デービッド・アトキンソン。この名前を聞くと、多くの銀行関係者は「ああ、あのアトキンソンね」と思うに違いない。
バブル経済がはじけ、日本の銀行が不良債権処理に躊躇い地価の再上昇というわずかな可能性に賭けていた時のこと。「抜本的な不良債権処理こそが日本経済の活路。銀行の再編・淘汰は避けられず、大手銀行は最終的に4つ程度に収斂されよう」と主張していたこの英国人経済エコノミストは、日本の銀行界から見て煩わしい存在でしかなかった。
その後、何が起きたかは皆さんのご存じの通りである。多くの企業の運命が変わり、多くの銀行員の人生が変わった。私もその一人である。
振り返ると、アトキンソンの指摘は恐ろしいほどに的確であった。こうした見通しが出来た理由の1つには、彼が徹底して当時の時代を支配していた情緒的な解釈や見通しを排し、ファクトとロジック、データと分析を通して、事象とその意味、次に起きること、為すべきことを冷静に見通していたからではないかと思う。
さて、本書でアトキンソンは、今の日本を「潜在能力を十分に活かせない『日本病』に陥っている」と指摘している。そして、その背景には、戦後日本の高度成長をもたらした要因に対する誤った認識と、今日の経営者が日本を取り巻く経営環境に即した経営を実施出来ていないところにある、と主張する。
アトキンソンによると、高度成長期の日本の奇跡的経済成長をもたらした最大の要因は、日本における急速な人口増加に伴う需要の増大にある。当時の日本企業は均一の製品を大量生産することで、1人当たりのGDPで世界トップクラスに躍り出ることができた。
ところが、1995年頃から人口停滞が始まり環境が変わったにもかかわらず、「優れた日本的経営」や「高い労働者の教育水準」、さらには「終身雇用制度」に代表される独特の労働慣行といった過去の成功例にこだわり、政策担当者や経営者達は本当に必要な打ち手を実施できなかった。その結果として、日本は1人当たりのGDPが世界27位(2015年の順位)になる等の結果に甘んじることになったと言う。
日本人として読んでいて気分の良い内容ではないかもしれない。私も読みながら「アトキンソンは自身の主張を通すために、都合の良いデータばかりを集めて議論を組み立てているのではないか」という論陣を張りたくなった。
一方で、少なくとも紹介されているデータと著者の主張には論理的整合性があることも事実である。また、昨今の過剰労働やパワハラ、あるいはワーキングプア・格差を巡る報道を見ている範囲では、日本経済が完全雇用に近い状態でどの国にも負けない豊かな生活を享受できる状況になっている、という評価を下すのは難しそうでもある。
では、特に日本の経営者は何を考え、何から取り組むべきなのだろう。筆者はまず、経営者一人ひとりが意識を変えて、日本の経済がその潜在力をまだ十分に発揮しているわけではないという厳しい現実を見つめることが必要であると説く。次に、日本が具体的に達成すべき数値目標を明確に定めること、そしてこの目標達成のために必要な取り組み、例えば女性の活用、企業の合併や統廃合、人材の再配置、仕事のやり方の変革などを断固として実行していく責任がある、と書いている。要は「坂の上の雲」はまだ存在し、日本は再びこの坂を登らないといけない、と説いているのだ。
詳細な施策やその根拠は皆さんにこの本を読んで頂くとして、著者の打ち手を実施した結果として、日本における労働者の平均年収が理論上2倍に、またGDPは1.5倍にできる、というマクロ分析には一定の信頼が持てそうでもあることは指摘しておきたい。
最後に、バブル崩壊当時のレポートとの比較において、今回の著作の方が数段説得力を持っていると思う。その訳は、彼が「小西美術工藝社」という日本の国宝や重要文化財などの補修をおこなう会社のトップとして10年近く、日本の会社経営に直接携わってきたからである。そして、日本という環境をある程度理解し、会社を変えることの難しさと会社を成長させる素晴らしさ、そして経営者の責任というものを体感してきているからであろう。
これからの経営のあり方を考えたいと考えている方に、一読をおすすめしたい。
『デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論』
デービッド アトキンソン (著), David Atkinson (原著)
東洋経済新報社
1500円(税込1620円)