現状維持バイアスとは
今回の落とし穴は、「現状維持バイアス」(Statusquobias)です。
現状維持バイアスとは、よほど何とか変えなくてはならない、という強い動機がない場合に、「まあ、今のままでいいか」と考えてしまう思考の傾向です。往々にして、企業においても、変革を妨げるバイアスになることがあります。
具体的には、どのような考え方が当てはまるのでしょうか。
現状維持バイアスの例
夫: 「引越しの件だけど、僕はやはり反対だな」
妻: 「どうして?○○(娘)の小学校のクラスは学級崩壊状態で教育環境は良くないし、お隣さんもちょっとおかしな人で苦労しているというのに。あなたの通勤時間だって結構かかっているでしょう」
夫: 「うん。それは理解している。でも、学級崩壊や隣人の問題なんかは、引越ししたからと言って、必ずしも起こらないとは限らない。どこに住んでも起こりうる問題さ。通勤時間は、今の時間程度ならそんなに問題じゃないよ」
妻: 「最近は地震も多くて、火事も心配だわ」
夫: 「日本は木造住宅が多いから、どこに行ってもそりゃ火事の問題はあるさ」
妻: 「そんなにここに住み続けたい?」
夫: 「まあ、住み続けたいとまでは言わないけど、積極的に引越すほどでもないよ。ここを探すときだって、結構苦労しただろ。あの苦労を思い出すと、多少の問題はあっても、気持ちを切り替えて、ここで我慢して住んでいるほうがましさ」
妻: 「・・・」
現状維持バイアスの問題点
上記のケースでは、夫は、今の住まいにさまざまな問題があるにもかかわらず、おそらく本人にとっての影響がそれほど身近に感じられなかったせいか、奥さんの希望を退け、引越ししないという意思決定をしようとしています。言い換えれば、絶対に引越しをしなければならないと感じるほど、強い問題意識を持っていないということです。
現状維持バイアスが起こる理由
現状維持バイアスが起きる背景にはさまざまな人間の心理があります。その1つで、現状維持バイアスと関連してよく言及されるのが「授かり効果」(Endowmenteffect。「保有効果」とも言う)です。
①授かり効果
授かり効果とは、自分がすでに持っているものを高く評価し、それを失うことによる損失を強く意識しすぎて、手放したくないと考える傾向です。交渉術などの教科書では必ず出てくる概念です。
上記のケースであれば、夫は、現在の住居や街への慣れや、そこで構築した人間関係、あるいは近所の店のポイントカードなど、現状を維持しないと失ってしまうものを過度に高く評価し、変化を避けた可能性があります。
最近の研究では、あるものを手放す代償として受け取りを望む最小値(受け取り意思額)は、それを手に入れるために支払っていいと考える最大の値(支払い意思額)の約7倍、つまり、同じものであっても、手放す際は手に入れる際の7倍の価値を感じるとされています(この数字は、研究論文によって多少幅があります)。それだけ人間は、不確実な未来のものより、確実な手元のものを好むのです。
②損失回避
損失回避(Lossaverse)も現状維持バイアスや授かり効果と連関して言及されるバイアスです。これは、不確実性のある時、人間は、ある金額のものを得る喜びよりも、同じ金額のものを失う悲しみをより強く感じるというものです。
新たな引越しにはそれなりの不確実性が伴います。今回のケースでは、引越しがうまくいった時に得られる喜びより、ちょっとでも悪くなった時に感じるであろう悲しみや不快を意識してしまって動きがとれない可能性もあるのです。
現状維持バイアスを持った人に向き合う方法
冒頭にも述べましたが、こうした人間の特性ゆえに、いざ会社で変革が必要という場合にも、抵抗勢力が生まれ、変革の邪魔をします。特に、既存の仕組みや環境の中で利益を享受しているシニア層は、強い授かり効果を受けますから、その思考を変えるには多大なエネルギーを必要とします。
そうした人々に対しては、単にしつこくコミュニケーションをするだけではダメで、時には実力行使も必要になります。この方法については、さまざまな経営学者やコンサルタントなどが、さまざまな変革手法を提案していますので、ご興味のある人は調べてみてください。
いずれにせよ、いきなり方法論に向かうのではなく、そうした抵抗が生まれる土壌である人間の思考のバイアスを知っておくことはやはり重要なのです。