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「陸王」のM&A交渉に学ぶ、日本型経営の強み

投稿日:2017/12/26更新日:2019/04/09

前回に続き、池井戸潤原作のドラマ「陸王」を題材にし、今度は日本的経営について考察したい。ドラマの舞台は創業100年の足袋メーカーの「こはぜ屋」。足袋業界は衰退の一途を辿っており、廃業は時間の問題であった。こはぜ屋4代目社長の宮沢紘一は生き残りを賭けてランニングシューズ事業への参入を決める。このシューズの名前が「陸王」である。

紆余曲折の末、実業団ランナーの茂木裕人が「陸王」を履いて駅伝で好走するに至る。その矢先、特殊なソール素材「シルクレイ」を製造する装置が故障し、陸王の提供が不可能になってしまう。新たな装置を作るのに必要な費用を調達できず、こはぜ屋は窮地に陥る。そんな折、大手アウトドア用品メーカー「フェリックス社」から企業買収の提案を受ける。フェリックス社の提案を受ければ陸王の製造は続けられるが、将来的に従業員の雇用や看板が守られるとは限らない。従業員や周囲の意見も割れて、宮沢は逡巡する。

こうして買収に関する契約交渉を迎えた。交渉相手はフェリックス社創業社長の御園丈治。彼は東大法学部卒のエリートで、アメリカのアパレル企業を経て米国で起業。フェリックス社は2社目に起業した会社である。同社は買収に次ぐ買収で急成長していた。

この交渉で、両者の会社観の違いが明確になる。

そもそも、会社は「売り買い」できるものなのか

フェリックス社は多くの企業を買収していたが、その全てが買収前の形で残っていたわけではなく、買収前から全く様変わりした企業や、清算された企業もあった。こはぜ屋がフェリックス傘下に入れば、いずれそうした運命を辿る可能性があった。一度はこはぜ屋の売却を決めた宮沢であったが、直前で心変わりする。買収ではなく業務提携を持ちかけるが、御園は自社にとって不利な条件だとして受け付けない。両社にとって最善なのは、こはぜ屋がフェリックス傘下に入ることだと主張する。

しかし、宮沢は「100年の歴史を持つこはぜ屋の暖簾はそんなに軽いものではない」として譲らない。それに対して御園は「暖簾や老舗と言えば耳に心地いい響きかもしれませんが、そこに価値があるとすれば、現時点でも成長し、発展するという会社の実態があってのことです」と切り返す。しかし宮沢は主張を曲げない。「社員の中には、会社を『第二の家』だと言ってくれる者もいる。値段の付かないものにも、価値があるんです。こはぜ屋100年の暖簾に、値段を付けることなんてできません」。こうして買収交渉は決裂した。

両者の経営観の違いを、次のように整理した。

こうした両社の経営観の違いは、会社を「共同体」と捉えるか、「機能集団」と捉えるかの違いに起因している(下表)。共同体とは地縁や血縁、友情などで深く結びついた自然発生的な組織であり、血縁・氏族的共同体(家族)、地縁(村落)・部族的共同体、宗教的共同体などが代表的である。企業は利益の獲得や企業価値の最大化を目的とした集団なので、機能集団である。しかし、伝統的な日本のオーナー企業は、共同体的な色合いを強く備えていることが多い。こはぜ屋がその典型である。

そもそも共同体は切り売りできるものではない。家族や村落が売れないのと同じだ。共同体的企業のこはぜ屋は法的には売却できても、実質的には売ることが難しい。それが宮沢のいう「こはぜ屋の暖簾が持つ100年の重み」であり、「値段の付かないものにある価値」である。

バブル経済崩壊後の日本企業の業績低迷によって、共同体的な日本企業の弱点(閉鎖的、改革に後ろ向き)が露呈し、対照的に米国型経営が持て囃されるようになった。こうして、共同体的な企業経営は古臭いものだと見做されるようになっていった。その申し子がアメリカ帰りの御園社長であり、アトランティス社(米系大手シューズメーカー)営業部長の小原(米国MBAホルダー)である。

こはぜ屋のような共同体的企業には弱点もあるが、強みもある。その最たるものが、組織のメンバーが持つ「共同体感覚」である。

共同体感覚に満ちた組織と、乏しい組織

共同体感覚とはアドラー心理学の創始者A.アドラーによる概念で、それは「他者と結びついている感覚」である。他者を「仲間」だと見ている人は、仲間に貢献し、貢献感を持つことで自分に価値があると思えるようになる。つまり、「自分が共同体に貢献していると感じられるときに、自分に価値があると思えるような感覚」である。

共同体感覚が発達している人は、自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動が共同体のためになるように行動する。しかし、共同体感覚が未熟な人は、自分の利益だけしか目に入らない。自分の利益になる場合にだけ他人と協力し、他人を利用しようとする。

共同体内の人間関係は、仲間との絆に支えられている。絆とは、助かりたいがゆえに追求する「手段」ではなく、何があっても助けるという「目的」であり、損得勘定の「自発性」を超えた、内から湧き上がる力の「内発性」である(社会学者の宮台真司)。共同体意識が乏しい集団では、損得勘定が人間関係を支配する。

こはぜ屋の従業員と「チーム陸王」(陸王に協力する外部人材含む)のメンバーは、仲間との絆でつながっている。お互いが自分の損得で動くのではなく、こはぜ屋と陸王のために行動している。従業員は残業を厭わず働き、顧問のキーパーソン(シルクレイ開発者の飯山)はフェリックス社からの高額なオファーを断りチーム陸王に残る。宮沢の息子も就職活動をそっちのけで理想のアッパー素材を探し続ける・・・まさにこはぜ屋とチーム陸王は、共同体感覚に満ちた組織である。

一方のフェリックス社のような機能集団の人間関係は、互いの利益を追求するための協力関係であり、時に利用し合う関係である。最も重視されるのは業績であり、能力を発揮して業績を残すことが組織から承認される条件である。フェリックス社の御園は宮沢の地位とこはぜ屋の存続を約束しつつも、「目標の利益率をクリアしていれば」という条件を課している。

これはフェリックス社だけでなく、こはぜ屋のライバル企業である「アトランティス社」にも共通する。アトランティス社は自社がサポートしている陸上選手を「販促のための手段」として扱い、投資対効果でサポートするか否かを決めている。選手にはひたすら業績を求め、それが残せない選手は切り捨てられる。それは社員についても同様である。このように、フェリックス社とアトランティス社は、共同体感覚に乏しい組織である。

共同体感覚はセクショナリズムや島国意識を防ぐ

共同体感覚が乏しい組織では、「誰得?(それが誰の得になると言うんですか?)」の感覚が横行するようになる。個人的な利得に結び付かないことは、やる意味が無いという態度である。陸王の開発などは、まさに「誰得?」のプロジェクトである。下手をしたら、社長の暴走だと受け取られかねない。しかし、こはぜ屋が将来も存続する道を作るのは仲間たちにとって悲願であり、だからこそ皆が陸王に協力するのである。

今から50年以上も前、経営思想家のピーター・ドラッカーは企業経営における共同体感覚の重要性を説いている。「連邦型組織(事業部や小会社からなる会社組織)及び機能別組織という分権的組織に成功するには、企業全体に共同体意識が存在していることが必要である」「マネジメントは共同体意識を育て、機能別組織のセクショナリズムや、連邦型組織の島国意識から生じる遠心力を押さえなければならない」(P.F.ドラッカー『現代の経営』)

つまり、共同体感覚に欠ける企業は、セクショナリズムや島国意識が横行するということだ。それは互いが「仲間のために行動する」のではなく、自分の行動が共同体に与える影響を考えず、「個人の損得勘定」だけで行動するからである。

共同体感覚はイノベーション創出にも役に立つ

また、皆が個々人の損得勘定で動くような組織だと、陸王のような「イノベーティブな製品」は生まれにくくなるだろう。足袋屋がランニングシューズを作るだけならまだしも、ましてや実業団の有名選手に履いてもらうなど、荒唐無稽な話(まさに、小説やドラマの世界)だ。共同体感覚に乏しい組織ならば、この話に乗るかどうかは個々人が損得勘定で判断するだろう。「社長が言いだしたから、これは乗っかった方がいい」とか、「どうせ失敗するし、下手に仕事を手伝わされるだけだから、関わらない方がいい」とか。これだと、一致団結して新しい何かを生み出すことは難しい。奇しくもこはぜ屋の宮沢がフェリックスの御園に言い放ったように、「御社はわずが数年で急成長を遂げたが、何かが足りないと、じゃあ買ってこいということの繰り返し」の経営しか出来ない。

このように、共同体感覚に満ちた企業の利点は、社員が安心して働きやすいだけではない。イノベーションを生み出す上でもプラスに働く。日本の製造業が世界に誇るイノベーションを次々と生み出していた時代は、共同体感覚に溢れた会社が多かったはずだ。例えばホンダの本田宗一郎は従業員から「オヤジ」と呼ばれていた。共同体的企業に特徴的な、疑似的な家族関係である。現代日本の上場企業で、おやじと呼べるような上司や経営者がいる企業は少ないだろう。

共同体的な日本的経営も捨てたものではない。こはぜ屋とチーム陸王は、最近の日本企業が失ってしまった大切なことを教えてくれる。しかし、共同体としてのこはぜ屋をカネで買えないのと同様に、失ってしまった共同体感覚は買い戻せない。米国型の経営手法が大企業に浸透しつつある今だからこそ、昭和的な日本的経営の良さを見直す時期なのではないだろうか。

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