首謀者不明な「コンプライアンス違反」に対する処方箋 

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前回は、企業のコンプライアンス違反を2つの類型に整理した。そして、「慣習・忖度型」の不正に対しては有効な手を打てておらず、それが神戸製鋼や三菱マテリアルの不正、東芝の不正会計などのコンプライアンス違反を防ぐことができなかった理由だと論じた。

ではなぜ、日本企業では「慣習・忖度型」の不正が多いのだろうか。

その最大の理由は、日本企業の「共同体性」にある。共同体とは地縁や血縁、友情などで深く結びついた自然発生的な組織である。具体的には、血縁・氏族的共同体(家族)、地縁(村落)・部族的共同体、宗教的共同体などである。企業は利益の獲得や企業価値の最大化を目的として集まった集団なので、当然ながら共同体ではない。以下の整理に従えば、「機能体(機能集団)」である。しかし、日本企業は機能体でありながら、共同体的な特徴を色濃く備えているという。それはなぜなのか。

そのひとつは、産業構造の変化に伴う村落共同体の衰退である。第一次産業から第二次産業へのシフトが進んだ結果、地方から都市部や工業地帯に多くの若者が集まった。こうした人たちは血縁共同体や地域共同体から離れて暮らしていたため、個人が共同体から切り離されてしまった。そこで受け皿になったのが、「会社」である。

もうひとつは、宗教的な「国家共同体」の終焉である。明治~太平洋戦争中までの日本国は、神聖なる天皇を頂点とした宗教的共同体(国家神道)であった。しかし、敗戦によって、日本国は共同体ではなくなってしまった。これに敏感に反応したのが三島由紀夫である。天皇陛下が象徴天皇となり、国家共同体が過去の幻となってしまった後、国民が広く共有できた幻想は「経済成長」であった。こうして兵士だった男たちの多くは企業戦士となり、国家共同体が後退した空白を埋めた。こうしてますます「会社」が共同体としての役割を担うことになった。

ちなみに、戦勝国のアメリカでも都市や工業地帯への人口集中はあったが、会社は共同体にならなかった。その最大の理由は、宗教的共同体が残っていたからである。アメリカ建国の父たちは、英国国教会から迫害されたカルヴァン派のキリスト教徒たちであり、現在でも統計上は80%がキリスト教、かつ非カトリックが多い国である。そのため、日本ほど急速に共同体から切り離された人は増えなかった。

こうして日本の企業、特に大企業は「共同体化」していった。日本の典型的な大企業の社員は、新卒一括採用で入社してから約40年間も勤め上げる。社内結婚で家庭を持ち、社宅に住み、残業後は会社の仲間としばしば飲みに行き、休日は会社の仲間とゴルフというのが、サラリーマンのステレオタイプであった。日本の会社とは、共同体的機能体であった。

「共同体的機能体」としての日本企業の強みと弱み

共同体的機能体である日本企業には、強みもあった。アドラー心理学で有名なアルフレッド・アドラーによると、「共同体感覚が発達している人は、自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する」という。その一方で、「共同体感覚が未熟な人は、自分の行動の結末や影響を予測することをやめて、自分の利益だけしか目に入らないようにする」という。

アドラーの言う「共同体感覚」とは、他者と深く結びついている感覚であり、そうした他者を「仲間」だと感じることある。共同体感覚を持っている人たちは、仲間に貢献することで貢献感を持ち、それを通じて自分にも価値があると思えるような人間関係を築くことができる。昭和時代の日本企業の会社員たちは、新入社員として入社した後、会社共同体の中で仲間を作り、共同体感覚を養っていった。

こうした日本企業の共同体性は「すり合わせ型」のモノづくり(自動車や産業機械、複写機、高機能化学品など)で強みとなった。また、サービス業の分野でも現場の緻密なオペレーションによって、極めて時間に正確な高速鉄道(新幹線など)や、日本型コンビニエンスストアなどの独自で優れたサービスを開発し、普及させてきた。

しかし、バブル経済崩壊後の90年代半ばから、日本企業から共同体性が徐々に失われていった。企業のリストラと非正規雇用の増加である。1990年に881万人だった非正規雇用者数は、2014年には1962万人と2倍以上になった。その結果、上場している大企業の多くは、機能体にも徹しきれず、共同体としての絆も崩れた「中途半端な共同体」と化してしまった。

こうした一連の変化により、会社の共同体性が徐々に崩れていき、「共同体感覚」を失った社員が増えてしまった。仲間との絆が薄れてしまった今の日本企業では、各々が自分の立場を守ることを第一に考えるようになる。こうして、上長の顔色や慣習に流されやすい社員が増えたと考えられる。

加えて、共同体の特徴である「内と外の二重規範」が、こうした不正の温床となった。内と外の二重規範とは、社内や特定の部門でしか通用しない規範が存在するということであり、それが時には社外の規範に抵触する場合もあることを意味する。例えば、「若手女性社員は、宴席では幹部にお酌をせねばならない」などである。神戸製鋼の不正もこれに当たる。同社では過去に納入して問題とならなかった不合格品の事例を「トクサイ(特別採用)範囲」と称するメモにして申し送りし、歴代担当が無断納入の判断基準に使っていた(神戸新聞10月19日)。一般的に「特別採用」とは、軽微な性能不足などがあった場合に、顧客に了解を得た上で引き取ってもらうことを指す。まさに内部と外部の規範がズレていた。

こうした二重規範に加え、上司やトップに対して対等に口を利きにくいことが「忖度」を生み、共同体感覚の薄れが保身による思考停止を促したのだろう。

「慣習・忖度型」のコンプライアンス違反を防ぐためには

キーワードは、「流動化」「標準化」「宗教化」である。上場している大企業であれば、この3つがセットで必要である。非上場の中小企業であれば、3つ目の「宗教化」だけで十分だ。なお、宗教イコール怪しいというイメージがあるが、ここで示す「宗教化」の狙いは共同体感覚の回復である。

■流動化
慣習による不正を防ぐには、人材の流動化が有効である。社内の異動のみならず、中途採用者を増やすなど人材を流動化させれば、前任者の不正など、おかしな点に気付きやすくなる。しかし、流動化にはデメリットもある。それは新たな職場や仕事に適応するまでの手間がかかる点である。日本では同じような仕事内容なのに会社や職場が変わるだけで、適応が難しくなる場合が少なくない。それは共同体性に基づく「ローカル・ルール」が存在しているからである。こうしたルールは企業単位のみならず、企業内でも事業単位、工場単位、職場単位で存在する。これが人材の流動性を妨げている。

日本企業にローカル・ルールが生まれやすい理由は、もうひとつある。それは、日本に特徴的な「組織の編成原理」である。日本では人々の社会的位置づけが「場」によって行われる傾向があり、場で作られた枠が集団の認識に大きく関っている。例えば会社や出身校である。アメリカ・西欧やインドでは、「資格」によって社会集団が構成される傾向にある。例えば、欧州の王室は欠員が生じた場合に民族や国家という場を超えてヨコ(他国の王室)とつながろうとする。しかし、日本は決してそれをしない。

こうした特徴ゆえに、工場や事業部などの「場」単位で組織がサイロ化しやすくなる。また、ヨコ(資格)の組織編成原理が弱いので、社員の採用も職種別ではなく、事務系・技術系のような大まかな分け方になってしまう。ゼネラリストを育成するほうが人材を流動させやすそうだが、いったんサイロにはまると脱出しにくくなる。各人の専門領域をある程度決めてキャリアを歩ませた方が人材を動かしやすいはずだ。

■標準化
流動化のコストを下げるために必要なのが、業務の標準化である。つまり、ローカル・ルールを極力減らすということである。日本企業は欧米企業に比べてローカル・ルールが多いと聞く。例えば、日本企業ではERPなどの業務ソフトを導入する際、欧米企業に比べて自社に合わせたカスタマイズ要求が多くなる傾向がある。しかし、あえてカスタマイズをせず、むしろ自社の「業務プロセス」や「ルール」を標準形に合わせていけば、外から来た人材がローカル・ルールに戸惑いにくくなる。

こうした標準化はERPだけではなく、経営幹部に対する経営大学院(MBA)教育の導入などもそのひとつである。MBAは各校でカリキュラムに特徴はあるものの、例えば会計のルールなどは各校で教える内容に違いはない。MBAホルダー同士であれば、経営の意思決定の際に意思疎通が容易になる。

■宗教化
業務の標準化を行い、人材の流動化を進めていくと、社員から「その会社で働くことの意味」を常に問われるようになってくる。そして、優秀な人材ほど、外に流出していく危険が高まる。こうした状況で必要なのが、その会社に対する合理性を超えた「思い入れ」や「熱狂」である。これを私は「宗教化」と呼んでいる。ただし、呪術的(まじない的)な部分を除いた、宗教化である。米国では大統領選挙でプロテスタントのメガ・チャーチ(大規模な伝道集会)と同じ手法を用いているが、企業内のイベントでもしばしばこうした手法を用いることがある。

日本企業も例外ではない。経営の神様と呼ばれた松下幸之助(松下電器・現パナソニック創業者)は天理教からヒントを得ている。会社はカネを払って従業員に働いてもらっているが、宗教はカネを払っていないにもかかわらず信者が自ら進んで活動する様を見て、理念経営の重要性に思い至ったという。現代では稲盛和夫氏(京セラ創業者)は仏教の僧侶としての顔も持っており、京セラは理念浸透に力を入れている企業として有名である。

このように、「宗教化」はカネをかけずに社員をひきつける力を持つ。これに加えて、倫理的な行動を促す役割も持つ。宗教では「聖典」やそれに書かれた「戒律」が、法律では裁けない道徳的・倫理的な規範を与えてくれるが、企業の行動指針もそれと同じ役割を持つ。社員たちが、宗教における倫理規範と同じように行動指針を信じて行動すれば、内発的に倫理的な行動が促される。そうすれば、内部統制のコストもかからない。つまり、宗教化とは機能体のメンバーに対して、アドラーの言う「共同体感覚」を養ってもらうことに他ならない

では、こうした「宗教化」を行うためにはどうすればよいのだろうか。

「宗教化」のカギ

当たり前のようであるが、ヒントは世界宗教にある。例えば、行動指針やWAYには「助け合い」の要素を含むことが必須である。それも内部だけでなく、外部も含めて助け合うことが重要である。例えば、キリスト教は隣人愛、仏教は慈悲がそれに相当する。こうした規範は、仲間との協力を促すと共に、不正を抑止する働きを持つ。また、行動指針の数は多くしすぎない方がいい。キリスト教なら十戒、仏教なら五戒のように、重要な項目を絞り込む必要がある。

では、理念や行動指針、WAYを浸透させるにはどうすればよいのだろうか。そのカギを握るのは、リーダーの選抜と育成である。リーダーは社内に対する理念や行動指針のエバンジェリスト(伝道師)でなければならない。ゆえに、ハイ・パフォーマーが必ずしもリーダーにふさわしいのではなく、正しいあり方を実践し、それを説ける人をリーダーにする必要がある。そうしたリーダーは自動的には育たないので、早めに選んで内部で育成するしかない。早めに選ぶ理由は、リーダー候補人材の外部流出を止めるためである。そして、リーダー自らがリーダーを育てることを最重要課題として取り組む必要がある。

これを実践している企業がアメリカのGEである。GEではクロトンビルにある研修施設でリーダーに対してGEバリューを徹底的に伝えている。その熱の入れ方は半端ではない。CEOのジェフ・イメルトを含むGEのシニアリーダー達は執務時間の3分の1を人材教育に充てており、人材育成の投資額は年間10億ドル(約1,200億円)に上るという。GEの幹部候補生は、シックスシグマなどの経営手法やMBAの知識を学び、リーダー候補に選抜されたのちに、クロトンビルで「GEバリュー」の伝道師になるべく教育を受ける。

まとめ

最後に、3つの処方箋の中では「宗教化」が最も難しい。なぜなら、過去はその必要性に迫られてなかったからだ。昭和時代の日本企業は、社員を理念や行動規範で束ねなくても、自然と共同体的になってしまっていた。社員たちは会社に愛着を持ち、同僚や上司を仲間だと感じていた。会社を基盤とした共同体感覚を持っていたのだ。しかし、現在の日本企業はそうではない。

地道な方法だが、会社が内外に掲げる規範に対して義しい(ただしい)リーダーが、自らの時間を使って次のリーダーを育成するしかないのだ。
 

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