今年3月発売の『起業の失敗大全』から8章「ムーンショットと奇跡」の一部を紹介します。
ムーンショットとは、前例がなく非常に困難な一方、達成できれば大きなインパクトをもたらす壮大な計画や挑戦のことです。1960年代のアメリカのアポロ計画(月面に人類を送り帰還させる)にちなみます。ベンチャーでも、そうしたムーンショット的な壮大なビジョンを掲げる企業は少なくありません。最近躍進中でついに黒字化したテスラなどがその典型です(テスラは2003年に起業され、2004年に現CEOのイーロン・マスクが実権を握りました)。このタイプのベンチャーは、他のベンチャーに比べても成功までに時間を要することになります。何度も資金調達に成功してユニコーンやデカコーンになっても、結局は事業閉鎖に追い込まれるケースも少なくありません。ある程度奇跡的な幸運が重ならないと成功に至らないからです。そしてそれ以前に市場規模の予測の難しさがあります。過去の失敗ケースを見ても、予想以上に潜在市場規模が小さかったことは少なくありません。これに対する簡単な解決方法はありませんが、それでも慎重に市場規模を見積もるとともに、適切な戦略をとる(テスラの例であれば、高額所得層を初期のターゲットとしてハイエンドの製品を売るなど)ことが必要なのです。
(このシリーズは、グロービス経営大学院で教科書や副読本として使われている書籍から、ダイヤモンド社のご厚意により、厳選した項目を抜粋・転載するワンポイント学びコーナーです)
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需要の予測
世界を変えるようなソリューションを持つ起業家が直面する大きなリスクは、約束した急進的な変化があまりにも巨大すぎて、顧客を怖がらせてしまうことです。難しいのは、どの程度のイノベーションだと過剰すぎないのかを見極めることです。このような状況下での市場調査は、いくつかの理由で困難です。第一に、多くのムーンショットは開発期間が長いため、設計の初期段階で、プロダクトの実働版に対する顧客のフィードバックを得ることができません。多くの起業家は顧客調査を行い、後でその選択を後悔します。2008年に(電気自動車のベンチャー企業)ベタープレイスがイスラエルの自動車所有者1,000人を対象に行った調査では、ベタープレイスの車の購入を検討すると答えた人は20%で、これは10万台を意味していました。ベタープレイスが閉鎖されたときの実際の販売台数は1,000台でした。
イリジウムもまた、需要の予測を大きく裏切ったムーンショットの一例です。 1998年に設立されたイリジウムは、地球上のあらゆる場所で衛星電話サービスを提供することをミッションとしており、主な出資者であるモトローラ社の長年にわたる研究開発の成果をもとに設立されました。イリジウムが66機の衛星を宇宙に打ち上げる前に、モトローラは複数のコンサルティング会社を雇って、衛星電話サービスの市場を調査しました。彼らの調査によると、4,200万人のワイヤレス中毒のビジネス旅行者が潜在的な市場であり、その多くが衛星電話の所有を望んでいると考えられました。このデータから、損益分岐点に達するために必要な100万人の顧客との契約は容易なことと思われました。 1999年に倒産したときには、64億ドルの資本金と負債を調達しましたが(これは当時、スタートアップが調達した資金としては史上最高額でした)、顧客数はわずか2万人でした。
市場調査の専門家は、調査対象者が実際の計画に比べて購入意向を過大評価することを日常的に想定しており、調査員はこのバイアスを避けるべく、予測値を下方修正する方法を編み出しています。しかし、先鋭的なプロダクトの場合、こうした方法は効果的ではありません。回答者は、これまで直接経験したことのないプロダクトに対する好みを表現できないからです。ヘンリー・フォードの言葉を思い出してください。「もし私が人々に何か欲しいかと尋ねたら、彼らはより速い馬と答えただろう」
それでは、起業家はどうすればよいのでしょうか。 Chapter 3で説明したように、まだ発売されていないプロダクトの詳細で正確な説明に基づいて、顧客に事前購入を約束してもらう、スモークテストのようなやり方を用いることができます。例えば、テスラはモデル3について、返金可能な1,000ドルのデポジットを採用しました。
顧客の需要を把握するうえでのもう1つの障壁は、起業家の猜疑心です。起業家の中には、ライバルにアイデアを盗まれないように、できるだけ長く「ステルスモード」でいることにこだわる人がいます。スティーブ・ジョブズは秘密主義を貫き、新しいプロダクトを華々しく発表したことで有名です。2001年末に発表されたセグウェイの発明者であり、創業者でもあるディーン・ケーメンは、ホンダやソニーが自分のコンセプトをコピーすることを心配し、何年もの間、マーケティングチームが顧客の意見を直接聞くことを拒否しました。
セグウェイは、アーサー・D・リトル(ADL)に需要予測を依頼しましたが、ADLもセグウェイのコンセプトを顧客に説明することは許されませんでした。 ADLは、最初の10年から15年の間に3,100万台のセグウェイが販売される、と見積もりました。 2000年末、セグウェイのマーケティング担当者は、ようやく一部の被験者にセグウェイの試作車に乗ってもらうことができましたが、その結果、購入希望者は4分の1にも満たないことがわかったのです。この結果は、メインストリームの消費者からの需要が少ないことを示す、不気味なほどに正確な前兆でした。初期の投資家は9,000万ドルを投資しましたが、大きな損失を被りました。顧客調査の問題点は、投資家にコンセプトを売り込むために使われることが多いという点です。ムーンショットには莫大な資金が必要となるため、起業家は、需要予測を膨らませたくなるのです。
『起業の失敗大全 スタートアップの成否を決める6つのパターン』
著者:トム・アイゼンマン 訳:グロービス 発行日:2022/3/30 価格:2,970円 発行元:ダイヤモンド社