政治家や国民が、それぞれの課題を追うだけでは間に合わないところに日本は立っている(櫻井)
櫻井:皆さんこんにちは。堀さん、お招きをいただきましてありがとうございます。今日はとても楽しみにして参りました。「次の世代に何を伝えてゆくか」という大きなテーマをいただきましたが、これは恐らく日本国の未来を担う人たちに、「一体何を軸として日本という国、そして私たちの家族と社会を守っていけば良いのかというメッセージを伝えなさい」ということなのだろうと思っております。
実はこちらに来る前、若手政治家の方々によるセッションを少し拝聴致しました。鈴木寛さんたちのセッションですね。そこでほんの一部でありますが拝聴して分かったのは、皆が「何かをしなければいけない」と考えていらっしゃることでした。心の底から我が国の現状を憂いて、そのうえで自分たちに何が出来るのかと真剣に模索していらっしゃる。
けれども私は今、個々の政治家や個々の国民が、それぞれ個々の課題を追うだけではとても間に合わないところに日本は立っていると感じています。そこでまずは三点だけ、極端な事例かもしれませんが、我が国の内政および外交を象徴する事柄をご紹介させてください。
一点目は戦後の日本を支えてきた、もしくは戦後の日本人が「我々はここで力を発揮するのだ」と思ってきた経済についてであります。すなわちお金の問題ですね。現在、巨額の財政赤字が積み上がっていることはすでに周知の事実です。いま生まれたばかりの赤ちゃんから…、実は私の母は今年で101歳になりますが…、そのような高齢者まで、平均約800万円という借金を背負っている状態と言われています。隠れた財政赤字があればさらに増えます。また、日本人すべてが均等に負担する訳ではありませんから、いずれにせよこれは表面的な数字です。80歳以上の方は国から色々なものをいただくだけで終わることが出来る幸せな世代で、60歳以上は貰うほうが圧倒的に多い世代、他方若くなればなるほど負担が大きくなっていく世代構造となっています。
こちらについて内閣府の調査を見てみたのですが、私は愕然と致しました。2006年度以降に生まれる人たちを「未来世代」と呼ぶそうでありますが、この世代がこれから負担しなければならない社会保障額と財政赤字額の合計は1億500万円だそうです。生まれながらにして1億500万円の借金を背負わなければならない。この負担額は彼らの生涯所得における51.4%を占めます。これはあくまでも平均値です。この数字がどのような根拠で試算されているかという点については内閣府経済社会総合研究所が詳しい資料を公開していますので、皆さんもご覧になっていただければと思います。とにかくこういうところに我が国が来ている。普通の会社で言えばもう、とうの昔に破綻している状況です。
今日は民主党も自民党もお友達の方がたくさんいらっしゃっていますので、あまり「政治が政治が」と責めたくありません。でも、国民にこの全体像を示して、「もう本当にばらまくような時代じゃない」と言わなければいけない。政治家が「もう我々はどうにかしなきゃいけないのです」と、最も厳しい言葉で問題提起をしなければならないのに、それが出来ていなかった。これが私たちとしても大きな自信を持っていた経済分野に関するひとつの事象です。
二点目は、日本人は本当に、なんていうのでしょうか…、民族としての気質がすごく優れた人たち。責任を果たしたり、他人に迷惑をかけなかったり、あまり悪いことはしなかったり。そんな価値観を持ってきました。そして年齢を重ねれば重ねるほど分別が働いて、「人様に迷惑をかけないように」と心掛けるようになる。しかし、ここで我が国の犯罪白書を見てみるとどうでしょうか。昨年、我が国で発生した凶悪犯罪数は史上最低を更新致しました。犯罪が、減った。日本はとても安全な国だということがこの統計からは見えてきます。
しかしそのなかで、群を抜いて増えている項目があります。それは何かというと、高齢者による殺人です。1年間で約1000人が殺人事件で命を落としておりますが、かつては65歳以上となる高齢者の犯罪は全犯罪の1%ぐらいでした。もちろん高齢者の全体数も増えてはいます。けれども、2010年度の殺人検挙者に占める65歳以上の割合は13.8%です。このことは何を意味するのか。終戦の年となる昭和20年に生まれた方が今はちょうど65歳ですね。その方たちより少し上の世代となる人たちが、どんどん精神的に崩れている。これは私にとって非常に深い意味を持った恐ろしい事実であります。我が国の心が砕けようとしているのではないのかなと。そんな感じが致します。
もうひとつ。国家を支える要素というのは国民の精神と経済、そして軍事力です。で、軍事という意味で国防の力を見てみると、今の日本国は絶望的に見えます。これは尖閣諸島のことを見ても、北方領土のことを見ても、明らかであります。現在はもちろん、そこで軍事力が行使されている訳ではありません。しかしその背景には国家の根幹である、国土、領海、そのうえに暮らす国民の命があります。そうしたものを守るだけの力を持っていないということが、見透かされている。あるいは形のうえで力があっても、それを行使することはないであろうと思われている。それが中国の行動に繋がり、ロシアの行動にも繋がっているという風に思っています。
これらについて考えますと、恐らくは戦後65年のあいだに国家の根幹である価値観ですとか、体制ですとか、そういったものが、音を立てて崩れつつあるのが今の日本ではないかなと思う訳であります。現象として「あれを直しましょう。これを直しましょう」と考えるべき目の前の問題は山ほどあります。それらはたしかにひとつずつ解決していかなければならない問題であります。ただ、これはもう「もぐら叩き」みたいなものですね。こっちを叩いたらあっちが出て、あっちを叩いたらこっちが出る。際限がない。こういうときにはどうするか。皆さんだったらどうしますか?もう会社がにっちもさっちもいかないとなったら、どうするでしょうか。
誰かが責任をとる覚悟で原点に戻るしかないですね。「まともな会社というのはこういう会社だ」、「まともな人間というのはこういう人間だ」。そんな原点に戻るしかありません。我が国についても原点に戻るしかないと考えています。「じゃあ、原点ってなんでしょうね?」ということが、恐らく今日の私に与えられた一番重要なテーマであろうと思っております。
国家とは、「自分ですべてを賄う」という志のうえに立つべきもの(櫻井)
今から申しあげることは、これからの人生を自分が愛する祖国日本の再生に役立てたいと思っている、ひとりの女の暴言だと思って聞いてくださればと思います。私はずっと前から「この国は何かおかしい」と感じていました。日本がとても好きなのですが、おかしいなと思っていた。日本人が好きなのですが、おかしいなと思っていた。それで色々と考えるようになってから結論に達したのは、戦後の日本はまともな国家ではなかったということであります。
戦後の日本人もよくよく考えてみると本当にまともな日本人だったのか。これは私自身を含めた話ですが、疑問に感じています。皆さんに大変失礼なことを申しあげているというのは重々承知しておりますが、敢えて申しあげました。まともな国家というのは自分の国を自分の国できちんと守り、繁栄させていくことの出来る国であります。まともな人間というのは自分の人生を自分の力で切り拓き、自分の家族を守っていくことの出来る人であります。両方が崩れてしまっている。日米安保条約によって私たちは守って貰っていました。たしかに快適なことであったかもしれない。自分で多くのことをしなくても済む訳ですから。しかし快適な生活をするなかで大事なものを失っていった。
それは「国家とは何か」ということであります。国家は先ほども申しあげましたように、基本的には「自分ですべてを賄う」という志のうえに立っていなければいけません。しかし国防はぜんぶアメリカにお任せ。ことのついでに外交もお任せ。経済だけは自力でやっているという風に、自身では思ってきたのかもしれません。でも経済だって、国防の力があるのかないのか、そして外交の力があるのかないのかでまったく変わってきます。
この分野で我が国は本当に力を失いました。これについて考えてみると、色々な政治家の顔が頭に浮かんできます。昭和史をずっと辿りながら、戦後の歴史をずっと辿りながら、「どうしてここに来たのだろうなあ」と思う。そのときに感じるのは、本当に自分の名誉や命さえ引き換えにしても、この国のために働こうという人がどれだけいたかということです。ひとりもいなかった訳ではない。ただ、少なかったような気がしています。ここに安倍さんがいらっしゃいますが、戦後で真の宰相と言えたのは岸信介さんひとりだったと私は思っています。
岸さんは「日米安保体制によって守られているのではないのだよ」と言っていました。「日米安保体制によって表面的には守られていても、国家としての誇りも民族としての誇りも地に堕ちようとしているのだよ」と。日本国が日本国でありながら、事実上は我々によるコントロールのもとにないことに気が付き、問題提起をした。そうして大多数の反対によって官邸を十重二十重に囲まれ、警察から「安全を保証出来ませんから官邸を脱出してください」と言われても、「死んでもいい」と言って、官邸に残った訳です。本当に死んでいたのかもしれませんが、「死んでも良い。それでも日本は自立しなければいけない」と考えた。「その第一歩が日米安保条約の改訂だ」と思って踏ん張った。それで日米安保改定が行われて前進した。でも岸さんだってそれで十分だなんてぜんぜん思っていませんでした。まったく思っていなかった。憲法改正まで岸さんはやりたかったと思います。それを次の政権、またその次の政権はどうして手がけもしなかったのか。
池田勇人内閣になり、私たちは経済成長に舵を切りました。それはそれで意味があったと思います。否定する訳ではない。けれどもご本人は後悔していました。総理の職を病気によって辞したあと、周辺の人たちに言っています。「やはり自分は間違っていたんじゃないか? あのときに無理してでも憲法改正をやっておけば良かった」と。アメリカに行ってもヨーロッパに行っても国防がきちんとしていなければ政治家の言葉には重みが出ません。池田さんはそんな風に言っていますね。そしてお辞めになったあと、「自分は全国津々浦々を廻って青年たちに憲法改正の重要さを説きたい。国家は経済だけではないということを説いて廻りたい」と言って、彼は亡くなった。
岸さんの前ではありますが、吉田茂さんだって同じです。再軍備しなさいとアメリカに言われて断った。断って、断って…、とにかく経済の立て直しを最優先課題にしていきました。その吉田さんも総理をお辞めになったのちに世界を旅して『世界と日本』という本をお書きになりました。そのなかで「再軍備しなかったことは間違いだった」と言っています。吉田さんは本当に達筆で多くの手紙を書き残しました。自民党の政治家たちにも手紙をたくさん送り、「やってくれ」と。「憲法改正によって再軍備だ。国防をちゃんとやらなければいけない。頼んだよ」ということを書き残しています。
ところが私たちはそれを岸さん以降、やり得てきませんでした。なぜか。やはり人間というのは弱いものです。目の前でどんどん反対が強まり、「そんなことよりも経済ですよ」という声が大きくなっていた時代です。そのなかにあって「経済は大事だけれども、もっと大事なことがある。支持率が落ちてもそのことを言い続ける」と言ってみても、なかなか大変ではあったと思います。
ただ、政治がそのような形であったときに国民のほうはどうであったか。私は政治家だけを批判することは出来ないと思います。今の民主党によるバラまき政策については誰も良いなんて思っていません。ひとりひとり聞いてみれば誰もが「大丈夫なのかしら…。お金もないのに支給額は1万3000円が2万円になるし、高速道路も無料化するなんて…。大丈夫なのかな」と言います。
聞くまでもないことです。大丈夫である筈がない。税収よりもはるかに多額の借金で予算をつくっているわけです。月収20万円の人が毎月の生活で50万円を使っているようなものです。売上2億円の企業で毎年5億円を支出しているようなものです。こんなことは家庭でも企業でもだめだとすぐに分かる。国家だとなぜ分からないのでしょうか? 分かっているけど、言わない。そのなかに甘んじてしまう。これを、1億2000万の総無責任体制と言います。だから私は政治だけが悪いなんてまったく思っていません。国民も、悪いのです。
ただ、この国民の姿はかつての日本人の姿ではなかったと私は思います。先ほどお年寄りの凶悪犯罪について言及致しました。日本では年を重ねれば重ねるほど良識を身に付け、分別を身に付け、若い人の行き過ぎをきちんと注意してあげる。そして大きなところから指導力を発揮出来るような価値観を、かつての日本人は持っていた筈でした。でも今はその人たちの犯罪率が急速に上がっている。彼らは加害者というだけではありません。被害者でもあります。“オレオレ詐欺”に一番先に引っかかるのはお年寄りですね。どうして引っかかってしまうのでしょうか。「孫が交通事故を起こした。警察にいるから金を持って来い。示談だ」。少し考えたらそんなことはあり得ないと分かっている。しかしこれは戦後の日本人が「本当にこれは正しいのか」ということを考える能力、感じとる能力を低下させてきたことの象徴ではないかと、私は思っています。
そのような力が何ゆえに低下したのか。自分の頭で考えなくなったからです。国家が外交について考えないように、アメリカの後を基本的にくっついていくように、国民もお上任せ。誰かに任せて考えないようになった。そういうことがずっと続いてきました。ですからやはりここで一度立ち止まり、私たちは根本から直していかなければいけないのだろうという風に思います。
日本人の価値の伝承と共に、大きな視点で国際社会を見る力を養うべき(櫻井)
根本的な治療というのはなかなか難しいものです。時間もかかります。けれども根本的な治療の良さは、これをやればかなり良くなるということです。弥縫(びほう)策は、少し痒いところに痒み止めをつけたら痒いのがなくなった、あるいは少し痛いところに痛み止めをつけたという程度のもの。でもまたすぐに出てきます。1〜2日は効いても、3日目か4日目からはもうだめということですね。
ですから今こそ国家規模で取り組むべきは根本策なのだという風に思う訳です。では、何が根本策か。私としては「日本人というのはこういう人たちだった」という教育をしなければいけないと思います。日本人は歴史を知らない。こういう話をすると「また櫻井さん歴史の話か」と思われるかもしれません。けれども歴史を知ると、なるほど私たちのわずか2世代3世代前の人たちが、あるいはそれより前の人たちが、これほど一生懸命に生きたのだと。苦しかったときにものすごい知恵や工夫で生活していたじゃないかと。「その末裔が我々なのだ」と感じるだけで、勇気が出てくると、私は実感しております。
子供たちの教育を含めた日本国全体の教育の中で、この価値観の伝承が行われなくなってきております。歴史が良い例です。学校教育で歴史を社会科の一部として、6年生になってはじめて教えるような国は世界広しと言えど、日本だけです。世界史が必修で日本史が選択だなんて、本末転倒も甚だしい。もちろん学校教育以前に家庭で教えていくこともある。自分のおじいちゃんやおばあちゃんがどういう人たちだったのか。どういう人生を駆けてきたのか。父親としての自分はどういう人生を歩んでいるのか。母親としての私は何を考えているのか。こうした価値観の伝承が非常に大事なのであろうと考えています。
それをしたうえで、諸国がどのように振舞っているかを教育の一環として教えていかなければならない。私は明治政府が出来てすぐに発布された「五箇条の御誓文」が、非常に民主主義的でかつ日本の民族性を大事にしながら、さらにとても国際的だったことに感動します。日本の歴史を大切にすると同時に、大きな視点で国際社会を見ていかなければならないと思っています。
先ほど若手政治家の皆さんによる議論を聞いていたら、具体策がたくさん出ていました。結構だと思います。ものすごく良いことだと思います。けれども日本国内でひとつひとつの小さな話をしているあいだ、世界のなかで我が国がどれだけ沈んでいっているか。大きな戦略が欠けたところで日本だけを見つめて議論していても力を発揮することにならないということについて考えて欲しいと思います。今の国会議員のなかで、本当の国家戦略論を他国の政治家と互角に語り合えるという自信のある人がどれだけいるか。この会場にいらっしゃる政治家の方々を除いて(会場笑)、ほとんどいないと思いますよ。
世界の動きというものはやはりすさまじい勢いを持っています。皆、色々な理想を求めながら、しかし国家としての生き残りを念頭に置いている。経済において戦い、政治において戦い、そして軍事において戦う。その世界における大きな潮流なかで、アメリカがどう動き、中国がどう動き、インドがどう動き、今後のエジプトがどうなるのか。7月からはじまるアメリカのアフガニスタン撤退がどうなっていくのか。そのように大きな戦略について考え、それを描く能力を高めるためにも「世界を広く見なさい」という明治以来続いた先人たちの教えに戻らなければいけないのだろうという風に思います。
教育を行って視野を世界へ広げるとともに、やはり考えなければいけないのは国家として決定的に足りない国防の力についてです。これを備えなければならない。憲法改正が本当は一番良い。軍事をきちんと持たない国の外交は言葉だけです。言葉だけの外交の虚しさは鳩山外交に見てとれます。鳩山由紀夫さんが「東シナ海を友愛の海にしましょう」と胡錦濤さんに仰っていましたね。スタンフォードの博士課程をお出になってもあの程度かと残念に思う訳であります。中国の前で言葉だけの友愛がほとんど意味をなさないことは皆が実感しています。言葉では友愛、そしてテーブル上では友好的な関係をとりながらも、その下では必死になって自分の国を守るための努力をしなければいけない。その意味でも国防をしっかりやっていただきたい。少し前に安倍さんが「戦後体制からの脱却」を掲げていらっしゃいました。そのことが非常に重要です。そして憲法改正を行う。岸信介の路線をここでもう一度復活させる。経済交流とはその上にあるのだろうし、他国との友好もその上にあるのだろうと思っています。
こういった大きな教育改革や憲法改正は、とても手が届かないものであると思われるかもしれません。このあとのセッションで「具体的にどう進めていけば良いのか」ということが話題になるでしょうから、そのときに改めてお話ししていきたいと思います。これだけの大手術をしないと日本は立ち行かなくなってしまう。そういった厳しい状況にあることは、もう皆さま方もとっくの昔からご存知かとは思います。私も3年前に小さな研究機関をつくりました。極限まで来てしまったこの日本の窮地をどうやって抜け出していくか。そんなことを考えながら、これからの時間を過ごしていきたいと思っておりますし、皆さんとも一緒に知恵を出し合っていけたらと思っております。どうもありがとうございました(会場拍手)。
この美しい国を焼け野原にしないよう日本のなかで変えていくべきこと、変えてはいけないこと
田口:櫻井先生、本当にありがとうございます。進行役を仰せつかりました田口でございます。モデレーターではございませんのでどうかお手柔らかによろしくお願い致します。本日は現状から我々が向かうべきところに関する示唆をいただきました。歴史を振り返ってみると、自然を大いに愛し、争いを好まず、高い文明を持っていたインカ帝国もスペインの病原菌と銃によって滅びました。また、美しい自然をもっておもてなしの心を大切にしていたハワイ王国もアメリカの属州となりました。我々はこの美しい国を焼け野原にしないよう日本のなかで変えていくべきこと、あるいは逆に変えてはいけないことについて皆さんと議論していきたいと思っております。
さて、ここからのセッションについては二部構成で進めていきたいと考えております。第一部は「誇りある日本」。日本の良さや誇りある日本人とは何かということについてご意見をいただきます。そして第二部は、誇りある日本を守っていくため我々がいかに行動すべきか。櫻井先生からものちほど、どのように伝えていくかということについてお話をいただきたいと思っています。
日本の良さとは多様性を自分たちのなかにとり入れるということでもあります。ですから本セッションも会場の皆さまとインタラクティブに進めていけたらと思っております。なお、こちらでの発言はTwitter等で発信されることもありますこと、あらかじめご了承ください。では早速でございますが、安倍先生に日本の良さ、そして誇りある日本人像といったお話を10分程度いただきたいと思っております。よろしくお願い致します。
戦後65年、私たちが価値の基準を損得に置いてきてしまった(安倍)
対談:
安倍晋三 衆議院議員
櫻井よしこ ジャーナリスト
安倍:皆さんこんにちは。安倍晋三でございます。今日はお招きをいただきましてありがとうございます。先ほど田口さんのほうから行動指針についてお話をいただきました。私はG1サミットにはじめて参加させていただいたのですが、「批判よりも提案を」と重々言われておりますので、批判をするのは控えていこうと思います。ちなみに先ほどは鈴木寛文部科学副大臣が参加されていたセッションもございました。私も鈴木副大臣のさまざまな仕事は評価したいと思っておりますが、どうか皆さん考え違いしないでいただきたいのは、鈴木さんは民主党のなかでも特別ですから(会場笑)。彼が民主党を代表するとは思わないでいただきたい。
さて、今日この2月12日ですが、今からちょうど65年前となる昭和21年の2月1日、当時の幣原喜重郎内閣で作成されていた憲法試案がスクープされるという出来事がありました。当時は松本烝治という人物が担当大臣で、草案は甲案乙案二つ作成されていた。その一方の案が毎日新聞によってスクープされました。政府が起草しているものをスクープするぐらいですから当時の毎日新聞はすごかったのですが、この記事を読んだダグラス・マッカーサーが激怒します。マッカーサーは当時、日本に対して戦争放棄を含めた3原則を提示していました。その3原則はたしかに踏まえていたのですが、それでも日本の憲法試案は彼にとってはまったく不十分だった訳です。そこで彼はひとつの決断をする。「もう日本人には任しておけない」という決断です。
そこでコートニー・ホイットニーという当時の民生局長を呼んで、ただちに憲法草案をGHQでつくるよう指示します。そして2月4日、ホイットニーはチャールズ・ケーディスという次長を呼んで指示をしました。ここから急遽ケーディス以下25名が集まり憲法を作成していきます。ただ、もちろんそのなかに憲法の専門家はいません。GHQのメンバーから適当に選んだだけですから。まあ弁護士が3名いたのですが、憲法や国際法の専門家はひとりもいませんでした。
ホイットニーはこのように命じました。2月12日…、65年前の今日ですね。「2月12日までに草案をつくれ」と命じた。「もうたった4日しかないじゃないか」と、皆びっくりします。「だいたいどうして2月12日なのですか?」と聞きましたところ、ホイットニーは「私が尊敬している大統領はリンカーン大統領である」と。「リンカーン大統領の誕生日が2月12日だ。良い誕生日プレゼントじゃないか」という話でありました。まあ、たしかに素晴らしい大統領でありますが、日本の憲法には関係ない訳ですよね。しかし実際、2月12日までに出来たものが憲法原案になったということであります。以来65年間、私たちはその憲法に指一本触れてこなかった。そんな歴史があります。
一方、時計の針をもう少し戻しますが、昭和21年の1月に、皇居では歌会始が開かれることになりました。「敗戦の翌年であるし、歌会始を開くのはどうか」ということで色々と議論もあったのですが、長らく続いてきた歴史がありますので最終的には開かれた。そこで昭和天皇がつくられた御製を改めてご紹介させてください。ちょうどその日は今日と同じように大変寒い日で、雪がしんしんと降っていた訳でありますが、昭和天皇の御製はこういうものでありました。
降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ
松ぞ 雄々しき 人もかくあれ
「今日は雪がしんしんと降っている。この雪の冷たさと重たさに耐え、松は青々とした美しさを失わない。日本も戦いに敗れ今は占領下にあるけれども、日本人として、日本の素晴らしさ、美しさは失いたくないものだ」。そのような思いを歌に込められたのであろうと思う訳です。果たしてこの65年間、日本人はそういった日本の素晴らしさや美しさを失わなかったのかどうか。これがまさに今日の課題ではないでしょうか。
これは本セッションのテーマである誇りという部分にも繋がってくるものですが、私は戦後65年にわたる問題点のひとつとして、私たちが価値の基準を損得に置いてきてしまったという点を挙げたいと思っております。損得を超える価値を認めないどころか貶めてきたのではないだろうかと思います。「損得を超える価値なんて本当にあるのだろうか」と疑問にすら思う人がいるかもしれません。しかし、たくさんありますよね。家族ですとか、自分が生まれ育った地域をもっと良くしていきたいという気持ち。あるいは自分が生まれ育ってきた国のために尽くそうという気持ち。ときにはそこで命をかけるという行為。これはまさに損得を大きく超えたものであろうと思います。しかし学校現場ではそれが尊い行為であり、そして損得を超える価値があるということを戦後の65年間、決して教えてこなかったのだろうなと思います。
ここでもうひとつお話を紹介したいのですが、昭和21年にひとりの日系アメリカ人がGHQの一員として日本にやってきました。ジョージ・アリヨシさんという方で、彼はのちにハワイ州知事となります。たまたま私の父親も私も大変親しくしておりまして、昨年も一緒に食事を致しました。彼はGHQの一員としてお堀端の郵船ビルと和光ビル、ふたつのビルで勤務をしておりました。当時、郵船ビルの前では何人か、靴磨きの仕事をしている少年がおりました。そのうちのひとりと彼は親しくなった。その少年は当時7歳だったそうですが、もう見るからにみすぼらしい格好でいつもお腹をすかしていました。しかしとても礼儀正しく、仕事も真面目にやっていたそうです。彼はその少年にいたく同情して、昼に食堂でパンを2枚貰いバターとジャムをたっぷり塗って、サンドウィッチにしてナプキンに包んだ。そしてお昼どきにそのサンドウィッチを少年に渡して、「食べなさい。お腹減っているんでしょ」と言いました。
するとその少年はペコリと頭を下げて、貰ったサンドウィッチを道具箱に大切そうにしまったそうです。アリヨシさんは不思議に思って「今はお昼なんだから恥ずかしがらなくていいよ。食べなさい」と言ったら、少年はこう答えました。「僕には3歳の妹がいます。家族は妹しかいません。いただいたサンドウィッチは持って帰って妹とふたりで食べます。ありがとうございます」と、もういちど深々と、礼儀ただしくおじぎをしたということです。
実はアリヨシさん自身も複雑な思いで敗戦を迎えていました。彼はアメリカ人です。ところが自分にとって祖の地である日本は戦いに敗れ、そして今はみじめに食うや食わずとなってしまった。彼は普段、ハワイの町を歩いていて前から白人や黒人が歩いてくると、思わず劣等感に駆られて目を下に伏せていたりしたそうです。しかし彼はこの少年の姿を見て誇りに思った。身なりこそ少々みすぼらしいけれども、妹への優しさと、そして強さを持った凛々しい少年の姿を見て「自分にも同じ日本人の血が流れていることを誇りに思った」ということを、のちのち私に語ってくれました。
私はこの少年たちこそが、戦後の日本をつくりあげたのだと思いますし、彼らを育んだのはやはり教育なのだろうと思います。日本人として誇りを持つ。これは決して傲慢になるという意味ではありません。誇りある日本人とは何か。たとえば「海外に出かけて行ったら恥ずかしいことは出来ないな」と思いますよね。あるいは「もし困っている人を見かけたらその人たちのために何か役に立つことが出来る人間になりたい」と願う気持ち。そのような思いを持つことが日本人としての誇りであり、真の国際人の姿でもあると私は思う訳です。ですからやはり、初等教育や中等教育において日本人としての誇りを持てるような教育をしていくことは非常に大切であると私は考えています。
田口:どうもありがとうございました。今、安倍先生から損得を超えた心が戦後の日本を支えてきたというお話をいただきました。では櫻井先生のほうから、「誇り」あるいは大切にすべきこととしてお考えになっていらっしゃる点が何かあればコメントをお願いしたいと思います。
“公の気持ち”を個々人が持つことの重要性(櫻井)
櫻井:今の安倍さんのお話は本当に心に沁みるお話でしたので、私からもひとつ。私はつい最近、伊奈さつきさんという日系の方が制作した『日系アメリカ人の戦時強制収容の記録』というドキュメンタリー映画を観ました。これは家族の歴史を綴った約60分の実録映画です。アメリカに移住したさつきさんのおじい様は、さつきさんのお父様と叔母様を授かったのですが、このご兄妹は一度日本に戻って日本の教育を受けてからまたアメリカに帰ったという、いわゆる帰米と言われる日系人です。また、さつきさんのお母様も帰米の日系2世でした。
しかしご両親はアメリカに戻ってからひどい人種差別を受けた。日本が真珠湾を攻撃した際は収容所へ入れられます。もともと馬小屋であった収容所で彼らは本当に信じ難い扱いを受けた。お父様は「誇りある日本人としてアメリカでもきちんと暮らそう」と思っていました。「アメリカ国民として日本に恥ずかしくないような人間になろう」と思っていた。それにも関わらずひどい扱いを受けたことで、彼はもうアメリカ国籍を捨てて日本に帰ると言い出します。
その後、彼らはさらに厳しい条件の収容所へ入れられることとなります。しかしそのあいだもアメリカの日系人を支え続けていたのは、「国籍はどうであれ日本人として立派に生きたい」という日本人としての価値観でした。それがアメリカ国籍を持っている人々をも支えていた。日本にいる日本人だけではなくて、国際社会でも日本の価値がたくさんの人を支えていたのだという素晴らしい事実を、私はやはり皆で共有することが大事なのではないかと思っています。その後、さつきさんのご両親は戦後になってもアメリカに留まり、良きアメリカ国民となっていく訳です。
私がこのような戦前の日本人が持つひとつの特徴として感じている点があります。個人的にどれほどつらい境遇に堕ちても、それを国への恨みや他者への恨みに転換しないということ。それをすべて自分で消化していく前向きな価値観を持っていた。そして、「自分は自分の身内を養っていかなければいけない。けれども、そのためだけに自分がいるのではない」と。公のためにも自分は存在するという、いわゆる“公の気持ち”を持っているところがひとつの特徴だったという風に思っています。
あまりにも有名な事例ですが、会津出身の柴五郎さん。彼は賊軍と見なされ悶え死ぬような苦しみを明治新政府のもとで味わいます。しかし軍人となって中国へ行った彼を支えたのは何であったか。国家のため、日本のため、日本の誇りある民族として振る舞っていこうという気持ちでした。それまで日本人は世界から、遅れた国の人間と見なされ、人種差別のただなかに置かれていた訳です。しかし彼はそうした偏見や差別を見事に振るい払うような働きをしてみせました。そこにあったのは「明治政府からひどい目に遭ったからここでなんとかしよう」という気持ちではありません。「自分は日本国の一員なんだから頑張る」という、そういう気持ちだったと、私は思います。
現代に生きる戦後の日本人と少し比べてみるといかがでしょうか。自分の面倒は政府が看て当然だと。自分の人生がうまくいかなければ裁判などでよく使われる「社会の責任」という言葉が飛び出します。私も社会がまったく関係ないとは言いません。ただ、やはり自分の人生や自分の国は自分が切り拓き、そして守る。他者のために何が出来るかという公の気持ちをもう一度深く意識しながら取り戻していく。そんな価値観が世の中を明るくして、可能性を育ててくれるのではないかと考えております。
資本主義の行方をどうとらえるべきか、歴史を学び直すとは具体的には何を指すのか(会場)
田口:ありがとうございます。公の気持ち、自己責任について考える。そして自分の人生は自分できちんと見ていくというお話をいただきました。それではここで会場の皆さまからご質問またはご意見をいただきたいと思います。複数の方から、出来ればおひりさま一問ずついただいたのちにまとめてご回答申しあげる形にしたいと思います。ただ、すべてに対してご回答は出来ないかもしれませんのであらかじめご了承くださいませ。それでは、いかがでしょうか。
田坂広志氏(多摩大学大学院教授):本当に素晴らしいご講演をありがとうございました。先ほど櫻井先生が仰っていた「大きな戦略がない」という点について私もまったくその通りだと感じました。また日本人の美徳について、安倍先生と櫻井先生が異口同音に仰っていたことも大賛成です。我々は何らかの美徳を失ってしまった。ただ、それに加えて私としては、今日この会場にいらっしゃる政治家の方々にも投げかけさせていただきたい質問があります。もし大きな戦略を論ずるのであれば国防と教育はたしかに大変重要な戦略になると思います。しかし私はどうもお集まりの政治家の方々やマスメディアにおいて一番大きな戦略が語られていないように思えてなりません。それは世界の資本主義をどう変えていくのかということです。
これは堂々たる大戦略だと思います。恐らく日本で美徳が失われた理由はいくつかあると思いますが、そのひとつには当然、以下のようなことがあると思っています。たとえば多くの企業ではここ10年〜20年、常に生き残りのサバイバルを教育されるようになりました。もっと頑張らなければ勝ち残れないと。そして隣の人間を競争相手と見なして行動するように押し付けられる訳です。こういった資本主義のあり方というものを真っ向から論じる必要があると思っています。家庭内教育はたしかに重要です。ただ同時に社会全体でも、たとえば企業経営者の究極の役割はボトムラインの最大化だと言われ、株価を上げることだと言われ続ける。この資本主義のあり方が果たして本当に良いのだろうかと。このことを日本の政治家には論じていただきたい。出来れば壇上のお二方にも日本という国がどのような資本主義を目指すべきなのかについてお考えを伺いたいと思っています。
参考までにお話ししますと、去年のダボス会議ではサルコジ大統領が堂々たる資本主義批判を行いました。必ずしも彼の意見に大賛成ではありませんし、人間的にも好きかと聞かれれば「…。」というところですが(会場笑)、しかし堂々たる資本主義批判を展開していました。この国でそういったお話をしない限り、どうも大きな戦略は見えてこないのではないかと思っており、このような質問をさせていただいております。
堀義人 (グロービス経営大学院学長):本日は貴重なお話をありがとうございました。ひとつお伺いしたいのが、歴史を学びなおす必要があるという点についてです。日本人がかつて持っていた価値観を伝承させていこうとのお話でしたが、具体的にどういった部分について仰っているのか、ぜひともお伺いしたいと存じております。併せて、今後その部分において僕らは何をすべきであるかといったところもお聞かせいただけたらと思います。
御立尚資氏(ボストン・コンサルティング・グループ日本代表):本日はありがございました。すごく説得力があり納得するのですが、ひとつお伺いしたいのは「昔に戻る」という部分です。古典に則るというのは復古主義でも回顧主義でもないはずだと…、単純に昔へ戻れと仰っているのではないと思います。特に我々の歴史を振り返るかぎり、日本に誇りを持つということになると、ややもすると排他主義のようにとりがちな人も、ネットの世界を含めて出てきている。この危険性をどのように排除しながら、昔に則って新しいものをつくるというセンテンス本来の議論に持っていくべきかをお伺いしたいと思っております。ここを議論しないとすれ違った議論になって、「なにか気持ち悪いな」というまま議論が終わってしまうと考えています。この部分、ご所見がありましたらお聞かせいただければ幸いです。
田口:ありがとうございます。日本の価値観という視点からご質問等いただけました。これは次のテーマにも繋がるお話ですね。では櫻井先生のほうからお願い出来ますでしょうか。
櫻井:まず田坂先生のご質問に正確なお答えをする自信はないのですが、資本主義が行き過ぎた形になって色々な弊害が出ていることは皆が感じていることだと思います。日本的な経営の良さというものを考えてみると、たとえば私の知るある中小企業の経営者は創業以来ひとりも解雇したことがないという実績があります。景気が悪く売上も落ちていますから本当に大変ではありますが、まず役員の給料を減らした。そして社員のお給料も残業手当がないよう、働き方を工夫して変えていった。とにかく困っているときでも、誰ひとり解雇しないように皆で頑張ろうと。そのあいだに新しいアイデアをどんどん試しながら頑張っている経営者も、本当に少しですがいらっしゃいます。
こういった日本的なある種の家族的経営については、人によって「そんな古いことをやっていては追いつけないよ。使い捨てにしてでもやりなさい」と言われるかもしれません。しかしそれで社員を幸せに出来る訳で、その考え方はアジアの国々にとっても大いに参考となるように思います。
世界に向けた資本主義のあり方に関する戦略についてですが、それはまだ世界経済の制度設計に日本としてかみこむことが出来ていないということですよね。金融制度も同じ。グローバリゼーションと言いますが、これは私たちが参加してつくったものではなく受身で採り入れてきただけです。だから無理がある。お金というのはその人の価値観を示します。お金を持たせたらその人がどんな価値観を持っているか一番よく分かります。会社のお金の使い方を見てどういう会社か分かる。国家も同じです。お金というのが経済の血液であるなら、その根幹の制度設計に何故私たちは組み込めないのかを考える必要がある。
日本には素晴らしい経営哲学がありますよね。優れた日本企業の経営者なら「儲けだけで良い」と思っている人のほうが少ないと思います。やはり自分の企業が儲けるだけでなく社会のために働くのだという気持ちがある。そういった気持ちを持った経営者が、いわゆる立派な経営者と言われる人たちだと思います。ただ、その人たちがどんどん力をなくしていかざるを得ないようなシステムに世界がなっていって、そのなかに日本が放り込まれている。あとはただ、受け取るだけです。
どうしてその制度設計に参加出来ないのか。先ほども言ったように世界戦略がなく国家として自信がないからです。自分の国で自分を守れず、外交政策も決められない。そこで自信を持って「いや、この銀行制度はこうすべきだ」と言えないのはある意味で自然だと思います。結局、すべては繋がっているのだと私は考えています。たとえば中国を見ていると…、私は中国には非常にたくさんの問題があると思っていますが、それでも天晴れだと思うのは、「この制度設計を中国のやり方でやってみようじゃないか」ということを非常に力強くやっている点です。やり方自体は良くないと思いますが、ああいった気概は日本人も持てるようにならなければ経済でも難しいと思います。
堀さんのご質問については、具体論で言えば千差万別、色々なケースがあるとは思います。たとえば私は新潟県長岡市の出身です。小さいときは大分県中津市でしたが中学からはずっと長岡市です。長岡市は長岡藩ですね。当然、長岡藩の歴史があります。郷土では数多くの人々が生きて、躍動してきた。そのひとりひとりを振り返ってみるということを私は自分に課しています。そうしていると川の流れる音、雪の降る音、光の具合、そういったふるさとのさまざまな風景とともに、長岡に生きた人たちの息遣いのようなものが感じられる瞬間がたしかにあります。本当に面白い。ふわっと感じるんです。「ああ、そうか」と。ふるさとに生きた先人たちがどんなことを大事にして生きてきたのか。隣の人とはこんな風に付き合っていたのか、こんな風に助け合いをしていたのか…、色々なことが分かってきます。
私は来週、また長岡に行って長岡の子供たちにそんな話をします。若い世代に自分が感じたことを語り伝えます。もちろん私の感じ方は私のものだけかもしれませんが、「こう感じましたよ」と伝えます。「だからあなたがたもこういうことを少し考えてみてね。先人が遺したこの郷土にはこんな立派な本があるから読んでね」という風に伝えていきます。そんな風にして、なんて言うのでしょうかね…、それを心の糧としたときに、かなり変わってくるような気がしています。私ひとりずいぶん話してしまいましたので、あとは安倍さんに。
まずは過去や先人に対して、愛おしさをたたえた眼差しを持つこと(安倍)
安倍:はい。最初のご質問ですが、これはかなり大きな課題だと思います。グローバル経済のなかで「日本はこれがいいんだ」と思っていても、勝ち残れなければ意味はない。ただ、日本には日本の生き方だって当然ある訳ですから、資本主義経済にしっかりと軸足を置きながら、併せて日本の長い歴史と伝統を大切にしていく。日本人は基本的に畑や田をつくり、皆で水を分け合いながら稲をつくって生きてきた民族ですね。そして1年に1回、天皇陛下を中心として皆で五穀豊穣を祈ってきました。そんな風に水を分け合ってきた民の生き方としての資本主義が当然あるのだろうと思っています。
特にそのなかでも稲を育てるというのは「ものづくり」にも繋がってくる考え方だろうと思います。つまり、新たな価値を生み出していく。一方で狩猟民族的に考えればすでに産み出されて走っている鹿を撃つと。そのような違いを念頭に置いて日本的な生き方を大切にしつつ、そのなかで新しい資本主義を模索していくべきだろうと思います。
ただ、世界でルールをつくろうというのであれば、やはり日本も「この方向で行けば人々がもっと幸せになりますよ」とか「実はこのやり方であれば経済だってより一層成長していくんですよ」といったことを説得出来なければいけません。そのための仲間をつくっていく必要は大いにあると思っています。その意味での外交戦略というものが非常に重要になると考えております。
一方、フランスについてですが、サルコジさんに代表されるように…、まあ、つまりああいう国なんですよね。サミットでも同じことをしています。とにかく「自分が」ということで徹底的に主張してくる。たとえば、G8の参加国は核保有国が多いのですが、どこの首脳も武官を連れて歩く。彼らは核ミサイルのボタン…、正確には発射のために毎日変わる暗号を解くためのカードを持っている訳です。もちろんフランスもそんな武官を連れて歩いています。他国の武官は普通に地味な軍人の格好をしていますが、フランスの武官だけは白地に金ピカ模様です。もう“いかにも”という感じですぐに分かる。フランスはアメリカや中国などに比べたらGDPや人口では下回りますが、とにかく持てるリソースを最大限に生かして全体像を大きく見せているのかなと思います。サルコジさんご自身にしてもフランス国内では米国式市場経済を、むしろシラクさんより力強く進めていますよね。ただ、米国に対しては逆の態度で臨む。これはド・ゴール以来の伝統ではないかと思います。逆に、日本はそういう大胆さが少し欠けているぐらいなのかなという風にも思えます。
二番目のご質問ですが、私たちが歩んできた歴史に対して私たち自身が愛おしいという気持ちを持てるかどうかが大切だろうと思います。櫻井さんは長岡藩ですが、私は長州ですから、かつて戦いまして、…まあ、私は勝ったほうなのですが(会場笑)。しかしその歴史ついては総理大臣時代に長岡へ行ったとき、秘書官から注意されまして、「間違っても『官軍』とか『賊軍』という言葉は使わないでください」と。あくまで「東軍」と「西軍」であって…、「西軍なんて言うと関が原では負けた側だし、どうも変だなあ」なんて思ったのですが(会場笑)、とりあえず西軍という言い方で通しました。
やはり長岡の方々はあのとき、あの厳しいいくさを戦い抜いた勇敢な先人たちの話をずっと語り継いでいる。そういうことが大切なのだろうと思います。自分たちが生まれた愛おしい地域のなかに自分自身も属していて、その地域を良くしていきたいと思える気持ちが大事です。
総理就任時、教育基本法の改正を行って公共の精神ということを教えていくようにしました。公共の精神とは何かと言えば、「この地域を良くしていきたいというのであれば、地域の一員である君もその責任を果たしていきなさい」と言うことです。「道をきれいにしたいなあと思うのなら君がその責任を果たしなさい」と、そういった基本的なことを次の世代に教えていく必要があるのだろうと思っております。
そして最後のご質問について。かくいう私も、よく復古主義的で排他的な人間であるといった雰囲気を、いわゆる政敵の皆さまからレッテル貼りされます(会場笑)。決してそんなことはない訳ですよ。ただいま申しあげましたように、過去や先人に対して愛おしさをたたえた眼差しを持つ必要があるという話です。逆に、常に過去を否定するような人間になると、結局は自分自身が自尊心を持てないという結果に繋がっていくのだろうと私は思っています。
10年前、当時の総理府が日本、中国、そしてアメリカの子供たちに意識調査を行ったのですが、そのうち二つの設問が私は大変気になりました。ひとつは「あなたは国のために何かしたいと考えていますか?」という設問で、これに対して中国もアメリカも「YES」が70%を超えています。日本は残念ながら50%を少し下回っていた。もうひとつは「あなたは自分自身に自信を持っていますか?」という設問で、こちらも各国、先ほどの設問とだいたい同じパーセントでした。なぜか。たとえば学校で自分の国が、あるいは日本人であることが貶められていればですね、やはり国のために尽くしたいとは思いませんよ。そして自分のアイデンティティ…、つまり日本人であるということに誇りを持てなければ自信も湧いてきません。そういうことではないかと思っています。これは決して復古的でも排他的な考え方でもないと思いますよ。
かつてある官房長官が「極端で偏狭なナショナリズムは戒めなければいけない」と言いました。その通りです。極端な偏狭なナショナリズムとは何か。外国の旗を燃やしたり引き裂いたりすることです。自分の国の旗を振るというのは、これは健全なナショナリズムなのだろうなという風に私は確信しております。
櫻井:少しだけ三番目のご質問についてお話をさせてください。どの国の人にとってもですが、自国の歴史を通した価値観、あるいはその真髄を持っていない人のほうこそ、すごく変な人に思えるのではないかと、むしろ私は思います。自分の国に伝わる価値観をたのみにするから「この人は復古主義者だ」とか「排他的だ」とか、そういうことではまったくないと思います。
現在の日本では、たとえば建築分野なら安藤忠雄さんはじめ素晴らしい建築家の方が大勢いらっしゃいますよね。自動車ほか工業製品でも素晴らしいものを皆さんつくっていらっしゃいます。これらは現代の建築であり工業製品かもしれませんが、そこには脈々と日本文化の粋が伝わっている訳です。私はそういったもののルーツをきちんと知ったとき、はじめて日本人としての能力が最大限に発揮されて国際社会にも通用するようになると思っています。
田口:ありがとうございます。日本人としていかに郷土愛を持つか、そして歴史を愛おしく思えるか。決して排他的になっているのではなく、自分に自信を持つために歴史を蔑まないようにしようと。これは考えてみれば当たり前のことなのかもしれません。家族がいて、故郷があって、そこに公の気持ちが生まれる。自分の心に直接触れるようなものの価値を大事にしていきましょうというお話だったように思います。
我々が世界にとって目標となるような国になることが、誇りにも繋がる(安倍)
田口:ではここで二番目のテーマに移っていきたいと思います。こんどは「美しい心を持った人々や文化をどのように守り、次代へ繋いでいくか」です。ときに経済人は経済的互恵関係があればそれが安保に繋がるという幻想を抱いてしまいがちになります。しかし実際には、イギリスとドイツは大変な互恵関係を持っていたにも関わらず第二次大戦に敵同士として突入していきました。そのような国際社会というものがある現実のなかで、日本の美しい価値観や心というものをいかに守り、どのように次世代に伝えていくか。そういった視点でお伺いしたいと思っております。では櫻井先生からお願いできますでしょうか。
櫻井:日本人が美しい心を持っているのと同様に、他の国の人もそれぞれに美しさを持っています。そうしたものは一生懸命守ろうとしないと、消えていったり変わっていったりします。人間は多面性の存在ですから、「きちんとしているよりラクをするほうが良い」と考える面はたしかにあります。だからこそ日本の良さを守るためにも「これは本当に良いものだね。守りたいね」と皆が納得出来るような方向に持っていかないとだめだと思います。そこはやはり国民教育や家庭教育で形成されていくのではないでしょうか。ただ、これは決して大上段に降りかざして教育するような性質のものではなくて、あくまでの日々の生活のなかにその基本があるような気が私はしています。
安倍:そうですね…、たとえば最近は養護院に子供を預ける理由というのが以前に比べて変化してきているようです。昔は経済的な理由で育てられないケースが多かったのに、最近はそういう家庭はほとんどなく、むしろ育児放棄や虐待が背景にある。日本はたしかにこの65年で物質的には豊かになりましたが、そういう変化も呈してきた訳です。そういった現状を我々がしっかりと把握しながら対応していくことが大切なのだろうと思います。
誇りある日本、あるいは美しい心を持った人たちが住む日本ということになれば、世界中で多くの人々が「日本に行ってみたい」と思うようになるでしょう。「自分の子供は日本で教育させたい」と思うかもしれません。場合によっては「自分は日本の国柄を愛しているから、日本人としてその一部になりたい」と、そういう言う人たちが出てくると思います。そんな風に思われる国であることが“誇りある日本”なのかなと思っています。また、そんな人たちに対して基本的には日本もオープンかつ寛容でいるべきだと思います。
田口:ありがとうございます。自国の誇りとは、やはり他国の文化も尊重してその存在を認めていくところからはじまる。そして我々が世界にとって目標となるような国になることが、誇りにも繋がるというお話をいただきました。では最後になりますが、改めて会場の皆さまからご質問またはご意見を募りたいと思います。
過去の戦争について、どのように外国人とコミュニケーションしていければよいのか(会場)
山中伸弥氏(京都大学iPS細胞研究所所長):私は科学者として十数年前からアメリカでも研究をしておりまして、それ以来、中国および韓国の研究者とずっと付き合っています。ただ、もう20年近くになりますがどういった付き合いをして良いか未だに分からなくなるときがあります。もちろん研究の話をしているときなどは非常に友好的です。ただ、彼らのなかに日本人に対する怒りというものをどうしても感じてしまうときがあります。あるとき彼らが早く帰るという日がありまして、その理由を聞いたら「今日は日本に勝った戦勝記念日だから」と言われて愕然としたことがあります。
ですから、お二人に対してすごく幼稚な質問になってしまうのですが、これからどのような付き合いをしたら良いのかをお伺いしたいと思いました。普段は本当に良い仲間である以上、戦争の話は一切せずに研究の話だけをして付き合っていけば良いのか。あるいは…。
僕は日本に誇りを持っています。国粋主義者ではありませんが愛国主義者ですから。ただ、戦争についてどのように話したら良いのか…。「私たちは間違っていなかった」と言ってしまって良いのか。今日は21歳になる僕の娘もこちらに来ていますが、娘にもそのことをどのように伝えていけば良いのか分かりません。娘も留学をしていまして、一番仲が良かったのは韓国の女の子でした。しかし時が経てばやはりその友人たちも戦争のことを言い出すようになると思います。そういったことについてどんな風に理解していけば良いか、ぜひお二人に教えていただきたいと思いました。どうぞよろしくお願い致します。
加治慶光氏 (内閣官房国際広報室国際広報戦略推進官):首相官邸で今年の1月から、日本の魅力や強みを世界に伝えていくという仕事をしておる者です。私は、我々日本人が持っているDNAのなかには「和を以って尊しとなす」という精神が組み込まれているのではないかという風に思っています。しかし現代では一方で、「戦うべきだ。競争が足りない」といった言葉も常に聞かれます。我々はその二つの価値観のなかでどの位置にポイントを置くべきなのか。私自身はその二つをうまく両立させていけるのではないかと思っておりますが、その点についてお二人のご意見をお聞かせください。
櫻井:まず山中先生のご質問ですが、ちょっと身につまされるところがありました。私も中国や韓国に家族同様の付き合いをしている友人がおります。しかし、たしかに突き詰めていくと「コトン」と固いものにぶつかる瞬間はあります。
私はそのとき、絶対に引かないようにしています。引かないというのは自分を主張するということではありません。そして、あの人は右だとか左だとか、日本が悪い戦争をしたとか侵略をしたとか、そういった「レッテル言葉」の形容詞だけで議論を終わらせてしまう立場を絶対に取らないよう注意しています。友人であればあるほど喧嘩も出来る訳ですから、私は喧嘩をしてきました。
感情はなるべく横に置きつつ、私が話す内容はこうです。「21世紀もしくは20世紀後半の考え方で、19世紀や20世紀前半のことを判断してはいけません」と。そのときの世界状況がどうだったのか、お互いに考えましょうと伝えています。たとえば日本は朝鮮半島を植民地にしました。今の価値観ではこういうことは絶対繰り返してはならないことですが、しかし当時の状況を考えると、これは敢えて言えば、あくまでも当時の国際社会においてはひとつの価値観だった。私は韓国の人にもそう話します。もう灰皿が飛んできそうな議論を何度も経験しましたよ。
ある韓国人の方はこう言いました。「我々韓国が弱かったから日本が植民地にしたんだ。我々韓国を日本人は騙した」と。私も言います。「当時、国と国とが命運をかけて競いあっているときに弱かったから負けたということは、仕方がないことです。私は勝つことが良いとは思わない。けれどもそれはそのときの事実ではあった。そのことを今になっても恨んでいるのはおかしいのではないか」と。
第二次世界大戦を考えてみましょう。日本がすべて悪かったようによく言われていますね。私は日本“も”悪かったと思っています。でも、アメリカも悪かった。中国も悪かった。他の国も悪かった。例えば1921年のワシントン海軍軍縮条約では米英日の艦船比率は5:5:3となりました。でもあのときに日英同盟は切り離されています。我が国は本当にイギリスとの同盟関係を維持したかった。しかし、残っている歴史の資料から当時の米英の意思を表現すると、「務めて友好的に日本の外交界の政治家を遇することによって、我々の意図を知らしめないようにしよう」となります。
日本人は英語がそれほど得意ではないから細かなニュアンスは読み取れないはずだと。インドのパール判事が書いています。「英語力が足りなかったから、日本は欧米そして中国の戦略を読み取ることが出来ず、孤立させられていった」と。先ほどアメリカで差別されていた日系人の話をしましたよね。片方では日系人を排除したり居住を取り上げたりしつつ、片方では国際社会で日本をどんどん孤立に追い込んでいく。我が国だって戦争を一生懸命回避しようとしていました。ただ、それでも最終的に真珠湾へ行ってしまった。それ自体を考えればたしかに私たちは愚かでした。けれども、この愚かな行動に走らせた要素というものにも半分の責任がある。
もうひとつ。たとえば満州事変。満州事変については国際連盟がリットン調査団を派遣して、最終的に分厚い報告書を提出しました。8カ月間かけて関係諸国に取材をしてまとめたものです。今でもありますからぜひお読みになっていただきたいと思います。あれを読む限り、調査団はたしかに満州国の独立は認めませんでした。しかし報告書では同時に、「日本は列強の制度や価値観を急速に押し付けられたが、日本は一生懸命追いついた。日本という国の本質をいささかも減ずることなく西洋のスタンダードに追いついた。その業績は賛嘆に値する」という風に、日本が大変高く評価されています。
当時はアメリカの北京駐在公使で…、当時は公使が一番上ですから今で言う大使ですが、ジョン・マクマリーという人がいました。彼はずっと満州事変を見ていた人で、アメリカの中国政策に関するエキスパートでもあります。彼が書いた報告書も残っています。それを読むとたしかに「日本が行った満州事変は醜くて許すことが出来ない。我々はこの行為を絶対に許せない」と、日本を非常に厳しく批判しています。ただ、その同じ報告書には、「しかし歴史の一瞬というものを見るだけで全体を評価することは出来ない。いかにして満州事変は起きたのか。そこに至る過程をすべて見ると、この満州事変は、中国が自ら撒いた種を刈り取っているようなものだ」という記述もあります。
日英同盟が終わり新しくワシントン体制が出来ましたが、これは基本的に中国を守るためのものでした。それについてマクマリーは「1921年から31年の満州事変までの10年間、日本はいかなる国家よりもこのワシントン体制を誠実に守ろうとした。それは北京にいるすべての外交官が知っていることだ。同時に、このワシントン体制をことごとく破ったのは中国である。いかに中国が理不尽に日本を挑発したことか」とも書いています。このような流れのなかで満州事変が起きたということを、米国公使が書き残したのです
くどいようですが、私は日本が正しかったということを言うつもりはありません。それぞれに事情があった。それぞれに欠点があり、間違いがある。だから私はその全体像を見て考える。そして、中国、韓国、あるいは他の国のお友達にも「当時はこういうことがあったよね。だとしたら、なぜ日本人の私たちだけを責めることが良識ある国際人に許されるのでしょうか。お互いにこれは考えるべきことであって、将来、同じ間違いを犯さないことにも繋がります。だからきちんと互いに学びましょうよ」と話します。
二番目のご質問については恐らく安倍さんのほうが詳しいと思いますし、今の歴史問題も併せてお願いしたいと思います。
国と国との歴史は、一瞬だけを取り出して現代のスタンダードから裁くのは間違っている(安倍)
安倍:最初のご質問ですが、まず個人としてどう対応するかという問題と、政治家あるいは国家としてどう対応するかは違うと思います。私からはまず国としてどう対応するかという点についてお話をさせてください。国と国、特に近い国であれば必ず色々な問題が起こります。時には戦争が起こります。そしてそれを最終的に決着させるならば、平和条約を結んで戦争状態を終結させる。これは基本的に国と国との関係おいて、すべて、なんです。そのあとは蒸し返さない。そうでもなければいつまでも両国間に火種が残るということになるのだろうと思います。
ただしかし、中国も韓国も、もう何回となく蒸し返してきていますね。蒸し返すことで得る利益があるからです。ですから得る利益がないということをはっきりと示す必要があるのだろうと思っています。ですから私は総理だったとき、中国を訪問して戦略的互恵関係を確認した訳でありますが、やはり彼らのほうから歴史問題について話してきました。それでこちらも相当に反論しました。また、「戦後の歩みについて中国側も評価をするべきだし、日本は自由と民主主義と基本的人権という世界で共有している価値を有している。だからこの価値を共有出来るようにしていこう」と話しました。
この言い方は向こうにとっては非常に嫌な話だったと思います。その後は彼らのほうから歴史問題を取りあげることで、有利に展開にはならないと考えるようになったと思っています。首脳会談だって有利に展開しない。逆に反論されると。
歴史というものには光の部分もあれば影の部分もあります。特に日中関係において、個人的には、中国の人々に大変な被害を与えたと思っています。しかし国と国との関係においては違う訳です。国会でも何回か議論になりました。「安倍さんはどうして侵略したということを認めないのか」と言われました。日本が侵略したということを村山さんは踏襲していますが、私は総理として、少なくとも私の発言としては一回も侵略を認めたことがない。
たとえば盧溝橋事件についても「どちらが最初の一発を撃ったかの問題ではなく、あそこに日本兵がいたことが問題ではないのか」という質問を…、そのときは岡田(克也 民主党幹事長 [当時])さんだったかな? そういった質問がありました。そこに日本人がいたのは事実です。で、「あそこに日本人がいたのだから侵略と考えなければいけないな」と、普通は感じますよね。しかしなぜあそこにいたかを考えると、北清事変に関する最終議定書で日本はじめ多くの国々が軍隊を置く権利を持っていたということです。演習をする権利もありました。
そのように、国と国との歴史においては、一瞬だけを取り出して現代のスタンダードから裁くという考え方はやはり間違っているのだろうと私は思っております。国のリーダーや責任者になるのであれば、人間として良い人に思われたいという思いはすべて捨てなければいけない。断固として、国の利益を守るということのみを考える。「なんて傲慢なやつだ」と思われようと、それはそこで踏み止まらなければ泥沼になっていきます。
一方、アメリカのほうは日本に勝ちました。原爆を2発落とし、東京大空襲で10万人を殺した訳です。ですから基本的に彼らがその話題を持ち出すということは、政治家同士ではないと私は思っております。むしろ日米間では同盟国として日本がきちんと義務を果たせるかどうか。あるいは日米同盟がより公平な同盟になっていくかどうかが大きな課題ではないかと考えています。
最大の課題は、アメリカの若い兵士が日本のために命をかけることが現在の日米同盟であるという点です。この逆はない。日本の若い兵士がアメリカのために命をかけるということはない。しかしその代わりに安保第6条で日本は極東の平和と安全のために基地を提供しているということでありますが、これは決定的な違いがありますよね。条約上義務を持つ必要はまったくありません。たとえば北朝鮮が撃ったミサイルが東京ではなくグアムに行くから、撃ち落せるのに撃ち落さない。これしか同盟は持たないし、その答弁を総理大臣が国会でするだけでも、日米同盟はどんどん毀損されていくのだろうなと私は思います。つまり、より対等になるためにも集団的自衛権の行使ということがあるのでしょう。
また、それと併せて先ほど誇りというお話がありました。日本には安保条約はありますが、基本は「日本人が守る」ということだと思います。まずは日本人が断固として守る。命をかける。命をかけると日中間は相当なことになります。そうなったらアメリカは日本を安保条約上、命をかけて守ると。この順番です。これを逆さにして、アメリカに電話一本を掛けて「危ないから来てね」と言えば、彼らが自動的に命をかけると思ったら大間違い。若い兵士にも恋人がいて、母親も子供もいます。その人たちが、「私の大切な人が日本のために命をかける」ことを理解しなければ、日米同盟はまったくの紙くずになっていくということを我々は考えていかなければいけない。その考えを持たないのであれば、それは誇りある人間とは言えないのではないかと思います。若干長くなりました。
そのあとの設問も重要な課題ですが、基本的に日本人というのは和を大切にします。日本人同士だと親和性が高いということなのだろうと思います。ただ、一方では世界のなかで勝ち残っていくための競争力も必要です。ですから健全な競争心の上で子供たちがしっかりと向上心を持って学んでいくことが大事になる訳です。私としても当然、それと「和を以って尊しとなす」という気持ちは両立するし、両立させていくのが日本社会ではないかと思っています。
櫻井:私も一言だけ。まさに今仰っていたような日本の価値観が求められていくのではないかと私も思いますが、それを具体的に外交上の行動として表したのが、いわゆる価値観外交だったと思います。アメリカは民主主義と言います。自由とも言います。すごく大事です。そして中国は資源を手に入れて経済成長ということを目指す訳です。一方、私たちの国日本は、自分たちが誇りとしているこの穏やかな文明を築きあげてきた価値観というものを世界に広めていく。それは誰からも反対されません。ただ単に穏やかであるだけではなく、穏やかさのなかにも強さを持った価値観というものを、日本はこれから広げていくべきだろうと思います。
アジアに行ってつくづく感じるのは、アジア諸国が日本に対して、本当にリーダーシップを発揮して価値外交を行って欲しいと思っているという事実です。彼らは心からそう願っています。日本人が想像するよりも100倍ぐらい強い思いではないでしょうか。「日本の文明が持っているその価値観を、なぜもっと広めてくれないのか。あなたがたはなぜもっと自信を持ち、説得力をもって外交を展開してくれないのか」という声はどこに行っても聞きます。私たちはその意味でも日本の文明に自信を持って良いのだと思いますし、それがもしかしたら、21世紀の人類に福音をもたらすのではないかなとも思います。
安倍:すみません、もうひとつだけ、日米の戦争については色々な側面があったということをお話しさせてください。終戦後の進駐軍にヘレン・ミアーズという女性がいました。民間から徴兵された方です。彼女が『アメリカの鏡・日本』という本を書いています。彼女は飛行機で転々と島をめぐりながら日本にやってきます。その間、日本がやったこととアメリカがやったことをそれぞれ見ながら、本をしたためた。
ただし、当時はマッカーサーが発行禁止処分にしました。それが1980年代になって復刻した。内容は大雑把に言えば、「だいたい日本がやってきたことはアメリカがやってきたことと同じじゃないか」ということです。だから日本が良いということを言っている訳ではありません。当時はそういう世界ではなかったのかなと。
田口:どうもありがとうございました。まだまだお話をお伺いしたいと思いますが、時間も迫って参りました。つたない進行で大変ご迷惑をおかけ致しましたが、お二人に今一度、大きな拍手をお願い致します。本日は誠にありがとうございました(会場拍手)。
執筆:山本 兼司