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愛さんさんグループ 小尾勝吉氏「人に能力の差はない、『思いの差』があるだけだ」

投稿日:2018/12/26更新日:2020/03/10

MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している(受賞式の様子はこちら)。2018年、「創造部門」で受賞した愛さんさんグループの小尾勝吉氏(グロービス経営大学院、2013年卒業)に、MBAの学びをどのように活かしたのか聞いた。(聞き手=橋田真弓子、文=石井晶穂)

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知見録:受賞のご感想は?

小尾7年前、初めて「あすか会議」に参加したとき、壇上に立っている方々がまぶしく見えた。「いつか自分もここに立ちたい」と憧れてきた。だからこそ、本音を言うと「まだ早い」と感じる。思い描いている10%も形にできていないので。でも、受けたからには気を引き締めて、これから学ばれる皆さんに少しでもよい影響を与える存在でありたいと思う。

「ありがとう」が生きる目的

知見録:これまでの道のりをふり返ってほしい。

小尾「自分は何のために生まれてきたのか?」という問いが、今の自分を形づくっていると思う。きっかけは、小学4年の頃。両親のケンカが激しくなり、ひどいときは自分が警察に電話をすることもあった。そのとき、「自分は何のために生まれてきたのか?」という問いが生まれた。両親が離婚し、母子家庭になってからも、その問いは常に自分の中にあった。

しかし、大学生になっても答えはなかなか見つからなかった。無目的無目標だった私は、授業に集中できず、留年しアジアを旅してまわったり、アルバイトをいくつもしたりして、生きる目的を探していた。あっという間に就職活動の時期となり、20社受けても1社も受からなかった。

知見録:どんなアルバイトをしていたのか?

小尾:カラオケ店、居酒屋、家庭教師、飛び込み営業、肉体労働や、牛乳の配達……。30種類近くのアルバイトをしたが、自分が合う仕事がわからなかった。しかし、仕事の種類でなく、人から心からの「ありがとう」を頂いたときに、生まれてきた実感を得られた。

知見録:それがきっかけで経営者を志した。

小尾:自分の「思い」を形にして、集まってくれた仲間と共にたくさんの心からの「ありがとう」に包まれて生きていくには、経営者という生き方しかないと思った。それで「10年後に会社をつくろう」と定めて、IT系のベンチャー企業に就職した。

被災地で始めた「宅食」事業

知見録:なぜ宮城で起業しようと思ったのか?

小尾:10年経って、いよいよ起業しようと思った矢先、東日本大震災が起こった。もともと自分は、そのときに求められている場所で、求められている事業をやりたいと考えていた。自分が今、何から求められているだろうかと考えたとき、間違いなく被災地だろうと思った。まるで何かに導かれているようだった。

知見録:被災地ではどんな活動をしていたのか。

小尾:震災後、すぐにボランティアに入り、翌年にはMAKOTOという会社に入社した。ここで1年間、被災された経営者の方の支援をしていた。起業はいったん延期してでも、自分は被災地のために何ができるのか、そのために何が必要なのか見定めたかった。

知見録:そして満を持して、2013年に起業された。

小尾:愛さんさん宅食」という、お弁当の宅配事業からスタートした。といっても普通のお弁当ではなく、糖尿病や腎臓病などの病気を抱えている方や、高齢で噛む力が衰えている方向けの食事を提供するサービスだ。お弁当を作るのは、地域の障がい者の方。使う野菜も、ほとんどが地域の方が育てたもの。このエコシステムを確立するのに3年近くかかった。

知見録:なぜ「宅食」という事業を選んだのか?

小尾:人には能力の差はほとんどないと思っている。差があるとすれば「思いの差」だ。だから、自分が本当に「思い」を込められるものを、事業に結びつけることが大切だと思う。それが自分の場合、「母の死」だった。母は最後の1年間、腸閉塞で何も食べられずに亡くなっていった。体中に管が入り、苦しんで。だから自分には、病気や高齢の方に、美味しい食事を届けたいという強い「思い」がある。親孝行できなかったぶん、その「思い」を事業に託している。

母は最後、「人生に悔いはない」と言って亡くなっていった。すごいなと思ったし、自分もそんな人生を歩めたらいいなと思った。経営者としてやり切って、母のように「人生に悔いはない」と言って死ねたら最高の人生になると思う。

今の仕事の「その先」を考える

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知見録:最初はどこを拠点にしたのか?

小尾:宮城県沿岸部の塩釜を選んだ。理由は3つあって、まず支援がほぼ入っていなかったこと。震災後、石巻など大きな街には外部から支援が入って、いろんな団体が立ち上がった。ところが塩釜は手つかずの状況だった。また、被災地沿岸部でもっともひとり暮らしの高齢者が多かったこと、さらにそうした高齢者への公的支援がまったくなかったことで、自分たちの事業が「求められている」と思った。

知見録:何もないところから事業を始めるのは苦労したのでは。

小尾:「やりたい」という気持ちを10年も熟成させてきたので、「やらない」という選択肢は考えられなかった。もうやるしかない、と。今では有名な企業だって、最初はたいてい何もないところから始まっている。戦後の復興の中から日本を代表するソニーが生まれたし、阪神・淡路大震災のあとには楽天の三木谷浩史さんが日本興業銀行を辞めてドンと世に出ていった。

知見録:宅食事業を経て、現在の「愛さんさんビレッジ」を立ち上げるに至った経緯は?

小尾:食事をお届けする仕事はもちろん尊いが、同時に「その先」を考えるようになった。お客さまの中には、最初は柔らかいものしか食べられなかったのが、やがて普通の食事になり、最後はもう届けてくれなくて大丈夫だよ、自分でつくれるようになったよ、という方がいる。つまり、食事を届けるのが本質的な仕事ではなく、自分で食事をつくれるような元気な高齢者を増やすこと、それが目指すべきゴールだと気づいた。

ある意味では、「愛さんさん宅食」がなくなることが、地域にとっては本当に幸せなこと。そのためには、トータルで高齢者のケアを行い、やすらかな最期を迎える世界を創りたいと考えた。リハビリができて、お泊りもできて、そこで食事もしてもらえる、そんなプラットフォームが必要だと思い、共生型複合施設「愛さんさんビレッジ」を立ち上げた。

「できないこと」がなくなった

知見録:グロービスに入学したきっかけは?

小尾2009年頃、「あと2年で起業なんてとても無理だな」と思っていた。そのときに出会ったのが、グロービスだった。自分に足りないスキルがここで学べると思い、単科生として「クリティカル・シンキング」のクラスを受けることにした。2011年に本科生になってからは、東京で働きながら授業を受け、週末は深夜バスでボランティアに通う日々。2012年にMAKOTOに入社してからは、逆に週末だけ神奈川の自宅に帰る日々を送った。そして2013年、創業と同時に妻を連れて完全移住。無我夢中の3年間だった。

知見録:グロービスでの学びから何を得たのか。

小尾大きく2つあって、1つは「考え方」。同じものを見るにしても、マーケティングの視点で見るのか、戦略の視点で見るのか、見方によってまったく形が違う。トータルで多面的にものごとを見る力は、今も非常に役立っている。おかげで何か問題が起きたときに、「マーケティングが甘いからだ」とか「戦略が甘いからだ」とか、ピンポイントで原因をとらえることができるようになった。もしグロービスで学んでいなかったら、「何だかよくわからない」とか、あるいは「この人がいけないんだ」とか、それで終わっていただろう。

もう1つは、先生や学友たちとのネットワークだ。以前、お客さまから「沖縄に食事を届けてくれないか」という問い合わせがあった。パックに詰めれば可能なのではと考え、技術を持っている会社を探していたら、グロービスの友人が「あの会社は知り合いだよ」と紹介してくれた。グロービスには、あらゆる業界、あらゆる職種のメンバーがいる。「こういうことがやりたい」と思ったときに、必ずつながることができるので、「これから何をするにしても、できないことはないな」と思った。

心強いグロービスの被災地支援

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知見録:他にグロービスに入ってよかったことは?

小尾起業資金の一部として、「ダイムラー・日本財団イノベーティブリーダー基金(※)」を受けることができたのは、非常にありがたかった。また、2012年に開校した仙台校で受講した、ダイムラー社の寄付講座「東北ソーシャルベンチャープログラム(※)」からの学びも大きかった。さらに2016年には、財団法人KIBOWからも出資を受けることができた。同じKIBOWから出資を受けているポラリスの森剛士さんは、高齢者を日本一元気にするリハビリの技術をお持ちで、当社にもご支援頂いている。本当にありがたい。
※いずれも現在は終了

知見録:KIBOWがインパクト投資(社会的投資)を始めようとしたとき、まず思い浮かんだのが小尾さんだったと聞いている。

小尾非常に光栄だ。今後もポラリスの森剛士さんと連携を深めて、高齢者の安らかな最期と障害をお持ちの方々の生きがいづくりを通じて、「生まれてきてよかった」を創り続けていきたい。

知見録:スタッフの方も順調に増えているようだが。

小尾一般的に福祉業界の有効求人倍率は、非常に高い。1人を4社で取り合っているのが現状だ。しかし僕らの会社には、働きたいとおっしゃる方がたくさん来てくれる。

それは多くの方が、僕らの世界観に共感してくださっているからだと思う。ある看護師さんは、「私は理念に共感している。だから働かせてほしい」と、募集もかけていないのに僕らを訪ねてくれた。話を聞くと、障がいのあるお子さんをお持ちの方だった。自分たちの「思い」が伝わっている手ごたえを感じる。

宅食だけやっていたら、こうした出会いはなかったかもしれない。宅食に集中したほうが経営戦略的には望ましいと助言をいただくこともあるが、この場所に求められている「愛さんさんビレッジ」の世界観を拡張させていきたい。一方で、マネジャークラスの採用はまだ難しい。人徳があり共感頂ける方々と共に歩いていきたい。

障がい者・高齢者が幸せになれる社会を

知見録:今後のビジョンを聞かせてほしい。

小尾僕らはまだ、塩釜・石巻圏域で事業を営んでいる福祉事業者の1つにすぎない。「これではいけない、自己満足に陥ってはいけない」といつも思っている。ゆくゆくは国の制度設計に影響を与えられるような会社にしていきたい。今の制度では、本質を追求しづらい設計になっていて、変えないといけない部分がたくさんある。そのためには、ある程度の規模感は必要。でも、「大きくする」のではなく、「大きくなる」経営。だから、「膨張」とは違う。

僕らの志は、働くに働けない人達と共に人生を歩み、安らかな最期をともに実現させて「生まれてきてよかった」を創り続けること。一緒に歩める仲間を増やして、心からの「ありがとう」を集めることが、結果的に「規模感」につながってくると思う。松下幸之助さんは、「会社は社会の公器だ」とおっしゃっている。働く人たちが「この場所で、この身体で生まれてきてよかった」「この人生でよかった」と思えるような、そんな会社にしていきたい。

知見録:今の社会の問題点は?

小尾今はいろんなことが分断されすぎている。たとえば、障がいをお持ちの方と健常者の子どもでは、通う学校が違う。僕が小さい頃は、まだはっきり分かれていなかったから、肌で学ぶことができた。高齢者の方とのつながりも、核家族化で希薄になっている。だから、死の瞬間に立ち会うことが少なくなっている。人は誰かを看取る経験を通じて、「人はいつ死ぬかわからない、もっと自分の人生を大切に生きなければ」と“生”を実感するもの。

かつては当たり前だった、「出あい、ふれあい、生かしあい」の精神を取り戻していきたい。日本は2100年には100年前の人口規模となり、超高齢化による社会保障費の急増問題など、世界でも類を見ない大きな変化に対応していかなければならない。震災によって一歩先取りしている被災地東北においての取り組みは、全国いや世界へのヒントとなる可能性を秘めている。

2030年までに、病院でも自宅でも介護施設でもお亡くなりになれない方々(看取り難民)が約40万人になるとも言われている。一方、人口が減って、空き家が増えるだろう。そうした空き家をリノベーションして、高齢者の住まいにする。元気になった高齢者はどんどん施設から卒業して、地域に住んでもらう。卒業しても関係が切れないビレッジの村民として、週に数回で中央の「愛さんさんビレッジ」でリハビリをしたり、畑仕事やぬか漬けをつけたり味噌を作る役割を担ってもらう。地域通貨も走らせる。ケアが必要な場合は、軽度障がい者の方がヘルパーとして訪問する。軽度障がい者に訪問介護のプログラムを教えるスクールもすでにできている。そんな、誰しもが一生役割のあるクオリティコミュニティモデルを石巻からつくろうと考えている。

知見録:すばらしいビジョンだ。

小尾きっとこのモデルは、全国の中核都市に広まるだろう。高齢者の方が元気になってご本人やご家族も喜び、公費が下がり国も嬉しい。そして、障害をお持ちの方が働く場も生まれる。みんなが生きがいを持って働くことができ、「生まれてきてよかった」を感じながら、最期は安らかに人生の幕を閉じる。そんな、ひと昔前は当たり前だった大家族を働く仲間と共につくり、社会の器になっていきたい。

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