志士たちの履歴書
林:本日のゲストはベストセラーにもなった『金融資本主義を超えて—僕のハーバードMBA留学記』の著者でもあるライフネット生命保険の岩瀬大輔さん、昨夜グロービスでアルムナイ・アワードを受賞されたお二方、川島昭彦さん、鈴木規文さんです。川島さんは電子認証分野の先駆者として知られ、提案型開発のシステムハウスとして定評のあるビー・ユー・ジーを、代表取締役社長として率いていらっしゃいます。鈴木さんは、起業専業企業・株式会社エムアウトにおいて、小学生向けアフタースクール事業「キッズベースキャンプ」の立ち上げに従事し、2009年、同事業を東急電鉄に売却すると同時に現職に就かれました。まずは自己紹介も含めて、これまでのキャリアの歩みを語って頂きたいと思います。
岩瀬:大学卒業後、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社し、2年間勤めました。2000年のITベンチャーブームの頃、BCGの先輩に誘われ、米ベンチャー企業の日本法人を立ち上げるために退職しました。しかし1年後にITバブルが崩壊し、立ち上げた会社も日本市場から撤退。半年ほどのブランクを経て、投資ファンドのリップルウッド(現RHJインターナショナル)に入社し、今度はM&A(企業の吸収合併)や企業再生に携わりました。その後、HBS(ハーバード・ビジネス・スクール)に留学しMBA(経営学修士)を取得。その後、思いがけず生命保険業界に入り、現在に至っています。
川島:85年に三井物産に入社しましたが、就職活動中は、当時の言葉でいうと「ピーターパンシンドローム」。モラトリアムというか、何がやりたいのか分からない状態でした。三井物産もたまたま、通りすがりに飛び込みで面接を申し込んだという具合でした。
実際に入社してみると、良い会社だったので、「10年はやってみよう」と心に決めました。10年が過ぎた頃、いろいろ考えた末に北海道に移住を決めて退職。BUGに入社しました。BUGは“サッポロバレー”の草分け的存在で、入社してまもなく、社内ベンチャーで電子認証の会社を立ち上げました。米大手電話会社GTE、NTTドコモ、NRI(野村総合研究所)とBUGという異質な4社のジョイントベンチャーでした。そこで社長を経験し、2000年に米国本社が欧州の企業に買収されたことにより、以前やはり設立に関わった日本ベリサインの社長に任命されました。その後BUGに戻り、現在BUGの再生に着手しています。
鈴木:私は2005年にグロービスに入学して、2008年に卒業したばかりです。大学卒業後、老舗のゼネコン銭高組に入社。古い会社の特徴として団塊世代が多く、若手が活躍する機会が少なくなかったので、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に転職しました。想定通りの激務で体を壊しそうになりましたが、カリスマ経営者である増田宗昭さんをはじめ、プロフェッショナルな経営者の直下で仕事をすることができました。「いずれは経営者になりたい」という想いが強くありましたので、「自分のキャリアから経営者になるには会社の規模を小さくしていくしかない」と思い、起業も経営の経験もない私に経営を任せてくれるというエムアウトに転職し、そこから学童保育事業のキッズベースキャンプという会社を立ち上げました。
林::華々しいキャリアを積んで、現在のお立場も素晴らしい。あえて3人に伺いたいのは、最初から今のようなキャリアプランを持っていたのかどうか。順風満帆に見えますが、迷ったり悩んだりしたことはなかったのでしょうか。
60歳の自分の姿が想像できることが耐えられない(川島)
川島:私の場合、大学を卒業する頃は普通の学生のように就職活動をしませんでしたので、入社動機が明確ではありませんでした。入社式の会場で、同期138人の前で先輩社員の祝辞がありました。「ようこそ憧れの三井物産へ」で始まり、「これから30数年、同じ釜の飯を食っていく同志を大いに歓迎します」と言われ、これから30年を今コミットすることには違和感がありました。それで、10年はやってみようと。「23歳で仕事を始めて63歳まで10年を4回繰り返すんだ」と考えたんです。最初の10年で60歳の自分を想像することはできなかったので、キャリアプランまでは考えていません。
期限である10年が近づいた30歳の頃、「このまま三井物産に居続けるべきか」と悩みました。三井物産は良い会社で、今でも付き合いがある人が大勢います。給与も良く、出世の可能性もゼロではない。一番辛かったのは、三井物産を辞めることで、両親や親類縁者の期待を裏切ってしまうかもしれないということでした。
ただ、自分はこのまま三井物産の社員という優等生のレールを走って行きたいのか、「自分は何者なのか」、「本当に自分の求める生き方は何なのか」ということを何度も何度も考えました。このまま居続ければ、50〜60歳の自分の姿が想像できてしまうことがつまらなくも思えました。
その結果自分が本当に求めていたのは、「豊かな自然環境の中で生活する」ことと、「創造的な仕事をすること」。その二つは捨てられないと結論付け、北海道に移住しました。
この間、色々な本を読みましたが、トルストイの『人生論』(新潮社)には大きな影響を受けました。
「他人から見たキャリア」に惑わされた(鈴木)
鈴木:こう見えても計画的な人間なので、キャリアの棚卸しは、毎年1回、定期的に行っていました。ただそれは過去のキャリアの棚卸しであって、将来のビジョンを描くことは、どうしても出来ずにいました。僕たちが20代のころって、「明確なキャリアビジョンを持っていなければいけない」というような風潮が強かったので、とても焦っていました。内省しても、具体的な職業に結びつかない。気が付いたら、「MBAを取得してコンサルタントになる」というような、常に他人の目から見たキャリアを考えてしまっている。そこから抜け出せなかった。「違う」と思えるようになったのはごく最近のことです。と、偉そうなことを言っていますが、ずっと悩み続けて、今も悩んでいます。
岩瀬:BCGに入社した当時の人事担当者が、実は今日ファシリテーターをされている林さんなんですね。あの時林さんにお会いして、ステキな方だと思い、BCGに行くことにしました(会場笑)。学生時代は弁護士を目指していましたが、BCGで2週間インターンをして圧倒されてしまった。「こんなすごい人たちと一緒に働いてみたい」と。当時は、「最年少パートナーになって、大前研一さんのようになりたい」と思っていましたが、「なんかベンチャーをやりたい」と飛び出し、そしてまた、「大きなファンド作りたい」と飛び出し、MBAを取得するためにHBSに留学したと。
つまり、その都度、「この仕事をずっと続けよう」と思って始めてはいるのですが、人との出会いなどで針路が変わってしまう。学生時代に司法試験の勉強していた自分にとって、今、生命保険会社の副社長になっていることは、全くの想定外です。これまで、キャリアについてあまり悩んだことはなく、明確なキャリアビジョンを描いたことはありません。
林:3人とも初めからこういうキャリアを目指していたわけではなかったということですね。一般的に「早くキャリアを決めて邁進すべき」と言われてきましたが、そうではない考え方もあります。「Planned Happenstance Theory(プランドハップンスタンスセオリー)」で、計画された偶発性という意味です。岩瀬さんが著書の中でこのセオリーについて触れているので、ご紹介いただけますか。
天職は分からないもの(岩瀬)
岩瀬:BCGの先輩に僕の評判を聞くと、「あいつは頑張るけど、飽きっぽいよね」と言われます。「ジョブホッパー」のように思われる不安があった反面、「自分が求めているものを追求している」という想いもありました。ちょうど留学前の夏休みに、高橋俊介(慶應義塾大学大学院教授)さんの講演で、「プランドハップンスタンスセオリー」を知って、「ああ、これだ」と。
「天職を追求するのがキャリアではなく、その都度全力で走った過程自体がキャリアなのだ」という趣旨と理解しています。HBSに留学して分かったことは、30歳になっても40歳になっても、天職というのは分からないものだということ。米国では、45歳で社長になった後、次は何がしたいのか分からずに悩んでいるエグゼクティブもいました。「自分が本当にやりたいことは何か」という問いに対して、答えを持っていないのは、大学生や若手社会人だけではありません。
このセオリーは、「チャンスに飛びついたり、信じるものに乗ったり、旅の過程を精一杯楽しむこと、それがキャリアだ」と教えてくれます。私はジョブホッパーではなく、プランドハップンスタンスを体現している人間なんだと思えるようになりました。
鈴木:私も同様です。昨年頭ぐらいに、投資家との関係がうまくいかず、もう一度キャリアを再構築しなければいけないと思った段階で、高橋さんの『キャリアショック』(ソフトバンククリエイティブ)という本を読みました。そこにこのセオリーが書いてありました。やりたいことや理想のキャリアプランは今と10年前では全く違う。帰属している組織によっても変わるし、毎年棚卸しをしても、結局、具体的な目標を立てられず、作れたのは行動規範だけ。でもそれが間違いではないと分かって、ものすごく安堵しました。
林::岩瀬さんも鈴木さんも、「ビジョンありき」という重いものから開放されたということですね。目の前の仕事に全力でぶつかりながら、偶発性の積み重ねからキャリアを構築していくのが「プランドハップンスタンスセオリー」ですね。川島さんは三井物産で商社マンとして活躍しながら、ある時いきなり北海道に移住してBUGに入社しました。一体何があったんですか。
旅行先で土地の購入を決めた(川島)
川島:まったくの偶発です。三井物産時代は化学プラント部でしたが、その中でも異質な新事業に携わっていました。プラント事業の主流は中東やインドネシアなどの資源保有国なんですが、私はハイテク分野の業務を担当していました。1社目は米国のミネアポリスで半導体製造装置メーカーの日本法人を立ち上げ、2社目は1990年に三井物産が買収したカナダのバンクーバーにあるリチウムイオン電池を開発した会社の運営でした。バンクーバーと東京を行き来しているうち、現地の人々が、豊かな自然の中で生活していることを羨ましく思えました。
当時の日本はバブル絶頂期。食事に2万円、タクシー代に1万円を平気で使うような生活。カナダ人の生活は質素だけど、しっかり地に足がついている。都市の少し外に出るだけで、大自然が広がっている。商社マンを10年やってみて、自分はそういう中で生活がしたいということが見えてきました。カナダ移住も考えましたが、妻に「とんでもない。三井物産の傘の下でもなく、ネイティブでもなく、手に職のないアナタは、ただの外国人労働者」と指摘され、「それもそうだ」と考え直して断念しました(会場笑)。
ちょうどその頃、初めて北海道に行き、あまりに良いところで驚き、半年後のGWにまた1週間の北海道旅行を計画しました。旅行の前に新聞広告で北海道の住宅の案内を見つけて、問い合わせたところ、無料で宿泊できる施設があるというので、誘いに乗ってみました。いざ行ってみると、本当に良いところで、その場で土地の購入を決めました。何の考えもなかったわけではなく、それくらい思い切らないと、敷かれたレールから脱線することができないと考えたからです。買った土地に家を建ててから、会社に辞表を出しました。上司に「辞める」と伝えたら、「お前何考えてんだ」と。「もう家建てちゃいました」と言ったら、「ええ!」と驚かれましたが(会場笑)。
北海道はバンクーバーと共通点は多く、サケなどの水産資源が豊富だったり、農業や林業が地域の重要な産業になっています。それだけ豊かな自然があるというわけです。その中でも札幌はバンクーバーとほぼ同規模の街で、都市基盤もしっかいりしています。札幌ならば贅沢を言わなければ仕事の一つや二つは見つかり、生活はできるだろうと考えました。縁もゆかりも無い土地でしたので、北海道新聞の求人欄を目を皿のようにして探したり、職安に届けを出したりしました。3社からオファーがありましたが、あまりにもレベル感の違う仕事で、日本の地方都市の厳しい現実も味わいました。
林:あのとき北海道に行っていなければ今のキャリアはなかったということですね。続けて鈴木さん、キッズベースキャンプを始めた経緯をお話下さい。
鈴木:現在、キッズベースキャンプ社長である島根太郎の奥さんと友人関係にありました。島根に会った時に、私が、「保育事業は面白いからやる価値がある」ということをボソッと言ったらしいのです。それを彼が覚えていて、エムアウトでの事業開発の経緯を私に報告してくれるようになりました。最初は「なぜだろう」と思いましたが、途中から「巻き込もうとしているな」気づきました。ちょうど私もCCCでトップマネジメントに行く断層のようなものを感じていたので、悶々としていた頃でした。最終的には、沖縄料理屋で「ぜひ一緒にやって欲しい」と口説かれました。それも偶発性ですね。
林:「もしあのときに保育事業面白そうだよねという話をしていなければ……」ということですね。大学生のころの岩瀬さんを知る私としては、今の仕事を始められたのはすごく意外です。どうしちゃったんですか(会場笑)。
日本のバフェット目指す(岩瀬)
岩瀬:BCGでインターンの面倒を見てくれた方が、ものすごく賢い人でした。僕がごにょごにょと訳のわけの分からないことを言っても、すぐに2×2のマトリクスで整理してくれる。「こういう人と仕事したい」と思って私が入社した時には、すでに退職されていましたが(会場笑)。その先輩は退職後、ベンチャーを興して、2年でIPOさせました。
HBS留学中に僕が書いていたブログの中で、その先輩のベンチャー企業について触れたことがありました。そうしたら、そのベンチャーを先輩と一緒に興した投資家の方がブログを読んでくれていたみたいなんです。
「起業したい」という気持ちはあっても、いいアイデアが浮かばず、私費留学で資金も底をついたので、一旦リップルウッドに戻ろうと考えていた矢先でした。「戻ります」と前の上司に言った次の日に、その投資家と会う機会があって、「ずっと前からブログを読んでいた。君みたいな人がベンチャーをやるべき。評判はBCGの人から聞いて知っている。一緒にやろう」と誘われました。
それが2006年の1月ですが、翌2月に、その投資家がボストンまで追いかけて来てくれたんです。今度は具体的に、「保険が面白いと思う」と言われました。彼はコーヒーの大手チェーン店を買収した経験があり、外食やIT産業は競争が激しいことを知っていました。すごい人たちがすごい戦いをしていると。一方で保険業や金融業のように規制が厳しい業界は、割と優等生的な人たちがやっている。「だから温室栽培の岩瀬君は霞ヶ関の人たちからも受けがいいはずだ」と。また保険業は他方で、規模が大きくても、100年前から生産性が変わっていない。営業マン1人当たり月2件売るという数字は今も昔も変わっていません。
投資家として著名なウォーレン・バフェットは、実は保険会社を一番の収益源にしていて、そこで預かった資金を運用しています。日本で生命保険というと“おばちゃん”というイメージですが、HBSで保険業を立ち上げる話をしたところ、「日本のバフェット目指すのか」と言われて、「バフェットなら悪くないな」と。すっかりその気になりました。
4月に一時帰国した際に、僕は企業向け自動車保険で、リスクを細分化して保険料を安くしていくという、いかにもMBAというビジネスプランを書いて投資家に見せたんですが、同席していた年配の男性は、市場規模40兆円、100億円を集めて生命保険会社を立ち上げるというプランを出しました。その男性がライフネット生命社長の出口治明です。僕にとって生命保険会社は、すでに存在しているもので、自分で作るという発想はまったく浮かばなかった。その大胆さが素晴らしいと。
僕は昔から地味なビジネスが好きで、BCGの頃も、同期が次世代モバイルサービス戦略など、楽しそうな仕事にアサインされている中で、セメントメーカーや産業用手袋メーカーなどを担当して、地味な業界の面白さを噛み締めていました。またリップルウッドの頃も、静岡の鋳物メーカーに出入りしていました。そういう意味では、BCG、リップルウッドの中で築いた世界観も、生保という割と地味な業界を選ぶ決断の背景にはあったかなと思います。
林:ブログを始めて、たまたま先輩のベンチャーに触れたことがきっかけ。これもひとつの偶発性ですね。話を伺っていると、3人とも幸運な偶然の出会いがありますが、それは本当にたまたなのでしょうか。恐らく偶然を呼び込むような行動を前からしているわけです。それが「計画された偶発性」と言われる所以です。
そのためには次の五つの行動が必要だとスタンフォード大学のクラン・ボルツ教授は言っています。一つ目は「好奇心」。心に壁を作らず、自分の好奇心を広げていく。二つ目は「持続性」。すぐは諦めずにある程度納得するまでやってみる。三つ目は「楽観性」。悲観的にならず、意に沿わないことが起こってもチャンスと考える。四つ目が「リスク・テイキング」。失敗はするものだと考え、何かを失う可能性より、新しく得られる可能性を考えてみる。五つ目は「柔軟性」。一度「こうだ」と意思決定したことでも、状況、環境次第では、変えていく。
共通して言えることは、自分の人生に積極的に関与して行動する姿勢と、自分を閉じずにオープンマインドを持ち、自分の可能性をオープンにしておくことが、偶発性を呼び込むコツだといいます。
川島:私はこのセオリーを知りませんでしたが、自分の経験をなぞってみれば確かにその通りだなと。今の会社の採用面接でアドバイスすることは、「徹底的に考えること」。何を選んでも良いことも悪いことも必ずある。人生を2度歩むことはできないので、割り切りができないと、悪い方ばかり見えてしまう。どこまで深く考えて、意思決定をしたかが、良い方に目を向けるポイントだと思います。
自分が何者であるかを考えることは、たまねぎの皮を剥ぐようなもの。剥き切るまで考えていたら一生が終わってしまう。どこかポイントを決めて、深く突き詰めて、一旦決めたら、くよくよしないことです。私がBUGという中小企業に転職した時は、年収が半分になりました。1カ月半後に東京に出張して、大手町界隈でスーツ姿のビジネスマンを見たとき、「自分は一生この世界には戻れないのかなぁ」と一瞬寂しさを感じました。でも、考えぬいた末に、北海道でやろう決めたのだからと、割り切ることができました。ですから自分の本質を見極めることが大事です。
林:人生の中で、偶発性は毎日起きていて、何かの基準でこの偶発性を選んでいるはずです。最後の質問になりますが、この偶発性を選ぶ軸と、今後について伺いたいと思います。
激流に飛び込んでしまえ(鈴木)
鈴木:キャリアチェンジの際の判断軸は、「扱っているサービスを愛せるか」、「一緒に働いているメンバーを許せるか」、「自分が成長できるか」の3点です。言葉にしてしまうと、何かはっきりしているように聞こえるかもしれませんが、実はもやもやしています。なぜかというと、自分の実力と動機、軸にピッタリ合った仕事を探すのは難しい。ギャップは常にある。それならば激流に飛び込んでしまえと。キャリアチェンジの時は、直感で、あえて修羅場に飛び込みます。
今後について当面の課題は、昨年末にキッズベースキャンプが東急電鉄の100%子会社になったので、戦略子会社として機能させること。そこまではきっちりやり遂げたい。中長期的には、事業の立ち上げが楽しかったので、もう一度、社会貢献性の高い事業を立ち上げたいと思っています。
川島:10年×4という考えがポイントでした。1回目の10年が終わる頃、ぼやっと見えてきて、2回目の10年で、「自然環境の中で生活したい」「この道に川島ありというぐらい一つの道に特化したい」ということがわかった。商社の仕事はジェネラリストでしたから。軸としては常に、「何か人のためになることをやりたい」というのがあります。
今は3回目の10年にあたり、最後の10年に向けた準備期間。トルストイの『人生論』からきているのですが、最後の10年は何か直接的に人のためになることをしたいと思っています。
岩瀬:鈴木さんと同じような、三つのポイントがあります。「この人と一緒にやりたいという魅力的な仲間」、「社会に足跡が残せているかという感覚」、「他の人にはできない自分らしさ」です。ただ色々な人と話していて思うのは、僕らは考えすぎなんです。“Too much thinking no action”。こういうのってあまり理論とかでなくて、鈴木さんが直感と言ったように、僕も最後は直感だと思う。但しそれはそれまで自分が見てきたこと、経験してきたことを総合して瞬時に判断したものだと思うんです。それ以外の頭で考えることは、見栄や世間体など、不要なノイズではないでしょうか。
余談ですが、マザーハウス代表の山口絵理子さんに会ってお話を聴いて、頭をドーンと叩かれるような思いがしました。山口さんは慶応大学在学中にインターンとして、ワシントンの国際援助機関に行ったところ、現場がわかっていないことに幻滅。「アジア最貧国」とパソコンで検索し、バングラデシュと出てきたことから、現地に行ってバッグメーカーを立ち上げた方です。彼女はMBAを持っているわけでもなく、「自分がこれだ」と思ったところに飛び込んだ。直感に従ってアクションを起こしている人の力強い生き様を見ると、MBAっぽく考えすぎている我々は、ほとんどが行動にうつせていないと感じます。そこが勝負だと思います。足りないのはお勉強ではなくて、行動かなと。
キャリアは恋愛と同じ、自然体でいい(岩瀬)
会場:自己研鑽や趣味など、仕事以外で好奇心を持っていること、オープンハートになれることを紹介いただきたい。
川島:仕事ばかりではなく、それ以外の時間も重要視しています。できるだけ自然の中、屋外にいるようにしています。北海道は庭が広いので芝刈りなど庭仕事が楽しい。雑草抜きにははまります。
鈴木:仕事以外は無趣味です。GWはパラオにダイビングに行って初めてマンタを見てきました。普段の土日は銀座のスターバックスを5件ぐらいハシゴしてパソコンを打っているので、店のどこにコンセントがあるかまで知っています(会場笑)。
岩瀬:子供が3人いまして、今日も連れてきているんですれけども、週末は相手をすることでいっぱいいっぱいです。
会場:例えば岩瀬さんのようにブログで発信し続けたり、人脈が広がっていくことで、逆に色々なに影響されて、自分の信念や軸がぶれたりしませんか。
岩瀬:軸がぶれるということはありません。本を出版できてラッキーだったと思います。以前から会いたかった人に会えたり、色々な接点ができる。ただ「この人と付き合っておくと得がありそうだな」とか考えることはなくて、直感で感覚の合う人、好きな人としか付き合わないので、軸がぶれるということは特にないですね。
鈴木:もともと社交的ではないので、人脈を意図的に広げようと思っていません。自分と考え方が合う人と長く太く付き合っていくというスタンスですね。
川島:自分の主義主張を持っていることが大切だと思います。「オレはこう思う」というのをずっと発信し続けていれば、自然とそれに人が寄って来る。
会場:具体的なキャリアプランがないと、志を高く持ち続けるのは難しいのでは。また人生をかけて取り組みたいことはありますか。
岩瀬:私自身、あまり大げさな志を持っているわけではないんですね。自然体でいいと思っています。キャリアは恋愛と同じ。「こういう人と付き合いたい」という条件を頭で考え過ぎて、ハードルを上げても仕方がない。頭で考えていることと、実際に好きになる人は違ったりします。恋愛ならスポーンといけるのに、キャリアの場合、なぜハードルを高くしてしまうのでしょうか。なぜみんなコンサルティングファームに行きたがるのでしょうか。もっと自然体で、もっと自分に素直に行動してもいい。ただ、自分に負荷をかけ続けることは大事だと思います。ストレッチしないと成長しない。「辛い」という感覚が持続すると、強くなると思います。
鈴木:私もグロービスの学生だったので、悩んでいることはよく分かります。ただ、バーチャルで志を保つのはとても難しい。戦場に行けばいいと思います。志が無くても、目の前の銃弾をよけているだけで精一杯。そうしているうちに新たな志が生まれてくる。
川島:大事なことは悩んでいること。大学時代の先生に「振り子の原理」というアドバイスをもらったことがある。思いっきり振っていると、何かがやってきて切れる。自分が計画していなくても、勝手に切れる。だからあんまり心配しないで悩んでいるということが大事だと思います。
大きな志といえば、今の日本の閉塞感に一石を投じたい。今の会社を一人前にして、「北海道にもこんな会社がある」と地方から日本を活性化させることが出来たらと思っています。
会場:新しい事業を立ち上げるために一番大切なことはどんなことでしょうか。また、それを獲得するためにやってきたことは。
川島:一番と言われると難しいですが、あえて言えば、「パッション」だと思います。それがなければ発想さえ浮かびませんから。
鈴木:自分に足りなかった部分ではありますが、「多様性を受け入れること」だと思います。ビジネスには絶対解はない。常に自分の理論が正しいわけではないので、色々な人の意見を受け入れることが大事です。
岩瀬:「バックグラウンドの違う人をどれだけ巻き込めるか」です。自分1人でできることは限られている。ベンチャー企業は特に、どれだけの人に支えてもらえるかというところが大切だと思います。
会場:コミュニケーションのセッションで、「立ち位置」や「覚悟を決める」というメッセージがありましたが、それぞれどのように受け止めてらっしゃいますか。
川島:路線を変えるときは、「何があってもその世界で生きていく」と覚悟を決めることです。それができないと後悔することになる。
鈴木:事業を立ち上げるということは、一歩間違えれば「無職」になるということです。「命がけで絶対に成功させる」という覚悟がなければできない。
岩瀬:あえて違うことを言うと、「覚悟」と聞くとスーパーリスキーに感じて、重くて踏み出せなくなっちゃうかなと思います。おそらくここに参加している人たちは、失敗しても食べていけなくなるということはないでしょう。だとすると、失敗したときのリスクは、格好悪いとか、最短距離で到達できなくなるということだけ。挑戦することのリターンとリスクを比べると、やっぱりリターンの方が大きい。やらない手はない。そのときに、「自分にしかできないこと」「自分だからできること」という立ち位置は必要で、それぞれのバックグラウンドを活かして頂ければと思います。
林:では最後に3人からメッセージを。
川島:自分の本質を突き詰めるという姿勢はすごく大事だと思います。それから常識もちょっとななめからみれば、常識ではないということ。札幌から毎週、東京に通うことは大変だと思われるが、自分にとってはたいしたことではない。心に残っているのは、スタンフォード大学でのスティーブ・ジョブズ(米アップル社CEO)のスピーチ。これは是非聞いてみてほしい。
鈴木:グロービスに通いながら肝に銘じていたことは、「実践に勝る学びはない」ということ。ぜひ実践で勝負して欲しいと思います。
岩瀬:職業に貴賎はありません。転職や起業という大げさなことではなくても、今すぐ帰ってできることもある。小さなアクションを起こすことで、何か歯車が回り始めて、雪だるまになっていくはずです。