ウィル・スミスビンタ事件―「ホンネ」大好きな日本のビジネスエリートと「タテマエ」を重んじるアメリカ社会の差

トレンド経営学

単なる芸能ゴシップを超えた”ビンタ”事件

2022年のアカデミー賞授賞式で発生したウィル・スミスによるビンタ事件(以下、ビンタ事件)は、アメリカ社会だけでなく海外にも大きな衝撃を与えた。特に、銃犯罪や暴動といった暴力問題への対処を迫られているアメリカ社会では、単なる芸能ゴシップを超え、社会問題として論じられた。加えて、本件は人種問題も一つの要素であり、多様な人材を活用し、多様な人材を顧客とするビジネス界においてもこうした事案をどう扱うか、は他人事ではない。ペンシルバニア大学ウォートン校MBAの有名教授が「不安定な“男性性”が発露された問題であり、こういう文化は断ち切るべきだ」とコメントを発信[1]するなど、関心は高かった。

一方で、日本のビジネス界は、どれほどこの問題を重く受け止めただろうか。事件の直後ではテレビのワイドショーやSNSの世論も盛り上がった。しかし、あくまで一過性のニュースとして消費され、話題は他へとうつろっていった感がある。

この日米のリアクションの違いは何か? 本稿ではこの点に踏み込んで考えてみたい。自国で起こったかどうか以上に、両国における「正義」の語られ方の違い、言い換えると、アメリカ社会と日本社会での「ホンネ」と「タテマエ」の扱われ方の違いが、この事件への反応から見えてくる。

分析の前提となる「ホンネ」と「タテマエ」についての基本認識を説明する。かつて、「日本人はホンネとタテマエが乖離している」と外国から非難されることがあったと聞く。しかし、最近の国際ビジネスコミュニケーション論では、日本人が国際ビジネスの場で指摘される特徴は単に文化に基づくものであり、全ての文化にそれぞれの特徴がある、と相対化されている[2]。そして、どこの国にもホンネとタテマエはある、と考えるのが一般的になっている。

アメリカ:タテマエは「正義」。エリート層はタテマエしか話せない

今回のウィル・スミスのビンタ事件に対するアメリカ社会の反応を理解するには、アメリカ社会のホンネとタテマエと、それが昨今いかに重視されているかを知る必要がある。

ここ数年、アメリカではキャンセル・カルチャーの嵐が吹き荒れている。政治的な「失言」はキャリアの命取りになりかねない。経営者、学者、アーティストなどの著名人の多くが、たとえば女性を、アジア人を、LGBTQを蔑視している、と世間から受け止められた発言やネットへの投稿により、職を追われている。

公(おおやけ)の場での発言は、リベラル・保守などの「正義」に照らし合わせて大衆にジャッジされ、SNSやメディアであっという間に拡散される。今や、公での発言に求められる慎重さはかつてないレベルにまで高まった。その傾向は、ビジネスリーダーほど顕著で、公の場ではタテマエばかり話している。

キャンセル・カルチャーの背景にある思想は、一つではない。しかし、大きな存在感のある思想はポリティカル・コレクトネス―これまでのアメリカ社会における人種や性別といった不公正・不平等を正していこうとする動き―だ

キャンセル・カルチャー

この事件についても、アメリカの主流メディアの意見、すなわち多くのビジネスリーダーが準拠する意見は、ポリティカル・コレクトネスの視点にのっとっている[3]

ポリティカル・コレクトネスは、「正義」であるがゆえに、現実と必ずしも一致はしていない。きれいごとだ、との憤りを感じたり、抵抗感を抱いたりする人もいるはずで、アメリカ人と直接話をしてみると、ホンネの感情は別のところにある、と感じることも少なくない。特に、普段タテマエに縛られているエリート層では、ホンネとタテマエの乖離が大きいようだ。

ビンタ事件では、最終的にはタテマエ中心の裁定がなされた。「侮辱発言があろうとも、いかなる場合でも暴力はいけない」という「正義」が結果的には貫かれた。主流メディアやリーダー層からの発言も、ウィル・スミスを非難するものが多く報道された。

しかし、運営側による当日対応や、その後の処分の様子などをみると、アメリカ的「正義(タテマエ)」に揺らぎもみえる。仮に、タテマエの正義が貫徹されているならば、ビンタ事件のその場ですぐにウィル・スミスは退場・逮捕されていたはずだ。実際には、観客は拍手し、ショーは続いた。現時点の処分(賞は剥奪されず、出入り禁止処分のみ)も、やや「あいまい」にも感じられる。アメリカ社会もタテマエとホンネのはざまで揺れていることを垣間みた感がある。

また、世界史的にみれば、アメリカはそもそも暴力的に建国され、国際社会でも暴力で物事を解決してきた歴史がある。「正義」だけで語ることのできる国ではない。

日本人が理解すべきは、アメリカは、タテマエとホンネが、どちらも強く激しく存在し、とてつもない緊張感をはらんでいる国だということではないだろうか。こうしたことを意識せず、日本的な感覚で「話せば分かる」「腹を割って話そう」的な軽々しい発言をするのは危険だ。

日本:ホンネとタテマエは「仲間うち」かどうかが基準。エリートもホンネが好き

対して、日本はタテマエの力が弱い国ではないか。逆に「ホンネ」が強く、多くの場面でホンネが奨励される。地上波ワイドショーやSNSでは、ホンネで話してくれる芸能人が人気を集める。本事件でも、松本人志氏や坂上忍氏のテレビでの感情論を含んだ発言がネットニュースになり[4]、これを受けてSNSが盛り上がる、という現象が見られた。

また、日本では、ホンネとタテマエは、「感情」と「正義」というよりは、「集団の内の論理」と「外の論理」で分かれている。ソトで話されるタテマエのなかに、アメリカにおけるポリティカル・コレクトネスに相当する日本人のリーダー層に共有された正義があるわけではない。タテマエは「よそいきの話」というだけのものとして理解されているのではないか。

さらに、日本ではリーダー層が「正義」を発信する習慣は希薄なように思われる。むしろ、リーダー層が「ぶっちゃける」ことが好まれている。これは、日本では社会の中において、立場やバックグラウンドの違いによる激しい緊張関係がさほど表面化していないことと関係しているのではないだろうか。同質的な相手だけを想定した「みな、仲間じゃないか」の感覚が、令和の今でも通じると思っている人が少なくないようだ。実際にはそれほど同質的ではないのに十分に気がつけていない可能性もある

ホンネとタテマエ 日米の違い

ビンタ事件について「日本の世論は暴力を犯したウィル・スミスに同情的だ」というトーンの記事が幾つかあった。こうした見方は、ネットニュースへの匿名コメントやツイッターの観察に基づく見解であり、実際の世論の程度がどうだったのかの調査は見当たらないため、証明するすべがない。また、日本でもリーダー層のなかで「暴力肯定」の意見が多いわけではなく、最終的にはアメリカの落ち着きどころと同じような考え方になっていると思う。

ただし、日米のリアクションの中で違いが目立ったと感じられるのであれば、それは「正義」を語る意見の存在が、アメリカに比較して少ない、だから同情的な意見が目立ってしまう、ということではないだろうか。これ自体は歴史や社会に基づく特徴であり仕方のない部分でもある。ただ、国際社会の一員としての日本のこれからを考えると、これで良いのか考えさせられる。

リーダー層がタテマエとホンネをどう扱うかが問われる

ウィル・スミスのビンタ事件は、アメリカのリーダー層が近年掲げてきた、ポリティカル・コレクトネス、という正義(タテマエ)が問われた事件であり、同時に、日米双方の社会のホンネとタテマエをあぶり出す側面のある事件だった。

アメリカ、日本に限らず、どこの国・社会にもその歴史にもとづく特徴があり、得意なこと、苦手なことがある。よその国に対して、自国の延長線上で軽々な判断をすべきではない。一方で、自国については、その特徴を客観的な文脈で理解し、弱い部分に目を向け、改善に貢献することがリーダー層に求められる。

<注釈>
[1] ペンシルバニア大学ウォートン校の人気MBA教授 アダム・グラント氏は事件から数日以内にこの問題について「不安定な ”男性性”が発露された問題であり、こういう文化は断ち切るべきだ」と発言した。また、白人である自分が(黒人間の問題に対して)発言することで大きな非難を受けたことも発表している。https://adamgrant.bulletin.com/a-slap-in-the-face/

[2] エリン・メイヤー『異文化理解力 相手と自分の真意がわかるビジネスパーソン必須の教養』(2015)

[3] 日本語でもこの視点で事件を解説する良記事が幾つか発表されている。ぜひ参考にしてほしい。
米アカデミー賞でのウィル・スミスの平手打ち事件をポリティカル・コレクトネスで考えてみる|橘玲の日々刻々
日米で違うウィル・スミス事件への反応。暴力と「有害な男性らしさ」に鈍感な日本|BUSINESS INSIDER 

[4] 松本人志「同じ立場なら…」ウィル・スミスのビンタ騒動に「同じようなことにいっているかも」
「謝るなよ!」坂上忍が“ビンタ騒動”のウィル・スミスに苦言して物議!

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