してくるようになりました。その都度私は「いいぞいいぞ。自分のこと、体が一番大事だからいつまでも休んで元気になったらまた来い」って、言い続けました。

今は、私たちのスタッフで一番早く現場に来るようになりました。30分ぐらい早く現場に来るようになりました。そして、仕事がはじまる前、仕事を終えた後、皆がもう帰ろうとしている中、ユンボの練習したり、明日のためのチェーンソーの手入れ…、彼だけやるようになりました。

今の先生のお話のヒントになるかどうか分からないですが、すぐ目の前にいる本当に弱い、1人の人間にさえ手を差し伸べることができなくて、何がNPO吉里吉里国だと思うんです。何が「豊かな海、取り戻す」だって。そういうことを口にする資格は無いと思っています。奴の家も全部流されて、すべてのものを失いました。父親は漁船3艘無くして借金生活に入りました。これから一生懸命、奴と汗流して山の間伐材売ったりしながら、私は奴に近いうち200万〜300万円でもいいから安い家を、彼の力で建てさせようと思っているんです。

本当に弱い人が目の前にいれば被災者であろうがなかろうが手を差し伸べる。そういう日本になって欲しいですね。1つ、私たち吉里吉里国が酒飲んで、ことあるごとに喋ることがあるんです。「貧しくはないけど、質素な暮らしのなかで、心豊かな日々を送る人たち。そういう人たちが住む大槌の町にしていこうぜ」って。子ども、孫の代までかけて。質素な暮らしの中に心豊かな日々を送る人の住む町。大槌町としてこれ以上のブランドは、私はないと思っています。

福島の原発の問題も先生はもう本当に本当に大変だと思います。大変だと思いますが、私は基本的に、苦しんでいる人、被災者同士、被災者じゃない人たち同士が心を通い合わせることからしか始まらないんじゃないかと。私たちも先生たちも、もっとこれから苦労は続くと思いますけど。ヒントになるかどうか分かりませんが、私はこれしか分かりません(会場拍手)。

佐藤:ありがとうございます。ちょうどいただいたお時間になりました。リーダーの集まりであるG1サミットでございますが、リーダーはやはり自分の所属するチームの皆様から常に見られている存在だと思います。どういった行動を新たに起こすのかですとか、どういった発想を新たに投げかけていくのかですとか、そういったことを常に問われている存在だと思います。

そういった意味でも今日、御三方にいただいたお話は大いにヒントとなったのではないでしょうか。鈴木さんはライスバーガーを世の中に出すことで世界一安全なお米のブランドを取り戻すという行動を起こしておられますし、一緒にやろうと呼びかけてもくださいました。竹井さんからは人のプラットフォームのお話をいただきました。その姿はまさに我々の『思い、動く、プラットフォーム』とも重なりますので、ぜひとも我々もお仲間に加えていただいてご一緒にやっていけたらと思います。そして芳賀さんからは、研修施設を作ろうじゃないかという具体的な呼び掛けもございました。

こういった呼び掛けに対し、ぜひ皆さまには先ほど宮城さんからご提案があったように一歩踏み込んでいただき、ご一緒に活動していただければと感じております。ここからご一緒してさらに1年後、この場所でまたその成果をご報告できれば、本日モデレートをさせていただいた私も大変嬉しく思います。まだまだ議論そのほか、意見交換をしたかったところではございますが、一旦ここまでにさせていただきたいと思います。引き続き、皆様とご一緒に良い地域づくりをやっていきたいと思いますのでよろしくお願い致します。本日は誠にありがとうございました(会場拍手)。

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