「数字が苦手」と言わないで
ビジネススクールで「ビジネス・アナリティクス」という科目を担当している。この科目では、ビジネスで直面するような問題に対して、何が課題なのだろうか、その課題の原因は何だろうかという点について、特に定量的な観点から受講生のみなさんと議論している。言い換えると、数字を使ってビジネスを考えるということだ。
このような科目を担当しているということを知り合いに話す機会がたまにある。話を聞いた相手は、提案について数字で根拠を示すということが組織の中で求められているからか、重要さを理解し、興味深く話を聞いてくれる。ただ、学生時代に学んだ数学の経験から「数学は苦手で……」と忌避反応を示す人も少なくない。
この記事では、そんな数学が苦手という読者に向けて、ご自身の数字との向き合い方を見直し、ビジネスでの活用イメージを広げてくれる書籍を3冊紹介したい。
数字を言葉として受け入れることから、はじめよう
まず、書籍『数学は言葉』を紹介したい。本書では、数学ならではの見方や考え方の特徴をわかりやすく示すために、算数や社会、理科といった科目と、数学という科目との違いについて紹介されている。みなさんは、両者にどんな違いがあると思うだろうか。
本書によると、算数や社会、理科は、現実世界の観察に基づいた理論や考え方が紹介されているという。実際に教科書は、実社会に起きている事象が紹介されて、そのあとに、それがどういうことかを解説するための理論や考え方が紹介されている場合が多い。対して数学では、「数とは単位からなる多である」といったように、まず定義が示される。こうした教科書の記述には、数学ならではの見方や考え方が示されている。このように、具体例から離れて、論理だけで話を進めるというのが数学の特徴なのだそうだ。
実社会の具体例から離れてしまうことで、対象となっていることのイメージが掴めず、とっつきにくくなってしまう。それが、数学が苦手であるという認識を持つ人が一定数いることの原因かもしれない。
しかしながら、具体例から離れて数字という論理だけを相手にすることで、実は見える世界が広がってくるという側面もあるのだ。たとえばビジネスの世界では、売上原価率などといった、さまざまな数字が指標として用いられているが、売上原価率という事象が実際に存在するわけではない。しかしこのように数字と数字をうまく組み合わせて工夫すると、実際に目で見える世界を超えて、ビジネスの状況がどうなっているかを把握することができる。
本書のタイトルは『数学は言葉』であるが、まさしく、現実的な事象を離れて、このように言葉として数学を受け入れると、自分たちの目に見える世界を超えて、いろいろなものごとを把握できるというメリットがある。
本書を読んだ上での私からの提案は、具体的な事例を離れて、数学を言葉として受け入れてみませんかということである。数学という言葉を使って、ビジネスがどうなっているかを見てみると、わたしたちが目で見えている世界とは異なることが見えてきて、きっと意思決定の参考になるのではないかと思う。
『数学は言葉』
著:新井 紀子 監修:上野健爾 発行日:2009/9/7 価格:1,980円 発行元:東京図書
数字の活用に「正解」はないことを知る
2冊目に紹介したいのは、『数字のセンスを磨く』である。本書は、数字にできないことやその限界を知ったうえでの、数字との向き合い方を教えてくれる。
本書で印象的だったのは、定量的な調査においては、正しさを追い求めようとすればするほど、正しくなくなってしまう懸念があるということである。
たとえば、家庭で食事の用意を行っているかを尋ねるアンケート調査を行う場合のことを考えてみよう。「食事の用意を行っていますか」と聞くだけでは、回答者によって想定することが異なってしまうかもしれない。まず「食事」が何を指すのか。夕食だけなのか、3食すべてなのかはわからない。では「食事」の定義を詳細に行えばよいかというとそういうわけでもない。設問の分量が増えると回答者に負担感を覚えさせ、回収率が下がってしまうかもしれないし、本来の意図を誤読する余地も増えてしまう。
数字を使って世界を把握しようとする際には、その限界を知る必要がある。正確さにこだわろうとすればするほど、定量調査は本来の目的を果たせなくなる可能性があり、また正確さから離れてしまう恐れがある。そのため、ある程度の正確さは妥協しながらも、ビジネスに役立つ知見を導出することをめざす。言い換えると、数学による世界の捉え方には唯一の「正解」はないということを受け入れ、現場の業務をより良くするための洞察を貪欲に求めていく。そんなスタンスがビジネスには求められるのではないかと思う。
1冊目の紹介で数字を言葉として受け入れるということを提案したが、数字の活用には自然言語でのコミュニケーションに似たところがあるのではないかと思う。自分が見ている世界を自然言語の「言葉」によって自分なりに切り取り、それを聞き手に伝える。相手に自分が見ているものを伝えるという目的が叶わないようであれば、あれこれと「言葉」による表現を変える。自然言語による世界の切り取る際には、唯一の「正解」はなく、目的に応じて様々な工夫が求められる。 学生時代に取り組んだ数学や算数の問題集には「正解」が示されている場合が少なくないが、実社会での数字の活用は自然言語でのコミュニケーション同様、唯一解はなく、目的に応じて、あれこれ工夫する必要がある。そこに、数字の活用の難しさと奥深さがあるともいえるのではないだろうか。
『数字のセンスを磨く』
著:筒井淳也 発行日:2023/2/15 価格:990円 発行元:光文社
数字をビジネスで活用するイメージを広げよう
ここまでの2冊で、数学は言葉であり、その活用には「正解」があるわけではないということを確認した。「正解」がないということで、果敢に応用すればよいと解釈ができる一方で、どういう方向性で活用できればよいか不安と思うかもしれない。そこで、数字の活用イメージを広げるために、最後に紹介したいのは『その数学が戦略を決める』である。
本書では回帰分析や無作為抽出テスト(いわゆるランダム比較実験、A/Bテスト)といった統計手法、標準偏差等の概念がビジネスをはじめとする実社会の意思決定でどのように用いられているかが紹介されている。
たとえば回帰分析の活用例を紹介すると、ウォルマートが入社試験のデータを用いて、ある求職者がどのくらい長続きしそうかの予測に用いている事例であったり、航空券の価格を比較・調査できるウェブサイトFarecast.comのユーザーが、ある航空券の買い時を把握できるように、これからその航空券の価格が上がるのか、下がるのかを予測できるように用いたりしている事例が紹介されている。
本書には、回帰分析がどのような計算に基づいたものなのかといったことは詳細に説明されていない。回帰分析の特徴と、それをどう実社会の意思決定に活用できるかを中心に紹介されている。つまり、本稿でここまで議論してきたように、数字を言葉として受け入れた上で、どう活用していくかに焦点を置いて、数字を活用することの可能性が示されている。数字の使い方に「正解」はなく、いろんな可能性はあるが、どう数字と付き合うことができるのか、そのイメージを広げることができるだろう。
『その数学が戦略を決める』
著:イアン エアーズ 翻訳: 山形 浩生 発行日:2010/6/10 価格:990円 発行元:文藝春秋
みなさんは日頃、数字とどのような付き合い方をしているだろうか。
日々の付き合い方について振り返るとともに、あえて数字を言葉として受け入れて、「正解」がないながらに使ってみるということをおすすめしたい。