グローバルで起こっている価値観の変化についていけていない日本
2021年の東京オリンピックは、近年の日本が経験した最大級のグローバルイベントでした。しかし、そこで見せつけられたのは、世界が期待する価値観への適応に苦労する、日本のオリンピック準備関係者の姿でした。たとえば、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」というベテランリーダーの発言は、国内に加えて外国からの「女性蔑視である」という強い批判を浴び、最終的には辞任に至るという結果になりました。
当初、この発言の問題の大きさをどう捉えるか、に国内外でギャップがあったように感じます。欧米ではリーダー層の女性蔑視発言はまったく許されなくなっているということが十分に理解されていたでしょうか。ほかにも多様性や人権に関連したさまざまなトラブルが見られました。
このように、世界で広まっている新たな価値観とギャップを抱えているのが日本の現状です。その原因は、「世界の価値観が日々変化していること」と、その価値観の変化をなんとなく感じつつも、多くの日本人が変化の本質を深くは理解できていない、ということです。これは日本のビジネス界の隠れた重大課題です。
そこで本連載では、海外、主に欧米のポップカルチャーを通じて、世界の「今」の価値観を紹介し、その意味を掘り下げていきます。ビジネススクールで10年以上組織・人事の分野を中心に教壇に立っている筆者が、日本のビジネスの現場と欧米社会が規範とする価値観のギャップという観点や、その背景にある歴史や宗教文化という観点から解説を加えていきます。
なぜ、ポップカルチャーで学ぶのか?
_ここでは、ポップカルチャーという言葉を、流行を狙って商業的に作られる映画・ドラマ・音楽などの意味で使います。良質なポップカルチャーには、大きな予算と才能が注ぎ込まれていることが少なくありません。結果として、エンターテイメント性と時代への批評性の両立に成功している作品が沢山あります。
マーベル・スタジオが展開しているマーベル・シネマティック・ユニバースの作品群は、その代表的なものです。一連の作品群は約10年の間に総計2兆円以上の莫大な世界興行収入を上げるビッグ・ビジネスです。一方で、民主主義・格差社会・人種問題・環境問題なども視野に入れた重層的なストーリー作りをしています。単なる「娯楽」ではないのです。
もちろん、世の中には、低予算でも優れた志と才能による素晴らしい作品は存在します。大規模であれ小規模であれ、良質なポップカルチャー作品に触れることは、楽しみながらにして、今の時代の価値観や現実を理解するチャンスです。ビジネスに日々奮闘する人にこそ、ポップカルチャーが有用だとお勧めしたいのです。
「海外」作品をおすすめする理由3つ
この連載では意識的に、外国の作品を扱って行きたいと考えています。日本にも優れたポップカルチャーとコンテンツがあります。にもかかわらず、なぜ外国のものを薦めるのか?少し説明します。
(1)市場規模の違い
まず、ビジネスパーソンとして意識したいのが、日本と海外作品の市場とそれに付随するバジェットの規模の違いです。
世界のコンテンツ産業の市場規模は日本の市場規模の10倍以上[1]です。カルチャー(文化)に関わることを、予算の規模で語ることの危険性は十分に承知しています。しかし、ビジネスパーソンとして考えるならば、バジェットの規模のインパクトから目を背けることはできません。大規模なプロジェクトが何をどうしているのかを理解して初めて、挑戦者の立場としての戦略を立てることも可能になります。
(2)日本の価値観は海外の変化に追随する
次に、日本の価値観は先行する海外の変化に追随して変化していくことです。後追いをしていくことが良いことなのかどうかは一旦保留したとしても、環境問題に対する考え方、ハラスメントに対する考え方など、海外の変化が日本に流入してきた例は数えきれません。海外で起こっていることを理解することで、日本国内での次の変化を先んじて知ることができるのです。
(3)グローバルで共通の話題に入っていける
さらに、海外のポップカルチャーに触れることのメリットがもう一つあります。それは、これを理解するとグローバルで共通な話題の中に入っていくことができるということです。筆者は世界各国の人と雑談をする機会が多いのですが、ポップカルチャーの話題は、楽しい共通の話題として機能します。たとえば、アフリカのガーナの会計士とNetflixの「コブラ会[2]」の話題で盛り上がる、といったように。
では、何を見たらいいか?
海外ポップカルチャーの有効性は何となく感じられたとしても、大量に存在する作品の中から何を見て良いか分からない、という方も多いと思います。
実はこうした悩みは、今のポップカルチャーのビジネス構造上しごくもっともなものです。
第一に、海外では、ストリーミングサービスの隆盛により、コンテンツ(数)の爆発が起きており、専門家でも全体像の把握が難しいと言われる状況になっています。第二に、欧米のコンテンツにはコンテンツ間で相互に参照や引用をする文化があります。このため、ある程度の作品数を見て知識の土台を作らないと深い面白みが分からない、という状況は確かにあります。「ハードルが少し高い」という事実は素直に認めましょう。
しかし、ポップカルチャーとは、基本的には多くの人に向けたエンターテイメントです。良質な作品は純粋に楽しむことができるし、そのような作品は確実に存在します。まずは、そんな作品から「勉強」と構えずに楽しむことができれば良いのです。加えて、ビジネスのヒントも得られれば一石二鳥です。そのためのガイドをこれから提供していきます。
連載の方針
この連載では、海外ポップカルチャー作品に込められた表現の中に、今のビジネスに繋がること、世界理解のヒントを読み取ることを狙っていきます。毎回、その作品を見る事によって掘り下げることのできる価値観を取り上げて、背景などを含めて紹介します。
専門的な芸術理論や社会論により、作品を評論することを目的とはしません。ただし、カルチャーの背景には、時代や社会、宗教文化などが必ずあるものです。これらと関連付けた理解の切り口は意識して紹介していきます。
なるべくハードルを下げ、「入り口」を作るガイド役としての役割を意識します。取り上げる作品は、コンテンツにアクセスしやすく、(前提をそれほど必要としないで)中身に入って行きやすいものを中心に選びます。また、なるべく2020年代の世界が直面している問題を反映した、同時代の作品を紹介することも意識していていくつもりです。
ふだん、海外の映画やドラマ・音楽にあまり触れたことはない、という人が新たな世界に出会うこと、また、学びとエンタメが両立することを知ってもらうことができればうれしいです。
今後の連載でとりあげる予定の作品
変更する可能性はありますが、連載では次のような作品を紹介する予定です。
・テッド・ラッソ 破天荒コーチが行く_ (2020-) Apple TV+
男性は、仕事の場で男らしく振る舞わなければいけないか?
・コブラ会 (2018-)Netflix
リベラル化に立ち向かう頑固親父は時代遅れなのか?
・偽りのサステナブル漁業(2021)Netflix
SDGs推進の美談をどこまで信じて良いのか?
・プロミシング・ヤング・ウーマン(2020)映画
アメリカ社会は男女平等が既に進んだお手本なのか?
・家族を想うとき(2019)映画
業界を破壊するイノベーションは社会的に「善い」ことなか?
※人や組織について学びたい方は、グロービス経営大学院の人材マネジメント講座で学ぶことができます。
<参考文献>
「2010s」 宇野維正_ 田中宗一郎 新潮社 _(2020)
「映画を見ると得をする」池波正太郎 新潮社 (1987)
<注釈>
[1] 経済産業省「コンテンツの世界市場・日本市場の概観」
[2] 映画「ベスト・キッド」の30年後の続編。基本的に娯楽シリーズではあるが、30年間で変化したジェンダー観などがストーリーの重要な背景になっている。