先進国共通の4つの課題(黒川)
黒川清氏(以下、敬称略):本セッションのテーマはプログラムにある通り、「日本の『第三の道』〜強い社会保障と経済成長の両立は可能か〜」です。政府は「強い経済、強い財政、強い社会保障」を打ち出して第三の道となる経済政策を掲げました。しかしその一方で社会保障の財源となる消費税の引き上げは事実上見送られる一方、政府は「2020年までの基礎的財政収支の黒字化を目指す」としています。果たして社会保障費の拡大および再分配は産業創出や消費促進の担い手となり得るのか。あるべき社会保障と経済成長の両立を考えるということで、こちらの御三方をパネリストとしてお迎えしました。最初はそれぞれ7〜8分ほど使い、この命題についてご自身の立場からどんな風に考えておられるかをお話しいただいたあと、セカンドラウンドということで時間があれば何か補足を述べていただきたいと思います。権丈先生は財政と社会保障について長らく発言をしておられますし、古川さんは官房副長官や戦略室と色々担当されていて、民主党政権の中心を担っておられる方ですね。一方、山本さんはもともとお医者さんであります。しばらくお医者さんをやってからハーバード・ビジネス・スクールに行かれました。ハーバードでは修士課程2年目からマイケル・ポーター教授との共同研究を行い、ポーターの『Redefining Health Care(医療戦略の本質)』を日本語に訳したのが2年ぐらい前ですね。
まずお話を伺う前にこの問題におけるいくつかの枠組みを確認しておきたいのですが、先進国の問題は共通しています。ひとつ目は高齢社会になっていること。2つ目は慢性疾患が一番の疾患になっているということです。また、その疾患のうち死因を考えてみれば分かるように、いわゆる生活習慣病というのが3分の2ぐらいを占めています。3つ目は貧富の差が先進諸国で同じように拡大しているということ。そして4つ目は、「これ以上公的な資金はもう出せないよ」というところにまで来ていることです。その枠組みで何をするかということが大きな課題になっています。ということで、では権丈先生からお願いします。
高負担・中福祉、中負担・低福祉しか選択肢はない(権丈)
権丈善一氏(以下、敬称略):黒川先生のほうから4つの問題ということでお話しいただきましたが、さらに全体像を考えていくための枠組みをお話し出来ればと思います。我々が「次世代に残した未来」についてです。基本的に、日本は高負担・高福祉あるいは中負担・中福祉というものが出来ないところまできています。可能なのは高負担・中福祉か中負担・低福祉社会でしかない。理由のひとつに、人口的な背景があり、もうひとつは財政的な背景です。
もうこの国の高齢化比率は世界一の水準に到達している訳です。すでに北欧諸国のような高福祉国家よりも高齢化が進んでいるし、その差は今後ますます開いていきます。ですから北欧諸国と同じ負担をしたからといって同じ水準のひとりあたりサービスを受けられる訳ではありません。もちろん財政的な背景も重要です。先ほど黒川先生が読んでくださいました資料には「2020年までの基礎的財政収支の黒字化を目指す」という一節がありました。ここでは黒字化を目指したあと、「2020年以降はGDPに占める公的債務等を安定的に低下させていく」とも書いてあります。これは借金を返済して過去の債務を減らしていくという意味ですから増税から得られる公共サービスのリターンはまったくありません。ということは、もう将来的に高負担・高福祉、中負担・中福祉、あるいは低負担・低福祉、という普通の国家像を我々は次世代に残していないことを意味します。それが大きな制約条件です。
少し詳しく見てみましょう。基礎的財政収支を2020年までに黒字化するという話ですが、ここをもう少し説明します。2009年と2010年の基礎的財政収支をそれぞれ見てみると、2009年度は39.0兆円の赤字で、2010年度は34.3兆円の赤字です。基礎的財政収支というのは一般会計の歳出から国債費を差し引いた分です。基礎的財政収支は、過去の借金は関係なく、今我々が受けている公共サービスの料金としていくら払わなくてはならないかを示しています。ここで、たとえば39.0兆円を消費税1%にあたる2.5兆円の税収で割ると15.6%になります。つまり2009年度は基礎的財政収支で消費税15.6%の赤字です。2010年度は13.7%です。これを「2020年度までに黒字化したい」というのが、古川さんたちがつくられた財政運営戦略です。ただ、これは基礎的財政収支であって財政収支ではないですからね。歳出から国債を引いています。国債を足したものが財政収支全体の赤字ですから。財政収支の赤字は2009年度が44.4兆円で、2010年度は40.8兆円。先ほどのように消費税で考えると2009年度が17.8%、2010年度が16.3%の赤字になります。日本は基礎的財政収支を目標として頑張っていますが、他の多くの国は財政収支を目標としています。日本では去年の6月22日に、古川さんたちによる財政運営戦略で基礎的財政収支の「2020年度までに黒字化したい」という目標が決まったのですが、その6日後の6月28日にはトロントでG20サミットがありました。このサミットでは「2016年までに政府債務の国内総生産(GDP)比を安定化または低下」させるという目標を設定します。この目標は実際のところ、「日本には無理だろうからいいよ」と大目に見て貰うことになるのですが、22日の財政運営戦略ではそのG20に “お土産”として持っていくことの出来る目標を決定したという経緯があります。そんな状況でして、仮に基礎的財政収支が去年と今年で均衡したとしても、1円たりとも社会保障費が増える訳ではない。社会保障の強化はこれに足し合わせていかなければならないという厳しい状況にあることを、まずは議論のベースにする必要があります。しかも少子高齢化は今後も進んでいく訳です。
黒川:ありがとうございます。大変明確に仰っていただきました。では次に古川さん、よろしくお願いします。
「強い経済、強い財政、強い社会保障」三位一体改革の必要性(古川)
古川元久氏(以下、敬称略):先ほどお話しいただいた「強い経済、強い財政、強い社会保障」という言葉は、私が10年以上前から使っている言葉です。現政権になって総理もお使いになりはじめているのですが、まず私からはこの三つがどんな風にリンクしていくべきかという点についてお話ししたいと思います。
今の日本がどういった状況にあるかと言えば、皆さんご存知の通りです。この20年間ほとんど成長しておらず、経済はとても強いとは言えません。財政状況もどんどん悪くなっている一方、高齢化はさらに進んでいますから、社会保障の給付は増え続けています。一昨年の政権交代以降、「コンクリートから人へ」の掛け声とともに予算配分の大きな見直しもはじめました。「一向に変わっていないじゃないか」という人もいますが、予算で見れば昨年は社会保障費が一般歳出に占める割合が初めて50%を超えました。小泉政権時代に社会保障費が抑制されていたことに大きな不満が生まれていましたが、本来であれば10〜20年ぐらい前からこのような構造になっていなければいけなかったと思います。
今は、「弱い経済、弱い財政、弱い社会保障」といった状況がある種の悪循環を生んでいる。これを好循環に転換していくためには、どうすれば良いのかということで三位一体の改革が求められている訳です。ではどんな風にやっていかなければいけないのか。
注意しなければいけないのは、時代が本当に大きな転換点にあるということです。働き方ひとつとっても終身雇用でかつ年功序列によって賃金が上がるような状況ではなくなった。また今の日本を見てみると、近年は開業数が減少していく一方で廃業数はどんどん増えているというデータもあります。経済を良くするために現存する企業に頑張って貰うことはもちろん大事ですが、それ以上にこの大きな時代の転換期に必要なのは、新しい企業や産業が生まれ、成長していくことです。
それこそ、勤めていた企業を飛び出して、思い切って新しいことをはじめる人たちを生み出せる環境をつくっていかなければならないと思っています。サーカスで言えばアクロバットに挑戦出来る人が必要です。しかしアクロバットが出来るのは下にネットがあるからですよね。まれにネットがない状態でもアクロバット的なことに挑戦する人はいますが、そんな人はごく僅かです。ですからそこで挑戦出来る人を増やすようなセーフティネットが必要であり、それが社会保障にあたると我々は考えています。安心出来る仕組みがあることによって、リスクをとろうという人たちをもっと増やしていきたい。それが新産業の創出に繋がり、新しい成長分野を生みだし、財政を好転させて社会保障の財源を賄うという好循環をつくっていく。それが私の考える「強い経済、強い財政、強い社会保障」のあり方です。強い経済をつくりだすためにチャレンジする勇気を与えられるよう、安心出来る社会保障の仕組みにしていかなければいけない。
こうした良いサイクルをつくりだすことが出来れば、大きな転換点のなかでも新しい時代にジャンプすることが出来るのではないかと、私としては思っています。従来の延長線上となるリニア型の経済成長モデルでは、我々が直面している危機を乗り越えるというのは難しい。過去の歴史を振り返ってみると、時代の大きな転換点における社会はリニア型に変化するのではなく、突然、あるところに断絶が起きて変化していきます。ですから断絶が起きるぐらいの変化を社会にも産業構造にもつくっていかなければいけない。そのための、いわばブリッジとなる環境をつくる。そのためにも「強い経済、強い財政、強い社会保障」という三位一体の改革を力強く実現していきたいというのが、今、我々が目指しているところです。
黒川:ありがとうございます。それでは山本さんのほうにお伺いします。今の状況を見てどういったことが考えられるか、お聞かせください。
医療のパラダイムが治療から予防へと変わった(山本)
山本雄士氏(以下、敬称略):おはようございます。本当に素晴らしい機会をありがとうございます。私は学生時代から本日の座長である黒川先生の大ファンでして、お手紙を書いて会っていただいたりしていたぐらいです。17〜18年前ですね。先生に今朝、「今日は過激に行けよ」と言われましたので過激にいこうと。しかも、ここに来る前に「すごい先生方が並んでいるからって負けちゃだめよ」と言われてきましたので(会場笑)、頑張っていきたいと思います(笑)。
私は大学卒業後の6年間は医師として勤め、それからビジネススクールに行ったという経歴でして、申し訳ないのですが医療のことしか分かりません。ですから社会保障の財政とか年金といったトピックであっても、医療と関連づけたお話になるかと思います。皆さまも医師不足ですとか財源不足といったニュースを耳にされ、「医療業界というのはどうも大変そうだな」というイメージをなんとなくお持ちになっているかと思います。では実際のところ何が大変なのか。お金が足りないとか、人が足りないとか、診療報酬が下がるとか上がるとか、日本から新しい医療技術が出てこないとか…、色々な話をお聞きかと思います。これらはどれも嘘ではありません。しかしこれらの問題はそれぞれ個別には必須の課題ではあっても、全体として十分な課題ではまったくないと、私は考えています。医療というものはシステムで成り立っていますから、個別の課題だけを把握して個別解決を図ってもだめな状況ということですね。
理由はいくつかあります。まず黒川先生が仰っていたように慢性疾患というものが出てきて医療パラダイムが変わってしまったという背景があります。これを象徴する例があります。私は以前、伊豆諸島の青ヶ島という200人ぐらいの小さな島で『Dr.コトー診療所』のようにひとりドクターをやっていた時期があります。島にはおじいちゃんおばあちゃんが多いのですが、彼らの感覚では「病院に行くことは死ぬこと」なんです。もちろん僕ら医者からすれば「普段から来てきちんと健康管理をしながら元気に頑張っていただくためのところです」となりますよね。それが慢性疾患の管理という考え方です。さらに言うと、島にいる若い人たちは病院に行けばなんでも治してしてくれると思って犬も連れてきたりする(会場笑)。それほど医療の見方が変わっている。どういうことかというと、国からすれば医院はもはや「行って直して帰る」とか「行ったら亡くなる」という場所ではなくなっているということです。ひとりひとりの健康管理が出来る予防医学などの発達によって、医療の役割は死との戦いという時代ではなくなってきたからです。
もうひとつ、G1サミットにいらしているのは経済的に成功している方や起業家の方が多いので、さらに別の側面でもお話をさせてください。それは医療を費用として考えるのではなく投資として考える時代が来ているということです。これを象徴的に示しているのが民主党の新成長戦略にある「医療分野は成長産業である」というくだりですね。具体論では…、古川先生には大変申し訳ないのですがとても陳腐な戦略ではあります(会場笑)。ただ、医療が成長分野であるという一歩を踏み出してくれているのは非常にありがたい。ではそれをどのように捉えれば良いのか。少々過激な表現になりますが、今の医療業界は病人がいなくなると、業界内で働く皆が食べていけなくなってしまう構造です。その時点で歪んだ業界構造ですよね。その延長線上で考えて「お金が足りない」とか「医者が足りない」と言ってみたところでどうにもならない。医者は医者の立場で「もっとお金をくれ」、「人が足りない」と言うでしょう。支払う側は支払う側で「保険料が上げられない、払えない」と言います。メーカーはメーカーで「薬価をもっと上げてくれ」…、皆、色々なことを言います。つまり、本当に、「病気をなくす業界」というよりも、「病気があるから回る業界」なのではないかと。それではコストと考え続けることになります。この大きな歪みに気が付かなければいけない時代になっていると思います。
医療業界が成長するために、今はふたつの要素が必要だと僕は考えています。これはマネジメントあるいは経営学では当然の考え方ですが、ひとつは技術のイノベーション。医療技術、医療機器、あるいは医薬品開発のイノベーションですね。そしてもうひとつは社会側のイノベーションです。たとえば蒸気機関という技術イノベーションがあったとしても、それが鉄道になり鉄道産業になるという社会環境の変化には社会側のイノベーションが不可欠になるということです。そう考えると医療において研究開発は非常に大事なパートですが、医療または社会全体が便益を受けるようなイノベーションとはまったく別のフェーズだという発想が必要です。出来あがった技術を医療サービスの形に消化させるステップが必要になるということです。たとえば新たに開発された新薬を、どんな人がどんなタイミングで使うと最も良いのか。そういうことを考える段階です。もちろんさらに次の段階もあります。日本では国民皆保険制度がありますからなかなか意識されませんが、これを地域的にどれだけ普及させられるか。良い医療にどれだけ多くの人がアクセス出来るのかということも次に考えないといけません。
つまり、研究開発の次にサービスの適正な提供があり、それをさらに広く普及させる。医療は大きく3つのパートで成り立っているということです。そしてこの3フェーズのうち、最初に研究開発がグローバル化しました。世界ではファイザーやメルクといったメガ・ファーマが市場を牽引しています。日本では、武田薬品工業さんが頑張っていらっしゃいますが、少なくともグローバルレベルで日本がリーダーシップをとっている業界ではありません。次に医療のサービス提供の部分。ここも国際競争に飲み込まれました。メディカルツーリズムです。でも、自分は肺がんかもしれないということで黒川先生に電話して「どの病院に行ったら良いでしょうか」と相談し、「私の知り合いの某病院に行きなさい」と教えていただけたとします。すると、そこで皆さまはすぐに受診できる訳ですよね。「ああ、保険証一枚でどこへでも行ける。日本の医療って素晴らしい」と思うかもしれません。しかし今の話で素晴らしいのは皆保険やフリーアクセスではなくて黒川先生の人脈や知見です。何が言いたいかというと、皆さんは病気になったときにどこへ行ったら良いのか分からないのです。それならもっと情報の少ない海外の人たちが、日本のどこの病院に行けば良いかなんて分かる訳はない。そんな状況で「メディカルツーリズムを振興させよう」というのは無理がある。最後に普及の観点。これは日本だけではなくグローバルレベルで起きている問題ですね。たとえばアフリカや東南アジアの一部ではいまだにHIV、マラリア、結核などで亡くなっている方々がたくさんいます。こういった地域での、医療技術に対するにアクセスの悪さ、あるいは普及の至らなさは問題です。これはグローバルヘルスの観点ですが、その観点でいうと日本の皆保険制度やフリーアクセスは非常に優れている制度と言えます。戦後15〜16年でつくりあげたことがにわかには信じられないほどです。ただし、だからと言って改善の余地がないという訳ではありませんし、また、そもそも日本が経済成長しようと思うのであれば、こうした良い仕組みを途上国に持っていくなどすることが、経済成長という目標で考えてもひとつの課題になるのではないかと思っています。
黒川:ありがとうございます。御三方とも相当に違った話でしたが、ではまず権丈先生に古川さんのお話に対する所見などをお伺いしたいと思いますが、いかがでしょうか。政治家は何をしたら良いのかという話をお聞かせください。
医療というチャネルを「お金を流し得る灌漑施設」として利用しよう(権丈)
権丈:まずは医療を考えるうえで基本的なことをお話しさせてください。先週も某、日経新聞に「医療や介護、生産性低迷」、だから生産性を上げるために規制緩和を行え!といったことが書かれていました。日本の医療の生産性が低いということは、昔からよく言われてきたことではありますが、実は、診療報酬を上げれば医療の生産性は上がるんですね。物的生産性という意味においては、日本の医師ひとり当たり患者取り扱い数は圧倒的に高いんですよ。日本の医師は欧米の5倍ほど多く患者を診ています。それにお金を掛ける、マネタリータームにすると、他の国と比べて低くなってしまうというだけの話で、それは診療報酬が極端に低いということと表裏の関係にあるだけの話です。それだけのことなのに、某日経新聞は、昔から気持ちよく間違え続けている。
それともうひとつ。私は先ほど高負担中福祉、中負担低福祉という話をしましたが、皆さんはこの2つのうちどちらかを選ぶとしたらどちらが良いと思いますか? 何が違うのか。これは教育も同様ですが、パブリックを使わずに福祉を市場にのせてしまうと、そのサービスを必要に応じて利用出来るのではなく支払い能力に応じて利用出来るという世界になってしまう。福祉国家と言われている国々は「医療、介護、保育、それに教育ぐらいは概ね必要に応じて利用出来るようにしましょう」ということで市場原理から外しています。ですから高負担中福祉と中負担低福祉のどこが違うかというのは、まずはこれらのサービスを必要に応じて利用出来る度合いが変わるという点です。
経済成長にはどちらのほうが良いか。これはまた違う次元の話になりますが、資本主義経済あるいは市場経済というものは、高度化していくとどうしても需要が足りなくなってくる。生産力は放っておいても上がりますが、供給に比べて需要が足りなくなってくる。この需要をどう埋めるかというときに、私は社会保障を使おうと言っている訳です。医療が成長するのではない。医療というチャネルを「お金を流し得る灌漑施設」として利用しようという話です。ポイントは、地方における公共事業と同じような方法で、医療が潅漑施設としてお金を流してくれるというところです。需要が存在しない限り、いくら投資を喚起するような政策を展開しても、要するに無人島で商売をしろといっているような話になってしまう。なんとかして需要を日本中に撒かないといけない。そのときのチャネルとして、特に福祉国家と言われるような国では、社会保障を利用しています。ヨーロッパ諸国などは相当部分、パブリックで需要のフロアを押し上げています。だから日本よりも経済運営がうまくいっている。アメリカはパブリックでやらずにバブルを連発しながら需要を一所懸命に増やすという方法で経済を循環させてきましたけどね。そのどちらもやらなかったから、日本はひとり苦しんできた。パブリックをある程度増やすことで、政策的政治的に社会全体の中間層を増やす。社会全体の中間層が厚みをもたないと国の経済運営は、なかなかうまくいきません。そして中間層は、意識的に増やす政策をとらないと厚みをもった存在にはなり得ない。その時の政策が、各国、社会保障だったりするわけです。
先ほどセーフティネットがあれば皆がチャレンジするというお話がありましたが、チャレンジしてリスクをとるような起業家精神を持っている人たちと、セーフティネットを意識する人たちというのは少し距離があるかなというのが、私が昔から思っているところです。
たとえばスウェーデンなどは同一労働同一賃金と言っていますが、これは「同じように自動車を生産する限り、同じ作業をしている限り、同じ給料を払いなさい」ということですよね。これは、実は、「生産性が低い企業は潰れなさい」と言っているに等しいわけです。「生産性が高いところに資本と労働を集中的に持っていきなさい」と。ただし、そのときに発生する失業は個人の責任ではなく国の責任ですということで、北欧の国などはセーフティネットで労働者の生活は守っているわけです。一方で、資本家に対しては大変厳しい。市場競争を徹底させて新しい技術を導入させ、かつ生産性が高い分野を育成するために、スクラップ・アンド・ビルドを意図的にやっているということです。他方で、労働者が流動的になるようセーフティネットを整備していく。
私は高負担中福祉と中負担低福祉の二者択一があったとすれば、この視点から考えていきます。つまり、高度資本主義経済のなかでは福祉のレベルが若干高いほうが、お金や労働力がスムーズに動くのではないかということです。
黒川:今の民主党はどうでしょうか。仰っていることはよく分かりますが、リスクをとる人はセーフティネットがあるからとる訳ではなく、やはり「とる人はとる」ということに尽きると思いますが。
医療を地域活性化の端緒にしていくことは可能(古川)
古川:そこは「鶏が先か卵が先か」というような気がします。基本的な考え方として、今は大きな転換期ですから、人材も雇用を含めて新しい分野を振興させていかなければならないということです。そこで動きやすい環境をつくっていくのは、社会保障ひいては政府の役割だと思います。時代の変化のなかで経営者がその都度判断をするのは良いのですが、そこでこぼれる人たちがいるのであればきちんと救っていく。そういうことは大事だと思いますし、医療を通じてお金を廻していくというお話にもまったく同感です。もちろん医療には今までかなりの規制がありましたから、そういう意味ではさらに大きくなる余地はあると思いますが、それが単独で経済を押し上げるリーディングインダストリーになるかと言うと、そこまでの力はない。
ただ、日本の医療環境を地域ごとでつぶさに見ていくと、医療設備などのインフラ自体は整っています。そういったところを核にした地域の活性化はやっていけるのではないかと思っています。たとえば千葉の鴨川市には亀田病院という病院があります。今、鴨川で最大の雇用をつくっているのが亀田病院とそのステークホルダーです。ですから医療を核にして地域の新しい雇用を生み出していく。先ほど山本さんからメディカルツーリズムに関するご指摘がありましたが、「どこに行けば良いのか分からない」のであれば、医療機関側から積極的にPRしていく。患者が探すだけでなく患者を呼びたいところがPR活動をする訳です。たとえばシンガポールの医療機関にはセールスマネージャーがいて、その方が毎月中東諸国を回って患者を引っ張ってくる。お医者さんがMBAをとってセールスマネージャーになっている。黒川先生のお話を伺っていて私もまったくその通りだと思ったのですが、医療という分野を治療行為だけではなく、普段の健康管理を含めたヘルスケアという幅広いバリューを提供するチャネルとして考える。地方であれば病院を核にしつつその周辺にある温泉やゴルフ場を組み合わせて長期逗留していただき、治療だけではなく食習慣のアドバイスもしていく。たとえば医療ツーリズムでもそのような大きな枠組みのなかで行い、地域活性化の端緒としていくことは可能かと思っています。
黒川:せっかくなので冒頭で申し上げた「公的な支援はもう使えない」、「高齢社会が進んでいる」、「慢性疾患」、そして「貧富の差が拡大している」というところでもう少し切り込んでみましょう。ちなみにメディカルツーリズムというのは、中東などにものすごいお金持ちが出てきたのでそれを引っ張ろうと思っているだけの話であって、自分たちの国のことをやっている訳ではないですよ。また、たとえばイギリスやアメリカでは高い手術をするとき、たとえばインドの病院に行けば人件費が安いから、旅行をしてきてもそちらのほうが安いというサービスが出てきただけの経緯だと思います。日本がそれを出来るかというとなかなか難しいだろうと感じますが。
古川:ところが日本は医療費が安い。
黒川:医療費は安いけれど、たとえばシンガポールなどにくらべて英語対応のインフラが整備されているかとか、そういう話です。腕の良い医者がいて医療費が安いのであれば済むという話ではないと思います。それに、生活習慣病と言っても「メタボリックは本当に病気ですか?」という話になります。毎朝起きたときに「自分の体重を減らさないといけない」と思うけれども、それが出来ていないというだけの話でしょ? どうしてそれをしないのかということです。一人ひとりでは出来ない。そうすると「人によって効果のあるやり方が違うから」ということでインセンティブをつくらないといけない。人と人との繋がりが弱くなっているところでどのようにコミュニティを維持し、そのなかの医療費などについてはどういった保険のチョイスがあるのか。そこでクリエイティブな新しいビジネスが出てきて、しかも皆がハッピーになる。たとえば血糖を計るにしても、なんで毎月計らなくてはいけないのか。自分でやらなくてはいけないことは、薬を飲むことではなくて、歩くことです。それこそ池田勇人さんではありませんが、金持ちしか検査出来ないのであれば貧乏人は歩けというぐらいのほうが良いのかもしれない。要するに体重が減れば皆良くなってしまいますから。そういうキャンペーンをどうするかという話のほうが大事なのではないかと思うのですが、山本さんはどうですか?
ミラクル!な日本の仕組みをシステムごと海外に輸出する(山本)
山本:医療というと、皆、診断と治療の話ばかりになってしまう。ミスリーディングです。最初に申しあげた通り、とにかく医療のパラダイムが変わってしまっています。生活習慣があり予防があり、そのなかで運悪く病気になった人は診断または治療される。そして、慢性期の看病、リハビリ、さらにはホスピスがある。そこまでまとめてひとつのヘルスケアというサービスチェーンが出来あがる訳です。でも、メディカルツーリズムだとか医療特区だとかいう話になると、多くの医療従事者を含め、制度上の議論が診断と治療にばかり寄ってしまいます。必ず病院からスタートしてしまう。病院を核にしましょうと。それではいけませんよというのはひとつの学びだと思います。
日本ではメタボ検診の義務化がはじまりました。先ほど黒川先生が仰っていたことと重なりますが、たとえばアメリカ人にこれを紹介するのは大変です。皆、びっくりします。公衆衛生の先生なんかは「ミラクル!」なんて言います。「チェックしたあとはどうするんですか?」となるとさらに説明が難しい。「肥満と分かると呼び出されて指導を受ける」なんて話すと、皆、少し青ざめます。日本はそういうことが出来てしまうというか、やってしまった国です。別の話をすると「日本は学校にそれぞれ栄養士がいて、何をどう食べるか教えている」なんて言うと、もう公衆衛生とか社会の健康を考える人たちは「本当に日本ってミラクルだね」と言います。ですから、そういう仕組みを海外に売り出すこと、あるいは日本のなかでもっと醸成していくことは私としては大切だという思いがあります。
一方、日本で非常に残念なこともあります。そういった検診の仕組みをつくったにも関わらず、たとえば糖尿病と診断されている人たちのなかできちんと病院に行っている人は半分ぐらいです。残り半分は糖尿病と分かっていても病院に行かない。病院に行っている人のなかでも血糖値がきちんとコントロールされている人は3分の1ぐらいしかいません。そんな風にして、病院にも行かない、行っても血糖値がコントロールされていない。そんな人たちがある日心筋梗塞を起こして、あるいは透析をすることになって、ひとりあたり年間500万円も費用がかかる状態になってしまう。ですから「そういうことはやめましょう」と。そういうことをしなくても良い技術が出来ているということを伝えていくべきだと思っています。そこは、言葉は悪いかもしれませんがビジネスチャンスでもあります。これまで何が弱かったかというと、ひとつは医療の支払い側である国や健康保険組合であり、もうひとつは学会ですよね。学会がもっとそういうことを積極的に広報していても良かったのではないかと、私個人としては思っています。
黒川:では会場からもご質問を募りたいと思いますが、いかがでしょうか。
社会保障を小さくすることが成長政策なのだという考え方では、もうやっていけない(権丈)
会場:冒頭でご提示されていました「高齢社会」、「慢性疾患」、「貧富の差」、「公的資金がない」といった話をもう少しお伺いしたいと思っています。
黒川:私もそう思っていました。私としては「医療制度」とか「医療政策」と言ってしまうからいけないのだと思っています。英語では‘Health Policy’と言いますよね。それなのに「なんで医療と言うの?」と。医療ということで医者や専門家が集まって議論するからおかしくなってしまう。私は以前から健康政策と呼ぶべきだと言っています。今までの常識を破るためには言葉はすごく大事です。皆さまは今、生活習慣病という言葉を使っていますが、これは15年ほど前までは成人病と言われていました。それで私は当時、厚生省の委員会で「‘Adult Disease’なんて恥ずかしくて言えないね」と、ずいぶんからかったことがありますが、それで生活習慣病に変わっていった。生活習慣病という名前になることで、インナーマッスル、ブートキャンプ、サプリメント…、どんどんビジネスが出てきた。何故ですか?国民の意識を変えることはすごく大事なのです。ですから医療政策ではなく健康政策に変えないと、ものすごくミスリーディングな議論になってしまう。
山本:僕も医療という言葉はほとんど死語にしたいと思っています。診断と治療だけの話になってしまいますから。ヘルスケアと言うべきですし、もっと言うとヘルスケアというのも日本語ではなんと言って良いか分からない。保健と言っても良いのですが…。ですから何かアイディアをいただきたいぐらいです。
黒川:ではここで改めて会場のご指摘に戻りたいと思いますが、日本は1985年までほかの先進国よりも高齢者比率は低かった。でもそのあと何もしないから比率が上がり続け、2005年から世界一になりました。高齢化に対して長期的な展望をもって何をやっていくかという話が出てこない。
権丈:強い経済という課題に立ち戻ってみます。わたくしには「強い経済」という言葉の意味がよく分からないし、そういう政治家言葉というか、キャッチフレーズは好きではないので、「経済成長ってなんだろう?」という問を考えてみたいと思います。
去年、『ゲゲゲの女房』というドラマが放送されていましたよね。視聴率が良かったようなので最近はあの物語を例にとることが多いのですが、彼らが結婚をしたのが1961年。当時は家に何もない。炊飯器もコンロもエアコンもない。でも物語の進行とともに、そうした家財道具が家の中に少しずつ埋まっていきます。そして最終回では家のなかがモノで満たされていた。結局、それが経済成長ということ、生活水準の向上ということなんですね。
経済成長においては生産と分配と支出の3つが等価であると、経済学では教えているはずです。ところが皆、生産のところだけを見た議論しか行わない。支出の側面から見ていくと確実に生活水準は上がっています。それが経済成長です。そう考えていくと、現在、我々はどのように生活水準を向上していけるのか。たとえば中国やインドにいけば、これはもう7%ぐらいの成長率になるだろうと思えるくらいに、家のなかには何もない家庭がたくさんあるはずです。ところが日本は違う。ならばどこに日本人の生活水準を引き上げていく余地があるのかと言えば、まだ消費が飽和していない領域や人にパブリックが所得を再分配していくのがひとつの策であると、私は言っている訳です。実際、ヨーロッパ諸国はある所得水準を超えてからはパブリックの力を借りて消費性向を上げていくということを意識してやっていました。それを日本はやらなかった。だから、痛い目に遭っているという気がします。要するに、長い間、社会保障を邪魔者扱いしていたということ自体が大きな間違いだった。新成長戦略では社会保障に重点を置くことについて「21世紀の新しい考え方」とか言っていますが、ああいう考え方は昔からあります(笑)。ただ、日本人の多くの人が知らなかっただけだし、その結果、それを実行していなかっただけ。経済学全般のなかでもフリードマン系の経済学が圧倒的に強過ぎて、今私が言ったようなことを聞きいれる余地がなかった。ただ、リーマン・ショックあたりからからは向こうも「失敗したな」というか、世の中の人も、こちら側の考え方のようなものが本当は大切かもしれないというふうになってきています。経済学の根っこの部分で、考え方が替わろうとしている。日本にもそうした考え方が政策レベルでようやく視野に入れられるようになってきた。昔はバナナのたたき売りのように自民党以上の構造改革を言っていた民主党も、今や考え方を変えてきていますし、自民党でさえ経済政策として社会保障を利用するというアプローチから自由ではいられない。社会保障を小さくすることが成長政策なのだという考え方では、もうやっていけなくなっている状況です。
黒川:ありがとうございます。ほかにはいかがでしょうか。
社会保障が本当に必要な人に届く管理制度を整える(古川)
会場:各論で恐縮ですが、納税者番号制度は非常に重要な局面に来ていると思います。古川さんにお伺いしたいのですが、本当に必要としている人に届き、そうでもない人にはご遠慮いただけるような制度の基盤をつくるうえで、私は現在の番号制度に関する国の基本方針は大変良いと思っています。ですからその基盤をつくっていくという考え方でいらっしゃるのかどうかということを確認したいのがまずひとつ。もうひとつは、実際のシステムづくりにおける民間の関わり方をどのように捉えていらっしゃるのかという点です。官の仕組みについてはかなり議論が進んでいますが、民間との連動という点についてはまだ具体的な話がほとんど見えてきていないのが現状だと認識しているためです。たとえば民間の認証システムを官でどうやって活用するのか、あるいは官のデータベースにNPOの人たちがどうアクセス出来る…。この辺りを具体的な仕組みに落とし込んでいく作業が、今年、とても重要になると思っていますが、こちらについて何か所見をお聞かせいただけますでしょうか。
古川:社会保障の効率化および重点化というのは極めて大事なことだと思っていて、全世代に渡って実施しようという方向で議論が進んでいます。何故なら年齢で区別をする時代はもう終わったのではないかと。たとえば「黒川先生を高齢者として扱う必要はあるでしょうか?」と(笑)。その一方で、20代で職もない、あるいは職があっても低所得の人たちが増えている状況にありますよね。平均寿命が80歳を超え、2025年には65歳以上が人口の3分の1を占めるようになるというこの日本で、人々を単に年齢で括っても仕方がないということです。ライフスタイルなどが多様化すれば対応だって違ってきます。そういう意味で、これまで日本における社会保障の仕組みは、ある意味で本当の弱者には冷たく、ただ歳をとったというだけで「サポートしなければ」という状況になっていたことは否めません。ですから番号制度を入れるひとつの大きな目的はそういった部分への対応を含めた社会保障の重点化です。
ただ、番号制度については政府が昭和63年に「政府税制調査会の納税者番号等検討小委員会」ではじめて報告書を出したのですが、当時はお金持ちを把握するための制度という位置づけでした。私は当時、大蔵省の主税局でその報告書づくりに関わっていましたが、当時からプライバシーの問題などがあってなかなか実現していなかった。政治家のあいだでも「国民に番号をつけるなんて、牛や馬と同じではないか」とか、とにかくものすごく根強い反対論がありましたから。しかしもうここに至って「このままでは本当に手を差し伸べないといけない人に手が届かない」ということで番号が必要になっています。もうまった無しの状況ではありますが、とにかくこれまでの長い経緯がありますからやはり丁寧に慎重にやっていかなければならない。私が担当して去年からスタートしたのですが、とにかく政府の側から見た利便性ではなく国民にとって利便性ある仕組みにしなければいけません。また国民の皆さまが、行政がどんな情報を管理しているのか自分たちでチェック出来る必要もあるでしょう。そんな風にして、とにかく国民視点での番号制度を考えつつ丁寧にやっている状況です。
あと、実は番号の議論がここまで遅々として進まなかったのにはもうひとつの理由があります。番号制度では当然ながらITの技術が深く関わっていきます。しかし、そこでシステムベンダーさんが自分のところへ仕事を引っ張ろうとして色々と動き続けていました。あるベンダーさんが動くとまた別のベンダーさん足が引っ張るとか…。民間のほうでも足の引っぱり合いをしていたという事情がありました。したがって仕組みづくりをしている現段階は、少し民間とは距離を置いたところで進めています。「ここはこういう民間技術でやろう」といった具体的なシステムづくり以前にあたるフェーズをとにかく丁寧にやっていかないと、国民視点の制度をつくることが出来ないと考えています。今度失敗してまた数年進まないとなると、もう本当に日本社会が直面している問題解決すら出来なくなるという危惧がありますので。
治療と予防のバランスは、費用対効果で決められるか…
会場:現在の医療が治療から予防へとパラダイムシフトを起こしているというお話についてですが、その場合、費用対効果というか、投資対効果はどちらのほうが高いのでしょうか。それでどちらかが高いのであれば、それで財政が良くなるのか否かですとか、そういったところに関してなんらかの所見があればお伺いしたいと思っています。
山本:簡単に言うと、ファクトはまだありません。ですから、つくらないといけない。課題先進国と自認するのならまず我々がそれをつくろうよという話です。予防の費用対効果であれば、たとえばデータを見ていると20年来糖尿病を放っておいた56歳男性が見つかったとします。で、その人を実際にチェックすると明日にも心筋梗塞を起こしそうだなということが分かる。そこで治療を済ませれば将来コストが明らかに安くなる。今はまだそういった計算ぐらいしか出来ません。日本はそういった研究自体をまったくやっていなかったので、予防にかかるコストとその期待される便益、あるいはそれで避けられたコストというのを見ていかなければいけないなとは思っています。
権丈:ちなみに医療経済論の世界では「人は皆死ぬ」という当たり前の前提のもとに議論されているわけで、予防すると人は長生きをするから、その間、医療費がかかる。そこに年金とか色々な社会コストを足した結果、「予防しないほうが社会的コストは低い」という結論に達している研究もあったりします。
山本:言葉は悪いのですが、“安く死ぬことが出来る”ということですよね。実際、本当にそういうことなんですよ。
黒川:その話はマイケル・サンデルにも出てきますね。では次のご質問、いかがでしょうか。
会場:シックケアとヘルスケアの繋がりはインセンティブではないかと私は思っています。たとえば喫煙。昨年たばこの税金が上がりましたが、たとえば喫煙者に対しては保険料を上げていく。先ほどのお話にあった糖尿病の例も同様ですよね。言いつけを守らない人は保険料や医療費を自分で出せと。そういう制度は効き目がありますか?
山本:私はあると思っています。そのためには保険制度を変えていく必要がある。今は自分でウェルネスコントロールが出来ると分かってきている時代ですから、保険料も個人の積み立て部分、あるいは免責額を決めて、「ここは全額、ご自身で払ってください」とか。そういった制度は僕もつくって良いと思います。先ほどお話しされていたような年齢と収入だけで一気に集めてくる方法も今までは悪くなかったと思いますが、ヘルスケアの質が変わってきた以上、そういった部分は見直さなくてはいけないと思っています。
黒川:ではそろそろ時間もなくなってきたので、最後に一言ずつお願いします。
権丈:今日は高負担中福祉、中負担低福祉ぐらいしか選択肢がないというようなことを話ましたが、別にヤケになる必要はないわけです。ヤケになって「いやもう減税だ、小さな政府だ、社会保障はなくしてしまえ」とかいうところに行ってしまうのが一番困る。私は「この国の幸運」という点について昔から言っているのですが、2007年のGDPに占める租税・社会保険料負担でみた国民負担率は、日本はOECD30カ国中下から4番目です。下には韓国、トルコ、メキシコしかない。だからこそマーケットがこの国をまだ信用しているのです。「あそこは本気を出せば大丈夫だ」と。ですから本気を出せば良いだけの話であって、たとえば消費税なら20%少しまで上げれば、社会保障国民会議が提案した、消費税5%ぐらいの社会保障の機能強化はまだ出来る状況です。
消費税を3%から5%に引き上げた1997年の例を持ち出して「消費税を上げたら景気が悪くなる」と言う人はいますが、あの年は7月以降にタイバーツの暴落からはじまったアジア金融危機が起こっています。その大波に、日本経済は飲み込まれたわけです。
ほかの国を見てみれば、付加価値税の導入にあたってはルクセンブルグが8%で導入したのが一番低いぐらいです。あとはだいたい10〜15%で付加価値税を導入しています。日本のような導入時3%のケースは実に稀です。日本は本気を出してきちんと国の運営をすれば未来はそう暗くないと言っておきたいですね。ただ、そのために必要なのは「強い経済、強い財政、強い社会保障」という以前に、正しい法案を国会で通すことができる力を持った「強い政治」が必要です。
古川:強い政治というお話がありましたが、私は賢い政治だと思います。ずっと社会保障の話をしてきましたが、残念なのはこれが常に政局の種になっていたことです。この15年間で一番強行採決が多かったのは厚生委員会と厚生労働委員会です。目の前の負担に関する話ですから、そこは与野党ともに政局としやすいところがあった。ですから我々政治家も賢くならなければいけないし、有権者の皆さまもこの社会保障の話を政局の争点にするような状況は止めないといけないと思っています。逆にこの社会保障が争点にならない形で議論が出来れば、本当に私はこの国の未来は明るいと思っています。
山本:社会保障は難しいですね。僕は36歳なのですが、「これからどうなっちゃうんだろう」ということで本当に心配になります。一方で、今日は皆さまに「ヘルスケアの面白さを伝えることが出来たかな?」と思っています。これだけパラダイムシフトが起きているのに、まだ旧来型の構造の延長線上で考えてしまう。ですから、皆さまが現在お持ちになっているスキルやリソースを全開にしてヘルスケアの改善に向かってくれたらと、心から思います。私自身はヘルスケアの話しか出来ないし、逆にそこでしか生きていくことが出来ないので、ぜひご一緒に、頑張ってヘルスケアを良くしていけたらと思っております。今日は本当にありがとうございました。
黒川:結論から言うと、非常に問題があるけれども解決は可能だ、ということですよね。もちろん政治の問題ではあるけれども、やはり今回お集まりになった方々は実社会にあって教育のレベルもかなり高く、色々なものをご存知な方々だと思います。そもそもデモクラシーは(我々自身が)政治を知らなかったら動かないということではないでしょうか。今年も「ステート・オブ・ザ・ユニオン」をやってオバマさんの支持率は55%に上がっています。やはりリーダーシップというものは、皆が直接話す機会がある場でどんな風に話すのかということがすごく大事なのだと思いますね。私どもは社会でそれぞれどんな役割を果たし、どうやって発言していくのか。今、チュニジアやエジプトで起こっていることを考えれば分かるかと思います。ぜひ、それぞれ何が出来るのかを、話すだけでなく一人ひとりの普段からの行動にしていただきたい。デモクラシーというのはそういうものですから。そんな訳で、本日はややまとまりのつかないパネルにはなってしまいましたが、それだけに問題の根は深いということなのかもしれません。皆さま、今日は誠にありがとうございました(会場拍手)。