村山聖という将棋棋士をご存じだろうか。羽生善治と肩を並べ「東に羽生がいれば、西には村山がいる」と称された天才棋士である。幼い頃に難病を患い、病魔と闘いながら僅か29歳で生涯を閉じた村山が、この世を去ってから2018年8月8日で丸20年となる。自分の運命を憂うことなく、将棋に全てを賭け、短い人生を生き抜いた村山聖。その熾烈で純粋な生涯を綴った書籍『聖の青春』を紹介したい。
広島で生まれた村山は、5歳の時に腎ネフローゼという難病と診断され、幼少期は1年の半分以上を病院のベッド上で過ごした。「同年代の友達のように動き回りたい。」育ち盛りの子供にとって耐えがたい入院生活。そのような環境が続く中、固いベッドの上で出会ったのが「将棋」という翼であった。将棋なら身体を動かさずに自由自在に飛び回ることができる。村山はどんどん将棋に没頭し、やがて大きな夢を描く―「“名人”になりたい」と。名人とは将棋界における最も格式ある称号(タイトル)である。
以降、村山は病院のベッドの上で思い描いた夢を実現させるために、人生の全てを将棋に捧げた。少し無理をすれば、ネフローゼが牙をむき数週間動けなくなるし、悪化すれば死に至る。対局(将棋の試合)へは医師の反対を押し切り入院先から向かったこともあれば、自宅前で動けず倒れていたところを通りがかりの人に担がれて向かったこともあった。望まない不自由な運命と二人三脚の中でも村山は努力を重ね、激しい競争と淘汰を勝ち抜き、夢を叶えるあと一歩のところまで迫ったのである。
本書には、村山の29年間の生涯がギッシリとつまっており、村山の将棋に対する純粋さ、勝負に対する炎のような情熱に、心を大きく揺さぶられた。幼少期から生と死の狭間で生き、一般の人とはほど遠い生活が続く人生。普通であれば「どうして僕の人生はこうなってしまったのか」「僕の未来はどうなってしまうのか」と過去を憂い、未来を嘆いてしまうのではないだろうか。
でも村山は違った。「病気を抱えながら生きる自分が自分自身であり、それを切り離して考えることはできない。病気が自分の将棋を強くし、ある意味では自分の人生を豊かなものにしているのだ」と。村山は過去も未来も関係なく、ただ目の前にある「今」を生き続けた。一局一局に執念を燃やし、一手一手に魂を込めた。その積み重ねだけが、夢である名人への道だと信じて。
起こること全てを受入れ、夢に向かって「今」を積み重ね続けた村山の生涯は、私たちに大きな示唆と勇気を与えてくれる。自分自身の力ではコントロールができない不条理なことは誰にでも沢山あるだろう。でも、過去の出来事は変えることはできない。もちろん起きていない未来だって、どうすることもできない。私たちにできることは「今」を生きることだけなのである。目の前のことをただ我武者羅にやる。その積み重ねが人生をつくっていくのだ。
「人は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。」
困難や逆境にぶち当たり、不安を感じた時は、是非一度立ち止まって本書を手にとっていただきたい。村山聖の29年間の飽くなき挑戦、夢に向かう人間の力強さは、あなたの心を突き動かし「今」を生きる活力を与えてくれるはずだ。村山の息吹を感じて欲しい。
『聖の青春』
大崎善生 (著)、KADOKAWA
691円