問題です
以下のAさんの考え方の問題点は何か。
「隣に住むBさんは本当に嫌な人だわ。ゴミ出しの件とかPTAのことなんかでいろいろ迷惑をかけられたし、文句を言っても聞く耳を持たない。時々とんでもない出まかせを言ったり、おかしな噂を流したりするし。本当に性悪な人なんだから。ところで、さっき回覧板を見ていたら、布団叩きは良くないって書いてあったけど本当かしら。うちではいつもやっているけど…。でも、あのBさんだって、この前同じことを言っていたわね。『布団叩きなんてするよりも、ホコリは掃除機かなんかで吸い込む方がいいわよ』なんて。たぶん、音がうるさかったのね。まあ、あのBさんも言うようなことだから、ホコリは掃除機で吸い込む方がいいなんて信じられないわね。やはり布団はパンパンと叩くものよ」
解答です
今回の落とし穴は、「連座の誤謬」です。これは、仮にある主張が正しかったとしても、その主張を支持する人間の中にいつもは悪い言動をしている人間がいると、「彼/彼女も正しいと言うことなんて信じられない。間違っているに違いない」といったように、発言の成否を、内容の正しさではなく、発言した人間の人格で判断してしまうという落とし穴です。内容と人格とを混同して正しい判断ができない状況と言えるでしょう。
ケースの例で言えば、昨今、布団叩きは、ダニの死がいなどのハウスダストをかえって巻き散らかしたり、布団の繊維を痛めてしまうなどの理由から避ける方が望ましく、布団乾燥機と掃除機で対応することが推奨されているようです。つまり、この布団叩きの件に関して言えば、Bさんの言っていることは十分的を射ているのです。
それにもかかわらずAさんは、いつもBさんに迷惑をかけられていたり、出まかせを聞かされているということを根拠に、回覧板という比較的公共性の高い媒体で紹介されていた情報であるにもかかわらず、深く調べることもなく、「Bさんも言うことだから信用できない」と判断してしまいました。Bさんから見れば、せっかく忠告してあげたのに「狼少年」扱いされてしまったというところでしょうか。
ちなみに、このケースでは、「伝統の過信」もAさんの行動に一役買っています。伝統の過信とは、「それまで続いていたことや広く行われてきたことには一定の根拠があるはずであり、その根拠はそうそう変わらない」と考えてしまう思考の癖です。人間は、これまでと同じ前提条件を是とし、その世界の中で、これまでと変わらない行動や生活を送りたいと考えたがる癖を持っている動物なのです。
さて、今回のAさんのケース程度であれば大きな問題になることは少ないかもしれませんが、ビジネスの場面で、「あいつの言うことだから信用はできないな」などと軽率に判断することは、時として事業機会を逃したり、顧客からの不満を聞き逃したりするなど、重大な損失にもつながりかねません。もちろん、いつもの言動やパフォーマンスが悪く、信用されていない方にも問題はあるのですが、安易なレッテル張りは、せっかくの正しくしかも価値のある情報を無駄なものにしてしまう可能性もあるのです。
人間は、思考をショートカットするために、レッテル張りすることを好みます。それが思考スピードを速めることは否定できない事実です。しかし、人間が、いつも間違ったことばかりを言うわけではないことは、考えてみればすぐにわかることです。最低でも、会社の業績に影響を与えかねない重要な情報については、人格を離れて内容のみで冷静に判断することを、ぜひ意識して実践したいものです。
ところで、個人の好き嫌いが高じ、レッテル張りが過激化すると、発言の内容とは全く無関係に相手をむやみに攻撃するようになります。いわゆる人格攻撃です。人格攻撃は、内容そのものを議論するわけではありませんから、ほぼ不毛な結果に終わります。そして、場合によっては、埋めがたい人間関係の溝を作ることになり、職場の生産性を大きく減じてしまいます。
人格攻撃は、議論として最もみっともなく、かつ自分自身の評価を下げる行為と心得るべきです。自分自身の信用を守り、多くの人に受け入れてもらえる土台を作るためにも、人格攻撃だけは避けるよう意識したいものです。