被災地のセブン・イレブン、早期復旧の舞台裏(伊藤)
高島宏平氏(以下、敬称略):皆様こんにちは。私自身はオイシックスという“八百屋さん”をやっています。また、会社とは別に『東の食の会』という、東日本大震災(以下、震災)で被災した食の復興を目指し、G1サミットで出会った楠本(修二郎)さん(カフェ・カンパニー代表取締役社長)を含む何人かの方々と共に立ち上げた団体で活動してきました。ですから、言いたいことがたくさんあって、この分科会も「モデレーターでなくパネリストがいいです」と言い続けていたんです(笑)。
諸事情にて楠本さんがお越しいただけなくなりまして、急きょ福山(哲郎)さんにご登壇いただくこととなりました。それを受けて当初のタイトル「東の食の復興」も変更しております。クライシスマネジメントの話を前半に行い、後半で食の復興の話をするというアジェンダになりました。
まずはクライシスマネジメントについて。おそらく本会場にいらっしゃるすべての方が、まさに昨年3月11日のその日、そしてそこから数週間にかけて、何らかの形でクライシスマネジメントを体験されたのではないでしょうか。政府のクライシスマネジメントがどのように行われていたのか、そして日本最大の流通業ではどんなクライシスマネジメントがなされていたのか。パネリストの皆さまにまずそこから伺っていきましょう。
それでは伊藤さん。日本最大の流通業としてインフラの復帰も本当に早く、素晴らしいご活躍だったと感じております。実際にはどのような形で進められていたのでしょうか。
伊藤順朗氏(以下、敬称略):皆様こんにちは。昨年の震災発生直後における状況については幸か不幸か生々しい感覚も薄れ、悪いことも良いことも忘れかけていたのですが、昨日改めて資料を見直して当時の記憶を思い起こした次第です。
私どものグループにはセブン・イレブンのほか、東北を中心に展開しているヨークベニマルという会社もあります170店舗ほどあるヨークベニマルのうち、およそ100店舗は震災発生直後に閉店となっています。イトーヨーカドーも3店舗ほど被災地にありましたが、こちらはおかげさまで閉店とはならず、復旧後すぐに部分営業という形で続けて参りました。震災では東北だけでなく関東でも様々なことが起こりましたが、そのなかで最も象徴的なお話から始めたいと思います。
最も店舗が多いセブン・イレブンのお話ですが、震災直後、約600店舗のお店が閉店に追い込まれました。3月11日14時46分の地震発生直後には社内に対策本部を立ち上げ、対応を進めてきました。震災当日には、阪神・淡路大震災や新潟県中越沖地震における経験を基にしながら、被災地にヘリコプターを飛ばしてパンやお水を運びました。
現地の状況が把握できない!(伊藤)
その翌日から店舗復旧を目指していったのですが、とにかく現地がどういった状況なのかが把握できていませんでした。ですから被災状況を把握すべく東京から、あるいは現地で人間を派遣し、広い地域に散らばっている各店の状況を確認していきました。その後、東京から、また現地でも復興対応の応援部隊を送り込んでいきました。
震災発生直後には611店舗にのぼっていた震災閉店数も、翌週には412店舗に減り、翌々週には110店舗まで減っていきました。もちろん完全に流出してしまった店舗や原発事故の影響によっていまだ閉店に追い込まれている店舗もありますが、とにかく現場の頑張りで何とか店舗を復旧させていきました。「我々は本業を通じて社会貢献していこう」ということを旨としておりましたから、何よりもまず閉店した店舗を開店させることに全勢力を傾けていく決意で進めました。
私どもにはお弁当やお惣菜といったデイリー商品を作ってくださっている協力工場が全国に169あります。そのうち156が専用工場です。また、共配センターと言いまして、商品を仕分けして配達するセンターが全国に149あります。通常ですと店舗ではコンピュータを使って日々発注を行い、次に店舗から飛ばした発注データをもとに工場で生産され、共配センターで配送します。こういった仕組みも震災で吹っ飛んでしまいました。
最初にやったことは商品の送り込みです。東北の12工場は全滅、北関東でも22工場のうち9工場が潰れていました。首都圏でも50工場のうち20工場が停止していました。私どもの言葉で“横持ち”と言うのですが、稼働している工場やセンターから玉突き式に東北へ商品を持っていくという形で物流と生産をなんとか維持しました。
被災下ではお客様が必要とされる商品が時々刻々と変わっていきます。最初は「とにかく食べることができれば良い」ということから即食性のあるもので始めましたが、そこからパン、そしてその次は「おにぎりであれば何でも良い」ということに変わりました。そのうち「おにぎりはもういらない」という話になってきまして、代わりに温かいものが欲しいという話になっていきます。そういったニーズの変化を含めて状況を把握しながら進めていきました。
店舗自体が流失してしまったところでは急ごしらえの移動販売車を活用しました。通常は配送車両として使っているトラックを急きょ改装したものです。お店が流されてしまったオーナー様にお願いして、移動販売車の運営をやっていただきました。
もう1つ重要だったのが仮設店舗です。こちらはもう少し後になってからですが、仮設住宅が建てられた地区に仮設店舗を設営していきました。移動店舗はすべて終了していますが、仮設店舗は今でも営業を続けています。
積み上げた経験と理念を語り継ぐことこそが重要(伊藤)
高島:ありがとうございます。私も震災後は何度か東北に行きましたが、その移動店舗などを見ると、なんというか…、皆さんに鬼気迫るものを感じました。「売り上げを増やしたい」とかそうといった考えとは全く別の、非常に強い思いを持って進めていらっしゃると思いました。それをセブン・イレブン・ジャパンという巨大グループにおいて実行できたというのが本当にすごいと思います。なぜ、そこまでの対応が実現できたのでしょうか。
伊藤:1つには、これまでにも様々な危機を会社として経験をしてきたことがあると思います。災害対策マニュアルというものは通り一遍のもので、具体的な対応の段階で本当の経験値を積み上げたものが語り継がれてきたのではないか。現場に権限を委譲していたという点も重要だと思います。欲しいものは現場にしか分からないわけですから。本部はそうしたニーズに即してどのようにサポートしていくのかという考え方で進めていました。
もう1つ。少し情緒的なのですが、「何のためにお店があるのか」「自分たちのお客様は誰なのか」ということを常に言い続けてきたということ。これは経営理念です。フランチャイズのオーナー様を含めた現場の皆さんがそういったことを常に意識していた。たとえ商品が無くてもお店を開けたのです。「電気が点いていれば周辺住民の方が安心するのだから絶対に閉めない」と仰っていたオーナー様がたくさんいました。そういったDNAを誇りに思います。
高島:理念と経験が組織を動かしたということですね。ありがとうございます。では、政府の取り組みを伺っていきましょう。経験という意味では、現在の日本政府は阪神・淡路大震災や新潟県中越沖地震に対応した政権とは異なっていたわけです。それを前提に、どのような取り組みをされてきたかということを、まずは加治さんからご紹介ください。
今まであった境界線が消え去る中でのチャレンジ(加治)
加治慶光氏(以下、敬称略):加治です、よろしくお願いします。今回で第4回となるG1サミットですが、第1回目の時はオリンピック招致に携わっており、第2回目の時は日産の電気自動車を日米欧に導入する仕事をしていました。第3回目と第4回目は同じ仕事のまま迎えることができて嬉しく思っています(会場笑)。
それら3つの仕事を通じて1つ感じていることがあります。それは“境界線”という考え方です。例えば国と国との間にある境界線を国境と呼びますよね。国境がまだ世界に存在していると思われている方はどれぐらいいらっしゃいますか? (会場挙手) はい。では、津波、地震といったクライシスやサプライチェーンに境界線はあるでしょうか。存在していると思われる方はどれぐらいいらっしゃいますか?(会場挙手)
そうですね。そこに存在すると思っていた境界線がどんどんと消え去っているのです。そういう社会に今直面していて、それこそが我々が対応しなければならない変化の本質だと私は考えています。では、マスメディアとソーシャルメディア、ここに境界線はあるでしょうか? そうですね。今回の震災による1つの学びでもあったのですが、マスメディアとソーシャルメディアの間にも境界線が無かったと思います。では、我々は境界線が無くなっていく世の中にどのように対応していくべきなのか。それは今回のG1サミットにおけるテーマとも繋がると思います。
そういう中で、我々としても一生懸命震災に立ち向かいました。当時は福山(哲郎)官房副長官が広報のご担当でしたので、相談しながら様々なことを進めていきました。その結果として褒められたことも褒められなかったことも数多くありましたが、ここでは私の担当である国際広報とIT(情報技術)の面でどういうことをやっていたのか、簡単にご説明します。
皆様にご覧いただくプレゼン資料は英語になります。OECD(経済協力開発機構)加盟国で開催されたリスクに関する会議に参加した際、使用した資料です。まずソーシャルメディアです。昨年3月13日に官邸では日本語のTwitterを立ち上げました。一晩で約17万人のフォロアーがつきました。Twitterの発信力というものがはっきり証明されました。その3日後には英語のTwitterも始めました。福山さんがものすごく早く判断してくださったのでタイムリーに進めることができました。
3月23日にはFacebookを導入しています。私が政府に入ったのは2011年1月ですが、当初からFacebookを活用したコミュニケーションを進めたいと思っていました。ただ、Facebookはコメントが表示されるので、それらが政府に対して批判的なものであった場合でもオープンになってしまうので「Facebookの方はしばらく待とう」という議論もあったのです。しかしその当時で6億人にアプローチできるツールだったので、、批判を受けるリスクを超えてFacebook導入も決めていただきました。震災を機に政府も新しい取り組みにチャレンジしていったのです。
ハイテクだけではダメ、ローテクの「壁新聞」も役立った(加治)
次に、青い線と赤い線で推移が記されたチャートをご覧ください。青い線はネガティブな論調です。新聞報道による「日本政府の対応が遅い」「リーダーシップがない」あるいは「放射能への対応が遅れている」等々。そういったネガティブ論調の推移です。
赤の線はポジティブな論調です。これをチャートにすると見えてくるのが、3月18日前後のネガティブ論評です。これは原発で(汚染)水を出してしまった時です。そこでネガティブ論調が増え、さらにそこから2週間ほど経過すると、今度は全体の報道量が減っていきます。そしてネガティブ論調だけ残った。これが風評被害の源泉になっていたのです。「いかにしてネガティブな論調を打破していくか」がチャレンジになっていました。
次に、通信および連絡に関するチャートをご紹介します。誰かに連絡を取ろうとして成功した比率です。インターネットを利用した携帯メールで連絡を取ろうとした人は85%成功しています。それに対していわゆる緊急ダイヤルでは36%しか成功していない。全体を見ると特に携帯電話のインターネットとショートメッセージの2つが極めて高い成功率を記録しました。これは日本における携帯電話普及率の高さ、そしてそのインフラストラクチャが大変充実としているということであり、この点はOECDの会議でも「日本は素晴らしい」と、高く評価されました。
TwitterとFacebookにおけるそれぞれの利用者数推移も見てみましょう。2月の最終週から1週間ごとの推移を見ると、特に3月11日以降はTwitterが一気に伸びました。やはりTwitterというツールが危機下のコミュニケーションにおいて非常に大きな役割を果たしていたことが分かります。
もう1つ大きな学びとなったのが、ハイテクではない手段が大変役に立ったという点です。私どもはセブン・イレブンさんやローソンさんにお願いして、地元で壁新聞を配布していただいていました。東北はやはり高齢者の方が多いということもありまして、壁新聞による情報提供が非常に喜ばれました。こういった様々な対応を福山さんによるリーダーシップの下で進める中で貴重な知見を得ることができたと思います。
高島:ありがとうございました。震災をきっかけにしてソーシャルメディアによるコミュニケーションが国民と政府の間に新しく生まれたのですね。少し意地悪な質問をさせてください。政府の情報発信手段は確かに多様化したと思いますが、その一方で、政府自体のレピュテーションやブランディングはどうだったのか。
菅直人元総理が震災発生翌日12日の朝に原発を視察しましたが、それ自体がかなり批判されてしまいました。企業家の感覚からするととても勇敢ですし「当然だ」と思う行動なのですが、評判は非常に悪かった。その一方で、米国のスリーマイル原発事故ではジミー・カーター元大統領が現地に行ったことが大変評価されて人気が上がったと言います。同じようなことをしているのに、なぜ、ここまで両者の評価や信頼感に違いが出てくるのか。コミュニケーションの専門家でもある加治さんはこの点をどのように捉えていますか?
政権には、隠すとか嘘をつくという発想は全く無かった(加治)
加治:今回の危機は人類が直面したことのない危機だという認識が最初にあるべきです。それぞれの危機を分け隔てていた境界線がもはや無いことを我々は実感したのです。当時の政権にそういった危機に対峙するだけのノウハウがあったかというと、想定がなされていなかった。いくつもの境界を失った危機が同時に襲ってくるという状況に対して、準備ができていなかったと思います。
そういった状況下では広報に情報が落ちてくるまでにいくつもの階層が存在するので時間がかかる。少なくとも我々のところに情報が届いたら、できるだけ早く伝えることに注力しました。その意思決定自体が正しかったのか正しくなかったのかについては、議論のあるところだと思います。ただ、少なくとも何かを「隠そう」とか「嘘をつこう」といった発想は政権側には全くありませんでした。
今年1月に世界経済フォーラム(WEF)が開催したダボス会議には、当時の官房長官であった枝野(幸男)さん(現経済産業大臣、内閣府特命担当大臣)も出席されました。そこで枝野さんは「私が心掛けたのは“私が落ち着いているということが、見ている人に分かるように伝えよう”ということでした」と仰っていました。なぜなら「私の言うことは非常に深刻なことでもあるからです。だから、できるだけ私が落ち着いて見えるように振るまいたかった」と。「それが成功したかどうかは皆さまが判断することですが、私としてはそれを心がけた」というのです。
私は民間出身ですが、政治家の矜持のようなものを強く感じた数カ月でした。それが好評価に繋がっているかどうかは私も分かりませんが。
高島:ありがとうございます。では、福山さんにも伺っていきましょう。今年のダボス会議では菅前総理のセッションもありまして、原発事故に関するお話をされていました。ただ、菅さんのクライシスマネジメントに関するお話は、全体的にはかなり技術的な説明の割合が多かった。「ベントのタイミングが云々」といったお話で、学びへと普遍化するのが難しかった。ですから福山さんにはぜひ全体的な話をお伺いしたい。政府にどういった形で情報が集まり、あるいは集まらず、どのような状態で意思決定がなされ、どういったコミュニケーションが同時並行で進んでいったのか。そこを教えてください。
地震だ!すぐに官邸地下の危機管理センターへ(福山)
福山哲郎氏(以下、敬称略):福山です、よろしくお願いします。まず政府として“その時”に何をやっていたかをご紹介させてください。まずは初動について。14時46分に揺れた時、私は官邸にある自分の執務室にいました。菅総理や枝野官房長官をはじめとした全大臣は国会で委員会に参加していました。官邸にいたのは私だけです。テレビではまさに国会で委員会に参加している方々が揺れの中で騒然としている状況が映っていました。私はすぐ秘書官に危機管理の担当官を集めるよう指示しました。危機管理参集チームという各省における危機管理の専門家をすべて、官邸地下の危機管理センターに集める指示を私が出しました。
私も一気に地下まで降りました。私が危機管理センターに到着したのは午後2時57〜58分だったと思います。その段階で枝野さんもほぼ同時に入って来られて、そこで最初のオペレーションがスタートしました。危機管理センターというのはこの会場の倍ぐらいの広さで、天井の高さは同じぐらいでしょうか。一方の壁面には大きな画面が10枚ほど設置されています。そこで震災発生2分後に飛び立った自衛隊のヘリコプターが上空から撮影した映像などが随時映し出されていました。
同センターには20人ほどの専門官が囲む円卓があり、各自の目の前には緊急電話、衛星電話、マイクがあります。専門官の背後にはそれぞれの部下が控えていますから、総勢では100〜150人になります。
そこで会議をしていたわけではありません。すべての電話が鳴り響き、例えば、総務省消防庁の担当に「何々地域119番、現在何件入りました」という報告が電話で入ると、そこでマイクを通じて担当官が皆に叫びます。紙を回している暇すらありません。国土交通省であれば「何々本線停止」ですとか「何々道路、陥没で通行不能」といったことをマイクを通してどんどん伝えていきます。それを私たちはメモを取りながら一つひとつ判断していきました。
気象庁であればマグニチュード更新のたびにそういう連絡をする。余震発生ごとに報告する。警察庁であれば「何々地域、110番何件。中身は云々」といったことを次々に報告していきます。危機管理オペレーションにおける最初の段階では、一つひとつの報告を確認しながら全体の状況を把握していかなければなりません。これが最初の10〜20分でした。
そして、午後4時前に原子力安全・保安院から「福島第一原発、電源機能喪失、冷却機能停止」という報告がマイクを通じて入ってきた時、全体の空気が少し変わりました。当時の私は原発についての知識が十分ではありませんでしたから、何が起こったのかという技術的な詳細は分かりませんでした。しかし「何か大変なことが起こったのではないか」ということは全体の空気で感じ取りました。これがスタートです。
その段階では、遅いとか早いとかいう話ではありませんでした。私が危機管理センターに入ったのが午後2時57〜58分。それより5分遅かったら何か大きな違いがあったかと言えば、全くありません。まず全体の状況を把握することが最優先事項だからです。
全大臣で対策本部を立ち上げたのは午後3時15分でした。実は、各大臣が危機管理センターに入ろうとしたところを、各省庁に戻ってもらったのです。大臣には、まずは各省庁で可能な限りの情報をできる限り迅速に集めていただき、それを持って集まってくださいと、枝野さんと相談して決めました。そうして集まっていただいたのが午後3時15分前後でした。
何を何より優先させるか、迫られた究極の判断(福山)
次に夕方のオペレーションですが、私の場合は首都圏で帰宅困難となった方々への対応でした。財界、学校、各省庁に連絡して帰宅困難者が避難できる場所を確保し、それをメディアを通じて発信してもらいました。
次のオペレーションは福島第一に電源車を送ることでした。そのために下した最初の指示は、福島および東北への各道路をすべて通行止めにして、緊急車両しか行き来できないようにすることでした。阪神・淡路大震災の時、緊急車両だけでなく一般車両も通行する状況だったため、緊急車両の消防車などが入れなくなりました。そのために火災が広がり被害が拡大したことへの反省を踏まえて、今回は緊急車両しか入れないように規制をかけたのです。しかしその反面、実は住民の皆さまが車で区域の内外を移動できない、あるいはボランティアの方々が現地に入れないという大変な不便にもつながりましたし、それが批判の対象になりました。
テレビのコメンテーターの発言を注意して聞いていただくとよく分かりますが、政権や政府に対する批判には3つのパターンがあります。私自身は最初の20日間で気づきました。「遅い」「小さい」「思いつき」です。そのように言えば、大抵の場合、政府または政治の批判ができるのです。私が感じたのは、何に比べて「遅い」のか、何に比べて「小さい」のか、何をもって「思いつき」なのかを言わなければ、アンフェアだと思います。
私は立法府の人間ですから常に六法に照らして確認していましたし、枝野官房長官は元弁護士ですからたびたび「法律的にこれはできるか」と大きな声で仰っていたのを覚えています。しかし、喧騒が続いている緊急の状況下でメディアの方々に反論したり、説明を重ねたりする時間はありませんでした。まずは1人でも多くの要救助者、避難者、あるいは危険な状況に陥っている方々を救出することの方が優先順位が上だったのです。
そんな中、私としては官房長官の記者会見以外でいかに物事を細かく迅速に伝えるか悩みに悩んでいました。そして13日に加治さんから「Twitterで行きましょう」とご提案をいただき、すぐに始めました。意思決定としては相当速かったと思っています。あっという間に17万人の方々がフォローしてくださいました。情報やメディアを必要としていた方々が相当数いらっしゃったということだと思います。
伝えたいのに伝えられないという大きなジレンマ(福山)
当時は本当に大きなジレンマがありました。官房長官がいくら会見をしても東北の地域は通信障害と停電に陥っていたため、本当に伝えたい方に伝わっていませんでした。このジレンマは本当に、もう……、たまらんのです。「通信や電源はいつ復旧するのか」と常に確認していましたが、初期段階では復旧の目途すら全く立たない。その状況下でどうやって伝えていくのかを必死に考えていた時、ソーシャルメディアというツールが1つの有効な手段として浮かび上がってきたのです。
ただし、お年寄りの多い東北地方です。ソーシャルメディアはお年寄りの方には到底使いこなせない。そこで現実的な対策として大変原始的ではありましたが、壁新聞と紙媒体を配ろうという話が次の段階で上がりました。しかしその段階に至ったのは、実は2〜3週間も経過してからのことです。当初はそんな状況でした。
電気と通信の途絶、そして流通を含めた道路の遮断——。経営者の皆様にぜひお伝えしたいのですが、実はこれ、どの地域でもどういった状況でも起こり得ることなのです。それに対して日頃から企業内でどういった意思決定プロセスや連絡体制を取っておくかによって、危機管理における立ち上がりのスピードには格段の差が出てくると思います。
一方で政府内の問題を考えますと、各大臣にどのレベルの情報まで共有させていくのかというコンセンサスが、縦割りの中で取れていませんでした。そのため、原発事故に際し保安院や東京電力または資源エネルギー庁が、一定の情報を経済産業大臣には上げるけれども官邸には上げていないとか、防災担当大臣には上がらず別のところには上がるとか、そういったばらつき、混乱を招いてしまった。これは私も否定できないと感じます。
政府の垣根を外した途端に情報が流れはじめた(福山)
企業で言えば役職者全員にどのレベルの情報を同時に上げて、意思決定を仰いでいくのかというのはものすごく重要な議論ですよね。我々としては、ある段階から政府の垣根をすべて外しました。これは先ほど加治さんが仰った通りです。大臣や副大臣が全員、一度に集まって議論しました。そうしないと時間がもったいないのです。各々で意思決定して、その後に調整するような時間が無かったのです。実はそういった体制にしてから急に情報の流れが速くなりました。今後に向けた最大の反省材料でもあると思います。
最後は加治さんの資料を通じてお話をさせてください。日本の悪評が一気に高まったタイミングというのは、水の放射能汚染が出て「東京都内まで水が危ないのではないか」と言われた時です。この時、一気に悪評が増えました。この点は我々にとって大きな課題として今も残っております。
当時は本当に地団駄を踏むように感じていたのですが、重要なのは政府が「安全です」といくら申し上げても、それが消費者の皆様にとっての安心にはならないということです。科学的に安全であるということと、安心というものは全く別物なのです。半年間、食品の安全という重大な問題と向かい合ってきた状況の中で、それを嫌というほど感じました。
その中でもなんとか観光需要が戻りつつあるというお話を、先ほどのセッションで御立(尚資)さん(ボストン・コンサルティング・グループ日本代表)などからお伺いしました。そこからどのように日本の食や文化をもう一度ブランディングしていくか。今後に向けて本当に大きな課題になると思います。
高島:ありがとうございます。私たちにとっても非常に学びとなる形でまとめていただきました。状況の共有について、まずは普段からどのようなプロセスで情報を上げ、かつ意思決定をしていくかといったプロセスを構築すること。これは企業の規模に関わらず非常に重要だと思います。
もう少しパネリストの皆様にお話を伺っていきましょう。先ほど加治さんの方から境界が薄まってきたというお話がありました。確かに今回の震災以降、復旧あるいは復興のプロセスにおいて企業と政府が接する機会が非常に多かったと思います。
そこを議論するに当たって、先ほど控え室で伊藤さんから問題提起をいただきました。サプライチェーンが分断した際に、油の問題をどうするかというお話でした。伊藤さん、改めてお聞かせください。
伊藤:はい。皆様もご経験になったと思いますが、ガソリンと軽油の不足しましたよね「商品は用意できたが運ぶ術が無い」ということが起こりました。お取引先を通じて、千葉県・市原市のタンクに軽油があるというお話をいただいたのですが、その軽油を運ぶタンクローリーが無い。なんとかして別系列のタンクローリーが見つかったので、製油所に入りたいとお願いしたところ、「規制があるから駄目だ」と言われたりもしました。
もう1つ。これは油の話ではないのですが、放射能が検出されてから乳幼児のミルクが不足しましたよね。私どもは海外との取引もありますので、欧州の大手食品メーカーさんから「海外で売っている商品を供給できる」というオファーをいただいていたのです。社内では「ぜひお願いしたい」ということになりました。ところが…、業界の様々な反対があるということなのか、そこでも規制があったのです。「検査が通っていないから輸入できない」と…。結局、断念せざるを得ませんでした。本当に断腸の思いでした。緊急時にお客様が必要とされているにも関わらず、そういった規制が壁になって供給できなかった。もちろん規制は適宜あって然るべきですが、その運用は弾力的であるべきだと思いました。有事だったのですから。有事の際は有事の運用を考えていただきたいということを痛切に感じております。
高島:福山さん、そのあたりはいかがでしょうか。
避難所、病院、福島第一に燃料優先、苦渋の決断(福山)
福山:ご指摘の2点両方に関わっていた私としては、申し訳ない思いでいっぱいです。油についてはジレンマでした。先ほど申し上げたように一般車両を通行止めにして、まず緊急車両のタンクローリーを行かせなければなりませんでした。鹿島の油槽所は燃えていましたので、使えません。日本政府は限られた業転玉(業者間取引される石油元売りの余剰在庫)をすべて買い占めました。買い占め後に油をタンクローリーに運んでいただく段階になって、最優先したのは、本当に申し訳ないのですが、避難所、病院、そして福島第一原発でした。
福島第一原発はとにかくエネルギーが必要ですからどんどん送りました。そして病院。バックアップ発電の燃料が底をついた瞬間、即、病床の方々に影響します。ですからこれもどんどん送りました。そして避難所の方々が凍えないようにしなければならない。こちらもどんどん送りました。その結果として、実は民間の皆様に回るのが遅れていたのです。油が限られている状況下です。もちろん民間の方が持っていればそれは民間同士で動きます。しかし当時の政府は鹿島の油槽所もやられていたという非常事態の中、秋田に油槽所を持っていたのでそこから引っ張ってきた上で、限られた油を優先順位を付けて回していました。そのために、民間へ回らないという状況が発生してしまいました。
当時は東北のガソリンスタンドも多くが被災し、停電していました。店舗も営業できません。その実態を把握できたのが実は震災発生の5日目前後でした。ただ、当時の我々としては、「油を送れ。とにかく現地へ送れ。寒くて大変なんだから、とにかく油を送れ」という指示を出し続けていました。政府として優先順位を付けていましたから、民間に回っていなかった。5日目ぐらいになってガソリンスタンドの実態に気がついて対応を開始し、1週間目前後から回り始めたはずですが、これは本当に大きな反省材料です。現場でとてつもない苦労をされていた伊藤さんの隣に座っておりますと、もう本当に頭が上がらないというのが私の率直な心境であります。
粉ミルクの件は、私どものほうには上がっていなかった話です。大変申し訳ありません。「情報をどこまで共有していくか」という課題として、政府として真剣に対応していくべきポイントだと考えております。
「安全」と「安心」の間に大きな乖離が生まれている(高島)
高島:ありがとうございます。それでは食の復興について議論していきたいと思います。ここまでは震災発生直後についての議論でしたが、ここからは“今後”のお話です。
G1メンバーの皆様にも深く関わっていただいております『東の食の会』についてもう少し説明させてください。東北を含めた東日本全体の食品産業復興に向けた状況と、流通業、政府の立場からどのようなチャレンジがあるかを議論していきたいと思います。
まず「安心、安全」というテーマです。先ほど福山さんが仰ったように、安心と安全が乖離してしまっています。安全は科学と共に言及されるものですが、安心というのは心理の部分です。その狭間に大きな乖離が生まれてしまった。
現在どういった状況になっているかというデータをご紹介します。「今、どれぐらい不安ですか?」という調査ですね。昨年4月と11月に実施した調査によると、不安は4月と11月でほぼ同じ水準でした。8割前後の方が何らかの不安を抱えており、11月になってもそこに顕著な改善が見られないという状況ですね。そこで「どうして不安を感じるのですか?」という問いを継いでみますと、申し上げにくいのですが、最大の理由は「国や政府の発表が信用できない」というものでした。
では、不安の実体をどれほど理解していらっしゃるのかというと、実は「よく分からない」という回答が多数でした。実体に関する質問に対しては「よく分からないけれどもなんとなく怖いんだ」という回答が多かった。「よく理解している」という方は10%にも満たないのです。
ここに大変興味深い相関があります。同調査では不安を感じている方々に、少し放射能関連のクイズをさせていただいているんですね。すると、不安を感じていない人ほど正解率が高いという結果になりました。一方で不安を感じている人は正答率が低かった。つまり情報の量や質およびその理解と、不安感つまり心理的な影響は、非常に強くかつ反比例という形で相関しているのではないかと私どもは感じています。
こういった心理は消費者サイドだけでなく流通業に関わる皆さまにも影響を及ぼしています。「売りたいけれど怖くて売れない」ということですね。また、私が最近よく耳にするのは「怖くてつくれない」という生産者の皆様の悩みです。たとえばオイシックスでは3月18日から一貫して放射能検査を行なっているので、地域によっては放射能がまず検出されないということも分かっています。ただ、その地域の生産者の方まで「怖くて作れない」といったことを仰るようになっています。
ではどうしたら良いのかということになると、やはり専門家が科学的に説明をしていく。これが非常に有効だと思います。外国政府や国際機関からの説明というのもあります。それに頼ること自体が良いかどうかは分かりませんが、現実にはやはり信頼感が高いですから。また現在では生産者の皆さまから「自主検査をしてでもやっていきたい」という声が出ている状況です。
このような現状で、今後どのような対策が必要になるか。この視点で、まずは福山さんからお願いします。
福山:震災発生直後は非常事態でしたから暫定規制値を作り、その後に出荷制限や摂取制限を各地域でモニタリングしていただきながら決定していきました。そこから1年が経とうという現在、原子力発電所がなんとか一定の安定に向かい始めているということで、政府としては4月から新たな基準を打ち出していきたいと考えています。これまで食品については年間線量5mSvを上限とした上で、それを水や加工食品に分類して決めていました。しかし今後はこれを同1mSvとします。そこから割り出す形で、新しい食品安全基準を4月から適用しようと考えています。より厳しく、より保守的にという変更です。
科学的に言えば安全性は間違いなく高まっています。ただ、大切なのはそれを今後、政府としてどのように消費者、そして輸出の場合には海外に発信していくか。これが1つの大きな課題になると思います。海外ではいまだに日本の食品に関する輸入規制がかなり厳しい地域もあります。政府として、なんとか努力して打破することが鍵になります。
高島:ありがとうございます。では伊藤さん、流通業の立場でその辺の取り組みをお聞かせいただけますか。
伊藤:これは非常に難しい問題だと考えています。先ほど「正しい知識を持っていただくことが大切」というお話がありました。私どもも商品部のバイヤーやマーチャンダイザーを集め、専門家の方にお越しいただき、放射能というものについての啓蒙や教育を行なってきました。現場でも同じことをやっています。
ただ、これを私ども売り手の側から声高に言い切るのが難しい。私どもとしては、「安全です」とはっきり言い切ってしまうのが逆に無責任ではないかと考えています。ですから「全量検査をしています」といったことも言っていません。基本的には「政府の規制に則った商品を販売しています」とお伝えするに留めている状態です。店頭では食品メーカーさんなどが「安全です」といったことを謳ったりしていますが、私どもとしてはそういったことをせず、静かにやっているです。
日本の食へのイメージをグローバルな視点で回復せよ(高島)
高島:オイシックスはインターネットで野菜を売っていますから、ネット経由でお客様の声がたくさん届きます。それを見ると新しい基準値はなんとなく良い雰囲気で受け止められています。これは御立さんに教えていただいた事例ですが、シンガポールでも一時、SARSの影響で観光客が減ってしまった時期があったそうです。その対応として、まずカンファレンスを開催して安心宣言を出した後、官民合わせて畳み掛けるように観光客を増やす政策を打ち出していったそうです。
それを日本の食、さらには観光に当てはめて考えてみたいのです。新しい規制値に伴って、私たちに届くお客様の声が少しポジティブになってきています。ここからどれほど畳み掛けていけるのかが重要ではないでしょうか。影響力のあるG1メンバーの皆様には、そんなところもぜひ意識していただければと思います。
では流通と輸出の話にも進んでいきましょう。まず流通に関して言うと、非常に価格が落ちている。特に農作物。消費者も生産者も共に腰が引けているんですね。
ただ、先ほどご紹介したアンケート結果も併せて考えてみると、すべての消費者が安全第一ではないようです。「安全第一」の方々は全体の4分の1前後です。一方で「積極的に消費して被災地を応援したい」という方も同程度いらっしゃいます。「安ければ安いほどいい」というお客様も同様に4分の1前後。「適宜判断します」という方が4分の1前後というのが全体の構成でした。
今は安全第一主義の方が発する声が一番が大きいので、どうしてもそれに引きづられた販売になりがちです。しかし全体で見ると今お話ししたようなマーケット環境になっています。現在はそこで成功事例もいくつか、少しずつ出てきているのかなという状態です。
一方で輸出はどうか。元々、食品輸出については香港が最大の農産物輸出先でした。これが現状ではどうなっているかというと、各国がかなりばらばらな輸入規制をかけている状況です。何か統一された国際的基準というより、各国がそれぞれ規制をかけている。現在では、アジア地域はかなり戻っていますし、アメリカはほぼ100%まで戻っています。中国が一番規制が厳しく、落ち込みが非常に激しい。中国との交渉が大変重要になると感じています。
成功事例もあります香港では現地の方が「日本食を支援しよう」という運動を起こしてくださって、昨年7月時点で例年の8割ぐらいまで戻っていました。シンガポールでもイベントが行われていたりします。
では次に国内流通と輸出についてそれぞれお伺いしたのですが、まずセブン・イレブン・ジャパンの取り組みについて伊藤さんからご紹介いただきたいと思います。
「東北かけはしプロジェクト」で東北企業を支援開始(伊藤)
伊藤:現在、私どものグループ、キリンビールさん、キユーピーさんなど大手メーカー8社と東北の地元食品メーカーさん13社で『東北かけはしプロジェクト』を展開しています。各社が連携して、私どもならば東北企業の商品を販売するほか、キャンペーンやイベントを通じて支援していくというものです。
実際はまだ緒についたばかりです。昨年11月下旬に売り場を集約し、複数店舗で販売しました。1週間で7億円ぐらいを売り上げました。もちろんまだまだ正業に貢献できるような取り組みはできていないのですが、それでもなんとか進めているところです。
現場でバイヤーの話を総合すると「買いたくてもまだ量が出てきていない」という状況です。全店対応が難しい場合も少なくないので、個店レベルで実施できるものやネットで販売できるものを切り分けて、できる限り購入するようにしています。
もう1つの課題は、お取引をする東北のメーカーさんたちに直販のご経験がない点です。どのように販売すればよいのか。陳列やチラシ作り、販促の打ち出しを含めて、私どもへ「どのように提案したら良いのか分からない」というご相談が寄せられています。そういったことも併せて積極的にご協力しています。
品質面の問題もあります。放射能の問題ではありません。一般のQC管理に関連した課題についても、正直に申しまして十分でない部分はあります。中には私どもの店頭での販売は難しいというものもあります。そこで、東北専門のQC管理担当者を決めました。今はとにかくお取引先に協力しながら地道に活動を続けている状況です。
高島:ありがとうございました。もっと伺いたいのですが、時間も迫って参りましたので輸出にお話を移しましょう。加治さん。先ほど触れた中国の規制のように、輸出面でも様々な問題があると思います。そういう中でジャパンブランドやレピュテーションをどのようにして積み上げていくかという議論も非常に重要かと思います。こちらについて何か取り組みをご紹介いただけないでしょうか。
日本人の強さとリーダーシップを世界が必要としている(加治)
加治:私の仕事は様々な国際会議で日本のメッセージを打ち出していくということもあります。先日もダボス会議でいろいろと活動してきたのですが、そちらについて簡単にご説明させてください。
ダボス会議では4日間の期間中、250前後の正式な会議とおよそ500におよぶオフラインの会議が開かれます。今年は渡辺謙さんも出席されまして、ハーバード・ビジネス・スクールの竹内弘高先生とのセッションに登壇されていました。渡辺さんは被災地について話した後、「雨ニモマケズ」の詩を英語で朗読され、大変な感動を呼んでいました。
また、カルロス・ゴーンさん(日産自動車CEO)にモデレートしていただいて、野田佳彦総理の衛星会見が行われたクライシスマネジメントのセッションもありました。田坂(広志)さん(内閣官房参与、多摩大学大学院教授)も登壇しておられます。当初は枝野さんが登壇される予定だったのですがヘリコプターが飛べなくて間に合わず、急きょ田坂さんが登壇されたのですが、本当に素晴らしいお話をされていました。そのほか、古川(元久)さん(内閣府特命担当大臣)や枝野さんも参加しておられました。
そんなダボス会議では「ジャパンレセプション」というものも行われました。ダボスでは木曜日の夜にたくさんのレセプションが行われます。恐らく25前後開かれたと思います。その中でも日本のレセプションが最も人気を集めていました。料理が大人気なんです。寿司と酒を用意してお待ちしていると必ず人が集まる。フライヤー(散らし)も‘SUSHI’と‘SAKE’の文字が満載です(会場笑)。およそ600人の方がいらっしゃって大成功でした。
私としては、これまでのオリンピック招致と日産自動車での活動、そして現在の仕事を通して自身の発想が変化してきています。当初は「日本の未来のために」とか「日本がこれから危機的状況になるのではないか」という視点で活動していました。それが次第に変わってきて、震災の経験を通して確信に変わっていきました。
今では、我々日本人の持っている強さ、日本人によるビジネスとリーダーシップのあり方を世界が必要としているのではないかと思っています。冒頭で申し上げたような境界の無い世界になってきた時、例えばクリスマスと神社仏閣を生活の中で共存させることのできる我々のしなやかさ、打たれ強さ、そういったものがこれからの世界でとても重要になるのではないか。今はそんなふうに考えながら活動しています。そういったメッセージを込めたビデオを皆様にもご覧いただければと思います。
<ビデオ上映(こちらからご覧いただけます)>
加治:ちなみに、こちらのビデオは御立さんのBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)からご出稿いただいている方2名のうち、お一人を中心にしてたくさんの方のご協力を得て制作したものです。この場を借りて皆様に御礼を申し上げます。 BCGからはお二方、政府へ出向いただいていますが、そのうちのお一人が大変頑張って制作してくださったものです。この場を借りて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
高島:ありがとうございました。では映像の余韻を楽しみつつ質疑応答に移りたいと思います。クライシスマネジメントと食の復興。あまり相関しない2つのテーマでしたが(会場笑)、どちらでも結構ですので質疑いただければと思います。では御立さんからお願いします。
経験域をはるかに超える想像力を働かせるには?
会場1 [御立尚資氏 ボストン・コンサルティング・グループ日本代表(以下、敬称略)]:御立です。本日はありがとうございました。福山さんが仰ったように、これまで日本は阪神・淡路大震災を含め、経験したことに対してはものすごくきちんとやってきています。今回の経験からも何かしらを学び、世界よりも相当進んだことができると思います。
ただ、我々がリスクマネジメントの専門家と議論すると、「日本人って経験していないことについては想像力が働かないんじゃないの?」「日本人って起こりもしなさそうなことをあまり考えないよね」と言われます。例えば原発事故に際して電源を喪失した際も「ここまでは訓練していなかったから間に合わなかった」とか…。あるフランス人の専門家は「自分たちは所詮上手くやれないのだから、常に想像していないことが起こることを前提にしてシナリオを作ったり、訓練をしている」と言うのです。
クライシスマネジメントにおいては、得意な部分ではなく弱いところに対応していくために、想定していないことが起こることをある程度組み入れないといけない。食についても、首都圏を含めてさらに深刻なケースが起きる可能性はある。
そこで想像力を働かせていくと、食の安全の前には量の問題やサプライの問題とか、様々な事態が想定を超えた範囲で起きることが想像できます。東京大学の先生から「4年以内に70%の確率で首都直下型地震が発生する」といったお話も出るほどですよね。しかし、本当に当たるのかどうかは誰にも分かりません。ならば今後に向けてどのように想像力を働かせておくのが一番良いのか。これを考えておくことが、実は「東の食の復興」でもプラスになるはずです。
そういった想像力という点で、考えるべき部分がありましたらお聞かせいただけないでしょうか。
会場2:首都圏直下型が来ると予測されている中、次に何か起きたときのマニュアルやクライシスマネジメントは現在、整えられているのでしょうか。
会場3:1点目は情報共有の部分です。本当に昨年のご苦労はよく分かりますし敬意を表したいと思います。特に枝野さんがあのとき官房長官で良かったと、私も思っております。
その上であえてお伺いしたいのですが、政治主導にこだわったあまりに役所間の連携を阻害したのではないでしょうか。役所間で情報共有してきちんと話し合っていたら、情報はきちんと政治まで上がっていたのではないでしょうか。これは福山さんにですね。
もう1点。Twitterは確かに大変有効だったと思います。私も震災発生直後に様々な発信をしていました。本人認証をしている人間が発信することで情報の精度や信頼感は高まったと思います。その一方で、各省のホームページはどうだったか。
ある時、官房長官が「ほうれん草から放射能が検出されました」と発表しました。確かに危険な情報ですからそれはそれで良いと思います。バリューがあるのは危険な情報の方ですから、それを官房長官が仰るのは良い。しかし、そこから後追いしてきちんとホームページ上に「情報の全体はこうです」「ほうれん草では検出されましたが、他では大丈夫でした」といった情報をしっかり上げなければいけないと思います。
ところが、私がその時農水省のホームページを見てみるとトップページは何日間も鳥インフルエンザの情報でした。「そうではないでしょ? 今は放射能でしょ?」と言ったら「いや、これは厚労省の管轄ですから」という話になる。それを後日枝野さんに質問したら改善がなされましたが、今度は何回もクリックして階層を降りないとその情報に辿りつけない状態でした。こういった話は普通に考えると有り得ないなと思うのですが、なぜ、いまだにそんなことが起きるのでしょうか。
あともう1点だけ。これはご提案です。伊藤さん、お困りの際はぜひG1ネットワークを使ってください。震災のような危機に際し、我々のところには様々な情報が入ってきます。しかしそこで我々は取捨選択しなければならないんですね。言ってきている方の身元ですとか、信用できる相手なのかというのは大変重要ですから。当然、時間が取られてしまいます。
しかし、そこで「G1メンバーです」と一言添えていただくだけで、こちらはその情報を正しく得ることができるんです。G1メンバーはたくさんいますから危機の際は片っ端から電話をしていただけると良いのではないかと思います。
テール・リスク、ブラック・スワンへの備え方のレベルは?
会場4[有泉池秋氏 日本銀行政策委員会室企画役(以下、敬称略)]:今日は大変学びの多いお話、本当にありがとうございました。日本銀行で広報をやっております有泉と申します。やはりクライシスに関するご質問になってしまうのですが、昨今、テール・リスク(発生確率は低いが発生すると巨額の損失となるリスクのこと)ですとかブラック・スワンといったリスクに関する様々な表現が国民の皆様にも広く知られるようになってきました。例えば直下型の地震はテール・リスクというより相当なファット・テールだと思います。そういったものについて大変怖いと感じ、「どのように備えたら良いのか」と不安に思っていらっしゃる方は多いと思います。
ただ、そこにどれほどのコストをかけて備えておくべきなのか。備蓄や分散型リスク対応の準備なども考えると、極端な話、最高レベルの備えをしようと思えば財政上莫大なコストが発生してしまいます。私たちはテール・リスクに対する備えという観点でどの程度のコストをかけていくべきなのか。これについてはビジネスリーダーの方々も大変迷われる領域かと思います。そこで今回の震災を経てパネリストの皆様がお感じになった備え方のレベルに関してお考えをお聞かせください。
高島:ありがとうございます。まず加治さんからお願いします。
加治:ご指摘いただいたことは我々としても日々ディスカッションをしているところです。特に先般の東大予測以来、その深刻さは増しているわけで、そこでどのように対応していくか。例えばサーバーをどこか別の所に持っておいてバックアップがすぐできるようにしなければいけないとか、その際に民間とどのようにリンクしていけば良いかとか…、そういった話を日々しています。
それからホームページの使いにくさについて。そもそも省庁のローテーション、官僚が2年ごとに異動してしまう点に本質的な課題があると感じています。専門家としての知識があまり残らないのです。ある程度のところまでいってもすぐに人が変わってしまいノウハウが蓄積されない。博報堂さん、電通さん、東急エージェンシーさんに各省庁にアドバイスに来ていただき、その精度を上げていくといった作業を地道に進めています。いずれにせよホームページの使いにくさや階層の深さというのはまさにご指摘の通りでして、早急に直していきたいと思っています。
それから財政コストですが、これはリスクの形によって異なると考えています。特に地震に関しては各エリアで備えが大きく異なりますから簡単にはお答えできないのですが、ブラック・スワン的な比率で起こる危機に対してどれぐらいコストをかけることができるかは、もう政策レベル、経済状況、民意のレベルによっても異なると考えています。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の通り、おそらく震災から時間が経つにつれてその深刻度は全体的に薄れていくでしょう。そこに関する適切なガイドラインはまだできていない状態です。
危機が起きた時にマニュアルを引っ張り出しても遅い(伊藤)
伊藤:御立さんにいただきました「想定を超えることへの想像力」というご指摘や、有泉さんにいただきました「備えのレベル」に関するご質問についてですが、現実問題として想定しきれない部分は常にあると思っています。これを刹那的であると受け取られると少々困るのですが…。私どもがやっていることは、「在庫レベルを上げる」といったようなものではありません。
もちろん情報インフラ等の備えやリスクマネジメントのマニュアル構築においては、過去に発生したあらゆる天災の経験を現場で克明に記録していたものがベースとなっています。ただ、当然それだけでは不十分です。いざ何かが起こった時、資料をひっくり返して「何をしていたっけ?」とか「何したらいいのか?」などということはやっていられないわけです。
ですから、訓練も必要なのですが、根底にあるのは「理念」ということになるのかなと私自身は思っています。「危機の際、自分たちがしなければいけないことは何なのか?」を、ことあるごとに語り継いでいく。キレイごとを言っていても本当に染み付いていなければ、いざ揺れた時に「あれ?マニュアルはどこだ?」などという話になってしまいます。
備えのレベルという点では、正直言って、潤沢にできるというわけではありません。兎にも角にも理念と共に語り継いでいくことを一生懸命やっていこうと思っています。もちろん、今回のような広域的な複合災害に対して具体的にどう対応していくのかという知見を新たに得ましたから、それらを加えたマニュアルは作りました。それに加えて、今回のようなことをきちんと語り継ぐための冊子も作成したのです。それをグループのなかで共有していこうという状況です。
危機管理とは「価値のある無駄」を作ること(福山)
福山:御立さんからご指摘のありました「想像を超えるものへの準備」についてお答えします。例えば原発事故の問題に関しては、これまで、「リスクにどう対処するんだ?」「何かあったらどうするんだ?」という問いに対して「そんなことは起こらない」と言って蓋をしてきました。特定の人々を攻めているわけではありませんが、そういったいわゆるメンタリティーは確かにあったし、それが今回の大きなリスクにつながった面はあると思います。
ですから、企業であれば何か想定外の事態が発生した時に備えて、どのように支店が配置されているのか、地域がどのようになっているのかといった基本的なところからすべて洗い出していただく作業が必要になるのかもしれません。全役員で想定できないないようなリスクの存在というものについて、一度徹底的にブレーンストーミングするような機会も必要ではないかと思います。
誤解を恐れずにあえて申し上げますと、危機管理とは「無駄を作る」ことです。「価値のある無駄」こそが危機管理の本質ではないかと思います。具体的にどこまでお金をかけられるのかというコストの話になると、企業や家庭の事情によって異なるでしょう。ただ、「ここまでは価値のある無駄として認めよう」というある種のコンセンサス、確認を取ってから準備をすべきだと思うのです。そういうことができれば、伊藤さんが言われた理念につながっていくでしょうし、準備の質が一定レベル以上に担保されるのではないかと思います。
それからホームページのお話ですが、これは本当にお恥ずかしい限りです。ホームページなどによる情報発信について、残念ながら各省庁では危機の状況だけでなく平時からそういった意識をあまり持っていません。結局、国民の皆様に何かを積極的に伝えようというメンタリティー自体が日本の省庁に薄かったと感じています。現在はそこに対して加治さんを始め多くの方から新しい風を入れていただいているというのが実情です。
民主党政権が政治主導にこだわり過ぎたのではないかというご批判ですが、私自身は政治主導と言ったことはあまりないのです。そんなことにこだわることには意味が無いからです。「政治家が偉い」とか「官僚が偉い」といった類の話とは関係なく、官僚同士の話し合いだけでは縦割りの弊害で動かなくなる部分が必ず出てきます。ですから当時、私は副大臣などを集めて、その後ろにきちんと官僚も入れ、政治家と官僚が一緒になってブレストや議論を重ねた上で意思決定をしようという方針で進めていました。
原発事故に関連した避難者の皆様に対する支援の議論はそのように進めました。ご存知の通り、厚生労働省、防衛省、警察庁、農林水産省、経済産業省などがすべて関わってきます。もちろん、お金を付けなければいけませんから財務省も関わります。彼らをすべて集めて「問題は何なのか?」と突き詰めていきました。役人にも発言をさせ、政治家もに入り、同じ視座で議論をして意思決定をするようにしました。ですから、政治主導にこだわったという意識は私自身にはありません。
もう1つ、首都圏の防災対策についてですが、私は今でも月に1回は当時危機管理の統括官をやっていた内閣府の防災専門官と連絡を取っています。国も準備を始めました。首都圏直下型地震への備えというのは一朝一夕にできるものではありませんが、今はまず「何から始めていくか」について議論を始めています。
昨年の9月の防災訓練では警察に了解を取って信号を何十秒間か止めました。初めてのことです。今までは、「渋滞が起こる」という理由で警察庁に止められていたのです。しかし、実際に信号を止めてみなければその時にどんなパニックが起きるのか分かりません。ようやく、そういうチャレンジをしてみようという意識になってきたのです。そういった作業を地道に積み上げて首都圏の防災マニュアルを作っていかなければならないのですが、首都圏企業の皆様による協力が不可欠となります。
昨年3月11日、首都圏で発生した帰宅困難者の方々を振り返れば分かりますが、日本国民が立派だからこそ首都圏でもパニックが起こらなかったのです。余震が多い中、車を放置して逃げたり、地下鉄を歩いて逃げたりした人はいませんでした。日本という国は本当に素晴らしいと思います。現在はそういった点も踏まえつつ首都圏地震に対するマニュアル作りの準備を進めている状況です。ありがとうございました。
高島:ありがとうございます。特にクライシスマネジメントについて本日は大変示唆に富むお話、私たちが具体的に学びとして取り込めるようなをお話ををしていただきました。パネリストの皆様に拍手をお願いします。ありがとうございました(会場拍手)。