モラルハザードとは
今回の落とし穴は、「モラルハザード」(正確にはモラルハザードの見落とし/軽視)です。
モラルハザードとは、大まかに言えば、置かれた環境が変わって好ましくない行動をとりやすい状況になると、人間は実際に好ましくない行動をとってしまうことがある、ということです。
モラルハザードの起源
もともとモラルハザードは保険業界で用いられる専門用語でした(狭義の定義)。保険業界では以下のような状況をモラルハザードと考えます。
- 火災保険に入った結果、火の扱いに気をつけなくなってしまう
- 自動車保険に入った結果、車の運転が乱暴になる
- 医療保険に入った結果、健康に気をつけなくなる
いずれも、保険という安全弁が出来た結果、本来望まれる行動をとらなくなってしまうものです(なお、保険金詐欺のような犯罪行為は、モラルハザードではなく、モラルリスクと言います)。
以下のような状況も、この保険の状況に似たものと言えるでしょう。
- 自分が品質の最終責任者でなくなった結果、チェックが甘くなる
- 家計の稼ぎ手が増えた結果、自分の稼ぎにあまりこだわらなくなる
- 仮に企業業績が傾いても国家が助けてくれるので、経営者の意思決定が甘くなる
ゲーム理論における使われ方
モラルハザードは、上記のような保険から派生したケースとは別に、「情報の非対称性」によって引き起こされる望ましくない行動を指して使うこともあります。これはゲーム理論では「プリンシパル・エージェント問題(使用者と非使用者の問題)」と関連して研究されています。たとえば以下のような状況です。
- 外回りの営業担当者が、訪問していない顧客を訪問したことにしたり、使っていない電車賃を経費として申請してしまう
- 会社に行く気分にならない時に、仮病を使って休んでしまう
いずれも、該当者の行動を捕捉しようとすれば出来なくはないですが、それには莫大な費用がかかるため、普通はわざわざそんなことをしません。たとえば、営業担当者の行動は、専任の「見張り」を付ければ捕捉はできますが、それには膨大な人件費がかかります。また、そもそもその「見張り」が正しい報告をするとも限りませんから、「見張りの見張り」「見張りの見張りの見張り」・・・も必要になってしまいます。
結局、「そんなコストをかけはしないだろう」と見透かされてしまい、望ましくない行動が起こってしまうのです(「プリンシパル・エージェント問題」に関する定量的な分析については、『MBAゲーム理論』などをご覧ください)。
このように、モラルハザードは、往々にして非倫理的行動として現れます。そうしたこともあって、モラルハザードはより広義には「ずるを出来る環境下に置かれれば、人間はずるをするものだ」という意味合いで使われることが多くなっています(こうした使い方は誤用だと言う専門家もいますが、実際にはよく用いられています)。
モラルハザードの例
以下のAさんの問題は何か。
Aさんは中学校の新任教師。中高生時代は、「カンニングなんてしても結局は自分のためにならない。それは皆もわかるはずだ。したがって、この学校では試験監督は置かない。皆さんの良心に任せる」というポリシーの中高一貫校に通っていた。実際に同校ではカンニングをする学生はほぼ皆無であった。
そうした母校の校風を理想とするAさんは、赴任した中学でも同じ方針をとろうと考え、1学期の中間試験ではあえて試験監督をしなかった。その結果——本来、Aさんが試験監督をする予定だったクラスで、似たような答案が頻出し、平均点が高くなるという現象が起きてしまった。明らかにカンニングが行われた形跡である。
Aさんは、学年主任に厳しく問い詰められた。
「誰も見ていなかったら悪さをするに決まっているじゃないか」
「いや、僕の母校では・・・」
「君の母校は特別なんだよ。世の中が皆そうだとは思わない方がいい。これからはちゃんと試験の際には見回るようにしてくれ」
「・・・」
モラルハザードを防ぐためには?
このケースも、そうした事例の一種と言えるでしょう。Aさんには残念な結果となってしまいましたが、Aさんの母校のような状態が生まれるためには、入学者の選抜をしっかり行ったり、常日頃から強い意識付けをするなどの施策がやはり必要なのです。
人間は基本的に「弱い」動物です。安きに流される動物とも言えるでしょう。意志が強い人間や、倫理感が強い人間は、往々にして他人にも同じことを求めますが、やはり世の中にはさまざまな人間がいます。必要以上に性悪説で人を見る必要はありませんし、人間の性(さが)に絶望する必要もありませんが、そうした性向や多様性があることは意識しておきたいものです。