最良の人生を生きたい。それは誰しもにとっての切なる願いではないか。最良の人生を送るために、私たちは、今日も悩む。「やめるべきか。やめないべきか」。同時に心配もする。「今ここでやめてしまったら、ダメな奴と思われないだろうか。恰好がつかないのではないか」。悩んだ挙句、やっとの思いで「やめる」ことを決めても、「やめない方がよかったのではないか」。今度は深く後悔してしまうのだ。
私たちは、どうしていつも悩み、心配し、後悔するのか。そんな疑問に一筋の光を照らすのが本書だ。
原文タイトルは『やめるという人生戦略。忍耐神話の嘘と、あきらめることに関する最新科学で自由になる方法』である。どうやら私たちは何かの“神話”に惑わされているようである。
著者は20代の大きな挫折を糧に、小説家、大学教授に転身。ピュリツァー賞受賞実績もあるジャーナリストである。本書では、神経科学の世界、野生動物や昆虫の本能に基づく行動を調査し、『グレートギャツビー』や『ハックルベリーフィン』といった文学小説、イギリス・ヴィクトリア朝時代の自己啓発本にまで遡り、エジソンやダーウィン、スポーツ、ビジネスの著名人にも徹底して取材を行っており、彼女の経歴の一端が見えよう。多彩な文献とエピソードで、「やめること」にまつわる悩みのメカニズムに深くメスを入れ、解き明かした一冊と言える。
私たちが「やめられない」3つの理由
私たちは、何かを手に入れるためには、引き換えに何かをあきらめないといけない時があることを知っている。にもかかわらず、やめようとしない。もう続ける意味がないと分かっても、不屈の精神で乗り越えようとする。自らを追い詰め、自分の限界を超え、疲弊しきってしまう。「やめること」は人間を含む動物に備わる自己防衛と本書は説く。だから、やめるべき時には、身体がちゃんとサインを出しているので見逃してはいけない。しかしながら、身体がSOSのサインを発していても、やめられないのにはれっきとした理由がある、という。
そのひとつは「継続は美徳」という刷り込み。これが「やめること」への罪悪感につながり、私たちを知らぬうちに限界に追い込む。次に「やめること」に伴って人間関係まで失ってしまうことへの恐れ。孤独が怖いのである。そして最後に「サンクコスト」である。そこそこ頑張ってしまうと、もう後には引けなくなるのだ。
そんな背景もあってか、「継続は力なり」、“Perseverance will win in the end.”(辛抱強さは最後に勝利する)“に代表されるように、古今東西「やり続けること」への評価は概ねポジティブだ。10年近く前にはなるが『やりぬく力GRIT (グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』という書籍が評判になったこともある。本書はそれを制し、「やめること」の妥当性をわかりやすく説く。
自分自身で決めることにこそ価値がある
ただし私が本書に好感を持つのは、「やめること」を闇雲に推奨しているわけではないところだ。やめるのと同じくらい、続けることも大事だと言う。嫌なことがあった時、もしも刹那的に「やめたい」と思う気持ちが沸き上がったら、十分に休息した後、工夫しながら続けてみることも提案している。では筆者は「やめないこと」の何に疑問を投げかけているのか。
私たちは往々にして、自分のためではない、誰かのため、周囲の評判のために物事を判断していることはないだろうか。人は、自分が選んだものには、納得ができる。誰かに左右されて決めたことは、うまくいかなければ誰かの所為にしたくなる。だから、自分の気持だけ抽出し、自分自身が望むことがどうか、心の声に耳を傾ける必要があるのだ。そうやって決めた「やめること」は、「やめないこと」と同じくらい価値がある。
「やめたい時にはやめる」という選択肢を、恐れも後悔もせずに持ち合わせる。それは自らの人生の幅を広げ、新たな道を作るきっかけになる。本書は「やめること」の罪悪感から私たちを解き放ち、その価値を教えてくれる。そして、「続けるにしてもやめるにしても、自分の判断で選択できる。人生は、あなたの手の中にある」と私たちの選択に力強くエールを送ってくれるのだ。
『QUITTING(クイッティング)やめる力 最良の人生戦略』
著:ジュリア・ケラー 訳:児島 修 発行日:2023/5/18 価格:1,980円 発行元:株式会社日経BP